クラピカは眼前に並んだ黒い袋に包まれた十二の死体(うち一つは生首)を前に、手に巻き付いた鎖を撫でた。場所は昨日激戦が行われた荒野であり、乾いた風がクラピカの髪を弄ぶ。
「掘り終わったぜ。そっちは?」
「…………私の方も終わった」
スコップを手に六つの穴を掘り終えたレオリオがクラピカに言葉を投げかけ、クラピカもまた六つの穴の前でそれに答えた。しかしその様子は心ここにあらずで、それを心配したレオリオがクラピカの肩を叩く。
「おい、大丈夫か?」
「ああ、問題ない」
「そうか? あー……っと、あれか? 燃え尽き症候群」
レオリオの言葉にクラピカは苦笑する。
「ふふっ、燃え尽きるにはまだ早いよレオリオ。私の最大の目的は仲間の眼を探すことだ」
「はっ、良く言うぜ。今朝それをゴンに言われてはっとしてただろお前」
「…………まあな」
クラピカは頷くと、黙々と掘った穴に遺体を横たえ埋葬をしていく。レオリオもそれに倣い、作業の間しばらく沈黙が続く。
そして全ての埋葬が終わったところで、クラピカは
「ハンター資格を得て半年。……まだ、たったの半年なんだ。こんなに早く幻影旅団を壊滅させることが出来るなど、思っていなかったからな。正直…………戸惑っている部分が大きい。ハンター試験の第三試験……トリックタワーでエミリアは「私に出会えてラッキーだ」と言っていた。あの時はおちょくられているものとばかり思っていたが、事実彼女に出会えたことは幸運だったのだろう。……今回の旅団を倒せたのも、エミリア自身の協力と彼女のゾルディック家への依頼が無ければ成し得なかった事だ」
クラピカは昨日のエミリアと大男……ウボォーギンの戦いを思い出す。
念を身につけ、緋の眼がもたらす自身の特性と制約と誓約で強力な能力を生み出し鍛錬してきた半年間。強くなったと思っていた。いや、事実強くなったのだ。しかしああまで苛烈な戦いを見せられてしまうと、その自信も少し揺らいでしまう。
そして激戦を繰り広げた当人であるエミリアであるが、昨日旅団員の一人である大男を殺してからすぐ意識を失った。
後から聞けば毒をその身に受けており、毒に精通するゾルディック家の老人マハが解毒剤のようなものを与えたらしい。らしい、というのはそれを見ていたレオリオによれば薬を飲ませるでも注射をするでもなく、ただ人差し指をエミリアの額に押し当てただけというからだ。
しかしその解毒も応急処置のようなものだったらしく、戦いで消耗し張り詰めていた緊張の糸が途切れたエミリアはすぐさまその毒の影響下におかれた。一時は死ぬ寸前まで行ったのだから笑えない。……クラピカがエミリアとの修行中、一度だけ耳にした彼女の想い人の名前”ゴレイヌ”を、死の淵にあるエミリアの耳元で言い続けていなければどうなっていた事だろう。意識を失いながらもその名前を聞いたことにより劇的に容体が回復したところを見るに、想い人の名はエミリアを現世に留めるには十分すぎる効力を持っていたようだ。
容体を持ち直したエミリアは、一度目を覚ました。その時エミリアは一番近くに居たクラピカにこう願ってきたのだ。
『ウボォーギンと、出来ればマチの死体も埋めてほしい』
その他の団員の死体については「お前の仇だ。好きにしろ」とのことだった。それを言った後なんとかゾルディック家への報酬の支払いだけ済ませたエミリアだったが、それを終えると再び意識を失ってしまったためクラピカはずいぶんな丸投げをされた物だとため息をついた。
A級首である幻影旅団が壊滅したとなれば、それは大きなニュースだ。暗殺一家の手を借りたとはいえそれを成したのがハンターライセンスを持つ者ならば、功績にもなるだろう。当然賞金首なのだから賞金も出る。しかしエミリアはそれを望んでいるふうでは無く、それどころかその考えにも至っていないようだった。
彼女としてはクラピカと同じで旅団を倒すことが出来ればそれでよかったのだろう。後からついてくる功績などその眼中にはない。
旅団の死体については後に合流し事情を聞いたネオンの父、ノストラードファミリー組長ライト=ノストラードが、娘が攫われたこともあり「見せしめに死体の映像をネット上に公開すべきだ」と主張した。しかし彼は被害者側ではあるが、旅団を倒したのはゾルディック家とエミリアだ。娘の護衛であるクラピカが一応参戦したとはいえ、ライトに旅団の処遇をどうこうする権利は無い。
これについてはかなりごねられたが、エミリアと知己である娘のネオン=ノストラードの協力を得たクラピカが説得した。ライト=ノストラードとしても娘に加え、その強さと頭の回転の速さを買って今回殉職したダルツォルネ(旅団のアジトで遺体が発見された)に代わる護衛チームのリーダーにしたかったクラピカの事を無下には出来なかったようだ。
見せしめを。辱めを。屈辱を。
旅団の死体を前に、考えなかったと言えば嘘になる。
しかしそれ以上に、相手が旅団とはいえ死した者を踏みにじる気にはなれなかったのだ。
もし奴らの死体を弄ぶような真似をすれば、それはクルタ族の遺体から緋の眼を奪い売り払った旅団と同列の唾棄すべき行為である。もちろん一般人であったクルタ族と犯罪者である旅団の死後の扱いに差があるのは当然だ。しかしクラピカの心情が、それをよしとしない。……おそらくだが、二人だけとはいえ旅団を弔う事を願ったエミリアも望まないはずだ。
それに関してはクラピカの勝手な想像であったが、もともと旅団の死体をどうするかは自分がエミリアに任されたのだ。クラピカがどのように扱ったところで、恐らく彼女が文句を言う事は無いだろう。
_____________死した者を、それ以上辱める必要もあるまい。
クラピカはそう判断し、エミリアに指定された二人だけでなく死した旅団員全員を地に弔う事に決めた。ゾルディック家の一人、キルアの兄であるミルキには「お人よしだな」と言われたが、クラピカにこの選択の後悔はない。それにこの行動は別段聖人君子のごとく装いたいがためのものではない。要はクラピカのプライドの問題なのだ。
じゃらっと、クラピカの手に巻き付く鎖がこすれる音がする。
「結局、この鎖で捕らえて私が殺した旅団員は一人だけだ。……旅団を捕えるためだけに、我ながら無茶な制約をかけたと思う。今となってはこの中指の一本はこの世の誰にも使えない完全に無駄な能力となってしまった」
「後悔してるのか?」
「いや、していない。……いずれ時が経ち私の怒りが風化しようとも、これを見ればきっと私は抱いていた怒りを思い出す。これは私を"忘却"から逃し過去に繋ぎとめるための鎖だ」
「…………忘れちまった方がいいこともあるぜ。旅団に関しては、もう終わったんだからな」
「それは無理というものだよレオリオ。私はな……もし少しでもこの感情を忘れてしまうなら、それは同胞たちへの裏切りに思えるんだ」
「俺ぁそうは思わねぇけどな。生き残った仲間が苦しむよりも、幸せになってくれた方が弔いになるんじゃねーか?」
「…………ありがとう、レオリオ。でもそんな風に納得できるほど、私はまだ大人じゃない」
(だが)
目的の一つは達せられた。そしてもう一つの目的、緋の眼を全て取り戻し故郷の地に弔った後……。その後なら、どうだろうと。
戻るべき故郷はもうない。しかしかつて憧れた外の世界に、自分は今立っている。
「幸せ……か」
「おう、幸せだ。そうだな……嫁さん貰って子供作って、家族を作るってのはどうだ? お前しっかりしてるようで危なっかしいからな。支えてくれる相手を作って、お前もまたその相手を守る。そうすりゃちったぁ地に足着くんじゃねーの」
「まるで私が地に足をついていないような言い方だな」
「自覚ないのか? お前、危ういぜ。正直緋の眼集めきったら今みたいに燃え尽きて、ぽっくり逝っちまうんじゃねぇかってくらいな」
「……そうか?」
「おう」
「…………そうかもな」
しかし家族をもつのはまだ怖い。また、奪われないかと思ってしまう。
(だから今は……)
遠くからゴンとキルアの声が聞こえた。
「ゴメン、もう終わっちゃった!?」
「お前が時間かけるからだぞ」
「だって……。このプリン売ってるとこなかなか見つからなかったんだもん」
そう言うゴンの手には大きなビニール袋が下げられており、その中にはぎっしりとプリンの容器が詰まっていた。そして隣のキルアは酒瓶を一本ぶら下げている。
ゴンは旅団たちが埋葬された場所を見ると、眉尻を下げてクラピカに謝罪した。
「ごめん、クラピカ。きっとこんなことするの、クラピカは嫌かもしれないけど……」
「いや、構わない。私にとっては仇だが、ゴンたちにとっては一時は友人だった相手なのだろう?」
「うん……」
少々気まずい様子ながら、ゴンはたしかに頷いた。そしてクラピカが示した場所に歩み寄ると、そっと膝をついてプリンを置く。
「マチさん、これ好きだったんだ」
「ウボォーのおっさんはこっちな」
次いでキルアがひときわ大きい穴の埋め跡に酒の栓を抜いてその中身をかけた。乾いた大地が酒を飲みほし、土が湿る。
ゴンとキルアに話を聞いたところ、奇妙な巡り合わせ(というよりエミリア繋がりなのだが)で二人は旅団員ウボォーギン、マチとしばらく天空闘技場で時間を共にしたらしい。そんな彼らから聞いた旅団員二人の様子は凶悪な犯罪者からかけ離れたもので、クラピカは仇の意外な一面に複雑な思いを抱いた。
ちなみにゴンとキルア、レオリオにエミリアの事情を説明したのはクラピカである。
今まで旅団から彼女が受けた被害を聞いて一応の納得はしつつも、自分たちに何も話さないまま今回の件を秘密裏にすませようとしていたエミリアに、レオリオはともかく長く時間を共にしたゴンとキルアは酷く不満を抱いたようだ。それに関してはエミリア本人が目覚めたら頑張って謝罪するしかあるまいと、クラピカは最低限のフォローに留めた。
しかし再び意識を失ったエミリアは容体こそ持ちなおしたものの、未だ深い眠りの中にある。
彼女がゴンたちに謝罪するのは当分後になるかもしれない。
「ところで旅団の壊滅について本当にハンター協会に届けなくていいわけ?」
キルアの問いに、クラピカは少々の逡巡を経て答える。
「ああ。……届け出たとすれば、証拠として奴らの死体を求められるだろうからな。こうして埋葬してしまった今、それも面倒だ」
「でもエミリアに埋葬を頼まれたのはウボォーとマチだけだろ? 二人くらい誤魔化せるだろうし、渡しちまえば。賞金も出るし、何よりそうしないと蜘蛛が居なくなったことを誰も知らない。……あいつら、名前だけ生き続けるぜ」
「…………名前、か」
幻影旅団は全て死んだ。しかしその事実を世間が知らないのなら、中身を失っても幻影旅団という名前だけが今後も生き続けるだろう。……それこそ、その名を体現するかのごとく幻影のように。
以前トリックタワーで会った偽旅団員のように、蜘蛛を名乗る偽物もまた出てくるかもしれない。
しかし今のクラピカにとってそれはどうでもいい事だった。
「だが、やつらは死んだ。今はそれだけでいいさ」
「……お前、なんかふっきれた?」
「ふっきれた……とは違うな。むしろ仇を討てたと言うのに、満足どころか妙な虚脱感を覚えている。多分、今の私は酷く疲れているのだろう」
「要するに蜘蛛についてこれ以上色々考えるのは面倒ってことか」
「ありていに言えば、そうなるな」
クラピカは苦笑しつつ項垂れる。自分個人の感情で、この事を黙ったままでいいのかと考えてはいる。……しかし、これ以上旅団の関係で煩わされるのが嫌でもあった。
そんなクラピカに声をかけたのはゴンだった。
ゴンは「朝も言ったけどさ」と前置きすると、真っすぐにクラピカの眼を見据える。
「これでクラピカはやっと、一番したかったことに集中できるんだね。早く見つけてあげなきゃ! 仲間たちの眼!」
その言葉を聞いてクラピカは一瞬大きく目を見開くと、次いで眩しいものを見るかのように目を細める。……そして、やっと心の枷が外れたように微笑むことが出来た。
「……ああ、そうだな」
旅団を埋葬した後改めて言われたその言葉は、心がざわついていた朝よりも格段に穏やかにクラピカの心へと収まった。
…………きっと仇をうてたとして、今この場に居るのがクラピカ一人だったら頭で理解できても感情の収まり所は見つからなかったかもしれない。しかしクラピカの周りには、ゴンが、キルアが、レオリオが……仲間がいる。この場には居ないが、エミリアも。
かつての同胞を、仲間を忘れたわけでは無い。しかし外の世界で得た出会いもまた、クラピカにとってかけがえのないものとなっていた。
クラピカは微笑みを湛えたまま、ぽつりとつぶやく。
「私はいい仲間を持った」
それはあまりにも小さな声だった。
「? クラピカ、今何か言った?」
「いや、何でもない」
その後、ひっそりと埋葬した場所にプリンを供えたままにするわけにもいかないからと、何故か全員でプリンの大食い対決をすることになった。レオリオが「さっきの酒も少しは残しておいてくれよ……」と嘆いたが、その場にあるのはプリンだけ。結局食べきったものの、誰が勝者か決める間もなく全員甘ったるい糖分で奪われた水分を求めて町まで走る事となる。
これからクラピカは自身が仲間の眼を探すために世界の暗い部分に沈んでいくことを予期していた。しかし今この瞬間を光として心に留めておけたなら、決して戻るべき道は忘れないだろう。
(パイロ。いつかお前の眼を取り戻したら、私が……俺が見て来た世界の事を話すよ。帰る場所も迎える人も、もう居ない。だけど俺は諦めない。俺なりに、この世界を生きてみようと思う。そしていつか死んだなら、その時お前は「楽しかった?」と……聞いてくれるかな。俺は「うん」と答えたい。そんな旅を……してみたい)
空は青く、蒼く続いている。その下でクラピカは緋色の残像を追い求めて走り続けるだろう。
仲間たちの命を背負い、怨敵の死を越えて……終わりの見えない旅路を行く。帰る場所は無くとも、いずれ来たる死するべき時を終焉の地と見据えて。
__________ 俺の旅は、まだ始まったばかりだな
【ヨークシン編 完】
+++++++
目を覚ましたら新年になっていた。
「え…………………………………………」
二度見する。
2000年1月1日。日付は変わらない。
「え!?」
【グリードアイランド編 周回遅れでゆっくりスタート】