――なんの違和感もなく、ごく自然な動作で振り返る。週末の夕方、という時間帯もあってか、学園都市の通りは一分一秒を惜しみ青春を謳歌する学生達で埋め尽くされていた。
振り返った先、そこに何も不自然なところは無い。むしろ、突然立ち止まって振り返った彼のほうが不自然なほどだ。
しばらく振り返ったまま、二度三度。きょろきょろと首を回して何かを探し――どこか、残念そうにため息をついて再び歩き出す。
そんな、執事姿の少年の――はるか後方三百メートルの位置にある……ビルの屋上。
「……」
「……」
構造上雨水を塞き止めるために、少しだけ競りあがっている淵。完全匍匐の状態でそこに身を隠す、ジャッジメントが二人いた。
片や、淵に向けて双眼鏡を覗き込み、もう一人はその頭を抑えられて無理矢理伏せられている。呼吸すら留めて、気配を殺して、数秒。
「……大、丈夫。気付かれてないわ」
いまだ淵に双眼鏡を向ける固法が、『クリア』と判断した。
「流石、というよりも――この距離でどうして察知できますの……?」
「勘が良い、って話じゃすみそうにないわね。白井さんが少し頭を出した瞬間に振り返ったわよ、深音くん」
透視能力の応用……望遠鏡を用いて長距離透視を続ける固法は観測手。そして、テレポーターである黒子がそのバックアップについていた。
「こちら『サーチャー』。目標の移動再開を確認。引き続き、『モノクロ』と観測を続行するわ」
『こちら『フラワーガール』了解しました』
『『バトラー&リトルレディ』、同じく了解です! ……アタシ達も気をつけないとまずいかもですね』
ちなみに、以前から物申していたコードネームの変更を達成した二人でもある。ミルク改め、サーチャー。ホワブラ改め、モノクロ。
(……ワタクシをどうしても白黒で表現したいということですのね佐天さん……)
通信機に入らないように、静かにため息をつく黒子。ため息にはコードネームの件も含まれているが……複雑な表情から見るに、 それだけではないだろう。
『深音に好きな人が出来たかもしれない』――という初春の突然の報告には、流石に黒子もびっくりさせられた。
失礼な意味は無いが、あの深音が……という思いが大半だった。だが同時に、あり得ないことでもないと冷静な――この作戦に参加しているだろう誰よりも冷静な思考が、そう判断もしていた。
いつまでも――と想い願う反面、いつか来るお別れ、というのを意識させられたのだ。
そしてなにより、深音から行動を起こしているということは、深音の方から好意を寄せている、ということではないのか?
(……もしそうであるのなら、この白井 黒子。深音さんの想いを応援いたしますの。いざとなれば――)
黒子は
「――ねぇ、白井さん。貴女今回のこと……どう思ってるの?」
傍から見たら、壁に向かって望遠鏡を向けている女学生でしかない固法は、望遠鏡をはずすことなく、そばに伏せる黒子に問うた。
決心を固めた次の瞬間だったため、心を読まれたか声に出ていたか、と焦ったが――彼女の雰囲気からして違うらしい。
「――お言葉を返すようでいけれど……先輩はどう思われているんですの?」
問いに問いで返すことは失礼とされる。もちろん、黒子もそれは百も承知している。しかし、『こういうこと』に固法が積極的に参加して動いていることが疑問でならないのだ。
――佐天ほどではないにしろ、深音に好意を寄せるような発言を何度か聞いているだけに、この剃刀の如き思考を持つブレインは、どんな手を使うか考えもつかない。
……どんな手段を用いるか、分かったものではない。
「……なんか酷いこと言われてる気がするけど……私はちょっと、複雑って言えば言いのかしらね。実はまだ自分自身でどうしたいのか、って分かってないのよ」
望遠鏡を覗いたまま、固法は僅かに苦笑を浮かべる。
「深音君のことは、まあ――好きか嫌いかって選択肢を出される前に、好きって言えるくらいにはその――好き、だけど。その好きって言うのが、『彼氏彼女の関係になりたいか』っていう感情のものかって言われると、なにか違う気がするのよ」
ね? 言葉にしても全然意味わかんないでしょ? と、さらに苦笑を強くする。
横顔ではあるが、黒子から見えた固法の頬は、やや赤みを帯びている。流石に意味合いがどあうれ、想いを口にするのは恥ずかしいらしい。
「初春さんから聞いて、びっくりして――ちょっぴり、嫌な気持ちになったわよ。でも深音君から動いてるんだし、もし本当にそうなら応援しなくちゃとも思ってるわ――けど」
……ブルリ、と。
黒子の背筋が、震えた。
この感覚は知っている。よく知っていると言えるほどに、熟知している。
まさか、メガネか。メガネなのか?
メガネはみんなそうなのかと戦々恐々とする黒子の隣――ミシリと望遠鏡が音を立ててた。
「あんまり酷い
――
「それで、白井さんは?」
「ワッ!? ワタクシはそのー……」
そこで、ようやく固法が黒子を見る。透視能力を発動したままの眼は色彩を変化させ――おそらく苦笑なんだろう笑みを、それはそれは凄惨な笑顔に変貌させていた。
いざとなったら、固法たちを止めようと考えていた、などと……言った瞬間に、首が異音をかき鳴らすだろう。
(へ、ヘルプミーですの、深音さん!!)
鬼を止められるのは、彼だけ。
「……っ!」
――その瞬間にバッと振り返り、注意深く周囲を確認した執事がいたそうな。
「――? へんですね。助けを呼ぶ声が聞こえた気が……」
***
「あ、御坂くん! おは――じゃなかった、いらっしゃいませ!」
「――あ、はい。お疲れ様です、冬咲さん」
態々作業の手を止めて、つけていた軍手もはずして。そしてハッと何かに気付いて、顔を赤くして服についた汚れを払い、最低限の身だしなみを整える。
深音は何かを察知したような気がしていたが――気のせいと流すことにした。
(――できる……ッ!)
(いや、佐天さん。落ち着いて。まだ早いわ。今はまだ知り合いに挨拶を交わす程度よ)
やたらと慌しい冬咲という少女に苦笑し、深音は取り出したハンカチでその頬についた土汚れを落とす。そのせいで彼女の頬は更に赤みが増すが、深音はそれにあえて何も言わず――それが彼女の平静を取り戻すことに一役買っていた。
……なんとも、馴染んだやり取りではないか。
((……ギリッ))
「あっと、そうだ! 頼まれていたお花、束ねてラッピングも出来てますよ!」
「――無理を言ってすみません。態々取り寄せていただいて……」
「いえいえ、私も珍しいお花を一杯見せてもらえましたから! ……でもいけないんですよー? 花束を二つも用意しちゃー!」
クスクスと小さく笑う冬咲の視線に、深音も苦笑して頭をかいている。肘でわき腹をグリグリと責めるやり取りは――仲のいい異性の友人か、先輩後輩の間柄のそれだ。
(二つ、ってどういうこと?)
(さ、さあ……で、でもとりあえずあの冬咲? っていう人に渡す感じじゃなさそうですよ)
そしてそのまま、冬咲は店の奥へと引っ込み、僅かな時間で戻ってくる。
両手には、彼女の言ったとおり二つの花束が抱えられていて――少し小柄な彼女が抱えていることを差し引いてもやたら大きな花束と、片手でも十分に持つことが出来る、小さな可愛らしい花束。
大きいほうは色とりどり――どころではなく、凄まじい数の種類の花が咲き誇っている。小さなほうは純粋に白い綺麗な花でまとめられているが、それなりにお値段が張りそうなことは素人目に見ても明らかだ。
深音も、この豪華さには少し驚いているらしい。受け取ってもなお、ふたつの花束を交互に見ていた。
「店長が君のバイト代弾んでくれてね! いや、実際君のおかげで売り上げ伸びてたし。今度またお手伝いできてねー、って言ってたよ。――で、金額をそのまま花束に、って注文されたとおりにしたら――」
「こうなった、と……私としては嬉しい誤算ですね。店長さんにも、お礼を言っておいてくれますか? あと、たまに顔を出します、とも」
冬咲は、おそらく予想通りだったのだろう。深音の返事に満足そうに笑って頷き、了解を示す。その直後、にやりとした笑みに変わり――こそこそと深音に顔を寄せた。
「……そ・れ・でー。誰に渡すんですかー? お姉さんにこっそり教えてくださいよー」
「まぁ、そうですね。では……はい」
その『はい』は返事としての『はい』ではなく。
……『はい』、どうぞ。としての――『はい』だった。
大きな花束を傍らに置いて、しっかり両手で差し出されたそれを――冬咲はポカンと、突然の深音の行動に理解が追いつかずに思わず受け取った。
――白い、小さな花で満ちた花束。その花の名は、
いや、有名なほうの名前で言おう。
((
白い小さなその花は、アクセントになるばかりで主役になることはほとんど無い。しかし、その花の清楚さと上品な香りは、どんな主役にも決して負けることは無いだろう。
そして何よりも、撫子の名にふさわしい花言葉の数々である。
……深音がなにやら言っているが、渡された側も、そして非公式でそれを見ている二人も、突然のサプライズに呆然として聞き逃していた。
「へ……ふぇ!? みしゃかくん!?」
「……いろいろと教えていただいて、ありがとうございました。また、今度はお客としてきますので――その時は、よろしくお願いします」
大きな花束を抱えて微笑む美男子。それが、トドメでくるのだから溜まったものではない。
ズキュンという音が、一回多く聞こえたのは気のせいではなかろう。
深音がふつくしい一礼をして、そのまま店を後にし――人ごみにまぎれたのを確認して、冬咲はヘナヘナと崩れ落ちた。
「うわぁ……うわぁ……っ!?」
(御坂さん! アタシやばい! 顔熱い!! っていうかあれやってほしい!!!!!)
(おおおお落ち着いて佐天さん! ほら、アイツ追いかけないと!!)
物陰からコソコソと出てきた二人の少女を気に留めることもなく。店長がやってくるまで冬咲はただ、霞草の花束を抱えて放心していた。
……そして、『バトラー&リトルレディ』こと佐天と美琴は――いまだ冷えない顔のまま、深音の尾行を続けた。美琴を先頭に、深音が発するであろう電波ソナーを上手く回避しながら、慎重に追跡を続ける。
「うわぁ、やばい……また顔から熱いの引かない――」
「ったくアイツはホントに乙女心っていうか女心を無意識に……!」
どちらも顔は真っ赤だが、今のところ深音にばれるヘマはしていない。耳につけた通信機から聞こえてくる固法の的確な指示と、初春のナビが大きな戦力になっていた。
『ターゲット角を左折するわ! 観測地点の変更よモノクロさん! バトラーさんたちはそれが終わるまで待機! フラワーガールさんは監視カメラ・衛星でターゲットの追尾をお願い!』
「「『『了解!』』」」
こんなやり取りを、平均年齢十代半ばの少女達が繰り広げているのだから世の中分からないことだらけである。
路地裏に隠れたまま尾行再開の号令が下るまで、顔の熱を下げようと深呼吸をする二人。
「あの、御坂さん。ホントに、心当たりとかないんですか? その、深音さんが花束送りそうな相手……」
「ゴメン……候補が一杯い過ぎて絞り込めないのよ……」
深音が人を邪険にする光景が想像できない上に、基本お人よしな深音である。
候補を疑えば、それこそ深音の知り合いであろう女性全員が候補といっても過言ではないのだ。
常盤台の女子寮どころか、常盤台中学の生徒全員だって怪しいものである。
どちらからということもなく、二人は盛大にため息をついた。この作戦に参加している五人は、その候補にも入れなかったのだ。それがなんとも、心に重い。
……顔の熱は引いたが――熱意まで下がってしまったようだ。
(――なんで私まで落ち込んでんのよ!?)
別の意味で美琴だけは再燃し、頭をぶんぶん振って気を取り直す。
妹には、兄が付き合うかも知れない女性を見定める権利がある。そう、いつだったか読んだ本に書いてあった。その権利を実行しているんだと自分を納得させる。
『た、ターゲット建物の中に入ります! 何かのお店みたいですけど――サーチャーさん! 確認を!』
『ちょっと待って! いま確認するから……ってあそこ確かバーじゃなかった!?』
バー。
ばー?
はて……? と首をかしげる四人を気配で察したのか、固法は声を荒げる。
『ようはお酒を扱ってるお店よ!! 当然未成年は立ち入り禁止!!』
未成年立ち入り禁止。つまりは大人の世界。
そこに、花束を抱えていく深音。
「相手って年上ですか!? 深音さんまさか年上好きなんですか!? 最初っから勝ち目無いじゃないですかチックショォオオ!」
『あ、出てきましたの』
…………。
「……コホン。さあ! 後を追いますよ!!」
「佐天さん……でも何でアイツその、バーなんかに寄ったのよ」
『――荷物が増えてますの。それなりに大きな、ボトルのような形なので、十中八九、お酒で間違いないかと』
花束、それに加えてお酒。
深音の性格からして、未成年に飲酒を促すようなプレゼントをするとは思えないので、相手は成人している大人の女性、ということになるだろう。
……美琴が知っている、深音とかかわりがあるだろう大人の女性。そのおかげで、かなり候補が絞れてきた。
(仲の良さだと黄泉川先生。付き合いの多さだと、あの小萌って先生? まさか寮監はあり得ないだろうし……むぅ)
『――えっとターゲット、進路を変えます』
初春の通信で我に帰り、深音が曲がっただろう通りを確認し――。
「って、あれ? 確かあっちって――あの公園がある方向ですよ、ね?」
「……あの公園って?」
『私たちが始めてあったときに行った――ほら、クレープ食べた公園ですよー』
『お姉様が二度、ゲコ太をゲットし損ねた因縁の公園ですの』
ああ、あそこか。と僅かにダークサイドがよみがえるが、既に癒えた傷。というよりも、二度目は黒子がいなかったはずなのだが――。
『禁則事項ですの。――深音さんですが、公園をそのまま通過……別の場所へ向かうようですの』
――それから、おおよそにして、一時間ほどだろうか。
深音は歩き続け、学園都市を巡る。
公園の次は、見覚えのあるデパート。それをしばらく見上げてまた歩き出し、今度は常盤台の寮へ。美琴達がまさかとヒヤリとしたが、一歩も敷地に入ることなく次の場所へ。
不思議なのは、その訪れる場所通る場所。何処かしらを五人のうちの誰かが必ず知っているのである。
それは、佐天が特別講習を受けた学校であり。
固法が迷子の少女と一緒に母親を探した道筋であり。
黒子が能力を駆使してバーベキューの給仕に勤しんだ企業前であり。
初春とルームメイトが一緒に暮らす寮であり。
美琴が並んで歩いたり、追い掛け回した、道だった。
それらを巡るうちに不思議なもので……僅か二ヶ月足らずの思い出が、ずっとずっと昔のことのように思えてくるのだ。
そして、まるでそこが終着であるといわんばかり。しばし見上げて、意を決してその敷地に『入っていく』深音。
慌てて美琴と佐天が駆け寄り、隠れる場所もないとテレポートで黒子と固法、初春が続いて到着し――その門に刻まれた、大きな表札を見て理解する。
「病院……?」
「――病院ですよね?」
「病院ですの」
「……病院以外のなにものでもないわね」
「木山先生、はもう退院してますし――」
誰だ? と五人全員が本気で疑問符を頭に浮かべ推理するが当然思い浮かぶはずがなく。
――なおを歩き続ける、深音の後に続かざるを得なかった。
読了ありがとうございました!
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