「おやー、じ、さんのたーめなら、えい、や、こーら……さーっ!」
……『、』がブレス記号だと思っていただいて結構である。これだけ呼吸が乱れているのだから、さぞ激しい運動をしているのだろうと思われるだろう。
「――も、もひーとー、つ、おまーけにえいやーこっエフォっ!? ゴホッ」
「だ、初春さん大丈夫なの――? 辛いなら私が代わって……」
「へ、平気ですよこれぐらい! コホッ。私だって最近運動できる子になってきてるんですから! それに、有酸素、運動と――マイナスイオンを同時にとれて一石二鳥ぉ!」
「でも、その……桟橋から10メートルちょっとしか……」
総移動距離にして、10メートル少々。お隣を進む水鳥が、まったく警戒心無く……まったりと追い越していく光景はなんとも言えなかった。
「ボート漕ぐの、って、こんな、に、大変なんです、ねっ!」
――余談ではあるが、ボートは漕ぎ方さえ理解し、そしてそれを実践すればそれほど大変なものではない。
ちなみに、漕ぎ手は船首側に座るべきなのだが――初春が居るのは悲しきかな、船尾側だった。
……それに気付かない二人は、世の中の彼氏さんは大変だ、などとズレた感想を思っていたりいなかったりする。
……そして、十数分掛けて、池の中心近くまでボートを漕ぎ進めた初春は――。
「ゼヒュー、ゼヒュー……ゴッホ……」
と、ご覧の有様である。天候や気温もあいまって汗だくな姿をさらしていた。春上が苦笑、というよりも若干頬が引くついているように見えなくもないが、それに気付く余裕も、今はないだろう。
「はぁ、ふぅ……よ、よぉし、落ち着き、ましたよー。あー、風が気持ちいー……」
閑話休題。として切り替えさせていただこう。
……水面を走る風は、わずかに涼を帯びて。かすかに揺れるボートの上は、なんとも心地よいものだった。
静かな空間。喧騒は遠く、落ち着くには最適の場所といえるだろう。
――余人に邪魔されたくないのであれば、最適の空間だとも、言えるだろうが。
「初春、さん――あの人はその……大丈夫、なの……?」
――春上が言い淀みながらも、初春に問う。
赤の他人がそれを聞いたのならば、誰のことを聞いているのか分からないだろう。しかし、この二人と――そしてここに居ないあとの三人ならば、これだけの言葉で十分だった。
……携帯の画面を見れば、そこにいる。六人の少女たちが四枚、それぞれ思い思いのポーズや表情で魅せる中、四枚ともポーズも表情すら変えなかった少年。
ほっとする笑顔を浮かべ、まるで六人を見守るように、事実、何があっても即座に守れる位置いる彼。
そのときは、せっかくなのにと美琴がなにやら文句を物申していたが、全員共通して彼らしいというだろう。
「御坂さんがいうには、まだ眠り続けている――らしいです。お医者さんからも面会はだめだ、って言われたそうで……」
「そう、なの……」
春上に、その瞬間の記憶は無い。しかし、助けてもらったことに感謝と、その所為で怪我をさせてしまったという負い目はあった。
初春自身、似たようなものだ。だからこそ、深音の見舞いにいけないのならばと、『切り替える』ために不謹慎を承知でここに居るのだから。
「……大丈夫ですよ、春上さん」
初春は努める。努めて、力強い声と笑顔を浮かべる。
「深音さんは、絶対に大丈夫ですよ。なんせ、深音さんですからね」
「そ、それ、理由になってないの――でも、うん。私もそんな気がする」
大丈夫である。大丈夫なのである。
春上にそうやって励ますように、自身にも言い聞かせる。事実命の危険はなく、本当に『目が覚めるまで』安静にしているだけなのだというのだから、過度の心配は無用なのだが――。
心配するな、というのが、そもそも無理な相談だろう――。
「……私が――私たちが今出来ることは、深音さんが安心して休めるように頑張る、ってことくらいですけどね。それに、昨日みたいな揺れが、最近どんどん増えてるんですよ……その規模もどんどん強くなっているみたいで――」
「どんどん、強く……」
――どんどん、強くなっているもの。春上も、そう感じているものがある。
振動現象の話ではない。彼女はその多発地域に居ながら、一度としてその揺れを経験したことがない。正確には『記憶にない』という言葉が正しいだろう。
「あの、初春、さん――」
「はい?」
そろそろボートの返却時間だ、と再びオールを握り、先ほどよりは幾分か上手くなったオール捌きで桟橋へと舵を取る。
それでも方向転換に四苦八苦し、再びエンヤコラと、どこか力抜けてしまう掛け声を出しながらオールを動かす初春を見て――春上は静かに、胸元のロケットペンダントを握り締める。
「お話があるの……たぶん、昨日の揺れと、その……無関係じゃないと思うから……」
再会を約束した、大切な友達。
ずっと探してきた、大切な友達。
――助けを求めている……大切な大切な、一人の少女の話。
***
其の壱・行方知れずの木山春生。
件の振動現象――その原因たる『RSPK症候群の同時多発』という謎の多い事象の中、AIM拡散力場――という木山 春生が専門としている分野が関係していることが明らかとなった。
先の事件、レベルアッパー事件の首謀者であり、留置所に拘置されていたはずの彼女が狙い済ましたかの様に釈放されている。現在その所在は不明。保釈人も不明。
明らかに謎が多く――今回にも、少なからず関わっていることは間違いないと考えられる。
――解壱。だからこそ、彼女が見つかれば、なんらかの進展があると思われる。
其の弐・春上 衿衣という少女。
この少女も、件の振動現象に関係がある――と、思われる。彼女のいた第19学区、そして、彼女が来てからの第7学区で振動現象が多発していることは、もしかしたらの可能性で『偶然』ということもあるだろう。
しかし、その現象前後。そこにいない誰かに問いかけるような素振りと、記憶の欠落。――そして、彼女自身の能力。
RSPK症候群自体が無意識化による能力の暴走のため、彼女が始点である可能性も零ではない。
――解弐。彼女の近辺で起きる・彼女の居る場所で起きるならば、彼女自身の保護も、また周辺への注意喚起も可能であるはず。
……其の、参。御坂 深音の――異常事態。
カエル医師によるところ、一連の振動現象の何かしらが、彼の身体に甚大な悪影響を与えているとのこと。何が影響を与えているのかは医師にも判断がついていないとのこと。
彼が目を覚ませば――そして、また振動現象が起きれば。彼は間違いなく、春上を、そして、その近辺に居るだろう友人たちを守るべくその身を賭する。先以上の無理をするとなれば、今度こそ、命そのものが危ぶまれる。
――解参。医師による原因の究明、もしくは事件そのものの解決。
……この短時間で、先二つの解に到達できたのは、ただただ一重に固法 美偉の『実力』と言わざるをえないだろう。
情報を得るためにルームメイトの力を借りたとはいえ、核心へと続く問いを作り上げ、またそれに応ずる解答を弾き出したのは、他ならぬ彼女の頭脳だ。
壱と弐の、問いと解。それを美琴と黒子に伝えると、わずかな躊躇いを見せて、参番目の問い――いや、報告をした。万が一の場合、
その事実に黒子は視線を鋭くし、美琴は押し黙る。おそらくは昨日のことを思い出していたのだろう。
木山 春生の捜索は、順番として最後になるだろう。それよりも連絡がつき、所在も分かる上に説明が及びやすい春上のほうから取り掛かろうと三人は取り決め――。
――それは完全な、後手となった。
届いたのは、悪報。初春たちが行くと話していた自然公園で、過去最大規模の振動現象が『発生した』――という、事後の一報であった。
「白井さん! テレポートで現場に急行して! 最優先は怪我人の安全確保、初春さんたちはその後よっ!?」
「っ、了解ですの……!」
黒子が文字通り消えたのを確認――することなく、支部を飛び出そうとしていた美琴の腕を捕まえる。
「!? 離「っ、さないわよ? 貴女の役目はまず落ち着くことよ。深音君なら、先生に連絡するのが一番早いし、確実よ。冷静になって」……わかり、ました」
気がはやり、わずかに能力が暴発していた美琴をつかんだためだろうか、固法の手にはやや強い痛みを伴う痺れが残っている。しかし、逆にその痛みが、冷静を保つことに一役を買っている皮肉であった。
――端末を取り、最速のキー操作で番号を呼び出し、即座にコール。
幸いにもワンコール半で出た相手は、当然カエル顔の名医である。
『そろそろくると思ったんだね? 結果だけをいうけど『彼は無事だ』。それに、今のでだいぶ絞り込めたよ。――君に頼んだのはボクだが、あまり気負いすぎて無理をしないようにね? ……彼が起きた時、心配されるのは不本意だろう?』
「……善処します」
どこの政治家!? という感想が持てるだけの余裕が出来た美琴に対し、ハンドサインで大丈夫を伝える。あからさまにほっとする美琴に苦笑し、そのまま別の相手をコール。
さらに片手は支部のパソコンを操作し、自然公園とその近辺の映像が映し出されている。
「もう自然災害と変わらないわよ……これじゃあ……!」
地面は隆起し、木々は倒れ……施設の一部にいたっては倒壊しているものまである。しかし、そうなっているのは自然公園の中だけなのだ。
通りを挟んだすぐ隣では、変わらない日常風景があり、それが一層の非日常を濃くしている。
(? やけに早いわね……)
美琴が画面の向こうの光景に表情を険しくする中、固法はかすかに、眉を寄せる。鋭い思考はそのままであり、常であれば感じなかったであろう疑問も、抱かせる。
「
すでに現場にいる、迅速な対応だろう。アンチスキルの中でも、最新装備をまわされているその部隊は、その実力を申し分なく見せ付けていた。
「固法先輩っ! 私たちも行きますよ!? 初春さんたちを探さないと!」
「――え? ええ、そうね!」
かすかに抱いた疑問は、急かす美琴の勢いに飲み込まれていく。それよりも――と固法自身が思ったために、その小さな疑問は思考の外へ、消えていった。
『いくらなんでも、早過ぎる』
ほんの、数分。振動現象が収まってからの時間経過。その中で、十数人というMARの隊員が、怪我人を処置し、現場を検証し――事後処理を行っていた。
……鋭利な思考は――それを切り裂くまでに、いたることはなかった。
読了ありがとうございました。
誤字脱字・ご指摘などございましたらお願いします。
固法先輩のあげた問解が前回と少しかぶっていますが、意図的にそうさせていただきました。