人生とは物語のようなものである。
――ローマの哲学者、セネカの名言だ。どれだけ長いかではなく、どれだけ良いものであったか。と、かの哲学者は続けている。
誰もが自分の名が明記された物語の作者であり。またその主人公なのだ。
そんな短い一文をどこかで見たのか、聞いたのか。夏がいよいよ盛り、噴水の水しぶきがより心地よくなった公園に立ち、佐天は空を見上げていた。
(――でも、ついこの前のことなんだよねー……信じられないことに)
佐天 涙子という女の子の物語。都市伝説を日ごろから追いかける、どこにでもいる一人の女子中学生。
それが最近、以前にも増してお洒落に磨きをかけるようになった。夜更かしも出来る限りやめて、あまり見向きもしなかった美容雑誌もたまに手に取ったりして。
明確に意識した場所は、別の場所。しかし、始まりはどこであったか、と聞かれれば、ここから始まったというだろう。
ここが、原点なのだ――と。
休日だから、人が多い。――これは、あの日と同じ。
銀行強盗で爆破された銀行は、休日だからシャッターを下ろしている。――これも、あの日と同じ。
晴れわたった空も、高い高い入道雲も。変わっていない。
しかし、変わっているのだ。変わっていないようで、同じようで、確実に、変化しているのだ。それは心であり、考え方であり――それは、おそらく大切な
(――ま、変わらないことも、大切だけどさ)
変わっていないものあるよね。と佐天は結論を出し――現実逃避を、やめた。
そして、視線を空から、自分が立つ、地上へ。
「ゲコ太がぁ……! また私のゲコ太がぁ……!」
「美琴さん!? だから後ろ向きに倒れるのは危ない――ってあれ? コレ前にも言いましたよね私?」
かつてのクレープ屋が、かつてのおまけをやっていた。
――もう、ご理解いただけただろう。
……ゲコ太ストラップは、彼女の手には無いのだ。またしても。
「えっと……大丈夫、なの?」
「ん? ああ、春上さんは知らないんだっけ。御坂 美琴さん。常盤台中学の誇るレベル5で、レールガンの異名を持ってる――アタシ達とおんなじ、中学生の女の子だよ。……生粋の、ゲコラーだけど」
親近感の湧くダメっぷりは健在であった。
……後ろに並んでいた美琴を、深音がなぜ抱きとめることが出来たかのは、また分からなかったが。
「はぁ……」
「み、美琴さん。次は大丈夫ですよ、ほら。『三度目の正直』って言うじゃないですか」
クレープを片手に、あの日と同じようにベンチに座り込んでダークサイドに片足を突っ込んでいる美琴。
しかしあの日と違うのは、そんな彼女に慰めや励ましの言葉を言えるだけ、彼女の義兄が成長していることだろう。
「そ、そうよね! 次よ、次こそは必z「でも、二度あることは三度ある、って言う言葉もあるの……」――ぐはぁ!?」
「は、春上さんそれとどめっ!?」
――しかし、結果はどうやらプラスマイナスで言えばマイナスのほうらしい。美琴は見事に撃沈し、涙目でクレープを口に詰め込んでいく。
見事なまでのYAKEGUIであった。
「深音! 一口ッ!!」
「はいはい……」
(……雛と親鳥、いや、子猫と親猫かな……?)
ある意味、『はい、アーン……』状態なのだが――大口を開けて待つ美琴か、それとも苦笑しつつも食べやすいように包装紙をまくっている深音のせいか。
……佐天の目には、動物界のコスプレをする兄妹しか幻視できなかったそうな。
「ははは……じゃあアタシ達も食べ――てるね、春上さん。うん、でももう少し口元を気にしようか。女の子としてそれは軽くだめだから――って御坂さん早っ!?」
佐天の首は左右に忙しく。深音の手の中にはクレープの包み紙しかなく。
あっれぇここアタシの思い出の場所なんだけどなぁ――と、佐天が苦笑いのまま頬をヒクつかせたそうな。
***
全学区域に所属する全アンチスキルならびに全ジャッジメントが一同に会する――学園都市設立以来、果たしてあっただろうかというその現象を。
ジャッジメント期待のエースとされる黒子は巨大な講堂に集結した人数にしばし言葉をなくしている。支部長という任についている固法でさえ初めて見るその光景にわずかな間とはいえ呆然としていたほどだ。
「ジャッジメントってこんなにいたんですの……?」
「アンチスキルの人もすごいです――席足りてませんよ……」
(ただの地震対策……ってわけじゃあ、なさそうね)
地震とは言っているが、固法は普通の地震ではないと――ほぼ確信していた。
日本という世界有数の『地震大国』であるにしても、その回数の多さがまず一つ目の異常だろう。わずか一週間ほどで日本全土で観測される一月分の地震が観測されているなど、学園都市だけの問題ではない。
そして、二つ目の異常。普通ではない地震として、その発生範囲があげられる。学園都市がいかに広大だとしても、揺れを感じる場所と気づきさえしない場所があるなど、まずありえない。感覚の鋭鈍はあるだろうが、計器での計測でもその異常が観測されている。
そして、三つ目の、決定的な異常。その揺れが、そもそも地震である証拠がなかったのだ。本来地震であれば観測されるP波(初期微動)とS波(主要動)が観測されないのである。
『あー、あー……んん! アンチスキル、そしてジャッジメント各位。今日は多忙の中あつまってくれたことに感謝するじゃん。今日集まってもらったのは、もう事前に配布した資料にある通り、この一週間で多発している『振動現象』に関してじゃん』
進行役なのだろうか、黄泉川が壇上に上がる。公的な場であるためかいつものジャージ姿ではなく、レディススーツを着こなしていた。
……あ、意外と。とつぶやいたのは初春。意識的に無視したが、同意しておこう。
『情報に『強い者』なら、もうほとんど分かっているかも知れないが――単刀直入に結論だけ言えば、これはただの地震ではない。そして、この振動現象が確認されているのはこの『学園都市』だけじゃん』
やはり、と視線を鋭くしたアンチスキルの半数と、ジャッジメントの少数。
固法はちらりと自分を見てくる後輩を視線で感じとり、頷いて静聴を促した。
『そして、その原因とされているのが――『RSPK症候群』……その同時多発じゃん』
「RSPK症候群……?」
聞いたこともない、というのは初春の声。黄泉川の後ろにあるスクリーンにRSPK症候群の説明が出てはいるが、科学者でもない学生に理解が及ぶわけもなく。
……理解できているうえに疑問を感じている固法が、飛びぬけているのだ。
『……ここからは、専門家に説明をしてもらうじゃんよ。先進状況救助隊のテレスティーナ=木原さんじゃん』
これまた、初春たちが聞いたことのない言葉。
『先進状況救助隊』とはなんぞや、と説明を求める左右からの視線に固法は静かにため息をつき――視線を壇上へ上っていく一人の女性に向けたまま、声量を落として説明を始めた。
「先進状況救助隊、通称『MAR』――簡単に言えば、アンチスキルの中にある組織のひとつよ……たしか、災害時の救助活動を目的にしている組織、だったかしら。世界規模の災害にも備えてるっていう話だから、装備とかもほかのアンチスキル部署に比べて充実してるって話よ」
……なるほど。や、へぇ。といった言葉は、少なくとも左右からだけではなかった。
『ご紹介に預かった、テレスティーナ=木原=ライフラインです』
名前からして、ハーフなのだろう。日本人離れした金髪を結った美女は、集結した治安組織の面々を前にしても物怖じすることなかった。固法が今しがた説明したMARという組織の中でもトップ、もしくはそれに準ずる立場なのだろう。
『……まず第一に、これまでに発生した振動現象が能力者――いえ、学生たちのRSPK症候群の同時多発によるものなのだ――ということを理解してください。
能力者が一時的に能力制御を失い、いわば暴走状態になることを総じてRSPK症候群と称しますが――当局の調査により『ある一定の条件下に限り、能力者同士で同時多発する』ということが判明しました。……目下、その条件を精査中ではありますが……』
……それは、シュミレーションだ。
巨大なスクリーンに映し出された、緑色の、無数の人型。その中心にいた人型が赤くなり、周囲に『波』を出し――その波を受けた人型は赤くなり、また隣へと波を伝播させていく。
スクリーンにいる人型すべてに伝播するまで大した時間は必要ない。そして、ただのシュミレーションだと分かっていても、それは危機感や不安を否応なしに駆り立てた。
『現状明らかになっていないことが多いため報道がされず、学生たちの間で超常現象などの根も葉もない噂がネット上で少しずつ広がりつつあります……ジャッジメントの皆さんには、学生間の無用な混乱や扇動などの取り締まり、また注意喚起などをお願いします』
少なくないジャッジメントが気を引き締めるのを確認し、テレスティーナは満足げに頷いた。
『……これは地震ではありません。しかし、規模そのものは地震となんら変わりはありません。今まで大きな被害報告はありませんが、今後もそれがないという確証がない以上、有事においてジャッジメントの皆さんの協力を求める可能性があるということも、とどめておいてください』
「結構早く済みましたねー」
「アンチスキルの方々はこのあとも会議のようですけれど。――
出てきたばかりの建物を眺めつつ、黒子はなんともいえない、という風につぶやいた。
「なぁんか、釈然としないのよね。RSPK症候群の同時多発なんて……ねぇ?」
「いえ、『ねぇ?』と振られましても……ワタクシ達そもそもその――RSPK症候群という病名? 現象かどうか知りませんけど、それ自体初耳ですの。っていうか固法先輩がどうしてその様なことを知っているのかの方が……」
え、知らないの? という風に、まるで常識を問うような固法の表情に黒子は少しばかり不安になるが、相棒たる初春が勢いよく首を横に振っていたので、なんとか自信を取り戻せた。
「……正直、固法先輩が何に疑問か違和感を感じているのかは分かりませんけど、それも踏まえて、これからアンチスキルの方々が話し合うのではありませんの?」
黒子の言葉は、正しく正論である。ジャッジメントとアンチスキルは同じく治安維持組織であるが、『組織』としてはアンチスキルが上位。
……ただ指示を聞いて動くだけというつもりは毛頭ないが、だからといって、領分をわきまえず物申すのも趣味ではない。
そう結論付け、固法は苦笑しつつ、それもそうね、と頷いた。
「――あ! 今どこにいるんですか佐天さん!?」
「――で、初春さんはどうしたの? さっきからずっとソワソワしてたけど。」
「転校してきたルームメイトが今日越してきたんですの。その街案内といいますか街巡りといいますか。……ジャッジメントとして頼まれたようで、やたらと張り切ってますの」
そんな後輩を見て、先輩として嬉しく思う固法は――。
「白井さん、春上さんたち近くのゲームセンターにいるみたいです! 早く行きましょう!!」
「……ほう?」
――初春の言葉に、知的なメガネをキラリと光らせた。
《 おまけ 》
「ッ! クチュンッ! ……誰かがアタシの噂をしてる!」
「……いや、佐天さん? 落ち着こうね? 春上さんはまだ慣れてないから」
「いや、冗談とかじゃないですって! 誰かが都市伝説的な話をしてますよコレ絶対!!」
「あ、都市伝説=佐天さんっていう自覚はあるんだ」
《 NGというより没? 》
「あ、美琴さん、口元にクリームが……」
「……ふにゃあ!?」
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