「――アンタは、頑張ったわよ。うん」
私の肩に手を置いて、美琴さんは首を振りつつ……言外に『あきらめろ』と、告げてくる。
これだけ頑張ったんだから、いいじゃない――と。
こんなに頑張ったアンタを、誰も責めはしない――と。
……嗚呼。いっそこの手をとって、静かに腰を下ろせたなら……それはどんなに、どんなに……楽なことでしょう。
しかし、頑張ったから良い――……という考え方は、幸いなことに……喜ばしいことに。未だ薄っぺらい私の『人生の辞書』の索引には載っていませんし、今後載せるつもりも、生憎とありません。
項垂れるには、まだ早いはずです。
膝を屈するには、早すぎるはずです……!
「お願いです、美琴さん……。
後生ですから逃がしてください……!!!」
まだ間に合うんです……。 まだ見せたことのない私の脚力というか身体能力を最大稼動させれば寮といわず学園都市から脱出することもできるんです……!
「あきらめなさい。試合はもう終了してるのよ……!」
……名監督の名台詞になんてことを……。
私の肩に置かれた……いえ、私の肩を握りしめた手は、離すことをかたくなに拒否していました。
「相変わらず仲が良いわね貴方達……深音くんがその気になれば簡単に振り払えるでしょうに」
寮生が主催のチャリティーオークション? という催し物で得た戦利品(美琴さん談)を抱えた固法さんが、どこかあきれたようなほほえましいものを見るような――そんな口調。
「振りほどいて怪我でもしたら大変じゃないですか……!」
あ、美琴さんの手が増えた。後ろから両肩をがっしりと――? はて、いつだったか立場逆でしたけどこんなことがあったような……。
「……うん、ブレないわね貴方は本当に。逆に……御坂さんはどうしてそんなに積極的なのよ? こういうイベント、好きだったかしら?」
「深音とようやく決着をつけるチャンスですから!」
美琴さんの声が弾みに弾んでます。……見てないですけど、きっと好戦的な笑顔を浮かべているんでしょうねきっと。
「……兄妹そろってブレないわね……そして」
『であえ!! であえぇぇええ!! 寮の隅々まで探し出せぇぇぇ!!!!』
『佐天さん!? 最近そういう小道具ネタ増えてきましたけど何で鎧甲冑!? それにそっちはさっき探し尽くしたばっかりですってばーっ!!』
寮の中から、けたたましいとしか言いようのない佐天さんの声と、自称運動苦手となった初春の声。
「……平和ねー」
いや、固法さん? 一人を除いてまったく平和じゃありませんよ?
唯一味方になってくれそうな固法さんが我関せずの立ち位置を示したことに、私の肩を女の子ならざる握力で拘束する美琴さんが笑みを深くする。見えませんけど気配でわかります。っていうかフッフッフって正直聞きたくない感じの笑い声が。
「あきらめなさい深音! ここが年貢の納め時ってやつよ!」
私の肩をつかんでいるだけの美琴さんがなぜここまで勝ち誇っているか、というと――単純な話、同盟を組まれたんですよ……佐天さん初春さんと。
――美琴さんの身体能力が最近目覚しい進歩を見せていると思っていましたけどね。まさか一芝居してまで私の逃亡を阻止するとは。
「……一応、言っておきますけど、三階から飛び降りるなんて金輪際やらないでくださいね?」
「ず、随分余裕じゃない!? そんな風に凄んだって離さないわよ!?」
「……美琴さん」
「……うん、ごめん――なさい」
身体能力がどれだけ優れてきても、女の子なんです。大怪我じゃすまないかも知れなかったんですよ?
正直本当にあせったんですから……。
――さて、美琴さんも反省してくれたところで、それはそれで、これはこれ。
「――ところで、固法さん」
「深音くん、自分のことを棚に上げるって言葉……まあいいわ。なに?」
「なぜ、寮生の方もその券? を獲得する側に回ってるんでしょうか」
「「……は?」」
佐天さんたちの用に、寮敷地内を駆け回っている今日に限りメイド服を着込んでいる寮生の方々。……ご自分の担当している作業とかは当然放り出しているわけなんですが――。
「美琴さんもですけど、執事としてほとんど毎日会っている人たちなんですけど……」
『教えてやる愛穂!! この券さえあれば一日だけに限り執事の誠心誠意真心のこもったご奉仕はもちろん『
『て、てめぇは……! それでも一応教育者だろうがこの変態執事馬鹿!!』
『はて何のことやら。さらに教えてやろう! この券は全部で三枚ある! これが――その一枚だ! 私を能力なしで打倒したものがこれを手にすることができるのだ!』
『……おーけー。その喧嘩買ったぜ。アタシが勝ってその券を跡形もなく燃やしたあとで残りの二枚も見つけ出してやるじゃんよ……!!』
『残念だが、もう一枚は誰かの手に渡っているぞ? ……確実にな』
――寮の屋根を駆けていくお二人の、そんな大声のやり取り。黄泉川先生がすごく頼もしく見えます。
いまいちわかりませんでしたかが、自主規制、という寮監の言葉を聞いた固法さんの顔は真っ赤になり……後ろからも蒸気が上がるようなポンッという音がしました。十中八九、いい予感はしません。普通の執事としての仕事ではまずないでしょう。
逃げの一手、では……どうしようもありません。
立ち向かわなければ。挑まなければ、こちらから。
幸いなことに、寮生の皆さんも参加しているのですから、私が参加しても問題はないはず。
――自分の自由は、自分で勝ち取れ――つまりは、そういうことですね。
「さっき寮監さんの言葉が正しければ、深音君をその、自由にできる券っていうのは後二枚……その一枚は誰かの手に渡っている……?」
「えっと、固法先輩? なんでリピートする必要が……え、まさかマジで?」
……これは、話についていけなくても悪くないですよね私。
美琴さんが信じられないものを見た、という感じ声で驚愕していますが、固法さんは集中してなにやらブツブツとつぶやくだけで聞こえている様子はなく――。
「誰かの手に渡ってる――自分のものだと主張できる形で――っ! なるほど……去年なかった『チャリティーオークション』はこれの布石ってこと……つ、つまり」
固法先輩がこそこそと私たちから距離をおいて……件のチャリティーオークションで購入? したバックを大きく開けて逆さまにして中のものを落とすように――。詳しくはわかりませんが、有名なブランドのもの、ですよね。そんなに乱雑に使って良いんでしょうか?
「くっ……! ないわ……っ!!」
「固法先輩……」
「はっ!? ち、違うわよ!? あったら儲け物だなーってだけ! ほ、ほら! 買い物で荷物持ちしてもらったりできるわけでしょ!?」
(……それってようはデートですよね?)
? 荷物持ちくらいなら電話していただければ……。
『聞きまして!? オークションの商品にまぎれているかもしれないと!』
『もうお帰りなられた方もいらっしゃいますわ……! まだ残っていらっしゃる方に総当りです!』
女の子は噂を一瞬で広げるのですよー、とは小萌先生。
本当でした、先生。そんなまさか、と思ってしまった当時の私をお許しください。
「すみません御坂さんっ! 券どこにもありませんでした! アタシの『鼻』でも嗅ぎ取れないなんて……っ!」
「寮の監視カメラやいろいろなセキュリティにハッキンg……もとい不正使用してみましたけどそれらしいものはどこにもありませんでした!」
はい、初春さん。アウトです。ハッキングでも不正使用でも犯罪です。
ガッシャガッシャとやってきた佐天さんの格好は何でしょう、乙女武者? と力強く墨字で書かれた着物が強い甲冑。……長い黒髪でとてもお似合いです。でもなぜか残念と思えるのは……。
「あ、これですか? この前セブンスミストに行って『個性的な服ありますか』って聞いたら『あるよ』って渋い感じの店員さんが持ってきてくれたんです――あれ、あの人前の水着の撮影会のときにも――ん? 一番最初はセブンスミストだっけ?」
――今度、その店員さんに菓子折でも持っていきましょうか。無理難題に答えてくださってありがとうございますっていう謝罪を……。
「そんなことよりやばいですよ御坂さん! このままだと深音さんが!」
「とりあえず、皆さん落ち着いてはいかがですの?」
つかみ掛からん勢いの佐天さんを押しとどめるような声。テレポートで飛んできた黒子さんも合流しましたね。
……やれやれといった風に美琴さんに協力していましたが、乗り気ではないのは明らかでしたし。
「落ち着いてなんていられませんよ! 漁夫の利ーみたいに深音さんが掻っ攫われるなんて、こう、あー! って」
『地団駄の良い例』――あれ、今私は何を……?
「――っていうか、深音さんが『そんな話聞いていない』と拒否してしまえばいいだけではありませんの? これはお姉様やワタクシたち全員にも通用する言い分ですけれど、事実ですし」
――まあ、そうですねぇ……。考えてはいたんですけど、ね。皆さんすごい必死でしたし……ねえ?
***
ザ・ワールド。
……で、合ってますわよね? そんな感じで時間が止まった様に止まるお姉様たち。
苦笑を浮かべている深音さんは、まあ、気づいていらしたようですけど。
「『その考えはなかったー』って顔で固まってますの。……まあ、なにも知らない方に一々説明するのも手間ですし、ワタクシたちが見つけて無効にしてしまうのが一番丸く収まるのでしょうけれど……」
「無理難題でなければ、私もやぶさかではないですけど……固法さんのいうような荷物持ち程度なら全然平気ですし」
……深音さん、きっと勘違いなさってますわねこれ。荷物持ちとして買い物に『つれまわす』という目的を固法先輩が、ですの?
……まあ、結構どーでもいいですけど。
「――まあ、どのみちこの騒ぎも後三十分もしないうちに収束するでしょうし、突発イベント的なものだと思えばいいのでは?」
「くそぅ――深音と公式にバトれるかと思ったのに……んで、なんで三十分なのよ? まだ盛夏祭の終了時間まで数時間あるじゃない」
――お姉様の前半の発言は聞こえませんでした。ええ、聞こえませんでしたとも。深音さんも両耳をしっかりきっちり塞いで一音も拾わない姿勢。
本当にわかっていらっしゃらないようで、首をかしげて疑問符を浮かべてらっしゃいますの。黒子は今日のために写真のカメラとビデオのカメラを新調したといいますのに。
……深音さんの券? だからドーデもいいといってますの。
「お姉様の晴れ舞台――この黒子! しっかりと後世に残していきますの!」
これでお姉様マル秘アルバムに新しい1ページ、いえ1ページといわず数十ページは増やしてみせます!
「あ……っ!」
サァー、と顔を青くしていくお姉様をパシャリ。油切れのブリキ人形のようにギギギと深音さんを見る。
深音さんとの二人でパシャリ。題『立場逆転の瞬間』。
「み、深音! アンタさっき逃げたいって言ってたわよね! 逃げるわよ! 私も連れて!」
支離滅裂、いえ、それだけ余裕がないということでしょうけど。
今朝あれだけ嫌々していた雰囲気がなくなっていたかと思えば……深音さんのことを本気で楽しんでいた、と。
「あきらめてください、美琴さん。試合終了だといったのは美琴さんですよ?」
「くっ! アンタ楽しんでるわね!?」
涙目のお姉様もパシャリ。クフッ♪
「深音っちー! 馬鹿の持ってた一枚は燃やしといたじゃんよ、安心していいじゃん」
「ありがとうございます、黄泉川先生……正直、寮監さんだけがどうにもならなかったので……」
「だろーな。……あ、そだ。お礼で一個なんか聞いてもらえるなら、小萌っちのマッサージしてやってほしいじゃん? ――アタシもたまにしてくれてもいいじゃんよ?」
「心得ました。今日は付け焼刃でしたので、ちゃんと勉強しておきます」
「おいコラ何勝手に丸く治めてんのよ深音!!! え、みんなもなにそのニヨニヨした笑い……!? まさか全部布石!?」
いえ、全部ノリかと。
「あ、いた!!」
吼えるお姉様を暖かい目で見るワタクシたちのもとへ。
「羊のお兄ちゃーん!!!!」
ワタクシたちというより、深音さんにですわね、一人の女の子が飛び込んでというか飛びついてきました。……いや、だれですの?
深音さんはしっかりと、女の子に衝撃が一切行かないように抱きとめて苦笑していますから、お知り合いかとは思いますが。
「あなた、確か――理恵ちゃん、だったかしら?」
お姉様や佐天さんたちは見知り顔? 固法先輩も知っているようですけど……はて?
「あー、セブンスミストの爆発事件のときは白井さんいませんでしたから……」
「ほら、前に深音さんのことを調べようって時に固法先輩から聞いたじゃないですか。あの時の夫婦の子役ですよ」
「ふ、夫婦って何よ!? あの時はただ仲良し家族って例えてたわよね佐天さん!?」
固法先輩、お顔が真っ赤ですの。
「でも何でこの子がいるのよ? 確か年齢関係なしで招待状がないと入れないはずでしょ?」
「招待状ならあるもん! ほら!」
と、お姉様の言葉に理恵――という女の子は深音さんから降りて、子供らしい(お姉様が好きそうな)ポシェットを少しゴソゴソと――ゴソゴソ、と。
……やたらと探索時間が長いような。えーと……これは、なんとなく、お約束的な雰囲気、ですの?
「なくしちゃった……」
というより、――ポシェットのチャックが開きっぱなしでしたの。あの勢いで動き回ったことを考えれば……。
あの招待状はここに入るときにももちろん使用しますが、この寮内でもところどころで使うところはありますから……なくした、となれば最悪の場合退去願う事例もあるとか……。
「お兄ちゃんからもらったのに……」
スカートのすそをギュっと握って……なんですの? この、体のどこかをかきむしりたくなるようなお姉様に向けている気持ちに似た何かの衝動は――!?
「理恵ちゃん、右のポケットは見ましたか?」
と、膝を抱えるようにしてしゃがんだ深音さんは視線を合わせて、いつもの、いえ、いつも以上に人を安心させる笑みを浮かべていますわね。
「みぎ――……?」
……どうしましょう。この子を抱きしめたいですの。右がどちらかわからないのでとりあえず両方にあるポケットに手を入れて、落ち込んだ顔から、一気に満開の顔へ。
「あったーっ!!!」
ぎゅっと握ってしまってクシャクシャですけど、広げてみればそれは間違いなく、盛夏祭の招待状。招待者の欄には深音さんの名前が記入されています。
「……アンタよくわかったわね」
「ええ、まあ……理恵ちゃんはよく右のポケットに無意識に物をしまう癖があるようで……私も最近気づいたんですけどね?」
――そういう癖まで把握してしまう深音さんがすごいと思うのは、ワタクシだけではないはず。
「……あれ? 何で理恵ちゃんの招待状裏面もあるんです?」
「佐天さんなに言ってるのよ、招待状は片面印刷で――? 待って、この子のだけ違うわよ?」
「? 招待状は両面印刷ではないのですか? 私に配布されたものは裏面に注意事項と書かれていましたけど――」
ワタクシとお姉様が初春と佐天さんに送った招待状は片面印刷。招待状を受け取った二人はそれぞれ自分のを確認しますが、裏面は当然白紙。
「……理恵ちゃん、ちょっとだけ、お姉さんにそれ、見せてもらえるかしら?」
「? はい!」
ありがとう、と受け取った固法先輩は、本来かないはずの裏面を確認し――やがて微苦笑を浮かべました。
「『誰かの手に渡っている』、ね。なるほど、確かにこのやり方なら寮生以外の人が必ずゲットできるわ――やられたわね」
「ま、まさかそれが、深音さんを一日自由にしちゃっていい幻の……!?」
佐天さんの言い方だと多方面の方に多大な勘違いをされてしまいそう――ん? 何でしょう、お前が言うなという変な電波が……。
「ヒツジのお兄ちゃん、あのショウタイジョー? がどうかしたの? クシャクシャにしちゃったからだめなの?」
「そういうことh「理恵ちゃん! お願いこれおねえちゃんに頂戴!」」
「やだ!」
深音さんをどうこうできる券を手に入れたい佐天さんたちと、深音さんからもらったという理由でかたくなに拒否する理恵ちゃん。
「理恵ちゃん、何か深音っちにしてほしいこととか、なにかお願いしたいこととかあるじゃん?」
「お願い?」
「そうじゃん、あの券な、深音っちに一回だけお願い聞いてもらえる魔法の券なんだってよ」
「そうなの!? えっと、じゃあ! じゃあじゃあ……えっと……」
お願いしたいこと。とつぶやいて、本当に頭を抱えてうなりだす理恵ちゃん。周囲のかたがた(深音さんを除く私たちも)はその破壊力を前にして、自分の体を必死に律するか、壁や地面をたたいて何とか発散するか。
理恵ちゃん、恐ろしい子っ、なんという精神兵器ですの……!?
「わたし、お兄ちゃんの家にお泊りしたい!」
「? それでいいなら、喜んで。ちゃんとお母さんに説明して、お母さんがいいよ、って言ってくれたらですよ?」
「うん!」
「ならこの前みたいに小萌っちも呼ぶじゃん? ほら、肩揉みのあれもあるし」
そして。
「「「「…………」」」」
券を手に入れてあわよくば、という思惑があった四名には、穢れない理恵ちゃんを見て自身を省みていただきましょう。
《 おまけ 》
「うををををぉぉぉぅぅぅぅ……まさか近くにこんな逸材がいたとは……これは吹寄ちゃんにも伝言ゲーム確定なのですよ」
「だろ? ……っていうか、なんで全員集合してるじゃん?」
「ひろーいっ!!」
「「なんとなくついてきました!」」
「ふ、風紀が乱れないようにの監視です」
「寮の出し物があるんで逃亡を――」
「そしてワタクシはその逃亡犯を連行するために、と。あ、終わったら戻ってきますので夕食はいりますわ」
《 おまけ 2 》
「で、3枚なんてなかったじゃんよ。寮のどこかに隠してるんなら、期限切れ扱いにしとけよちゃんと」
「? いや、三枚だぞ? オークションに丁度いい文具セットがあったからそこにはさんでおいた。まあ、だいぶ趣向が子供向けだから買う者がいるかどうか……」
幻の三枚目は、ついぞ、その姿を見せることは……なかった。
読了ありがとうございました。
次より、アニメ一期のオリジナルに入るわけですね。
誤字脱字・ご指摘などございましたらお願いします。