……耳に煩わしい、ノイズのような音。何か意味を成しているとはとても思えないほど不快な音の羅列が、延々とただ続いている。
そんなものを聞かされれば、普通であれば眉を潜めるか耳を塞ぐかするだろう。音の発生源を探し出して止めてもいい。
しかし、イヤホンをしているためその音が周囲に漏れることは無い。……イヤホンをしているため、その音が周囲に聞かれることは無い。
周囲近辺に人などいないと確認は終わっていても、過剰なほどに、過剰過ぎるほどに、そのノイズのような音の羅列を聞かれるのを避けようとしていた。
――力が欲しい。力が欲しい。
自分を変えるだけの力が欲しい。
――力が欲しい。力が欲しい。
世界を変えるだけの力が欲しい。
呪詛の様に幾度と……いや、幾万と願い乞うた。悔しさに歯を食い縛り、理不尽な痛みを必死にこらえた。 それでも願いはかなうことはない。むしろどんどん悪化していく。
そして何時しか、願うことを止めた。願ったところで何もかなわない。遅過ぎる助けなど、無意味なのだと。
それから願いは別の形に変わっていく。
ならば、弱い自分を救ってくれない世界など壊れてしまえと。
幾万幾億と、心で叫んでいた。
「クク……ハハハ……!」
――そんな、心で叫んでいた自分はもういない。と今なら断言できるだろう。いや、むしろ堂々と叫ぶだろう。今なら自信を持って言うことが出来る。
『変えてやる』と。
『見返してやる』と。
「順調だ――! これが、これがボクの力……!」
己の手を見る。一見して貧弱そうな――いや、実際そうなのだろう。何か殴れば自滅してしまいそうなほど弱々しいその手が、強く握られる。
「ボクを助けてくれないジャッジメントなんかいらないんだ……! ボクを助けるのは僕自身なんだ……!」
……身勝手な意見であると、誰もが思うだろう。自己中心的な、自分だけしか見えていない言葉だと。
長い長い時間をかけて蓄積されていった不満や鬱憤は、一気に放流される。誰に打ち明けられることも無かったそれらの濁流は――誰にも――止められることはない。
「そうだ! ボクが代弁するんだ! 代行するんだ! 虐げられてきた人たちの! 虐げてきた奴らへの復讐を! なにもしないお飾りの正義を振りかざす奴らを蹴落とすんだ!」
こみ上げてくる笑いで自分の耳に直接つけているイヤホンから流れてくるノイズさえかき消される。
それでもノイズは流れ続け、確実に、影響を与え続けた。
そして、しばらくは収まらないだろうと思われた狂笑がピタリと止まる。笑いにあわせて仰け反っていった背は戻り――大きく見開かれた目が、ぎょろりとあるモノを見つめた。
「――能力操作のコツは十分つかめた。どれだけの力でどれだけの規模になるのかもわかった。10人目……10人目は……」
……ニタリと笑うその表情に、愉悦以外の感情はなかった。
***
「……」
「「「……」」」
目には目を。歯には歯を。
そして沈黙には沈黙を。
どこぞのハンムラビ法典ではないが、やられたことに対して同じことで返す、というのは、よくあることだろう。
恩を恩で返し、礼には礼をもって返せば良識人であるが、暴力に暴力で返しまえば無法者と思われてしまうように、返すものによるだろうが。
……そして、この場合の返した沈黙はどちらかと言えば後者。同じもので返してはいけなかったパターンであった。
『第一回、深音の私服選別大会』といつの間にか名前の付けられていた謎大会は既に終了――。結果というべきか末路というべきか。とりあえず結果のみご覧頂こう。
足元から見ていこう。動きやすそうな黒のスニーカー。飾り気は少ないが色合いで選んだという。
そしてその上のズボンも暗い色合いのダメージジーンズと、足元はダーク系を意識して統一させたのだろう。と思わせる。
つまり、沈黙させた原因は上半身。
「どこにあったのよこんなの……」
「服のことなら何でもー、って確かに言ってましたけどこれは……佐天さん?」
「えー、かっこよくないですか?
――……一昔前のストリートファイターのキャライメージしたんですけど」
隠されているのは胸部。そしてフィンガーレスグローブのみ。あとは引き締められた肉体が惜しげもなく晒されている。
……確かに横移動する某格闘ゲームに出てきそうな格好だ。
「……とりあえず、なしの方向で」
「えー……まあいっか。写メはとれましたから!」
「「そっちが本命!?」」
……いそいそと試着室のカーテンを閉じ、いつもの執事服に戻る深音。
「あんなの良く見つけましたね佐天さん……」
「え? 普通に店員さんに聞いてみただけだよ? 『こういうのありますかー?』って聞いたら、『あるよ』って渋い感じの店員さんが持ってきてくれたよ?」
……この場合、可笑しな要望をしたお客(佐天)に物申すべきか、可笑しな要望に応えた店員に物申すべきか。
普通は前者なのだろうが、店員側にも一言言いたい美琴であった。
「初春はもうちょっとネタに走らないと!」
「いやいやいや深音さんの私服選ぶのにネタに走っちゃダメですよ? それに御坂さんも……そんな小学生に着せるような服で深音さん困らせちゃダメじゃないですか……」
美琴の持つカゴに詰まれているのは、ピンクやらオレンジの中に可愛らしいキャラクターが顔をのぞかせているものばかり。
「あ、あははー……ほ、本気にしないでよもー。冗談よ? 冗談でもってきただけだからね? いやホント冗談で」
冗談冗談と繰り返す割に、試着さえも拒否された際に本気で憮然としていたのは――いや、真相はあえて言及すまい。
明らかに子供向けのデザインの大人サイズを置いている店側にでも問題追求しておこう。
ちなみに初春は真剣真面目に、深音に似合うだろう服をしっかりと探してきた。本人曰く、落ち着いていながら爽やかな感じで纏めたとのこと。
ジーンズに赤いスポーツTシャツ。白い半袖のシャツと、飾り気はないものの堅実なコーディネートの数々で着まわしもしやすいものばかり。
「……こっそり花柄のアクセサリーを入れてるあたり策士だよねぇ? 男の人がつけても違和感のなさそうなの」
「……佐天さんこそさっきのズボンのベルト、佐天さんのお気に入りのベルトにそっくりですよねー?」
あっはっは、えへへーと笑っているが、どちらともこっそり冷や汗を流している。内心ではどう考えているやら。
美琴はデカデカとゲコ太がプリントされたTシャツを持ってきていたのですでにカウントされていたりする。
三人が三人とも、自分の好ましいもの・近しいものを身につけさせようと画策していたらしい。
「お待たせしま……お二人はどうしたんです?」
「女の子にはいろいろあんのよ。……それより深音、あんたパジャマくらいなら、ほら、人に見せるわけじゃないんだからさ、このTシャツ――どう?」
「……ホントに好きなんですね、ゲコ太……」
うん、こっちのほうが違和感ないわ、と深音の執事姿にうんうん頷く美琴。そしていまだ諦めていなかったのか、オレンジ色のシャツを広げてくる。
そんな美琴に呆れながらも、買うもの・買わないものを分けてカゴに入れてく深音。受け取ったオレンジ色のゲコ太Tシャツを買わない側に入れようとすると美琴の表情が曇り、買う側にやるとパァっと晴れる。
……それを二順ほどして、着る着ないは別として、買うことで喜ばれるならと買う側へ。
「っし!」
人目をはばからずガッツポーズをする美琴。買いに来た物は深音の私服であることを忘れているのではないか、と思われるほど。
もしかしたら本気で忘れている可能性も無きにしも有らずかもしれないが……これも、あえて言及はすまい。
「ヒツジのお兄ちゃんだ!」
「「「羊?」」」
子供の、女の子の声。それもかなり近いのか、よく聞こえた。
なにかのショーかと周囲を見渡してもそれらしいものは無く、もしくは羊によく似た人物かと周囲を探すもそれらしい人間はいない。
はて? と首を傾げる三人に対し、深音ただ一人が苦笑していた。
そして、おそらく声の主である女の子が、四人の前まで走ってくる。
「ヒツジのお兄ちゃん!」
通過するかと思ったのか、四人はそれぞれ道を開けたが、上がるはずのない砂煙を幻視させるほどのブレーキで停止する。
そのままビシィッ! と指差したのは、深音。
「「「…………………」」」
深音を見、そして元気いっぱいの女の子を見る三人。
深音と羊。深音が羊?
と、妙にモコモコとした深音を想像したり、どこぞの牧場で羊と過ごしている深音を想像したり。
あ、可愛い。あんまり違和感ないわね、と……木魚の音がしばらく響き、トライアングルの音が響く。
「「「ああ、シツジのお兄ちゃん」」」
「うん、ヒツジのお兄ちゃん」
「言えてないですね、まだ。――今日はお買い物ですか? 理恵ちゃん」
買い物カゴを置き、しゃがみこんで視線を女の子――深音が言うには理恵に合わせる。
「うん! お母さんとお買い物! わたしもテレビのお姉さんみたいにいっっっぱいおしゃれするんだ!」
ニコニコと元気の塊のような女の子の登場に、三人はなにやらホッコリとした心境になるも、はて、と再び首を傾げる。
深音は名前まで知っており、理恵という女の子はかなり深音に懐いているにように見える。
……して、この二人の接点とは何ぞや。
「……もしかして、固法先輩の言ってた迷子の女の子ですか?」
初春の言葉。やたら懐いている女の子。子供慣れしている深音。
そしてトライアングルの音。
「あの親子の子役!?」
「「?」」
――説明中――
「あ、はい。多分その子が理恵ちゃんです。固法さんもいらっしゃったので間違いないかと」
「私泣いてないもん!」
「――ええ、泣いてなんかいませんでしたね。……ところで、理恵ちゃん。一緒に来たというお母さんはどちらに?」
「……え?」
理恵が自分の走ってきた方向、とは見当違いの方を見る。それを指摘して方向を正して母親らしき姿を探したが、断念。
元気の塊だった女の子が一気にしゅん……と落ち込み、オロオロと不安げに周囲を見渡してから最後に深音を見て、その裾を小さな手で離すまいと握りしめた。
「……すみません、私ちょっと行って来ます。美琴さん、お会計はコレでお願いしていいですか?」
そして、その手を振りほどくことなど当然することなく、むしろしっかりと握り返してから財布を美琴に差し出す。お願い、とは言っているが拒否権は無いに等しいのだろう。
「…………ハッ!? あ、うん、わかった。いってらっしゃい!」
意識をどこぞへか飛ばしていた美琴。……理恵のかわいさにヤラレていたらしい。おそらく、言われたからではなく渡された財布と残された買い物カゴを見て、『会計を任された』のだと判断した。
「――……なんて威力。アタシ危うく飛びついてハグしちゃうところでした」
「庇護欲にダイレクトアタックしてきましたね……アレに自然に対応できる深音さんも凄い……」
手をわきわきさせて戦慄している佐天と、手をつないでいる二人の後ろ姿を溜め息を付きつつ見送る初春。
――頼まれたら、まず断らない。
……頼られたら、断るはずが無い。
(……基本、お人よしな所はブレないってことね、アンタは)
つないだ手をぶんぶん振っているのは、おそらく理恵のほうだろう。再び元気を取り戻したのか、笑顔の理恵に、見慣れたあったかい笑顔の深音。
わざとらしく、やれやれとため息をつく美琴は、畳まれてもなお衣服の山を内容するカゴを持ち上げる。
「……しゃーない。頼まれてやりますか」
――初春の端末がなったのは、そのときだった。
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