サーヴァントと違い、マスターは食事の必要がある。
果実ばかりだがどうしようかと悩んでいるエミヤは、漠然と砂浜を歩いていた。
「あら、考え事でもしてるの?」
声に気が付き、そちらの方に視線を向ける。エミヤに呼びかけた人物はマルタだった。
砕けた話し方で、今日はそちらの気分であることが分かる。
「いやなに、果物だけで料理を作るなど滅多にない経験だと思ってね。これでは栄養が偏ってしまう」
「何かと思えば、それが悩みなのね。とってもあなたらしいっていうか。でもまあ、それもそうよね……」
マルタの歯切れの悪い返事に、エミヤはある程度の内容を察する。
「ところで、これから私は食材調達を兼ねて島の魔獣を退治しようと思っているのだが、一人では心許ない。
よければ、君の力を貸してもらえないだろうか」
「えっ──? どうして分かったの?」
弓兵の発言の意図を察したマルタは、内心を覚られたことに驚き、呆気にとられる。それを見たエミヤは、視線を逸らしながら続けた。
「深く語るつもりは無いが……そうだな、それを含めて君なのだろう?」
ルーラーかつ聖女という言葉だけでは、マルタを完璧に表現することはできない。
言われた本人は、目の前の彼が以前にも似たようなことを言っていたと思い出す。つくづく変わらないと呆れながら、少しだけ嬉しいと思ってしまう自分が恨めしかった。
だから──断る気は毛頭ない。
「仕方ないわね。久しぶりに腕が鳴るわ」
「意気込みはいいが、全てを倒すわけではないぞ?」
「……それくらい分かってるわよ」
「ふ、確認しただけだ。ああ、それともう一つあってね。
──君の美しさは絵になるな」
言うだけ言うと、エミヤは背を向けて先に行く。
先程も驚いたが、それ以上に驚かされた。エミヤの方からそんな言葉が聞けるとは思わなかったからだ。
「もう、待ちなさいよ」
それでも、怒るにも怒れない。本当に仕方のない人だと頬を緩ませながら、聖女は弓兵の背中を追った。
レイシフトした時間は、この島で言うと朝早い時間だった。まだ日は高いために、エミヤはドライフルーツと燻製の作成に取り掛かっていた。
「せっかくのヴァカンス日和だというのに、ちょっと遊んだらすぐ仕事に戻るなんて勿体ありません!、仕事人間のエミヤさんはこの状況をエンジョイしないんです?」
エミヤの元へ、ビーチパラソルを片手に玉藻がやって来た。
「ここまで違和感が無いとは恐れ入ったな。夏というイメージが直接伝わる格好だ。尤も、一番見せたい相手が居ないとは無情なものだ。
しかし、楽観的すぎるのも考えものではないかな?」
「贅沢は尽きませんからね、控えめで謙虚が一番。ですが、褒め言葉は素直に受け取りますよ。
そうは言いますが、悲観的すぎるのもまた然りでしょうに。まあ、夢のような状況を満喫しないのはエミヤさんらしいですけどね」
「私とて浮かれていない訳ではない。ただ、万が一ということもある」
「……そんなあなただからこそ
そう言いながら、玉藻は明後日の方向に蹴る動作をしていた。
「──こうなれば玉藻が一肌脱ぎましょう……ってもう水着になってるから脱いでるんですけど、友人が物足りない夏を過ごしただなんて良妻として見過ごせません!」
「……先程から気になってはいたんだが、いつもより言動に落ち着きがないな」
「タマモちゃんサマー、ヴァカンス
前もって用意したこの浮き輪が火を噴くぜ!」
夏とはここまで人を変える物なのか、エミヤはそう思いながら返答する。
「そうか、楽しそうで何よりだ。そういう訳で私は仕事に戻ろう」
エミヤは何も見なかったと言わんばかりに、休めていた作業の手を再び動かす。
これには玉藻も即座に反応した。
「みこっ!? 待ってくださいよ~、こんなに誘っているのに足蹴にするなんて祟っちゃいますよ?」
「そこまでして誘いたいのか……私にはその情熱の根源が理解できんよ」
「夏と言えばパッション! 当然ですとも。
そうですね……仲の良い友達と遊びたいから、では足りませんか?」
唐突なしおらしい態度に、傾国と謳われる魔性の片鱗を見た。
基本的に自由奔放だが、極稀に見せる正直さが玉藻の長所だ。
「……最初からそういえば良かったろうに、そこまで言われては断るのが忍びない。
五分だけ待ってくれ」
「はい!」
さしものエミヤもこれには敵わなかった。
玉藻との遊びに付き合った帰り道、岩陰で立香を眺める清姫に出会った。
いつもと違い、髪型がポニーテールになっていた。
「ふふふ……
清姫は立香の魅力に当てられたのか、途中で語彙力が消失し、最も簡単な一言に思いの丈を凝縮していた。そんな情熱的な視線をその身に受けている立香に、気付いた様子はない。
ここは、エミヤも見なかった振りを──
「どちらに行かれるおつもりですか?」
しようと思って踵を返した瞬間、目の前には清姫が居た。逃げようとしても、玉藻の時のようにそう上手くはいかないらしい。
「はて、何か後ろめたいことでもあったのかね?」
「いえいえ、後ろめたいことはございません。強いて言えば、邪魔も入らず
「強敵が何かは分からんが、君がここで足踏みをしている理由にはならないだろう」
「それは……そうですけれど……」
珍しく煮え切らない態度を見せる清姫は、人差し指を突き合わせながら言葉を引き出した。
「は、恥ずかしいではありませんか。このような破廉恥な服装など、マスターの為にでもなければ着ませんもの」
箱入り娘の清姫には水着姿になることは刺激が強いらしい。そして、エミヤに見られても恥ずかしいことではないらしい。恥ずかしがる基準が分かりにくい。
ただ、それを口に出せば、鐘に閉じ込められて串刺しだった。
「ならば自信を持てばいいだけの話だ。君の着こなしと淑やかさは一級品だろう。
そら──早く行った方が良い。マスターも待ちくたびれてしまうぞ?」
エミヤが指さした方向を清姫が見ると、立香が手を振っていた。
「……ここは素直にお礼を申し上げます。ですが、負けませんからね」
改めて宣戦布告した清姫にエミヤは苦笑いするだけだった。
ようやく日も暮れた頃、料理の仕上げに入ったエミヤは背後からの気配を察知する。
「話がある。アーチャー」
振り向けば、霊基を調整した影響で日に焼けたモードレッドが、
「堂々とつまみ食いとは感心しないな」
「違うに決まってんだろ。
もう一度聞かせてもらうしかねえと思ったんだよ。お前と父上の関係をな」
「確かその件なら、決闘の報酬で以前に話しただろう」
過去に、負けたらアルトリアとの関係を話すことを条件として決闘に挑んだことがあった。
一度は退けたこともあったが、負けず嫌いな彼女に何度も挑戦されると、負けるのは時間の問題だった。
「オレもそれで一度は納得したけどな。ただ、今日のアレを見ていたら疑問が湧いたんだよ」
視線で強く訴えるモードレッドに、エミヤは心当たりがないと首を捻る。それを見透かした叛逆の騎士は、思い起こせとさらに追及する。
「父上に泳ぎ方を手取り足取り教えてたじゃねえか」
「何かと思えばそのことか。頼まれたのだから当然だろう」
「それが、マスターとサーヴァントの関係だけじゃ説明がつかないってことだよ。
玉藻との遊びに付き合った際、そこへ、アルトリアが泳ぎ方を教えてほしいとやって来た。
意地でも水着に着替えなかったエミヤは、玉藻に茶化されながらもアルトリアの手を取って指導していた。
それを見ていただろうモードレッドの疑問は尤もだ。彼女には、召喚したサーヴァントが
「──邪推が過ぎる。
そこまで気になっていたのなら、加われば良かったろうに……」
「なっ!? そんなことできる訳ねえだろ。まだ父上とロクに話も……って何言わせんだよ! …………覚えてろっ!」
霊基が変わった影響か、動揺しやすいらしい。捨て台詞を残してモードレッドは駆け出して行った。
「まったく、見た目相応の活発さだな」
話が終わったと判断したエミヤは、作業を再開した。
食事も終われば、夜になるまで時間はかからなかった。
昼間の疲れが出たのか早めの就寝をとった立香と周辺を警戒するサーヴァントに分かれたが、エミヤもその一人だった。
そんな中、浜辺で一人の少女に出会う。
「こんばんは、エミヤ先輩」
「マシュか……星でも見ていたのか?」
「はい、あまりにも綺麗だったので。
先輩も少し前まで居たんですよ」
「ああ、先程すれ違った。今は夢の中だろうがな」
エミヤの知る限り、野営に慣れた立香は特別寝つきが早い。彼女なりに環境へ適応した結果だった。
「少しお話しませんか?」
「……私で良ければな。隣に失礼する」
マシュを左手に見るようにエミヤは砂地に腰を下ろす。彼女に倣って空を見上げれば、夜空に散りばめられた星々が輝いている。魔術王の光帯が存在しない夜空は初めての事だった。
それらの眩さは、かつて抱いた正義の味方という理想や、聖剣の騎士王の煌きと同じに見えた。しかし、今はその星をただ見つめるだけになっていた。手が届かないと知ってしまったからだろう。
「長い旅の中でわたしは、綺麗な夜空を自分の目で見ることができました。本で知識を得た時よりも感動しました。過去に生きた人々も、空を見上げては同じことを考えたのでしょうか」
その言葉が気になったエミヤは、マシュの横顔を見る。彼女は、眼鏡を通して笑みを湛えていた。
「時を越えて同じものを見ている……か、なかなかに情緒の真理を突いている」
カルデアという閉じた空間から特異点という広い世界に出たマシュならではの視点だった。星の位置が気になるが、これは些細なことだろう。
「あ──突然すいません。先程の発言は論理的ではなく感情的と言いますか」
「むしろ、私は感銘を受けてしまった。それに、訂正する必要はない」
「────はい」
ホッとした顔で、マシュは頷いた。
「エミヤ先輩ともこの空を見ることができて、本当に良かったです。
それと、話が変わってしまうのですが…………いえ、何でもありません」
寸前で躊躇したマシュは、質問を取り下げてしまった。何を聞こうとしたのか、その内容はエミヤには定かではない。外れていようとも、言えることはただ一つだけだ。
「そう言ってもらえると、こちらも喜ばしいものだ。
──それと、言い忘れていたことがあったな。よく似合っているぞ、マシュ」
それを聞いて、完全に油断していたマシュは膝を強く抱えた。
「ええと……その……わたしは先輩方と比べると地味ですので──」
「──地味であるかどうかは関係しない。私の主観に基づく評価だ」
「…………お、おやすみなさいエミヤ先輩。ありがとうございました」
存外に、正面から褒められると恥ずかしい。不快ではないが、居た堪れなくなったマシュは、すぐさま立ち上がって野営地に戻る。焦っていたため、お礼の言葉が最後に来ていた。
そうとは知らず、慣れないことを言って気を悪くさせてしまったかと自省するエミヤは、再び空を見上げる。月は無くとも、夜空は美しかった。
翌日、カルデアに帰還しようとした立香一行の前に巨大な魔猪が現れて死闘を繰り広げたり、無人島の正体が判明したりするなど最後に色々とあったが、短いヴァカンスは充実したものだった。そして、元の霊基への復旧が可能だったお蔭で、スカサハは珍しく安堵した。
レイシフト失敗の原因を解析したロマニは、深く溜息を吐く。特異点に限りなく似ているが、人理に全く影響しない時空の歪みがそれだった。
放っていてもよいが、再び今回と同じことが起きないとは断言できない。不安要素は修正しておくべきだ。
「でも、何かおかしいような気もするなぁ。うーん……こうなると、立香ちゃん頼みしかないか」
女王を名乗る魔法少女の戦車による突進を受け、跳ね飛ばされた少女は、自身の魔術礼装と逸れながらも、決意を折ることはなかった。
「────