女難な赤い弓兵の日常inカルデア   作:お茶マニア

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リクエストの幕間シリーズはこれが最後です。



エミヤと無限の剣製

 あの時エミヤは言っていた──最善の用意をしておけと。

 藤丸立香にはその本当の意味がようやく分かった。彼女の目の前には、巌の巨躯を持つ大英雄の影が佇んでいる。

 

「……ふう」

 色々とあったオケアノスから帰還した数日後、立香は特異点Fの最終調査を行っていた。

 立て続けにレイシフトする激務となってしまったが、先程その調査も終了したため一区切りがついた。

 だからこそ、彼女はカルデアの自室でベッドに寝転がり、思い切り羽を伸ばすことができている。しかし、数時間前には調査の締めくくりと言わんばかりの死闘が行われ、それを経て得られた昂りは未だに収まっていない。

 立香は何度か深呼吸すると、ようやくシャドウバーサーカー(ヘラクレス)に勝利した事実を実感する。しかし、あれがシャドウの存在であることを忘れてはいない。つい最近オケアノスで戦ったヘラクレスは撤退戦をしなければならないほどの強敵で、彼女に最初の挫折を味合わせたサーヴァントだ。

 ロマニが冗談で茶化していたが、もし本物のヘラクレスにリベンジする機会が回ってきた時、影の存在──エミヤ曰く、あれでも弱体化している方──に勝てたから次もなんとかなる、と慢心できるほど立香は楽観的ではない。

 マスターから普通の少女に戻った彼女の結論は、ヘラクレスの顔はしばらく見たくない、こっちの命がいくつあっても足りない。

 今の立香に必要なのは英気を養うことだ。

 思考を纏めていた立香は今日何度目かの息を吐くと、ふと思い返すことがあった。それは、エミヤの固有結界についてだ。

 これまでの戦いで彼が固有結界を出す機会は、立香の覚えている範囲では一度もなかった。なぜなら、出す前に決着がついていることがほとんどだからだ。

 だから立香は、固有結界そのものを見たことがない。けれど似たようなものなら、一度見たことがある。偶然見たネロの宝具が本人曰くそれであり、豪華絢爛という言葉が相応しい煌びやかな黄金劇場だった。似たようなものでこれなのだから、固有結界はきっとこういうものなのだろうと立香は理解していた。────さっきの死闘でエミヤの固有結界を見るまでは。

 エミヤの詠唱が終わった瞬間、彼を中心として炎が広がると世界はがらりと姿を変える。立香の目に飛び込んできた光景は、大空洞と呼ばれた洞窟の変わりに一面に広がる荒野、そこに突き立つ無数の剣、そして天空を覆う歯車だった。()の大英雄を前に固有結界を展開したエミヤの背中は、背景も相まって立香の心に今も強く残っている。

 本人が言っていたが、その風景が唯一の宝具で扱う魔術もそれから派生したものらしい。

 ヘラクレスを倒した後、最初は立香がある程度成長するまで封印しておくつもりだったと彼は語っていた。

 魔術にそこまで詳しくない立香にはいまいち解せないこともあった。ロマニに聞いた話だが、固有結界は使い手の心象風景が強く関係しているらしい。だとすれば、エミヤの固有結界(それ)はなぜあのような風景となったのか、それについて詳しく語らなかった彼は、なぜはぐらかしたのか──

「────マスター。少しいいかな?」

 立香が頭を悩ませていると、在室を確認するためのノック音と共に聞き慣れた声が彼女を呼ぶ。件の人物であるエミヤの声で間違いない。

「ごめん、ちょっと待ってて」

 立香は今すぐに出迎えることも可能だったが、エミヤから少しばかりの時間を貰い、寝転んだ拍子に乱れた髪を手櫛で整える作業を優先した。

 

 多くのサーヴァントを自室に招いて話をする立香ではあるが、エミヤを招くのは初めてのことだった。お茶とお菓子を目当てに、専ら立香の方がエミヤの部屋に出向くことが多いし、彼が用件を伝えに来ることがあっても、精々部屋の前でやりとりするため室内に入ることがないことも理由の一つだろう。

「疲れているところ、すまないな」

「気にしなくていいよ。最近は動いていないと違和感があるくらいだから」

 開口一番に立香を体調を気遣うエミヤだったが、対面に座っている立香の成長を改めて実感する。

 アルトリアを召喚した頃はまだ運動に慣れていない少女だったが、今はそんな発言ができるようになっていた。

「だが無理をせず、休めるときには休んでくれよ、マスター。……こう言ったからには、早速本題に入らなければな。以前の約束通り、今日は君に話しておかなければならないことがあってね」

「……あれって、一人前になったらじゃなかったっけ?」

「それは心構えの話だ。一人前を目指す半人前なら構わんさ」

 意味深長な発言、詐欺紛いの言い回しで前置きしたエミヤに対し、立香は無言で続きを促す。

「私は……、過去の召喚でマスターを裏切ったことがある」

 『裏切り』

 お人好しなエミヤの口からそんな言葉が飛び出してきたことに、立香は驚きを禁じ得なかった。当然目を見開いて動揺したが、口を挟むことなくエミヤの言葉を待つ。

「その時のオレには、やるべきことがあった……それは……」

 途中で言葉を切ったエミヤは、しばらく間を置くと再び口を開いた。

「────過去の自分を殺すこと」

 

 頭が真っ白になるという表現があるが、立香の脳内はまさにその状況だった。彼女の目の前にいるサーヴァントは、あろうことか過去の自分を殺すと語った。

「過去の自分を殺すって……どういうこと?」

 言葉が咄嗟に出てこないが、辛うじて残されていた冷静さが立香に適切な問いを投げさせる。

「私から言っておいてなんだが、この話は君が快く思わない内容が含まれている。それでも聞くかね?」

 立香はエミヤの問いに大きく首肯した。ここまで聞いて引き下がることなどできない。

「──分かった。では続けよう。

 マスター、オレはとある大火災の生き残りだった。瓦礫や炎を避け、長い時間歩き続けて力尽き倒れた後、運よく後の義父となる男に拾われて命は助かった。その代わりに、『士郎』と言う名前以外の全てを失ってしまった」

 立香の目から見ても、まるで自分を戒めるかのようにエミヤは語っている。

義父(じいさん)……ああ、オレは義父をそう呼んでいたんだ。

 彼はそれから数年の内に亡くなってしまったが、最期の会話がオレの運命を決定づけることになる。それは────、『正義の味方』になりたかった、そう言っていたよ。

 何と答えたと思う? かつてのオレは、その夢を形にしてやると言ったんだ。当時のオレは、助かるかもしれなかった人々を犠牲にして助かったから、この命を他人の為に使わなければならないという価値観に囚われすぎていた。

 その言葉通りに見返りを求めず身を粉にして働き始め、何年も経ったある日、高校生へと成長したオレは、マスターとして聖杯戦争に参加することになる。その時のサーヴァントは……アーサー王だ。

 ……聖杯戦争については、ロマンから聞いただろう?」

「うん。…………アルトリアが……なるほどね」

 立香は合点がいったように呟いていたが、エミヤは気にすることなく話を続ける。

「割愛するが、最終的に勝者はオレということになった。だが、目的の聖杯はある事情で汚染されていてね。破壊するしかなかった。

 それからは、聖杯戦争で世話になった魔術師の伝手で倫敦(ロンドン)に渡って経験を積み、しばらくして日本に帰った。

 帰国後は『正義の味方』を本格的に目指すため、説得も聞かずに恩人や知人と袂を分かって故郷を後にした。ここが人生の分水嶺だな。

 この後はほぼ君の知っての通り、追加点は途中に世界と抑止力の契約を挟んだぐらいで、最期は絞首台で人生を終えた」

 エミヤが語った言葉には、言葉数で表し切れていない程の含みがあったように感じられた。少なくとも、立香が一言で語れるような人生ではない。

 そんな立香が気になったことは、抑止力という謎の単語だけだ。

「先に言っておくと、私は他のサーヴァントのような正規の英霊ではない。生前に自身の死後を売り渡し、アラヤ……霊長の守護者に連なる、抑止力になることで英霊となったんだ。いわば、先の未来(死後)において英霊となるものだな。こうして召喚されている以上、そういう未来があるということだ」

 立香の思考を先読みしたのか、エミヤは彼女の疑問に先手を打つように言い切った。過去の回想と同じ声色で話すエミヤの胸中は如何ばかりか、与えられる情報の多さに困惑している立香には全くもって想像がつかない。

「なら、どうして……抑止力っていう存在になったの? 死後を売り渡すなんて、よっぽどの事でしょ?」

「尤もな疑問だが、オレは心底他人が大事でね。自分ではどうにもならない事態に直面した時、限界以上の力を望んでしまったのさ」

 本来ならその選択はありえないと言えることを、彼が言うとさもその通りのように感じてしまう。エミヤが日頃から他人の為に働いていることは、立香自身も十分に理解していた。そもそも、彼女が召喚した日からそうだった。

「その時のオレは、抑止力……英霊になればさらに多くの人を救えると思っていた。だが気付くのが遅すぎた。

 抑止力と聞こえはいいが、既に起きた出来事の掃除屋がその実態だった。善悪など関係ない、『正義の体現者』という言葉が相応しいな」

「掃除屋って……まさか……」

 嫌な予感が立香を引き留める。それでも、聞かずにはいられなかった。

「ああ、そのまさかだ。人を殺して人類を救う自浄作用、世界を動かす歯車の一つだよ。……全てを救いたいオレからすれば、耐え難いものだった」

 硬い表情のエミヤはさらに続ける。

「望まぬ殺戮を繰り返し、現実と理想の板挟みになっていた私は、いつしか自分の理想が間違っていたのではないかと思い始めていた。そんなある時、摩耗しきった私の元へ千載一遇の好機が訪れた。

 ──過去の自分が参加していた聖杯戦争に、サーヴァントとして呼ばれたんだ」

 そんなことがあるのか、と立香は言葉にしようとした。

 だが、目の前に居るのは死後の未来で英霊となるものだ。エミヤの言葉通り、実際に英霊として存在する以上そういう未来が必ずある。どんなに昔でも彼が召喚される可能性はある、と思い至る。

「今思えばただのやつ当たりだったが、過去の自分を殺すことでオレという存在を抹消したかった。英霊エミヤは居ない方が良かった。それがこの手で奪ってきた命への贖罪で、唯一の希望だと確信していた。

 ──だが、そう言った私を打ち負かしたのは、他でもない過去のオレだった。私の辿った過去を見せたのにあの男は、誰かを救いたいという理想は決して間違いではないと断じた」

 憎たらしげに語りながらも、エミヤの顔から嶮しさは消えていた。

「その通りだった。理想を裏切ったのは、間違っていたのは……、私の方だった。

 いつの間にか忘れていたよ。過去を変えるなんて望んではならないなんて、とっくに分かっていたはずなのにな。実に皮肉なものだよ。

 その後は乱入してきた他のサーヴァントの攻撃で瀕死の重傷を負い、最期まで足掻いて自己満足の罪滅ぼしをしてから消えようとしたんだ。そうしたら消滅の間際に、私が裏切ったはずのマスターが追って来た。私には勿体無いほど優秀なマスターだったんだが、非情に徹しきれない魔術師でね、私の真名は既に分かっていたから、固定された英霊エミヤが救われない存在であることに気付いたんだろう。あまり気負ってほしくなかったから、躊躇いがちだった彼女に衛宮士郎()を頼むと言った後にこう言ったんだ──」

 「オレもこれから、頑張っていくから」エミヤは最後にそう続けた。

 言いたいことが終わったらしく饒舌だった弓兵は沈黙している。それなのに、立香は声を出すことができなかった。

 エミヤの過去に何と言えばよいのか、実際に経験しなければわからないほどの道を彼は歩んできた。今なら理解できる。エミヤの固有結界は、彼の人生そのものだ。

 これまでサーヴァントの過去を聞いたことはあったが、それらとはどこか性質が異なるように感じる。正規の英霊ではない、とはこのことだろうと理解する。

 しかし、過去がそうだったからといっても、エミヤが悪逆非道の人物には思えない。マスターである立香がすべきことは──

「エミヤは、後悔してないんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、私を裏切る?」

「それは絶対にしないと約束する。信用してもらえないかもしれないが」

「私はエミヤを信じるよ、これまで一緒に戦ってきたんだから」

 サーヴァントの『今』を見ること。英雄、反英雄に関わらず、このカルデアには様々な過去を持つ英霊が存在する。

 全員が伝承通りの人物像かといえばそうではない。立香と同じように喜怒哀楽を表現する人だと分かっている。

「エミヤも昔言ってたよね? 『サーヴァントとマスターは精神的に対等であることが望ましい』って。

 裏切った経験を後ろめたく思って打ち明けたってことは、つまり、弱さを打ち明けられる間柄だって認めてくれたんでしょ?」

 立香の言葉を耳にしたエミヤは目を丸くする。彼の予想以上に、立香は成長していた。

「……君はいずれ、最もサーヴァントを知るマスターになるだろうな」

 そう言って立ち上がったエミヤは、立香の傍まで近づくと騎士のように傅く。

「今一度、私の剣を君に預ける。君の信頼に応えよう、マスター」

「……うん、これからもよろしくね。エミヤ」

 満面の笑みを浮かべる立香につられたのか、無意識にエミヤも微笑んだ。

 

 

 そして、扉の隙間からとある人物が覗いていたことに気が付かなかった。

 

 




 ふふふ……、ますたぁ(旦那様)……

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