エミヤの淹れたハーブティーのお蔭か、再び床に就いた藤丸立香は朝まで熟睡することができた。起床した立香は朝食を摂ると、特異点Fの再調査を行うために、マシュとエミヤを連れてレイシフトするのだった。
再び訪れた炎上する街、こうなった発端の片棒を担いだエミヤは、いささか複雑な心境だった。記憶を共有していることが、却って責任を感じさせる。加えて、理由も分からずにいきなり召喚されたと言っても、傍で困惑していたマスターを守り切れなかったことに、彼は己の不甲斐なさを感じた。
だからこそ、人理修復という大義を掲げる少女を育てなくてはならない。この先、エミヤの手を借りなくてもいい日が来るように。
「────そういうわけで、マスターとサーヴァントは、精神的に対等であることが望ましい」
とはいうものの、たった一人のマスターに世界の救済を委ねるなど、おそらくエミヤ以外のサーヴァントが聞いたとしても、正気の沙汰ではないと判断するだろう。
だが、それが間違いであるとは言い切れない。なぜならば、負傷したマスター候補生達は生粋の魔術師だからだ。邪推かもしれないが、こんな状況でも彼らが一致団結して人理修復に挑むとは、エミヤには到底思えない。むしろ、一般公募から選ばれ、魔術師の価値観を持っていない立香一人に任せる方が、当たり障りのない最善の策とも言える。
しかし、この先に待つ敵の強さが分からない以上、マシュとエミヤの二人だけで立香が生き抜くことは、到底不可能だろう。幸いにも、カルデアのシステムではサーヴァントの複数契約が可能であり、戦力の増強には事欠かないが────それでも足りない。具体的な強さが分からなくとも、人理焼却を容易く成し遂げる前代未聞の脅威であることに、おそらく間違いはないからだ。
故に、サーヴァントを率いる立場にある、立香自身のマスターとしての成長が必要だった。そもそも彼女は一般人から転向した身であるため、サーヴァントのマスターとして持っておくべきだった、基本的な知識と心構えが分かっていない。これを身につけていなければ、指揮する上で取り返しのつかないミスを犯すかもしれない。
そして、教えられる側だったエミヤが、かつての
「……とりあえず、今すぐに必要なものとしてはこんなところだろう。あとは、これからの経験で補うしかない」
講座の合間に乱入してくるエネミーを倒しつつエミヤは話を続けていたが、ようやく講座の方も一段落ついたため、立香達は安全地帯で彼からの締めの言葉を聞いていた。
「うん、ありがとうエミヤ。やっぱり、知らないことだらけだったよ」
「知らなくても当然だ。むしろ、分からないと言って逃げようとせず、マスターとして成長しようとする君の前向きな姿勢は、私にとって大変好ましい」
昨晩の立香のお願い通りに、マスターとしての心構えを説いたエミヤは満足そうに呟く。その言葉を受けて反応したのは、立香ではなくマシュだった。
「当たり前です、エミヤ先輩。先輩は、ベストマスターオブザイヤーの大賞確実です」
「……そうだな」
マシュ独特の言い回しは思わず力が抜けてしまうが、そんな彼女の存在が立香の支えになっていることは、エミヤには既に理解できていた。立香とマシュ──二人の関係は、切っても切れない絆で結ばれている。マスターとサーヴァントという主従関係ではなく、相棒のような距離感。今回の講座では、それを他のサーヴァントでも実現してもらえるように促す狙いもある。
「話は変わりますが、エミヤ先輩……いえ、サーヴァント・アーチャーにお聞きしたいことがあります」
「……それは何かな?」
「なぜ、私たちに親身にしてくださるのですか?」
マシュの突然の質問に、眉を少しばかり動かしたエミヤは返答に困る。純粋な二人が危なっかしくてほっとけないから、などと正直に言っても信じてもらえないだろう。ここはもっともらしい答えを考える。
「私の指導でマスターが一人前になったら、私と契約すればマスターとして大成する、という箔がつく。そうすれば次のマスターに召喚された時、せいぜい高値を吹っ掛けられるだろう?」
「……つまり、情けは人の為ならず、ということですか?」
「まあ、そんなところだ」
わざとらしく笑みを浮かべたエミヤの答えに、マシュはとりあえず納得したらしく、それ以上は何も言わなかった。
「うーん……でも、精神的に対等って、なんだか実感がわかないなぁ」
「まあ、いずれ分かるさ。さっきも言ったが、今は英霊でも、元は生きていた人間なんだからな……」
珍しく悩んでいる立香に対してアドバイスをしていたエミヤは、言葉を途中で切ると突然眉を顰めて考え込む。
「……ああ、私としたことが、一番大切なことを言い忘れていたな」
「え? 何なの、大切なことって?」
ついうっかりしていたエミヤは、ようやく思い出して発言する。あまりにも唐突だったため、立香は面食らってしまった。
「君の右手の甲に刻まれた、『令呪』のことだ」
「それって、これのこと?」
エミヤの言葉を受け、彼に向けて令呪をかざす立香。彼女の行動を見て頷いたエミヤは、話を続ける。
「それは、サーヴァントを御するうえで重要なものだ。聖杯戦争においては、サーヴァントの瞬間的な強化やサーヴァントを自害させる、という使い方もある。……カルデアのそれは性質が多少違うようだから、ロマンに詳しい話を聞くといい」
「分かったけど、自害って……穏やかな話じゃないね」
「令呪があっても殺されることはあるし、マスターと思想で対立したから、という理由で召喚した英霊に殺されてしまっては、元も子もないからな。君がバーサーカーあたりを召喚した時、身の危険を感じたら使うことも視野に入れなければならない。尤も────」
「先輩は、そんなことしないと信じています。私も……エミヤ先輩も」
エミヤの言葉を引き継いだマシュは、そうですよね、と彼に目配せする。
「マシュ・キリエライト嬢に、おいしいところを取られてしまったな。……これは、信頼を裏切らない采配が必要だぞ、マスター?」
気を悪くするどころか、口元に笑みを浮かべたエミヤはマシュとアイコンタクトを取ると、立香に少しだけ意地の悪い問いかけをする。
「うん! これからも、カルデアに居る
エミヤとマシュの示し合わせたかのようなやり取りに、満面の笑みを浮かべた立香の答えは、どこまでも真っ直ぐだった。
そんな立香の姿は、エミヤにとって眩しすぎた。────『信頼を裏切らない』などと、どの口が言うのだか。
立香達は炎上する都市の調査を粗方終えると、今日の所はカルデアに帰還する選択を取った。次の任務つまり、レフの言っていた大規模な特異点にレイシフトとすることが、優先順位の高い案件だからだ。ここに来るのは、その任務終了後の次回になってしまうが仕方ない。
ロマニの指示を受け、帰還するために踵を返した立香達だったが。
「────っ!? ……まさかな」
「どうしたの? エミヤ?」
不意に途方もない脅威を感じ、エミヤは振り返って立ち止まる。
途中で急に止まったエミヤを心配した立香は、マシュに先を急がせると彼の背中越しに呼びかける。
「またここに来るときは、最善の用意をしてからにするぞ、マスター」
立香の呼びかけで振り向いたエミヤの言葉に、彼女はキョトンとしてしまったが、彼の張り詰めた顔から真意を汲み取り、すぐさま真剣な表情に戻す。
「エミヤがそこまで言うってことは、そうなんだね。……分かった」
少ない会話で伝えきったためかそれ以上の会話はなく、立香とエミヤの二人は再び歩みを始めた。
エミヤの予感は的中している。脅威を感じたその頃、とある城の守り手が大空洞に赴いていたのだから。
「うーん。アマゾネスを突入させようとしたのに、タイミングを逃しちゃったなあ」
モニター越しに立香達を観測していたロマニは、唸りつつ残念そうに呟く。講座と戦闘の区切りがはっきりとしていて、終始真剣な空気を出していたためか、エミヤに横槍を出せなかった。
「まあ、立香ちゃんの成長に繋がるから、結果オーライかな。……ん?」
ふとロマニがパソコンを見ると、マギ☆マリが更新されていた。
「なになに? 『サーヴァントがレイシフトできる数を増やすといいかも!』か。できないわけじゃないけど難しいなあ。……でも折角の提案だし、時間をかけてやれるだけやってみようっと」