女難な赤い弓兵の日常inカルデア   作:お茶マニア

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時系列は第一特異点より前です。


エミヤとマスターの条件《前編》

 ────少年は理想を目指した。正義の味方という届かぬ理想を、その手に掴むため。

 

 少年は荒野を歩いていた。故郷に別れを告げ、ようやく辿り着いた異国の地で、少年は歩き続けていた。しっかりとした足取りで、歩みが止まることはなかった。

 少年の為すべきことは、全ての人を救うことだった。幼い頃に義父と約束した月下の誓いが、空っぽな少年の全てだった。それは、ある戦いを通しても変わることがなかった。

 理想を実現するために、多くのものを置いてきた。かつての協力者や姉代わりの女性を始めとした大恩ある人々との縁を切り捨てた。

 少年が未練を感じることはなかった。彼からすれば、自分の行いで他の誰かが幸せになれば、自分も幸せなのだから。

 

 少年は英雄と呼ばれるために戦っていたのではなかった。ましてや、感謝してほしかった訳でもない。己の行いによって、救われた人が幸せを享受できる事実こそが、少年にとってなによりの報酬だった。

 しかし、少年の周囲の人からすれば、彼の行動は酷く異質なものに見えた。魔法のような摩訶不思議な現象を以って、縁も所縁もない他人を救う少年の姿は。

 無償の善意といえば聞こえはいいが、『その行動にはなにか裏があるのではないか』と大多数の人々は訝しんだ。こうして受け入れられない少年の信念は疑惑を呼び、人知を超えた彼の魔術は恐怖を生み出した。

 いつしか少年は、畏怖の対象とされていた。彼の意に沿わない行動をとれば、豹変して牙を剥かれるのではないか、周囲の人々は委縮し怯えるしかなかった。

 そんなある時、名も知らぬ一人の男が少年に石を投げた。殺されるのではないかと周囲は騒然としたが、少年は反応することはなかった。そんな姿を見て、相手が無抵抗であることが分かると、周囲の人々は悪意を表面化させた。石を投げつけながら、化け物と罵る、簡素で醜い行動を伴って。

 それでも少年は気にしなかった。自分に悪い所があったのだろうと思い、罵倒の言葉すら己の至らなさとして真摯に受け止めた。

 何年かが過ぎ、歩いていた少年は青年となった。見知らぬ誰かから貰った赤い外套を纏い、色素の抜けた髪や瞳を持つ姿に、かつての面影は残されていない。

 

 異端の存在を認識した時、多数が少数を排斥する。無償の善意を行う青年も、少数の例外として外されることはなかった。

 救われた人々が巡らせた策──最大の裏切りは、冤罪によるものだった。青年が止めた争いの原因の全てを、無実の青年に押し付けた。

 それでも青年は、それすらも己の力不足として受け入れた。

 誰かのためにと歩き続けた青年に待っていたのは、無慈悲な絞首台だった──

 

「────はっ!? …………ゆ、夢?」

 藤丸立香は跳ねるようにして体を起こす。おぼつかない呼吸をしながらも枕元の時計を見れば、夜の十二時を回ったところだった。夢見が悪いとは、まさにこのことだろう。一度思い切り深呼吸すると、ようやく落ち着いた頭で先程までの夢を整理する。

 少年の姿に見覚えはなかったが、成長して青年となった姿には見覚えがある。しかしその変遷は、言われなければ気付くことができないほどに劇的なものだった。裏を返せばある少年(おとこ)の生涯の一部、その晩年を断片的に見ていたことになるが、今も立香の胸中には青年を罵る人々への怒り、報われない行いをする青年への言葉にできない想いという、相反する感情が押し寄せている。

 ふと、頬の濡れた感覚に手を当てれば、立香はいつの間にか涙を流していたことに気付く。すぐさま傍にあったタオルで拭ったが、どんよりとした立香の心は晴れなかった。

 いっそのこと眠って気分を切り替えたいところだが、曲がりなりにも睡眠状態から覚醒し、完全に起きてしまったためこのまま眠ることは容易ではない。

 ────少し歩いてこよう。

 着替える手間を惜しみ、寝巻のままベッドから這い出た立香は部屋を後にした。

 

 深夜のカルデア、その廊下を立香は歩く。職員達も寝静まると昼間の明るい印象はここになく、言葉にし難い寂寥感に苛まれる。いつもは立香の隣にいるマシュも、自室で就寝しているはずだ。

 歩きながら、なぜあの夢を見たのだろうという疑問を立香は抱く。寝ている間に夢を見たことがない訳ではないが、先程の夢は妙に現実味を帯びていた。さっきまで見ていた夢の内容が、実際にあったというなら──

 そんな考え事をしていた立香は、あることに気が付く。

「……あれ? 食堂の電気がついてる。こんな時間に誰かいるのかな」

 立香の目に留まったのは、食堂の扉の隙間から漏れる光だった。消し忘れの可能性もあったが、扉越しに物音が聞こえてくる。強盗のような物騒な人間が居る、などと立香は思っていないが、万が一のことを考えて中を確認することにした。

 音を立てないように扉を少し開け、眩むような光を耐えて中を見るとそこには──

 立香が初めて召喚したサーヴァントであるアーチャー──エミヤが、エプロンを付けて作業していた。手元はカウンターで見えないが、十中八九料理関係だろうと立香は推測する。

「そこに立っていないで、入ってきたらどうだ? マスター」

 思いもよらぬエミヤの突然の呼びかけに、立香の心臓は飛び出そうなほどに驚く。声を出さないよう口元に手を当ててこらえたが、正体がばれている以上、そもそもそんなことをしなくてもよかったと思い至る。

「ごめんね。……もしかして邪魔しちゃった?」

「いや、明日の仕込みはもう終わったのでね。むしろ、こんな時間に徘徊する方がいただけないな」

 扉を開けて謝罪する立香に対し、口元に笑みを浮かべたエミヤは立香の行動を窘める。その過程でエミヤの言葉から、一人で食堂を切り盛りできていた秘密と食堂の扉から光が漏れていた理由が明かされている。 

「……うん。そうだね……ごめん」

「まあ、座りたまえ。少しばかり、私と話をしてくれ」

 無意識のうちに、決まりの悪そうな表情を作って立香は返答する。それを見たエミヤは、立香の異変を感じ取って引き留める。

 立香が近くのテーブルに座ると、エプロンを外したエミヤは二つのカップを持って立香の対面に腰掛ける。

「ハーブティーだ。寝る前に丁度いい」

 片方のカップを差し出したエミヤは、もう片方のカップに口をつけている。促された立香も両手で持つと、少しずつカップを傾ける。

 ハーブ独特の香りと癖のない味が口内を満たし、嚥下すると立香はほっと一息つく。

「さて、何かあったのだろう? 良ければ、話してみてはくれないか?」

 立香が落ち着くのを見計らっていたのか、丁度良いタイミングでエミヤは話を切り出す。

「……夢を見たんだ。エミヤの夢を」

「そうか……なるほど」

 カップを置いて答えた立香の言葉に心当たりがあったのか、張り詰めた顔のエミヤはようやく合点がいった表情を作る。

「君の見た夢は、サーヴァントの生前の姿だ。契約したマスターとサーヴァントは、お互いの過去を夢に見ることがある」

「そうなんだ……でも、マシュも居たのに」

「マシュ嬢もサーヴァントである以上、その可能性はあった。だが、デミ・サーヴァントという特殊なサーヴァントだから、私の方が優先されたのかもしれん」

 エミヤは立香の身に起きた異変を懇切丁寧に解説する。

「マスターは、今後もサーヴァントを召喚することがあるだろう。そして、召喚した人数分の夢を見ることになる」

 エミヤの言葉が終わると、しばらくの間ハーブティーを啜りつつ無言でエミヤの回答を反芻していた立香は、今一歩踏み出す勇気がなかったために抱えていた疑問をようやく切り出す。

 あの夢がサーヴァントの生前というなら、その時の心情は本人から聞くしかない。

「エミヤは……後悔しなかったの?」

 問いかけの言葉は簡素なものだったがその反面、これが最適な量であると直感的に理解できた。

「……後悔しなかった、と言ったら嘘になるが、今は後悔していない」

 エミヤは一言で回答した。これ以上は答えないのか、多くを語ろうとはしなかったが──

「今はこれしか言えないが、君が成長した時には、必ず詳細を明らかにすることを誓う」

 もう一言だけ付け加えた。

 エミヤへの疑いなど一片たりともないからこそ、立香はその言葉を信用した。空になったカップをテーブルに置くと、エミヤにお願い事をする。

「なら、明日の調査中にマスターの心構えについて教えて。ドクターロマンは、なかなか教えてくれなくて」

「……分かった。それと、そろそろ眠った方がいいな。カップは置いたままで構わない」

「うん。一人前のマスターになってみせるよ、エミヤ。じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみマスター。今度はいい夢を」

 挨拶を交わすと立香は食堂から出て行こうとした。

「────すまないマスター、最後に一つだけいいかな?」

「ん? なに、エミヤ?」

「君は、マスターになって後悔していないのか?」

 呼び止められて振り返った立香に、エミヤは疑問を投げかける。

「うん。自分で選んだことだから」

 立香はきっぱりと言い切った。後輩の手を取り、死の運命に瀕した出来事を後悔していない、と。

「マシュの心を守れたし、エミヤにも会えたから」

 それだけを言い残し、今度こそ食堂を去る立香。エミヤはその後姿を眺めながら、懐かしいものを見るような眼差しで見守っていた。

 

 




 古今東西の英雄がサーヴァントとして召喚されるけど、エミヤはどこの英雄なんだろう。
 この疑問を明らかにするためにも、エミヤに一人前だと認めて貰わなくちゃ。

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