女難な赤い弓兵の日常inカルデア   作:お茶マニア

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エミヤと黒白のパラディオン

 薄暗い教会に一人の少女が打ち捨てられていた。

 際どい恰好の体は満身創痍で、手を動かすだけでも精一杯だった。さらに記憶も操作されており、己が何者かすら理解できていない。

 不幸中の幸いと言うならば、彼女の痛覚が鈍いことだろう。激痛にのたうち回ることもないが、現実に繋ぎ止める楔の一つが存在しないということでもある。

 このまま朽ち果てるのだろう。しかし、朦朧とした意識の中、諦観する少女の胸中に強く残るものがあった。

 どこにでも居そうな茶髪の少女とその彼女に付き従う赤い外套の騎士。

 ふと浮かんだその光景が何を意味するかは分からない。だが最後の力を振り絞り、袖に隠された右腕を天高く伸ばす。

 不思議なほどに、言葉が自然と口を突いた。

「助けて……アー……チャー」

 意味不明な言葉の羅列を、消え入りそうなほど儚い声で紡ぐ。状況が変わる訳ではなく、気休めの言葉に過ぎない。

 そして、これで思い残す事は無くなった。不思議と満ち足りた気持ちで、瞼を閉じようと力を抜く。

 だが、少女の切なる祈りが天に届いたか、教会の扉が音を立てて開け放たれた。

 

 そこに居たのは、夢で見た赤い外套の騎士だった。

 

 

 カルデアに召喚されてから、エミヤは幾度となく摩訶不思議な体験をしてきた。その数も今では、生前に負けず劣らずの回数となっている。その発端である藤丸立香のトラブル体質に同情しつつ、彼は彼女の助けとなってきた。

 しかしながら、見知った顔の見てはいけない光景に出くわすなど初めての経験だった。

 メルトリリスと相対して、エミヤは他人事のようにそう思った。

 自室に戻ったエミヤが目の当たりにしたのは、メルトリリスが彼の枕に顔を埋めている姿だった。それを見ると、一歩踏み出した状態で呆然と立ち尽くすしかない。

 彼が発した物音に気付いて顔をあげたメルトリリスは真顔になったが、立ち直るのは早かった。

 未だ呆気にとられるエミヤを尻目に、床を滑るように接近し、計算された軌道で華麗に宙を舞う。そして、本能的に受け止めようと伸ばされたエミヤの腕に収まった。

「ふふふ、会いたかったわアーチャー……いえ、シロウだったわね。酷い人、ちゃんとした名前があるじゃない」

 何事もなかったかのように振る舞う彼女を見て、エミヤは疑問を飲み込んだ。

 嗜虐的な笑みを浮かべる少女に、知られてはならない秘密(なまえ)を知られている。当たり前のように真名を呼ばれているが、第五次聖杯戦争の時ではありえないほどに迂闊だった。

 訂正するのを諦め、真名の情報漏洩への対策を疎かにしたエミヤに責任がある。

「生憎だが人違いだな。君の知る私と目の前に居る私は別人だ」

「それなら残念ね、私は細かいことを気にしないの」

「……そうか。ああ、分かっていたさ」

 形ばかりの説得もやはり空振りに終わる。彼はそう思うものの、効果があったためしがない。

 思い返せばメルトリリスは女神の集合体、並行世界の別人程度の誤差は気にするほどの事ではないのだろう。無論、先程の彼女が見せた失態も同様だろう。

「それでこの状況に説明がつくと良いのだが。私にはさっぱり分からなくてね」

 現在のエミヤは、両腕でメルトリリスを抱きかかえており、さながらお姫様扱いをしていた。

 遠回しに話題を振って行動がはしたないと窘めているが、抱き止めるという選択をしたエミヤにも多少の非はある。人の事を言えない。しかしながら、性格を把握したうえで行動したメルトリリスの思惑通りでも、エミヤ本人はそれを後悔していない。

 彼の胸中を知ってか知らずか、メルトリリスの態度は変わらなかった。

「心外ね、私達の間に何もなかった訳がないでしょ? あんなに濃密な時間を過ごして、私の大切な(もの)を奪ったのに」

「奇妙なものだ、些か記憶に齟齬が生じたらしい。何を奪ったかは知らないが、強いて言うなら命の奪い合いだったはずだと……いや、何でもない」

 熱を帯びた視線を向ける彼女に、呆れながら答えようとした。しかし、あと一歩のところで踏みとどまる。

 自分から別人だと言っておきながら、思わず失言しそうになった。うっかりには気を付けなければならない。

「せっかくの再会なんだから、もう少し喜んでほしいものね。それとも……私の顔なんて、もう見たくなかったの?」

 対する演技派なプリマは、一瞬にして儚げな表情を作る。それが本心かは定かではないものの、エミヤには突き放すことができない。

 彼はため息を一つ吐くと、抱えたままソファに腰を下ろす。

「まったく、そんな言葉をどこで覚えてくるのか。

 ああ分かった、降参だ。まったく……毒気が抜けるとここまで違うか」

「どういう意味かしら」

「存外、可愛らしいということだな」

 エミヤの素直な言葉を聞いて、メルトリリスは思考が止まる。

 かく言う彼は、メルトリリスの変化に驚いていた。最初に会った時と比べて、毒も薄く、棘も無くなり、雰囲気が柔らかくなった。

 交友関係の筆頭がキャスター(メディア)というのが不安の種だが、カルデアでの交流はメルトリリスに良い変化をもたらしていたようだと確信する。

「これだからドンファンって呼ばれるのよ。それを分かっていないのかしら、本当に不愉快だわ。素でこれなら天然の女たらしじゃない」

 メルトリリスは、頬を上気させながら聞こえないように呟いた。

 

 

 メルトリリスは、絶望に屈しそうだった。

 ビーストとして覚醒した魔性菩薩──殺生院キアラは魔神柱ゼパルすら取込み、圧倒的なまでの力を有していた。それは決して名ばかりではなく、呆気ないほどに、藤丸立香の命を容易く奪った。

 エミヤは、拘束されたままのパッションリップと満身創痍のメルトリリスを庇いつつ、予想外の権能に己の無力さを噛みしめながら、尚も立ちはだかっていた。

「怖い顔をしていますね。ですが安心なさってください。貴方も私の中に取り込んで差し上げます」

「ほう、内側から食い破られるかもしれんぞ」

 弓兵は虚勢を張るが、目の前の女に効果はない。月の聖杯戦争における無銘の記憶を閲覧されたことで、戦術も性格も知られていた。

あの男(アンデルセン)の不在、歯止めが効かないとこうまで変わるか。

 ……君に策はあるか?」

 背後の少女に弓兵は問いかける。

「ええ、たった一つだけあるわ。勿論、あの女が待ってくれるという前提が必要だけど。

 今が駄目なら、もう一度やり直せばいいのよ」

 エミヤはその言葉の意味を瞬時に理解する。やり直しと聞いて似たような経験を思い出したからだ

「成程、何とも皮肉なものだな。否定された手法に頼らざるを得ないとは。

 時間稼ぎならば私が引き受けよう。数秒くらいは持ち堪える」

「……本気なの?」

 メルトリリスの懸念は尤もだった。今のエミヤは回復手段を持っていない。あろうことか、奥の手を瀕死のメルトリリスに与えていたからだ。もし仮にあったとしても、勝てると言う確証はない。

 彼を突き動かすのは、己の想定が甘かったために結果としてマスターを死の淵へ追いやった事実。命を懸けるのは自分だけで良かったエミヤにとって、それが一番の後悔だった。

 死に場所を決めた弓兵は、さらに一歩前に出る。

「手がない以上、君を信じる他あるまい」

 

「────後は頼む」

 

 背中越しに見せた横顔は、岸波白野という少女に向けたものと同じだった。メルトリリスが、見ることができないと諦めていた顔だった。

 もう、言葉を交わす暇はない。

 飛び出したエミヤが防御に回る一瞬の隙に、跳躍したメルトリリスはパッションリップの鍵爪に着地する。背中を追うように向けた彼女の目は、必死に足掻きながらも魔神柱の触手に貫かれるエミヤの姿を映していた。

 メルトリリスの胸中を察することなく、それを為した魔性菩薩は余裕を見せる。人類の希望と、邪魔立てする英霊を葬ったのだから当然の事だった。斃した二人を吸収すれば、有用な栄養源もなる。

 故に、身動きの取れないパッションリップと軽傷のメルトリリスが何をしようとも対抗する術がある。

 それが、唯一の慢心だった。

 メルトリリスの意図を察したパッションリップが彼女を打ち出す直前、メルトリリス達の体が光に包まれる。

 何事かと原因を探るキアラの目が捉えたのは───既に斃した筈の立香だった。

 致命傷による激痛に顔を歪めながらも、気力を振り絞り、未だ折れない瞳でキアラを見据えていた。力の込められた彼女の右腕──その甲に令呪は残されていない。

 その意味をキアラが認識すると同時に、振るわれた腕からメルトリリスは空へ飛翔する。立香もエミヤもこの世界すらも置き去りにして、光速に至った彼女は時を貫く。

 強化された力が抜け落ち、貸し与えられた宝具も星の内海へ還ってゆく。

 彼らと出会い、紡いだ時間が消えてゆく。

 

 それでも──繋いだ心だけは離さなかった。

 

 助けを借りて過去に戻ったメルトリリスは手筈を整えていた。今度こそキアラを倒し、未来を取り戻す。その一心だった。

 そしてもう一度、エミヤにあの顔を向けてもらいたい。忘れようと心の奥に仕舞い込んだはずの想いが再燃し、それが二度目の恋になったと彼女は自覚していた。だが過去に戻ったことで、その時間軸におけるエミヤとは初対面になっている。過去の自分を抹消した後味の悪さを胸に残しながら、彼との再会を待つばかりだった。

 結果から言えば、出会えるには出会うことができた。しかし、メルトリリスの心情とは裏腹に、出会ったのは少し違う(オルタの)エミヤだった。

 それでも、彼は正真正銘エミヤだった。

 キアラに囚われ、体を奪われそうになった時、何かのついでかもしれないが、死体に鞭を打った状態で救ってくれた。

 彼の性格を考えれば、メルトリリスごとキアラを倒す方が確実だっただろう。なのにそうしなかった。メルトリリスが少しばかり勘違いしてしまうのも無理はない。

 別れを告げる暇はなかったのが、メルトリリスの心残りだった。

 

 

 エミヤの腕の中で、メルトリリスは思い返していた。本来ならこの記憶は残らないはずだったのだが、なぜか覚えている。

 おそらくは、あのBBの仕業だろうと推測していた。

「気が済むまで待とうと思っていたのだが、なかなか飽きが来ないものだ。私の腕にも限界がある」

 エミヤは呆れた様子で竦める。

「ダメよ。もう少しだけ我慢しなさい」

 そんな彼の顔を見上げながら、メルトリリスはいつになく上機嫌だった。

 

 




 本当に不愉快だけど、そんな気障な所も嫌いになれないの。仕方がないから、膝で突くのは勘弁してあげる。

 また掴めたアナタの手を、今度は離さないから。





 キアラは、メルトリリスが消失した点を見つめていたが、すぐに視線を元の位置に戻そうとした。
 あの行動が時間遡行であることは推測できており、SE.RA.PHの掌握は時間の問題である以上、それすらも意味を成さない。残ったパッションリップと立香達の亡骸を取込み、直ぐに追跡すればいい。
 そう思って、眼下を見た。
「────ッ!?」
 そして、キアラは初めて動揺した。
 気付かぬうちに、見知らぬ来訪者が立香の傍らに居た。一番の問題は出現を察知できていないことだ。
 だが落ち着いて考れば、最上位の英霊ですら歯が立たない存在の自分が何を恐れるのかと思い至る。
「……オレの柄じゃないが、敵討ちくらいはしてやるよ。安心して眠りな」
 キアラの目には、赤いジャケットと白い着物が重なって見えた。


               ── Sword, or Death ──
                   【MONSTER】


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