──腹立たしい。
一目見れば不機嫌だと分かるほど、ジャンヌ・オルタは煮え切らない想いを隠そうとしなかった。
その原因は、先程出くわしたアルトリア・オルタに自慢話をされたからだ。霊基を
そこまで仲が悪い訳ではないが、お互いに我が強く、何かと反りが合わない。だからこそ、ジャンヌ・オルタはアルトリア・オルタに言われると無性に腹が立つ。さらに、赤い弓兵が話題に出たことも拍車をかける。
当人には言ったことがあるが、たとえ成り行きだったとしても、紛い物の自分を認めてくれたことが、ジャンヌ・オルタは嬉しかった。好かれる要素のない、負の感情をぶつけられて当然の存在だと思っていたのに、ジャンヌ・ダルクを越えるという
そしてそれは、いつも通りの彼女ならば一笑に付すような企みに手を貸すことを良しとした。もっと素直になれる(かも)という甘言にのってしまった。
相談する参謀が居れば、踏みとどまることができただろう。この後の出来事を未だ知らぬジャンヌ・オルタは、翼の生えた杖が差し出した薬を一気に呷った。
二度目の
一年前のこの時期とは異なり、最近のカルデアは空気が少し重かった。それもそのはずで、先日ついに七つ目の特異点へのレイシフトが可能になったからだ。魔術王の言っていた最後の特異点ということもあり、カルデアの面々は決戦の時を実感していた。
さしもの立香も緊張を隠せない。五つ目の特異点、北米の戦いからその片鱗はあったが、修復の難易度が格段と上がっている。行先は古代のウルク、キャメロット以上に何が起こるか分からない紀元前、魔術王が直々に聖杯を送りこんだという唯一の特異点でもある。その事実が改めて重くのしかかっていた。
もしかすると、過去の立香は楽観視していたのかもしれない。このままならば世界を、抹消された人類史を取り戻せると。
持ち前の明るさが翳るほど、立香の心は張り詰めていた。その緊張を取り払うために、古今東西の英霊達は、彼女に楽しい時間を送ることにした。
今回のクリスマスの主催は、他でもない英霊側だった。召喚の機会を与えてくれて、楽しい時間をくれたマスターに、今度はお返しをしたいという声が上がっていた。
その甲斐もあり、立香はいつも通りのマスターに戻ることができた。
正確に言えば、パーティー前日の出来事もその一因だった。
「エミヤさん!」
弓兵が呼ぶ声の方へ振り向くと、聖夜に相応しい装いの少女が近づいていた。
この少女は、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ、ジャンヌ・オルタの在り得ない過去の姿である。何も聞かずに薬を呷ったジャンヌ・オルタは、
その後に捕縛された
「ジャンヌ・リリィ、私に何か用でもあるのか? 重い荷物があったならそちらに行こう」
「いえ、そうではなくて。その、お片付けが終わってからなんですが、この後……お時間はありますか?」
「すまないな。この後には先約が入っていてね。嬉しいのだが、その誘いは受けられそうにもない」
「大丈夫です! 論理的に考えて、黒い騎士王さんにお話しは通してあります」
先刻、アルトリア・オルタの元へ向かったジャンヌ・リリィは、黒の聖剣を構えた彼女に謝罪しながら時間を譲ってほしいと懇願していた。決意の程を確かめるかのように、目の前へ聖剣の切っ先が振り下ろされたが、驚きを堪えながらも少女は視線を逸らさなかった。
そして、その強い意志に黒き騎士王は根負けした。サンタが子供の願いを叶えることは当然のことだと、ジャンヌ・リリィにそう言った。
「やはり……ご迷惑ですよね。エミヤさんはお忙しいですから」
エミヤはいろいろと驚いて反応が遅れてしまった。返答までの間から、断られると考えたのか、リリィの表情は一転して不安の色に変わってしまった。
「私としたことがすまない、心配には及ばんさ。君からの願いを断るなど、それこそ無粋というものだ」
その言葉を聞いた少女は、見た目相応の笑顔で喜んだ。
立香に事情を話すと、二人は食堂を出た。
空と
その景色を眺めつつ、エミヤジャンヌ・リリィは、波打ち際に佇んでいた。
「……二回目でもこんなに色鮮やかに見えるなんて、私は知りませんでした」
「そうだな。忘れられぬ光景とはそういうものだ。私にも覚えがあるよ」
ジャンヌ・リリィは危うい存在だった。というのも、彼女の存在が希薄であるからだ。
願望によって生み出された英霊の存在しない過去の姿は、ほんの少しの揺らぎで世界から容易く掻き消えてしまう。最悪の場合、ジャンヌ・オルタの霊基諸共、カルデアから消失していた。皮肉にも、人理崩壊という異常が辛うじて支えていた。
消滅を防ぐ為、幼い少女は咄嗟にサンタという肩書に頼った。自分が有用な存在であると、必要とされる英霊であると証明するために。歪んだ存在でも誰かの願いを叶える存在になりたいと、本心を内に秘めていたからだ。
だが、子供の願いを叶えるサンタを、子供が代行するのは矛盾していた。期間限定で願いを叶えてもらう。それが子供の立ち位置だった。
その誤まりを理解してもらい、本当の願いを引き出す。
落ち込み気味だった立香は、自分以上に困っている人が居る実情を把握すると、己を奮い立たせて一計を案じた。英霊の力を借りて成し遂げ、引き出された願いは、『海を見たい』という素朴なものだった。
しかし、その光景を見たジャンヌ・リリィは、人目を憚らず涙を流した。その涙は、彼女がジャンヌ・ダルクである証左だった。
子供であると自覚したリリィは、『此処に居たい』という望みを立香に伝えた。
それに応えぬ
サンタをよく知る謎の男、『サンタム』として参戦したエミヤは、奇跡的な光景を感慨深く見守っていた。
「予てから一つ気になっていたのだが……」
突然の呟きに、ジャンヌ・リリィはエミヤの顔を見た。
「なんですか? もちろん遠慮はいりませんよ」
「では失礼して、なぜまたこの景色を見たいと思ったのかね。私なぞも誘ってな。些か風情がありすぎて、二人きりでは逢瀬とも間違われかねん」
それを聞いて不満に思ったジャンヌ・リリィは、頬を膨らませて抗議した。
「もうっ! 論理的に考えても分かるはずだったのに。答えなきゃいけないんですか?
……エミヤさんの言った通りです」
「…………すまない。失言だったようだ」
甘え方を知らなかった少女は、日夜勉強していた。それを汲み取れず、今一歩、己の評価を上げられない男は、明後日の方向に目を向けた。
「ジャックとナーサリーに聞いたんです。自分の気持ちを伝えるにはどうすればいいのか、私には分かりませんでしたから。
やりたい事は無いのかって聞かれて、その時に浮かんだんです。貴方と二人で、この景色を見たかったと。理由までは分かりませんでした。でも、成長した私を見てようやく分かったんです。傍で同じ時を過ごしたいのだと」
かつてはナーサリーとジャックにも『さん』付けだったが、すっかり仲良くなったらしい。
「それは光栄な話だな。気の迷いでなければの話だが」
元は一人だったが、ジャンヌ・オルタとジャンヌ・リリィの二人に分かれても、好意のベクトルは変わらなかったらしい。だが、願いを持つ彼女の輝きは、願いを持たなかったエミヤに眩しすぎた。
「本当ですからねっ! 最初から私の事を見守って、背中を押してくれた貴方だから、こうしてお願いしたんです」
薬を飲んで幼くなったジャンヌ・オルタが初めて出会ったのは、偶然通りすがったエミヤだった。「……まさかとは思うが、君はジャンヌ・オルタか?」という一言から、立香主導の小さな旅が始まった。
ただ、リリィの言葉を聞いてもエミヤは素直に受け取れなかった。エミヤは、サンタとして導く師匠役は不適格だったと理解している。もしもの話では何も始まらないが、サンタが本当に聖人君子だったのかと、逆の視点で意見する立場が必要だった。しかしながら、エミヤに最も近く、最も遠い人材は、このカルデアには居なかった。
「でも、お願いしてばかりではいられません」
「……驚いたな。それは一体どういう意味かな?」
「『賢者の贈り物』という物語がありますよね。私はあの夫婦の選んだ贈り物が不適切だと思っていました。でも、違ったんです。二人がお互いを理解しているからこそ、適切な贈り物を選ぶことができたんです。
だから、私は貴方の事をもっと知りたいです。サンタとしてだけではなく、私自身が貴方のお願いを叶えたいんです。ダメですか?」
見上げながら心中を吐露するジャンヌ・リリィは、感情の高ぶりで瞳が潤んでいた。決して軽くはない思いの丈は、エミヤにちゃんと届いていた。
「……時間は少ないが、それでもいいなら話は別だ。
ただ、私は願いのない男だがね」
その会話を最後に、二人はまた海を見た。
その日のうちに、ジャンヌ・オルタに二人きりで海に行ったことがバレて、結局三回も来ることになるエミヤだった。
もしダメだと言われても、論破して見せますから。
サンタさんの相棒は、