女難な赤い弓兵の日常inカルデア   作:お茶マニア

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エミヤと天空(冥界)の神

 一人になってしまった(ファラオ)には、本心を吐露する機会がなかった。

 

 閑散とした食堂で一人、エミヤは夕食の仕込みをしていた。人の輪の中に居ることは彼にとって嫌という訳ではないが、無意識の内に一人になってしまう。多少改善された相手の気持ちを受け取ることとは、また別の問題だったからだ。

 ただ、このカルデアで一人になることは難しい。

 エミヤがふと視線を感じて入口の方を見ると、褐色肌の少女が目に映った。その人物は、こちらの様子を窺うかのように半身だけを現しており、目線を逸らしているその姿から、どうやって弓兵に声を掛ければよいのか戸惑っているようにも見えた。

 正体に見当はついている。エジプト由来の薄着と頭に付けられた特徴的な飾りを見る限り、女王ニトクリスに間違いはない。

 お互いに動きがなく、膠着状態では埒が明かない。この現状を打開するため、一計を案じたエミヤは、未だ接近に気付いていないほど悩んでいるニトクリスへゆっくりと近づく。

「──失礼。女王自ら御足労願えると思わなかった。我が身の非礼を許していただきたい」

 膝をついて頭を垂れつつ、なるべく驚かせないようにしたのだが、ニトクリスは小さい悲鳴を上げると恐る恐るエミヤを見上げる。しかし、その直後にハッとした様子で態度を直した。

「……(ファラオ)に対する不遜な物言い、本来ならば不敬に値します。……ですが、今回はその殊勝な態度に免じて赦しましょう。

 ただ……相談というか、意見を聞きたかったというだけですからね」

 言葉だけならば威圧的だったが、口調からは怒りが伝わってこなかった。思わぬ事態にならなくて良かったと、エミヤも安堵した。

「そういう訳なら、立ち話するわけにもいかない。席まで案内しなければな」

 

 話があるのなら、飲み物はあった方が良い。そう考えたエミヤが紅茶を淹れて戻ってくると、ニトクリスは食堂の椅子で思案顔をしながら座っていた。何かに悩んでいるということは、弓兵の目にも明らかだった。とりあえずカップを差し出すと、女王は手に取って口に運ぶ。

「……これが紅茶というものですか。初めて飲みましたが、芳醇なものですね」

「こちらで癖のないものを選ばせてもらった。お気に召したのならば何よりだな」

 一口で大きく表情を変えたニトクリスの様子を見て、エミヤはほくそ笑んだ。

「先程までの殊勝な態度はどこに行ったのです? まったく、貴方は貴方で変わりませんね。それが少しだけ羨ましいです。…………いや、私は何を言って!? ──い、いいですか、先程の発言は直ちに忘れなさい」

 慌てて訂正するニトクリスは口が滑ったのか、はたまた知らない仲ではないからこそ自然と口を突いてしまったのか。どちらにせよ、独り言は自らの意志ではなかったらしい。

 焦りながら要求を通そうとする彼女には申し訳なかったが、悩みの種がそこにあると予想したエミヤは敢えて追求することにした。

「さて──どういう意味かな?」

「うう……どうしても忘れないつもりですか。

 こうなれば仕方がありません。同盟者──立香のサーヴァントだからこそ特別に話すのですからね、心して拝聴しなさい」

「案ずることはない──無論そのつもりだ」

 今まで立っていた弓兵は、ようやく対面に座り腰を据えて女王の話を聞く姿勢に入った。

 心の準備のために機会を窺っていたニトクリスは、一度深呼吸してから話し始めた。

「私の経歴についてはご存知でしょう。ファラオ・オジマンディアスのように後世まで伝わる輝かしい偉業を為したわけでもなく、ファラオ・クレオパトラのように国と最期を共にしたわけでもありません。生前に為したことは、兄弟の敵を討つための復讐だけでした。

 神へ至る者の称号をあまつさえ復讐の道具にした私は……(ファラオ)に相応しくないのです。だからこそ、どの世代の(ファラオ)にも劣っています」

「疑っているわけではないが、必ずしもそうとは限らないだろう?」

「いいえ、私が英霊として座に至った時点でその証明になっています。(ファラオ)でありながら死者復活の準備を怠り、自ら永遠の国に至る権利を手放したのですから。……早とちりしてしまうのも、生前の行いが祟ったのでしょう」

 エミヤの問いに対して、ニトクリスは王として相応しくないと(かたく)なに否定した。だが、彼はそう思えなかった。

 山の翁の一団に攫われていたところを救出して、初めて顔を合わせた際、目を覚ましたニトクリスは立香一行が誘拐したのだと早とちりしていたが、誤解が解けてからは立香が砂漠を移動する度に助力を惜しまなかった。

 オジマンディアス王との謁見後に食料を分けてくれた時は、ささやかな忠告を伝えてくれたし、ランスロットの一団に追われていた時は、魔術による幻影で相手の気を引いてくれた。

 そもそも、オジマンディアス王の勢力は獅子王と拮抗していて、当時はまだカルデア側と協力関係でもなかった。第三勢力である立香達への支援は、オジマンディアス王に仕えていたニトクリスの立場を悪くする可能性があった。

 つまり、少し交流しただけで見ず知らずの他人だった立香達に情が移ってしまうほど、ニトクリスは情に厚い女性なのだ。そして情に厚いからこそ、親しい相手の命が奪われれば苛烈なまでの負の感情を抱いてしまうのだろう。

 ある言葉で表すのなら、情けは心の贅肉と言えるのかもしれない。でもそれは、不必要なモノではないはずだ。この言葉を投げかけた本人ですら、心の贅肉を捨てることはできなかった。だからこそ、エミヤシロウは一度目の死から生還できた。

 そして、一番の気がかりは他にある。

「……私は誇りのない身だが、一つ聞かせてほしい。君は──(ファラオ)になったことを後悔しているのか?」

「──へ?」

「先程、君は自分が相応しくないと言っていたが……それは真実だろうか? ニトクリスという女王は存在するべきではなかった、と」

 手を組みながら鷹の眼を向けて問いかけるエミヤに対し、ニトクリスは完全に不意を突かれていた。

 直ぐに返答する事は無く、熟考しているのかしばらく沈黙していたが、そう長くはなかった。彼女の持ち前の聡明さで冷静になると、弓兵と視線を合わせて答える。

「そのようなことを聞くとは不敬です……と言いたいところですが、貴方にそう言われても仕方がないでしょう。ですが、(ファラオ)になったことだけは後悔したことがありません。どんなに無様な末路であったとしても、王であった事実は我が誇りです。

 ……しかし解せませんね、なぜそう思ったのですか? 後悔しているなどと……」

 今度はニトクリスが質問する番だった。察しの良い彼女ならば、そう来るのは自明の理だった。

「つまりは簡単な話だ。私は英雄になったことを後悔している……いや、後悔していた」

「……過去形なのですね」

 ニトクリスは言葉尻に隠された意味をしっかりと捉えた。それを覚ったエミヤは話を続ける。

「ああ、私はやり方を間違えていただけだった。ただ、君のように最初から後悔していないと言えればよかったのだがね」

 そう言いながら遠くを見るエミヤの姿を見たニトクリスは、自然と腑に落ちる物があった。彼も、似たような考えを抱いたのだろうと。そして、解決された悩みを深く掘り下げる必要はないと判断した。

「やはり、いらぬお節介だったようだな。あの男(カルナ)の言葉が身に染みる」

 エミヤは破顔すると体の力を抜いて緊張を解く。思い悩んでいるのではないかという心配は杞憂に終わったからだ。

「ですが、後悔はしていなくても王として未熟であることに変わりはありません」

「それについては私も分からない。まあ、君が(ファラオ)として失格だったのであれば、オジマンディアス王が黙ってはいないだろう。違うかな?」

 そう言われたニトクリスは、特異点でオジマンディアスに仕えていた時のことを思い返した。提言を揶揄われることはあっても、最期まで仕えさせてくれた。王を守るために我が身を冥府に差し出そうとすれば止めていた。最初から、彼の王はニトクリスの本質を見抜いていた。彼女を(ファラオ)であると認めていた。そうでなければ、傍に置く事は無かっただろう。

 私事かつ些末事で手を煩わせたくないと天空の神は尻込みしていたが、太陽を自負する王には、悩みなどお見通しだったのかもしれない。

「さて、私も口が過ぎたようだな……気に障ったのならば謝罪しよう。不用意な発言だった」

「──いいえ、むしろその逆です。今日は話しに来てよかったです。今まで見落としていましたから」

「それなら私としてもありがたいのだがね」

 劣等感に苛まれていたニトクリスの顔は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。

「恩赦を与えるべきですね……あの……また誘ってくれてもいいんですよ?」

 王としての威厳を保つため言葉を選んでいるニトクリスのお願いに、エミヤも彼女の真意を察する。

「成程。僭越ながら、次回も女王の時間を頂戴してよろしいかな?

 その時には菓子の一皿でも献上しよう」

「……! ええ、大いに構いません。正直に言えばとっても嬉しいです。次回も貴方の働きに期待しますよ……エミヤ」

 

 喜んでもらうため、期待に応えようと胸に刻む弓兵だった。

 

 




 王として未熟なれば精進あるのみです。
 私に必要だったのは、気心の知れた友人と背中を支えて押してくれる臣下でした。同盟者……いえ、立香が信頼していた理由も分かります。
 永遠の国に至れずとも、兄弟の安寧をここから祈りましょう。

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