今回の談合を無事に迎えることができた。それは即ち、一つの特異点を修復できるほどの時間が経っていることでもある。知らぬ間に早く過ぎたことを、立香は身を以って実感していた。
もはや懐かしい記憶を思い返せば、魂が監獄に囚われたり、レイシフト早々流れ弾で負傷したりと、ただならない事態に陥ったこともあった。
その一方で、悠長にそんな感想を抱いている場合ではないということも分かっている。魔術王の配置した聖杯は、五つを回収して尚まだ二つも残っているのだ。カルデアに与えられた猶予は残り半年しかない。2015年以降が失われた人類の歴史は──
「表情が険しいです……何か考え事をしているのですか、マスター?」
そこまで深く考えていた訳ではなかった。呼びかけに意識が向き、聞き覚えのある声に気付くと、俯きがちだった立香は一瞬で顔をあげる。
彼女の思考を断ち切ったのは、心配そうな顔をしている頼光の声だった。
「あ……ご、ごめんなさい、頼光さん。少し考え事をしていて……」
「母と呼んでも構いませんのに。ですが……今はさておくことにしましょう。
差し出がましい物言いをお許しください、気負い過ぎては己の為になりませんよ。いつの日か、マスターが無茶をするのではないかと……母は……今から心配になってしまいます」
「頼光さんの言う通りね。私たちが居るんだから、貴方は一人でそんなに悩まなくてもいいのよ。……あの人みたいに……ね」
一言も説明するまでもなく、何で悩んでいるのか簡単に看破されてしまった。
今更になって大事であると認識し、無意識に重く受け止めていた。それによって、力を貸してくれるサーヴァントに気を遣わせてしまった。
瞬く間に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな頼光を立香は宥めていた。
その途中で、アイリスフィールにも視線を向けると、彼女は赤い瞳に立香を映しながら、どこか遠くを見ていた。
「……で? マスターちゃんが私たちを集めた理由は、いつになったら説明してもらえるのかしら?」
頼光の様子が落ち着いた頃、沈黙を保っていたジャンヌ・オルタはようやく口を開いた。
卓袱台に頬杖をつきながら、不機嫌さを隠そうともしない。それに比例した口調は若干威圧的だが、立香の手が空いた時を見計らった上で発言しているため、マスターを大切に想っていない訳ではない。それに、大人しく着座している時点でそれが証明されている。
仕切り直しを要求したジャンヌ・オルタの確認で気を取り直し、三名の顔を見渡す。
今回参加したのは三名だった。というのも、ブリュンヒルデに声を掛けると、
『シグルドが……二人? そうなってしまったら、私は…………とても困ります』
と彼女自身が参加を固辞し、酒呑童子と茨木童子は、
『源氏の大将はんが煩いからなぁ……まあうちらはそれに関しては邪魔せんから、旦那はんは自由にしはってええよ』
『そうだぞ。吾には思いもつかないが、酒呑はなにか凄いことを考えついているのだ!』
『……茨木は少し黙っとこか』
『しゅ、酒呑!?』
と、おそらく中立の立場を表明したため不参加だった。
「うん。今から説明するね──」
毎度の事ながら長い概要だが、一言に要約すれば『みんな仲良く』だった。
「エミヤさんは皆さんからとても慕われているのですね。私も常日頃からお世話になっております」
料理教室で指導を受けていた頼光は、朗らかな笑顔で語る。
立香も頼光の拵えた試作品の洋食をご馳走になったが、方向性は違えど、エミヤの作った料理と遜色ない出来栄えだった。
「そうね、嬉しいことなんだけど……私はとても複雑ね。そう……いろいろな意味で……ね」
頬に手を添え、困惑の笑みを浮かべるアイリは、アルトリア達の内心を知るために素直に喜べない。カルデアの英霊達とお話しするのが好きな彼女は、自然と情報を仕入れていた。
「……ふん。やはりそういうことでしたか。そんなにも粉をかけるのが好きだなんて……とんだ色男でしたね」
そんな中、ジャンヌ・オルタは鋭い目つきで口角を釣り上げていた。彼女の発言を聞き終えた立香は、ふと疑問に思った。
「……ジャンヌはエミヤのことをそういうふうに思ってるの?」
「今更何を言うのかと思えば……当然です。そんな男を好きになれと?」
「別に好きかどうかは聞いてないよ、ジャンヌ」
正攻法でジャンヌ・オルタが素直になる訳がない。邪道かもしれないが、あっけらかんとしたように立香は手札を切る。思惑を察したのか、ジャンヌ・オルタの表情が変わり始めた。笑顔の立香を見つめながら、だんだんと眼を見開いていく。
「全く……困ったちゃんなマスターね」
「ごめんね……ジャンヌが本当はどう思ってるのかどうしても知りたくて」
ため息を一つ吐き、ジャンヌ・オルタは苦言を呈した。
早々と謝罪した立香だったが、ジャンヌ・オルタの声色に怒気は含まれておらず、むしろ冗談を言い合う友人のように親しげだった。
「そこまで言うのなら譲歩してあげましょう。ええそうですよ、マスターちゃんのご想像通り……色男の甘い毒に中てられたのよ。これで満足かしら?」
「それって……最初からそう言ってもよかったんじゃない?」
ジャンヌ・オルタからは予想以上に素直な回答が返ってきた。そこまで言い切れるなら出し渋る必要もなかったのではないのかと、立香は別の意味で驚いた。
「ふふ、お二人は仲がよろしいのですね、母は嬉しいです」
「そうね……ここにも居たなんて、私びっくりしちゃったわ」
我が子のように可愛く思う立香が、ジャンヌ・オルタと良い関係を築けていることに、頼光は安堵の笑顔で見守る。
その隣で先程と同じように困ったような笑顔をしたアイリは、頼光の発言とは違う意味も含ませて呟いていた。
「仲が良いだなんてそんな訳ないでしょう。冗談も休み休み言いなさい。
──ただ単に……マスターのサーヴァントとして、当然の振る舞いをしているだけです」
直接の指摘を受けても、やはり本心を表に出さないジャンヌ・オルタは、視線を逸らして
それからはお茶を飲みながらお菓子を食べ、頃合いを見て解散した。しかしながら、雑談でも話し込みと長くなってしまうのはよくあることだ。
部屋に一人残った立香は片づけを終えると、マシュの部屋に向かっていた。明日のレイシフトについて急遽打ち合わせが決まったため、いつものように合流するからだった。協定の日と被ったのはそれが理由にある。
「あ──先輩、お待たせしました」
「それはこっちの台詞だよ、マシュの方が早かったね」
立香が辿り着くよりも早く、マシュは部屋から姿を現した。嬉しそうな笑顔を見せるマシュに返事をしながら、今回は出遅れてしまったと感想を残す。いつもであれば、立香の方が先だったからだ。
「そういえば、ロマンも慌ただしいみたいだね。今日の打ち合わせも午後になってから通達されたし」
「はい……急を要すると念を押されましたが、ドクターがあわてんぼうなのはよくあることです。ですが、いざという時には冷静さを欠いたりしませんから、それで帳消しなのでしょう」
二人で並んで歩きながら管制室を目指し、他愛のない雑談に興じる。
「それにしても、先輩といっしょに旅を始めてから随分と長い時間が経ちましたね」
「うん。本当に最初は勝手が分からなかったから、マシュやエミヤに引っ張ってもらったし。
初めてエミヤ無しで決断した時は正直……マスターの責任に負けそうだったよ」
「やっぱり先輩は凄いです。わたしはまだまだエミヤ先輩の後ろに隠れがちでしたが、先輩はそれを乗り越えてきました。マスターのサーヴァントとして、わたしはもっと精進しなければなりません」
「マシュならすぐに追いつけるよ。いっしょに頑張ろう」
窮地に陥っても、心持一つで前に進むことができる。今回は立香の方が早く気付いただけだ。
人一人には重すぎる目的を背負ってはいるが、なぜ投げ出したりしないのか、その理由はとっくの昔に分かっていることだから。
「はい。それに先輩……不謹慎かもしれませんが、わたしはこの旅が楽しいです。
悲しいことや辛いこともありましたが、それに負けないくらいの喜ばしいことや嬉しいことに出会うことができました。敵味方を問わず、英霊方の鮮烈な人生を垣間見ることができました。
──この先も、先輩やエミヤ先輩……と……」
「マシュ──?」
唐突に違和感を抱いた。会話が急に途切れそうになったことに疑問を持ち、立香はマシュの方へと振り向く。
呆気にとられた表情で、本人すら何が起きているのか分かっていないようだった。
「あれ……わたし、立って……られ…………ない」
それを最後に────マシュは力なく倒れた。
慌てながらも、立香はロマニの元へマシュを連れて行き、そこで衝撃の真相を知ることになる。
早暁の紅掛空色が覆う草原に、一人の男が居た。
その人物は、白を基調としたローブを纏い杖を突く、さながら魔法使いのような風貌で、ある騎士を見送った後だった。
かつて些細な動機で犯した大罪、それを償うために永劫の時を彷徨った騎士は、人生最後の旅に出たのだ。その代償で、想像を絶する死の恐怖を味わうことになっても、決意は揺るがなかった。
「敢えて言わなかったけど、餞別は
──良い旅を……ルキウス」