古来より伝わる大江山の重鎮、勝手気ままな烏合の衆である鬼を纏める手腕は誰が有していたのか。
黒いインナー姿のエミヤは、お菓子作りのために食堂へ向かっていた。珍しく、ナーサリーやジャックとのお茶会で提供するお菓子を切らしてしまったからだ。
その彼の顔は険しかったが、レシピに困っている訳ではない。同じお菓子が連続しないよう予め考えているし、足りない材料は特異点まで調達に向かっている。
では、一体何がそうさせる原因なのかと言えば、尾行してくる気配があるからだ。その相手に気付かれないように一瞬だけ背後に視線を向けると、予想通りの英霊が居た。
第一印象が髪から着物までが金色の少女──厳密には鬼の少女だが、その真名は茨木童子で、何度か敵対したことがあるサーヴァントだ。
大江山を治めていた鬼の頭領は酒呑童子である、広く伝えられた伝承にはそう記されていたが、真実はそうではなかった。茨木童子こそが大江山の頭領かつ首魁であり、鬼の軍勢を纏め上げていた張本人である。伝承と異なる理由は、実際に相対した立香達の納得がいくものだった。
酒呑童子は良くも悪くも鬼らしい。気の向くままに人を襲い、酒を飲む、自由奔放な彼女は鬼を束ねるような立場に興味がなく、束ねる気もない。その一方で、茨木童子は鬼らしくない鬼という形容詞が当てはまるほど人間味のある鬼だった。人より強い鬼も、個では人間の集団に押されてしまうことを憂いた彼女は、率先して鬼を束ね大江山に御殿まで構えた。そうなると、鬼という恐怖の存在として強く印象に残るのは酒呑童子の方であり、そちらの面だと茨木童子の印象はどうしても押し負けてしまう。ただし、彼女は慎重派ではあるが、羅生門では真面目さが祟り、酒呑童子の無茶振りに付き合わされて騒動を引き起こしていた。しかし、その状態でも酒呑童子には頭が上がらないらしく、強く出ることができない小心さが垣間見えた。
話を戻し、エミヤがなぜ正体を予想できたかと言えば、足音などの音は消していても彼女の気配が隠しきれていなかったからだ。以前から、カルデアの女性陣は交流の中で気配遮断の基本を嗜んでおり、新参のサーヴァントも数日で修めている。頭を悩ませており、独学で気配を察知できるよう努力していたエミヤがぎりぎりの所で知覚できるということは、所属してまだ日が浅いということに他ならない。
それに該当する者は二名で、そのうちの一人である酒呑童子なら尾行する以前に正面から堂々とやってくる。
食堂とエミヤの自室を繋ぐ通路も中盤に差し掛かっており、どこまでついてくるのかまでは想像できない。放っておけば、このまま最後までついてきてもおかしくはないだろう。
足を止めずにしばらく考え込んだエミヤは、奇策に打って出る。
「──そこに居るのは分かっている。姿を見せたらどうだ?」
そう言って振り向く。彼女の性格が弓兵の把握している通りだったら──
「……なっ!? …………くくく、ははは、今更
振り向かれたことに驚く茨木童子だったが、呆けていたのは僅かな時間だった。いつも通りの調子を取り戻すと、エミヤの思惑通りに乗ってくる。
「ほう。……では全力でお相手するとしよう」
「だっ、だがな! 今すぐ取って食う訳ではないぞ。吾に供物として甘い菓子を献上すれば見逃してやらんこともない」
急変した弓兵の雰囲気を感じ取ってか慌てたように取り繕うものの、鬼の少女はそれでも余裕を崩さない。それもそのはずで、茨木童子は常日頃から相手に見縊られないよう口調を変えていることが分かっており、その心掛けはエミヤにも似通ったところがある。
「そこまで言われてしまっては、聞かぬわけにはいくまい。私も命が惜しいからな。
──まあ後をつけずとも、気兼ねなく言ってくれればいつでも作るのだがね」
「……まさか最初から気付いておったのか? その上で吾を謀ったのか? ええい、これではただの道化ではないか! 剣呑な雰囲気を出しておきながらさっさと矛を収めよって」
「依頼には全力を尽くすのが私の性分でね。気合を入れすぎて驚かせてしまったことは否定しない。杞憂に越したことはないが、てっきり言いにくいことがあるのかと心配していたからな」
朗らかな表情を浮かべるエミヤに対して、茨木童子はまんまとしてやられたことで悔しさを噛みしめていた。
「吾を辱めようとするとは、汝の言うように気合を入れて作ってもらわねばならぬな。万が一に不味いものを出したらどうなるか分かっておるな?」
「心配には及ばんよ。私は料理に関して一切の妥協も嘘も許さない。
──しかし、珍しいものだな」
「弓兵よ、何が言いたい?」
エミヤの突然の切り返しに訝しんだ茨木童子は聞き返す。
「いやなに、酒呑童子は一緒ではないのかと思ってね」
弓兵の疑問は尤もなものだろう。その言葉通りに、茨木童子と酒呑童子は二人で揃っていることが多い。酒呑童子は食客として迎えていた頃からの付き合いであり、茨木童子は肩を並べる強さを持つ彼女を尊敬し慕っている。
主に酒呑童子が茨木童子をいじっているのだが、エミヤはいがみ合いが起きないことから両者なりのコミュニケーションであると推測していた。
「……別に誘えなかった訳ではない。酒呑がマスターと一緒にどこかへ行ってしまって、一人でいることが退屈になったからではないからな」
身長差のあるエミヤの視点からでも、少しだけ拗ねている様子が窺える。一言が多く語るに落ちているのだが、そこは触れないことにした。仕方のないことだと分かっていても、一緒に連れて行ってもらえないことは不満なのかもしれない。やはり、心底惚れこんでいるのだろう。酒呑童子が還ってきたら、瞳を輝かせて一番に会いに行くのは間違いない。
エミヤがそこまで想像した時、ふと頭に浮かんだ。酒呑童子はわざと茨木童子を置いて行ったのではないだろうか。喜んで駆け寄ってくる茨木童子の表情を見たいが為に。
「……いや、考えすぎか」
流石に邪推の極みというものだ。偶然そうなっただけで酒呑童子が策を巡らせた形ではないだろう。
「立ち話も仕舞だ。早う用意せんか」
幸いにも、茨木童子は急かすだけで、エミヤが聞こえない程度に呟いた声は聞こえなかったようだ。
「よかろう……といいたいところだが、私としては君の力を借りなければならんな」
当初の目的だったお茶請けの片手間に作ることになったが、エミヤの基準からすると労力はそこまで問題ではなかった。
甘いお菓子としてチョコレートを選択した茨木童子は、節約するために材料となるカカオを特異点で調達してきた。材料や加工法が限られる土地での料理経験があるエミヤは、それを十全に発揮して難なく甘いカカオチョコレートを作り上げた。
カウンターに行儀良く座りながら、その出来上がったチョコレートを頬張る茨木童子だったが、些か不服そうな顔をしていた。
「おかしくはないか? 献上の品で甘いちょこれーとを食べられるはずだったのに、なぜ吾も行かねばならなかったのだ」
「一応理由があってね。この前の会議で決まったことなんだが、節約の為に素材を現地で調達しなければならなくなった。このレイシフトについては、マスターとドクターロマンから許可を得ている」
「まったく、随分と根回しの良いものだな」
「そう怒るのも無理はないが、君も経験があるのだろう? 多少の違いはあるのかもしれないがね」
不測の時代に備え、このレイシフトは二人以上での行動を原則としている。そして、食べるためには働かねばならない。茨木童子もこの道理には返す言葉もなかった。
「終わったことは仕方がない。これ以上の不満は飲み込んでやろうぞ」
「それはありがたい」
調理台から覗くエミヤは、半分ほど消費されたチョコレートを見て苦笑いしていた。
この後、茨木童子がナーサリーとジャックに連れられてお茶会に参加するようになったのは、また別のお話。
尾行は気付かれたが、酒呑の言っていたことはやはり間違いではなかったな。人間の癖に人間らしさがない。それは関係ないか。
甘い菓子どころかなんでも拵える板前など、喉から手が出るほどに欲しいわ。是非とも山に持って帰りたい。