死を乗り越えてしまった苦悩は、本人にしかわからない。
死を憧れる本人にとって、死の価値は公平である。
フランから依頼された私服を仕上げ手渡した帰り道、平穏で身の危険を感じないはずのカルデアの通路で立ち尽くし、赤い外套を纏い直したエミヤは緊張感に包まれていた。
彼は何事も無ければ自室に戻り、献立会議での草案を纏めようとしていたのだが、突如として剣呑な渦中に放り込まれた形となっている。
ピリピリと肌で感じる殺気がまるで実力を試しているかのようだ、とエミヤは断片的に理解しつつも、一切の油断はできなかった。
「────ッ!」
しかし、警戒していた甲斐はあった。
戦局の些細な変化から襲撃を察知し、背後への振り向き様に強く握りしめた拳を突き出す。
そこに居たのは────
「────私の勝ちだな」
戦装束の布越しに
修復前のアメリカの特異点において、スカサハはクー・フーリン・オルタに敗れていた。
だが、人理焼却でようやく疑似的な死を与えられた女性が、霊基ごと消滅させられる訳がない。
立香はスカサハの敗北しか知らなかったが、
そんな彼女は、先日立香によって召喚されていた。まるで、スカサハの方から
「……私の敗北か」
「ふむ、ゲイ・ボルグの方が好みだったか? 期待に応えられぬようですまぬな。郷に入りては郷に従えでこの手を使ってみたのだが、存外面白くてな。
──では、小手調べはここまでにしておくか。エミヤ、お主は私の修行を受けるつもりはないか?」
本来であれば、スカサハがマスターの言いつけを守るはずもない。だが立香の人柄ゆえか、サーヴァントとしての一歩引いた立ち位置を良しとしていた。
簡素な勝敗の付け方としてこのカルデアではじゃんけんを主流としているため、勿論彼女も例外ではなくこれに従っている。
最初は物足りなそうにAランクの『千里眼』によって無双するスカサハだったが、どのような相手にも同じ土俵で戦うことができ、『直感』や『啓示』、『皇帝特権』など一筋縄ではいかない相手と戦えるため飽きないらしい。
残念なことに、エミヤは未来予知ができるほどのスキルは保有していないため、現在に至るまでスカサハとのじゃんけんで負けが続いている。
直接聞いたところスカサハは、「未来予知ぐらい自力で破ってもらわねばな」と高いハードルを設定していることが判明した。
「なぜ私に? ここには私以上の英霊が目移りするほどいるが?」
「確かにそうだが私にも好みがある。ただの戦士でも、ただの蛮勇でもよくない」
「なら私は蛮勇の戦士だ。お門違いにも程がある」
「よく言ったものだ。話には聞いているぞ、その蛮勇の戦士が
エミヤについての情報を集めていたことは明白だった。ただの憶測でじゃんけんと声を掛けに来たわけではない。
スカサハは澱みなく次の言葉を並べる。
「私の目でも剣の才能というものはまるで見えぬ。だがな、それにも関わらず神秘の薄れた近代の英霊が努力のみで古代の英霊に一矢報いた。戦いの素質があることに間違いはない。
──興味を持たぬ方がおかしかろう。お主のような変わり種の原石を見せられて血が湧きたってしまった」
真紅の目を細め、獲物を逃がさぬと言わんばかりに弓兵を射貫く槍兵。
見られている本人としては、なぜ知っているのかという動揺を隠すため、気にしていない風体を取り繕うことに余念がなかった。
「ふ……、貴女のような妖艶な女性に指導してもらえるとは魅力的な提案だが、謹んで辞退させてもらおう」
「世辞とはいえ悪い気はしないが……なぜだ? 伸びしろを伸ばそうとは思わんのか?
私の方から稽古に誘うなど滅多にあるものではないぞ」
「そう言って貰えるのは光栄にもほどがあるが、流石に買い被りすぎだろう。実力に関してもそうだ。貴女の弟子に手加減してもらえなかったら……どちらにせよ腕の一本ではすまなかった。
──しかも、私は正規の英霊ではなく一介の守護者に過ぎない。仮に教えを受けても
顔馴染みの英雄──クー・フーリンを鍛えた師匠に誘われるなど、歴戦の英傑が羨む千載一遇の好機だろう。
エミヤも強くなりたくない訳ではないが、現在の立場によって決断に踏み切ることができない。
というのも、エミヤは紆余曲折があった上で結局は座に還ることになるだろう。
だが、本体に持ち帰った記憶が記録になり、当事者としての自覚が薄れたとしても、指導によって得た力を振るわなければならない状況に陥った場合、果たして彼女に顔向けできるだろうか。
教える側のスカサハ本人ですら、戦う者としてのこだわりがあるのだから、エミヤが守護者である以上、首を縦に振るなど許されないと判断してしまう。
「ほう、私の言葉を使って返すか……成程。
──では一つ聞こう、お主は人理焼却の黒幕とやらに今のままで通用すると思っているのか? それ以前にこの先で苦戦しないというのか?」
「……保証は……できないな」
「先を見ることは古今東西、戦局を分けるほどに重要なことだが、目先の出来事を蔑ろにするようでは本末転倒に過ぎぬ。第一、マスターに死なれては困るのだろう? 受けておいて損はなかろう。守るべきものが守れなくてもよいのか? それでよいのならこれ以上の無理は言わぬよ」
飄々とした態度を封印し、武人たる面持ちで諭すスカサハの姿を見ると、クー・フーリンが影の国に赴いて師事を仰いだ理由も分かる気がする。
彼女の場合は傍若無人な振る舞いではあれど、ある程度の一線は引いている。
そうでなければ、弟子の不始末を取るためにケルト軍へ反旗を翻したりはしないだろう。尤も、召喚者がメイヴであったことも理由の一つではあるが。
「……分かった、降参だ。貴女の顔を立てよう。
──どうか私に受けさせていただけないだろうか?」
熱心な説得に負け、諸手を挙げて抵抗を諦める。
ただ、一言付け加えることを忘れなかった。
「しかしな、そこまでして受けさせたいのかね?」
「無論だとも。ただ、性根が悪いと恨んでくれるな。うっかりと長生きしすぎて魂が人の道から外れてしまったのだ……こればかりは私でもどうにもならぬ。
それにな……自分を殺せる相手の目処がついた以上、ただ死ぬのを待つよりはいじり甲斐……教え甲斐のある戦士の育成をしながらその時を待つ方が建設的ではないか」
多少の本音が聞こえてしまったが、スカサハの言葉は嘘ではない。
時の流れは『肉体』と『魂』を腐敗させてしまう。例え、高潔な意志の持ち主ですら、生きることだけが目的の怪物へ成り果ててしまう。イギリスで交戦した
人から外れたスカサハですらその影響を受けるのだから、ただの人間が耐えられるものではない。
そうならない一つの可能性があるとすれば、悠久の時を過ぎしても風化しない、圧倒的な『精神』を持ち続けることだけだ。
「ふむ、話は纏まったな。さあ行くぞ、我が新しき弟子よ」
「……行く……とは?」
「ん? シミュレーターでは味気ないからな。手頃な特異点にて実戦形式で鍛えるとしよう」
「…………すまない今日のと────」
「────そう遠慮するな。今日の所は基礎だけだ」
断る間もなく、引き摺られるように連れて行かれるエミヤに対し、スカサハは満足気だった。
数時間後、自室には疲労困憊で寝込むエミヤの姿があった。
セタンタ程の素質は無いが粘りのある男だ。儂の弟子としてこれからも鍛えてやろう。
それにな、私の『千里眼』で見えたエミヤの未来……自らの手で覆してもらわねばな。