世界を渡った魔術師は、天才すぎたが故に苦悩する。
嘘、詐欺、トリック、インチキなどと己の所業を糾弾されても、彼女は研究を止めなかった。
大統王──エジソンが、ホワイトハウスから追われて造った拠点、そこはケルト軍との決戦を明日に控え、昼間はその準備で慌ただしかったが、夜になると英気を養うための就寝で流石に静まり返り、嵐の前の静けさを想起させる。
そんな時間に通路を歩く人物──エレナ・ブラヴァツキーは、ある人物の部屋を目指していた。
『そなたのお蔭で、余はシータと再び
目的地が近づいてくると、エレナの耳に入ってくるのは誰かの話し声だった。扉越しのくぐもった声だが、話し方から察するにおそらくはラーマの声だろう。ただ、立ち聞きは行儀のよくないことだと理解はしているが、思わず足を止めてしまった。
『……その……だな。あ、ありがとう……すまない、余としたことがこんな言葉しか思いつかないのだ。…………そう言ってもらえると助かる。
──遅くに訪問してすまなかった、明日に備えるとしよう』
部屋の扉が開くと、中から出てきたのはやはりラーマだった。
幸いにも、彼は背を向けて去っていくため、結果的に聞き耳を立ててしまっていたことに気付かれなかった。
『ラーマーヤナ』の英雄の姿が完全に見えなくなったことを確認すると、満を持して扉を叩く。
『……誰かな?』
「あたしよ、ミスタ・エミヤ」
『貴女だったか、入っても構わんよ』
簡単なやり取りで入室の許可を得たエレナは扉に手を掛けた。
一目見て分かったが、節電の為に蝋燭を照明としている部屋は必要最低限の明るさしかなく、部屋の仮初の主であるエミヤはベッドに腰掛けていた。
「夜分遅くにどうしたのかな? だが生憎と用意が無くてね、お茶の一杯も出せない」
「随分と元気そうね。婦長さんに、『安静にしていなさい!』って言われてたはずよ。先客も居たみたいね」
「私の場合、左腕は完治と呼んでも差し支えない程度だったからな。ラーマがどうしても礼を言いたいと来てくれてね、断るのも忍びないだろう?」
外套を脱ぎ黒のインナー姿になったエミヤは、知られているにも関わらず疲労を見せようとしなかった。エレナはそんな彼の姿を見ながら、ラーマが先程まで使っていたであろう椅子に腰を下ろす。
暗殺に失敗したロビンフッドの報告で、エミヤ達の帰還は絶望視されていた。少なくとも、エミヤは特異点からカルデアに戻れる筈なのに、ロマニからそのような報告がされなかった。まさか捕虜にされたのではないか、一抹の不安がカルデア関係者の脳裏を掠めるが、マスターである立香は彼らの意志を無駄にしないよう決意を固め、ケルト軍との決戦に備えるための会議に臨んだ。
エミヤが会議の場に姿を現したのは、議論が終結し一致団結した時だった。広間の扉が突然開かれた音で全員が振り向くと、ボロボロの赤い外套の弓兵は、「どうやら間に合ったようだな、マスター?」と気を失っている花嫁姿の皇帝を横に抱きかかえながら、いつも通りのニヒルな笑みを浮かべていた。
しかし生還を喜ぶ間もなく、ナイチンゲールは負傷した二人の姿を認めたと同時に簡易治療室へと連行していった。
「先客の件は大目に見るわ……でもね、帰って来て早々働きすぎよ。カルナの言う通りに休めばよかったのに……」
「それについては面目ない。働いている方が気が紛れるものでね。おまけに、明日からは全霊を以って挑まねばならないからな。
──さて、本来の目的を聞くとしよう。なぜこの時間に来たのかね?」
「……そうね」
一区切りすると、エレナは一度深呼吸した。そこまでの準備が必要な要件なのだろうか、とエミヤが推測していると、女史は意を決したのか語り掛けた。
「ここに初めて連れてくる時、手荒な真似をしてごめんなさい。エジソンを止められなかったあたしにも非があるわ」
「何かと思えばそのことか、私は気にしていない。そちらにも事情があって貴女が考えた上での結論だったのだろう? どちらにせよ気に病む必要は無いと思うが────」
「────それでもよ」
エミヤの言葉を途中で遮ってでもエレナには譲れない一線があるらしく、力強い言葉だった。
「あんなことしておいて、助けてほしい、だなんて言えないもの。
もしも、あなた達の助けが無かったら、きっとあたしは後悔していたわ。この国どころか友人さえ救えなかった……って」
「尚更だな。それはマスターの功績であって、何もしていない私に謝る必要が皆無だと思うが?」
「誤魔化さなくてもいいわ。あなたも私が迷っていることに気付いていたでしょ? だから必要以上に対立しないよう、言動で誘導していたもの」
「……そちらから教えてもらったも同然だがな。やろうと思えば、より安全に収容できていただろう」
エレナの真剣な眼差しから、エミヤは眼を逸らさない。
妄執に囚われていたエジソンが間違っていることを理解しながら、彼女は発明王を見捨てて裏切ることができなかった。それ故に、今度はエレナ自身が二律背反の感情に囚われていた。
だが、マスターという新勢力に一縷の望みを託そうと思ったのだろう。カルナという最高戦力を追手には出したが、良心の呵責に
その不可解な点をエミヤを含めた冷静なサーヴァントは見抜いていた。
「そもそも貴女が居たからこそ、エジソンは完全に道を踏み外すことがなかったのではないかな? 仮にエジソンだけでアメリカを救おうとすれば、早い段階でケルト軍に敗れ去っていただろう」
「その可能性は……否定できないけど」
「友人を傷つけたくないという貴女の葛藤は決して間違いではない。……私には成しえないことだったからな」
エミヤにも親しい友人と呼べるほど気の置ける存在がかつて居た。
『聡明で真面目な男』が居た。だが、僧侶の道へ進んだ彼と再会する事は無かった。
『口は悪いが根はいい男』が居た。だが、とある戦いで分かりあうことが出来ず、二度と会う事は無かった。
『正義の味方に協力する男』が居た。だが、
生前、至らない点があったばかりにそうさせてしまった。過去を置いてきてしまった。
エジソンとエレナの友人関係が良好だからこそ、自身に足りなかったものが見えてくる。
「私たちが来た時点で誰かが欠けていれば、この戦いをここまで進めることはできなかった。そう断言できる……違うかな?」
エミヤとネロを生かすため、ジェロニモとビリーは命を懸けた。それを思い返しながら、更に続ける。
「そういえば、ラーマが来る前に会ったカルナも言っていたな、エレナ女史が居なければ自分の言葉も届かなかっただろう……とね」
目の前のエミヤと手を貸してくれたカルナが知り合いだということは、最初の邂逅でエレナは見て取れていた。だからこそ、その言葉は嘘ではないのだろう。
「……そうね。…………ありがとう、ミスタ・エミヤ」
「その言葉は素直に受け取るが、礼なら私以外にも言っておいてくれ」
「ええ、最初からそのつもりだもの。
──あまり長居するのもよくないわね、そろそろ行くわ」
そう言ったエレナは、椅子から立ち上がりエミヤに背を向けると、部屋を出るため扉に触れる。
その直前に振り返り────
「最後に一つだけ聞いてもいいかしら?」
「何かな?」
「あたしの…………友人になってくれる?」
「貴女にそれを言われるとは光栄なことだ。私でよければ謹んで御受けしよう」
「そう…………よかった」
「なら友人として言っておこう。私にできることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ええ、よくってよ!」
笑顔を見せると、向き直ったエレナは扉から出て行った。
珍しいことに空き時間を持て余していたエミヤは、カルデアの自室で裁縫に耽っていた。
そんな時、弓兵の部屋を訪れる人物が居る。
「居るかしら? シェロ。
たまには、肉体労働もしないとね……と思ったけど、数が多いから手伝ってくれる?」
親し気に弓兵を呼ぶエレナの誘いに、弓兵は二つ返事で了承していた。
支えて、支えられている、彼はそんな人ね。見ていて危なっかしいほど誰も裏切らない。マスターの気持ちも分かるわ。
人生を急ぎすぎたかしら……あたし。