戦国武将の名前を聞かれた時、歴史にさほど詳しくなくても、日本人であれば大多数の人が知っているであろう人物。
────『織田信長』はそれほどまでに有名だ。
おそらく、そんな有名人が実は女性であるということを知る者はいない。
とある昼下がり、エミヤが部屋の扉を開けると、久方ぶりの光景を目にする。先客が静かに座り彼の帰宅を待っている姿、それは彼にとって見慣れたはずであるにも関わらず、初めて目撃したような新鮮さを感じさせた。
尤も、慣れるほどの来客があること自体おかしな話ではある。
そう考えながらもエミヤは、赤い外套を羽織り黒を基調とした軍服を纏う少女に目を向ける。
「私に何か用かね? 織田信長」
「うむ。わしのマスター──同胞の家臣が如何様か、直々に見定めに来たのじゃ」
座っていながらも、威厳ある佇まいでエミヤを見据える信長。彼女の射貫くような視線を受けても、彼が怖気付く事は無い。
「ここ最近、実際にそなたの行動を見ていたが……流石はマスターが信頼するサーヴァントの一人よな! わしで言うところの
────しかし、わしと同等の慧眼を有しておるとは、最初にマスターを見縊っていたのがますます恥ずかしいのぉ」
「……いきなり何を言っているんだ、君は? それは褒め言葉なのかね?」
張り詰めていた表情から一転して、快活な笑いと共に矢継ぎ早に話しかけてくる信長の姿に一瞬気圧されたエミヤだったが、直ぐに気を取り直すと信長の対面の席に座る。
「褒めてるに決まっておる。まあ、サルに思うところがないわけではないがな。
それはともかく、わしの最期は知っとるじゃろ? 火種を放置して裏切られたら、是非もなし案件じゃからな」
「……まあ、一理あるな」
エミヤの脳裏をよぎるのは、裏切りなど一度たりともするべきではない、という戒めの言葉。
過去をマスターに打ち明けた今は問題ないが、
「あと、そなたのことサルって例えたけど、強ち間違っておらんぞ。
あのサル、わしが生きていた頃しょっちゅう浮気しよってなぁ。家臣の尻拭いとか、なんで将のわしがやらんといかんのか──」
信長の豊臣秀吉への思うところとはこれのことだろう。
途中から愚痴を言い始めた信長だったが、彼女のある言葉に反応したエミヤは、眉を顰めながら苦言を呈する。
「さっきから聞いていたが、私が浮気性とはなんだね? 誰かと結婚した覚えもないが」
「……それは本気で言っておるのか?」
「無論だ」
心当たりがないのか、きっぱりと言い切ったエミヤ、彼に呆れながらも信長は質問を投げかける。
「わしには顔だけ見覚えのある、青と黒のセイバーとの関係はなんじゃ?」
「…………ただの同僚だが?」
「今の間は絶対過去になんかあったじゃろ!? そんな苦笑いしながら言われても説得力がないぞ!」
墓穴を掘ることに定評のあるエミヤは、早速致命的な弱点を突かれる。
本来持っていないはずの記憶を二人のセイバーが持ち込んでいることもあり、彼が気まずさを感じる悩みの種となっている。
「……まあそれはこの際置いておくぞ。なら、人斬りについてはどうなんじゃ? ……というか、彼奴が誰かに懐いている姿とかわし見たことないぞ」
答えに窮していたエミヤを見かねた信長は、頃合いを見計らうと次の話を切り出す。
「人斬り? ……ああ、沖田の事か。彼女は真面目だから、頼りたくても頼れなかったのだろう。その反動ではないかな」
エミヤの答えに思うところがあるのか、信長はしばらく悩んだ様子を見せると口を開く。
「……なるほどのぉ。時にエミヤ、そなたは────何を恐れておる?」
先程までの朗らかな雰囲気は霧散し、信長は張り詰めた空気を纏う。彼女の突然の変化に、エミヤには緊張が走り、驚愕した。
信長の口から放たれた言葉は、今日聞いた中でも一番エミヤの核心に迫っていた。
「わしが何を言いたいか、もう分かっておるんじゃろ? 矛盾を抱えた反応を返しておるんじゃからな。しかし、わしにはどうにも解せぬ。
────そうする必要がな」
第六天魔王の称号は伊達ではないらしく、信長は有無を言わせぬ威圧感を持ってエミヤを問い詰める。
追い詰められた犯人さながらな心情で、動揺を抑えたエミヤはどうにかして声を出す。
「……私は、未だ過去に囚われているだけさ。未来に生きると自分に言い聞かせたこともあったが、まだまだらしい」
詳細を省いたものの、エミヤは胸中を語った。
黙って聞き役に徹していた信長は、エミヤが言い終わったことを確認すると、再び口を開いた。
「詳しい話はこれ以上は聞かんぞ。わしにはどうにもできんし、できる保証もない。だが、時が来たらマスターに話をしておくんじゃな。それも、今語った以上の話をな。
……正直、諦めて後ろ向きな発言しておったら、どうしてやろうかと思ったわ!」
信長の逆鱗に触れずに済んだのか、彼女は物騒な話をしながらも笑い飛ばしていた。
「かの織田信長に人生相談してもらえるとは、身に余る光栄だな」
「そうじゃろう、そうじゃろう。わしは有名人じゃからな。参謀でも敵役でも人気が出そうじゃろ!」
その姿を見て安堵したエミヤは、一言呟く。
「やはり、私ではセイバー達に相応しくないからな」
「何でそうなるんじゃ!?」
お茶を飲みながら、エミヤと信長の口論は夕食前まで続いた。
その結果、エミヤは信長の家臣を兼任するということで落ちがつき、ネロがエミヤに詰め寄ったことはまた別の話である。
いや、わしもあそこまで鈍感だとは知らなかったんじゃが。
好意を避ける上に、自己評価が低いことが前提とか、前向きのべくとるが間違っておらんかのぉ。そりゃあ、マスター達も苦労するわけじゃなぁ。
わしの家臣になったからには、その考えを改めさせてやろうぞ。
あと関係ないけど、エミヤが茶をたてられるとか、わしの立つ瀬がなくない?