藤丸立香達が訪れた特異点は、繁栄を極めたローマの地だった。
そこでは、レフ・ライノールによって仕組まれた戦争である、ローマを守るために立ち上がった
やっとの思いで
だが最後は、己が信念を貫いた
新たな特異点の攻略を終え、藤丸立香を始めとした女性陣は皆士気が高かった。その気合の入りように、現地での協力者の一人──生前の姿であるネロ・クラウディウスは、何とも言えない顔をしていた。彼女と顔見知りのエミヤも首をかしげていた。
負傷した兵の治療に回る余裕もあり、特に犠牲者もなく聖杯の回収を終えた。大所帯で修復を終えたため、カルデアに帰還する際には協力者に挨拶をして回ったが、ネロ以外の現地で出会った女性サーヴァント達は名残惜しそうな顔をしていた。
やはりいつかまた会えると分かっていても、別れというものは辛いのだろう、それほどにマスターとマシュは稀な人材だ。
そう考えるのはエミヤだった。夕食の片付けを終えた帰り際、最近の思い出を振り返りながら自室の扉を開けたのだが、もう慣れたもので先客が居ても大した驚きはない。
「私の部屋に何か用かね? ネロ」
「待っていたぞ、アーチャー」
一際目立つ赤いドレスを見れば嫌でもわかる。つい最近まで顔を合わせていた、第五代ローマ皇帝──ネロ・クラウディウスである。皇帝という貫録を感じさせる座り方は、普通の椅子であっても玉座のような威圧感を醸し出していた。
「
「うむ、善処しよう。
さて、ここに来たのは他でもない。ローマでの報酬がまだ渡せていないであろう」
「特に希望はないのだがね」
「そなたならばそう言うと思っていた。なので余が決めることにした。客将として副官に任命するぞ。余の副官はアーチャー……エミヤしかいないのだ。月の戦いが終わったら姿を消すとはな、副官が余の傍に居なくてどうする。奏者と余の陣営にはこれからもそなたが必要だったのだ」
ネロは赤いドレスを翻しながら立ち上がると、歌劇のように言葉を告げる。呼び方は危ういながらも言い直した。
ネロはどうにも月での役割がご所望らしい。エミヤも
「生憎、今契約しているのは
それに、
「エミヤは、余に仕えるのが…………嫌なのか?」
華々しさはそこになかった。俯きながら、暗い声で呟くネロの姿を見てしまった。
当然ながらエミヤは驚いた。翳りのあるネロを見ることができたのは特異点であり、月の記憶を持っていない生前の姿だからこそと思っていた。今の状態でそんな姿を見せるとは、エミヤは存外彼女に気に入られていたらしい。
さしものエミヤも、この状態のネロを突き放すのは気が引ける。ネロと同じく知己の存在だった、エリザベート・バートリーの未来の姿であるカーミラの苦悩を見て、召喚されてから気に掛けるほどのお人好しであるから仕方ない。
ここが月であったならば、
あくまでも推測になるが、ネロは心細いのだろう。藤丸立香もネロの気に入ったマスターではあるが、やはりどこか主従関係に一線を引いている感覚はあった。ネロが奏者と呼び、全幅の信頼と愛を囁くマスターは、岸波白野を除いて他にはいない。
そして、月でのことをを知るサーヴァントも限られる。思い起こせば、エミヤの知るネロは月のマスターに褒めてもらうことが至上の喜びであった。しかし、カルデアでは自分が素直に甘える対象が居ないため、その現状がネロの心の安寧を阻害するのだろう。
エミヤは分析を終えると、この現状を打破するために気の利く言葉を探す。
「ネロ、私たちはこのカルデアで肩を並べる戦友だ。あの時のように将と副官という立場ではなく、友人として君と親交を深めたいと私は考えている」
「……エミヤ」
「それに、傍に居てほしいなら何時でも言うといい。私自身忙しい時もあるが、君が傍に居てほしいと言ってくれれば、時間を作って君に会いに行く」
エミヤなりの妥協点だ。普段はネロに振り回される側であるが、こうもしおらしい姿を見せられてしまうと、どうしても強くは言えない。それに、特異点で皇帝としてのカリスマも見せつけられたことで評価を改めたところだ、弱気になっている時に支えるのも吝かではない。
そう思えるほどには、ネロに親愛がある。
「こっちのエミヤの方が……優しいぞ」
「さっきも言っただろう、厳密には私ではないとな」
微笑みながら、少しばかりの皮肉を返すネロの様子にエミヤは安堵する。そして、自分も腰掛けようと対面の椅子に座ろうとした──
「そのようだ──な──っ!」
「大丈夫か!」
突然頭を押さえ屈みこんだネロに驚くと、すぐさま駆け寄る。特異点でも度々見かけたが、頭痛持ちのスキルを所有しているため、カルデアに召喚された後も頭痛に悩まされることがある。
痛みが治まっても、未だに肩で息をしており、見ているだけでも辛さを感じさせる。
「少し横になるか?」
そう問いかけるとネロはゆっくりと首肯する。
彼女が動くよりも自分が運んだ方が速いと判断し、抱え上げるとベッドに運ぶ。横たわったネロは弱弱しく呟く。
「……温かいな。ブーディカの……ようで……そうか、これが。我が母が……エミヤのようであったら……余は……」
その言葉を残し瞼を閉じると、規則的な呼吸を始める。安心したためか、どうやら眠ってしまったらしい。
しかし、母のようだと言われるとはエミヤ自身思ってもいなかった。そこは父あたりにしてほしいと本人は思っている。だが、不思議と悪い気はしない。
頭痛で歪んでいた顔は穏やかな寝顔を浮かべている。そんな彼女に掛けるものは、外套よりも一枚の毛布が相応しい。
ベッド脇に椅子を置き座ると、目が覚めるまで見守っていた。
後日ネロから話を聞いたマスター達におかんと呼ばれるようになった。
これが、
余の戦いはエミヤと共にあった。そなたの補助がなければ、奏者やアルテラを救うことはできなかったといっても過言ではないぞ。
皇帝特権では、頼れる存在を手に入れられぬのだ。余の伴侶は奏者だが、右腕はそなただけだぞ、アーチャー、いや、エミヤ。