海軍特別犯罪捜査局   作:草浪

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NSCI #69 よこすかからの刺客(ふんぱんもの)

 

 野分は町中で知り合いに会うことに抵抗はありません。会えば他愛もない会話もします。暇なら一緒に遊ぶこともあります。

 ですが、この状況。できることなら何事もないように通り過ぎたい。そう思うのです。ですが、野分は一応は彼女を注意する立場のお仕事をしています。きっとそのうち、誰かが野分達のオフィスに通報するでしょう。そういえば今日は足柄さんが一人で溜め込んだ書類を処理するためにオフィスにいるはずです。

 こういうことは足柄さんの得意分野でしょう。ですが、イライラしてる足柄さんのことです。きっとすぐには出てこないでしょう。

 野分を溜息をつき、覚悟を決めるとベンチに座る銅像と肩を組んで仲良く寝ているその人に声をかけました。

 

「起きてください。もうお昼になりますよ」

 

 幸せそうに眠る彼女の肩を揺すってみましたが起きる気配はありません。少し強めに揺すると少し嫌そうな声を漏らすと、持っていた酒瓶を振り上げました。咄嗟に飛び退きましたが、彼女はゆっくりと酒瓶を下ろすとまた幸せそうな寝息を立て始めました。

 やっぱり放っておこう。そう決めて振り返ると、道行く人たちが野分を蔑むような眼で見ていました。みなさん知り合いならなんとかしろと言わんばかりの表情です。あぁ、もう逃げられません。

 

「いい加減に起きてくださいッ!」

 

 持っていた酒瓶を引っ手繰ると、彼女はピクッ動くと眉を寄せ、眉間に深いしわを寄せました。

 

「あッ?」

 

 一瞬、恐怖で身が竦みました。明らかな怒気、といより殺気を感じました。今日は非番なので、彼女を無力化できるような物は持っていません。最悪、陸奥さんに連絡してパトカーを回してもらいましょう。というより、最初からそうすればよかったです。

 彼女はゆっくり目を開けると、顎をあげたまま、見下す様に野分を見ました。寝起きで目の焦点が定まっていないのでしょう、しばらく野分を睨むようにみると「おっ?」っと素っ頓狂な声をあげました。軽くを目をこすり、大きく伸びをすると大きなあくびを漏らしました。

 

「よっ! こんなとこでなにやってんだ?」

 

「それを言いたいのは野分の方ですよ。こんなところで寝てるのが陸奥さんに見つかったら怒られますよ」

 

 野分の発言を無視し、彼女、摩耶さんは野分の持っていた酒瓶に手を伸ばしました。野分は酒瓶を摩耶さんの手から遠ざけると思わず睨んでしまいました。

「あッ?」摩耶さんはまた睨むように野分を見ました。ですが、この状況、誰がどう見ても野分が摩耶さんを虐めているようには見えないでしょう。

 

「この状況を理解していますか?」

 

「野分よ。久々にあったお前とやりあいたくはない。お前こそ状況を理解しているのか?」

 

「と言いますと?」

 

「まぁ、座れ」

 

「嫌ですよ。今の摩耶さんと知り合いに思われたくないです」 

 

「そう言うなよ。そしたらすぐそこの店に入ろう」

 

 摩耶さんはそう言い、向かいのビルを指さしました。一回がパチンコ屋さん、その上は飲み屋さんが入っているビルです。

 

「……野分はお休みを満喫したいのですが」

 

「アタシだって休みを満喫していたんだ。それを邪魔したんだから付き合えよ~」

 

 摩耶さんは隙あらば野分の持っている酒瓶を狙って手を伸ばしてきます。その手から酒瓶を守りながら、このまま放置するわけにもいかないと思いました。あぁ、駄目です。ため息が漏れてしまう。

 摩耶さんの手が野分の手首を掴みました。

 

「おし、じゃあ行こうか」

 

「わかりました……わかりましたから……」

 

 野分は引っ張られる様にエレベーターに乗せられました。

 

 

ーーーー

 

 

 それから二時間後、摩耶さんが眠いから帰るということで、楽しい昼食、摩耶さんは気にせずガンガン飲んでいましたが、野分はポテトとお肉を食べていたのでコーラを飲んでいました。お会計の時、摩耶さんがお財布を取り出しましたが、どうしてお財布の中にどんぐりが入っていたのでしょうか。

 駅で別れて、本来の目的である買い物を済ませると、今度は後ろから声をかけられました。

 

「……陸奥さん」

 

「あら? なんかご機嫌斜めね。何かあった?」

 

 今日は珍しい人によく会いますね。

 

「いえ……あったと言えばあったのですが……」

 

「私には言えないのかしら? お姉さん、悲しいわ」

 

 言えませんよ。摩耶さんから小一時間、陸奥さんの愚痴を言われたのですから。

 

「いえ……先ほど摩耶さんにお会いしまして……」

 

 これで察してくれるとありがたいのですが、陸奥さんは眉間に皺を寄せると、首をかしげました。

 

「摩耶に? おかしいわね。昨日会った時に明日は休みだから高雄と海鮮丼を食べにいくって言ってたわよ?」

 

「そうなんですか? 急な予定でも入ったのでしょうか……昨日から飲み歩いていたみたいですけど」

 

「一人で? 珍しいこともあるものね。今度会った時に聞いてみるわ」

 

「……?」

 

 摩耶さんの口ぶりだとずっと一緒にいる様な感じでしたが、そうではないのでしょうか。野分は陸奥さんとも摩耶さんとも現場でしか会うことがありませんから普段のお仕事は知りませんが。

 

「それより、この後日向と会うけど、野分も来る?」

 

「いえ……今日は疲れたので帰ります」

 

「あら。残念。また今度ね」

 

「はい。また誘ってください」

 

 野分は欠伸を噛み殺し、陸奥さんにお辞儀をしました。陸奥さんも「うちのが迷惑かけたわね」と困ったように笑っていました。

 

 

ーーーー

 

 真夜中に日向からの着信で目が覚めた私は電話越しに日向に文句を言った。

 

「何時だと思ってるのよ……」

 

「それはやつに言え。私だって寝ていたんだ」

 

 不機嫌極まりない日向の声に只事ではないと察した私は急いで身支度を整え、慌てて家を出た。起こしてしまった妙高姉さんが玄関まで見送ってくれたけど、私は妙高姉さんに行ってきますを言わず、車に飛び乗って乱暴に発信させたはず。

 現場に付くと、すでに日向の車が止まっていて、現場となった飲み屋さんの中から怒号が聞こえてくる。珍しく日向が声を荒げている。慌てて中に入ると店内では仁王立ちの日向と座っている容疑者であろう女が言い争っていた。

 

「どこの世界に勘定を木の実でする馬鹿がいるッ!」

 

「うるせぇッ! こっちはこれしか持ってねぇんだッ! それにアタシは奢ってくれるっていうから付き合ったんだぞッ!」

 

「その男の持ち金以上に飲んだ挙句、道端に落ちいるどんぐりで残りが払えると思ったお前の頭はどうなっている!」

 

「そんなちんけもんじゃねぇ! なんかすごいどんぐりなんだぞ! 知らないけど!」

 

 店内は二人しかいない。けれど、空き瓶の数を見ればどれだけ飲んだかはわかる。この店のお酒をほぼ飲みつくしている。転がっているのは空き瓶だけじゃない。生ビールの大きな缶も奥に転がっている。

 

「……なんなの、これ」

 

「知らん。この馬鹿が店にある酒を飲みつくして暴れたらしい」

 

 知らんというわりには状況をちゃんと把握してらっしゃる。この馬鹿、私の知り合いでもある彼女は悪そびれた様子もなく、堂々としている。というより、これだけ飲んでいるのに少し顔が赤いだけでまだまだ飲めそうな感じね。

 

「あっそう……それで、摩耶はどうしてこんなことしたの?」

 

「どうしたもこうしたもあるか。いきなり来たかと思ったら、私の腕にこんなはめやがった。冗談にしちゃ悪ふざけが過ぎるぜ」

 

 警察じゃあるまいし。摩耶不貞腐れた様子で腕にはめられた手錠を見せた。鎖は千切れている。やっぱり元艦娘相手にこんなのは玩具にしか過ぎないってことね。

 

「お前……私が冗談や酔狂でこんな現場に来ると思うか?」

 

「おまわりごっこをやっているような奴だからな! そうなんじゃないのかッ!」

 

「ごっこって……あんた何を言っているのよ」

 

 私がため息を着くと同時に私の横に立つ日向の雰囲気が一気に変わったのを感じた。これはかなり怒っているわ。不味いくらいに。

 私は摩耶の横に座ると、ジッと彼女の目を見た。何か違和感を感じるわ。摩耶だけど、私の知っている摩耶ではないような気がするわ。摩耶はもっと純粋で馬鹿っぽい目をしていた気がするわ。

 

「なんだよ……」

 

「ねぇ。あなたは誰?」

 

「はぁ?」

 

 自分でも素っ頓狂な問いだとは思う。日向は黙って厨房の方に消えていった。しばらくすると蛇口から水の出る音が聞こえてきた。水でも飲ませるつもりかしら。

 

「アタシは摩耶だよ。なんだ、足柄までボケちまったのか?」

 

「……そうね。変なことを聞いたわ。それで、あんた、こんなことをしたら陸奥にこっ酷く叱られるって考えなかったの?」

 

「それがよ、何故かあいつと会わねんだよ。いつもは変な時に現れるくせに、ここ何日かは姿形も見かけないし、あの緑色の目で見られている感覚もないんだ」

 

「あなた、仕事はどうしたのよ」

 

「うちにもついに行政の手が入ってな。交代で連休なんだよ」

 

 あら羨ましいわ。私はこうして真夜中でも働いているっていうのに、あなたは呑気に飲み歩いていただけじゃなくて、こうして騒ぎまで起こしてるのね。

 

「お前ら」

 

 日向の冷めた声が聞こえた。思わず身ぶるし、振り返ると水が飛んできた。摩耶も振り返っていたらしく、二人とも顔から大量の水を受けることになった。

 

「いきなり何すんのよッ!」

 

「冷てぇじゃねぇかッ!」

 

 私と摩耶は同時に抗議の声を上げる。

 

「酔いと眠気は冷めたか? 足柄。そいつを車に乗せてオフィスまで連れていけ。話はそこで聞く」

 

「オフィス? なにカッコつけてんだよ、お前」

 

 日向はそう言うとまた無言で厨房の方に消えていった。

 

「ここは大人しく言うことを聞いて頂戴……また水をかけられたくはないわ」

 

「なんなんだよ、アイツは!?」

 

「いいから。車にタオルを積んでるからそれで体拭いて……」

 

 今度は警告もなく、水をかけられた。私と摩耶はあっという間に濡れ鼠になる。

 

「何をボサっとしている。早く連れていけ」

 

「わかった! ほら、行くわよッ!」

 

 私は摩耶の腕を引っ張って外に連れ出し、そのまま後部座席に押し込んだ。

 

「ホントに何なんだよッ!」

 

 摩耶は勝手にタオルを取ると、身体を拭きながら文句を漏らした。私は濡れたまま運転席に乗り込み、ため息を着きながらエンジンをかけた。

 

「私がそう言いたいわよ……」

 

 私と日向は摩耶に拘束し取調室に閉じ込め、私はシャワーを浴びて置いてある泊り用の服に着替えた。日向は先に仮眠室で寝ていたが、寝ていても怒っているのが解る。結局、起きても機嫌が悪いままだった。

 

「おはようございます」

 

 体を揺すられゆっくり目を開けると、そこには同情の笑みを浮かべるのわっちがいた。

 

「おはよう……と言いたいところだけど、あとに二時間は寝かせてほしいわ」

 

 のわっちには申し訳ないけど眠たい。薄い布団を頭までかけて光を遮断する。あぁ、もう寝れるわ。

 

「野分もそうしてあげたいですが、日向さんが起こして来いと」

 

 そう言われたら起きるしかないじゃない。起こしたくない体を起こし、足を外に投げ出して簡易ベッドに座る。このまま横になりたい。目をこすり、少しでも起きようと努力する。

 

「昨日いったい何があったんですか? 朝来たら、日向さんの機嫌がとても悪かったのですが……」

 

 のわっちが困ったように私を見ていた。そうね。原因もわからず、朝からあの日向を見たら困惑してもしょうがないわ。

 

「連休に浮かれて羽目を外したお馬鹿さんのせいで、真夜中に出動がかかってね」

 

 立ち上がって大きく伸びをする。関節がパキポキと悲鳴をあげる。やっぱり無茶はよくないわ。

 

「着替えたらそのまま取調室に行けと言っていました。野分も一緒に行きます」

 

「了解したわ……今日は平和な一日になってほしいわ。他の事には手が回りそうにないし」

 

 

ーーーー

 

 いつもの制服に着替えた足柄さんと一緒に取調室の扉をあけて電気をつけると、そこには誰もいませんでした。

 足柄さんは慌てた様子で部屋の中に入るとしばらく何かを探していましたが、すぐに動きが止まり、眉間に深い皺を寄せました。

 

「あんた……何してんのよ……」

 

 机の下を覗き込んだ足柄さんが独りでに呟きました。足柄さんの横で野分も机の下を除くと気持ちよさそうに寝ている摩耶さんがいました。

 

「もしかして羽目を外したお馬鹿さんって摩耶さんのことですか?」

 

「そうよ。それにしても憎たらしいぐらい気持ちよく寝ているわね……ほらッ、起きなさいッ!」

 

 足柄さんは机の下に潜り込み、摩耶さんの体を揺すりました。ですが、摩耶さんは起きようとせず、嫌がる様に奥に逃げました。

 

「このッ! 痛いッ!」

 

 足柄さんは諦めずに追いかけようとしましたが、頭をぶつけてしまいました。野分は机の反対側に回り、摩耶さんを引っ張り出しました。

 

「摩耶さん。起きてください」

 

 摩耶さんは明りを嫌がる様に腕を目に当てると、また机の下に戻ろうとしました。ですが、そこには足柄さんがいます。足柄さんは摩耶さんを押し出すと、やっと摩耶さんは目を開けました。

 

「もう少し寝かせてくれ……頭が痛い」

 

「私は別の意味で頭が痛いわよ」

 

 這い出てきた足柄さんは誇りを払いながら立ち上がると、摩耶さんは寝たまま足柄さんと野分交互に見ました。

 

「何してんだ、お前ら?」

 

「先に言うけど、ここはあなたの家でもないし、誰かの家でもないわ」

 

 摩耶さんはよくわからないと言った様子で体を起こすと、先程の足柄さんの様に体を伸ばして大きな欠伸をしました。

 

「なんだ。家じゃなくてこっちに帰ってきてたのか」

 

「覚えてないんですか?」

 

 野分がそう訪ねると、摩耶さんはキョトンとした顔で野分を見ました。

 

「ん? 野分、雰囲気変わったな。それに足柄も」

 

 摩耶さんがそう言い、何を言っているのかわかりませんでしたが、野分も摩耶さんの目を見て、いつもと雰囲気が違うように感じました。もっと純粋な目をしていたような気がします。

 

「そんなことどうでもいいわよ。それより、覚えている範囲でいいからここ最近のあなたの行動を話して頂戴。報告書作らないといけないんだから」

 

 野分は摩耶さんを床から起こして、椅子に座らせました。

 

「とは言ってもなぁ……飲み歩いていたから覚えてないんだよな~」

 

 対面に座った足柄さんはガックリとうなだれると大きなため息をつきました。

 

 

ーーーー

 

「うちのが迷惑をかけたわ」

 

 その一言で済ます気はない。たとえ、あの大馬鹿者の上司が頭を下げようとだ。私は腕を組んで座ったまま、目の前で頭を下げる陸奥をよそに机の上に置かれたもみじ饅頭やその他の菓子折りをじっと見ていた。

 しばらく黙っていると、陸奥は頭をあげて、机の上に置いた菓子折りをそっと私の方に寄せた。

 

「いろいろ買ってきたから、みんなで食べて」

 

「これはありがたく頂くが、それとこれとは別問題だ」

 

「そこは重々承知しているわ。私からもキツいお灸を添えるから大事にはしないで頂戴」

 

 陸奥はそう言い、袋からもみじ饅頭を取り出して私の目の前に置いた。なるほど、これは陸奥の懇願でもあると同時に大和のご意見でもあるとうことか。

 

「確かに、元艦娘が、それも公務員である元艦娘が飲み屋で大暴れをしたとなれば只事ではすまんな。それも男をひっかけた挙句、持ち金を全部払わせてもまだ足りないとなれば尚更だ」

 

 すでに昨日の騒ぎは一部に知れ渡っている。どのみちもう只事ではすまないが、そこをどう処理するかは私の自由だ。陸奥や大和に恩を売るのも悪手ではないはずだが、そうはさせてなるものかという私の意思もある。

 

「既に本人は朝一で確保したという報告も入っているわ。あとは私達に……」

 

「何?」

 

 おかしなことを言う。陸奥も寝ぼけているのか、それとも昨日は飲んでいてその酔いがまだ残っているのか。私は現場から拝借しているポリバケツを手に立ち上がった。

 

「気に喰わないのはわかるは。ここはあなた達特捜のシマでこの事件の管轄は間違いなく特捜にあることぐらい重々承知しているわ。けど、身内の恥をこれ以上晒すわけのはいかないの。お願いよ」

 

 また陸奥は深々と頭を下げた。どうも寝ぼけている様にも、酔っている様にも思えない。私は座り直し、目をつぶった。そういえば、あの時、足柄も妙なことを言っていたのを思い出した。

 

「どうして捜査をすると言うのなら私にも考えがあるわ」

 

 今度は脅しできたか。私は薄目を開けて陸奥を見た。

 

「……何よ」

 

「そういえば朝がまだだったな。野分はきっと食べてきているだろうから私と足柄の分だけで構わない。私は温かいお茶とおにぎりが二つあれば構わん。足柄はコーヒーとパンでも買ってくれば大丈夫だろう」

 

 陸奥はジトッとした目で私を見ていた。だがそんなことは関係ない。早く行けと手で催促して、私は目を瞑った。眠い。このまま寝てしまいそうな気がする。

 

 

ーーーー

 

 出鱈目な調書をまとめた私はこれを日向に見せなくてはいけないのかと何度も溜息をついた。

 取調室から私達のオフィスは意外と距離がある。けれど、今日に限っては妙に近く感じる。

 私は何故か、無駄に資料室に行き、過去にあった似た事例の資料を引っ張り出してそれを脇に抱えた。他にもあるはず。いろんな資料を探していたら思いの他時間がかかってしまった。

 きっと日向怒っているわね。もう水はかけられたくないわ。というか、なんで日向はあれを現場から持ってきたのだろう。

 

「足柄さん……野分が渡しましょうか?」

 

「大丈夫……大丈夫よ。書いた字ですぐの私だってバレるわ。それに朝から水をかぶりたくはないでしょう?」

 

 摩耶は水をかけられたことは覚えていなかった。だからのわっちはなんのことかわからないでしょう。

 

「嫌ね……私は何も悪くないのに……どうして私がこんな目に……」

 

 駄目。次から次へと思ったことが口から洩れてします。そんな言葉を押し殺すようにまた溜息をついた、そんな私をのわっちは心配そうに見ている。駄目なのはわかっているけど、もうどうしていいのかわからないわ。

 重たい足取りでオフィスの扉の前まで着く。開けたくない。開けたくないけどいつまでもここにいるわけにはいかない。深呼吸かため息かわからないけど、息を大きく履いて扉を開けた。

 

「遅くなったわ」

 

「遅くなりました」

 

 扉を開け、私とのわっちがそう言うと、私の頭痛の原因の親玉がいた。

 ものすごく文句が言いたい。あなたのせいで私はとまくしたてたい。けれど、日向がそれを手で制した。お前らは何も言うなということだ。のわっちもそれに気が付き、何事もなかったかの様に自分のデスクに座った。

 

「陸奥からの差し入れだそうだ。野分は朝を抜いてはいないだろうがお菓子でも食べるか?」

 

 日向はそう言い、私の机の上に置かれたビニール袋を指さした。

 

「頂きます。飲み物でも入れましょうか?」

 

「それも買ってきてくれたそうだ。朝早く……いや、夜分遅くから迷惑かけたからだそうだ」

 

 日向は嫌味っぽくそう言ったが、何かがおかしい。昨日までの嫌な雰囲気、のわっちが感じた怒りのオーラが消えている。私は調書や無駄な資料を自分の机の上に置き、何事もなかった様にそれを引き出しのファイルにしまった。

 

「それは何の書類かしら?」

 

 陸奥が目ざとくそれを見つけたが、その奥の日向の視線が険しい。何も言うなということだろう。

 

「何って、昨日の関連書類に決まっているじゃない」

 

「見せてもらえるかしら?」

 

「どうぞ?」

 

 私はそう言い、引き出しから適当な書類を抜いた。調書ではなく無駄に持ってきた資料の方を陸奥に渡した。

 

「こんな昔の捜査資料なんて役に立つのかしら?」

 

 陸奥の視線が鋭い。普段なら耐えられないけど、私はいま、あなたを恨んでいるわ。

 

「こんなこと初めてだから、どう対応していいのかわからないのよ」

 

 嫌味の一つでも言わなきゃ気が済まない。私がそう言うと、陸奥は恨めしそうに、けれど、少し申し訳なそうに私を見た。

 

「それで、話を続けてくれ」

 

 日向がそう言うと、陸奥は諦めたように資料を私に戻して日向の方を見た。

 

「必ず本人には罪は償わせる。だからこの件から身を引いて頂戴」

 

「現場はうちの管轄だ。後の処理はどうするにしろ、一度私達も話を聞いておきたいのだが?」

 

「身柄は動かせないわ。話を聞きたいのならこちらに来てもらうことになるわ」

 

「それは構わん。あとで伺わせてもらう」

 

 話が読めないわ。二人とも一体何の話をしているのかしら。ふとのわっちに視線を動かすと、のわっちも困惑気味の表情をしている。それもそうよ、朝来たら訳の分からない事尽くしですもの。

 

「それは構わないわ。けど、これ以上の介入は……」

 

「それは後で判断させてもらおう。どのみち、あとでそっちに行く。続きはその時だ」

 

 日向は一方的に話を打ち切った。陸奥は諦めきれないといった感じだが、ああなってしまっては日向はもう動かない。それを知らない陸奥ではない。

 

「わかったわ。じゃあ続きはその時に」

 

 陸奥はそう言い、日向に背を向けると疲れた表情をしていた。

 

「邪魔したわね」

 

「気にするな。後で邪魔しに行く」

 

 日向の嫌味ともとれる挨拶に陸奥は肩を落として出ていった。

 

 

ーーーー

 

「そういうことらしい」

 

 オフィスでのしばらくの沈黙の後、日向さんが足柄さんを見ながらそう言いました。

 

「どういうことよ」

 

 足柄さんはだらしなく机に頭をのせて、顔だけ日向さんに向けました。

 

「身柄は動かせないって、摩耶をどうするもこうするも私達の自由じゃない」

 

「だが、陸奥はああ言っていた。まるで摩耶を拘束したのは自分たちだと言わんばかりにな」

 

 日向さんは腕を組みなおすと、椅子に深く座り直しました。足柄さんは顔を机にうずめると小さな声で呻き始めました。

 

「もう訳がわからないわよ」

 

 突然足柄さんはそう言うと頭をあげ、両手で頭を抑えました。

 

「足柄。調書を見せてくれ」

 

 どうも日向さんも今回は参っている様子です。足柄さんから受け取った調書を読みながら何度も前髪をかき上げては渋い顔をしています。 

 

「……何を言っているんだ、あいつは……」

 

「私が聞きたいわ」

 

「聞いてきたのはお前だろう」

 

 日向さんの一言に、足柄さんは膝から崩れ落ちると今度は顎を日向さんのデスクに乗せ項垂れながら日向さんを見つめました。

 

「もうわからないわよ!」

 

 顎を乗せたまま喋ったからでしょう、どうも舌を嚙んだらしく口元を抑えて蹲りました。

 

「落ち着け……足柄は私と来い。野分。訳が分からないだろうが、あいつの監視を頼む。ついでにもう少し話を聞いてやってくれ」

 

「了解しました」

 

「足柄。いつまでもそうやってないでさっさと用意をしろ」

 

 日向さんは蹲る足柄さんの襟首を掴んで立ち上がらせましたが、今だ口元を抑えている足柄さんは涙目で睨むように日向さんを睨みました。

 

 

ーーーー

 

 そこにはやはり摩耶がいた。

 

「なぁ……アタシが何かしたかよ……」

 

 公安の取調室の摩耶はやつれた表情で椅子に座っていた。

 壁にもたれかかり、監視するようにこちらを見ている陸奥を気にしながらも、日向は私に摩耶の対面に座る様に促した。

 

「こんにちは。私がどこの誰かはわかる?」

 

 体面に座った私は摩耶の顔を覗き込むように顔を見た。たった一日、ここに拘束されていただけでここまでやつれるとは、相当厳しい取り調べを受けた様ね。

 

「特捜の足柄だろ?」

 

「そうね、あなたはどこの誰?」

 

 私は取り調べで最初に聞くことを当たり前の様に聞く。けれど、これが一番大事なこと。

 

「馬鹿にしてんのかよ……」

 

「質問に答えてくれないか?」

 

 私の横に立つ日向は腕を組み、見下す様に摩耶を見ていた。摩耶は一瞬日向を睨んだが、諦めたように溜息をついた。

 

「アタシは摩耶だ。所属は交通機動隊」

 

「そう。あなたは白バイ隊員の摩耶ね」

 

 私は納得して頷いた。もうこれで十分。日向の方を見ると日向も納得したように頷いた。

 

「おい……それだけかよ……アタシは何もしてないんだ。確かに昨日は非番だったけど、ずっと家にいたんだ」

 

「それを証明できる人は?」

 

 特に聞くこともないけど、摩耶が助けを求めるように話し始める。陸奥が寄り掛かった壁から離れたが、日向は視線だけ陸奥に向けた。察した陸奥が大人しく元居た場所に戻ると、日向は黙ってうなずき摩耶の話を促した。

 

「……ずっと一人だったからいねぇよ……でも信じてくれよッ! 何だったら防犯カメラの映像を確認してもらっても……」

 

「調べるのは構わない。けど、それをやってもお前が不利になるだけだ」

 

「そうね。私達としてはここで大人しくしてくれていた方が助かるわ」

 

「馬鹿言うなよッ! 何もしてないのに懲戒免職だぞッ! 納得できるわけないだろッ!」

 

 摩耶が机を思い切り叩くと、椅子を蹴って立ち上がった。日向は溜息をつきながら摩耶の後ろに立ち、私も立ち上がって、摩耶の両肩に手をついた。

 

「いいから座りなさい。下手なことをすればあなたが不利になるだけよ?」

 

「そうだ。いいから座れ」

 

 日向も摩耶の両肩に手をつき、半ば強引に座らせた。その時、日向は摩耶の耳元に顔を近づけて、何かを囁いたようだ。

 けど、感受性が豊かな摩耶がそれに反応を示さないわけがない。目を見開くと一瞬、日向の方を見ようとした。それを陸奥が見逃すはずがない。

 

「それで、正式な処分はいつ言い渡されるんだ?」

 

 日向が陸奥の方を見ると、陸奥は日向を睨むように見ていました。

 

「……さぁ?」

 

「さぁって……あんた……」

 

 立ち上がって陸奥に歩み寄ると、陸奥はそっぽをむいた。

 

「陸奥。話がある」

 

「あら? お生憎様。私は暇じゃないの」

 

「それはお互い様だ。足柄。少し外す。その間摩耶の相手をしてやれ」

 

「なぁ……頼むからアタシの話を聞いてくれよ……」

 

「わかった……わかったわ……私にもわかる話をして頂戴」

 

 

ーーーー

 

 オフィスで細々した書類作成を終わらせ、摩耶さんの様子でも見に行こうとした時でした。

 

「おいッ! ここに陸奥が来なかったかッ!?」

 

 オフィスの扉が勢いよく開き、その音に驚いて机の上に積んだ書類の山を崩してしまいました。

 

「脅かさないでくださいッ! 先ほど来られましたが……摩耶さんは大人しくしていてください!」

 

「うるさいッ!」

 

 摩耶さんはそう言うと持っていた小銃を野分の方に向けました。

 

「どこからそんな物を持ち出したんですかッ!」

 

 ゆっくり立ち上がり、両手をあげて敵意がないこと示しました。

 

「官品だ。別にここから持ち出した訳じゃない。そんなことはどうでもいい。アタシは帰るぞ」

 

「落ち着いてください。まずは銃を下ろしてください。話を聞かせてください。陸奥さんのところに戻りたくないならそう手配します」

 

 ヤケを起こしているけど、どこか冷静な摩耶さんにゆっくり歩み寄ると、摩耶さんは銃口を下ろさずに逆に野分との距離を詰めました。

 

「野分にアイツは止められない。アタシは自分の非番を平和に過ごしたいんだ。悪いけど車貸してもらうぞ」

 

「貸せるわけないじゃないですか……わかりました。野分が運転します。その方が動きやすいでしょう?」

 

「……その前に、お前が信用に足るかどうかだ」

 

「逆ですよ。摩耶さん」

 

 野分はそう言い、両手を下げてオフィスの一角にある武器庫の鍵を開けました。

 

「おい……何をしている……」

 

「摩耶さんが野分の事を撃つとは思っていません。けれど、万が一ってこともあります。野分も装備を持っていきます。野分から逃げようとするなら撃ちます。それでいいですか?」

 

「アタシを陸奥のところに連れていくなら容赦なく撃つぞ」

 

「それで構いません。まだ仕事はありますが……これもお仕事だと割り切って摩耶さんのお休みにお付き合いしますよ」

 

「わかった」

 

 摩耶さんはようやく銃口を野分から下げました。

 

 

ーーーー

 

「ドアが4つもついてるのか」

 

 駐車場まできた摩耶さんは珍しそうに捜査車両を見ていました。

 ここに来るまで、装備を入れたリュックを背負い、防弾ベストまで着こんで野分と小銃を肩に担いでいろいろ珍しそうに見ながら歩く摩耶さんはとても目立ちました。

 

「摩耶さんは後ろに乗ってください」

 

「なんでだよ。いいじゃないか助手席で」

 

「……横で銃を持たれていたら落ち着いて運転できないのですが」

 

「まぁ、警察の厄介にはなりたくないしな。あの音を聞いたら寿命が縮む」

 

 それは誰しもそうでしょうが、野分の知っている摩耶さんはそれを言ってはいけないと思います。

 

「早く行きましょう。いつまでもここにいても仕方ありません」

 

 野分はトランクにリュックを詰めましたが、摩耶さんは助手席に取り込み、小銃を足元に置きました。野分も防弾ベストは脱がず、腰の拳銃だけは外しませんでした。

 

「おぉ、中は広いな」

 

「野分はこんな大きい車運転したくないんですけどね」

 

「変わってやってもいいぞ?」

 

「それは遠慮します」

 

 野分は車のエンジンをかけ、ギアをいれてゆっくりと駐車場を出ました。

 

「それで、どこに行くんですか?」

 

 オフィスビルの駐車場を出て大通りに出ると、摩耶さんは腕を組んでしばらく考え、ハッとした表情で野分を見ました。

 

「車じゃ野分が飲めないじゃないか」

 

「飲みませんし飲ませません……そんなにたくさんは」

 

 言った後に、摩耶さんを止めるのは無理なことに気が付き、訂正しました。行先も決まってませんが何となく周りの車に合わせながら流しました。

 

「そうだな~……肉でも食いにいくか。とりあえず木更津でも行こうぜ」

 

「木更津でお肉ですか?」

 

 魚のイメージの方が強いのですが、摩耶さんはおいしいお店でも知っているのでしょうか。

 

「行けば何かしらうまい店ぐらいあるべ」

 

「さいですか……そういえば、摩耶さん。お金は?」

 

「んなもんない。野分の驕りだ」

 

「…………さいですか」

 

 これは経費で落ちるでしょうか。いえ、落ちるわけがないですね。むしろ怒られるでしょう。なんと言われるでしょうか。お前まで一緒になってどうする。お前も訳の分からん機関の所属になったか? などなど、そんな感じでしょう。

 そんなことを考えながら、車を高速に向けて走らせていました。気が重いせいか、妙に信号に引っ掛かります。途中、強引に割り込まれたワンボックスの後ろをずっと走っています。

 さっきまで陸奥さんや加賀さん、阿武隈さんの愚痴を言っていた摩耶さんが話さなくなったかと思うと、座り直してセンターコンソールに肘をつけてジッと前の車を見ていました。気に喰わないからと足元の小銃を手に持たなければいいですが。

 

「野分。そこ左に曲がれ」

 

「ここをですか? 高速に乗れませんよ?」

 

「いいから曲がれって」

 

「どうしたんですか……」

 

 やっと前の怖そうな車が退いたというのに、わざわざ遠回りをする必要もないと思いますが。

 

「そこを左」

 

「ここ一方通行」

 

「はやく曲がれって」 

 

 摩耶さんは野分の持っていたハンドルを勝手に回すと、空いているもう片方の手で野分の右ひざを掴んでグッと押し込みました。

 

「摩耶さんッ!」

 

「ぶつけたくなかったら言うことを聞け」

 

「わかりましたッ! わかりましたから話してくださいッ!」

 

 摩耶さんを引きはがし、ハンドルにしがみつくと、横を歩くおじさんがすごい顔で野分達を見ていることに気が付きました。

 それもそそうでしょう。野分みたいなのが、横にガラの悪い女の子を乗せて必死で運転しているのですから。通報されてもおかしくありません。

 摩耶さんの指示に従い何度か交通法規を無視しながら走ると、どんどん人気のない場所に入っていき、最終的には鬱蒼とした林の中にある廃墟の前を通り過ぎ、しばらく行ったところで車を止めるように言われました。

 

「こんなところでお肉が食べられるとは思いませんが」

 

 野分がそう言うと、摩耶さんは真面目な表情をして車から降り、静かにドアを閉めました。

 

 

「そう言うなって。仕事した方がこの後の酒がうまいってもんよ」

 

 摩耶さんは小銃を肩に担ぐとジッと廃墟の方を見ました。

 

「あの建物に何か?」

 

「さぁな。行ってみりゃわかるさ」

 

 摩耶さんは静かに、けれど素早く廃墟の裏手へと移動を始めました。野分も慌ててついていくと、摩耶さんは怪訝な顔で野分を見ました。

 

「お前、武器は?」

 

「なんでそんなものがいるんですか?」

 

「仕方ねぇな……」

 

 摩耶さんは顎で建物の裏手の方を指しました。そこには先ほど割り込んできたワンボックスの車が表から見えない様に止められていました。それとは別に高級セダンも止まっています。

 

「摩耶さん……あれって……」

 

「アタシの感が外れていることを祈るよ」

 

「装備を取ってきます」

 

「馬鹿言うなよ。このまま行くに決まってんだろ」

 

「ですが……」

 

「心配しなくても、駆逐艦の重りぐらいはできる」

 

 摩耶さんはそう言い、すばやく裏口のドアの横に付きました。野分も腰に納めていた拳銃を抜き、摩耶さんの反対側に付きました。

 摩耶さんの顔を見ると、摩耶さんは黙ってうなずきました。頷き返し、音を立てない様にドアを開けると、摩耶さんは音もなく滑り込むように中に入りました。野分もそれに続きます。

 中で男性たちが楽しそうに話す声が聞こえます。摩耶さんは真後ろにいる野分に聞こえるぐらいの舌打ちをすると、小銃をしっかり構え直しました。

 

「向こうもアサルトライフルにサブマシンガンを携行している……あぁ~、お前風に言うなら小銃と短機関銃って言ったほうが解りやすいか?」

 

「よくわかりませんが、危険な武装しているってことですか?」

 

「そういうことだ。殺しはしないが、死ぬほど痛い目に遭わせる。いいな?」

 

「向こうが撃ってこないと発砲できません」

 

「お前らはそういう組織なのか?」

 

「摩耶さんがどの様な組織に所属しているのかは知りませんが、特捜はそうです」

 

「トクソウ? トクソウねぇ……」

 

「誰かそこにいるのか?」

 

 しゃべり声が聞かれてしまったようです。摩耶さんは咄嗟に小銃を背中に隠すと、いかにも柄の悪そうな男性が現れました。

 

「おぅ……ハクいスケじゃねぇか。誰かが呼んだのか?」

 

 摩耶さんは黙って前に歩き出すと、ぞろぞろとガラの悪い男性が出てきました。皆一様に銃を持っています。

 

「なんだよ。気が利くじゃねぇか!」

 

 ジロジロの嘗め回すような視線を無視し、摩耶さんは黙って前へ歩き出します。野分は男性の数を数え、装備を確認します。数は見えるだけで十人。武装は様々ですが危険なことには変わりがありません。

 一人が手を伸ばし、摩耶さんの肩に手が触れた瞬間、摩耶さんは持っていた小銃の銃床で触れた男性の顎をカチ挙げると、そのまま太ももに向けて発砲しました。

 

「トクソウゥ? だッ! お前らシンミョーにバクにつけッ!」

 

 妙なイントネーションでしたが、日向さんが言いそうなことを言いまいした。意味は解っていなさそうですが。

 

「トクソウゥ~?」

 

「なんだ、そんな設定の店か?」

 

 どうやら玩具の銃を持っていると思われているそうです。目の前では本気で痛がっている方がいらっしゃるのですが、どうやら悪ふざけぐらいにしか思っていなさそうです。

 摩耶さんは構わず立て続けに引き金を引きました。本物の発砲炎と、すぐ横で上がった血しぶきでどうやら本物だと気が付いた時には時すでに遅しでしたが。

 

「こいつらッ!」

 

 摩耶さんと野分の横を弾が掠めました。これなら野分も撃てます。なんとなく拳銃を相手に向けて狙いを絞り込む。幸いにも相手はお上手ではありません。よく狙って、ゆっくり引き金を絞る。それぐらいの時間は貰えました。

 

「なんだ。当てられるのか」

 

「一応は」

 

 摩耶さんの死界をカバーしながら、引き金を絞りました。野分達は囲まれています。だから相手にゆっくり撃たせてはいけません。一発で無力化しなくてはいけません。

 照門と照星を合わせて引き金を引く。慌ただしく、うるさい中ではありますが、何故か落ち着いていました。

 

「ずいぶんと落ち着いてるな」

 

「不思議と」

 

 摩耶さんとそんなやりとりをする余裕もありました。消音機も付けず、派手に打ち合っていたせいでしょう。遠くからサイレンの音も聞こえ始めました。それと同時に銃声が止み、慌ただしい足音とドアを乱暴に開ける音が室内に響きました。摩耶さんも野分も後を追うように入ってきた裏口に戻ると先ほど前を走っていたワンボックスが乱暴に走っていきました。

 摩耶さんはすごい速さで車に戻ると勝手に運転席に乗り込みました。野分が近くにいたせいで、ドアが開くのは仕方ないとしてなんで運転席に乗るのでしょうか。

 

「何してんだッ! 早く乗れッ!」

 

 摩耶さんはふざけている様子はありませんが、ここで言い争っている暇はありません。助手席に乗り込んでスマホを出したと途端に摩耶さんはエンジンをかけて車を急発信させました。

 

「応援をッ」

 

「そんなの待ってられっかッ!」

 

 摩耶さんの乱暴な運転に揺すられながらスマホを操作し、なんとか足柄さんの携帯を呼び出すが出来ました。

 

「野分です。足柄さん、聞こえますか?」

 

『のわっち!? 何やってるの? 今どこにいるの? 摩耶はどうしたの?』

 

 どうやら足柄さんはオフィスに戻っているようです。早口にしゃべる足柄の様子から、日向さんの機嫌が悪いことが窺い知れます。

 

「摩耶さんは野分と一緒にいます。そんなことより応援をお願いします。場所は……」

 

『捜査車両使っているわね? ならGPSで場所を追うわ。すぐに向かえばいいかしら?』

 

「お願いします。相手は小銃を武装した3人組です」

 

 野分を電話を切ると、赤色灯を出すボタンを押しました。

 

「気が散るから消してくれッ」

 

 摩耶さんは心底嫌そうな顔をしましたが、これがなくてはただの暴走です。

 

「これ付けてないととぶつけた時に面倒になるので我慢してください」

 

「落ち着かねぇ」

 

 摩耶さんは居住まいを正しましたが、どこか居心地悪そうにハンドルを握りました。ただ、サイレンを鳴らしたことで摩耶さんの運転の乱暴さに拍車がかかりました。

 避けていく一般車を更に避けるように追い抜いていくのでタイヤは鳴りぱなっしです。前の車のナンバーを報告しようとしますが、こっちも揺れるし、向こうも動くので数字を読むことが出来ません。

 

「野分。いつまでも追いかけっこしてても仕方ない。一気にカタ付けるぞ」

 

 メーターに視線を落とした摩耶さんがそう言いました。ガソリンが切れそうなのでしょうか。とにもかくにも応援が来るまでずっとこのままというわけにもいきません。

 

「どうするんですか?」

 

「拳銃貸してくれ」

 

 摩耶さんは片手を野分の方に出しましたが、この状況で片手で運転させるわけにも、ましてや拳銃を撃たせるわけにいきません。

 

「断ります。野分がやるのでどうすればいいか教えてください」

 

「撃てても当たらなきゃ意味ないぞ?」

「頑張ります」

 

 野分は、窓を開けると身を少し乗り出し、拳銃を両手に持って構えました。摩耶さんも車を揺らさずに真っすぐ走らせてくれています。

 

「この先、右側は海だ。左のタイヤを狙ってくれ」

 

「左? 右じゃないんですか?」

 

「左だッ! お茶碗を持つ方だッ!」

 

 野分は言われた通り、左のタイヤを狙い引き金を引きました。道幅が狭いこともあり、向こうもまっすぐ走っていたので当てるのはさほど難しくありません。問題は車を止めさせ、相手を無力化することです。

 むこうの車がパンクしたことでバランスを崩し、戻そうと右に曲がろうとしたところで摩耶さんは野分の体を車内に引っ張り戻し、ガッとアクセルを踏み込みました。摩耶さんの片手によってしっかりシートに押し付けられた野分は迫りくる前の車に思わず目を閉じてしまいました。

 ゴンッと鈍い音と共に、野分の体に鈍い衝撃が伝わりました。

 摩耶さんはそのまま車を急停車させると、野分から手を放しました。微妙に身体が痛みますが、車から降りると、派手に拉げたガードレールの先に海に沈もうとしている先ほどの車がありました。こんなところに車を沈めたら色々な方面から怒られそうですが、もうやってしまったことです。

 それに、車から逃げ出したであろう三人が更に泳いで逃げようとしていました。

 

「無駄な抵抗を……」

 

 聞こえるように大きな声を出しましたが、それより先に摩耶さんが発砲しました。

 

「この摩耶様から泳いで逃げようとしても無駄だぞ。大人しく上がってこい」

 

 摩耶さんは野分よりも大きな声でそう叫ぶと、弄ぶように小銃を発砲しました。

 しかし、すぐに古いタイプのサイレンが聞こえたかと思うと、日向さんの車が乱暴に野分達の近くに止まりました。

 

「状況は?」

 

 確実に機嫌が悪い日向さんと目を合わせることが出来ず、野分は逃げていく三人を見ながら報告しました。

 

「追跡中の三名はあそこです」

 

「足柄。すぐに連絡を」

 

「もうしたわ。直に応援が来るわ。時間の問題よ」

 

 足柄さんも日向さんと目を合わさず、泳いでいく三人に向かい発砲する摩耶さんを見ていました。

 

「摩耶。その辺にしておけ。後で話を聞いてやる」

 

「おぅ。遅かったな。大多数はアタシらがやっちまったぞ」

 

 摩耶さんは発砲を辞め、野分の方に近づくとしたり顔で日向さんを見ました。もうこれ以上に油を注がないで欲しいのですが。

 

「あぁ。知っている」

 

 日向さんはそのまま自分の車に乗り込み、足柄さんはぶつけた捜査車両の前に立ち尽くしていました。

 

「やったな。野分。大手柄だぞ」

 

 摩耶さんがそう耳打ちをしましたが、大手柄ではなく大目玉の間違いではないでしょうか。

 


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