時刻はもうすぐ八時になる。
私たち、七係のオフィスには私、足柄と日向だけ。
のわっちは今日は予定があると言って定時で帰ってしまった。もともとのわっちは仕事を溜め込む方ではない。殺人的に忙しい時は残るけど、そうでも無いときは勤務時間内にやるべきことを集中して終わらせて先に帰ることが多い。
私も、やるべきことをやっていないわけじゃない。ただ日中の作業効率が悪いだけ。それに面倒な書類仕事をするよりも、他のことをしていた方がはかどる。
日向は会議に追われて自分の仕事が滞るらしく、ほぼ毎日残業しているけど、今日は長い方だ。
「足柄。終わったか?」
「もうちょいで終わるわ」
「そうか……久しぶりに二人で一杯どうだ?」
日向にしては珍しいお誘いだ。
「いいわね。明日はお休みですし、たまには二人でやりましょうか」
「いくら休みでも、私は終電で帰るぞ」
私は電車通勤しているけど、日向は生意気にも車通勤。早く帰って寝て、明日は車を取りに来るのでしょうね。
「さっさと終わらせろ。私はもう終わっている」
日向はそう言うと大きくのびをした。
「はいはい。了解」
ーーーー
私もすぐにキリがいいところで終わらせ、オフィスを出たのが八時半。
これからお店に着いて、飲み始めるのが九時だとしたら二時間ちょいね。少し物足りないけど、帰って家で飲めばいいかと思っていると、日向はエレべータの階数を示すボタンを駐車場のあるフロアを押した。
「あら? 公務員が飲酒運転するつもり? それとも、私の上司であろう日向さんが飲まないおつもりですか?」
「気が変わった。私の家で飲もう。途中でスーパーに寄っていく」
私は少し驚いた。
あの秘密主義の日向さんがご自宅に招いてくれることにも驚いたけど、スーパーなんて単語を発するとは思ってもいなかった。
「なんだ? 嫌なのか? ならどこか店を……」
「そうじゃないわよ。あなたもスーパーに寄るんだなと思ってね」
「私だって女だ。料理のひとつぐらいするさ」
日向は苦笑いを漏らした。
エレべーターが駐車場のあるフロアにつき、私は日向の後ろを歩いた。そういえば、日向のプライベートカーに乗るのは初めてだし、日向の運転なんていつぶりかしらね。
「……先に言うが、運転はさせないぞ。お前の乱暴運転に耐えられるほどタフじゃないんだ」
「別にいいわよ。たまには助手席でゆっくりさせてもらうわ」
私は日向より先に助手席のドアを開けた。
私が乗り込むと、日向はゆっくりと車に乗り込んだ。歳なのかしら。そんな天井を持ちながら乗り込むなんて。
「これは私なりの作法のようなものだ」
「よくわからないわね」
「だろうな」
日向はエンジンをかけると、ゆっくりとクラッチをつないだ。
私みたいに、ポンッとつなげる訳でも無く、車はゆっくりと動き出した。
「じゃあお願いするわ」
「任された」
ーーーー
日向の車に揺られながら、私はなんとなく外を眺めていた。
日向はちゃんと両手でハンドルを持って、正しい運転姿勢で前だけを見ている。私は飛ばしてる時以外は片手運転だから、そこは正確の違いなのかしらね。
「そういえば、オフィスまでどれぐらい時間かかるのよ? 私やのわっちは電車通勤だから時間は正確だけど、車通勤じゃ渋滞で時間が読めないでしょう?」
いつもギリギリに来る私と違って、のわっち曰く、誰よりも早く来ているらしい。
「すいてれば一時間かからないが、だいたい一時間半ぐらいだな。高速を使えば三十分程度つくが……寝坊しない限りは使わんようにしている」
「あら? 日向さんも寝坊するのかしら?」
「お前は私をなんだと思っている……寝坊もするさ。私の場合寝癖が酷くてな。寝坊したときに限って逆立っているんだ」
あの厳格な日向が寝坊するところなんて想像がつかない。
私の勝手なイメージ、起きたらすぐにあの日向だ。
「そこに帽子があるだろう? 寝癖が直らない時はそれを被るんだ。短時間でも直るぞ」
「それはいいことを聞いたわ。私もオフィスに泊まったときはそうさせて貰うわ」
「緊急時以外は帰ってほしいものだな」
そんな他愛のない会話をしながら何となく流れる景色を眺めている。なんか平和ね。
「私も車通勤に変えようかしら。通勤電車に比べてなんて快適なの」
「艦娘の時は宿舎だったからな。通勤ラッシュも朝の渋滞も無縁のものだと思っていたからな」
「麗しき艦隊乙女が満員電車に揺らされて仕事場に行くんですものねぇ」
先に帰ったのわっちの姿を思い浮かべた。
いつもの制服に、ミリタリーバックパックを背負って電車に乗る姿は、ミリタリー好きに女子高生といったところかしらね。あの銀髪が目立つけれど。
「乙女というより、仕事に疲れたキャリアウーマンだろ」
「私のことかしら?」
「そうだ」
「そうねぇ……独身のキャリアウーマン。男になんて興味ありません。仕事命です! って感じかしら?」
「なら野分みたいに真面目に仕事をしてほしいもんだな」
「私はいいのよ。書類仕事に追われるよりも、男漁りで街に繰り出すよりも、捜査で体使ってるほうが性分にあってるわ」
最近目立った事件も無く、正直暇している。
何もないこしたことはないけど、意味があるのかわからない書類を作っているよりは多少気が晴れる。
「平和で豊かな国になったことを喜ばないといけないな」
「平和……ねぇ」
私は終戦から今まで公務員として生きてきて、疑問に感じたことが一つある。
それを日向に聞いてみることにした。
「日向はさ……今の生き方に満足しているの?」
「なんだ。藪から棒に」
「妙高型重巡洋艦「足柄」の時、今の捜査官「足柄」の時、もしその先に一般人「足柄」……いえ、今の私たち以外の子達ね。その子達は今をどう思っているのだろうって思うときがあるのよ」
「難しいことを言うな。詳しく聞かせてくれないか?」
嘘おっしゃい。日向との付き合いは長いわ。
私が言っていることを理解していない訳がない。日向が聞きたいのは私がどう思っているのか。そうでしょうに。
ひとつため息をついて、私なりの考えを述べる。
「艦娘から一般人になっても、解体されたとはいえ艦娘でしょ? それが今の平和な世の中を生きるって物足りなくないのかしらね」
「私は物足りないな。そう思う」
あら。日向さんなら真っ向から否定してくると思ったわ。
平和を享受することも義務だとか言いそうだったけど。
「それまで守っていた存在から守られる存在になった。艦娘であった時のことを思えば、ひ弱で頼りなく思えるだろうな」
「解体なんてされなきゃよかった! なんて思うのかしらね」
「そう思うやつもいるはずだ……ここだ。ここはいろいろ安く買えてな。家からは遠いがひいきにさせて貰っているんだ」
日向のなじみのスーパーにつく。
それはチェーン店ではないけれど、ここら近辺の生活を支えているであろう大きめのスーパーだ。
「続きは私の家でな」
「別に気にしなくていいわよ」
「いや。お前には再教育が必要だということがわかった。電車を気にしなくていい自宅に変えて正解だったよ」
日向はにんまりと笑っていた。
ーーーー
一応。私、日向が招いたのだから、足柄はゲストになる。
それは構わないが、確実に失敗したことがある。足柄は買い物が長い。職場でしか会わない彼女だから知らなかった。
まずはお酒。飲むのは十分承知していたが、これも飲みたい、あれも飲みたいと言い始めた。
「日向! 見て見て! ご当地地ビールコーナーですって!」
「あぁ。そうだな」
私は普段飲む銘柄は決めている。気分によって変わることもあるが、だいたい同じだ。
今日は足柄がいるから、揚げ物を多めにしよう。だからビールを多めに買わなくてはならない。そこまでは想定していた。
「見て見て、このパッケージかわいらしいじゃない!」
足柄が見せてきたのはカエルが描かれたパッケージの缶ビール。
「飲みたいなら買えばいいじゃないか」
「そんなにたくさん飲めないわよ」
足柄が持っているかごには既に気に入ったであろう缶ビールが大量に入っている。それもどれも一缶ずつ違う。
「飲めない分は私が後日家で飲む。気にせず買え」
当分はビールには困らんな。
そう思っていた。けど、それだけじゃなかった。
「日向! 見て! これ!」
「今度はなんだ……」
足柄の方に目を向けると、頭の上に一升瓶を乗せていた。
「……何をしているんだ?」
「隊長機」
私は足柄持っていた一升瓶のラベルを見てため息をついた。
「認めたくないものだな。自分の部下の過ちというものを」
「フフフ、怖いか?」
今度は違う瓶を持って片目を隠している。
「もういい! 気になったものはすべてかごに入れろ!」
まさか、買い物だけでこんなに疲れるとはな。
やっとの思いで会計を終える。
「袋はいりますか?」
「お願いします」
比較的に安いスーパーでは見かけない金額を提示される。
私はレジを通した三つのカゴを嬉しそうに袋詰めする場所に運ぶ足柄を見た。うち、二つの中身はすべて酒だ。
「……まぁ、そうなるな」
私はあまり使わないカードを渡し、何度目かわからないため息をついた。
ーーーー
「買ったものを台所まで運んだら、適当にくつろいでいてくれ」
足柄は嬉々として重たい袋を持ってくれた。
私の言ったとおり、重たい袋をキッチンに置くと、居間に座り、テレビをつけた。
私は袋から大量の缶ビールを冷蔵庫に放り込み、作り置きの塩辛を小鉢に適当によそった。
「ほら」
小鉢と比較的冷たかった缶ビールを足柄に渡す。
だが、足柄はそれに手をつけようとはしなかった。
「どうした? 先に始めてていいぞ?」
愛用している割烹着を着ながらそう言うと、足柄は不満そうに私を見ていた。
「一人で始めるわけにはいかないでしょう?」
「じゃあ付き合おう」
私は冷蔵庫から一本取り出して、足柄の方に向けた。
「乾杯」
「乾杯」
プシュッと小気味いい音を立て、私はそれを一口飲む。
さて、まずは何から作ろうか。
「……手伝おうか?」
「お客様はくつろいでいてくれ。それにお前に台所を汚されてはかなわん」
「あらぁ? ……失礼しちゃうわね」
足柄はテレビを消すと、ジッと私の方を見てきた。
その目は料理には自信ありと言いたげな様子だ。
「お前に魚が捌けるとは思わんが?」
「それは苦手だけど、揚げ物なら妙高姉さんにも羽黒よりもうまい自信があるわ」
足柄はそう言うと上着を脱ぎ、下に来ていたシャツの袖をまくった。
「まぁ、見てなさいって。足柄姉さん特製のフライを食べさせてあげるわ!」
「頼むから汚さないでくれよ」