「那珂さんは無事です!!」
「野分ちゃん……ありがとう……」
「いえ、今は会員ナンバー7番ののわっちです!」
のわっち……あなた、私にはのわっちと呼ぶなと言っていたのに、那珂の前ではのわっちなのね。
まぁ、そう言われていたのもだいぶ前の話だけど。
「のわっち! 那珂を遮蔽物に隠して! まだ脅威が去ったわけじゃないわ!」
「那珂さんです! そして野分です! わかっています!」
思い出したように言うんじゃないわ。
けど、よかった。これで私も戦える。
『こちら日向。昨日と同じだ。ステージ裏からバスが突っ込んでくる。何としても止めろ』
状況に対して、日向は冷静だ。
「こちら足柄……了解したわ」
私はそう言い、ステージ裏まで走った。
私が受け止めた狙撃手はもう逃げられない。こっちの警察に任せればいい。
「止まりなさぁいッ!!」
私はシグを構え、バスの運転手に銃口を向けた。
だが、バスの運転手は止まる気配がない。いや、止まれない。
横に立つ男に銃口を頭に突きつけられ、青ざめた顔でハンドルを握る彼にとって、ブレーキを踏むと言うことは死を意味するのだろう。いくら私が銃口を向けて叫んでも彼には届かない。
「面倒ね……」
『あっちゃん! まだ……』
ヲッきゅんから無線が飛ぶ。私は無線に向かって叫んだ。
「大丈夫よ。あっちゃんに任せなさい」
私はシグを捨て、バスに向かって走り出した。
のわっちから受け取った法被がバタバタと音を立てて、靡く。
そうよ。私は足柄捜査官。艦娘の健全な社会活動を守るのよ。
バスとの距離が一気に詰まる。当然。私もバスも動いているんですもの。
けど舐めないことね。私は元重巡の艦娘で、陸奥のシゴキに耐えた女よ。
男が運転手から私に銃口を向ける。けど、私はもう躊躇わない。二人とも怪我をしても私は知らないわ。
「せぇ……のぉぉッ!!」
右手で握りこぶしを作り、私は野球の投手の様に左足を高々とあげた。
走り込んだ勢いを殺さず、私は左足を踏み込み拳を突き出す。タイミングはバッチリだ。一番威力が出るところでバスと私の右手が接触した。
メキメキッと拳が金属を変形させる感触が伝わる。けど、私の拳がめり込めばめり込むほど、右手を押し返す力が強くなる。更に押し返そうとするのでは無く、下に下に……そんな力が働いているのがわかった。
バスの後輪が浮いているんだ。
時間にすれば一瞬。けれど、私にはその時がゆっくり流れている様に思えた。
運転手と銃を持った男がフロントガラスを突き破り私の後ろに落ちる。
『足柄ァァァァッ!!』
「もーまんたい!」
無線で日向が叫んだが、私は空いている左手を突き出した。
その視界の端に男が私に銃を向けているのがわかる。
「死にたくないなら逃げなさい!!」
男には日本語が通じなかった。
バンッという発砲音が響いたが、弾は私に当たらず、バスの中に飲み込まれていく。
それもそのはず。私はバスに押される様に移動している。逃げた運転手とは違い、私を殺すという任務を遂行した男はバスに跳ねられ、どこかに消えた。
足の裏が熱い。けど、止めなくてはいけない。きっと大和や長門の主砲を撃った時のの方がすごいんでしょうけど、海にいた時には味わえない感覚ね。
『あっちゃん!』
「大丈夫よ!」
『そうじゃない!』
ヲッきゅんからよくわからない無線が舞い込んだ。
少しずつ推進力を失ったバスの両脇をすり抜けていく黒い車が見えた。
「嘘……」
『嘘じゃない! 私が片方やる。お前はもう一台をなんとかしろ!』
「そんなの無茶よ!」
バスは止められた。けど、走り抜けていく車をなんとかする手段は私にはない。
してやれた。あとはのわっちに任せるしかない。
そう諦め掛けていた時、私の頭の上をジェットエンジンの轟音が通り過ぎた。
私の目の前に一列に土埃が立っていく。その土埃の列は、あっという間に車に追いつき、激しい金属音を立てた。
それと同時に私を追い越した二台は爆発し、道沿いの歩道に乗り上げて止まった。
『こちら、をーべりっく。任務完了』
「……こちら、足柄。協力を感謝する」
ヲッきゅんの乗るトムキャットは翼を左右に振るとそのまま飛び去っていった。
『あれほど忌み嫌っていた深海棲艦が、那珂を救ったのか……わからんもんだな』
『わたしはくうぼ、をきゅうではなく……緒方恵理子です』
『そうだったな。緒方さん。改めて礼を言う』
『まちがえた。いまのわたしはをーべりっくです』
ーーーー
那珂を狙ったテロは防がれた。
向こうは数名の重傷者を出したけど、私たちも一般市民には一人の怪我人も出さずに済んだ。
しかし、今回の一件で捜査は大幅に進んだ。
まず、この国だけの問題では無くなった。
日本で有名な……有名らしいアイドルを狙ったテロは日本の捜査機関を動かすことになった。しかも、運悪く、陸奥の部隊が動くことになった。日向はそこまで手を回していなかったけど、加賀や赤城に無理を言ったのがいけなかった。
そもそも空港は民間企業だ。そこで私物の戦闘機を離着陸させていれば当然目をつけられる。それが深海棲艦が運用しているとなればマークされないわけがない。
けど、私たちはやりすぎた。
今、私と日向は警察署近くの中華料理屋で焼きそばを食べている。しかし、量の多いそれは一向に減らない。
しばらくすると、のわっちが店内に入ってきた。のわっちは私たちの席に座ると、何も言わず自分の取り皿に山盛りの焼きそばをよそった。しばらく無言で食べていると、満足気な顔をしたのわっちが口を開いた。
「日向さん。証言が取れたそうです。全ては前任の後ろ盾の指示でした」
「そうか……だが、当然向こうは否認しているのだろう?」
「はい。後ろ盾はやはり大手の薬局でした。そして前任もそこの元役員、強い繋がりがあったのは明白です」
「けど、その前任は指示を出していない。って言うんでしょ? それも嘘くさいわね」
私はのわっちのお皿に焼きそばをよそってあげる。
正直飽きた。この三日間、お昼は毎回これだ。のわっちがこれが食べたいというので仕方なくこの店に通っているけど、いくら美味しくても連日同じものばかりだと飽きる。
「いや、そうは思わん。その前任も結局は後ろ盾の駒に過ぎなかったのだろう」
日向は焼きそばを美味しそうに頬張るのわっちを見ながらそう言った。
「ほふひふほほへふは?」
「焼きそばは逃げないから、飲み込んでから喋りなさい」
「考えてもみろ。警察内部に自分の駒を置けるほどの権力者だ。何にも束縛されず自分たちのやりたいようにやれる力はある」
「国や政府、それよりも自分たちが上だと思っていたということ?」
「そういうことだろう」
日向はそう言い、行儀悪く大皿に箸をつけそのまま口に運んだ。
日向は複雑そうな表情をして食べている。もう飽きたと言わんばかりだ。
「だとしたら不思議ですね……そんな力があるのに、何故龍驤さん一人を相手に交渉なんてしかけたのでしょうか」
「恐らく、龍驤の情報が全く無かったからだろう。経営に関しても、どこから仕入れているのか。どうやって運んでいるのか。どうやって採算を取っているのか」
「……つまり、龍驤には大きな後ろ盾があると思い込んでいた?」
「そこを取り込めば、更に大きな収益を生むことが出来る。けれど、衝突は避けたかった」
「だが、そうはいかなかった。私たちが来たせいでな。話はそれるが、別の店に行かないか? 私は和食が食べたいんだが」
日向はそう言うと、鞄から三枚の細長い紙を取り出した。
「そりゃ私だって帰りたいわよ。けど帰れないでしょうが……」
私がため息をつくと、のわっちは恨めしそうに私や日向の顔を見ていた。
「お二人はいいですよね。美味しいものばっかり食べてたんだから……野分は露店や屋台のB級グルメばっかりでした」
「日本に帰れば、舞風の健康的な手料理が待っているのだろう? よかったじゃないか。日本じゃそんなの食べらればいだろう」
「そんなことより、捜査はどうするのよ?」
「彼らに任せようと思う。奴らはこれ以上好き勝手できんさ。私たちみたいにな」
日向はそう言い、窓から警察署を眺めていた。
ーーーー
「おぅ! 先に始めてるで!」
帰国し、私たちはそのまま鳳翔さんのお店に向かった。
店内では既に龍驤とヲッきゅんが飲み始めていた。
「ご苦労さん」
龍驤は日向のグラスにビールを注ぎ、私のグラスにはヲッきゅんが注いでくれた。
「のわっちもお疲れな!」
龍驤はのわっちのグラスになみなみとビールを注いだ。泡だてないように、コップのふちギリギリまで。
「……野分はご飯を食べに来ました。お酒を飲みに来たわけじゃありません」
「そんな固いこと言わんと。呑もうやないの!」
「龍驤。ひとつ聞いてもいいか?」
日向が睨むように龍驤を見た。その目には怒気が含まれている。
「なんや?」
龍驤も睨み返す。その場に重い空気が流れた。
「お前、こうなることがわかっていて私達を呼んだのだろう? もし怪我人が出ていたらどうする気だったんだ?」
日向の問いかけに、龍驤は黙り込んだ。しばらく睨み合いが続くと、龍驤はため息をつき、観念したように両手をあげた。
「本当に感の鋭いやっちゃな……せや。日向の言う通りや」
「どういうことですか?」
のわっちの問いかけに、龍驤は自分が注いだのわっちのグラスを見ながらつまらなそうにぼやいた。
「うちは楽しく飲みたかったんやけどなぁ……」
「話が終われば楽しく飲ませてやる。勿論、向こうで世話になった分、ここは私が出そう」
「うちは敏腕美人経営者でも……私はそうじゃない。ただのちんちくりんの生意気なガキなのよ」
龍驤が流暢な標準語で話しているのを初めて聞いた私は面を食らった。
「緒方のトムキャット。あれも全面戦争に向けて用意していたものか?」
「そうよ。ただ、私は戦争がしたかったわけじゃない。あなた達を呼んだのも最後の賭けだったのよ」
「お前ならわかっていたはずだ。私達が動けば、向こうが何かしら仕掛けてくることぐらい。お前の風水はよく当たるのだろう?」
「私の風水は私が自分で占う。結果に対して私情を挟まないわけじゃないわ」
「りゅうじょうさんはずっとなやんでいました。りゅうじょうさんとわたし。ふたりがいればあいてをたたきつぶすことはかんたんにできる。わたしはなんどもりゅうじょうさんにやりましょうといいました。けど、ずっとりゅうじょうさんはそれはあかんと」
「やりようはいくらでもあった。けど、私が間違えたこと。本来であれば生意気でしたと頭を下げればよかった。けど、そうはしたくなかった。金持ちだけがいい思いをする。そんなのはおかしいって」
「それと騒ぎを起こすことは関係ない。それにお前がやったことはやつらと変わらない。自分に手を出したら、私達捜査局を動かすことになると脅してみせたのも同じだ」
日向の言葉に、龍驤はついに押し黙った。そしてその場にいた全員が何も言えずにいた。
龍驤は正座し、膝の上に拳を強く握りしめている。
「……まぁ、別にお前を責める気はないんだがな。お前がやったことは正しいと思っている」
日向はそう言うと、龍驤が机の上に置いていた煙草を手に取り、龍驤に勧めた。龍驤はそんな日向をキョトンとした様子で見ていた。
「お前ならあの状況、如何様にもできた。さっき緒方が言っていたみたいに、相手を叩き潰すことも、他のそういった組織を使って対抗することもな。けど、お前は私達を選んだ。私達は自分達が正義だと思って行動している。結果はどうあれ、私達を選んだお前は正しい。私はそう思っているが……足柄。お前はどう思う?」
「そうね……私は日向の言うことが正しいとは思わないわ」
私がそう言うと、日向は訝しげな表情で私を見た。
「だってそうじゃない。私達が動くことが脅しだなんて。舐められすぎよ。私達が動いた時点で向こうはもう終わっていたのよ。なんてったって、無茶苦茶する上司に無茶苦茶する経営者が相手なのよ? 止められるわけないじゃない」
「あっちゃん……たしかにそのとおりだね」
「野分もそう思います」
ヲッきゅんとのわっちが納得したように頷く。
「あなた達は私達のボスなんだから、結果がどうあれドーンと構えてなさいよ。じゃないと、下の人間はそれが正しいと思えないじゃない」
「そうね……せやな!」
龍驤はいつもの屈託のない笑顔を浮かべると日向から煙草を受け取った。日向はため息をつくと、龍驤が咥えた煙草に火をつけた。
「全く……無茶苦茶な部下を持ったものだ」
「けど、頼りなるやないか」
龍驤がケラケラと笑っていると、襖がガンッと音を立てて開いた。
そこには額に青筋を浮かべている鳳翔さんがいた。
「……お煙草をお吸いになられるのでしたら、お外で吸って頂けませんか?」
「なんや……鳳翔……ええやないか、別に……」
「龍ちゃん。こっちにいる間に煙草やめなさい。いいわね?」
「はい、や〜めた! で辞められるものちゃうねんぞ! それはうちに死ねと言っているのと同じや!」
「じゃあ死になさい!」
鳳翔さんは猫の様に龍驤を掴むと、そのまま外に連れて行った。
「やめるというまで中には入れませんからね!」
鳳翔さんはそう言うと暖簾をしまい、鍵をかけた。
「そんな! 鳳翔! 堪忍や!」
「まぁ……そうなるな……」