いくら何でも無茶がある。
確かに昨日の事件で人通りは少ないけれど、それでもこの国を代表する歓楽街。それなりに人通りはある。その中を一般人を装って捜査する……いえ、捜査ではなく調べ物、落し物を探すというのは難しい。
私は日本にもあるコーヒーショップでコーヒーをテイクアウトし、ガードレールに寄りかかり待ち合わせをしている様な素振りをしながら道路を見た。よく見ればタイヤ痕が残されているが、それ以外は変わったところはない。いえ、あるのでしょうけど、ここからじゃわからない。私は何度目かわからないため息をついた。そんな時、私の携帯が鳴った。
「那珂が来る? いつ来るのよ?」
『あと三時間もすれば来るそうだ。会場は今お前がいる場所だ』
私の知っている三時間の概念と日向の言う三時間はきっと違うのね。いえ、もしかしたら今話している日向は私の知っている日向ではないのでしょう。だって絶対そんなこと言いませんもの。
「足柄捜査官ですか?」
突如、ラフな格好をした現地民に流暢な日本語で声をかけられた。
「ごめん、ちょっと待って」
私は携帯を耳から離すと、彼らを注意深く見た。けれど、適か味方かわからない。
「……うぇ〜る……そーりー……あいあむ、はぐろ」
もっと英語を勉強してくればよかった。彼らは一様に顔をしかめた。その時、耳元から日向の笑い声が聞こえた。
「何よッ!」
彼らを無視し、電話に怒鳴ってみせる。日向はそんな私を気にせずしばらく笑い続けた。
『いやいや……お前が片言の英語を話すのと、自分のことを羽黒と言うとはな……似ても似つかんし、羽黒ならもっとオドオドしながら流暢な英語を喋りそうだと思ったからな……彼らは警官だ。今回の一件、私たち預かりとなった。これからはこちらのやり方で進めるぞ。彼らはそれに嫌々付き合わされている者だ』
「無理矢理……ねぇ……」
もう一度彼らを見ると、不思議そうな顔をして私のことを見ていた。
日向とのやりとりを終え、携帯をしまい、私は今一度彼らに向きなおった。
「日本語がわかるのはあなた?」
「はい。わかります」
「そう。なら私が足柄よ。さっきは嘘ついてごめんなさいね」
「いえ、こちらも考えなしに話しかけてすいませんでした」
彼が私に敬礼をすると、他の子も続いて敬礼をした。
「日向捜査官からお話は聞いています。私たちは警備部です。今回、日本からVIPが来られると聞いて駆けつけました。交通課も道路を封鎖する手はずを整えています」
なるほど、うちのやり方っぽいわね。
「あなた達、慣れないことしかないと思うけど頑張りなさい」
私の言葉をちゃんとした意味で理解した子はいないでしょう。
けど、後になればわかることよ
ーーーー
警察とコネがある建設会社が急ピッチでステージを作った。
私は警備部と手の空いていた交通課の職員と一緒に警備するフリをしながら道路を改めた。けど、これといって収穫があったわけではない。
ただ私はずっとタイヤ痕が気になっていた。
「あなた、昨日の事件のことはどの程度把握しているの?」
「大まかにしか聞かされていません。何でも龍驤さん達の車をバスで襲撃したとか……」
「バスねぇ……あなたはバスを運転することが出来るかしら?」
「単純に運転しろと言われれば出来ます。けど、どこにもぶつけるなと言われると微妙です。特にこの狭い道を曲がれと言われるのは……」
「そうね、私もそう思うわ。けど、バスは曲がった。それに加えて、この狭い道で龍驤達の乗る車を追いかけたのよ」
「通りそのものは狭くありません。ただ車が多いぶん狭く見えるだけで……」
「昨日の襲撃に使われたバスの……」
私が彼に指示を出そうとした時、私の携帯が着信を告げた。画面には日向の文字が記されている。
「もしもし?」
『日向だ。襲撃に使われた車両の運転手が見つかった。残念ながら話は聞けそうにない。運行会社の方も固く口を閉ざしている』
「それでも話を聞いてもらわないと困るわ。昨日の運転手は確実にバスの運転に慣れていた。気性の荒い素人が運転していたとは思えないわ」
『それだけわかれば十分だ。龍驤が脱出した今、奴らの報復先は私達だ。十分に警戒しろ。先ほど野分が襲撃された』
「のわっちがッ!? それで……」
『心配するな。無傷だよ。野分に必要な装備を持たせて向かわせてある。絶対に那珂に怪我をさせるな』
日向は言うことだけ言って電話を切った。
無傷だと言われてもこの目で確かめるまでは信じられないわよ。
ーーーー
人が集まってきている。
既に道路は封鎖され、特別会場には溢れんばかりの人がいる。その中を大量の荷物を持った銀髪の小さいのとガタイのいい男が二人、人混みを掻き分けてくるのが見えた。
「すいません。遅れました」
銀髪の小さいの。のわっちだ。
「無事ッ!? 怪我してないッ!?」
「大丈夫です。それより、足柄さん。これを」
野分は私の心配をよそに、大きな紙袋を私に渡してきた。
「何よ……これ……」
「必要な装備です」
「あんたが足柄さんかい? 俺は劉だ。このボンボンが用意したんだ。経費の心配はいらない」
「いや……のわっち……これが必要な装備なの……?」
私が紙袋から取り出したそれは私の想像していた装備とは違う。
オレンジ色のハッピ。その背中には水雷魂と書かれている。
「これなら内側のホルスターも隠せますし、サッと取り出せますから!」
そう言うのわっちは既にハッピを着て、頭に鉢巻をし、両手に光る棒を持っていた。
「……私たちの仕事は警備よ?」
「もちろん! 那珂さんには指一本触れさせませんよ!」
頼もしいんだが……頼りないんだか……
「そうだぞ。これも立派な警備だ」
そこに全身黒ずくめの日向が現れた。肩にはスリングで繋がれたM700がかけられている。
「野分とお前には那珂の警備を任せる。私は狙撃ポイントで待機する。いいか。那珂に絶対に怪我をさせるな」
「了解したわ……けど、あなた、そんなもの使ったことあるの? 不慣れな乙女には似合わないけど?」
私は日向の肩にかけられたそれを指差しながら少しだけおちょくってみせた。何故なら真面目な顔で心配しても日向の頑固な性格じゃ自分がやると頑なに拒否をするだけだ。
「私にその法被は似合わん。お前が着ればいい」
あぁ。そういうことですか。
「野分はあてにならん。お前がこれをつけていてくれ」
日向はそう言うと、私に小型のインカムを渡してきた。
「必要なすべての通信が入る。お前が野分を耳を引っ張ってでも伝えろ」
ーーーー
開始時刻になっても那珂は現れない。
集まったファンと集団に釣られた現地民や観光客は少しずつ騒々しくなった。中には帰りだすものまでいる。
これでいいのよ。道路を封鎖した捜査はすでに終わっている。結果、大した結果は得られなかった。それでお終いよ。いらぬ警備なんてしなくていい。
「……来ます!」
のわっちはそう言うと、両手に持ったうちわを空に向かって振りだした。あなたには那珂電探でも付いているのかしら?
のわっちの不可解な行動が始まってすぐ、私の耳に聞き覚えのある轟音が遠くから聞こえてきた。
「まさか……」
「世界一! かわいいよ!」
のわっちがそう叫ぶと、遠くから聞き覚えのある轟音が聞こえてきた。
いや……まさかね……いくら元艦娘だからって……
『こちら、ヲーべリック。ぱっけーじをどろっぷする』
『こちら日向……本気か?』
「艦隊のぉ〜〜!! アイドルゥ〜〜!!」
トムキャットの爆音を遮って聞こえた那珂の甲高い声。
あれは近くにいた人はたまったもんじゃないわね……
頭の上を翼を畳んだトムキャットが通ったかと思うと、ステージからシュタと何かが着地した音が聞こえた。いや、なにかはもうわかってんだけど……
「那っ珂ちゃんだよ〜! みんな今日は来てくれてありがと〜!」
一部の熱狂的なファンはものすごい盛り上がりをみせた。けど、他はポカンとした様子でステージを見ている。
「……もうあなたを守る気も失せたわ」
「じゃあ早速一曲目! Material 〜資材〜」
那珂がそう言うと、スピーカーから音が鳴り始めた。その途端、まわりが一気に騒々しくなる。
どこの世界に戦闘機から降り立つアイドルがいるのかしらね……
ーーーー
「真っ逆さ〜ま〜に〜♪ 溶けてくmaterial ♪ 」
「ハッ! ドッコイ!」
隣ののわっちはうちわを振ることと合いの手を入れることに夢中になっている。
私は前の柵に肘をつき、那珂の歌を聴いている。勝手に那珂の歌はキャピキャピしてるというイメージがあったけど、そういうわけでもなさそうだ。意外とよく作り込まれている。
「足柄さんも! ほら! うちわ振って! 最前列なんだから!」
「そもそも那珂の歌なんか初めて聞いたわ」
「……足柄さん。目の前で那珂さんが歌っているというのにその耳に付いているのはなんですか?」
「あなた、警備してるってこと忘れてないかしら?」
「……忘れてませんよ」
何よ、今の間は。
那珂の路上ライブは順調に進んでいき、一曲目は無事に終わった。
物凄い盛り上がり、正直飲まれそう。もしお酒が入っていたらどうなっていたかわからないわね。
「異国の地でも、こんなに那珂ちゃんのファンがいるなんて感激だよ! じゃあ二曲目……不沈艦、いっくよ〜!」
どうやら、恋の何とかは最後にするらしい。
那珂……最近のあなた、私嫌いじゃないわ!
『あっちゃん! みぎのびるのおくじょうにひとかげがみえた! ながいなにかをもっている!』
ヲッきゅん……ヲ級、緒方ちゃんから無線が飛んできた。
私は野分の耳を掴んで叫んだ。
「那珂を守りなさいッ!!」
『足柄ァッ!! 受け止めろッ!』
耳元のインカムから日向の叫び声が聞こえるのと、のわっちが飛び出すのはほぼ同時だった。
私はヲッきゅんに言われたビルの真下まで走り空を見上げた。人だ。人が落ちてくる。
私はそれをしっかり見定める。まだ、まだ時間はある。
両手を空に向け、受け止める体制を整える。
大丈夫、私は元艦娘。元重巡足柄。人一人何よ。ちゃんと取ってみせるわ。
黒い人影が視界いっぱいに広がる。それと同時に私の両腕にズンッととんでもない負荷が加わった。
「……生きてる?」
「……thank you」
「ゆあ、うぇるかむ」
足柄は短く答えた。
『こちら日向。よくやった……那珂も無事だ』
「こちら足柄。了解したわ」
足柄は乱暴に男を地面に落とすと、その場にへたり込んだ。
「ほんとに……きついわ……」