海軍特別犯罪捜査局   作:草浪

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NSCI #60 風と龍(1)

「香港も変わったな」

 

空港の外に出た日向さんは大きく伸びをするとパキパキっと首をならしました。

その横で、スーツケースを引き伸ばした持ち手の部分に頭を乗せて項垂れている足柄さんが辛そうに手をあげました。

 

「……水」

 

「揺れる機内でビールを八本も飲むからだろうが……」

 

「野分が口をつけたやつでよければありますけど」

 

野分がリュックから機内でも貰った水のペットボトルを出すと、足柄さんはそれをひったくる様に受け取り、一気に飲み干しました。

 

「この私がビール如きで気持ち悪くなるなんて……」

 

「駄目なら今のうちに戻してこい。こっちのタクシーは日本と違って運転が荒いからな」

 

「嫌よ。せっかく飲んだビールが勿体無いわ」

 

どういう理屈ですか。

野分は飛行機の中でずっと寝ていたので機内で何があったのかはわかりません。

けど、降りるときに足柄さんを好奇の目で見ている人がたくさんいたのでそういうことなのでしょう。

 

「それで、これからどうするんですか?」

 

「まずは宿泊先に向かう。この大荷物を持って彷徨くわけにはいかんからな。その後、私と足柄はこちらの警察に向かう。野分は護衛対象に会ってくれ……一人で大丈夫か?」

 

「野分は構いませんけど……一人で護衛出来るとは思えませんが」

 

「今日は顔合わせだけだ。それに、これよりもお前の方が使い物になるだろう」

 

日向さんはそう言い、顎で項垂れている足柄さんを示しました。

 

「まぁ……そうですね」

 

ーーーー

 

経費削減。

そんな理由で野分達は少し大きめの部屋に三人で泊まることになりました。海外は一人いくらではなく、一部屋いくらなので三人がそれぞれ安い部屋に泊まるよりも、少し広い部屋に三人で泊まった方が安いそうです。

 

「じゃあ野分はここで寝ますね」

 

部屋にはベッドが二つしかなく、一つソファーベッドが置かれているので野分はそこに寝床にしようとしました。

 

「どうせ、夜はこれが飲む。足柄がそこで寝ればいい」

 

「そうね。これ呼ばわりは気に入らないけど、日向の言う通りだわ」

 

いつの間にか復活していた足柄さんはそう言うと、ソファの近くに持ってきていたスーツケースを二つ並べました。

それぞれにスーツケースが二つずつ。荷物が多過ぎるのではないかと思われるかもしれませんが、それだけの大荷物になってしまったのです。

 

「用意したら出掛けるぞ」

 

日向さんはそう言うとスーツケースを開けました。中には防弾チョッキに折りたたまれた自動小銃、それに弾が入っています。

 

ーーーー

 

日向さんに指示され、下着の上に防弾チョッキを着込み、左脇の下に拳銃が入ったホルスターを付けて、その上からジャンバーを羽織りました。

日本ではまだコートが必要ですが、香港は暖かく、これだけ着込むと暑いです。

その他、必要な荷物をリュックに詰め、日向さんに言われた場所に向かいました。

野分は英語はそんなにわかりません。だから漢字があるのはありがたい。そう思っていましたが、日本語とは別物でした。わかるようでわからない。そんな事を繰り返し、ようやく指定された場所の最寄駅まで来ることが出来ました。

改札の出方がわからず、優しいお姉さんに声をかけられた時はホッとしましたけど。

 

指定された場所は大通りから一本脇道に入った場所でした。

地図を確認し、場所があっていることを確認すると、目の前に新しい薬局がありました。

 

「君、そんなん背負ってボケーっとしとったら財布盗られるで?」

 

いきなり肩を叩かれたのでびっくりしましたが、振り返ると見覚えのある茶髪のツインテールをした龍驤さんがタバコを咥えていました。

 

「ここはタバコに関して厳しいと聞きましたけど?」

 

「そんなんあらへん。見てみい。道のあらゆるところに灰皿が置いてあるやろ? これでタバコ吸える場所と吸えない場所の境目がわかるか?」

 

「いえ……わかりませんね」

 

「せやろ? しかし、君、そんな観光客丸出しな格好で大丈夫かいな? スリには気をつけなあかんで?」

 

「肝に銘じておきます……」

 

「ほな、行こか」

 

龍驤さんはタバコを灰皿に投げ入れると、煙を吐きながら目の前の薬局に入りました。そんな龍驤さんを薬局の店員は煙たがるわけでもなく、逆にお辞儀をして迎い入れました。

 

「こっちや」

 

店内を進み、関係者しかわからないような扉の中に入ると、中は倉庫を兼ねた事務所になっていました。

 

「しばらく誰も入ってこないからゆっくり寛ぎいな」

 

龍驤さんはそう言うと、パイプ椅子を出してくれました。

 

「ありがとうございます……それで、龍驤さん。あなたがいま置かれているので状況はおわかりですか?」

 

「よぅわかっとるで。敏腕美人経営者なうちが他の同業他社に狙われとるんやろ?」

 

美人というよりは美少女。言い方を変えればちんちくり……

 

「君、失礼なやつやな」

 

「野分は何も言っていませんが?」

 

「顔に出とる」

 

「それは失礼しました」

 

「謝るってことは失礼なこと考えてたんかいな」

 

どうやらカマをかけられたようです。

自分が狙われいるというのに、随分と呑気なものです。

 

「君、この国をどう思った?」

 

「背が高い建物がいっぱいありますね。あと不思議な形をした建物も多いです」

 

「なんでだかわかるか?」

 

「小さい面積にこれだけの人がいるんですから、建物も上に上に伸びていくのでしょう?」

 

これは日本で勉強してきました。

自信満々に答えると、龍驤さんは興味深そうに野分のことを見ました。

 

「自分、真面目なやつやな。それじゃあこの国で成功できへんで」

 

「どういう意味ですか……?」

 

「この国は風水を重んじるんや。建物の形もそれによって決まる」

 

「そうですか……それが?」

 

「風水なんて所詮は占いみたいなもんや。中には適当なことをそれっぽくいう奴もおる。うちみたいにな」

 

龍驤さんはケラケラ笑うと、積まれた段ボールを指差しました。

 

「あれは全部日本の薬や。こっちじゃ日本製品は高くても売れる。それにうちが適当な占いを添えて売るんや。ボロいでぇ〜」

 

「それで、同業他社に狙われたと」

 

「うちの名前もあかんかった。うちの名刺や」

 

龍驤さんはそう言うと、ポケットから名刺入れを取り出し、中から一枚抜くとそれを野分に渡してくれました。日本人の名前は適当につけたのでしょう。

 

「龍驤薬局」

 

「せや。それがあかんかった」

「というと?」

 

「龍驤っていうのは龍が天に向かって昇っていく様子をいう言葉なんや。まぁ、うちも意味は知っとったけど、それがこの国じゃ生意気やと」

 

「なるほど」

 

「まぁ、名は体を表すとはよく言ったもんで、うちのこの店もまさに龍驤の如く儲かってんやけどな!」

 

龍驤さんは手を叩きながら笑いだしました。

野分にはただ呆れることしか出来ません。

そんな野分を見た龍驤さんはわざとらしく咳払いをすると、姿勢を正しました。

 

「せっかく来たんやし、観光でも行こうや。案内したる」

 

「龍驤さんは狙われているのでしょう? 観光なら野分一人で出来ます」

 

観光という言葉を野分は使いましたが、別の言い方をすればこの町の地理情報を頭に入れるための情報収集です。

 

「そんな観光客丸出しな女の子が一人で出歩いとったら何されるかわからんで? ここはうちみたいな美人がいた方が……」

 

「子供が二人でうろついてても何も変わらないと思いますが?」

 

「なんや……自分、言うやんけ」

 

龍驤さんはまたケラケラと笑うと勢いよく立ち上がりました。

 

「ほな行こか。まずはその可愛らしいリュックを何とかせんとな」

 

ーーーー

 

龍驤さんに連れられて来たのは、香港でも有名な繁華街でした。

 

「龍驤さんのお店、凄いですね。いろんなところにあって……」

 

「せやろ。まぁ、他の店も何店舗もあるんやけどな。見てみぃ。貴金属店なんて同じ店が道挟んで向かいにあるやろ。この国は貴金属店と薬局はアホみたいに多いんや。そこの角を曲がり」

 

龍驤さんは野分の後ろを歩いています。

手ぶらの龍驤さんが野分のリュックを守ってくれている。ということでしょう。

大通りから脇道に入ると、そこは地元の人が多く大通りからは想像もつかない程雑多な街並みをしていました。

 

「君、どこ行くん? この店やで?」

 

「ここですか……?」

 

龍驤さんが案内してくれたお店はその中でも少し小洒落たお店でした。

近代的なスポーツ洋品店の様にも見えますが、表に飾ってあるマネキンが迷彩服を着てアメリカの銃を持っています。

 

「ハロ〜」

 

龍驤さんはお店に入ると、日本人丸出しのイントネーションで挨拶をしました。

店員さんは野分達のことを訝しげに見ています。それもそのはずです。中には男性のお客さんしかいません。龍驤さんはそんな視線を気にせず、ズカズカと中に入っていきました。

 

「このお店でいいんですか?」

 

「君警官やろ。おしゃれな鞄よりも実用性があるやつの方がええやろ」

 

「これも充分実用的なのですが……」

 

「リュックに財布なんか入れてたら鴨がネギ背負ってくるようなもんやで」

 

龍驤さんはそう言うと、上の方に飾ってあったウエストバッグを指差しました。

 

「Hey ! Can I get that ! 」

今度は野分が聞き取れるギリギリのレベルの流暢な英語で店員さんに声をかけました。

店員さんは言われるがままそれを取ると、龍驤さんに渡し、何か言い始めました。

 

「カメラバッグやな。中に分厚い仕切りがあるわ」

 

「野分にはカメラ趣味なんてないですよ?」

 

「うちもない。けどこれでええんやない? 値段も手頃やし」

 

龍驤さんはそう言うと値札を見て頷きました。

龍驤さんから鞄を受け取り、付けられた値札を見ました。

 

「千ドル……一万五千円ですか……」

 

高い。これに一万五千円も使うならその分舞風にお土産でも買って行ってあげたい。

 

「今は十六円やから、一万六千円やな。色は黒でええやろ?」

 

龍驤さんはそう言うとポケットから取り出したカードを店員さんに渡しました。

 

「これぐらいうちが買うたるわ。気にせんでええよ」

 

「いや、いいですよ。野分が払います」

 

「ええから。浮いたお金でお土産でも買っていき」

 

龍驤さんはさっさと支払いを済ませると、タグなどを全て切って貰い、すぐ使える状態で野分に手渡しました。

 

「貴重品だけこっちに入れて、盗られてもええもんはそのままリュックに持っとき」

 

龍驤さんはそう言うと、野分の許可も得ずに野分の背負っていたリュックを開けて中を漁り始めました。

 

「りゅ! 龍驤さん!」

 

「なんや、スッカスカやないか。財布もそのまま入れてあるし……随分物騒なもんを持っとるな……」

 

随分物騒なもの。それが何かはすぐにわかります。

脇の下に納めたシグの予備の弾倉です。

龍驤さんは財布と手帳だけ取り出すと、真新しいカメラバッグに入れてくれました。

 

「明日からはこれ一つで来るんやで?」

 

「……わかりました」

 

「ほな飯でも食いに行こうか」

 

ーーーー

 

その後食事もご馳走して貰い、タクシーで野分達の宿泊先のホテルまで龍驤さんと一緒に来ました。

 

「なんや……自分ら仲良しかいな。三人同じ部屋なんて」

 

「経費の問題です……どうぞ」

 

「おおきに」

 

龍驤さんはそのまま足柄さんの寝床であるソファーにドカッと座りました。

 

「コーヒーでも入れましょうか?」

 

「頼むわ〜」

 

部屋に備え付けのポッドを持って、洗面所に向おうとすると、龍驤さんが慌てて立ち上がり、野分の腕を掴みました。

 

「水道の水はあかんよ?」

 

「えっ……沸騰させるのにですか?」

 

「せや。そこに水のペットボトルが置いてあるやろ。それ使い」

 

「わかりました」

 

「お腹が弱いなら、歯を磨く時もペットボトルの水を使い」

 

「そこまでですか」

 

「そこまでや」

 

もし龍驤さんがいなかったら、今頃大変なことになっていた気がします。

足柄さんに水汲み頼まれた時に気をつけないと……

 

ーーーー

 

「すまない。遅くなった」

 

「お構いなく〜」

 

「どうして龍驤がここにいるのよ……」

 

日向さんと足柄さんが部屋に戻られると、龍驤さんは顔だけを二人に向けました。

 

「おかえりなさい」

 

「護衛は明日からの予定なのだが……」

 

「そうなんですか? 野分は今日からだと……」

 

「まぁ、構わん。それに龍驤がここにいるのは好都合だ」

 

「せやせや。一日伸びたところで何も変わらへんて」

 

先ほど言われた通り、ペットボトルの水を沸かして二人分のコーヒーを淹れると、足柄さんが不思議そうに野分のことを見ていました。

 

「のわっち。そんな潔癖症だったっけ?」

 

「海外の水道水は飲めないぞ。口に入れるなら飲み込まない様に注意しろよ?」

 

足柄さんの疑問に日向さんが答えました。

足柄さんはへぇ〜と感心したように頷くと、ハッとした困った様な顔になりました。

 

「どうしよう。免税店で買った焼酎が割れないわ……」

 

「そんなん水を買ってきたらよろしいがな」

 

「せっかく帰って来たのにまた出掛けるの?」

 

「知らんがな……言葉は話せなくても水ぐらい買えるやろ? 水をレジに持っていって、表示された金額を支払うだけや」

 

「面倒ね……」

 

「行ってこい。ついでにお菓子でも買ってこい」

 

「仕方ないわねぇ……」

 

足柄さんはそう言うと、また出ていかれました。

日向さんはそれを確認すると、龍驤さんの横に座りました。

 

「さて……龍驤よ。聞きたいことがあるのだが?」

 

「なんや。金儲けのコツか?」

 

「いままでどうやって自分の身を守ってきたんだ?」

 

「そんなん自分でに決まっとるやろ。こう見えても元艦娘やで? そんじょそこらの人間には負けへんよ」

 

龍驤さんはケラケラと笑うと、机の上に置かれていた免税店の袋の中を覗きました。

 

「なんや……いいちこかいな。免税店で買うならもっといいのもあったろうに」

 

「どうせすぐに無くなるんだ。高い酒を飲ませても意味がない……それで、どうして今度は私達に連絡してきた?」

 

「違う、違う。勝手に連絡がいったんや。うちをマークしていた日本の公安にうちが狙われていることを知られたんやろ。それで君たちのとこに要請が来たんちゃうんか?」

 

「なるほどな……そういうことにしておこうか。もう一つ聞きたいことがある」

 

「なんや、今日はよう喋るやないか」

 

「仕事だからな。先程、こちらの警察から捜査権と銃の所持許可を得てきた。まぁ、そこは根回しされていたんだろう。二つ返事で快諾してくれた」

 

「なら何で遅くなったんや?」

 

「……お前について、よくない噂を聞かされてな」

 

「ほぉ……例えば、うちが詐欺まがいの商売をしている……とか?」

 

「概ねそれで正しい……あと役人に賄賂を送っている……と」

 

「阿呆らしい。けど、そう思われてもしゃーないか。実際詐欺まがいの商売しとるしな」

 

「そんなことを堂々と言われても困るのだが……」

 

日向さんが困った様に眉間にしわをよせると、龍驤さんは笑いながら日向さんの肩をポンポンと叩きました。

 

「うちは自分の信じた君らを信じるで。よろしく頼むわ」

 

「意味がわからん」

 

「すぐにわかるで……しっかし足柄のやつ遅いな。はようこれ飲みたいんやけど!」

 


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