「戻ったわ」
自分のデスクでうつらうつらとしていると足柄さんが戻られました。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「えぇ。面白いことがわかったわ」
足柄さんも寝ていないはずなのに、目の下に作ったクマとは対照的にとても元気でした。それだけの収穫があったということでしょうか。
「なんでも異動の話が出ていたらしいわ」
「配置換えということですか?」
「いえ、警備員から受付に変わる話が出ているらしいの。勤務地は同じでも会社が変わるということよ」
「それは瑞鶴さんが野分達に、栄転祝いを要求しているということですか?」
よく働かない頭で必死に考えていますが、処理に時間がかかります。ここは適当なことを言って時間を稼ごう。よくわからない思考が働いています。
「そうね。瑞鶴だけじゃなくて、もう一人、本当だったら送らなくてはいけない人がいたのよ」
「もう一人? 加賀さんですか?」
「あら? もうそこまで知っていたの」
適当に言ったつもりでしたが当たってしまいました。足柄さんはつまらなそうな顔をすると、どかっと自分のデスクに座りました。
「……もしかして、加賀さんはそのお話、断りました?」
「えぇ。そう聞いているわ。どうも向こうの話は確証が持てなかったけど、本人がそう言っているのなら間違いなさそうね」
「加賀さんは何も言っていません」
野分は加賀さんとの会話をまとめたノートを足柄さんに渡しました。足柄さんはそれを開くと、目を細めながらそれを見ていました。
「……さすがに字を読むのは辛いわね」
「少し休まれますか?」
「いえ、大丈夫よ。日向が絡んでいるの?」
「おそらく。ですが、何も聞いていないのでこちらで考える必要があります」
「まぁ、そうなるわねぇ〜」
足柄さんはそう言うとノートを野分に返しました。
「それで、のわっちはどう考えているの?」
「今のお話を聞いて、加賀さんが瑞鶴さんを庇っているのはわかりました。上の要求を拒否した加賀さんを瑞鶴さんが擁護したとなれば立場が悪くなりますからね」
「ほほぅ……それで?」
足柄さんは腕を組むと面白そうに野分に話の続きを促しました。
「加賀さんはおそらく、見せしめでしょうね。自分に逆らえばこうなる、って。ですから、瑞鶴さん以外が加賀さんを見ていないという証言は嘘でしょう」
「瑞鶴を除いた空港関係者全員が嘘をついている……と」
「えぇ、おそらく。何らかの形で徹底周知されているでしょうね」
「まぁ……七十点といったところね」
足柄さんはそう言うと、大きく伸びをしました。
「どういうことですか?」
「現場に行かず、嘘をついているということを見破ったのは評価できるわ。残りの三十点は、そこからの推理が無かったことね」
「意味がわかりませんが?」
「日向だったら、今頃そこまで考えているってことよ。もしわかっていて黙っているのなら百点をあげるわ。良くも悪くも日向に似てきたわね」
「……野分の憶測で話を進めるわけにはいきませんから」
「話してみなさい。私が納得出来たら、その線で捜査を進めるわ」
足柄さんは頰付きをし、野分のことを面白そうに見ていました。
「今回の事故は偶発的に起きたものではありません。恐らく、上の人間が指示を出したものでしょう。となると、赤城さんの証言も怪しいと思います。全てが嘘というわけではありませんが、かなり捻じ曲げられて伝わっていると思います。犯行に使用された車がどうやって加賀さんの名義になったか。これを調べれば全てがわかることだとは思いますが……」
「じゃあそこを調べてみましょうか?」
「その前に向こうが動くでしょう。犯行を行なった人物が自首してそこで捜査は終わりです。加賀さんの潔白を証明するにはいたりますが、根本的な解決にはなっていません」
「それで?」
「車の名義を自由に変えられる組織なんてそんなに多くはありませんよね。そこを相手にするとなると手続きで時間がかかります。それにこちらの動きも悟られる」
「日向に連絡してみましょうか?」
足柄さんの提案はとても魅力的でした。日向さんなら、あの手この手で素早く捜査を進めることが出来ます。けれど、野分にはそれができません。もう少し準備する時間があればなんとか出来たでしょうけど、これでは後の祭りです。
「いえ、日向さんなりにも考えがあるはずです。そして、野分にも考えがあります」
「じゃあ聞かせてくれる? 野分係長代理」
「序列なら足柄さんのはずですが?」
「いいから話しなさいよ。何を考えているの?」
「今回は本当に、偶然、いろいろなことが起きています。ならもう一つや二つ、偶然、何かがわかってもおかしくないですよね?」
「言っている意味がよくわからないのだけど?」
「そうですね……例えば、偶然にも加賀さんがセクハラやパワハラを受けていた。なんてことがわかったらどうでしょう?」
野分がそう言うと、足柄さんの顔が引きつりました。流石にやりすぎでしょうか。
「のわっちなかなか恐ろしいことを考えるわね」
「駄目でしょうか……」
「そうね……その偶然はもしかしたら必然になるかもしれないわ。権力に任せて人を動かそうとする人間ならそういうことをしていてもおかしくないわ。加賀が偶然、その様な証言をしたっていう事実を作って頂戴。それを元に、私はもう一度空港に戻ってそっちの捜査をするわ。出来るかしら?」
「やってみます」
「加賀はああ見えてしっかりしてるわよ? 女を下げるような真似をするとも思えないのだけど?」
「大丈夫です。瑞鶴さんが偶然にも巻き込まれているんで」
「偶然の意味がわからなくなってきたわ……」
足柄さんはそう言うと、席を立ちました。
「車の中で少し仮眠をとるわ。加賀を説得したら連絡して。その後のわっちも少し休みなさい。後のことはやっておくわ」
「わかりました。足柄さんもう少し休んだらどうです?」
「やることやったら日向に押し付けてゆっくりお休みを貰うとするわ」
足柄さんは手をヒラヒラと振りながら部屋を後にしました。その足取りは少しフラついています。もう足柄さんも加賀さんも限界が近いでしょう。時間的な限界もすぐそこまで来ています。
ーーーー
「加賀さん。取り調べにきました」
ノックもせずに取調室に入ったため、加賀さんは少し驚いたような表情をしていました。
「また取り調べ? いつになったら追い出されるのかしら?」
「いえ、今度はセクハラについてです」
早口にまくし立てる野分に、加賀さんは訝しげな表情をしました。
「私にそういう趣味はないわよ」
「加賀さんがじゃなくて、加賀さんにです。ありますよね? そういう経験」
「ないけど」
「いえ、あるはずです。よく思い出して!」
この部屋での会話は基本的に全て録音されています。ここで野分が自白を強要すれば、証拠としての価値はさがります。なんとしても加賀さんから言わせないといけません。
「……何かわかったのかしら?」
「わかるかもしれないから聞いているんです。どうなんですか?!」
早く言って。野分は焦っていました。出来ることならこれ以上の会話はしたくないからです。
「どうしたの?……落ち着きなさい。まずは私に説明しなさい」
「容疑者に説明することなんてありません!」
自分でも言っている事が滅茶苦茶だと思います。加賀さんは眉間に深いシワを刻むと、野分のことを睨みました。
「どうなんですかッ?!」
野分は泣きそうです。口では威勢がよくても、きっと情けない顔をしているような気がします。
「……そうね。そんなこともあったかもしれないわ」
「本当ですか! わかりました! 失礼します!」
「ちょっ……ちょっと待ちなさい!」
加賀さんの制止する声を振り切り、野分は慌てて外に出ました。
とりあえず言わせた。携帯を取り出し、足柄さんにこの旨を伝えました。
『随分早かったわね。了解したわ。後は任せて』
足柄さんがそう言うと、エンジンがかかる音が聞こえました。やっと捜査が前に進んだ。そう思うと同時に、ある可能性に気がつきました。
「ゆっくり休んでいるわけにはいきませんね……」
野分は駆け足でオフィスに戻りました。
ーーーー
『もしもし、日向だが』
電話越しに聞こえる日向さんの声はとても低く、威圧感を感じました。
「野分です。こちらの捜査が進んだので報告します」
『そうか……それで、どうなった?』
「こちらで犯行に使われた車両を調べてみようと思います。とりあえずはそれで加賀さんの無実は証明できるかと」
『ハァ……わかった。それだけか?』
電話越しではありますが、確実に日向さんが落胆したのがわかります。これからのことを伝えたら本格的に怒られるのではないか。そんな恐怖すら覚えます。
「いえ、新たに、加賀さんがセクハラを受けていたということがわかりました。現在足柄さんがそのことを調べています」
『セクハラ? なんだそれは?』
日向さんが驚いたような声をあげました。
「取り調べ中に加賀さんがそういった被害にあっていた、と偶然聞くことが出来ました」
『そ……そうか、わかった』
「これで日向さんの方は切り口をひらけそうですか?」
『……何?』
明らかに日向さんの声のトーンが下がりました。やってはいけないことをやってしまったのか、それとも野分の見当はずれだったのかはわかりません。
「いえ、何でもありません。捜査頑張ってください」
『野分よ……いい仕事をしたな。ここからは連携を取る。足柄には私から連絡する。野分は加賀が……またセクハラにあわないように警護を頼む』
「瑞鶴さんの方はどうしましょうか?」
『瑞鶴はこちらで保護する。加賀は釈放して構わない。ただ何をするかわからないから離れるなよ』
「了解しました」
電話を切ると、眠気が一気に襲ってきました。
ーーーー
「失礼します」
「あなた、さっきからいったい何なのよ」
明らかに不機嫌な加賀さんの腕を掴むと、あくびがもれました。
「釈放です。とりあえず、こちらに来てください」
「説明を求めるわ」
「説明は後です」
野分は加賀さんの手首に手錠をはめました。もう片方は自分の手首に。
「何を考えているのかしら? それとも、これは野分の個人的な趣味?」
「仕事です」
野分はそう言うと、加賀さんの腕を引っ張りました。加賀さんは大人しくそれに従ってくれました。本当に無茶苦茶ばかりしているの申し訳ないです。
仮眠室まで連れてくると、加賀さんは眉を吊り上げました。
「これが仕事って、随分な身分ね」
加賀さんの言う言葉が頭に入ってきません。
野分はそのままベッドにダイブしました。野分と繋がっている加賀さんも引っ張られる形でベッドの上に寝転がります。
「起きたら説明します」
「いま聞きたいのだけど?」
野分はそのまま意識を手放しました。疲れていればどんな状況でも寝れる。これは野分の特技だと思います。