「捜査はどうなっているのですか?」
取調室で加賀さんの向かいに座ると同時に加賀さんは目を開け、野分のことを不審そうに見ました。
「これといって特に進展はしていません。今回は加賀さんにお帰りをお願いするためではなく、取り調べるためにここに来ました」
「取り調べる?」
加賀さんは不機嫌を隠そうとせず、片眉を吊り上げました。
「はい。日向さんからの指示です」
さすがに一航戦の怖い方に睨まれると怖いです。
「加賀さん、あの日、お昼はどちらで取られましたか?」
「社員用の食堂よ」
「時刻は?」
「私の休憩時間だから確か一時過ぎね」
「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」
「食堂には私達以外にも多くの人がいたわ」
「私……達? 他にも誰かいらっしゃたのですか?」
野分の問いかけに、加賀さんは言葉を詰まらせました。顔は無表情のままですが、先程までスラスラと受け答えをしていたのを見ればすぐにわかります。
「えぇ……偶然席が一緒になった人がいたのよ。名前までは知らないけど、世間話程度ならする人だから」
加賀さんは苦しい言い訳をすると、露骨に目を逸らしました。野分も加賀さんがこんなところでぼろを出すとは思ってもいませんでした。加賀さんも疲れてきているのでしょうか。ならば、長引かせるわけにはいきません。
「足柄さんの調べでは、その時間、加賀さんの姿を見たという人はいませんでした。瑞鶴さんを除いて」
「それはあの子の妄言よ」
「……これはまだわかっていることではありません。野分の推測です。今、足柄さんが空港に向かっています。今度は空港内の監視カメラの映像を見にいくはずです。もしそうなれば、瑞鶴さんの証言が正しいことになるかもしれません」
野分がそう言うと、加賀さんは野分のことを睨みました。
野分や足柄さんも特捜の一捜査員です。警察関係には陸奥さんがいるので融通は効きますが、空港関係に関してはそれなりの手続きを踏まないと捜査ができません。加賀さんもこのことは知っているはずです。しかし、日向さんなら強引にやりかねない。この可能性にかけました。
「もう一度言います。野分は加賀さんを取り調べるためにここにいるのです。そろそろお話いただけないでしょうか?」
「黙秘するわ」
「そうですか……ならば今度は加賀さんをここから強引にでも追い出すためにここに来ます」
野分は席を立ち上がると、加賀さんの方を見ずに部屋を出ようとしました。
「……待ちなさい」
「はい?」
振り返り、加賀さんを見ると、とても悔しそうな顔をしていました。
「……元駆逐艦に追い込まれるのは一航戦としてのプライドが許さないのですか?」
「私は日向に……捕まったのよ。なのにどうしてあなたと足柄が捜査をしているのかしら?」
「それは日向さんが……足柄さんと野分だけで充分だと判断されたからです」
実際のところはわりかません。足柄が言う通り、誤認逮捕したからバツが悪いのかもしれませんし、野分が思っているように何か意味があるのかもしれません。
「……日向は何をしているのかしら?」
「別の捜査をしています」
「別の?」
「はい。これとは全然関係ないそうですけど……」
ダンッ!
加賀さんが机を拳で叩きました。
「どういうことかしら?」
「……申し訳ありませんが、捜査のことは話せません」
「……そう」
「他に何かありますか?」
「……あなたも日向には気をつけることね。あのリアリスト、出来ないとわかったらすぐに逃げるみたいだから」
「…………わかりました」
野分は取調室を出てゆっくりと扉を閉めました。
ーーーー
日向さんが野分や足柄さんの知らない事実を知っている。ならどうしてこちらに話さないのか。
考えられる理由は三つです。
一つ目は事件を間違った方向に持っていくために話していない。足柄さんはそう言っていますが、本心では一番あり得ないと思っている選択肢でしょう。
二つ目はまだ確信を得ていないから。不確実な情報を流して捜査を混乱させたくないのでしょう。
三つ目は野分達が少し考えたらすぐにわかると思っているから。野分はこれが本当の理由だと思っています。これまで、何度も同じことをされてきましたから。
「だとすれば……野分を現場から離したことにも理由があるはず……」
日向さんは野分に、加賀さんの取り調べを指示しました。これは、加賀さんから情報を引き出せと言われているのはわかります。けれど、聞き出すための材料がありません。わかっているのは瑞鶴さんのことを出すと、それは違うと否定するだけ。あとは真面目な捜査をしろと脅し……要請してくることです。ノートに、先程の会話をまとめていると気になったことが一つありました。
「日向さんが別の捜査をしていることに怒ったのは何故? そもそもなんで日向さんは加賀さんを考えなしに捕まえて、加賀さんもそれを否定せずに捕まった?」
加賀さんがここにきた時のことを思い出すと、不思議なことだらけでした。
日向さんが加賀さんを連れてくると、そのまま取調室に軟禁しました。加賀さんはそれに文句の一つも言わずに従っています。野分や足柄さんには事件の可能性がある事故だという報告をし、昨日から別の事件を捜査し始めています。
「……足柄さん、早く帰ってきませんかね」
野分は壁に掛けられた時計を見ました。午前五時。お昼ぐらいに戻ってくるはずだからまだ時間はたくさんあります。
考えられる話し相手が欲しい。野分の考えだけじゃまとまりません。寝るにしても不思議と眠くない。
いました。機嫌は悪いでしょうけど、食べ物を持っていけば少しは話してくれるでしょう。野分は足柄さんのデスクのラックからチラシを抜きました。
「……Lサイズ二枚で足りるでしょうか」
多ければ残しておいて後で食べればいいでしょう。
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最近の出前は本当に早くて、三十分もしないうちに届きました。
Lサイズのピザが五枚。それにサイドメニューが三品。
飲み物は中の自販機で適当に買っていけばいいから、とりあえず運んでしまいましょう。
取調室の前まで来ると、扉の向こうに人の気配を感じました。両手が塞がっているので、はしたないですが、足でノックをすると、一回目のノックで扉が開きました。野分は二回目のノックをしようとしていたのと、急に目の前に加賀さんが現れたことに驚いて足が滑りそうになりました。でも、すぐに体を支えられました。
「大丈夫かしら?」
「はい……ありがとうございます。早いですね」
「偶然、扉の前に立っていたのよ」
「偶然ですか」
明らかに嘘でしょうね。目が輝いていますもの。
「とりあえず、これを置かせてください。飲み物は何がいいですか?」
「容疑者の私も食べていいのかしら?」
すごく澄ました顔をしていますが、目が輝いています。
「野分はこんなに食べられません」
「そう……じゃあお茶と……コーラね」
「わかりました」
「さすがに気分が高揚します」
ーーーー
飲み物を持って取調室に戻ると、加賀さんはお預けをされている犬の様な目で机に置かれたピザを見ていました。
「……おまたせしました」
さっきまであんなに怒っていたのに。食べ物は怖いですね。
「いえ、早く食べましょう。ここ最近味気ないものばかり食べさせられていたから」
「すいません」
「いえ、問題ないわ」
加賀さんは手際よくピサを机に並べていきました。机にギッシリとピザが並び、美味しそうな匂いがたちこめます。
「「いただきます」」
それはもう不思議な光景で、「ピザをお上品に食べる方法」という映像を早回しで見ているようでした。野分がピザを二切れ食べる間に、加賀さんは一枚食べきってしまいました。
「別に不満があるわけじゃないんだけど、こういう所ってカツ丼が出てくるものだと思っていたわ」
「足柄さんが取調官だったら確実に出てきてます。けれど特盛りでも足りないかと思いまして」
「二人でこの量も多いと思うけど?」
「本当は?」
「赤城さんと食べるときはもっと多いとだけ言っておくわ」
「今頼めば、食べ終わる頃に来ますよ。追加で頼みますか?」
「そうね。二枚半じゃ足りないからお願いできるかしら?」
「……野分は一枚あれば充分です。四枚は加賀さんの分です」
「じゃあいいわ」
「わかりました」
あの細い体のどこに入っているのか、不思議です。
「それで、これを食べたら出ていけってこと?」
一枚食べてお腹が落ち着いたのでしょうか、食べるペースが人並みまで落ちた加賀さんがチーズと格闘しながら言いました。
「いえ、話し相手が欲しくなりまして」
「容疑者と仲良くピザ食べてもいいのかしら?」
「野分がここに来たばかりの頃、容疑者だった天龍さんと酒盛りしましたから」
「あなた、いい度胸してるわね」
加賀さんが呆れたように野分を見ました。
「よく言われます。それで、少しお話してもいいですか?」
「小難しい話はピザが不味くなるから嫌よ」
「じゃあやめときます」
「……気になるわ。話しなさい」
「じゃあ……加賀さんの普段のお仕事についてなんですけど、空港警備員って何するんですか?」
「空港の中を警備するのよ」
「グラウンドキャビンアテンダントとは違うんですか?」
「全然違うわね。向こうはちゃんとした制服を着てるけど、私達は上下黒の戦闘服みたいなもの着てるから」
「銃とか持ってるんですか?」
「えぇ。それを持って警備にあたるのよ」
「なんか勿体無いですね。加賀さん美人なんだから受付とかしたらいいのに」
「私は赤城さんみたいに他人に笑顔を振りまけないわ。そういうのは五航戦にやらせればいいのよ」
やらせればいい。加賀さんはそう言いましたけど、なんとなくその言葉がひっかかりました。
「そういえば、瑞鶴さんってそんなに怒られるんですか? 野分もよく日向さんに怒られますけど、瑞鶴さんって意外としっかりしてる気がするんですけど」
「全然ダメよ。ボケーッとしてるし、道案内を頼まれれば持ち場は平気で離れるし、お客様とはおしゃべりするし……警備員としては失格よ」
「……よく見てますね」
「同じ元艦娘っていうだけで面倒見を押し付けられたの。いい迷惑だわ」
そんなガミガミと怒るような人と、わざわざ休憩をズラしてまでお昼を一緒に食べるでしょうか。加賀さんが強引に誘ったとも思えません。
「加賀さんはどうして空港警備の仕事に?」
「飛行機が空に飛んでいくのを見ていたかったからよ。元空母の子は斡旋もあったからほとんど航空関係の仕事についてるわ」
「通りで空母の人とはなかなか会わなかったわけですね」
斡旋もあったでしょうけど、瑞鶴さんは加賀さんを追っかけたのでしょう。そんな気がします。そして加賀さんも瑞鶴さんのことをよく見ている。
「楽しいですか?」
「……離陸する飛行機を見ているのは楽しいわね」
随分含みのある言い方をしましたね。けれど、なんとなく話が見えてきました。
「私の分は食べ終わったのだけど?」
「……えっ?」
机の上を見ると、確かにさっきまであったピザがありません。残っているのは、野分の分の一枚と、綺麗に半分の量になったサイドメニューだけです。加賀さんはジッと野分の文を見ています。
「あの……食べますか?」
「いいのかしら?」
「はい、どうぞ」
加賀さんはとても嬉しそうにピザを頬張りました。
まだチーズは柔らかさを失っていません。