行き過ぎた取り調べが問題になっている。
野分は最近こんな記事を新聞で読んだことがあります。自白の強要をするために何時間も何日も取調室に閉じ込める。嘘の自白せざる得ない状況まで追い込み、逮捕する。それが正しいとは野分は思いません。
しかし、現実はそう上手くいくものではありませんでした。野分がこの取調室に入り浸るようになってから、もう五日が経とうとしています。一日二十四時間だとしたら、十八時間はこの部屋にいます。
「五航戦の子なんかと一緒にしないで」
ですから加賀さん。そろそろ本当のことを話してください。
野分の目の前に座る加賀さんは腕を組み、ジッと野分のことを見ています。
「いえ……ですから、瑞鶴さんが加賀さんはやっていないと証言されまして……」
野分は足柄さんが調べた調書を読みあげました。もう何度目かわかりません。
この書類はとても字が小さいのでしょう。目がかすんで読みにくいです。
「日向のところはとても優秀だと聞きましたが……そうでもないのですね」
いい加減にしてください。野分は声を大にして、怒鳴りつけたい気持ちでいっぱいでした。しかし、そういうわけにはいきません。
あの日向さんが間違って逮捕したのですから。日向さんは野分に加賀さんの取り調べを押し付け……任せると、別の捜査に行ってしまいました。野分は信じています。何か意図があったものだと。最近目を合わせてくれないですけど。
「もし、このまま加賀さんが黙秘を続けるのなら、加賀さんには前科がつきます」
「だから私はやっていないと言っているでしょう?」
「それを瑞鶴さんが……」
「五航戦の子の言うことなんて信用できません」
言っていることが支離滅裂です。足柄さんから聞いた話では、瑞鶴さんは必死になって加賀さんの無実を証明したそうです。そもそもの話、加賀さんがひき逃げなんてするはずがありません。艦載機の運用は得意でも、車の運転は野分よりも下手だとお伺いしています。それに加賀さんが黒塗りの高級車を乗り回しているのとも思えません。
「野分はどうすればいいんですか……」
「ちゃんとした証拠をここに持ってくることを要求します」
加賀さんは取調室の質素な机の上を叩きました。
「ですから、瑞鶴さんが……」
「それは証拠になりません」
加賀さんはそっぽを向くと、足を組み直し目を閉じました。
「……寝ないでください」
「あなたと話すことはありません。早く捜査に行ってください」
どちらが取り調べられているのかわかりません。誤認逮捕をしてしまったのは野分達の方です。間違っていました。すいませんでした。そう言ったのにも関わらず、加賀さんはこの部屋を出ることを拒否しました。足柄さんが走り回って調べた事実も加賀さんは認めないと言います。
「失礼します」
野分は取調室を出て、オフィスへと向かいました。
ーーーー
「のわっち……目の下凄いことになっているわよ」
目の下にクマをつくった足柄さんがそう言いました。
「足柄さんも……初めてですよ。ちゃんとした証拠を持ってこいって言われたのは……」
「それだってちゃんとした証拠よ……」
足柄さんは野分が抱えているファイルを指差しました。野分だってそう思っています。
「何か出ましたか?」
「いえ、何も」
足柄さんはそう言うと大きく伸びをしました。
足柄さんが見ているのは道路に設置されたカメラの映像です。ひき逃げをした黒塗りの高級車が写っているものを見ています。
「黒塗り、フルスモーク……本当にいい趣味してるわよ」
「車検通りませんよね」
「絶対通らないわ。それに調べてみたらしっかり車検切れよ」
足柄さんはそういうと車両登録情報の乗った書類を野分に見せてくれました。その所有者欄に記された加賀さんの名前を見て、野分は溜息をつきました。
「車検が切れてるから保険も降りない。これを運転している人間が真っ当な人間なら今頃怯えているでしょうね」
「足柄さん。野分にはこの事故、偶然とは思えないのですが……」
「誰が見たって偶然の事故じゃないでしょう?」
足柄さんはそう言うと、事故報告書をペン先で叩きました。
車に跳ねられ被害者は元艦娘の赤城さん。跳ねた車の所有者は加賀さん。誰が見たって偶然じゃないことはわかります。けれど、それを証明する証拠がありません。
「もう一度整理してもいいですか?」
「交差点に赤信号で突入した車は、多くの人が渡る横断歩道で偶然にも赤城だけを跳ねた。そしてその車の持ち主は加賀だった。けれど、加賀はその時、仕事場の空港にいた。これはその時にお説教をされていた瑞鶴だけが知っている。他にそれを証明する人はいない。加賀は休憩中であったことに加え、その日は人目がつかない場所での警備をしていたから、退勤時刻まで加賀の姿を見た人がいない」
「瑞鶴さん以外誰も見ていないのも妙な話ですが、普段は空港内を警備している加賀さんが何故、その日に限ってそんな場所を警備していたのか気になりますね」
「担当の警備員が偶然にもその日、インフルエンザにかかったそうよ。これ、病院からの証明書」
「また偶然ですか」
「また偶然よ」
足柄さんは大きなあくびを漏らしました。
「赤城さんから直接話を聞ければいいのですが……」
「だいたい赤城も赤城よ。加賀が普段から不満を漏らしていたって。加賀は日向みたいに口数が多い方じゃないから、それが不満の様に聞こえることもあるでしょうに。ずっと一緒にいたくせにそんなこともわからないのかしらね」
「瑞鶴さんはそれをわかっていたんですよね?」
「えぇ。私が話を聞きに言ったら絶対にそんなことはしないって涙ながらに訴えていたわ。それに空港の何もない広い敷地内でも車を横転させる様な人が、公道なんて運転するはずもないし、一人で空港から事故現場まで行ける筈がないって」
「それも加賀さんには不利な証言ですよね。運転が下手なら、事故を起こす可能性も高いと判断されますし」
「そもそも、今回は日向が全ていけないのよ。はやとちりして、本人は昨日から別の捜査で出かけてるし」
足柄さんは忌々しそうに誰もいない日向さんのデスクを見ました。
「野分は何も聞いていませんけど、今回の事件と関係していることではないのですか?」
「じぇ〜んじぇん関係ないわよ。海軍関係者OBの不当な天下りについてですもの。そもそも、なんで日向が出張るのかわからないわ。きっと逃げたのよ」
この五日間の不満を晴らすかの様に足柄さんは言いました。
「きっと何か特別な理由があって……」
「私は何も聞いてないわ。のわっち、日向に対して少し甘くないかしら? 日向だってミスはするわよ」
「それが偶然にも今回ですか?」
「また偶然?」
「野分にはそうとしか思えません」
「偶然、偶然……私にも偶然素敵な出会いとかないかしらね」
「それは必然ですよ」
「あら? のわっち。いいこと言うじゃない」
足柄さんの機嫌を適当にとった野分は自分のデスクに座りました。ノートにわかっていることをまとめ、しばらく考えることにしました。
ーーーー
「……っち! のわっち!」
足柄さんに焦っているような声に呼ばれ、目を開けると、野分のデスクの前に渋い顔をした日向さんが立っていました。
「おはよう。よく寝れたか?」
「……日向さん?……日向さんッ?!」
野分は慌てて姿勢を正すと、日向さんは不満そうに野分を見ていました。
「まだ加賀を返していないのか?」
「はい。帰る気はなさそうです」
「そうか……じゃあ仕方ないか。野分、このまま加賀の取り調べを頼む」
「……はい?」
日向さんの言っている言葉が野分には理解ができませんでした。仕方ないから取り調べを続けろとはどういう意味なのでしょうか。
「私はまだこっちの捜査に時間がかかる。この件は任せる。終わり次第、すぐにこっちに連絡してくれ」
日向さんはそう言うと、自分のデスクから荷物を取り、そのまま出て行ってしまいました。
「日向さんは何を考えているのでしょうか……」
「わからないわ。けれど、私達が行き詰まっているのを知った途端に明らかに機嫌が悪くなったわ……のわっち、これを見て」
足柄さんはそう言うと、野分に手招きをしました。足柄さんのデスクに向かうと、足柄さんのパソコンの画面には表のようなものが表示されていました。
「日向には言ってないけど、空港の内の部屋ごとの入退室記録を手に入れたわ。これを見て」
足柄さんは画面をスクロールすると、加賀さんの記録の欄を見せてくれました。
「見て、事故が起きた時間、加賀は外に出ていることになっているの」
「そうみたいですね」
「だとしたら瑞鶴はいつ、どこで怒られていたのかしらね」
「……瑞鶴さんの記録をお願いしてもいいですか?」
「それがこれよ」
画面を切り替え、瑞鶴さんの入退場記録が表示されました。
「……ここですね」
「えぇ、これよ。瑞鶴はこの時間、到着ロビーにいたのよ」
「足柄さん、時間の説明お願いできますか?」
「いいわ。のわっち。ノートを持ってきなさい」
先ほどまとめたノートを足柄さんに渡すと、足柄さんは二本の線を引きました。
「上は加賀の時間軸、下は瑞鶴のね」
足柄さんは線にいくつかの印をつけていきました。
「この時間、瑞鶴の話が正しければ、加賀の休憩時間ね。休憩中の加賀が到着ロビーを通ってどこかに向かっていた。まぁお昼でも食べに行こうとしていたのでしょう。そこで瑞鶴と会った。そしてお説教をされた」
「瑞鶴さんはこの後社員用の食堂に向かっています。おそらく加賀さんも一緒だったのではないでしょうか」
「恐らくね。瑞鶴の記録から見るに、そのお昼の時間が極端に短いことと、その後に休憩にいった形跡がないことから、一緒にご飯を食べるために休憩を強引にとったと考えられるわね」
「……だとしたら変ですよね? 食堂に行ったのに、誰も加賀さんを見てないなんて」
「私もそう思うわ……ねぇ、のわっち」
足柄さんが野分の方を見ました。
「わかっています。もう一度加賀さんを取り調べてみます」
「私ももう一度空港に向かうわ……もうこんな時間だったのね」
足柄さんが壁に掛けられた時計を見ました。つられて野分も見ると、もう十一時を過ぎていました。
「空港が二十四時間営業で助かるわ。明日のお昼には戻ってくるから、またそこで話し合いましょう」
「わかりました」
野分はノートを抱え、何度目かわからないほど通った取調室への通路を歩きました。
でも今度は違います。加賀さんをしっかりと取り調べるためです。