日向の命令ではなく、上層部から直々に指示された今回の基地査察。私を名指しされたことに戸惑いがなかったわけじゃない。けれど命令ならば仕方ない。
「何か懸念事項はありましたか?」
私の応対を担当する海軍少尉が恐る恐る私に訊ねる。
「いえ、特にありません。健全な運営をされているようで何よりです」
「そうですか」
彼はホッとした表情を見せた。彼も命令で否応なしに私の対応をしている。それをつつき回すほど私も性格は悪くない。そんな私を意地悪な女にしたてあげる上司がいる。
「足柄捜査官!日向上級捜査官が至急会って欲しいとこちらに来られてますが……」
走ってきた下士官が肩で息をしながら私に言う。安心していた彼の顔が強張ったものに変わる。
「私の知らないところでいったい何が……」
この基地でも彼の知らないことはたくさんあるだろう。だが、日向が乗り込んで来るほど重大なことがあるとも思えない。
「わかったわ……どこに行けばいいかしら?」
「駐車場にてお待ちになる、とのことです」
「わかったわ。ありがとう」
二人は私に敬礼すると、海軍少尉は下士官に何があったのか問いつめ始めた。
「やめなさい。彼は何も知らないわ。部下への行き過ぎた指導も監査対象になるから気を付けなさい」
私はそれだけ言い残し、日向の待つ駐車場に急いだ。
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駐車場に着くと、一台の見慣れたクルマが止まっていた。私はその車の助手席にに座ると、運転席に座っていた日向は私にビニール袋を差し出した。
「好きな方を選べ」
渡された袋の中身を見ると、見たことのあるお弁当が二つ。
「あら、羽黒のところのお弁当じゃない。寄ってきたの?」
嫌な予感しかしない。日向が不必要にわざわざこれを買ってくるとは思えないからだ。チキンカツ弁当を選び、幕の内弁当を日向に渡す。飲み物はドリンクホルダーにお茶が二つ用意されている。
「ここに来る前に寄ってきた。食べながらでいいか?」
「えぇ、問題ないわ」
蓋を外し、ソースをかける。正直車の中だと溢すのじゃないかと不安になる。
「ここの査察はどうだった?」
「問題ないわ。あるとすれば、もう隠されているでしょうけど、基地全体で悪巧みしているようには思えなかったわ」
「そうか。査察そのものについて、何か心当たりはないか?」
「妙な言い回しをするわね……」
チキンカツを頬張る。これは間違いない。羽黒が作ったものだわ。
「ここなら誰にも聞かれる恐れはない」
「そうね……正直、意味があるとは思えないわ。私達が査察に来ると言うのに、妙に手際がよかった。まるで前々から知っていて用意されていたみたいにね」
「いきなり飛び込んで捜査させろとは言えないだろう?」
「それにしてもよ。相手にとって不都合なことを探すのが私達の仕事でしょ?それにどうして私が選ばれたのかも疑問に思うわ」
「そうか……」
「日向、お箸止まってるわよ。羽黒のお弁当に不満でもあるの?」
妹の作ったものにケチをつけられるのは姉として許せない。けど、今私が聞きたいのはそんなことじゃない。羽黒になぜ接触したのか。なぜここに来たのか。それが知りたかった。
「お前の今回の出張には意図的なものを感じる。お前にいられては困る。そういう判断があったのではないかと」
私は頬張っていたカツを詰まらせそうになった。私が不必要とされているのかと不安に襲われる。
「ちょっと……どういうことよ。わかるように言いなさい」
「私が直接見たわけじゃないのだが、羽黒と局長が接触しているという情報が入った」
「羽黒が……?うちの局長と?あの人妻子持ちよね?」
日向は大きな溜め息を漏らした。
「お前は自分の妹が何らかの事件に巻き込まれているかもしれないというのに、なんてお気楽で能天気なことを言っているんだ……ちなみに可能性はないそうだ」
だとしたら接点がわからない。どうして羽黒と会う必要があるのだろうか。何かしらの意図があるのは間違いないだろうけど、内容が全く読めてこない。
「お前がいない間に接触するのではないかと考えていたが、その可能性は薄そうだ……ご馳走さま」
いつの間にか日向の弁当は空になっていた。箸が止まっていたのは私の方だった。
「ゆっくり食べて貰ってかまわない。このまま帰るぞ」
「ちょっと待って。荷物向こうに置きっぱなしなの!」
慌てて残りを口に放り込むと、そのまま車を降りた。建物に入るまでの間に飲み込まないと……
ーーーー
荷物を持ち、査察の終了を担当した少尉に告げると、大した挨拶もせずに車に飛び乗った。日向は何も言わずに車を発進させる。帰る道中、私はずっと考え事をしていた。
「さっきの続きだが、羽黒に接触しないとなると、局内で何らかの動きをするのではないかと思っている」
日向の発言は私が五分前に通りすぎたところだ。その何らかの動きについてはわからない。でも、言われてみると羽黒の言動におかしなものがあった。
「最近、家に帰ると羽黒がやけに私に気を使っていたわ。それに仕事の話を聞きたがっていたわ」
私の頭じゃ答えが見つけられそうにない。なら日向の頭で見つけてもらえばいい。私はここ最近の出来事を思い出していた。
「答えたのか?」
「それなりに。けれど、内容までは話してないわ。日向に苛められてるとか、のわっちに冷ややかされるとか、その程度よ」
「それで?」
「時によりけりね。そこで終わるときもあれば、食い下がってくるときもあったわ」
自分の愚痴を言われているというのに、日向はそれを気にする素振りを見せなかった。
「……変ね」
私は先ほどの自分の発言に違和感を覚えた。日向は横目でこちらを見ている。
「羽黒なら私が日向やのわっちに迷惑をかけていると思っているでしょうに、そんな心配ここ最近されてないわ」
「お前はそれでいいのか……」
「よくないわよ……」
私は腕を組むと、他に思い当たる節がないか懸命に考えいた。
「私達以外はどうだ?元妙高型は羽黒を除けば特殊な職種に就いているだろう?」
言われてみればそうだ。妙高姉さんは秘書の仕事だし、那智は軍属、私は捜査官だ。そんな私達に羽黒は何をしていただろうか。私や那智と違い、出来のいい、自慢の妹である。
「姉思いの自慢の妹だわ」
「それは知っている」
この時、私は日向の知らない事実を知っていることに優越感を感じた。それと同時に悲しくもある。
「姉思いの意味が違うのよ。羽黒の場合は私と那智が外で迷惑をかけていないか、恥をかいていないかって心配をしているの。どちらかと言うと妙高姉さんに似てるのよ」
「それはよく知っている。じゃあお前の今回の言う姉思いとはどういう意味だ?」
「私達をやたら労ってくれるのよ。ここ最近家に帰ると羽黒がお酒の用意をしてくれるのよ。あの羽黒がよ」
「お前たちの家庭事情は知らん。だが、羽黒がおまえに飲ませるとは思えんな」
「その通りよ。疲れてるみたいだからとか、いつも頑張っているからとか言われて疑問に思わなかったけど、私から何か聞き出したいのかもしれないわね」
妹に目的があって飲まされていた。何となくその事実に嫌悪感を抱いた。
「だとすればお前だけじゃないかもな。妙高も那智も同じかもしれん」
「だとすれば、欲しいのは那智が知っている海軍の情報でしょうね」
「いや、それだけじゃない。何となく読めてきた」
日向はそう言うと、追い越し車線に車線変更をしてアクセルを踏み込んだ。私の横でどんどん車が後ろに流れていく。
「ちょっと秘密にしないで私にも言いなさいよ。私だって心配と不安でいっぱいなんだから」
「まだはっきりしないが、那智とお前が繋がっていると思われているのだろう。その事を羽黒に喋らせたかった」
「それじゃ意味ないでしょ。羽黒は嘘つくような子じゃないわ。それに局長自らがやることでもない」
「そうでもない。部下が多ければ多いほど上司は迷うものだ」
「部下だって上司の考えがわからなくて迷うわよ。ちょっと急いでるのはわかるけど停められたら元も子もないわよ」
流石の私も怖くなった。日向の運転を信用していないわけじゃないけど、人の運転する車でとばされると怖いものを感じる。
「そうは言ってられん。野分を一人にしたのは失敗だったかもしれん」
日向の運転は意外と荒っぽかった。
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駐車場に車を乱暴に停めると、私と日向は急いで自分達のオフィスに向かった。時刻は日付が変わって二時間が経とうとしている。私のデスクも、日向のデスクにも異常は見られなかった。ただ不思議に感じたのはのわっちの机の上に雑に拡げられた書類だ。私がその一枚を取ろうとすると、日向がそれを制した。
「野分にも何かしらの考えがあってのことだろう。無闇に触るのはよしておけ」
私は手を引っ込めると、読める範囲で書類を読んだ。どれも重大なことがあるともものではない。期限も特別差し迫ったものもない。
「こんな早くから用意しなくてもいいのに」
「お前は少し見習え」
嫌味を言われる。そんな事を言われても、最近はやたら外回りを任されている気がするのだけど。ここにいる時間の方が少ないのですけど。
「善処します。それで、これからどうするの?」
「そうだな……今日は私と泊まってもらおう」
別にそういう趣味があるわけじゃないけど、少しドキッとした。でもこれはそういう感情からくるものじゃない。寝かせて貰えないんじゃなくて、夜更かしした子供の如く、早く寝ろと叱られるだろうと思ったからだ。少しだけ飲みたかった。
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翌朝、私はお酒の匂いと体にかかる重みで目が覚ました。朝と言っても、日が出て間もない時間だ。重たい瞼を開け体を起こすと、私の上でのわっちが寝ていた。寝た、というよりはぶっ倒れたと言った方がよさそうだ。着の身着のままでふとんもかけずに寝ている。
「早いな……」
隣のベッドで寝ていた日向も起きたようだ。私はのわっちを指さす。
「あぁ、最初はこっちに倒れてきてな。私がいることに気が付いたら、今度はそっちに倒れたまま動かなくなった。相当飲んで帰ってきたみたいだな」
日向は大きく伸びをすると、そのまま起き上がった。私は何度かのわっちの体を揺らしたが起きる気配がない。
「そのまま寝かせてやれ。叩き起こして寝惚けたまま仕事されても困る」
「それもそうね……しかし、のわっちが一人で飲むとは思えないわね」
「誰かに飲まされたのだろう。野分のことだから間違いはないと思うが、起きたら何があったのか問いただす必要がある」
のわっちに布団をかけ、日向と洗面所に向かう。日向は簡単に身支度を整えるとすぐに出ていった。人のことは言えないのだけど、女の子なのだからもう少し身なりには気を付けた方がいいと思う。日向の後頭部で跳ねている寝癖を見ながらそう思った。
「それへ、どうふるの?」
歯を磨きながら日向に訊ねる。
「私は羽黒を調べる。お前と野分は局長の動きを見張れ。悟られるなよ」
日向は窓から射し込む朝日をバックにして、横目で私を見ていた。私は自分の後頭部を叩いて、日向の作っている影を指差した。日向の咳払いが聞こえる。悔しいけれど、逆光で日向の表情はよく見えなかった。
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「おはようございます……すいません。寝坊しました」
物凄く辛そうな顔をしたのわっちが起きてきた。始業前どころか、私達以外はまだ誰も来ていない。そんな時間だ。
「まだ始業前だ。気にするな。そんなことより、昨日は随分と楽しんできたようだが?」
バシッと身支度を整えた日向は随分とキツイ言い方をしていた。多分寝癖のことを私に指摘された八つ当たりだろう。しかし、のわっちには嫌味を言われていると気がつくほど頭が回っていなかった。
「はい。昨日、羽黒さんと接触した後、ご自宅に呼ばれまして……偶然居合わせた那智さんに朝まで付き合わされました」
「ご自宅って……うち来たの?」
私が驚いているのに対し、日向の顔は険しいものに変わっていた。
「はい。羽黒さんの手料理を食べた後、那智さんに外に連れ出されてそのまま朝まで……」
「羽黒は一緒だったのか?」
「いえ。那智さんが野分に話があるというので、二人だけでした」
「そう……その、那智が迷惑かけたわね……」
日向の険しい表情は和らいだが、今度は私が申し訳なくなった。あらかじめ用意しておいた水を渡すと、のわっちはそれを一気に飲み干した。
「いえ。おかげでいろいろ聞くことが出来ました……ところで、野分の机の上のものに触れましたか?」
「いや、触ってないが?」
のわっちはしばらく机の上のものを注意深く観察すると、溜め息をこぼした。
「書類の重なり方が昨日とは違います。誰かがこれを調べたみたいですね」
「そうか……無くなっているものはないか?」
「どれも今回の件とは関係ないものばかりですから」
のわっちはそう言うと書類を丁寧に重ね机の端に寄せた。
「恐らくデータベースへのアクセスの履歴も見られていると思います。そうなると何がきっかけか調べるのは困難かと……」
のわっちの言葉を日向は鼻で笑った。
「早く私に連絡するべきだったな……」
日向はそう言い、趣味のものがつまっている……失礼、拳銃等が閉まってある鍵付きの棚を開けると段ボール箱を取り出した。
「この中に私達がこれまでやってきた報告書のコピーが入っている」
日向の言葉に私はとても嫌な顔をしたが、のわっちは感心していた。
「恐らく動くとすればこちらの動向を探りにくるはずだ。安心しきっているところで、急に過去のことを調べていることを知ればなんらかの行動を起こす可能性がある。向こうの動きに留意しつつ、こちらから揺さぶりをかける」
日向はそう言うと、自分の鞄を持った。のわっちの顔が曇る。どうやら、意味を理解したようだ。
「足柄。手はず通り頼むぞ」
「部下への行き過ぎた信頼も監査対象にならないかしらね……」
私の嫌味も意に介さず、日向は出ていった。のわっちはきっと二日酔いで頭が痛いのでしょう。頭を抱えていて死んだ目をしていた。