NSCI #52 裏の裏は別物(1)
「どもども、お二方。わざわざ御足労かけましてすいません」
野分と日向さんは青葉さんの事務所に呼び出されていました。足柄さんは偶然、出張で出掛けていましたが、電話をかけてきた青葉さんは野分と日向さんだけで来て欲しいとのことでした。
「それで、私達に話しておきたいこととはなんだ?」
日向さんはソファに腰かけると、腕を組み、青葉さんの方を見ました。あまり機嫌がいいとは思えませんでした。
「意味もなく二人を呼んだわけじゃありません。実は足柄さんに関する事なんです」
「足柄さんに?」
衣笠さんが淹れてくれたお茶を溢しそうになりました。日向さんは前のめりになると、青葉さんに話の続きを促しました。
「まぁ、足柄さんも関与しているかもしれない。という事なんですけど……これを見てください」
青葉さんは一枚の写真を取りだし、机の上に置きました。日向さんは其を手に取り、しばらく眺めた後に野分に手渡してきました。
「羽黒さん……?それと……局長?」
「恐らくその二人だろうな……」
写真には喫茶店のテラス席で、俯いて暗い顔をしている羽黒さんと腕を組み、堂々としている海軍特別犯罪捜査局の局長が写っていました。
「他には?」
「えぇ、あります」
青葉さんはそう言うと厚みを帯びた封筒を机の上に置きました。どれも、二人が写っているもので、喫茶店やファミレスといった飲食店での写真ばかりでした。
「スキャンダルにするにはどれも押しが弱いものばかりだな」
「青葉的には、羽黒さんのそういうスキャンダルは嬉しいようで悲しみの方が勝ってしまいますけどね。ちなみに日向さんが想像しているような事実は恐らくありません。二人とも飲食店を出た後に別れています。羽黒さんも真っ直ぐ家に帰るかスーパーのパートに出てますし、局長も日向さんたちのオフィスに戻っています」
「青葉がいない時に密会してる可能性は?」
「恐らくないでしょう。二ヶ月間付きっきりでしたから」
「よくお前が通報されなかったな」
「恐縮です!」
誉めてないです。日向さんは溜め息をつくと、写真を置いて青葉さんの方を見ました見ました。
「会話の内容はわかるか?」
「青葉は羽黒さんにも、恐らく局長にも顔が知れていると思うので接近は試みませんでした。ただ、一度近くになった時に、足柄姉さんはやってない、とだけ羽黒さんが言うのは聞こえました」
「そうか……わかった。青葉、手が空いている時で構わないからこの写真と捜査内容を……」
「青葉は記者なので捜査は……取材内容なら用意してありますし、この写真も複製済みです。二つとも持っていってください」
青葉さんは机の上に散らばった写真を封筒にまとめ、一冊のノートと共に日向さんに渡しました。
「野分の手際の良さと頑固さはここで習ったんだったな……」
「ほんとに。二人とも母親に誉められたい子供みたいよねぇ」
いつの間にか衝立の上から覗いていた衣笠さんが割り込んできました。青葉さんはバッと振り返りました。一瞬でしたけど、顔が赤くなっているようにも見えました。
「私はこんな大きな娘が二人もいるような歳じゃないんだがな……まぁ、いいさ。また何か解ったら教えてくれ」
「はい……最後に青葉さん。羽黒さんが働いているスーパーって教えて貰えませんか?」
こちらを向いた青葉さんはいつもの顔に戻っていました。
「はい。足柄さんのご自宅近くのスーパーです。◯◯駅の西口の目の前ですね。詳しい住所はお渡ししたノートに書いてあります」
青葉さんの話のメモを取っていると、後ろからバタンという音が聞こえてきました。
「日向さん、行っちゃったよ?」
まだ衝立からこちらを覗いていた衣笠さんが、玄関の方を指差していました。
「わかりました!ありがとうございます!」
慌てて鞄を持ち、日向さんの後を追いかけました。
ーーーー
日向さんは運転席で先ほどのノートを読んでいました。野分が助手席に座ると、ノートを閉じ、封筒と一緒に野分の膝の上に置きました。
「青葉の意図が読めん。良くも悪くも試されているように思える」
日向さんは頬付きをすると、野分の方に目を向けました。
「野分にはまださっぱり……正直、扱いづらいとは感じていますけど」
「この手のネタに喜んで飛び付くのは青葉達、記者ぐらいだろう。そのネタをわざわざ呼び出して渡してきたんだ。何か裏があると思えないか?」
「正直、足柄さんに伝えないことを疑問に感じます。もし足柄さんになんらかの嫌疑がかかっているのなら足柄さんのまわりにマークが付くはずですし、青葉さんも足柄さんを付け回すと思います。けれど、ここ数ヶ月の間、足柄さんがそれに気付かない訳がないと思いますし、野分もそれは感じませんでした」
「私も同じだ……悪いが私には青葉のやり方はわからない。駅まで送るから一度オフィスに帰ってまとめてくれないか?私はこのまま足柄を迎えにいく。帰ってくるのは明け方になる」
「了解しました」
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オフィスに戻り、ノートを読みながらデータベースにアクセスしようとした手が止まりました。もし、局長が絡んでいるとしたら、このオフィスでの動きは筒抜けになるのではないか、そう思えたからです。野分はパソコンに作りかけの書類を表示させ、それを作成しながらノートを読み込みました。
「なんのことだかさっぱりですね」
現状でわかることは、ノートに書かれた青葉さんの字の通りだけでした。そこから先が全然見えてきません。やっとのことで作り終えた書類を印刷し、机の上に雑に置くと御腹がなりました。
「お腹すきましたね……」
ふと、時計を見やると、素手に退勤時間は過ぎていました。
「帰りに何か買っていきましょう」
野分はノートを鞄に入れ、忘れ物がないかしっかり確認をしてからオフィスを後にしました。
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足柄さんの家の最寄り駅に着くと、言われた通り目の前にスーパーはありました。時間は少し遅かったですが、会社帰りのサラリーマンやセール品狙いの主婦達で賑わっていました。店内に入り、お惣菜を選んでいると、私の探し人である羽黒さんが現れました。それと同時に、近くにいた主婦達が殺気だちました。
「なんですか……この息苦しさは……」
お惣菜売り場に集まり始めた主婦達に囲まれ、逃げ場が無くなり身動きが取れなくなりました。羽黒さんはこちらに見向きもせず、お惣菜に赤いシールを貼っていきました。貼り終わり、羽黒さんが売り場から離れると、主婦達は我先にと売り場に群がりました。押され、押し退けられ、野分は知らないうち人混みから弾き出されました。
「いったい何が……」
「お客様大丈夫ですか?!」
尻餅をついている野分に羽黒さんが慌てた様子で駆け寄ってきました。
「野分ちゃん?!大丈夫?」
「はい。大丈夫ですけど……これはいったいなんですか?」
「いつもこの時間はこんな調子で……ごめんね、怪我してないですか?」
羽黒さんに引き起こされると、目の前にあった人混みがあっという間になくなっていきました。お惣菜の売り場には何も残っていませんでした。
「そんな……野分が一番前にいたのに……」
「あの……その……ごめんなさい!」
別に羽黒さんは何も悪くないのですが、謝られてしまいました。しばらくどうしようか悩んでいると、野分の携帯がなりました。携帯を見ると、舞風から遅くなるからご飯食べて来て、との連絡でした。そうしたらお弁当でも買って帰ろう。羽黒さんにお弁当売り場を聞くと、羽黒さんはすごく申し訳なさそうな顔をしました。
「多分……何もないと思います……」
羽黒さんに案内されたお弁当売り場にも何も残っていませんでした。
「この時間帯になると、半額になるから……いつも取り合いになるんです」
言われてみると、舞風が買い物から帰ってくるとすごく疲れた顔をしていることがありますけど、単純に買い物疲れだったわけじゃないようです。感謝しないといけません。
「ごめんなさい。日向さんが来たときはまだいろいろ残ってたんですけど……」
「日向さん?ここに来られたんですか?」
野分がそう訊ねると、羽黒さんは不思議そうに野分を見ました。
「えぇ、お昼過ぎですかね。偶然、近くに用があってお昼を買いに来られました。野分さんのお弁当も買って行かれてましたよ?」
お昼過ぎだと、野分と別れた後すぐでした。
「あぁ、あのお弁当、ここのだったんですか。美味しかったです」
食べていないお弁当の感想はバレるんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、羽黒さんは嬉しそうにしていました。
「本当ですか?!あのお弁当、私が作ったんですよ!」
あぁ、心が痛いです。羽黒さんの手料理を食べたことがあるから尚更……日向さん、何のお弁当買ったんですか……情報をください。
「また食べたかったですけど……無いなら仕方ないですね。何か適当に買って帰ります」
早く会話を切り上げなくてはボロが出てしまう。そう考えていると、羽黒さんは何か言いたそうな、そんな顔をしていました。その様子を眺めていると、羽黒さんは意を決した様子で話し始めました。
「あの!よかったら家でご飯食べていきませんか?今日、私一人で寂しかったんで……」
この時、野分には羽黒さんに対して不信感しか抱きませんでした。確かに自分の作った料理を誉められて、食べて欲しいとは思うかもしれませんが、それだけで家に呼ぶでしょうか。何かあるはず。そう思えましたが、野分にも聞きたいことがあります。
「もし……お邪魔でなければいいですか?」
野分がそう言うと、羽黒さんは安心した様な表情をしました。
「はい!もう上がるのでちょっとだけ待っていてください!」
とりあえず羽黒さんと別れ、外でジュースを飲みながら待つことにしました。
ーーーー
羽黒さん達、元妙高型が暮らす一軒家にお邪魔すると、リビングで那智さんがくつろいでいました。
「那智姉さん!今日は帰ってこないはずじゃ……」
「当直だと思っていたら日付を勘違いしていてな……今日じゃなかったんだ。野分か?」
那智さんは野分を見付けると不思議そうな顔でこちらを見ていました。会釈をすると、手招きをされました。
「じゃあ、私はお夕飯の用意をしてきますね」
羽黒さんがキッチンの方に消えると、那智さんは野分を隣に座るように促しました。
「珍しいじゃないか。野分が家に来るなんて……」
「偶然スーパーで羽黒さんにお会いしまして……ご相伴にあずかることになりました」
「偶然?」
那智さんは怪訝そうな顔で野分を見ました。顔を近づけてくるので、離れようとすると、肩を捕まれました。
「特捜の人間が海軍の人間と偶然会うとは思えんな……羽黒のことだろ?」
那智さんは小声で話すと、キッチンの方を見ました。
「最近、羽黒の様子がおかしいんだ。すごく疲れた顔で帰ってくることが多い」
「野分はスーパーの過酷さを今日知りました」
「はぐらかすなよ。それに、やたらと私達の仕事の内容を聞いてくるんだ。これまでそんな事なかったのにな」
「舞風も野分に聞いてきますよ。きっと那智さん達のことが心配なんですよ……」
まっすぐ見つめてくる那智さんから思わず顔を背けると、那智さんは盛大に笑い始めました。
「何を照れているんだ。ほら、飲め」
那智さんはそう言うとビールの缶を野分の手に持たせました。抗議の目で那智さんを見ていると、那智さんは野分の肩を叩きました。
「せっかく家に来て貰ったのに、何も飲ませなかったとなれば妙高型の恥だ。気にせず飲んでくれ。それに……」
那智さんはまた顔を近付けると野分に耳打ちをしました。
「日向と足柄に飲まされてある程度は強いんだろ?」
「どういう意味ですか?」
「後でわかる」
那智さんはそう言うと、野分の持っていた缶ビールを一気に飲み干しました。
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羽黒さんの手料理を食べていると、那智さんは持ってきたお酒を野分のグラスに注ぎはじめました。羽黒さんはそれを黙って見ています。
「ほら、私のとっておきだ。飲みやすいから飲んでみろ」
そう言われ、断るのも申し訳ないと思った野分は、それに口をつけると驚きました。
「確かに飲みやすいですね」
「さすがは足柄に鍛えられてるだけのことはあるな!」
那智さんはそう言うと、その瓶を自分の足元に置きました。
「野分ちゃん。いつも姉さんがごめんね」
「いえいえ、足柄さんにはお世話になりっぱなしですよ……」
「何か不満とかあるなら、私から足柄さんが姉さんに言ったあげるよ?」
羽黒さんらしくない。そう思いました。那智さんはそれを聞いて笑うと、野分の方を見ました。
「素面じゃ言えないこともあるだろう。今日はこの家に私と羽黒しかいないんだ。遠慮せずに言ってくれ」
那智さんはそう言うと先ほどのお酒の瓶を取りだし、少なくなった野分のグラスに中身をつぎました。
「ほんとに大丈夫?無理してない?」
内向的な羽黒さんがここまで積極的に来るとは思っていませんでした。少し考えて、逆にかまをかけることにしました。
「そうですね。いろいろとありますけど、足柄さん、溜め込んでるみたいで……家では変わった様子はありませんですか?」
野分がそう訊ねると、羽黒さんは明らかに動揺していました。
「そうだなぁ……最近、足柄のやつ、家で飲む量が増えたな。よく羽黒が付き合っているけど、私の分まで飲んでる時が多々あるな」
「そう……ですね。確かにお酒の量は増えましたね……」
「そうですか……最近、足柄さんとは別の仕事を扱うようになって、それまで二人でやっていたものを一人でやるようになったんで大変なんですよね」
「そうなの?野分ちゃんは何をしているの?」
「野分は日向さんの手伝いが多いですね……」
どの程度の線引きをしようか。当然、本当のことは話せないけど、信憑性のある嘘を言わなくちゃいけません。少し時間が欲しい、そう考えていると、那智さんが助け船を出してくれました。
「野分はよく食べるな。おかわりするか?」
「恥ずかしいですけど……出来るなら……」
「ごはんもおかずもまだあるけど……那智姉さんの分が少なくなっちゃう……」
「なに、今日は野分が来てるんだ。この後適当に飲むから少なめでいいんだ」
「そうですか……」
羽黒さんは野分と那智さんのお皿を持つと、キッチンの中に消えていきました。野分はそんな羽黒さんの後ろ姿をただ見送ることしか出来ませんでした。
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食事を終え、羽黒さんが洗い物をしている間、那智さんに半ば強制的に買い出しに同行させられました。
「野分は洗い物を手伝いたかったのですが……」
羽黒さんに対して、まだ何もお返し出来ていないことに申し訳なさしか感じていません。
「私の相手をしているだけでも充分さ。それにこれを処理しないとな」
那智さんはそう言うと、先ほどのお酒の瓶を取り出しました。
「びっくりしましたよ……ただの水だったなんて」
「いい飲みっぷりだった」
那智さんはそう言うと、残っていた中身を飲み干し、空き瓶をコンビニのゴミ箱に放り込みました。
「家庭ごみは駄目ですよ……」
「そう言うな。好きなもの買ってやるから」