私が戦艦から航空戦艦に改装されたとき、明石に「艦娘はどういう原理で海の上を航行するのか?」と訊ねたことがある。その時、明石はわからないしこれからも解明されないだろう。彼女はそう言った。
「そんなに長くはもたないの。すぐにけりをつけてあげる」
洋上で対峙した伊勢はそう言い、刃こぼれの激しい刀を構えた。長くはもたない。伊勢の言うことの意味が感覚的にわかった。私だけかもしれないが、洋上を航行する為の足の艤装は体内を巡る血液を動力源として動いているように感じる。当然血液ではなく、燃料なのだが、体内を巡っているように感じるのだ。
「私も燃料がこころもとない。長くは付き合えんさ」
私はカタパルトを構えた。残っていた瑞雲がカタパルトに姿を現す。しかし、伊勢は瑞雲達の発艦を待ってはくれなかった。一番機が射出されると同時に伊勢はこちらに突っ込んできた。それまで何度も聞いたはずの伊勢は足の艤装からは聞いたことのない爆音が聞こえている。その音に品はなく改造された大排気量車の様な音だ。
「妖精の練度が高くても、それを指揮するのがなまくらじゃね」
伊勢は不適な笑みを浮かべている。私の狙いは伊勢に筒抜けのようだ。少し考えれば当然だ。
「時代は航空戦艦だ。それらしい戦い方をしているだけだ」
悔し紛れにそう言い、私は一杯まであけ、風下に走る。背中の艤装を風に押され、僅かだが最高速度があがる。当然同じ馬力……いや、音を比べれば伊勢の方が上だろう。身軽な伊勢と比べたら遅いが、何もせず立っているよりは接触まで時間が稼げる。発艦する瑞雲達が追い風の中で飛べるのか、不安はあったが、彼女達は何事もなく発艦していく。私の遥か頭上に瑞雲の円が形成されていく。一機、また一機と加わり、その円は次第に大きくなってゆく。その光景を見ていると無電が入った。
「流石に速いな……」
伊勢との距離が縮まっていると、上空の瑞雲からの無電だった。私は振り向かず、背中の砲門を全て後ろに向けた。これで当たればいいが、まず当たらないだろう。
「全基八門、一斉射!」
砲撃と同時に私の体は数秒宙に浮いた。私が先程までいた場所に大きな水柱が立っているだろう。四門で伊勢の少し手前を、残りの四門で自分のすぐ背後を撃った。水柱が立たせるで目眩ましの効果を期待したが、結果的には私の体も大分前に進み、伊勢を怯ませる事が出来た。この間にもどんどん瑞雲は空へ上がっていく。最後の一機がカタパルトに姿を表した時、私は背後に強烈な殺意を感じた。反射的に振り返ってしまった。そこには頭上に刀を振り上げた伊勢がいた。
「しまっ……」
降り下ろされると思った刀が一瞬止まった。その一瞬で最後の瑞雲は発艦した。カタパルト上を走る瑞雲のすぐ後ろに伊勢の刀が降り下ろされた。カタパルトを持っていた腕に激痛がはしる。
「これでただの戦艦ね」
私の腕とカタパルトが足元に浮いている。よく、剣術の名人に切られたら痛みも感じず死ぬというが、くっついて今時の腕は確かに痛みを発した。あのなまくら刀で斬られたせいもあるだろう。どうせ斬られるなら名刀と呼ばれるものがいい。せめてちゃんと手入れされた刀で斬られたいものだ。
「この下手くそ……」
「今のあなたよりはうまいと思うけど?」
伊勢は再び刀を構えた。腕一本を持っていかれたが、支障はないはずだ。
「私の番だ」
私は伊勢の前に主砲を放った。それと同時に伊勢から距離をとる。狙いを定める時間は一秒あれば充分。問題はそこから先、放たれた砲弾が伊勢に当たるまでの一瞬。終戦後、陸の上にいた私に、刀一本で深海棲艦の残党狩りをしていた伊勢に命中させるのは無理だろう。どう計算しても伊勢の足を二秒近く止めなくてはいけない。
「あのハゲ鷹はいつ降りてくるのかしら?」
伊勢の余裕の表情がうかがえる。わが姉ながら忌々しく思えてくる。伊勢はわかっている。爆装した瑞雲で足を止め、そこを叩こうとしていることを。そして、そのチャンスは一度しかない。数回に渡り爆撃をしても、今の伊勢なら難なくかわすだろう。そうなれば、あり弾全てを使って伊勢の進路を防いでしまえばいい。それを避けようとして当たればなおよしだ。
「お前が死ぬか、私が死ねば降りてくるだろうな」
私は砲門を動かした。僅かだが、金属が軋むような異音を聞いた。恐らくさっきの砲撃が近すぎたのだろう。明石や夕張ならこれぐらいで音をあげるような整備はしないだろうが、私個人がやったと思えば上出来だ。
「調子が悪いみたいね」
「その逆さ。すこぶる調子がいい」
いい終えると同時に放った砲弾が伊勢に向かっていく。伊勢は少ない動きでそれを避ける。立て続けに砲撃を加えるが難なく避けられる。もっとも当たるとは思っていない。私は暫く砲撃を続けた。一門ずつ、よく狙っているつもりだが当たる気配はない。少しずつだが、伊勢が距離を詰めてくる。近付く伊勢の顔は飽きれ顔だ。言いたいことはわかる。自分でも情けなくなるぐらい当たらない。
「相手が伊勢だとしても、これは酷いな……」
「えぇ、全くもってその通りね」
伊勢との距離が会話できる程に詰まる、私は先程と同じく、足元を撃って水柱を立てた。伊勢が砲撃を免れる為に方向を変えたのと、反動で私が後ろに下がるので再び距離があいた。
「零距離で当てるのもありだな……」
「そこまで近付けば、砲から弾が出る前に叩き斬る」
私は小声で呟いたはずだが、離れた伊勢には聞こえていたようだ。
「地獄耳め。盗み聞きとは趣味が悪い」
「聞こえるように言う方が悪い。それに独り言増えたんじゃない?」
「かもしれんな。悩み事が多くてストレスを溜め込んでいるのかもしれん」
「私には能天気に見えるけど?」
「愚姉の存在も大きな悩みごとの一つだ」
私は下がりながら再び砲撃を始めた。それにあわせて伊勢も飛び込んでくる。もし伊勢ががむしゃらに斬りかかってきたらこれほど苦労はしなかった。伊勢は的確にこちらの隙を見抜いている。あの距離の砲撃が避けられるのも、こちらの様子を冷静に見ているからだろう。私と伊勢のいたちごっこは暫く続いた。
「ちょこまかと…………」
伊勢の集中力が大分鈍ってきた。どうやら燃料よりも先に薬物の方が切れたようだ。私は上空の瑞雲達に無電を飛ばした。もうじき、チャンスがくる。顔ににじみ出た汗を拭いた。普段の汗よりも妙に滑りけがある。その手を見ると、黒く汚れている。
「野分…………よくやった」
「ついに幻覚でも見えるようになった?」
血走った目をし、苛ついた表情の伊勢が私を睨んでいる。今こうして見ると、髪が白くないことを覗けば深海棲艦と同じような顔色をしていた。
「それはお前の方だろう?どうだ?その力は?深海棲艦の様な顔になっているが?」
「うるさい」
伊勢は馬鹿正直に真っ直ぐ、こちらに向かってきた。先程までは律儀に避けていたが、もう砲撃を一発当てただけでは止まらないだろう。ダメージ覚悟で突っ込んでくる。私も下がるが距離が詰まる。
「降下ぁッ!」
私がそう叫ぶと同時に、上空の瑞雲達が真っ直ぐ、こちらに向かってくる。伊勢が上を向いた。恐らく先頭の一番機を操縦している妖精と目があっているだろう。私の中で全てが噛み合った。
「伊勢、足元だ。野分はよくやったと思わないか?」
そう呟いたが、伊勢には聞こえていたようだ。伊勢と私の排気音に加え瑞雲が発する爆音、更に私が伊勢の足元に放った砲撃音の中でよく聞こえるものだと感心した。伊勢が足元を見ると同時に着弾。大きな水柱と野分が落とした車から漏れたオイルに火がつき火柱が立った。爆撃隊はそれにあわせて次々と爆弾を落としていく。伊勢の回りが火の海と化し足が完全に止まった。
「全基八門。一斉射」
腕が鈍っている私でも、動かない目標に当てるだけなら出来る。着弾する一瞬、伊勢と目があった様な気がした。
ーーーー
終わった。
「終わった」
思わず口に出してしまった。火が収まり、完全に沈黙した伊勢が仰向けで浮かんでいるのが見える。あの火の海の中で砲撃を食らっても原型を留めているのは艦娘の力を得ているからなのだろうか。
「日向も私も生きてるけど、あの子達降りてきたんだけど?」
伊勢の声が聞こえる。でもそれも先程までの攻撃的な声色じゃない。何度も聞いた、伊勢型戦艦一番艦、伊勢の優しい声だった。
「あれは瑞雲だ。ハゲ鷹じゃない」
私はそう言い、伊勢の脇に立った。激しく傷付いてはいるものの欠損のない綺麗な身体をしていた。
「私は片腕を失ったというのに……」
「どうせ入渠すれば治るんでしょ?」
「そういう問題じゃないだろう。それにあいつらをどうやって運んでやればいいんだ」
私は伊勢を背負った。伊勢は僅かな力を振り絞って、砲塔に座った。私たちの目の前に次々と瑞雲達が着水していく。着水した瑞雲の妖精達はこちらに敬礼をしている。私に対してか、それとも帰って来た伊勢に対してかなのか。
「どうしてあの時、一瞬待ったんだ?」
「日向は嫌いだけど、思い出の日向は好きだから。あの子達と戦っていた日向を悲しませたくなかっのかな?」
「そうか…………随分と余裕だったものだな…………」
「日向になんか負けないと思ってたからね」
「私は伊勢を沈める気だった。だが、無力化までしか出来なかった。まったくどれだけ頑丈なんだ」
「本当なら沈んでた思う。きっと今ごろ陸の上では大変な目にあってる人がいるはず」
「どういうことだ?」
「今は私が一番ってこと。全機着水終わったよ」
伊勢の言うとおり、空にあがっていた瑞雲達が全機戻ってきていた。彼女達はいつの間にか機体を先程野分を引っ張るのに使ったロープで連結していた。先頭の機体に乗る妖精が私にロープを差し出している。これを引っ張って陸まで連れていけ。そういうことだろう。私は言われるがままに、そのロープを手に取った。
「伊勢。しっかり捕まっていろ。それと変な気を起こすなよ」
「さっきまではそのつもりだったけど…………一番になれたことで満足しちゃった」
「意味がわからん」
私はそう言い、足の艤装に火をいれた。
ーーーー
陸までたどり着いた私と伊勢を、長門達海軍が待っていた。私たちはすぐに軍用車に乗せられ、海軍基地、そのまま工廠の艦娘用ドッグに放り込まれた。私も伊勢も、その間外で何が起きたかもわからず、数年ぶりとなる姉妹の時間を過ごした。その間に何かが決められた様で、長門から伊勢をしっかり監視しろという命令を受けた。要するに一緒に暮らして面倒をみろということだ。私も伊勢も嫌がったが命令だと言われ渋々了承した。
「腕はもう大丈夫?」
新しい腕の感触を確かめていると、もう傷は癒えているが体内の薬物物質を抜くために入渠している伊勢が声をかけてきた。
「あぁ、問題なく動く。解体されていなくてよかったよ」
伊勢の身体から薬物が抜けきれば私と伊勢は解体される。本当に艦娘としての生を終えることとなる。
「私も今はそう思ってるわ」
伊勢は重度の薬物中毒だった。もし解体されていれば、今ごろは精神崩壊を起こしていたかもしれないらしい。伊勢も私も、私がギソウとの接続部を破壊したことで艦娘ではなくなったと考えていたが、実際は伊勢の身体はまだ艦娘のままであった。
「よくうなされているが…………やはり辛いのか?」
「辛くない……そういうと嘘になるかな」
「出来ればずっとうなされていて欲しいものだ」
「それいいね。抜けたもまだ抜けないって嘘つこうか」
「お前のお守りが私から長門に変わるだけだ。長くは誤魔化せん」
きっと最初の命令では伊勢の面倒は長門がみるはずだったのだろう。私は解体されていなかった事を言及されなんらかの罪を被っていたはずだ。当然そのつもりだった。だが、不思議とそうならなかった。長門と話した時、随分とやつれた顔をしていたことから彼女に……彼女にも助けられたのだろう。
「私のわがままなのだが……」
「それだけ信頼されているということよ。私一人じゃ、あなた達には敵わなかった」
「もう一度聞くが、もう一人で突っ走ることはないんだろうな?」
「日向はわからないだろうけど、女ってちょっとした幸せで満足することもあるの」
「私にわかるように言ってくれ」
「そのうちわかるんじゃない?もしかしたらあなたの野分が教えてくれるかもね」
「ますますわからん」
私は大きなため息をついた。