足柄と野分と共に仮眠室に泊まった私はドアの開く音で目が覚めた。まだ日も登っていない時間だ。重たい瞼をに逆らいながら、かろうじて得た視界の中に、二つの人影が動いている。その二つはゆっくりと動きながら部屋から出て行った。少しずつ体が覚醒し始め、上体を起こすと、二人が寝ていた布団は既にもぬけの殻だ。綺麗に畳まれているものと、抜け出してそのままになっているもの。どちらがどっちとは言わないが私は大きな差だと思う。
「まだ時間はあるはずだが……」
私はそう言うと時計を見た。やはり時間は早い。二人揃ってトイレに行ったわけでもあるまい。私はこのまま二人を追うか、それとも気付かぬふりをするのかで悩んだ。
「……まぁ、いいか」
別に睡魔に負けた訳ではない。私はもう一度布団に潜り込むと、そのまま眠りに落ちた。
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予定していた時間よりも三十分ほど早く起き、オフィスに戻ってみると、私のデスクの上に置手紙が残してあった。一方は足柄、もう一方は野分が書いたものだ。二人ともやることがあるから先に出ているとだけ書いてあった。私の命令を無視してまでやるべき事とはなんなのか疑問に残ったが、私は気にするのをやめた。今はそんな事を考えている場合ではない。私は身支度を整えると駐車場に向かった。
「二人一緒じゃないか」
駐車場に着いた私は普段使っている捜査車両と足柄が勝手に増やした二輪が無くなっていることに気がついた。二人はここで別れた事になる。
「一体何を企んでいるんだか……」
私は溜息を漏らすと、自分の車のドアを開けた。運転席に座り込むと、後ろの方が少し騒がしい。後ろを振り向くと、瑞雲に登場する妖精達が一列に並びこちらに敬礼をしている。
「そうだな。今日はよろしく頼む」
私がそう言うと、彼女達は一斉に飛行甲板に戻っていった。私は新しくなった愛車のエンジンに火を入れた。心地よい振動が伝わってくる。
「もし私が乗れなくなったら最上にでもやるか……」
私はクラッチを踏み込み車を発進させた。
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伊勢の隠れ家付近につくと、微かに遠くの方から火薬の匂いを感じた。よく耳を澄ませると、発砲音も混じっている。私は何となく嫌な予感がした。艤装の一部である刀だけ持ち、伊勢の隠れ家へ走った。途中、足柄が乗ってきたと思われる二輪が止めてあった。近くには背のうが落ちている。二輪についているケース類を見る限り、足柄は余程の重武装で乗り込んだ様だ。伊勢の隠れ家が近づきにつれ、火薬の匂いとあの薬物を燃やした時にでる独特の匂いが濃くなってきた。それと同時に血の匂いもする。開いていた玄関から中に飛び込むと、無傷な伊勢が刀を構えていた。それとは対照的に足柄は着けていた防弾ベストのに多くの刀傷を受け、左肩から出血していた。
「あら、日向。早いわね」
足柄はまるで朝のオフィスであった時の様な挨拶をしてきた。
「あぁ、部下が勝手なことをしているのを知って慌てて飛び出して来たんだ」
伊勢に対峙する様に、私はゆっくり足柄に近寄った。伊勢は動く気配がない。
「その割には随分綺麗に身支度したわね。のわっちなんて寝癖のまんま車に飛び乗ったって言うのに」
なるほど、どうやら私の予想は見事に外れた様だ。
「それで、大丈夫なのか?」
「最初は良かったのだけど、今は劣勢ね。悔しいけど勝てないわ」
足柄は顎で地面に転がっている折れた鉄パイプを示した。それが鉄パイプをでは無く六四式である事には直ぐに気がついた。
「銃身掴まれて、そのままへし折られたわ。弾が当たっても無傷なんてやってられないわ」
「何だと……伊勢にそこまでの力があるとは思えないのだが……」
足柄とそんなやりとりをしていると、伊勢がとんでも無い速さで切りかかってきた。あの時とは段違いの速さだった。それを慌てて避けると、足柄はすれ違いざまに発砲した。至近距離の発砲だ。避けられる筈がない。しかし、鋭い金属音が響くと、足柄の向けた銃口とは全く違う天井に穴が空いた。
「刀で弾いたのか……?」
私も刀を抜くと、足に何かが当たった。煙管盆だ。それを足で蹴って見ると、それが異常に軽く、中身が入っていないことがわかった。私は嫌な予感がした。この時ほど自分の勘の良さを嫌になったことはない。
「足柄!タイミングをあわせろ!」
私はそれだけ言うと伊勢との距離を一気に詰め刀を振り下ろそうとした。しかし、私の刀は振り上げてから動かなかった。振り上げた両手を、伊勢は片手で掴んだ。その時見えた伊勢はとても楽しそうな表情をしていた。血走った目で私を見る伊勢に悪寒が走った。私は伊勢を蹴り飛ばし、その場から脱すると足柄は諦めた表情で伊勢に発砲した。私に蹴られたことで多少バランスは崩したものの、伊勢は足柄の放った弾丸を簡単に弾いた。
「さっきからこれの繰り返しよ。避けては撃って、弾かれての」
再び私の近くに来た足柄は持っていた拳銃の弾倉を入れ替えた。よく見ると、足元に空になった弾倉がたくさん転がっている。
「どうやったらあそこまでの反応できるんだろうな。今なら伊勢一人で深海棲艦と戦えるんじゃないか?」
「そうね。私が来た時に、伊勢は今日は私達がここに来ることわかってたみたいよ?」
「川内か?」
「本人は勘だって言ってたわ。だから朝から自家製の青汁飲んでたし」
「やはりそういうことか……」
足柄の言っていた青汁の意味は直ぐにわかった。そこまでして私に……私達に抗うか。
「どうしても海の上に引っ張り出したいものだな。そうすれば砲が動かせる」
「そのつもりだけどね。話が通じる相手でもないし、力任せに運ぶわけにもいかない。自主的に行ってもらわないことにはなんとも……」
『野分です。足柄さん。そちらの様子はどうですか?」
突如、足柄の着けていた無線から野分の声が聞こえて来た。
「そうね。上司にもバレて流石にマズいって感じかしら。それに左手の感覚もなくなってきたわ」
「おい!どうしてそれを早く言わないんだ?」
『そうですか……でしたら五分後にそちらに迎えると思います。その時、伊勢さんを海沿いの窓際まで追い詰めておいていただけませんか?建物の構造は前回で把握してます』
「野分も何をする気だ⁈」
「わかったわ。五分間ね。任せて頂戴」
私の部下二人は私を無視して話を進めている。足柄が一人で突っ走るならまだしも、野分まで言うことを聞かないとは想定外だった。
「日向、それでどうすればいい?」
「そこまで考えていたんじゃないのか?」
「先輩として後輩に頼られたい、見栄みたいなもんえね」
「そうか……」
私は溜息をつくと、伊勢に刀を向けた。だが伊勢は動こうとはしない。
「原因ははっきりしないが、今の伊勢は行動に移るまでが長い。こうやって無駄話をさせてくれるぐらいだからな」
「じゃあこのまま放っておく?」
「それは許してくれんだろうな」
私は刀を構えたまま少しずつ伊勢に近寄る。伊勢は顔を動かさず目だけで私の動きを追っている。常に目があっている状態だ。後五センチ。私は届かないが、今の伊勢なら踏み込んで打てる間合いまで近づいた。そこで動きを止める。伊勢から目を離せないが、おそらく足柄も私の後ろで構えているはずだ。
「伊勢よ。随分楽しそうじゃないか」
伊勢は答えなかった。だが、その顔は相変わらず笑っている。戦うことがそんなに楽しいのだろうか。私にはそう思えない。
私は前に出た足を上げた。僅かだが伊勢が反応する。私の足が伊勢の間合いに入ると同時に、伊勢の体が動いた。私は前に出した足で地面を蹴り、前では無く後ろに飛んだ。私の目の前に凄まじい速さで刀が振り下ろされた。私は目測を誤っていた。私は既に伊勢の間合いに入りもし伊勢が打ってきていれば斬られていただろう。伊勢の攻撃を透かした私は再び前の足を出した。しかし、伊勢は超人的な身のこなしで、私の振り下ろされるであろう刀を受けようとした。
「足柄ぁッ!」
私は打ち込まなかった。再び後ろに飛ぶと、私の刀を受けようと下から上に振り切られた刀によって伊勢の胴がガラ空きとなる。足柄はその胴体にめがけ二発の弾丸を撃ち込んだ。初弾は命中したが、二発目は弾かれた。私は被弾し怯む伊勢をそのまま肩で突き飛ばした。この時は自分でも不思議に感じた。何故斬らなかったのだろうかと。伊勢をそのまま壁に押し付ける。体を伊勢に密着させて押し込んだことで、伊勢は刀を振り回せない。
「この匂い……」
「ようやく気がついたみたいだね」
伊勢が初めて喋った。被弾した伊勢に密着して初めて気がついた。足柄に打たれた銃創が塞がっていく。塞がっていくと同時に、どんどん押し返す力が強くなる。
「さすがに私も葉っぱだけだと辛いからね……水の代わりに入れたのよ」
「修復材を飲んだのか?」
「えぇ、おかげでするする飲めたわ」
「この大馬鹿者が……」
「何とでも言いなさい。けれど、そんな私に貧弱な武装で挑んだお馬鹿さんにそんな言えるかな?」
伊勢の言うとうりだ。いくら私が艦娘の力があるとは言っても今は艤装がない。海の上であれば発揮できる本来の馬力の何分の一かしか出ていない。これまでそれで不便を感じたことはないが、今ははっきりと後悔している。せめて足柄ぐらいは鍛えておくべきだったと。
『いけますか?』
野分の声が聞こえる。どうやら、予定よりも早く来たようだ。
「少し待って!」
後ろから足柄が走ってくるのがわかる。
『少しだけ待ちますけど、もう止まれないですから』
「日向!頑張って!」
足柄はそう言うと、走り込んだ勢いを乗せて伊勢の顔面を殴った。さすがの伊勢もこれには面を食らったのか、モロに入った。伊勢の押し返す力が無くなった。
『「離れて!」』
野分の叫び声がきこえたかと思うと、私の真後ろから見慣れた捜査車両が壁を突き破ってきた。私は足柄を掴むと、そのまま横に飛んだ。
「野分⁈」
私がそう叫んだ頃には、捜査車両は伊勢と共に壁を突き破り、海に落ちていった。
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気が気じゃない。こういう感情は久しぶりだった。足柄を背負い、私は自分の車まで走って戻った。
「大丈夫。のわっちは優秀だから」
足柄が小さい声でそう呟く。私もそう思っているが、目の前であんな光景を見せられたらたまったものじゃない。車までたどり着くと、私は大急ぎで艤装を装備した。これなら海の上を走れる。
「私ができるのはここまでね」
助手席に放り込んだ足柄がこちらを見ていた。
「お前の次の仕事は自分で救護を呼ぶことだ」
私は持っていた携帯を足柄に放り投げた。
「そうね。野分を拾ったら一度帰ってきてもらえるかしら?」
「伊勢が許してくれたらな」
私はそう言い、海の上を走った。
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先ほど野分が車で落ちたあたりに着くと、一つの人影があった。それは間違いなく海の上に立っている。
「ようやく私を海の上に落としたというのに、遅いじゃない」
「野分ッ!」
伊勢は野分を脇に抱いていた。野分の方は力無くうなだれている。
「気を失っているだけよ」
伊勢はそう言うと野分をこちらに放り投げた。それを両手で受け取ると、腕に持っている飛行甲板から妖精達が出てきて野分の容態を確認しだした。俗に言うお姫様抱っこをした野分の体の上を妖精達が慌ただしく行き来する。しばらくすると、一人の妖精がこちらに親指を立てた。どうやら大丈夫そうだ。
「全く無茶をする」
「でもそのおかげで私と対等にやりあえるでしょ?あなたと足柄じゃ無理だったわ」
「まぁ、そうなるな」
妖精たちは勝手に飛行甲板に瑞雲を上げた。それにはフックのようなものが吊るされている。妖精たちが発艦許可を求めている。私は飛行甲板を空に掲げると、四機の瑞雲が空に飛び上がった。その四機には全て同じようなフックが取り付けられている。
四機はしばらく上空を旋回していたが一機が急降下してきた。だがその目標が伊勢ではない。伊勢の近くに流れていた大きめの木の残骸である。野分が突き破った壁の一部だ。器用にフックにその残骸を引っ掛けると、私の足元までそれを運んできた。ここまでされれば何をしろと言われているのかは何となくわかる。私はその上に野分を乗せた。流石に野分の体重を支えるほどの浮力は無かったが、顔が海面から浮いている。四機はそのまま四方にフックを引っ掛けると、そのまま陸地の方へ野分を引っ張っていった。
「優秀な子たちだね、やっぱり」
伊勢はそれを見守るように見ていた。
「あぁ、そうだな。私にもこういう使い方があるとは思いもよらなかった」
「いいわね。仲間って」
伊勢がらしくないことを言った。私には伊勢が何を言っているのか理解ができなかった。
「川内がいたじゃないか。彼女もお前を止めるために……」
「そうね。彼女はいい子だった。けれど、今のあの子たちみたいなことはしてくれなかった」
「どういう意味だ……川内はお前を救おうとして……」
「わからないか……それだけ幸せだったてことだよね」
伊勢はゆっくりと刀をこちらに向けた。
「あなたが信じる正義は間違いなく正しいと思う。けれど、私の正義は私の中では正しいと
信じているわ。あなたと違って、誰かにわかってもらえるものじゃない。けれど、誰にも理解されなくてもいい。私は私の信じる道を歩いていたいの」
「なんだ……そんなことか」
私は思わず呆れてため息が漏れてしまった。伊勢が不服そうな顔をしている。
「今の私に正義なんてものはない。ただ信頼している彼女たちと私自身の目的を達成したいと思っているだけだ。一種のエゴかもしれん。だが、それで私が満足するのなら、それでいい。そう思っているだけだ」
「あなたも信頼されているのでしょう?この前の野分、さっきの足柄を見てわかったわ」
「まぁ、そうなるな」
私は大きく息を吐き呼吸を整えた。
「じゃあ始めようじゃないか。最後の姉妹喧嘩を」
伊勢の顔にニヒルな笑みが浮かんだ。