野分が特別犯罪捜査員として働き始めて、早二ヶ月が経ちました。衣笠さんの一件で自分自身の不甲斐なさを感じ、毎日必死に日向さんと足柄さんに追い付こうと頑張っていますがまだまだお二方の様には行きません。足柄さんは二ヶ月目にして一人で仕事を任される様になったと言っていましたが、野分はまだまだ足柄さんについていくのがいっぱいいっぱいです。(本人はその時二人しかいなかったからそうせざるを得なかったと言っていますが)
そんな中、日向さんが二週間ほど休暇を取られました。理由は教えてくれませんでしたが、もう足柄さんと野分で大体のことはこなせるだろうという判断をしたそうです。野分は不安でしたが、足柄さんはうるさい上司がいないから飲んでもバレないと大喜びで、日向さんのいない一週間を満喫していました。しかし、それが仇となり、種類作成が滞り、折角の二週間も半分しか満喫できずに終わりました。日向さんがあと五日で帰ってくるという日、デスクの電話がなりました。
「はい、海軍特別捜査局、捜査一課七係です」
「あら、野分?警視庁の陸奥よ。いつも姉がお世話になってるわね」
電話の相手は陸奥さんでした。衣笠の一件以来、青葉さん、衣笠さん、陸奥さんとは交流する様になり、一週間に一回ある足柄さんのお酒解禁日に時々来てくれる様になりました。陸奥さんは野分に会うたびに長門さんとの関係を聞いてきますが、決してそう言う関係ではありません。
「長門さんとは何もありません…というか、最近は会ってないです…」
「そうみたいね。長門も心配してたわ」
「そうなんですか…それで用件はなんでしょう?今、日向さんはお休みでいません」
「あら…あらあら…」
電話越しに陸奥さんが困っているのが伝わってきます。
「あの…私で良ければ話ぐらいなら聞けますよ」
「うーん……そうね、いまそっちの仕事はどうかしら。忙しい?」
チラッと足柄さんを見てバレない様に視線を戻すと、多分バレたのでしょう。心配そうにこっちを見てきました。
「はい、野分は大丈夫です。締切が近い仕事も終わって手持ち無沙汰ですし。」
「そう…じゃあこっちに来てもらえるかしら?一時間後に迎えに行くわ。用意しておいてもらえる?」
「はい、わかりました。失礼します」
電話を切ると、足柄さんが視線を変えずに話しかけてきました。
「陸奥から?何かあったの?」
「何かあったみたいです。こっちに来てくれって言われました…何か飲み物いります?」
「濃いめのコーヒーをお願い。一人で大丈夫?」
「不安ですけど話を聞くだけなら出来ると思います」
「わかったわ。もし一人じゃどうにもなりそうに無かったら言って頂戴。私も行くわ」
「わかりました。よろしくお願いします」
野分はそう言い、足柄さんと自分のコーヒーを淹れに給湯室へ向かいました。
陸奥さんの車に乗って、警視庁に着いたのは、お昼過ぎでした。陸奥さんに案内されて、取調室の中が覗ける部屋に入ると、取調室には天龍さんがいました。
「だからオレはやってねぇって…信じてくれよぉ…」
天龍さんが弱々しく取調官の質問に答えていました。
「こういうわけなのよ…」
「陸奥さん、いくら野分が寡黙な日向さんの下で働いてるとはいえ、これだけじゃ何もわからないです…」
「順を追って話すとね…」
陸奥さんの話は整理して、野分の補足を加えるとこうです。解体後、天龍さんは軍に残ることを希望しましたが、龍田さんが自分の居場所は軍じゃないと、銃後の人となり、天龍さんも龍田さんを心配して一緒に一般人として働くことになりました。(その時、心配されていたのは龍田さんじゃなく天龍さんでしたが)そして二人とも幼稚園の先生になったそうです。そして、今回の事件、天龍さんが幼稚園のお金を盗んだ容疑がかけられて逮捕されたそうです。
「…変ですね」
「変でしょう」
そう、変なのです。解体され、銃後に回った艦娘は正直に言ってしまえば、一般人としては贅沢しぎる手当を月々もらっています。それこそ働かなくても遊んで暮らせるだけの金額です。野分の妹の舞風はほぼ毎日ダンススクールに通っており、仕事もバイトもせずに毎日生活してます。そんな元艦娘がお金に困ることなど、まずないはずなのです。
「何か火急の用でもあったのですか?」
「それはわからないけれども…彼女の口座にはそれ以上あったわ」
「そうですか…」
「私も天龍がそんなことをするとは思えないのよ…ただ状況がね…」
「監視カメラとかの映像に本当の犯人が写ってたりしないんですか?」
「それがないのよ。金庫にはセキュリティもカメラも無くってね…」
「そうしたら、その日その場にいた全員が容疑者になりませんか?」
「それが、金庫を管理する園長先生の後に天龍が帰宅したのよ。それが門にある防犯カメラに写っていた最後なの」
「指紋とか…」
「綺麗に拭き取られていたわ。不自然なくらいに」
「………」
「他に何か聞きたいことは?」
「現場に行ってみましょう。そこで何か見つけられるかもしれません」
「そう言うと思ってたわ。先に地下の駐車場に行ってて」
陸奥さんはそう言うと足早に部屋を出て行きました。野分は言われた通り、駐車場に向かいました。
「おまたせ」
陸奥さんが大きな紙袋を持って駐車場に来たのはそれから十分後のことでした。
「なぁ…信じてくれよ。オレはやってねぇって。陸奥からもなんか言ってくれよぉ…」
天龍さんも一緒にいました。なんと無く嫌な予感がします。
「野分捜査官!指示通り天龍容疑者を連れて来ました!」
教科書通りの敬礼をして私に報告する陸奥さん。
「えっ…いや…陸奥さん…」
「始末書はそっちに回しておくわね」
野分が…特捜が巻き込まれたのはこの為でした。陸奥さんが日向さんよりタチが悪いことを知ったのは、この時でした。
陸奥さんの運転する車に揺られ、現場の幼稚園に向かいました。道中、天龍さんは自分は何も知らないことや、園内にそんなことをする人間はいないこと、外部犯の犯行であることを強く主張していました。陸奥さんは何も言いませんでしたが、野分は天龍さんの無罪を証明する為に来た(巻き込まれた)ことを伝え、天龍さんに捜査への協力を求めました。天龍さんはそれを快諾して、泣きながら感謝の言葉を口にしていました。艦娘時代にも見たことのない天龍さんの泣き顔に少し動揺しましたが、日向さんが言っていた「艦娘が平和に暮らすための抑止力」という言葉を思い出し、気を引き締めました。
「まだ閉園前ね…」
陸奥さんが車を幼稚園の裏の目立たない路地に止め、天龍さんに言いました。
「いい、野分捜査官の指示とは言え、園児や関係者がいる時にあなたを捜査に加えるわけにはいかないわ。あなたがこの車を出られるのは閉園後、関係者がいなくなった時よ。それまでに車を出てみなさい。問答無用で逮捕するからね」
陸奥さんがいつに無く厳しい口調で言いました。
「なんだよ…やっぱりオレのこと疑ってんのかよ…野分が言うから仕方なくやってんのかよ…」
天龍さんは多分、追い込まれすぎてちゃんとした判断が出来なくなっていました。おそらくですが、天龍さんの処分が未だに確定していないのは陸奥さんが手を回して先延ばしにしたからで、そこに野分達、海軍特別犯罪捜査局の手が入ることで更に先延ばしが出来、ちゃんとした捜査が出来るからです。陸奥さんは立場上、天龍さんには厳しく当たらないといけないのはわかりますが、流石に言い過ぎではないかと思います。
「野分、行くわよ。閉園後に捜査させてもらえる様に中に交渉しに行くわよ」
陸奥さんが車を降り、野分もそれに続いて車を降りました。
「…まったく、嫌なものね…」
陸奥さんがそう呟くのを聞き、思わず胸が痛くなりました。
「こんにちは〜」
職員室に行き、ここの責任者である園長先生に捜査の許可を貰いにきましたが、明らかに歓迎されている雰囲気ではありませんでした。
「警察の方が何の御用ですか?操作はもう終わったはずじゃ…」
「いえ、それがですね…」
陸奥さんが野分のことを見ると
「私たちはもう終わらせたいのですが、こちらの方が…」
と続けました。完全に厄介者扱いです。陸奥さんがウィンクをしてきました。話を合わせろということでしょうか。
「海軍特別犯罪捜査局の野分です。元艦娘が関与しているという報告を聞き、参上いたしました。すこしお話をお聞かせ願いますでしょうか」
「彼女は立場上、私達より上の人間でして…ご迷惑とは思いますが、もう一度捜査の方に協力して頂いてもよろしいですか?」
立場は人を変えると前に誰かが言ってましたが、大人の女性っていうのは本当に怖いです。
園長先生の許可を得て、閉園後に捜査をさせてもらえる約束をとりつけました。その時間、関係者は誰もいないということですが、園長先生のご自宅はすぐ隣にあり、捜査の様子は二階の窓から全て監視できる場所にあります。天龍さんを同行させるとなると厳しいのではないかと考えましたが、陸奥さんはそれで十分と言い、足早に車に戻りました。野分も遅れまいと、後を追いましたが、一人の園児に呼び止められました。
「おねーさんは天龍ちゃんのお友達?」
そう園児が言うと近くにいた他の園児も集まって来てしまいました。
「えっと…どうしてそう思うのですか?」
「だって髪の色が黒じゃないもん」
髪の色ですか…言われて見れば艦娘の人は個性的な髪の色してる人が多いですね…野分もですけど…
「そっか…そうです。野分は天龍先生の友達です」
「だったら天龍ちゃんをあの大きい女の人から助けてあげて!」
大きい女の人…陸奥さんのことでしょうか。
「なにかあったのですか?」
野分がそう聞くと園児達は興奮気味に話し始めました。
「大きい女の人が天龍ちゃんをどっかに連れて行っちゃったの。そうしたら次の日から、龍田先生もいなくなちゃって…」
数人の園児達が泣き始めてしまいました。二人が園児達に愛されていたのがわかります。
「天龍ちゃん言ってたよ!友達が困っている時、助けてあげるのが仲間だって。おねえさんは天龍ちゃんと龍田先生の友達なんでしょ!だったら助けてあげて!」
「わかりました。実は野分も天龍さんを助けるためにここに来ました。あとは任せてください。みんなは天龍さんがここに戻ってきた時、笑顔で迎えてあげてくださいね」
そう言うと、園児達が笑顔が戻りました。野分は園児達に別れを告げ、陸奥さんの車に戻りました。
「おかえりさない、ちびっこ達の英雄さん」
さっきの光景を車の中から見ていたのでしょうか。いたずらな笑みで野分に言いました。
「陸奥さん…警察なのに園児からは悪役扱いでしたね…」
「そんなものよ…私たちの仕事なんてね…」
「そうですか…」
ふと後ろの天龍さんに目をやると、数日の取り調べで疲れていたのか、ぐっすりとお休みになられていました。
「そういえば、一つ聞いていいですか?龍田さんはどうなったのですか?」
野分が陸奥さんに尋ねました。
「龍田…?私たちは彼女には関与してないわ」
「そうですか…園児達の話だと、龍田さんもいなくなったそうですが…」
「それは妙ね…後で調べてみるわ」
「お願いします」
「ところで、お腹空かない?何か買ってくるけど」
「そういえば朝から何も食べてません…野分が買って来ますよ」
「いえ、私が行くわ。天龍もあなたといた方が気が楽でしょう」
「ですが…」
「いいから。天龍、起きなさい」
陸奥さんが後ろで横になっていた天龍さんの肩をゆすりました。
「…なんだよ…」
天龍が不満そうな目で陸奥さんを睨みつけました。
「あなた、なにか食べたいものあるかしら?コンビニに行ってくるけど」
「………トマトが入ってない弁当ならなんでもいい。あとメロンパン」
「わかったわ。野分、すこしの間お願いね」
「わかりました」
陸奥さんが車から出て、車内は沈黙に包まれました。
「…メロンパン…好きなんですか?」
「サクサクしたやつより、モチモチしたやつが好きだな…」
「そうですか…」
再び沈黙に包まれました。野分のコミュニケーション能力の無さに絶望します。
「…トマト、嫌いなんですか…?」
「食べれないけど好きじゃない…」
「そうですか…」
「野分…お願いがある」
「はい、なんでしょう」
「龍田には黙っておいてくれ…じゃないと、しばらく毎食トマトを食べなきゃいけなくなる…」
よかった。天龍さんはまだ野分を信じてくれていました。
「好き嫌いはよくないです。…けど、野分もセロリが食べられないので黙っておくことにします」