伊勢さんの猟奇的な笑い声に、野分も日向さんも呆気に取られていました。伊勢さんはその隙を逃しませんでした。日向さんが突きつけた刀を手の甲で弾くと、伊勢さんも近くにあった日本刀を手に取りました。あまりの早業に野分は目が追いつきませんでした。咄嗟にベクターを構えると、伊勢さんは野分に切りかかってきました。元戦艦が発する殺気に気圧され一瞬たじろぐと、日向さんがその凶刃を刀で受けました。
「ちゃんと手入れはしてるのね」
日向さんの刀を弾いた手からは血が流れていました。見るからに痛々しいですが伊勢さんはそれを気にしていませんでした。
「まぁな……お前の刀はボロボロじゃないか」
「日向と違って今も使ってるからね。その腰に差した拳銃は抜かないの?まぁ抜けないと思うけど」
鍔迫り合いをする二人の顔は対照的でした。余裕の表情を浮かべる伊勢さんに対して、日向さんの顔には余裕はありませんでした。伊勢さんに向けたベクターの標準が揺れています。いつでも撃てるようにしておけ。これは銃だけじゃなくて、野分自身に言われた言葉だったと気がつきましたが、もう手遅れでした。伊勢さんは日向さんを蹴り飛ばすと、そのまま野分に向かってきました。野分は二点射すると、一発は伊勢さんの右肩に当たりましたが、もう一発は外れてしまいました。伊勢さんはそれに怯むことなく野分に刀を振り下ろしました。伊勢さんが目前に迫り、振り上げた刀と猟奇的な笑みを見た野分は咄嗟に目を瞑ってしまいました。ハサミで布を切った時の様な鋭い音がしました。しかし、不思議と痛みはありません。刀の達人に斬られると痛くない。そういう事でしょうか。
「大丈夫か……?」
唐突に日向さんに声をかけられました。ゆっくり目を開けると、目の前に日向さんの心配そうな顔がありました。
「はい……大丈夫です」
「そうか、それならよかった」
日向さんは安堵した表情をすると、音も無く崩れ落ちました。日向さんが倒れると、その後ろに血に濡れた刀を持つ伊勢さんがいました。とても悔しそうな、そして悲しそうな顔をしています。何が起こったのかわかりませんでした。足元に倒れる日向さんの背中には斜めに斬られた刀傷があり、その傷口からは大量の血が流れています。
「どうして……」
伊勢さんはそう呟くと、日向さんを蹴りました。伊勢さんは蹴られて仰向けになった日向さんの胸ぐらを掴むと力任せに持ち上げました。
「仲間を庇う必要がどこにあった!後ろから私を斬れば、それで終わっただろうが!」
「お前が野分を斬る気が無かったのは一太刀目でわかっていた。斬り込む位置が手前過ぎたからな。万が一にも、野分に刃が届かない様にしたのだろう?」
日向さんは薄っすらと目を開けると、勝ち誇った様な表情をしました。それを見た伊勢さんは怒りの感情を隠そうとはしませんでした。
「わかっていたのなら何故自分を犠牲にした!」
「そこは姉妹だからだろう。人の為に自分を犠牲にする性格は姉譲りなんだろうな……それに……お前の思う様になるのが癪でな……死にたいのなら私や野分に頼らず、自分で手をくだしたらどうだ?この臆病者め」
日向さんの言葉に、伊勢さんは顔を歪めると、野分の方に日向さんを投げ飛ばしました。投げ飛ばされた日向さんを受け止めると、ボディアーマーに入れていた予備弾倉が傷口に触ったのか、日向さんは呻き声を漏らしました。
「大丈夫ですか⁈」
「大丈夫……そう言いたいが少しキツイな。すまないが肩を貸してくれ」
日向さんはそう言うと野分の肩に手を回しました。身長差があるので、肩を貸すというよりは、日向さんが野分に寄りかかっている状態でした。
「どうして……日向は私から大切なものを奪うの……」
「奪ったのは私じゃない。お前自身だ」
日向さんはそう言うと、空いている手で腰に差した9ミリを抜くと、伊勢さんに向けました。
「答えろ。江風はどこにいる」
伊勢さんは緊張が解けた様にヘタリ込むと、持っていた刀を投げ出しまし、煙管盆を手繰り寄せました。
「知らないわ。鳳翔さんのところも江風が勝手にやっただけよ」
「目的はなんだ?」
「知らないわよ」
咥えた煙管から煙を吐き出すと、伊勢さんはゆっくりと立ち上がり野分の方を見ました。
「私もあなたみたいな子に慕われたかったわ」
「野分は伊勢さんみたいな人を慕いたくないです」
伊勢さんを睨むと、伊勢さんは悲しそうな顔をしました。
「日向、その銃をおろしなさい。私は丸腰よ」
「人を蹴ったり投げ飛ばしておいて丸腰とはよく言う」
日向さんは大人しく9ミリをホルスターに収めました。伊勢さんはそれを見て頷くと
机の上にあった電話帳を日向さんの空いた手に押し付けました。
「江風がいなくなる前にそれを読んでいたわ。私が言えるのはそれだけ」
「わかった……邪魔したな。野分、行くぞ」
「伊勢さんをこのままにしておいていいのですか⁈」
野分がそう言うと、日向さんは首を横に振りました。
「今の私たちじゃ敵わないさ。二人を相手するのは流石にキツイ」
「二人…?」
野分がそう言うと、日向さんは顎で玄関口の方をさしました。野分がそちらを見ると、川内さんが浮かない顔で立っていました。
「いいからはやく出て行って」
伊勢さんはそう言うと、野分と日向さんを背中から乱暴に押しました。前のめり転けそうになると、川内さんが支えてくれました。
「伊勢を頼む」
日向さんはそれだけ言うと、野分の肩を力強く掴み歩き始めました。
「川内さん……」
「いいから行って」
「わかりました」
これ以上ここに留まるのはよくない。一刻もはやく日向さんを病院に連れて行かないと……野分はそう判断しその場を後にしました。
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日向さんの怪我は浅く、命に別状はありませんでした。しかし、暫くは安静にしなくてはいけないと言うことで捜査から外れることになりました。川内さんもあれからオフィスには現れていませんでした。もともと広くないオフィスですが、足柄さんと二人しかいないこの部屋をやたら広く感じました。
「私からの報告は……もうのわっちが知っていることだけよ」
「江風さんが映っていた。そういうことですよね」
野分は足柄さんと向かいあっている自分のデスクに座り、伊勢さんから渡された電話帳を眺めていました。電話帳そのものはどこにでも売っている様なものでした。
「それで……これからどうするの?」
「わかりません。足柄さんも少しは考えてください」
野分はイライラしていました。どうすればいいのかわからない。足柄さんに当たっても仕方ないのに。
「そうね……ごめんね」
足柄さんは小さい声でそう言うと、黙り込んでしまいました。
「もし……もし足柄さんが艦娘の力を取り戻したら何に使いますか?」
「難しい質問ね……私は今の自分に不満を感じたことはないわ」
「野分もそうでした。でも、もしあの力があれば日向さんを守れたかもしれない。そう思うと今の自分が無力に感じます」
「……変な事を言ってもいいかしら?」
「どうぞ」
「艦娘の力を取り戻す為に別の力がいる……その為に江風は鳳翔さんのところに押し入ったとは考えられないかしら」
「でも目的のものが無かった」
野分はその時、以前の摩耶さんの言葉を思い出しました。
『どうせあとからふんだくるんだろ?』
「だからお金が必要だった……」
「お金も。と言うべきね」
野分は先日の伊勢さんを思い出しました。艦娘の力を取り戻す為に凶暴になった伊勢さんを。
「足柄さん、お願いがあります」
「何かしら?」
「戦える人を集めてください。出来れば、足柄さんと同等か、それ以上の人がいいです」
「何よ……急に物騒ね」
足柄さんは不満そうに野分を見ました。自分一人じゃダメなのか。そう言いたげです。
「相手は銃を撃たれても怯まない可能性があります。出来れば一撃で無力化したい……もし暴れる様なら取り押さえて拘束する必要があります。どうしても人手が欲しいです」
「それは一日?それとも数日間?」
「時間はわかりません。もしかしたらあてが外れるかもしれませんし……」
「わかったわ。私の方で集めておくから、野分は作戦を練りなさい」
「出来れば一緒に考えて欲しいのですが……」
野分がそう言うと、足柄さんは首を横に振りました。
「この一件は日向がのわっちに任せたんですもの。それに、これから勧誘にも行かないといけないし……明日の昼には集めてみせるわ。」
足柄さんはそう言うと手を振って出て行かれました。
「日向さんの代理は荷が重いのですが……」
野分の肩にどっと何かが乗っかった様に感じました。