山城さんと足柄さんの力勝負から一夜明け、野分は自転車で鳳翔さんのお店の周りを捜査しに来ました。足柄さんはゆうゆうと車でやってきましたが、日向さんからの命令で野分は緊急時以外は乗れないようです。
「何かわかったかしら?」
日陰で休む野分に足柄さんはスポーツドリンクをくれました。しっかりカロリーオフと書いてあります。
「何かをわかろうとする体力が尽き果てました」
受け取ったスポーツドリンクを一気に飲み干すと、身体が中から冷えて少し心地よくなりました。
「足柄さん、昨日は現場からどちらに行かれたんですか?」
「そのまま陸奥のところよ。付近の防犯カメラの映像をチェックする手筈を整えていたわ」
「まだ結果は出てないですよね?」
「陸奥が本気だったから、もしかしたら今頃終わってるかもしれないわね」
足柄さんはそう言うと車のボンネットに腰掛けました。座り込んでいる野分は足柄さんを下から見て、あることに気がつきました。
「足柄さん、服のサイズあってないですよね?」
「急にどうしたのよ……」
「いえ、普段は発達した肩周りしか見てなかったですけど、足元から見ると別にスタイルが悪いわけじゃないし……というより、無駄にピッチリしてるから筋肉質に見えるだけですよね?」
「……私は意地でも今のサイズを着続けるわよ。姉さんや羽黒に選んで貰った服が勿体無いわ」
「つまり、服のサイズが大きくなったことをまだ妙高さんや羽黒さんに伝えてないということですか」
「また着せ替え人形にされるのが嫌なだけよ」
「その気持ち、よくわかります」
野分も舞風と買い物に行くと洋服を取っ替え引っ替えされるのであの気恥ずかしさと疲労感はよくわかります。
「さて、休憩は終わりよ。もう少し辺りに何かあるか探してみましょう」
足柄さんは空き缶を自販機脇のゴミ箱に放り込むと足早に歩き出しました。野分はもう少し日陰で休んでいたいです。
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猛暑日になると言われたこの日、通りを歩く人は殆どいませんでした。設置されている防犯カメラの場所を確かめ、犯人がどの様なルートで鳳翔さんのお店に行き、どの様なルートで逃げたのか。そんなことを考えながら鳳翔さんのお店に来ると、見覚えのある人が煙草を咥えながら標識テープの中を見ていました。
「伊勢さん……」
「野分に……足柄?あなた足柄よね?」
振り返った伊勢さんは足柄さんをじっくり舐め回す様に見ました。
「どこからどう見ても足柄でしょうに。こんな所で何してるの?」
「鳳翔さんのお店に来たらこんなになってるから眺めてただけよ。仕方ないから間宮さんのとこでも行こうかと思っていたところ」
伊勢さんはそう言うと、野分の方をジッと見ました。
「どう?日向とは仲良くやってる?変なことされてない?」
「されてません。そういう関係でもありません」
前は長門さん、次は日向さんか……野分はため息をつくと伊勢さんを見ました。伊勢さんはつまらなそうに野分を見ていました。
「そう……あぁ、そうだ。ここら辺で変な子見なかった?」
「変な子?路上喫煙が駄目なところで堂々と煙草吹かしてる変な子なら目の前にいるわよ?」
足柄さんがそう言うと、伊勢さんは渋い顔をしました。ポケットから携帯灰皿を取り出し、咥えていた煙草を入れると足柄さんの方に向き直りました。
「で、他には?」
「今捜査中。あなたは変な子見たかしら?」
足柄さんが答えると、伊勢さんは頭を掻きました。
「妙に筋肉の発達した変な女なら目の前にいるわ」
「それはどうも、情報提供ありがとうございます」
「どうも。帰ったら日向に謝っといて」
伊勢さんはそう言うと足柄さんの制止を無視して歩き出しました。
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「伊勢が?」
オフィスに帰り、報告を済ませると日向さんはとても渋い顔をしました。足柄さんは陸奥さんに呼ばれてこの場にはいませんが、前にあった事を考えると都合が良かったかもしれません。
「それで……野分はどう考えている?」
「野分はどうしても江風さんの事が頭から離れません。何故江風さんが消えたのか。今何をしているのか……」
「江風が今回の犯人だと?」
「野分はその可能性もある。としか今は報告出来ません」
日向さんはしばらく考え込むと、席を立ち上がり、普段は手にする事がない日本刀を手にしました。
「ならその可能性を検証しようじゃないか。野分、十分で装備を整えろ。少し危険な捜査になるかもしれん」
「……了解しました」
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「すいません、お待たせしました」
ボディアーマーを着込み、ベクターと弾、そして装備の入った大きな鞄を持って駐車場に向かうと、日向さんは自分の車のボンネットに腰掛けていました。
「随分軽装ですね……」
野分と比べ、腰に日本刀を差している以外は普段と変わらない様に見えました。
「既に車に積んである。と言っても9ミリだけだけどな、乗ってくれ」
日向さんはトランクを開け、野分の荷物を放り込むと、そのまま運転席に座りました。差している刀はどうするのだろうかと考えていると、助手席に座った野分に渡して来ました。
「持っていてくれ。これだけは手の届くところに置いておきたい」
「わかりました」
それを受け取り、シートベルトを締めると日向さんはアクセルを軽く煽りギアを操作しました。
「それで、どこに向かうのですか?」
「お前の探し人の今を知っている人物だ……」
その後は古い車特有のエンジン音でかき消され、よく聞こえませんでした。
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車で走る事二時間弱、日向さんが車を止めたのは人気の無い海岸線沿いの駐車場でした。きっと日中は観光客で賑わうこの場所も、今は不審な車が端に止まっているだけでした。
「ここからは歩きだ。いつでも発砲できる用意をしておけ」
日向さんにそう言われ、トランクの荷物から予備弾倉をボディアーマーに入れ、腰に差している9ミリに弾倉を装填、そして最後にベクターに弾倉を装填しました。いつでも発砲できる用意をしておけ。その言葉の通りを、薬室には弾が送り込まれています。最後にヘルメットを被ると重さに頭が持っていかれそうになりました。
「完了しました」
「お前も足柄も……しっかり用意するのは構わないが過剰じゃないか……まぁいい。行くぞ」
日向さんは足早に歩き出しました。暗闇の中で日向さんを見失わない様に野分も早足で後を追いかけます。ヘルメットに付いている暗視ゴーグルを使おうかとも考えましたが、前を歩く日向さんが普通に歩いているのに、野分が機械に頼るのは何と無く悔しく思いやめました。
しばらく海岸線を歩くと、岩場の陰に少し立派な建物が見えて来ました。建物からは中の光が漏れています。
「どうやらいるみたいだな……」
日向さんはそう言うと、躊躇せずに玄関をノックしました。しかし、返事は返って来ません。数回ノックしても返事がないのを確認すると、日向さんは扉を蹴破りました。咄嗟の事に呆気に取られていると、日向さんは遠慮なく中に入って行きました。
「随分乱暴だねぇ……ここでこっそり逢引でもする気だったの?」
煙管を咥えた伊勢さんが居間にあたる部屋でくつろいでいました。普通こんなことをされたら怒るはずですが、伊勢さんは楽しそうに野分達を見ていました。
「せっかく私が来たのに、居留守なんて使うからだ」
「こっからじゃ誰が来たのかなんてわからないよ。声でも掛けてくれなきゃ」
野分が遅れて部屋に入ると、煙草の臭いとは違う異臭がしました。
「しかし、この場所もばれちゃったか。川内から聞いたの?」
「まぁ、そうなるな。正しく言えば、川内がここから出てきた所を見た」
「へぇ。随分熱心に探したねぇ。私が恋しくなった?」
「あぁ、恋しいな。昔のお前がな」
「あの……どういうことですか……江風さんを知っている人って伊勢さんだったのですか?」
野分がそう言うと、伊勢さんは昼間に見せた顔とは全然違う……とても好戦的な目で野分を見てきました。首筋にははっきりと血管か浮き出ています。
「江風がなんかやったの?」
「それを聞きに来たんだ」
日向さんはそう言うと、伊勢さんの咥えていた煙管を取り上げました。その直後、伊勢さんは殺意の篭った目で日向さんを見ましたが、日向さんはいつの間にか抜いていた刀を伊勢さんの喉元に突きつけました。
「変な真似はしないでくれよ。私達は話を聞きに来たんだ」
「それが話を聞きに来た人の態度?」
「客人が目の前にいるのに、こんな物を吸い続ける様な無礼者を姉とは思いたくないが?」
日向さんは煙管の中身を煙管盆に捨てると、それを伊勢さんに投げ渡しました。
「もしかして……その中身って……」
「そうだ。お前達が密売人から押収したものと同じだ」
「失われた力を取り戻す……まさか伊勢さん……」
野分がそう言うと、ジッと日向さんを見ていた伊勢さんは高らかに笑い始めました。その声は以前の伊勢さんとは違い、とても猟奇的なものでした。