「じゃあ、そろそろ野分達も仕事をしましょうか……」
野分はそう言うと、アクセルを踏み込み、強引に足柄さん達の乗る車の前に出ました。それと同時に、パトランプのスイッチを入れ、後ろの車に路肩に寄せて止まる様に警告板をいれました。すると、後ろの車は強引に野分達の車を追い越そうとスピードをあげました。
「やっぱり止まってはくれませんね……」
「野分!大丈夫なのか?」
利根さんが焦った様子で叫びました。
「大丈夫、足柄さんがいますから……」
パトランプを点灯させたまま、前の車を追うと、信号無視はするし、反対車線を逆走するしでやりたい放題でした。
「野分ちゃん!車をあの車の左に寄せて!」
直進と左折に別れる場所に来ると、突然、筑摩さんがそう言いました。その言葉に反応した野分は前の車の左側のスペースに強引に車の鼻先を入れると、前の車はそれに気づかず、ハンドルを左に切り、野分の車に接触しました。遠心力に耐えられなくなった後ろのタイヤが横滑りを始め、一回転すると、右側面から中央分離帯に衝突し、停止しました。
「……流石にやりすぎじゃ…」
利根さんがぼやくのをよそ目に、慌てて車を降りると、筑摩さんも車を降りました。停止するミニバンに近寄ると、後ろの座席が勢いよく開き、男性を拘束した足柄さんが降りてきました。怪我は無い様です。
「やりすぎよ……私、そっち側がよかったわ」
足柄さんはそう言うと気を失ってのびている男性を覆面の後部座席に放り込みました。
「筑摩!前!」
車から降りてきた利根さんが叫びました。慌てて、筑摩さんの方を見ると、運転していた男性が筑摩さんの近い距離まで接近していました。
「しまった……人の力じゃドアは開かないと思っていたら……」
足柄さんが悔しそうにそう言うと、筑摩さんの方へ走ろうとした時、筑摩さんを掴もうとしていた男性が空中を舞っていました。何が起きたのかわからずに見ていると、筑摩さんは綺麗な一本背負いを決めていました。
「大丈夫ですか?」
筑摩さんが優しく男性に声をかけました。野分が男性の表情を覗くと、その顔は怯えきっていました。
「……なんか……すいません」
しばらくすると、他の警察も到着し、野分は立場が違うため、そそくさと隠れ、足柄さんに後をお願いして筑摩さん達と共に先に帰りました。
―――――
数日後、今回の調査の報告書をまとめた野分は、久しぶりに青葉さんの事務所を訪れていました。その後、警察は見回りを増やし、飲酒の取り締まりを強化することを決定しました。お粗末な内容の報告書を読み返し、これが記事になることはないだろう……そう考えていると、三階の自宅から青葉さんが現れました。
「野分さん、お疲れ様です。陸奥さんから聞いてますよ。随分派手にやったそうで……」
こちらの方が記事としては面白い……そんなことを言いながら、青葉さんは野分の報告書に目を通しました。
「……なるほど、これは記事にできませんね……大学側から抗議が入りそうで……」
「はい、これから周知徹底すると発表しているのに、そこに私達が面白がって記事にするわけにはいきませんからね」
「わかりました……あぁ、そういえば……」
青葉さんはわざとらしく一枚の封筒を取り出しました。なんとなく、嫌な予感がしたので、席を立ち去ろうとすると、青葉さんに腕を掴まれました。
「陸奥さんからこんなお手紙を頂いたのですが……中身を読んでみてください……」
青葉さんは力強くその封筒を野分の方に差し出しました。いつもは優しい青葉さんの目が笑っていませんでした。
青葉さんから封筒を受け取り、中身を見てみると見積書が入っていました。それも野分がぶつけた覆面パトカーの修理費用でした。金額の大きさに目を丸くすると、中にもう一通書類が入っていることに気がつきました。
「……そんなお金、青葉達には払えません。なので、野分さんには出稼ぎに出てもらいます……」
青葉さんは優しくそう言うと意地の悪い笑みを浮かべていました。
「で…でも!これは仕方なくて……」
野分が必死に弁解するも、青葉さんは表情を変えませんでした。
「青葉は調査してきて欲しいとは言いましたが、事故を起こしてまで飲酒運転を取り締まれとは言ってませんよ?」
どうやら、青葉さんの怒りが収まる様子はありませんでした。脱ぎますか?なんてカメラ片手に言いだす始末、野分にはどうすることも出来ませんでした。
「とりあえず、陸奥さんからのお呼び出しには行ってくださいね?」
青葉さんはそう言うと、再び上に上がっていってしまいました。その背中はどこか寂しそうでした。
もう一枚の書類には時間と場所だけ書いてありました。「二十時 居酒屋 鳳翔」とだけ書かれた紙は、普段であれば喜んで入る布の暖簾さえも、佐世保の造船所に張られたすだれの様に見えて、見てはいけない、入ってはいけないと思わせる様なものでした。しばらく、暖簾の前で立ち尽くしていると、疲れ果てた表情をした足柄さんが現れました。
「あら、のわっち……そう、のわっちから言われるのね……」
足柄さんは疲れた表情から絶望しきった表情に変わりました。野分が何か言おうとすると、足柄さんはそれを遮って喋り出しました。
「いいのよ、のわっち。飲酒して飲酒運転を見逃して……更に事故まで起こしたのだもの……クビになって当然だわ……覆面の修理費で退職金も無し……不幸だわ……」
足柄さんはそう言って野分の肩を力強く掴みました。
「あの……足柄さん……」
「いいの!わかってるの!お願い何も言わないで!今はただ飲みたいの!ただただお酒に付き合ってちょうだい!その後、あなたの言うことはなんでも聞くから!」
ヒステリーを起こした足柄さんと何もできずにいる野分の騒ぎが煩かったのか、中から鳳翔さんが心配そうに見ていました。
「あの……もう二人とも中で待ってるわよ……」
鳳翔さんが哀れみの目で野分達を見ていました。あぁ……陸奥さんと青葉さんの二人か……
鳳翔さんに案内されて、奥座敷にあがりました。
「すいません、遅れました……」
野分は疲れて頭をあげられませんでした。
「何を外で騒いでいたんだ?」
日向さんがそう言いました……ん?日向さん?
横目に足柄さんを見ると、驚いた様子で固まっていました。
「もう、せっかくの料理が冷めるじゃない」
今度は川内さんの声が聞こえてきました。恐る恐る顔をあげると、そこには日向さんと川内さんが座っていました。声がするのだから当たり前なのだけど……
「全部……あなたの仕業ね……」
足柄さんが震えた声でそう言いました。
「まぁ、そうなるな」
「ちょっ、ちょっと!」
日向さんがそう言った途端、足柄さんは日向さんに掴みかかろうとしました。咄嗟に川内さんと野分で羽交い締めにしようとしましたが、あまりの力に二人とも投げ出されました。
「落ち着け!足柄!」
「落ち着いていられますか!あなたのせいでクビになったのよ!どうしてくれるの?!」
「誰もクビになんてなってないだろう?」
「私は!さっき!陸奥にそう言われてここに来たのよ!」
頭に血が上っている足柄さんに、日向さんは溜息をつくと、近くにあった大きめの封筒を足柄さんに手渡しました。それを足柄さんは奪い取るように取ると、中身をあらためました。
「こっちは野分のだ」
野分にも大きめ封筒が手渡されました。中に入っていた書類を確かめると、「辞令」と書かれており、明日付で海軍特別犯罪捜査局一課七係に所属する旨のものでした。
「……どういうことですか?」
野分がそう尋ねると、腕を組んで動かない日向さんが答えました。
「どういうも、こういうも、そういうことだ。また私の元で働いてもらう」
「はぁ……」
「足柄はクビになって、野分は出稼ぎにしなきゃいけないのだろ?ちょうどいいじゃないか」
「まさか……青葉は最初から知ってて……」
「まぁ……そうなるな」
机に肘をついて寄りかかり、どこかの特務機関の司令がしていそうなポーズをとった日向さんがしたり顔でそう言いました。
「二人ともこれからよろしくね」
横にいた川内さんが野分達の様子を面白そうに見ながらそう言いました。
「川内……あなたもしかして……」
「そう、あなた達の監視役よ!スイカ食べる?」
こちらはどこかの特務機関に紛れ込んだスパイの様な事を言い出しました。
「こんな時、どういう顔をすれば良いのでしょうか……」
「笑えばいいと思いますよ」
いつの間にか現れた青葉さんにそんな事を言われ、驚いていると、後ろから衣笠さんと陸奥さんも現れました。
「はい、これ、野分さん」
青葉さんはそう言うと一枚の送り状を手渡して来ました。
「のわっちの私物は捜査局に送っておいたよ。青葉ったら泣きながらのわっちの荷物整理してたよ」
「それは言わないでくださいよ!」
青葉さんが恥ずかしそうに言いました。
「でも寂しくなりますね……いつでも遊びに来てもいいし、戻って来ていいですからね?」
「また那珂のライブ一緒に行こうね」
「はい……短い間でしたが、ありがとうございました……」
二人に頭を下げると、青葉さんに抱きつかれました。
「……野分さん、取材って言ってましたよね……ライブってなんですか?」
「……取材ですよ……」