その日、日向さんは物凄く不機嫌な雰囲気をまとって午前中の会議から戻られました。足柄さんでさえも萎縮して声をかけられない程でした。日向さんは乱暴に席に座ると、腕を組んで壁の方を向き、何かを考え込んでしまいました。
「…日向、お昼どうする?」
足柄さんが探るように声をかけると、日向さんは不機嫌そうな声で答えました。
「この後また別の会合に出席することになった。お前ら二人で行ってこい」
「わかったわ。何かあったら言ってちょうだいね」
足柄さんは野分に目線で合図を送ると、自分の席を離れました。
「じゃあ行ってきます」
野分がそう言うと、日向さんは振り向かずに手を上げて答えてくれました。
ほぼ昼食で行きつけとなっているファミレスに足柄さんと来ましたが、ボックス席も二人だと広く感じてしまいます。注文を済ませ、先ほどの日向さんについて話していると珍しく大淀さんが来られました。
「やっぱりここにいたのね…相席いいかしら?」
「はい。大丈夫ですよ」
野分は横に置いていたバックを自分の方に寄せ、大淀さんが座るスペースをつくりました。
「あなたが外食なんて珍しいじゃない。いつもお弁当なのに」
足柄さんが不思議そうに大淀さんに尋ねると、大淀さんは真面目な顔で答えました。
「いえ、今日もお弁当なのだけど…さっきあなた達のデスクに行ったら、日向さんが凄く怖い顔をして座っていてね。伝えることだけ伝えて逃げてきたのだけど、何があったのか気になって来たのよ」
「それは気の毒ね…」
足柄さんが大淀さんにメニュー渡すと、大淀さんは手早く注文を済ませ話を戻しました。
「何かあったの?」
「それは私たちが聞きたいわよ。朝は普通だったけど、午前中の会議から帰って来たら仏頂面よ」
足柄さんが両手を広げ、さっぱりわからないっといったジェスチャーをしました。
「大淀さんは今日の会議の内容は知らないのですか?」
野分がそう尋ねると、大淀さんは首を横に振りました。
「何も聞かされていないわ。ただ、この後大和さんが来られる…て言うことは聞いているけど」
「大和が?」
足柄さんが首を傾げました。大和さんは官僚となった司令の秘書をしているはずです。たしか提督の身の安全を確保するために解体はされず、未だに艦娘としての能力を有したままだと聞いています。
「あの提督にべったりだった大和が一人で来るの?」
足柄さんが運ばれ来たカツカレーのカツをスプーンで一口サイズに切りながら話を続けました。
「えぇ、そのはずよ。日向さんが不在になるから足柄さんと野分さん宛に来ると思うけど…」
大淀さんが運ばれて来たマグロ丼に醤油をかけながら答えました。
「野分達は何も聞いていませんよ」
野分より後に頼んだ大淀さんのが来て、自分の頼んだパスタが来ないことに焦りを覚えながら、水の入ったコップを握りしめ野分が聞きました。
「私もさっきの言われたから…それを日向さんに伝えたら、二人に任せるって言ってたわ」
おかしい。先程から店員さんが横を通り過ぎていく。実は野分のパスタの注文が通っていなかったのではないか。もし、そうなら、貴重なお昼休憩の時間を無駄にしてしまう。
「そのことはわかったわ。私たちで大和の対応をするわ」
足柄さんはカレーを半分近く食べている。野分は食べるのが遅いから待たせてしまう。
「あの…野分さん?ちゃんと食べ終わるまで待ってるからそんな店員さんを睨まないであげてください」
大淀さんが野分の焦りに気がついたのか、優しく声をかけてくれました。
「…パスタなんて茹でて味付けするだけなのに…もしかしたら、チンするやつかもしれないのに…なんでカレーやマグロ丼より遅いんですか…」
野分の話を聞いて、足柄さんは少し慌てた様子で答えました。
「店員さんに聞こえたらどうするのよ…それに、カレーもマグロ丼もご飯をよそってその上に乗せるだけだから、茹でたりするパスタより早いと思うわよ」
「明石さんは五分で出してくれました」
「それはカップ麺でしょう…」
大淀さんが少し呆れた様に答えると同時に野分のパスタがやって来ました。味は明石さんのパスタより少し美味しいぐらいでした。
大淀さんとの昼食を終え、デスクに戻ると日向さんの姿はありませんでした。その代わりに応接室の鍵と大和さんが来られるという旨のメモが置いてありました。
「詳しいことは大淀さんに聞いてくれって書いてありますけどどうします?」
野分がメモを読み、足柄さんに尋ねました。
「さっき聞いた話が全部でしょう。日向が何か知っていると思うけど…まぁ、話さなかったってことはそういうことでしょう」
諦めた様に足柄さんは答えました。
「そうですね…一応大淀さんに…」
野分がそう言いかけた時、内線をしらせる着信音がなりました。
「はい、七係」
足柄さんが反射的に電話を取り対応をしていました。
「一時間後ね。了解したわ」
足柄さんが電話を切ると、野分の方を見ました。
「大淀から大和が一時間後に来るって。さっき伝え忘れたみたい」
「そうですか…何か用意するものってありますか?」
野分は自分の席に座り、話を聞く時にメモを取るためのノートを取り出し、他に用意するものを聞きました。
「特にないんじゃないかしら?何も聞かされてないし」
どうやら足柄さんは何も持たずに行くようです。
「お茶受けありますかね?さすがに政府関係者が来るのに何もないっていうのは…」
「のわっちは真面目ねぇ…」
足柄さんは大きく伸びをすると、引き出しを開け、何かを取り出しました。
「…柿ピーとビーフジャーキーならあるわよ」
「買って来ますね」
小さくため息をつき、自分の席を立ちました。
「ちゃんと領収書はもらって来るのよ。出来ればカステラが食べたいわ」
「考えておきます」
約束の時間の15分前に野分が一階のロビーに行くと、丁度大和さんが受付の女性と話しているところでした。大和さんはグレーのパンツスーツを着て、上品な女性といった雰囲気を醸し出していました。
「大和さん、お久しぶりです。どうぞこちらへ」
受付の女性に会釈をし、大和さんに声をかけると、大和さんは微笑みながら挨拶をしてくれました。
「野分ちゃん、鎮守府以来ね」
大和さんと再会の挨拶を交わし、足柄さんが待つ応接室まで案内しました。野分は部屋まで案内をすると、先程買ったカステラを取りに給湯室まで行くと、丁度明石さんと鉢合わせました。
「あら野分さん。先程デスクに出向いたのですが、誰もいなかったので外出中かと思いましたよ」
明石さんは足柄さんでも渋い顔をしそうな濃い珈琲を作りながら、横に置いてあった書類を手渡してきました。
「丁度大和さんが来られているので、その対応を足柄さんとするところです。日向さんは他の会合に出られているそうですが…」
野分もカステラを切りながら書類に目を通すと、そこには艦娘時代の練度や使用兵装、そして今は何をしているのかといった資料でした。
「明石さん、これは?」
切ったカステラをお皿に乗せながら尋ねると、明石さんは自分が作った珈琲を一口飲んで答えてくれました。
「日向さんに頼まれて出したデータです。明日までに作ればいいと言われたのですが、暇だったのですぐにできちゃいました」
明石さんはそう言うと、再びインスタント珈琲を自分の珈琲に注ぎ足し、満足げな顔をしていました。
「そうですか…野分が受け取っておきます。明石さんも良かったらおひとつどうぞ」
カステラを乗せたお皿を一つ渡すと、明石さんはお礼を言って自分の作業場へと戻っていきました。とりあえず書類を野分のデスクの引き出しに入れ、人数分のカステラと飲み物を持って応接室に戻ると、足柄さんと大和さんは何の他愛のない世間話をしていました。
「お待たせしました」
野分はそう言って配膳をし、席に座ると大和さんが持っていた紙袋の中から包装された大きな箱を取り出しました。
「私の方もお土産を用意したのよ。よかったら後でみんなで食べて」
野分がその箱を受け取ると、それは紅葉饅頭の詰め合わせでした。
「わざわざありがとうございます」
野分がお礼を言うと、足柄さんは困った顔をしました。
「…早く自分たちの分を確保しないと、日向が全部食べちゃいそうね…」
「日向はこれ大好きだからね」
大和さんも困ったようで嬉しそうな顔をしていました。自分の持って来たお土産が好評だったのですから嬉しく思っているのでしょう。
「それで、日向は忙しいの?」
大和さんが訪ねました。
「えぇ、今も会合だとかに呼ばれていないわ。私たちもついさっきあなたが来ることを知ったのよ」
足柄さんが困ったような顔で答えました。
「三日前からお約束はさせていただいたのだけど…じゃあ内容も聞いてないの?」
大和さんも困った顔をしていました。
「えぇ、何も聞いてないわ。一応日向から任されているから、私たちが話を聞くわ」
カステラを一口サイズに切りながら足柄さんが答えました。野分がやると、潰れて不恰好になってしまうのですが、足柄さんは綺麗に切り分けていました。何かコツがあるならお聞きしたいです。
「…まぁ、日向が納得しないのはわかっていたし、私もまだ納得したわけじゃないのだけど…」
大和さんがカバンの中から、一冊の冊子を取り出すと、足柄さんに手渡しました。それには「艦娘管理計画書」と書かれていました。それを受け取った足柄さんの眉間にシワがよりました。
「詳しいことはこれに載っているから、私からは大雑把に説明するわね。昨今の政府、海軍では艦娘は危険な存在であるっていう意見が主流になりつつあるのよ」
大和さんがそこまで言うと、足柄さんは書類を机の上に置き、珈琲を啜るように飲みました。
「そうみたいね。私もこの前殺されかけたからよくわかるわ」
不機嫌を隠そうともしない足柄さんを気にせず、大和さんは話を続けました。
「その意見は今や民間人にまで広がっているわ。それに対する対策を私たちはしなくちゃいけなくなったの」
「…野分達は道具じゃありません。少し前までは官僚や役職者が自らの自己顕示欲と保身の為に艦娘を振り回しておいて、今度は阻害しようなんて…」
野分が不満を漏らすと、大和さんは申し訳なさそうに答えてくれました。
「それは私たちに原因があるわ。申し訳ないと思ってる。けれど仕方なかったのよ…」
「そうね。あの時の提督はいつ殺されてもおかしくなかったのは知っているわ。そこで提督について行ったあなた達が何をしたのかもここに来てから知ったわ」
足柄さんが大和さんを睨み、そう言いました。
「その件では本当に助かったわ。重ね重ねお礼を言うわ」
大和さんは深々と頭を下げましたが、野分にはそれが何のことかさっぱり検討がつきませんでした。
「それで、話っていうのはこれのことなの?」
足柄さんが机に置かれた書類を指差しました。政府関係者を相手にしているというのになんて太々しい態度…と思いましたが、野分もよくわからない上に納得できないことを突きつけられているので黙って話を聞いていました。
「えぇ。これをあなた達にやって欲しい。そう考えているわ」
大和さんは頭を上げ、こちらを見ましたが、それは怒っているような、そんな目つきでした。
「私たちは何をすればいいのかしら?」
足柄さんも少し冷静になり、大和さんに話の続きを促しました。
「艦娘管理計画。これは軍や政府にいる艦娘だけでは無く、全員を管理する計画になっているわ」
「…管理の意味がわかりませんが、今現在のデータはこちらでも参照できますが、それでは駄目なのですか?」
野分は先程明石さんから受け取った書類のことを思い出し、大和さんに尋ねました。
「…言いにくいことなのだけど、保護という名目の下、行動に制限をかける。そういうことよ…」
「どういうことですか?」
野分が詳しい説明を大和さんに求めると、横で冊子を読んでいた足柄さんが代わりに答えてくれました。
「要は、艦娘達が何かしない様に監視する組織がいて、罪を犯した艦娘を私たちの方で対処しろ…特高みたいなもんね」
足柄さんが呆れた様に答えてくれました。
「そうなります」
足柄さんの意見に同調した大和さんの手は微かに震えていました。
「艦娘に限り、疑わしきは罰する。その実行部隊を野分達にやれということですか?」
野分がそう言うと、大和さんは何も言わずに首を縦にふりました。それを見ていた足柄さんが先程とは打って変わって大和さんに優しく問いかけました。
「これは提督の指示なのかしら?」
それを聞いた大和さんは拳を震わせながら答えてくれました。
「…提督がこの案を出したわけでないわ。先日の日向と足柄の事件は私たちの耳にも入っているわ。保護する必要があると考えていた提督に、この話を軍部、警察、さらに提督より上の高官が持ちかけたのよ。その時はこれ程具体的な内容ではなかったわ」
「…ハメられたのね」
悔しそうな顔をする大和さんに足柄さんが声をかけました。
「そろそろ本題を聞いてもいいかしら?」
足柄さんは残りのカステラを口に放り込むと、大和さんに問いかけました。大和さんは何かを迷っている様でしたが、考えをまとめ口を開きました。
「提督からはあなた達に、こちらで何とかするから変な気を起こすな、と伝言を頼まれているわ」
「それで?」
足柄さんは、迷いながら話す大和さんとは対照的に呆気なく言いました。
「私からは、もしこれが実現した場合、あなた達には理解のある行動をお願いしたいと考えているわ」
大和さんは俯きながら続けました。
「実現した場合ってことは、これが現実のものにならない可能性もあるってことですか?」
野分がそう言うと、大和さんは力強い眼差しで野分を見ました。
「提督はこれを白紙に戻すつもりでいるし、私たちはそれに尽力をあげるつもりよ」
大和さんがそう言うと、足柄さんは手を組んで何かを考え始めました。
「日向さんはこの事を知っているのですか?」
野分がそう言うと、大和さんは首を縦に振りました。
「えぇ、私たちからは話してないけれど、おそらくこちらの上層部には話が通っているはずだから日向もこの事を聞いていると思うわ」
「そうですか…わかりました」
野分がそう言うと、足柄さんが考えをまとめ終わり、それを口にしました。
「大和が私たちに伝えたい事はわかったわ。委細承知したわ。ここからは私の個人的な意見を言うから気にしないので欲しいのだけど、確かに私たちはある意味で特高のような捜査をしていたかもしれないけど、それは確かな事実があるから行動しているわ。まぁ、あてが外れることも多いけど。国民と艦娘を守りたい信念を持ってやっているし、うちのボスもそう思っているはずだわ。そのボスがこれを聞いて、何も言わずに首を縦に…いえ、絶対に首を縦に振ることはないと思うわ」
野分も日向さんがこれを受け入れるとは思っていないし、絶対に何か行動を起こす。そんな気がしてなりませんでした。
「…あなたの個人的な意見は私の心の中に閉まっておくわ。私は提督に話は聞いてもらえた。と報告するけどそれでいいかしら?」
大和さんが真剣な表情で足柄さんに聞きました。
「えぇ。私たちは話をちゃんと聞いたわ」
足柄さんも真面目な顔でそう返しました。
「じゃあ、私はこれで失礼するわ…もし何かあったら、連絡を頂戴」
そう言って大和さんは自分の電話番号を書いた紙を足柄さんに手渡しました。
「外まで送るわ…」
大和さんと足柄さんに続いて野分も席を立ち、大和さんを一階のロビーまで見送りました。
大和さんが帰った後、自分たちのデスクで日向さんの帰りを待ちました。
「日向さんは何を考えているのでしょうか…」
先程明石さんから手渡された資料を読みながらそう呟くと、足柄さんは野分から資料を取り上げて、目を通し始めました。
「日向が今何を考えているのかはわからないわ。けれど、提督が何を考えているのかはわかったわ」
足柄さんは次々と資料を捲りながら答えました。
「司令は何もするな、そう仰っていましたが…」
野分がそう答えると、足柄さんは数枚の資料を引き抜き、残りを野分に返しました。
「私たちのことをよく知る提督が、何もしてほしくないと考えているのなら、私たちに何も言わないと思うわ」
足柄さんは抜き取った資料をじっくりと見回すと、自分の席に戻りパソコンの電源をつけました。
「じゃあ司令は野分達に何らかの働きを期待してる。そういうことですか?」
野分が返してもらった資料をもう一度読み直すと、足柄さんは指を鳴らして野分を指さしました。
「正解。だから大和は私たちに話を聞いてもらえたと言ったのよ。提督の考えもわかったし…日向が今何を考えているかも何となくわかってきたわ。のわっち、この資料はどうしたの?」
足柄さんはそう言いながらパソコンを操作し始めました。
「先程、明石さんが日向さんに頼まれたと言っていました。」
「そう。わかったわ」
資料とモニターと両方を見比べながら、足柄さんは納得したように頷きました。
「何かわかったんですか?」
野分が足柄さんの方を見ると、足柄さんは手招きをしました。
「のわっち、見て。私たちが閲覧できるデータベースと、この資料、書いてあることが全然違うのよ」
足柄さんのモニターを覗き込むと、そこには妙高さんのデータが映し出され、資料と比べて見ると、基本情報は同じでしたが、経歴の部分が軍属となっているのと、民間企業所属となり、全く違うデータが載っていました。
「この民間企業の名前、姉さんが勤めた前の会社よ」
足柄さんはデータベースの方を指差しました。そして、手に持っていた資料をめくり、羽黒さんの資料を見ると、そこの最終経歴が先ほどの会社の名前が載っていました。
「これは…どういうことですか?」
野分がそう言うと、足柄さんは首を横に振りました。
「詳しいことはわからない。けど、この資料はデタラメな情報が載っているということよ。それに加えて、うちのデータベースも情報が少し古いわ」
「どういうことですか?」
「妙高姉さん、もうこの会社やめて他の会社にいるのよ」
「足柄さんの考えを教えてください」
「このデータベースは軍部が関与していない部分の情報は更新されていないってことよ」
「つまりは、軍から民間までの情報しか載っていない。それから先はわからないということですか?」
「まだ終戦から長い時間が経っていないから、一応このデータベースが正しい部分もあると思うのだけど、全てが正しいというわけじゃなさそうね」
足柄さんは腕を組み、手元の資料を見つめました。
「のわっち。明石にこれの出どころを聞いてきて貰える?私はこっちでデータベースと照合してみるわ」
「わかりました」
足柄さんのデスクに先ほどの資料を全て置き、野分は明石さんの作業場へと急ぎました。