「元陽炎型駆逐艦、野分、ただいま参上いたしました。」
のわっちの堅苦しく、すこし現代の常識とはかけ離れた挨拶に日向も苦笑いをし、当の本人は何がいけないのかわからないと言った様な顔をして見つめあっている。
「のわっち、もう軍属じゃないんだからそんな堅苦しい挨拶はしなくてもいいのよ」
私は無口な上司と部下の間に入り、きっと上司が言いたいであろうセリフを自信満々に言う。すると日向は苦笑いから一転、渋い顔をすると
「足柄はもう少ししっかりして欲しいんだが…」
「そうですね。もう諦めましたけど、職務の間は野分と呼んで欲しいです」
あぁ…非常に真面目な上司と部下を持って足柄は幸せです。
大淀からあらかたの説明を受け、施設内の案内を受けたのわっちが私たちのオフィスに帰って来たのは昼過ぎだった。私は溜め込んでしまった報告書の作成に追われ、サンドイッチを片手にパソコンと向き合い、日向は私が書類に没頭している間に何処かに消えてしまった。
「ただいまき……ただいま戻りました」
のわっち、まだ艦娘だった頃の癖が抜けてないのね。
「おかえりなさい。大丈夫だった?」
大淀の案内に不満を感じることはない。私も案内された時、何を質問しても完璧な答えを提示した彼女には感服したものだ。もし不満があるとすれば…
「問題という程ではありませんが…」
「おじ様達にいじめられたと…」
そう、我が海軍特別捜査局開設当初から勤務されてる諸先輩方の難色を示す顔と、その諸先輩方の機嫌取りをしている下の人間の非協力的な姿勢である。はっきり言って、ここは元艦娘にとっては最悪の環境に近く、まだ軍にいた時の方が理解があったと思う。その原因を作り出したのは他の誰でもない、我らがボスの日向なのだが。
「気にする事はないわ。私たちは日向の言うことを聞いてればいいだけよ」
私は日向がいるからここにいる。あの戦いを終結させる為に戦った私たちにしか出来ないことがここにあると言われ、私は戦う為に来た。
「…わかりました。一つ聞いてもいいですか?」
いけない。まだ来たばかりののわっちを不安にさせてしまった。ここは足柄お姉さんの腕の見せ所よ。
「それは今夜までとっておきましょう。今日はあなたの歓迎会よ」
あら、のわっち。その露骨なまでに嫌そうな顔はなにかしら。おじ様たちだけじゃなくて、部下にまで嫌われるのはなかなか堪えるのだけど…
「足柄、私の許可なく飲酒することは禁じたはずだが…まぁ、もともと今日はそのつもりだったがな…」
いつの間に帰ってきた日向がのわっちの後ろから現れた。それを聞いたのわっちは少し呆れた様な顔をしていたが、日向の顔は対照的に厳しいものだった。
「残念だが、野分の歓迎会は後日に持ち越しだ。二人とも用意しろ。足柄、すぐに車を回して来い。野分は私について来い」
日向のただならぬ雰囲気に緊張を強いられたが、目の前のパソコンを見て、また報告書が増えることに頭を抱えるのであった。
表で二人が来るのを待つ間、私は何が起こったのかを考える。先ほどの日向の雰囲気だと、私がこれまで捜査してきた内容ではないのがわかる。初日ののわっちの初めてのお仕事だからかとも考えたが、私の初めての仕事(私はこの時、艦娘として生まれてから初めて人間の死体を見た)の時の日向の様子とは全然違う。そもそも、そう言ったことに気を回す様な出来た上司ではない。とは言わないが、素直に事件を解決することを第一に考える人だった。
(これは報告書がどうとか言ってる場合じゃないけど…またしばらくは午前様ねぇ…)
そんなことを考えていると、足早に歩く日向の後ろを酷く緊張しているのわっちが見えてきた。
(これは私がフォローする必要がありそうね…名誉挽回しなくちゃね…)
運転しながら、隣に座る日向から今回の事件の概要を聞く。が、その内容があまりにも衝撃すぎて、私は思わず日向の方を向いてしまう。
「前を見て運転しろ。今は事故を起こして時間を取られたくない」
その言葉にハンドルを握る手に力が入る。バックミラーでのわっちを見ると、整ったクールな顔立ちが、あまりにもショックだったのか目を見開いてこっちを見ている。
(そうだった…何があっても私がしっかりしなきゃ…)
そう思い直し、日向の話を自分なりに整理することに勤めた。
日向の話だと、元艦娘の衣笠が何者かに拉致され、監禁されているということだった。衣笠は終戦後、姉の青葉と一緒に「私達のジャーナリズムは誰にも止められません!」と言い、フリーランスのジャーナリストをやっていたはずだ。好奇心が旺盛で、元艦娘という体力を使った行動力を持ち、取材という名の下自由奔放に動き回り、ジャーナリストの名の下で面白おかしく記事を書く彼女達は、胡散臭い権力者からすれば忌み嫌われる存在だろう。私も鎮守府にいた時は有る事無い事書かれて大変だった。そんな彼女達だが、提督は恐らく私たちが艦娘の未来を自分が壊すわけには行かないと強制はしなかったのだろう。そして推測の域を過ぎないが、恐らく彼女達は軍から監視をされていたのではないか…と考えたところでやっとのわっちが口を開いた。
「衣笠さんは生きてるんですか…?大丈夫なんですか…?」
初日に元艦娘が関わる事件にあたった彼女は今、冷静な思考が出来ていないのは明らかで、なんとか安心させなきゃと思考を巡らしていると、恐らく私と同じく事件の整理をしていた日向が口を開いた。
「多分、怪我も無くピンピンしてるだろう。元重巡の艦娘なら、現役の艦娘か元戦艦、空母の艦娘でないとまず力尽くで拘束出来ないだろう。もし仮に後者だったとしたら、ただじゃ済まない。それに加えて私たち艦娘は解体されても軍から監視されている。艦娘も元艦娘も動かすにはあまりにもリスクが高すぎる」
さすがは元海軍中佐殿、私の知らない内情までしっかり把握してらっしゃる。
「もしそれが海軍全体の陰謀だったら艦娘の人が…」
悪いことが起こると最悪の事態を想定して動く、のわっちは仕事が出来るいい子なのね。でも昔の仲間を疑うのはいい気持ちがしないものね。
「だとしたら、こうして捜査を任せられるはずがないわ。何故なら私たちなら絶対解決しちゃうもの」
自信満々に言うと、日向が少し表情を崩したが、のわっちは相変わらず暗い顔で
「そんな楽観的な…」
と言い、目を伏せてしまった。
「そうでもない。足柄の言うことは何一つ間違ってない。どういうことかはすぐわかる。今は悲観して妄想で判断せず、冷静に現実から判断しろ」
日向少し厳しめの口調で言うと、のわっちは消え入りそうな声で返事をした。これは盛大な歓迎会をしないとなぁ…と考えていると、日向が何か言いたげな目でこちらを見ている。
「なんにせよ、衣笠が心配だ。少しでも早く見つけ出してやりたい。足柄、急いでくれ」
「了解よ!勝利が私を呼んでいるわ!」
こう言う時、白いクラウンって便利なのよねぇ。
衣笠が最後に現れたのは、世俗的に超高級ホテルと呼ばれるホテルのロビーだった。既に警察が現場で捜査しており、身分を明かすとすんなりと協力を得られた。カメラに写された映像を見ると、ソファーで何かを待っていた衣笠にボーイが声をかけ、玄関に止まっていた黒いワンボックスまで案内され、近くにいた何者かに車内に引きずり込まれている。あまりの手際のよさに疑問を感じたけど、その後に見覚えのあるピンクのポニーテール頭が写りその疑問が解決する。あの子達のこと、恐らくわざと捕まったのであろう。だとすると別の疑問が浮かびあがる。わざと拉致されたのであれば、警察や私たちが出張って大事にあることを好ましく思わないはず。彼女達の意図しないところで問題が起きたからなのか。これだけじゃわからない。青葉の話を聞かないと。
「足柄と野分は青葉のところへ行け。私はもう少しここに残る」
日向も同じことを考えていた。指示を受け、のわっちに声をかけると、泣きそうな顔をしていた。
「のわっち…いえ野分、今は仕事よ。私情を挟んじゃいい仕事はできないわ。それに、あなたが頑張らなきゃ、衣笠はずっとこのままよ」
私の言葉にやっと自分の仕事を理解し始めたのか、涙を拭い
「了解しました」
とはっきりと返事を返してくれた。日向もそれを見て、私に目で合図を送ってきた。心配御無用、先輩のお姉さんとしてしっかりフォローはしますとも。
私たちの探し人は、日向の指示を受けてから五分もかからず見つかった。駐車場に停めた車のボンネットにちょこんと座っていたのである。
「どもども、特捜のお二方!お久しぶりです、青葉です!」
元気よく挨拶をした彼女に私ものわっちも呆気を取られる。
「青葉さん…衣笠さんのこと心配なんじゃ…」
のわっちが不満そうに尋ねると、青葉は笑いながら答えた。
「いやぁ〜、心配なのは相手方の方ですかねぇ…衣笠、やりすぎて無ければいいですけど」
「どういうことかしら?」
先ほどののわっちが泣きそうな顔で心配していたのを思い出して、少し声に怒気がでてしまった。それを気にせず青葉は答える。
「お気付きだとは思いますが、衣笠はわざと捕まってます。いわゆる内部潜入です!」
自信満々に答える。いけない、イライラしてきた。
「……詳しく話を聞かせて貰えますか、青葉さん。」
のわっちも苛ついている。そして少し呆れている。
「そのために青葉がここにいるんですよ!話は別の場所でしましょう、早く乗ってください!」
あなたの車じゃないのだけど…そう言いたかったが大人しく鍵をあけることにした。
「それで、一体どういうことかしら?」
青葉に指示された場所に向かいながら、後ろの席に座る彼女に尋ねる。
「その話はあとでしましょう!時に野分さん。長門さんとはどういうご関係で?!」
野分は心底呆れた顔をして答える。
「元上司と部下で、今は前の職場の先輩です。そんなことより…」
「飲まれた後にお二人で何されているんですか?!」
なかなか本題に入ろうとしない青葉に苛立ちを隠せきれなくなっていた。
「あなたねぇ!こっちは心配して…」
「あっ!足柄さん!ここ左です!そしたら最初のビルの駐車場に入ってください!」
「早く言いなさいよ!」
多少無茶な割り込みをして強引に曲がり、指示された駐車場に停める。
「さて…」といい、青葉は後ろの座席から強引に前の座席に身を乗り出し、強引にインパネを外し始めた。
「ちょっとあなた何してるのよ!」
止めようとしても、青葉は言うことを聞かず、バキバキと外す手を止めない。のわっちはその行動に呆気をとられている。
「何って、足柄さんを剥いてるだけですよー。派手な下着を着けていると言うタレコミがあったので…暴れないでください!」
「なに訳をわからないこと言ってるの!やめなさい!」
青葉がセンターコンソールを外し、明らかに車の部品としては異質な機械を指差した。その光景に思わず言葉を失う。のわっちの口を塞ぎ、青葉を見つめる。
「青葉、見ちゃいました!」
青葉がしたり顔でこっちを見つめる。
「青葉…ちょっと外でなさい。ここじゃ殴れないわ。のわっち。外出てこいつを抑えなさい」