浮き足立つなんて言葉はまさにこのことだろうか。
ボロ雑巾のような体を起こし、洗濯してもらった武偵高の制服に着替え、指定された場所まで来てみれば懐かしい声がしていた。
といっても会ってないのはほんの数日。任務で出張していた時の方がまだ期間が空いていたというのに、なんだか妙に緊張する。
「そこで止まんないで。さっさと中に入りなさいよ」
それはそう。ヒルダの言う通り。何に緊張しているのかともかく、とりあえず部屋の中に入らないと話が始まらない。かれこれ立ち止まって5分以上経過しているところだ。時々漏れてくる音と声から察するに食事会をしているようだが……。
とりあえず身なりは大丈夫かな。着替えた時にちゃんと確認したけど、それでも気になるもんは気になる。
「なんか変なとこないか?
「そんなとこよりもっと目につくとこあるでしょう。その生傷はどうやっても隠せないわよ」
「……確かに」
「重傷負って1時間もしないうちに自立できてるのが唯一の救いね。あとその右目の怪我は自分で説明しなさいよ」
右目……? あ、痛みが引いてたのと緊張で
色金の弾丸で未来から狙撃されたんだった。てことは、もちろん銃創があるはずだから大変なことになってそう。鏡見てないから分からないけど。
「あと臭いわ」
その言葉に今どうしようかと悩んでいたものが吹き飛ぶ。
「なッ!? 」
急いで服のいたる所を嗅ぐ。服は藍幇が洗濯してくれてたから違う……としたら俺じゃん。臭いの元。
やっぱシャワー浴びてから行こう。傷口に絶対しみるけど……と、そこでヒルダは鼻で笑った。
「臭いは冗談よ。驚く程に無臭だわ」
と言いつつ小馬鹿にするような表情。
こいつ……! と拳を握りかけたが、まあいい。それよりもだ。
「その、ヒルダ。応援してくれ」
「は──? なに、キモいわよ」
「違うそうじゃない。お互い久しぶりだろ? 理子と会うの。だから第一声なんて声かければいいかなって……」
「────」
数秒経ってもヒルダからの返事がない。
絶句して顔を引きつらせている、ってのが振り向かなくとも感覚的に伝わってくる。ってかそう
「オマエ、そんなキャラじゃなかったわよね。昔はハニーだのなんだの言ってたくせに」
「しょうがないだろ! あれがニセモノの関係を周りに伝えるには手っ取り早かったし! 今となっちゃよくわかんないけど、いざ会えるってなったらどう接していいのかわかんなくなったんだって! 」
「キモ。離れていたのもただの1日程度でしょ? 男だったら覚悟決めてさっさと行きなさい。だからオマエは童貞なのよ」
「おい待て! どんな暴言でも童貞いじりは──! 」
ドン──! と背中を蹴られ、それを予想していなかった
吸血鬼から繰り出される強烈な前蹴りに水泳選手の飛び込みのような転び方をしそうになったが、そこは武偵。転ぶ前にしっかり体を捻り、天井を向いて状況把握をする。そうすることでいち早く危険を察知し──
「…………ピンク色の、天井? 」
視界に広がるのは異様に低いピンク色の天井と、やや肌色に近い2つの柱。あと天井付近から吊られた赤いヒラヒラ。
……なんだこれ。
などととぼけるキンジとは違う。今見ているものは十中八九誰かのスカートの中。全国の男子の9割がたはこんなの見れば分かる。ここから判断せねばならないことはふたつ。
どう初撃を避けるか。次に、謝ってすむ相手か。
「~~~~~ッッ!!! この変態!! 」
聞き慣れたアニメ声と共に右足が持ち上がり、目にもとまらぬ速さでおろされる。その時点で顔を横にずらしていたため間一髪セーフだ。すかさず横に転がり少しでも距離をとり勢い殺さず立ち上がる。
そしてこの声と殺意はアリアだな。ならば謝りたおすしか生きる術は無い──!
「すまなかったっ!! 」
ほぼ直角に腰を曲げ、開口一番の失言を取り消す大声で謝罪する。
続くであろうアリアの攻撃に思わず体を強ばらせてしまったが──なにも、衝撃らしきものは体に伝わってこなかった。
やれ性欲魔だの、バカ変人だのと謂れにない誹謗中傷が飛んでくるかと思ったのに、代わりに訪れたのは予想していなかった静寂だった。
「……」
おそるおそる顔をあげると、
怒と哀、喜と哀。レキを除けばだいたい同じ反応で。
いつもなら何かしらが飛んできてもおかしくないというのに。まあとりあえずアリアからはお咎めなしということでいいかな?
「お久しぶりです。2日くらいしか経ってないけど」
改めて周りを見渡す。
見たところ大食堂らしい。壁には多種多様な中国剣が飾られており、人が入れそうな青磁の
アリア達が座っていた席には大小様々な皿に美味しそうな──もう半分以上は食べられているが──料理が載せられており、敵としてでなく、あくまで来賓として出迎えてもらえているようだ。
メンツとしては理子以外のバスカービルは全員揃ってるみたいだが。
「アンタ、どうしたのよそれ……」
ある程度状況把握が終わったところで、アリアがポツリと呟いた。
性懲りもなく増やした顔面の傷を見ている。特に俺の塞がっている右目に視線が集まっているようだ。
右目周辺はジーサードの一件から瞼を中心としてクモの巣状のヒビが入っているわけだが、ここ数日会ってないからって珍しいものにでも変わったのだろうか。
……いや、この反応はそうじゃない。明らかに動揺している。
「どうしたって、なにが──」
続けようとした言葉は右目を触れた瞬間喉から出てくることはなかった。
不規則に手に伝わるヒビの感触──その中に、弧を描くような感触を見つけたからだ。ツツツッ、とそれを時計回りになぞっていく。意外にもすぐに初めに触った位置まで戻り、それが完璧な円形をしていることがわかった。
そして──これが何であるかはすぐに検討がついた。
「ああ、これは──」
「アンタたち朝陽に何したのッ!! 」
そう説明を始める前に、アリアはアリアの怒号が空気を震わす。先程の俺のやらかしの際に放ったモノとは比べるべくもない、本物の殺気を纏った声。まさに鬼の形相で、武器商人を睨みつけている。
「どったのー? そんな大声出して、キーくんにお肉でも盗られ──」
ガチャりと俺の後ろの扉が開く。
聞き慣れたその声の主は、すぐに足を止め、
「キョー、くん? 」
私に気づいてくれた。俺もすぐに振り返る。
会いたかった人。たった2日程度離れていただけでも寂しいと思えた人。絶対に手離したくない人。□□な人。この想いを伝えたい人が、目の前にいる。
お互いに目はあっているけれど、この静寂を切り裂く一言目が見当たらない。理子も同じようで、小さな口を開いては閉じ、出てきた言葉をまた飲み込んでいる。
理子を前にすると途端に思考が凝り固まる。なんでもいいのに。ただ一言発する口があまりに重い。ただの挨拶ですら交わせない。こんなにも私は会えて嬉しいのに。
なんでもいい。なんでもいいから、動け! 俺の口!
「…………ぁ、久し、ぶり。あいかわらず変わってな──」
理子は顔を伏せ、何も言わずスッっと俺の脇を通り過ぎる。
「理子? 」
名前を呼んでも振り返らず。しかしその足取りは少しずつ速く、武器商人のもとへ。そして胸元から何かを取りだして……
「理子!? アンタやめっ──!! 」
直後、ふたつの銃声が鳴り響く。
間違いなく理子の持つデリンジャーの銃声だ。この位置からは見えないが、武器商人の頭に突きつけられているのは間違いない。あれでは武器商人を倒せない。だからこそ、今度は声よりも先に体が動いた。
理子はデリンジャーを投げ捨て、代わりに腰から黒色の小型ナイフを逆手で取る。その切先が武器商人の首筋へ届く前に、理子の手首を掴み、
「落ち着け理子! 俺はまだ生きてるっ、だから落ち着け! 」
「っ!? り、こ──! 」
わずかだが理子に力負けしていた。
今まで理子相手なら力勝負は負けなかった。元々男女の体格差があったし訓練の一環で筋トレだってしていた。
それに今の
「オマエっ、嘘をついたな!! キョーくんに何をしたッ!? 」
「嘘じゃぁないさ。
伝えるって、この状況で、んなこと言えるか!
「キョーくんが自分からそんなことするはずない! 」
「おや、随分と愛されているようだ! 羨ましい限りだ。僕もそんな熱烈な恋をしてみたいものだよ」
煽るような口調に理子の力はより強まり、武器商人の皮膚に食い込んだ。
勢いそのまま、頸動脈に刃が到達する直前、その手が止まる。
「ふさけんなッ! はやく答えろッ!! 」
聞いた事のない、まさに修羅の怒りが如き怒声。
アリアのソレがよほどマシに思えてしまうような豹変ぶり。
そして初めて見る理子の激怒。今にも首を切り裂かんとするのを必死に抑えながら、場違いにも□□□という感情が浮かぶ。
「言っただろう。コレは私じゃないと。あー、でも広義で言えば私のせいでもあるか」
「さっさと話せ! 」
「まあまあとりあえずナイフをしまって座りたまえよ。何事も冷静さを欠いては正常が判断ができない。君もそうだったのではないかね? 峰理子」
「っ……」
理子が言葉をつまらせる。理子は何も悪いことはしていないのに。
しかし、動揺したのか少しだけ体の力が抜けたのを感じる。
「恋は盲目というのはどこの国でもどの種族でも同じらしい! 祭日でもないのに上がるド派手な花火、街ゆく人々に紛れる私たちの軍、京城朝陽を孤立させるための通信妨害。君はそれに気づかなかった。私が気づかせなかったからね」
理子にまくし立てている武器商人は怒ってなんかいない。むしろ……興奮している。いつなんどき冷静さを欠いたことがなかった武器商人が、息を荒らげ、理子に詰め寄る。頸動脈を切り裂かんとするナイフがさらに奥深く入り込み、鮮血がボトボトと垂れても、なおその口を閉じない。
「おかげでここに連れてこれたし、彼という人物を理解できた。これから向かう未来もおおよそ検討がついた。君たちがここに来たのも、京城朝陽の救出のためだけでは無いのだろう? 」
「……くそッ! 」
そう言葉を吐き捨てると、手に持っていたナイフから力を抜きその場に落とした。俺も理子から手を離す。
「きょー、くん……」
振り向いた理子の目線が再び右目へと向かった。
理子がこれほどまでに激情した理由は、右目に現れた円形のモノ──未来から放たれた色金の弾丸が原因だ。弾丸の種類は推察するに9mmパラベラム弹であり、弾丸の底面が眼球の位置にあるため幸いにも脳には到達していない。だが、見栄えは悪い。今まで閉じられた右瞼を中心に蜘蛛の巣状に亀裂が入っていただけなのが、瞼を貫通して瞳の位置にちょうど弾丸の底面が露呈している。
つまり、色金弾が右目の表層付近にその形のまま埋まっているということ。
「ごめん、また怪我しちゃった」
────ああ。
そんな悲しい顔しないでほしい。
わがままだってのは分かってるけど、もうどうしようもない。
必要な痛み、必要な傷なんだ。
「銃声がして来てみれば、また面倒ごとアルか」
俺が入ってきた扉から入ってきたのは、武偵高のセーラー服を身にまとった、気だるそうな感じのココだ。
ややこしい話がさらにややこしくなるが、この際もう諦めよう。逃れることはできん。
「さあさあ席につきたまえ。
投稿頻度について
-
5000〜10000字で2〜3週間以内
-
10000〜15000字で4〜6週間以内