ピィピィ!
体育館に試合を終える笛が鳴り響いた。
千葉第三高校との練習試合が終わった。
午前中のみで1セットも落とすことなく練習試合は幕を降ろした。
これまで夏休みの間、竜司と大河が言い出し50セット試合も1セットも落とすことなく終わっていた。
これまで行った試合を思い出しながらスコアノートに目を通しながら顧問の菊川響子はため息を零した。
昨日の相手もそうだが今まで戦って来た相手は地区3回戦に残れるぐらいのチームだが、竜司が加入し、大河も戻ってきた事もあり、既に地区3回戦のチームは相手にならない程、強くなっていた。
神奈川県では高校の数が多く、予選を行い上位10チームが県大会へ行き、各6地区から10チーム程集まり、トーナメントを行う。
春高は地区関係なく4チーム総当たりを行い、上位2チームが決勝トーナメントに出場し、6回勝てば優勝だ。
今年の白浜坂高校は湘南海星高校を倒すつもりでいる。
その為には練習試合を多く組み、経験値を積ませる事だが中々強い相手とは試合ができていなかった。
高校総体でベスト8に入ったが今回が初めてでまだ名前は売れていない。
強豪校にお願いをしても断られ、中堅高では相手にならない。
経験値を積ませたいのだが上手くいかなかった。
響子は職員室で頭を悩ませていた。
響子自身も伝手はなく困っていた。
「失礼します」
職員室の扉を開けながら来夏が入ってきた。
「菊川先生、授業の鍵を返しに来ました」
「ありがとう宮本、その辺に置いといて」
響子の専門は英語。
今日は英語の授業で視聴覚室を使ったので、鍵を返しに来たのだ。
来夏は言われた通りに鍵を置いてそっと響子の険しい顔にきずいた。
「先生どうしたの?凄い剣幕で綺麗な顔が台無しだよ」
「あら、そんな風に見えた」
「うん、あんまり悩みを抱えると皺が増えておばふぁんになしゃうよ」
「おばさん言うな」
来夏が口にしようとした事に気が付いた響子は頬を片手で挟んだ。
来夏の口からごめんなさいと聞こえたので手を離した。
「でも本当にどうしたんですか?」
来夏の心配してる瞳に響子は理由を話した。
理由を聞いた来夏はなるほどと言いながら考えた。
「強いチームなら湘南海星高校とかはどうですか?」
「あのねぇ〜天下の湘南海星高校がこんな一般高と試合してくれる訳ないでしょう」
それに転向して来た竜司の立場だってある。来夏はそれを知らない。
そう考えると頼めない。
「私達が聞いてみましょうか?」
「何か嫌な予感がする」
「大丈夫ですよ、先生は大船に乗ったつもりで待ってて下さい」
「ちょっと、宮本!」
そう言い放った来夏は響子の言葉など耳にも入っておらず走って職員室を後にした。
まぁただの女子高生が何かできる話ではないかと思い、部費の確認をしながら練習試合の相手を探し始めた。
改めて合唱部に入部した和奏は誰よりも合唱部の練習に真面目に取り組んでおり、部員の発声練習を主に指導している。
和奏が来る前は来夏が来なかったら練習は行わなかったが今は違う。
来夏がいない状態でも和奏の指導の元、練習を行っている。
今も職員室に行って、いない来夏の代わりに指示をしっかり行っている。
ガラガラ!と音楽準備室の扉が開く音がした。
「遅いよ来夏」
「ごめん、和奏」
「何かいい事あったのか?」
音楽準備室を開けるなりニヤニヤした表情を浮かべている来夏に大智が問い掛けた。
「分かった、身長伸びた?」
「あんたねぇ〜」
意地悪そうな表情で答える沙羽に来夏は呆れた様子で返した。
いつもなら、「おい!」とか言って来るのに今日は何故かいつもと違う態度に本当に嬉しい事があったんだなと沙羽が思った。
「それで何があったの?」
「まぁまぁ落ち着きたまえ、諸君」
和奏の言葉に焦らないでゆっくりと歩き出した来夏は椅子に腰を降ろした。
なんか気持ち悪いぐらいに上機嫌だなと全員が思った。
今の来夏に何を言っても無駄だと思った全員は次の言葉を待つことにした。
「私、決めた」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・何を?」
私、決めた!と言った後に何か言葉があるんじゃないかと思ったが会話はそこで終わっていたらしい、たまらずウィーンが口を開いた。
「それは内緒」
「何それ」
「ここまでもったいぶって言わないつもり⁉︎」
「まぁまぁ、詳細は今度メールで送るから待っててね、さぁ、今日も元気よく練習を始めよう」
沙羽のドs振りな発言にも臆する事なく来夏のにやけが止まる事はなかった。
結局、来夏は金曜日の夜までにやけ顔が止まる事はなかった。
そして金曜日の練習の後に来夏から1通のメールが届いた。
発信者 宮本 来夏
宛先者 沖田 沙羽、坂井 和奏、田中大智、ウィーン、佐原 竜司
件名 合唱部の練習について
土曜日の練習は学校を離れて朝9時に湘南駅前の噴水の前に集合❗️
持ち物はサングラスやマスク、服装は私服で!!!
それではおやすみ〜
土曜日の朝9時。
噴水の前に沙羽と和奏が立って待っていた。
遅刻組は和奏と沙羽が乗って来た1本後の電車に乗っていると連絡があった。
ちなみに竜司はバレーの練習の為、欠となっていた。
8月も終わりにさしかかっているが暑さは7月と変わりが無いように思うほど暑かった。
沙羽と和奏は駅の中でソフトクリームを買い食べながら待っていた。
「それにしても何をするつもりなんだろう」
アイスを一口舐めた沙羽が呟いた。
「そうだよね、本当に合唱部と関係あるのかな」
「うーん、一応あるんじゃない?」
「でもこれ、何に使うつもりなんだろう」
和奏はバックの中からサングラスとマスクを取り出した。この2つが音楽と何の関係があるのかは不明であった。
「そうだよね、昨日の夜からずっと考えたんだけどなんにも思いつかなくて」
「そう言えば高橋先生、子供産まれたらしいよ」
「私も聞いた、帰りに赤ちゃん見に行こうよ」
「うん、行きたい」
こないだの学校の話をしながら時間を潰していると9時10分に電車が到着した。
駅からにやけ顔した来夏と大智とウィーンが歩いて噴水に向かって歩いてきた。
「お待たうぇ⁉︎・・・何すんのよ」
「遅刻した罰が半分とにやけ顔がムカつくから」
沙羽は手に持っていたソフトクリームを来夏の口に押し付けた。
来夏はコーンの所を歯で受け止めてから手にした。
「まぁまぁ、それより来夏、今日は何するの?」
「無駄だよ、電車の中でずっと聞いでたけど教えてくんないんだよ」
「後のお楽しみってやつだね」
遠い所まで来たのだからそれなりの大事な事が今日あるのだろうと思った和奏は今日の目的を訪ねたが大智とウィーンが言うように教えてくれなかった。
「とりあえずついてきて」
それだけ言って来夏はコーンを齧りながら歩き出した。
大丈夫かなぁ〜と来夏の背中を見ながら思った4人の足取りは重かった。
「10分休憩!」
体育館に響子の声が響きわたった。
一息つきながらスポーツドリンクを口に含み、汗をタオルで拭いていた。
「竜司、今日は合唱部の練習はないのか?」
「今日はなんか湘南駅に集合して何かやるみたいですよ」
汗を拭きながら響子の問いに答えた。
「湘南駅?そんな遠い所で何をするつもりなんだ?」
「それが俺にもよく分からないんですよ、来夏が決めたんですけど教えてくれなくて」
「まさか、湘南海星高校に」
「ああ、練習試合の件ですか?」
月曜日に来夏とのやり取りを響子から聞いた竜司は何を考えているか直ぐに分かった。
「・・・まさかな」
「そうですよ、いくら来夏でも・・・」
互いに歯切れが悪かった。
何かを仕出かすのは来夏の十八番だ、だが他校に乗り込むほどバカじゃないだろう。
でも来夏だ。
「・・・心配し過ぎですよ」
「ああ、そうだな」
互いに納得する答えがなかったがとりあえずその事は考えない様にした。
だが、嫌な予感がするのは何故だろう。
その気持ちを払拭するかのように竜司は練習に戻った。
湘南駅から徒歩15分で来夏の足が止まった。
それに合わせて来夏の後ろを歩いていた沙羽達の足も止まり、今ここが何処にいるかを確認した。
正面から見て左右に5回建てのビルのような建物が建っており、周りにも大きな建物がいくつも存在した。
何処だここはと思った沙羽が周りを見渡すと校門らしき所に湘南海星高校と書かれていた。
待って⁉︎これが学校なの⁉︎
白浜坂高校より遥かに大きい。
噂では聞いていたけどこれほどまでとは思っていなかった。
違う、そんな事より何をするつもりなの?
「来夏、あんた何をするつもりなの⁉︎」
「何をって?」
「何をって、じゃなくてここ、湘南海星高校だよ⁉︎」
今いる所が湘南海星高校と言う事に気付いた和奏、大智、ウィーンは驚いた表情を浮かべた。
唯一、来夏は言うと。
「知ってるよ、だって今日はここに用事があって来たんだもん」
軽く答える来夏に沙羽は頭が痛くなってきた。
「よ、用事って何をするつもりだよ⁉︎」
軽くビビっている大智は緊張した様子で口を開いた。
「目的は2つ、1つは菊川先生の悩みの解決」
「悩み?」
「うん、バレー部の練習試合をする相手を探しているんだって、だから直接お願いしに来たのと、ここからが本命なんだけど、お願いしたついでに湘南海星高校の合唱部の練習をスパイしようと思って」
にやにやしながら答える来夏に沙羽、和奏、大智は本当に頭が痛くなっている気がした。
湘南海星高校の合唱部はコンクールでも最優秀賞を何度も受賞している音楽の名門と言っても過言ではないだろう。その練習を盗み取れれば声楽部にも勝てるかもしれないと来夏は思っていた。
お気楽な頭で考えているのは来夏だけではなく、 スパイと言う響きにウィーンは楽しそうにしている。
「まさか、サングラスとマスクを持ってこいって言ったのは」
「うん、潜入する為だよ」
これで謎が1つ解けたと和奏は思った。
「良し、それじゃあ行こうか」
「こら待ちなさい!」
軽い足取りで校内に入ろうとしていく来夏とウィーンを止めるように沙羽が声を出したが今の2人の耳には入らないようだ。
追いかけるように沙羽が走り出し校内に入ると校門にある守衛からストップがかかった。
「君達、何処の生徒さんなんだい?この学校の生徒じゃないだろう?通行許可証は持っているの?」
守衛がいる事は全く考えていなかった来夏は校内に入ることなく敷地外に追い出されてしまった。
「もぉぉ、少しくらいいいじゃんよ」
事情を説明し和奏が謝りを続ける後ろで来夏が頬を膨らませていた。
「駄目に決まっているでしょう」
「ほんとお前はいきなり突拍子のない事をするな」
他校の生徒が勝手に校内に入るのは駄目に決まっている。
そのくらい分かるだろうと思いながら沙羽と大智が呆れた様子で来夏を見ていた。
「来夏、諦めちゃ駄目だ、きっと上手くいく方法がある」
「おぉ、ウィーン作戦会議だ」
「バカが2人もいると疲れる」
2人で盛り上がっている様子を見ながら沙羽が溜息を1つ吐いた。
「あれ?坂井は?」
「本当だ、さっきまで守衛さんと話をしてたのに」
和奏の姿が消えた事に気付いた大智と沙羽がキョロキョロ辺りを見渡すが姿は何処にもなかった。
「何処に行ったんだろうって・・こら!待ちなさい」
「おい、沖田、待ててって」
沙羽と大智の一瞬の隙をついていつの間にかサングラスとマスクを着用している来夏とウィーンは校門を駆け抜けた。
それを追いかけるように沙羽が走り出して少し遅れて大智が走り出した。
「こら!!待ちなさい」
堂々と校門を駆け抜けたのは守衛もしっかりと確認しており、後を追いかけた。
一方、和奏は学校の周りをゆっくりと歩いていた。
口には出さなかったが和奏も湘南海星高校には興味を持っていた。
それにここならあの事が聞けるかも知れないと踏んでいた。
先ほどの守衛の様子からして正面から進入するのは諦め、他の入り口がないか探していた。
だがいくら歩いても2メートル程の擁壁が続いており、中に入る道などなかった。
諦めようと思った時に擁壁からフェンスに変わっている場所を見つけた。
フェンスに手を掛けてこのくらいならいけると思った和奏は軽い身のこなしでフェンスをよじ登って敷地内に入り込んだ。
幸いにも人目につかない所で助かった。
「まずは体育館を探さないと」
これだけ広い敷地から和奏の目的の場所を探すのは困難だったが諦める訳にはいかなかった。
しらみ潰しに探そうと歩き始めた時であった。
「おい、お前」
「ひぃ⁉︎」
突然、声をかけられて驚きの声が上がった。
「堂々と進入するなんていい度胸してるな」
「ごめんなさい!」
荒い声が聞こえて来て和奏は振り返ると共に頭を下げた。
「あれ?君は確か白浜坂高校の生徒じゃない?」
「えっ⁉︎」
自分の事を知っている口ぶりに驚いた様子で顔を上げるとそこには見知った顔があった。
「ほら、やっぱり」
「確か、バレー部のキャプテンの方と竜司君と一緒に試合に出てくれた・・・」
「達也だよ、ちなみにキャプテンは薫だよ」
そうだ、仲良さそうに竜司くんと喋っていた人達だ。
見知った顔にホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば練習試合の時にいたな、なんだスパイか?」
「そういう言い方はよしなよ、怯えてるでしょう、ただでさえ顔が怖いんだから」
「・・・顔が怖い?」
達也の言葉に軽く薫が傷ついた。
それには和奏も吹き出しそうになったがここは我慢した。
「今日はどうしたの?」
「実は・・・」
来夏の目的を言った方がいいのか、自分の目的を言っていいのか和奏は悩んだが直ぐに解決した。
「竜司くんについて教えて欲しくて来ました」
「竜司について?」
「はい、竜司くんは元々、ここのバレー部だったんですよね、どうして転向したのか知りたくて」
その言葉に薫と達也は目を合わせて少し黙ったが直ぐに口を開いた。
「そんな事を聞いてどうするつもりだ」
冷たく低い声が薫の口から零れた。
その問いかけに答えを持っていなかった和奏は口ごもった。
「大した理由もなく他人を詮索するな、理由もない奴に教える義理もない、分かったらさっさとここから出て行け」
強めの口調で薫からの言葉を浴びせられた。
薫の言う通りだ。
そんな事を知ったところで何かをする訳ではない、そんな事は和奏が1番理解していた。
それでも。
「行くぞ達也」
「いいよ、教えてあげる」
「おい!達也!」
薫とは打って変わり達也は口調を変えることなく口を開いた。
「・・・本気か?」
「うん、悪いけど部活には先に行ってて」
「・・・わかった、早く戻ってこいよ」
それだけ言い残して薫はその場から走り出して離れた。
「じゃあ、場所を移動しようか」
「はい」
達也の言葉に頷いてゆっくりと歩く達也の後ろについて行った。
「ふぅー練習終わった」
「はい、佐原先輩」
ハードな練習が終わって床に座り込む竜司に大河がスポーツドリンクを渡した。
ありがとと言いながら受け取り、スポーツドリンクを一口、口に含んだ。
大会まで後2ヶ月弱だ、今は基礎体力トレーニングを主にやっている為、他の選手達はぐったりと仰向けで倒れている。
サッカー部で鍛えた竜司と普段からビーチバレーで鍛えた大河の2人は激しい体力トレーニングでもまだ余裕があった。
「なぁ、大河、照はやっぱり戻ってこないか?」
大河の他にもう1人だけ呼び戻したい選手がいる。
最初は竜司が呼び戻すつもりだったが大河が自分に任せてくれと言うので手を引いていた。
「何回も声はかけているんですけど、あと何かきっかけがあれば」
手応えは感じていない訳ではないが難しいと言った所であった。
「そっか、最悪、9月までに戻ってこなかったら諦めるしかないな」
9月になればチーム練習も入ってくる、9月が過ぎてからではチームの色が変わっている今のチームと合わせるのは厳しいところがあった。
それは大河も分かっていた。
「まぁさん後はお前に任せるはそれより対人やろうぜ」
「はい」
立ち上がり、ボールカゴからボールを取り出して竜司と大河が距離をとった。
「良し行くぞ」
ボールを高く上げた所で体育館の扉が音を立てて開く音がした。
「竜司!」
自分の名前が呼ばれたので高く上げたボールをキャッチして振り返ると響子が険しい表情で立っていた。
「どうしたんですか?」
「宮本のやつ、やりやがった、いいからお前も早く来い」
まさか嫌な予感が的中したのか、そう思いながら竜司は体育館を後にした。
ありがとうございます