70話目か……。
『続いてのニュースです。昨日未明、USNA海軍所属の小型艦船が日本の領海を航行中、機関トラブルにより漂流していたところを防衛海軍に保護されていたことが、防衛省の発表により明らかになりました。この件に関してーーーーーー
「今テレビでも確認しました。流石は花菱さんだ。完璧ですね」
『彼は、あまりに完璧な御膳が既に用意されていた。と言っていたけれど?』
「やはり謙遜は日本人の美徳ですね」
いつも通りの声、いつも通りの表情。そんないつも通りの董夜に、真夜はあからさまに眉を潜めた。
『今回の件で、私達は達也さんに貸しを作ることが出来るはずでした』
「それは失礼、余計な事をしてしまったようですね」
通話画面に映る真夜に、董夜は深々と頭を下げた。謝罪が中身を伴っていないことなど、真夜も当然わかっているだろう。
『この際、それは問題ではありません。それより貴方に昨日本家の人間を一人かしましたね』
「はい、素晴らしい運転技術でした」
『その車でアンジー・シリウスを家まで送り届けた事も、別に問題視するつもりはないわ。ただ貴方、なぜ彼女の家で運転手を帰らせたのかしら?』
真夜の絶対零度の視線が、ディスプレイ越しに董夜を貫いた。その目は、昨夜、董夜がリーナを問い詰めたときの目とそっくりだった。
「特に理由はありません。リーナとも特に何も話す事なく、わかれました」
『私をコケにするつもり?』
「いいえまさか、誓って本当です」
董夜のあからさまな嘘は、たとえ子供でも見抜けるだろう。そもそも運転手を帰らせた理由になっていないのだから。
そんな説明で納得する筈のない真夜が、董夜を睨み続ける。
『まぁ、いいわ。話を戻します。花菱はこう言ったの、【余りにもお膳が整い過ぎていた】と。貴方、なぜあの時間、あの場所に彼らがいることを知っていたのかしら?』
「母上。僕だってある程度のアンテナは張っているつもりです。*1雛子がいなくとも、これぐらいはーーーーー
『董夜』
どんなに睨もうとも、変わらない声、変わらない表情の董夜を遮った真夜の声が、室内に響いた。
直接相対しているわけでもないのに、室温が低下しているかのような錯覚が起こる。
『貴方、
◇ ◇ ◇
「食欲がない」
穏やかとはとても言えない、真夜との電話を切り上げ。董夜は自宅の地下にある部屋から出て、何重ものロックを解除して一階に上がる。
「(今日の朝ごはんはいつもより、しっかりしたものになりそうだな)」
眼を開くと同時に、台所で忙しなく動く存在を、董夜は捕らえた。
「あ、董夜さんッ!おはようございます!」
台所に通じるドアを開けると、トントンという心地よい包丁の音と共に、深雪が元気な顔をのぞかせた。
「おはよう深雪。来るだろうとは思ってたけど、昨日の今日とは思わなかったよ」
「それは……いても立ってもいられませんでしたから」
深雪が連絡もなしに董夜の家を訪れた理由。それは昨夜、家に帰った後に兄から聞かされたことだった。
達也からの話を簡単に説明すると『俺、リーナが好きかもしんねぇ』である。
「お待たせしました」
「ありがとう、相変わらず美味しそうだね」
雛子がいない時は、シリアルやインスタントで朝食を済ませる董夜にとって、誰かが作ってくれる温かい料理は久々だった。
大人しく机に腰掛ける董夜の元に、髪をポニーテールに纏めて、普段は雛子が身につけているエプロンを見に纏った深雪が、お盆に乗った料理を運んでくる。
「どうぞ、召し上がってください」
自分の分も運び終えた深雪が、笑顔で董夜を見つめた。
董夜の目の前には、輝かんばかりの白米。豆腐やワカメ、キノコにネギなどが入った具沢山の味噌汁。
そして小皿に乗った海苔や漬物、納豆。さらに真ん中のお皿には綺麗に焼けた鮭が鎮座している。
完璧な栄養バランス。日本において、十数世紀以上前から親しまれてきたメニューである。
「いただきます」
黙々とご飯を食べる深雪と董夜。しかし、深雪の方はチラチラと董夜に視線を送っている。
どうやら話したいことがあるけれど、ご飯中にそれを始めてしまっても良いか迷っているようだ。
「達也の件で来たんだろう?」
「………はい。」
察した董夜が話し始めるきっかけを作ったため、深雪も口を開いた。
「達也にも言ったけど、俺だってまだ完全に憶測の域は出てない」
「それでも、董夜さんはほぼ確信に近い所まで行っているように、わたしは思います」
「………よく分かるね」
「ふふ、董夜さんの事はわたしにはお見通しです」
確信を持って言う深雪に、董夜は降参だと言わんばかりに手を振った。
そんな董夜を見て、深雪は嬉しそうに頬を緩ませた。
「先日、母さんに会いに行った」
「叔母上に、ですか?」
「…………?」
「…………?」
二人が顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。
「あぁ、違う。伯母上にだ。深夜さんに会いに行ったんだよ」
「は、はい。」
間違えた間違えた、と笑う董夜。
深雪は、なぜ自分の母親である『司波深夜』を董夜が『母さん』と言い間違えたのか、疑問に思った。
しかし次の瞬間、深雪の直感とも言うべき感覚が、感じたこともない嫌な予感を察知し、背中が一瞬にして冷たくなる錯覚を覚えた。
そして、深雪の疑問は、記憶から完全に弾き飛ばされた。
ーーーーーその時の伯母上の反応を見る限り、人造魔法師実験はある意味失敗しt…………深雪、聞いてる?」
「…………ぇ、ぁれ、わたし」
「まぁ、この話はまた達也も加えて後日しよう。ほら、深雪はもう学校に行く時間だろう?」
深雪が気がつくと、董夜と一緒に朝食を食べ始めてから1時間が経過していた。
目の前の机にはお皿が一枚もなく。自身が感じる満腹感から、『朝食は食べきった』と言う認識が、深雪に植え付けられる。
「ほら、学校に行かないと」
董夜が席を立ち、深雪の頭を優しく撫でた。心地よい感覚が深雪を満たしていき。ついウトウトとしてしまう。
ーーーーk………ゆき………深雪」
「ぉ、にぃ、さま………?」
次に意識が覚醒した時、深雪は達也と共に、第一高校の正門に立っていた。
◇ ◇ ◇
ーーーすまん、手間を掛けた。
ーーーこの事は母上と、葉山さんに報告させてもらう。
ーーーあぁ、解った。
ーーーしっかりしてくれ、お前は●■▲★だろう。
ーーーあぁ、肝に命じておくよ。
◇ ◇ ◇
「あたしじゃ無理だって言いたいの?」
放課後、兄の敵討ちに燃えるエリカに、達也は冷静に制止をかけた。
エリカから放出された怒気を、達也は眉一つ動かさず受け止める。
「無理だな。実力的にじゃなく、結果的に」
「……どういうこと?」
セリフの前半で膨れ上がった怒気は、セリフの後半で訝しさに置き換わった。
「今朝のニュースは見たか? 映像でも活字でも良いが」
「見たけど、どのニュースの事?」
「USNAの小型艦船が漂流していたニュースだ」
「アレね……まさかっ?」
「察しが良いな。おそらく『シリウス』も、もう出てこない。ほじくり返しても、お互いに良い事は無いと思うぞ」
達也のアドバイスに、エリカは諾とも否とも答えなかった。
「達也君……貴方……何者なの?」
その代わり彼女はマジマジと、正体不明の怪人物を見るような目で達也を見詰めた。
「あんな事、少なくともウチには……千葉には無理だわ」
「そうかな」
「ウチだけじゃない。五十里だって、千代田だって、十三束だって、きっと無理。何をどうしたのかしらないけど、あんな結果が出せるのは、十師族の、それも……」
「もう止めないか?」
達也の短い返事は、言外に応えられる事では無いという意思を込めたものだった。しかし、エリカはそれが理解出来なかったのか、言葉を止めようとしない。
「特に力を持っている一族。首都圏を地盤にしているか、地域に関係なく活動出来る家」
「エリカ、もう止せ」
「北陸が地盤の一条は除くとして……七草か、十文字。あるいは……四葉。達也君、貴方まさか」
「止せと言った」
「っ!」
達也は声を荒げたわけではない。声の調子や大きさではなく、そこに込められた意志が、エリカに口を噤ませた。
「それ以上はお互いにとって不愉快な事になる。俺だってエリカに消えて欲しいわけじゃない」
達也は静かにそう告げた。修羅場をくぐった経験はエリカも並みではない。気圧されて、黙ったのではなく、密度の濃い経験があるからこそ覚ったのだ。軽率にも、自分が境界線の向こう側に踏み込もうとしていた事を。
「……ゴメン」
「分かってくれれば良いさ。エリカ、シリウスが誰かなんて詮索しても、もう誰も得をしない。だからその件は御仕舞いにしよう」
「……そうね」
「じゃあもう一つの用件を聞こうか。多分パラサイトの残党の事だと思うが」
「ご名答、と言うほどじゃないよね。この程度の話が通じないなら達也君じゃないから」
「褒めてるのか、それ?」
「少なくとも、貶しているつもりはないよ?」
段々と何時もの調子が戻って来たようで、達也も安心していた。
「俺も放っておくつもりは無い。何か分かったら教えるから安心してくれ」
「絶対、よ? その代わり、あたしもこの件で隠し事はしないから」
「ああ、約束する」
この件では、と条件を付ける辺りが如何にもエリカらしい。だが彼女との付き合いは、この程度の距離感が丁度良かった。
「じゃあね、達也君。邪魔してごめん」
「エリカ」
立ち去ろうとするエリカの背中を、達也が短く呼び止めた。エリカの肩が一瞬跳ねたが、振り返った顔はいつも通りだった。
「董夜は『ヨツバ』なんだ。あいつは相手が誰であろうと、それが自分にとって不利益になるなら躊躇いなく処理する」
そんなことは彼を初めて見た時から分かっている、いつものエリカだったらそう言っていただろう。しかし、先ほど間違いを侵しかけたため、その口は噤まれてしまった。
「友人として警告する。学校とは言えアイツと同じ共同体に属している以上。身の振り方には細心の注意を払ったほうがいい」
「………ありがと」
それだけ言うと、今度こそエリカは部屋から出て行った。
「(どの道、遅かれ早かれ気付かれていただろう)」
エリカには既に、【自分の力】だけでなく深雪の【コキュートス】まで見られている。
達也はエリカが出て行った扉をみて、ため息をついた。
「(それにしても、董夜は俺と会ったときには既に、部隊に指示を出し終えていたのか)」
思い出されるのは昨日から今朝までの一連の出来事。
達也が董夜にバックアップを依頼してから、行動を開始し始めたのでは、いくら四葉の工作部隊が優秀だとしても、明らかに間に合わない。
必然的に、董夜は達也に依頼される前から行動を開始していたことになる。
「(【
今日は学校を休んでいる男の顔を思い浮かべ。達也は背もたれに深く体を預けた。
雛子の苗字を忘れてたことに、ビックリした。