16話 キモチ
恩納基地から数キロ離れた場所では、司波深夜とそのガーディアンである桜井穂波が琉球舞踊を体験していた。
「ふ、ふぅ、かなり疲れるわね」
「そ、そうですね、大丈夫ですか奥様」
「ええ、楽しいから大丈夫よ」
普段運動しない深夜はもちろんのこと、普段鍛錬を欠かさない穂波まで息が上がってることから琉球舞踊はそれなりに体力を使うのだろう。
「それにしても向こうは大丈夫かしら?」
「深雪さんですか?それなら達也くんがいますから大丈夫ですよ」
「いえ、董夜さんの事よ」
「董夜くんですか?」
穂波が深夜の言葉に疑問を抱く理由、それは彼に対して心配する点が見当たらないからだ。
「ええ、まぁあの子は戦闘を楽しむ節があるから。まぁ相手が自分より弱いとすぐに飽きちゃうんだけどね」
因みにその頃、数キロ離れた基地では董夜が意気揚々と兵士たちとの訓練に参加し、その弱さに落胆していることを2人は知らない。
「それにしても何故奥様と真夜様はそこまで董夜くんを気にかけるのですか?」
四葉の本家内で真夜が董夜を溺愛し、董夜が家を出る際には物凄く心配していたことは使用人の間では有名な話である。
「そうね、彼が私と真夜の仲を治してくれたから、恩でも感じているのかしら」
深夜はどこか遠い目をして数年前の彼の言葉を思い出した。
それは真夜と深夜が初めて董夜に激昂し、完膚なきまでに言い負かされ【あの事件】後初めて2人一緒に笑った日である。
「さてそれじゃあ続き始めましょうか」
ちなみにそれは董夜がまだ小学一年生の頃の話である。
深雪side
お茶でも、といわれたが出されたのはコーヒーだった。こちらはお兄様と私。あちらは風間大尉と真田中尉、そして誕生日席に座る董夜さんの合計五人でのコーヒータイム。
この時間は、私にとって奇妙な感じがしていた。大尉さんが話しかけるのはお兄様と董夜さん。中尉さんが話しかけるのもお兄様と董夜さん。
私はお兄様の妹として、思い出したように相槌を求められるだけ。ここではお兄様が主役で、董夜さんは付き添い。私はその付属品だ。
「……見たところ司波君はCADを携行していないようですが、補助具は何を使っているんですか?」
司波、という名を呼ばれた時。それはお兄様を指していて、私は「司波君の妹」。家とは違って、お兄様が主役であることに私はこの上ない幸福感を覚えていた。
「特化型のCADを使っていますが、なかなかフィーリングに合う物が無くて……僕はCADを使った魔法の使い分けが苦手ですから」
「ほぅ、そうですか。あれだけサイオンの操作に慣れていれば、CADも難なく扱えそうだが」
話題はお兄様が先ほど訓練で使った無系統魔法から、CADへと移っていた。
「司波君、良かったら僕が開発したCADを試してみませんか?」
「真田中尉はCADをお作りになっているんですか?」
「僕の仕事はCADを含めた魔法装備全般の開発です。ストレージをカートリッジ化した特化型CADの試作品があるんですよ」
お兄様が目を輝かせている……気がする。普通の人と比べれば随分と控えめな表現だけど、お兄様がこれ程はっきり好奇心を示すのは珍しいのではないだろうか。少なくとも私はあまり記憶にない。
董夜さんは先ほどから質問されても軽く答えるだけで、今はお兄様と真田さんの会話を聞いている。
「試してみたいです」
お兄様が董夜さん以外にこれ程ハッキリ自分の願望を述べるところも、初めて見たのではないだろうか……そんな事を考えながら、私は「司波君の妹」としてお兄様と董夜さんと一緒に真田中尉さんに案内された。
案内された先は、基地の中とは思えない、綺麗で整頓された研究室だ。
軍の基地なんて汚れて散らかってるか、物が無くて殺風景な物だとばかり思っていた私はきっと、意外感を隠し切れてなかったのだろう。風間大尉と真田中尉が微笑ましげに私の事を見ていたのは、きっとそんな理由だと思う。
お兄様は感心したように、あるいは感動したように、部屋の中を見回している。
董夜さんも何か感心したような顔で部屋を見渡していた。
◇ ◇ ◇
初日から波乱含みだった沖縄のバカンスも、昨日は平穏を取り戻した。今日も今のところ無事に過ぎている。
私たちは沖縄到着四日目から漸く、南国の休日を満喫出来るようになったという訳だ。……ただ、その「私たち」にお兄様が含まれるかはどうかは疑問だった。
現時刻は午後一時。お昼寝代わりにただ今部屋で読書中。桜井さんが見つけてきてくれた珍しい紙の魔法書を、机に広げてボンヤリ眺めているところだ。
何故ボンヤリ眺めているのかというと、完全に理解など出来ないからだ。中学一年生の私が一度読むだけで理解出来るなんて考え方が自惚れだというものだ。
「あの人ならわかるのかしら」
何でもこなしてしまう私の従兄弟。
勉強もできて運動神経も良く、魔法も得意で社交性もある。
いつの間にか私は董夜さんの事をもっと知りたいと思うようになっていた。
「き、きちゃった」
そんなわけで、今私がいるのは董夜さんの部屋の前だ。
あれこれ考えているうちに、気付いたら部屋まできてしまった。
「よしっ!」
気合を入れて私はドアノブに手をかけた。何の気合かはわからないけれど。
「ん?深雪どしたの?」
中で董夜さんは椅子に座って机の上で何かを書いていた。
今時紙媒体なんて珍しいのに、あれは昔流行った手帳というものだろうか。
「あの………少しいいですか?」
「うん、いいよ。椅子一個しかないからベッドに座ってもらうけど、いい?」
「はい、大丈夫です」
こ、ここでいつも董夜さんが寝てるんだ………って私は何を考えているの!
「それでどうかした?」
何となくドキドキしてる私に董夜さんはいつもの調子で問いかけてきた。
何か明確な目的があってきたわけじゃない私は少ししどろもどろになってしまう。
「あの、董夜さんとあまり話したことがないから、少し話したくて」
後半になるにつれて声が小さくなっていく私に董夜さんは少し驚いた顔をした。
「たしかに、達也にはよく会ってたけど、深雪と会うのは春会ぐらいだったもんね」
四葉家では毎年、正月に叔母様が主催して分家の当主とその子供が招かれる会がある、それが【慶春会】である。
昨年は宗家である四葉家の叔母様と董夜さん。分家では司波家・椎葉家・真柴家・新発田家・黒羽家・武倉家・津久葉家・静家の当主と子供が集まった。
「それで、その、董夜さんに何か苦手なことはありますか?」
私から見た董夜さんはまさに【完全無欠】である。そんな董夜さんに何か弱点がないか探ってみることにした。
「んーそうだね、武術は本当に素人レベルから少ししか上達しなかったね、達也と魔法なしでやったら5秒立てたらいい方だよ」
「え!?そうなんですか!?」
あの董夜さんに素人レベルの何かがあるなんて意外だったし、それよりも自分の弱点をすんなり教えてくれた方に驚いた。
「そだよ、あと興味のないことに取り組むのは苦労するね」
「それは誰でもそうですよ、あはは」
「それもそうだね、ははは」
私はこの人と話す事を心の底から楽しいと感じている自分がいることにも驚いた。
それに年相応の顔で声で雰囲気で笑う董夜さんにも新鮮さを覚えた。
「董夜さんは小さい頃何をどんな事をしていたんですか?」
「んー、そだねー、【四葉真夜の息子】として色々とパーティーに出ることも多かったからね、魔法の訓練に礼儀作法の取得に勉強だね、ここまでは深雪と変わらないかな」
そこで一旦董夜さんは、言葉を切った。
董夜さんのいうとおり、私も魔法の訓練に礼儀作法の取得に勉強を小さい頃からよく叩き込まれたものだ。
「母様の仕事の手伝いをしたり後は……まぁ、四葉の裏の仕事をしたりしてたね」
「裏の仕事、ですか?」
少しだけ声のトーンを落として、けれど雰囲気は柔らかいままの董夜さんに私は少しだけ身構えた。
「深雪も知ってるかもしれないけど四葉家は他の十師族に比べて【いつでも自由に使える魔法師】が少ないんだ」
「はい、知っています」
その事はお兄様から聞いたことがあるがそこまで、それからの知識はあまりない。
「だけど国家に反逆したりしようとしたりする人や、日本の魔法技術を国外に流出させようとしてる人の始末を国や国防軍から依頼される量は四葉が一番なんだよ」
その情報は初耳だった、てっきり【万能】と名高い七草家が一番だと思っていた。
やはりこの人は四葉の中枢に深く関わっているのだろう。
「それは何故ですか?」
「反逆者を影で消すのが四葉は一番うまいからだよ、それでその仕事を俺もたまにやってるんだよ」
「そ、それはお兄様もですか?」
「うん勿論、だけど俺よりは少ないはずだよ」
ここで私は1つだけ疑問が湧いてきた。
なぜ四葉家内で【司波深夜の息子】ではなく【司波深雪のガーディアン】として、使用人として扱われるお兄様よりも【四葉家次期当主筆頭候補】の董夜さんの方が危険な仕事が多いのか。
「それは………お兄様は魔法の才能がないからですか?」
私の中で、お兄様が仕事ですらも差別されている嫌悪感と、お兄様の危険な仕事が減っている安堵感が渦巻いていた。
「うーーん、確かに俺の方が達也より魔法技能は高いけど、これに関してそれは関係ないかな」
「え………?」
「達也と俺では裏の仕事の得意分野が違うんだよ、達也の【分解】は証拠に限らず対象の遺体すらも消し去るけど、それじゃあ困る時があるんだ」
「………」
私はいつの間にか董夜さんの話に聞き入っていた。
お兄様や董夜さんは四葉の闇に深く関わっているのに私だけ知らないのは、何だか置いてかれているような気になっていたからだと思う。
「そこで出てくるのが俺。俺は対象を自然死に見せかけるのが得意だからね」
「なるほど」
確かに証拠が残った方がいい場合もあるのかもしれない、そんな時にお兄様がしたいすらも消し去ってしまったら困ってしまうのだろう。
私は自分でも驚く程、残酷な事を平然と考えていた。
「はい、暗い話はここでお終い何か他のこと話そう」
「はい…………董夜さんはお兄様のことをどう思っているんですか?」
「そうだねぇ………一番今の所俺の中で1番信頼してる人だよ、達也は深雪の事にしか激情を抱けないから、深雪が俺に敵対して来てきたら困っちゃうけどね」
いつも飄々としてる董夜さんが私の質問に真面目に答えてくれる、そのことが何だか嬉しくて私はどんどん質問する事にした。
「そ、それじゃあ、私は?」
何故か私は緊張して胸がドキドキしている、何故私はこんなに緊張しているのだろうか。それに、数日前から抱いている董夜さんに対するこの感情はなんなのだろうか。
「本人の前で言うのは緊張するな」
「正直にお願いします!」
董夜さんは少し困った顔をした後、私の真剣な顔を見て一つ息を吐くと話し始めた。
「昔から深雪とはこんな風に気軽に話したかったんだけどね、何故か深雪に避けられてて。だから今回深雪達の旅行に同行できると分かった時は嬉しかったなぁ」
「私と仲良くしたかったんですか、な、何故?」
私は今まで董夜さんは私に興味がないと思っていたからその言葉を聞いた時は驚いた、だけど理由がわからない、お兄様と友好的にするための手段としてだろうか。
もしそうだったら……………悲しい。
「そりゃあ、こんな綺麗な子と仲良くなれたら嬉しいよ」
「き、綺麗!?わ、わ、わあああ!」
私は照れ臭くて驚いて嬉しくて、部屋を出て行こうとしてベットから立ち上がった、けれど急いでいたからか足元がふらついてしまって倒れ込んでしまった。
「ッ………!」
頭に響くであろう衝撃を覚悟して目を瞑ったけれど、いつまで経っても痛みはなかった。
「いつつつ、大丈夫か深雪?」
目を開けると、董夜さんが私の下敷きになって衝撃を抑えてくれていた。
私の胸の鼓動はさらに早くなって顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。
そこへ………。
「大きな音がしたが大丈夫か!?」
「深雪さん?」
「深雪さん?どうかしましたか?」
私たちが倒れる音を聞いて驚いたのかお兄様とお母様と穂波さんが駆けつけてきた。
「「「………」」」
「いや、これは、ちが………ッ!」
「え?」
何故かお兄様とお母様と穂波さんは固まって、董夜さんの顔が青くなっていく。
そして私は今更自分と董夜さんの状況を確認した。
床で寝そべる董夜さんの丁度腰の部分にまたがっている私の姿を。
「邪魔したな」
「あらあらお取り込み中でしたか」
「董夜さん………お話があるから降りてきなさい」
上からお兄様、穂波さん、そして怖い顔で董夜さんを見るお母様。
「いや!これは違うんですよ深夜さん!」
「そ、そうです私が倒れ」
私が言い終わる前にお兄様達はもうリビングに降りてしまっていた。
私と董夜さんは固まったままだ。
「と、とりあえず深雪、降りてくれない?」
「ご、ごめんなさい!私のせいで!」
「いや、いいよ。それより首、少しすれて火傷してるよ」
「え、あっ」
そう言って董夜さんは私の首筋に手を伸ばして、首筋を優しく撫でる。
今の私たちの状態は、お互いに向かい合って正座をして。董夜さんは私の首筋を片手で撫でて、私は顔を赤くして目を瞑っている。
「何をしているのかしら董夜さん、降りてこいと言った筈y………。」
そこに又してもお母様が襲来。
もはや殺気すら漏れているお母様に、董夜さんはいつもの猫の皮すら剥がれ、白い顔で笑っている。
「きなさい」
「…………はい」
そう言って董夜さんはお母様の後に付いて行った。
「(ご、ごめんなさい!董夜さん!)」
心の中で謝りながら董夜さんの後ろを付いていく私だった。
深雪 side out
◇ ◇ ◇
その頃、四葉家本邸では
「ふーーー」
「お仕事ご苦労様で御座います、真夜様」
執務室で仕事を終わらせた真夜と、そんな真夜を労い紅茶を淹れる四葉家筆頭執事の葉山がいた。
「あーー、私も姉さんや董夜さんと一緒に海行きたかった………行っちゃおうかしら」
「董夜様がご旅行中の間、今までなさっていた仕事も真夜様がなさると董夜様から聞いております」
そういって真夜が今日一日で終わらせた仕事量と相違ない量の書類を机に置いた。
当然真夜は絶句している、
「そ、そんな………あ、あの子はぁぁぁぁあ!」
そんな、真夜の声を聞きながらおかわりの紅茶を用意する葉山だった。
◇ ◇ ◇
董夜side
何故だ………何故さっきまで深雪と楽しく会話をしていた筈なのに、今は深夜さんの怒りの眼差しを受けているんだ。
「それで?私の大事な深雪に手を出した理由を聞かせてもらえるかしら?」
今はリビングで俺と深雪が横に並んで座って、深夜さんが俺の正面に座っている。
達也と穂波さんは深夜さんの後ろで俺を見ながら笑いをこらえていた。
「(あ、あいつら………覚えてろ)」
「どうかしたのかしら?何かやましいことでもあるから黙りこくっているのかしら」
達也と穂波さんに怨念を飛ばしても、今はその前で怒りの眼差しを向けてくる深夜さんの誤解を解くのが先だ。
「いや、決して下心はなく!カクカクシカジカでして」
「ほんとでしょうね」
「わ、私も証言します!元を辿れば私が足元をふらつかせたのが原因です!」
その場は何とか深雪が助けてくれて誤解は解けた、だけど何故か深夜さんの俺を見る目が以前より冷たくなった気がする。
それよりも
「2人とも帰ったら仕事量増やすから」
「な、何故ですか!?」
「…………横暴だ」
達也と穂波さんに仕返しをした。
数日後に波乱な場面に巻き込まれることになるとは、この時は誰も思っていなかった。