統一暦一九二六年六月一五日、帝都ベルン。
 西方航空戦より帰還した私を待っていたのは、待望の後方勤務――――なのだが、同時にあの忌々しいプロパガンダ撮影が、今ふたたび牙を剥く。
 ……まぁ、それはともかく、私は副官と珈琲片手にお喋りに興じるのであった。つらいこともあるけれど、後方は楽しいです。ビバ・後方勤務。存在Xに災いあれ。

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※漫画版デグ閣下をイメージしながら読んでくれるとうれしいです。
※でもヴィーシャの脳内イメージはアニメ版でした。アニメ版ヴィーシャかわいいですよね。
※デグ閣下×ヴィーシャがやりたかったけど原作節を意識したら全然絡んでくれませんでした。


"光在れ"

統一暦一九二六年六月一五日 帝都ベルン

 

 みなさん、こんにちは。ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐です。現在、帝都郊外の参謀本部保養施設にて、待望の後方勤務中であります。

 突然ですが、私の二つ名である“白銀”とはそれなりに帝都では『通る』名前の部類、()()()です。

 自分事なのに伝聞形なのはおかしな話ですが、ええ、仕方のないことです。何せ、前線で初対面の将校を相手にすると確実に目を丸くされてしまいますから。私自身は、自分の知名度の恩恵をあずかることがほとんどないのです。銀翼突撃章の恩恵はたびたび受けていますけど。

 

 …………実感することがあったといえば、軍大学時代に子供たちの戯れに付き合ってやったことくらいだろうか。子供の冗談にも付き合えない偏屈な将校という風評を生みたくなかったので仕方がなく付き合ってやっていたが、あれのお蔭で自身の民衆における評判は上々だったと認識している。

 仮にも帝国軍の中佐であるのだが、この時代の情報伝達や軍の機密を考えれば仕方のないことかもしれない。仮にも幼女――実はもう一二歳なのでそろそろ少女と言わせてもらいたいところだが――である。軍も全面的に幼女中佐! などと銘打ってプロパガンダを打つわけにはいかないだろう。そんなものは前世のサブカルチャー作品の中だけでおなかいっぱいだ。

 それに、健全なる良識を備えた現代人にとっては自明だが、そんなことをすれば一気に国内の厭戦ムードに火がつくに決まっている。誰だって幼女を戦争に送り込んでいるという現実を直視すれば自分たちを突き動かしている狂気のリピドーを客観視できるはずだ。感情に突き動かされるのは文明人でも避けえぬ人間の構造上の欠陥だが、同時にその過ちを認め是正できるのは文明人を文明人たらしめる最低限の矜持なのだから。

 

 であればこそ、此度の仕事にも大変不本意ながら文明人の文明人たる所以を呼び覚ますためには微力を尽くすと断言しなくてはならない、とターニャは思う。

 というか、そうとでも思っていないとやってられない、というのが正解かもしれないが。

 

「ターニャちゃん、久しぶりですね~」

 

 …………なんだ、これは。

 なんなのだ、これは!

 確かに私は参謀本部の施設にて後方勤務を拝命した。定時で仕事をあがれるほど勤務時間には余裕がある。かといって空いた時間で勤務時間外労働であるプロパガンダ撮影をしろとは帝国軍とは分かりきったことではあるもののひどく理不尽なブラック企業体質であるとターニャは言わざるを得ない。これが後方勤務に付随する業務であると事前に告知がなければ中佐の権限をフルに利用してセレブリャコーフ中尉にでも押し付けていたところだ。彼女もターニャほど鮮烈な戦歴ではないが、それでも二〇三魔導大隊で各戦地を転戦してきた叩き上げの彼女は立派なエース魔導将校である。プロパガンダにはうってつけとまではいかずとも的確な人員であることに間違いはないだろう。華もあることだ。

 

「中佐殿、お似合いですよ!」

 

 ……その副官は、ターニャに服をあてがってくる女官に混じって普段のターニャには絶対向けないであろうにこやかな笑顔を浮かべているのだが。

 本当に、なんなのだ!

 そう考えて、ターニャはようやっと現実逃避を終え、目の前の状況を正しく認識しようとする覚悟を決める。

 

 そう、あれは後方勤務を始めて数日後のことだった。副官のセレブリャコーフ中尉を除いた二〇三魔導大隊に別れを告げたターニャは、彼女を連れ立って参謀本部でペーパーを提出したり、機密書類を扱うデスクワークに従事していた……のだが、ある日、セレブリャコーフ中尉から参謀本部付の通達を渡されたのだった。

 通達された作戦名はDLV作戦。『神がそれを望んでおられる(Deus_Lo_Vult)』とはなかなかにこちらの神経を逆撫でするコードネームだが……なんでも、柏つきの『白銀』持ち将校を使ったプロパガンダ映像を作成したいとのこと。

 どうやら、モスコーでふざけ半分で撮影した()()()()()()()()映画を見て、政治音痴の参謀本部も映像美を作戦に取り入れるという程度の芸術性を手に入れるに至ったようだった。

 

 まぁ、そこまではいい。しかしターニャにとって度し難かったのは、その方向性だ。前回の例があるからもしやと思いつつも淡い期待を抱いて軍服姿でやってくれば、待っていたのは前回同様着せ替え人形の辱め。これがバンドグループだったなら、即刻解散しているであろうほどの美的感性、芸術性の不一致。

 何故こうなったのか、とターニャは女官たちに現在進行形で辱められながらもうめき声をあげる。

 仮にも私は、大隊を率いる中佐なのだ。いや、もうすでに大隊を率いる立場からは実質退いていて名目上のみの役職だが、名目上はそうなのだからフルに使わせてもらいたい。立派に社会人の義務を果たしている、それこそ一般国民よりよほど経済を回している存在であるはずなのに、なぜ女児のごとき扱いを受けねばならないのか。世界は斯くばかりも度し難き不公平に満ち溢れている。嗚呼後方に退いても尚わが身を祟る存在Xに災いあれ。

 

「ターニャちゃん、やっぱり前にお仕着せしたときよりもおっきくなってますねぇ。」

 

 実際のところサイズの変化などほぼ実感できていないのだが、女官たちは私が大きくなったとしきりに言う。戦場にあって備品の購入回数が大隊内で群を抜いて少ない私に、だ。

 別段女性としての成長に何か思うところがあるわけではないが……と横目でセレブリャコーフ中尉を見て、彼女の口許に隠し切れない笑みが浮かんでいるのを見咎める。二次性徴の遅れについては個人的に含むところはない。ないが、それがどういった経緯であれ、自身の身体的特徴を論われて何も思うところがない者がいたとすれば、それはとんだ平和主義者か自虐嗜好の持ち主だろう。そのどちらでもない私としては、着せ替え人形にさせられながらもセレブリャコーフ中尉に非難の視線を向ける程度である。

 

「ほらー、ターニャちゃん。怖い顔をしてはいけませんよー? さぁさ、お着替えはもうすぐ終わりますからねー」

「わっ、あの、やめっ……!」

 

 しかし、そんな私の矜持も、すぐに無意味なものへと変貌してしまう。

 女官達の繰り出す衣服の波に呑まれた私は、『白銀』などという二つ名などこけおどしにもならないという事実を改めて痛感させられたのだった。

 

 

 

『ていこくのみなさま、こんにちは。だい203まどうだいたい、だいたいちょう、ターニャ・フォン・デグレチャフまどうちゅうさです。ほんじつはみなさまに、わたしやわたしのおともだちがかいたさくぶんをしょうかいしたいと――……』

 

 

 

「はあ゛あ゛ぁぁぁぁ………………」

 

 三時間――いや支度や後片付けの時間も含めれば五時間にも及ぶ時間外労働を終えた私は、撮影を行っていた一室を出てすぐのところにある控室に腰かけていた。嗚呼、懐かしきはこの軍服。体に寄り添うように衣服が存在してくれることがどれほど有難いことか。この感覚の庇護を得られるのであれば、私は何でもするだろう。軍服万歳。軍隊万歳。ああ、軍務を遂行することは私にとって無上の喜びですらある。あそこにいるくらいならば、最前線で硝煙にまみれていたほうがよっぽどマシだろう。

 

 そこまで考え、ターニャははたと我に返る。この私が、軍隊を賛美? 軍隊は確かに国家の暴力装置として必要悪ではある、が、私が軍隊に参加しているのは志願とはいえ、もとはと言えば存在Xの奸計によりそうせざるを得なかったからだ。まして前線などと。人的投資が一瞬にして無に帰りかねない最悪な市場に自分を置くことをよしとするなど、健全な近代人としてあり得べからざる暴言、愚の骨頂である。危ない、全く以て許し難い誤謬に陥るところだった。自分を殺す仕事はこれほどまでに精神の健康を脅かすものなのだろうか。

 

「中佐殿、コーヒーをお持ちしました」

「……ああ、ご苦労、セレブリャコーフ中尉」

 

 そんな現実の中にあっても精神の健康を保つ秘訣があるとするならば、それは美味い珈琲とそれを淹れられる優秀な副官の存在だろう。戦場にあって何度となく私の心を癒してくれた中尉の珈琲は、望まぬ軍務にささくれ立っていた私の心を癒してくれる。

 

「それにしても、すぐにお着替えなさったのですね」

「……どうした副官。何か言いたげだが?」

 

 どこか不満げな雰囲気すら漂わせているセレブリャコーフ中尉に、ターニャは寛容な上官らしく胸襟を開いて話すよう促す。途中一年弱ほど顔を合わせない期間はあったものの、セレブリャコーフ中尉とはライン戦線から数えてもう三年の付き合いになる。間違いなくターニャ・フォン・デグレチャフとしての人生の中ではもっとも緊密な信頼関係を築いている相手と言えるだろう。もっとも、その信頼は私的な方向ではなく、あくまでも公的な範疇ではあるが。

 ともあれこの私の時間をかくまでに費やした部下なのだ。事実、戦場における能力は副長そして私の後釜を任せているヴァイス大尉ほどではないにしても私が単独で動くときには直掩の部隊を任すこともできる程度の指揮能力は有しているし、何よりこうした事務仕事では私の呼吸をよく理解した動きをしてくれていると評価できる。ライン戦線では新兵未満のお子様だった彼女が、だ。まったく人間は成長する生き物というのはまさしく真理だ。適切な教育を施し適切な成長を遂げた人的資源を評価するのは、喜ばしい作業でもある。何より自分の身内に無能がいないという点が何より素晴らしい。

 ついでに、戦後に復員して出世してくれれば、私が将来出すであろうビジネス本の説得力も高まろうというものだ。もっとも、ライン戦線以来の激しい戦争ですっかりウォーモンガーと化してしまった彼女がその力を平和利用できるかどうかは怪しいところだが。

 そう考えると、一応戦後を見据えた教育も部隊員には施しておくべきだろうか。それで彼らの戦争狂を正せると思うほど私は自分の教育能力を過信してはいないが、厳しいとはいえまだまだ戦勝する芽は残されている。私の時間という資源を投資するにはまずまずの事業といったところだろうか。

 と、思考がわき道にそれすぎた。今は中尉の話に耳を傾けよう、とターニャは殊勝な上司の表情を作って次なるヴィーシャの言葉を待つ。

 

「せっかく可愛らしい装いでしたのに、すぐに着替えてしまわれるのは少々勿体なかったのではないかな、と思いまして……」

「は、私がか? 柄ではないと貴官なら認識していると思っていたのだがな」

「そんなことはありません!!」

 

 鼻白んでの発言は、すぐさまセレブリャコーフ中尉によって反駁される。相手を沈黙させる為に言い放った言葉にすぐさま言い返されたターニャは、思わず一瞬面喰ってしまった。

 そしてその間隙に、ヴィーシャはすぐさま畳みかけるように続けてくる。

 

「中佐殿はとても可愛らしいです。肌も白く美しいですし、撮影の時などとても軍人とは――――あ、いえ! なんでもありません!」

「……いい、セレブリャコーフ中尉。その点は私も自覚していたところではある」

 

 軍人とは――思えない。そう続く言葉を失言と理解し口を噤んだヴィーシャに、ターニャは疲れたように手を振ってこたえた。自分でも思っていたことなのだ。他者から指摘されても内心不快に思うことこそあれど怒りをぶつけるほどターニャは直情的ではない。

 むしろ、自覚して途中で口を噤もうとするだけ自分に対しての配慮を感じる、とターニャは心の閻魔帳にヴィーシャの配慮を記録しておく。もちろん、それはそれとして不快に思ったという事実も記録されているのだが。

 

「すでに勤務時間外だ。我々は互いに軍務から離れた私人同士。多少の失言には目を瞑るよ」

 

 これが前線であれば、軍規は絶対だ。上官への暴言など絶対に許し難い行為ではある。しかし、これから私が勤務するのは安全な後方。前線には前線のルールがあるように、後方には後方のルールがある。そんな中私が前線の心構えを捨てずに構えていては、このまじめな副官も同じように倣ってしまうことだろう。

 セレブリャコーフ中尉が私とだけ交流するのであればそれでもかまわないが、彼女にはたびたび外部との連絡を頼んだりもするのだ。そんなとき前線流の軍規で動かれては、私の評判にもかかわる。今のうちに、彼女にも後方の流儀というものを肌で感じさせる必要があるだろう。

 ……その一環が、私の身体についての話というのは、少々、いや相当複雑な思いがあるのも間違いはないのだが。

 

「はっ、寛大なご配慮に言葉もありません。では――失礼ながら、その、中佐殿は……年頃の少女としての自覚が少々欠けるのではないか……、と小官は愚考する次第です」

「……ほう?」

 

 この戦闘狂から年頃の少女としての自覚、という言葉が飛び出してくるとは思わず、つい意外そうな声を上げてしまった。

 

「あっ、その……中佐殿が幼少のころから軍隊に所属していたことは存じております。そして、その生活の大半が軍隊であったことも。ですが、そうした趣味を一切お持ちになっていらっしゃらないように見受けられ……」

「具体的には、どういった点だね?」

 

 帝国軍人としてこの上なく模範的である自負はあったが、確かになるほど、言われてみれば私は帝国での出世を第一として考えてきた。無論少女趣味に走るなど前世で一般的男性近代人として生きてきた私にとってはまずあり得ない選択肢だが、かといって今の私が幼女であるというのは客観的事実である。なるほど前世のままの嗜好を隠さずに開陳していれば、周囲から見れば異常に映るのも道理ではあるだろう。

 こんな簡単なことに今まで思い至っていなかったとは、いやはや私もまだまだ未熟。もちろん私の内面は私だけのものであるがゆえ、他者からの要請があろうとなかろうとそれを捻じ曲げるあり方を許容するという選択肢は一ミリたりとも存在していないにしても、他者からどう見られるかを理解し配慮するのは対外的な摩擦を減らす上でも重要な努力だろう。

 まして、私はこれから後方に勤務するのだ。直接的な武力が二の次になる後方では人間関係が重要になってくる。そうした部分への配慮は、確かに今後の私にとっては必要な進化なのかもしれない。そう考えると、セレブリャコーフ中尉の具申は実に配慮に値する金言であったと言えるだろう。性別を同じくするセレブリャコーフ中尉だからこその提言だったともいえるかもしれない。

 有能な部下を持てた幸運とそれを采配した作戦本部への感謝の念を胸に抱きながら、ターニャは満足げな面持ちで頷く。

 

「具体的には……そう、ですね。やはり被服の類ではないかと。小官は中佐が軍服以外の服を着ている姿をほとんど見たことがありません」

「だろうな、私は軍服以外の服の持ち合わせがない」

 

 これもまた帝国の不徳の産物だろう。何せ軍学校を卒業してからほぼずっと前線勤務である。軍大学時代は後方勤務のようなものだったが、大学も言ってみれば給料をもらいながら通う軍務の一環。であれば勤務に軍服以外の服を着るわけにもいかず、休日も軍大学の図書館に足を運ぶことが多かったため、結果的に軍服以外の服を着る必要性がなくなっていたのだ。

 ゆえに、軍服以外の服の持ち合わせは一切存在していない。もっともこの時代、それも戦時中の、まして幼女の被服事情などたかが知れているだろう。プロパガンダ撮影だからこそ華美な服装だったが、それ以外の一般用の被服などどれも昔孤児院で着ていたような粗末な布と似たり寄ったりに違いない。

 

「ま、まさか……本当に軍服以外の服を!? 大隊の噂は本当だったのですね……」

「む? セレブリャコーフ中尉。大隊の噂とはなんだ」

「あっ! ……い、いえ。その……」

「中尉。二度は言わさないでほしかったがな。我々は今、勤務時間外なのだ。私人として胸襟を開いて話してほしい」

「あぅ……そのぅ……」

 

 言いづらそうにしているヴィーシャの内心は、間違いなく『口が滑った』、だろう。ターニャは寛容にふるまっているものの、ヴィーシャは先ほどからターニャの口許が時折不自然にひくついているのを知っている。そして、上官との長い付き合いの中で、ヴィーシャはそれをターニャが不機嫌になる前触れであることを理解していた。

 ここから先は、言葉一つとっても致命的である。それが、この上官の副官として数々の戦場を生き抜いてきたヴィーシャの知恵でもあった。

 ともあれ、ここであえて言葉を濁すのはそれこそこの上官の目の前で抗命を仕出かすのに匹敵する愚。ヴィーシャは覚悟を決め、少しでもターニャの逆鱗に触れないであろう言葉選びを意識しつつ語り始める。

 

「中佐殿は、自身の容貌を嫌悪していらっしゃる、ということです」

「……は?」

 

 なればこそ、ターニャにとってその指摘は寝耳に水だった。

 いや、あながち的外れというわけではない。そもそもこの身体は存在Xによる理不尽な転生の産物。特に幼き身体と精神と乖離した性別は直視するたびに屈辱を覚える事実であり、それを直視させられるような出来事は全て嫌悪する対象ではある。

 しかしながら、大隊中に流れる噂になるようなほどのものではない、とも考えていた。特に前線での活動が多い二〇三魔導大隊において、ターニャが自身の容貌を嫌悪するような事態は早々なかったはずだ。精々、そう思えるのは目の前にいる自身の副官くらい、だろうか。

 

 怪訝そうな表情を浮かべていると、セレブリャコーフ中尉はさらに続ける。

 

「戦場にあって、中佐殿は自身の容姿を軍事的に『利用』することはあっても、単純に容姿の端麗さを評価されることは嫌っている……ように、小官には見受けられます」

「…………ふむ。確かに……ない、とは言えんな」

「その。どうして、自身の容貌をお嫌いになるのですか? 中佐殿は幼いながらも美しい容貌をしていらっしゃると思いますし……その、威厳についても、我々部隊員からしてみれば十二分すぎるほどの水準を誇っているかと……」

 

 おずおずと申し出るセレブリャコーフ中尉の言葉は、私にとっては好ましい評価。自身の容姿が部隊員からマイナスの評価になっていないというのは喜ばしい事実だろう。もっとも、そうはならないように理想的な上司としてふるまってきたのだから当然といえば当然ではあるのだが、私と部隊のパイプ役をも担っているセレブリャコーフ中尉からの言葉は、私の自己判断よりも強力な保証として機能してくれるだろう。

 満足げに頷きながら、ターニャは考える。どう答えたものか、と。自身の容姿を嫌っているのは、当然ながらこの容姿が存在Xによって押し付けられた災厄の象徴でもあるからだ。一〇年も付き合っている身体だが、いまだにこの身体の小ささを実感するケースにおいて不愉快でないのは航空戦で回避起動をとっている瞬間しかないというのはふざけた話だろう。まして、先ほどは特大の不愉快を感じさせられているのだから。

 しかし、何の事情も知らないヴィーシャにそれを伝えたところで、意味が正しく伝達されることはないだろう。むしろ、中途半端に意味の分からない説明は彼女の心に疑念を残すはずだ。大隊とのパイプ役でもあるセレブリャコーフ中尉に疑念を持たせることは、大隊への伝播すらも懸念しなくてはならない事態に繋がりかねない。

 ……そうだな、こう誤魔化すか。

 

「――――そこは問題ではないのだ、中尉」

 

 

 

「…………問題、では……ない、でありますか……?」

 

 何か憂いているような表情を浮かべた自身の上官を見て、ヴィーシャは思わずその意味を測り兼ねていた。もう長い付き合いだ。細かい感情の機微は読めずとも、大体の反応は予測がつく。こういった話になれば、デグレチャフ中佐であれば多少不機嫌になるか、と覚悟しての発言だったが……この反応は、予測の範疇外だった。

 私人として、と繰り返し言っていたデグレチャフ中佐の発言が、ヴィーシャの脳裏をよぎる。

 私人として。つまり……今のデグレチャフ中佐は、帝国魔導将校ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐ではなく――もっとも、完全にではないだろうが――私人としてのターニャ・フォン・デグレチャフとして話している、ということなのではあるまいか。

 忘れがちだが――――本当に忘れがちだが、今目の前にいる彼女は、今年一二歳になった幼子でもあるのだ。

 

「そうだ。これは、義務の問題なのだ」

 

 ターニャは、真剣にヴィーシャの瞳を見据えてつづけた。

 

「私は幼子である前に、帝国軍人だ。帝国軍人は帝国のための矛であらねばならない。そして、帝国のための矛は精強であらねばならない。分かるかねセレブリャコーフ中尉。帝国軍人であれば、精強であるのは最早義務に等しいのだよ」

「それは……」

 

 ある種の道理だ、とヴィーシャも思う。もちろんのこと、ヴィーシャにだってその意識はある。帝国軍人たるもの、帝国に詰め寄り軍服を身に纏った以上無能であってはいけない。無能は、祖国のためにも間引かれなければならない。だから、帝国軍人は帝国軍人である以上有能であることが求められる。ライン戦線でこの上官の小隊でしごかれていた頃から、ヴィーシャにとってそれは一種の哲学であり、真理であり、命題であった。

 だが……だからといって、年頃の乙女としての『ヴィクトーリア・イヴァーノフ・セレブリャコーフ』が死んだわけではない。カード遊びだってするし、部隊の男連中のデリカシーのない行いに憤慨することだってある。プライベートだってもちろんある。

 しかし、この上官にとっては…………そうしたことすら、弱さだと……不純物だと認定されてしまうのだろうか?

 

「で、ですが中佐殿! それでは…………それでは、あまりにも報われないではありませんか。それでは中佐殿の、デグレチャフ中佐殿の幸せはどこにあるのでしょうか」

 

 気付けば、ヴィーシャはにわかに声を荒げてしまっていた。ああ、なんたる侮辱だろう。すべてを軍務にささげると言っているこの正真正銘の聖女に対して、我欲を説こうとは、それこそ中佐殿の愛国心に対する最大の冒涜。抗命にも等しい大罪だろう。

 それでも、ヴィーシャは言わずにはいられなかった。ライン戦線以来、ずっと自分の前を飛び、敵を屠り、その手で戦場という暗闇の荒野に輝かしい光を灯し、道を切り拓き続けてくれた偉大な上官の背中に――――初めて、年相応の小ささを見出してしまったから。

 てっきり、激しくお叱りを受けると覚悟をしての発言だったが……意外にも、中佐殿は嫌な顔一つせず、むしろ鷹揚な笑みすら浮かべて切り返してきた。

 

「分からんかね、中尉」

 

 そして、冷めてしまった珈琲を飲み干した中佐殿は、ぽかんとした私の肩を叩き、横を通り過ぎながらこう言い残されたのだ。

 

()()()()()()()()()。まぁ、精々その幸せとやらを探すためにも、今後とも尽力してくれたまえよ、セレブリャコーフ中尉」

 

 その時、ヴィーシャは思った。やはり――――このお方は、戦場の光そのものだ、と。

 

 …………ああ、中佐。貴方というお方は。

 それでもなお、()()()()()を欲するのですね。

 

 

 

 ――いや、我ながら軍人としての威厳を保ちつつ、本音を開陳することができた素晴らしい説明だったと自画自賛したい、とターニャは思う。

 あの後、セレブリャコーフ中尉と別れ、参謀本部より提供された後方勤務中に使う自室へと戻ったターニャは、満足そうにうなずきながら、にこやかな笑みを浮かべていた。

 私が存在Xより与えられたこの姿を嫌悪しているのは紛れもない事実。その理由を、すべて軍務によるものに回帰させたのだ。軍人は強くあらねばならない、だから強そうでないこの身に忸怩たる思いを抱いている。こう説明すればなんとまぁ、いかにも義務に実直な軍人らしいだろう。実際問題魔導将校など魔力適正がすべてなのだから肉体面の屈強さなど無意味もいいところなのだが、それはそれだ。義務の問題なのだから、実利性は問題ではない。ああなんと素晴らしき官僚的回答か。我が弁舌の滑らかさに我ながら驚嘆せざるを得ない。

 さらに遠まわしに此処――即ちプロパガンダ撮影に対する遺憾の意まで表明することができた。協力しろよと言っておいたので、あの真面目な副官なら、次に――あるなら、だが――こうした仕事が来た時には、率先して弾除けになってくれることを期待しよう。

 あれでセレブリャコーフ中尉もなかなか見目はいい方なのだから、広告塔としては及第点だろう。というか、幼女を広告塔に利用するなど男女共同参画社会を実現している帝国ならざる失態である。ここは男女平等に見目のいい男性将校を広告塔に起用することで女性の志願兵を募る努力もするべきではないだろうか? 今後暇になったら上層部に具申しておくことにしよう。

 まったく、いつの世も結局は人気商売に帰結してしまうのは悲しいかな、民主主義の真理というやつだろうか。とはいえ民主主義を否定すれば後に残るのは全体主義か独裁政権の悪夢。善良なる近代人としては絶対に回避しなければならない社会だ。ちょび髭とか、そのへんの連中の台頭など想像しただけでも悪夢。ファシストの手法は利用しなくもないが、その理念については全否定しなければ私の未来が危ない。特に帝国とか、ちょっと全体の雰囲気的に洒落になっていない。

 まぁ、今のところ軍の中枢はゼートゥーア・ルーデルドルフ両閣下が実権を握っている。第一次世界大戦時くらいのドイツに似た政治体制をしているのだから、この世界において帝国にナチが台頭する可能性はあるまい。少なくとも、この戦争中は。

 

 …………この戦争中、か。

 自室の窓から、夜の暗闇を見つめ、ターニャはため息を吐く。

 もはや、帝国の勝ち目は大分厳しくなっている。よしんば勝てたとしても、その後の経済には大きな影が落とされることになるだろう。そうなれば、その先の政情は不安定になるに決まっている。……例のちょび髭級かどうかは分からないにしても、似たようなものが湧いて出てくる可能性は否定できない。

 せっかく戦争を終わらせることができたとしても、そうなっては遅いのだ。

 

「……………………闇を乗り切るためには、照らす為の光が必要になる、か」

 

 だが、光源が欲しいと言っても松明の質くらいは選ばなくてはならない。下手なものを掴んで持った手が火に焼かれてしまっては、何の意味もないのだから。

 であれば、現れてくれる光は、せめて少しはまともな輝きを灯してくれればいい。期待はしていないが――もしもそれが破滅をもたらす狂気の光であれば、ターニャはそれを間引かねばなるまい。ほかならぬ、自分自身の未来のためにも。

 

 

 なお、翌日知ったのだが、何やらプロパガンダ映像についてはお蔵入りとなることが決まったらしい。何でも、セレブリャコーフ中尉からの申し出があったとかなかったとかで、その具申が的を射たものだったので受理されたとか。

 …………当の私の頭越しに、しかも副官の具申をもとに決定がなされるとはどういうことか、と担当官に詰め寄ったりもしたのだが、どうもセレブリャコーフ中尉からの申し出のほかに参謀本部との連絡ミスも重なっていたとかなんとか。……よくは分からなかったが、あの屈辱的な映像が世に流れないと考えると、なかなか悪くない展開かもしれない。どうせなら、あと一日早く決定してほしいものだったが。

 それに、満更悪いことばかりでもない。セレブリャコーフ中尉からの具申があったということは、あのあと上層部に対して独自にそれとなく意見具申をしたのだろう。ダメで元々、といったところか。私の意を汲んで、問題にならない程度に足並みをそろえてくれるのは優秀な副官である証拠だ。

 

 今度、褒美として何か奢ってやるのもいいかもしれないな。……まぁ、彼女は煙草も酒もやらないから、何を選べばいいのかについては、少々のヒアリングを必要とするかもしれないが。




※ちなみに、プロパガンダ映像が処分されなかった場合。

民衆「うおおおお! あんな幼気な少女が懸命に戦っているんだ! 我々も立ち上がるぞ! 銃をとるぞ!」
ゼー閣下「なんか知らんけど本国の戦意発揚しまくって上から圧力すげぇ! 正面突破作戦しか建てられん! デグちゃんサラマンダー戦闘団作ってやったから東部で正面突破して! ドアノッカー作戦? ボツ!!!!」
デグ閣下「どうして!? どうしてこうなった!?!?!?」

→という感じで四巻第陸章(難易度:ルナティック)勃発。こうならなかったのはひとえに全知全能たる我らがスパゲッティモンスター様の御加護があってのことですね。ラーメン。


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