皇国の艦娘   作:suhi

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艦娘部隊 三

●艦娘部隊 三

 単縦陣を組んだ3隻の駆逐艦は、闇に紛れるようにして敵艦隊に接近していた。

「敵艦は速度を落としているようデス」

 後ろに控えた金剛が状況を説明する。

「こちらにはまだ気付いてないか?」

「ハイ、恐らくは。前衛で戦闘が開始されたのを確認し、警戒はしていると思いマスが」

 金剛の言葉に、新城は平静を装って頷いてみせた。

 実際のところは、如何しようもないほどに緊張している。

 戦闘が初めてという訳では勿論ない。

 実際に弥生を指揮しての戦いは経験している。

 演習だけでなく深海棲艦との実戦も幾度かはあるのだ。

 それでも……いつも、こうだ。

 自分の小心さに皮肉な笑みが零れそうになる。

「同航戦に持ち込みマスか?」

「いや、前を押さえる形でT字有利に持っていくのを狙おう」

 そう言ってから新城は、いつでも応えられるようにと傍らに立つ弥生に呼びかけた。

「ヲ級の頭を押さえる。砲撃のタイミングは任せる。敵に気付かれるまでは通信は無し」

「……了、解」

 返事をしながら、弥生は船体の舵を切った。

 駆逐艦は徐々に右へと向きを変えながら加速してゆく。

 その後ろに続く長月と卯月も、同じように舵を切っているようだ。

 深海棲艦たちとの距離が近付いていく。

 2隻のヲ級に反応は無い。

 気付いていないのか、それともある程度まで引き付けてから何らかの動きをするつもりなのか。

「後方のリ級は如何なってるか分かるか?」

「……確認……難しい、です」

「ワタシの方でも確認できまセン。悪い方に推測しておいた方が良いデショウ」

 弥生に続けるように金剛が発言した。

「……今回はやけに饒舌だな?」

 片眉だけを動かしてから新城が尋ねる。

「何かあれば進言するように、と。命ぜられておりマスので」

 成程、と新城は頷いてみせた。

「確かに言った。これからも宜しく頼む」

「承(うけたまわ)りました」

 そう言って彼女は敬礼してみせた。

 全く見事なものだった。

 自分に向けられたものでなければ、つまりは傍観者の立場であれば、口笛の一つも吹きたくなったかも知れない。

 ありきたりの表現になるが、美人が格好をつけると様になるという事だ。

 それと同時に新城は、自分がそういう視点を度々失うのは青少年期の刷り込み故なのだろう……と、妙な感心を抱いた。

 もちろん自分が艦娘全般に対し、意識してそういった視点を持たないようにしているというのも理由の一つである事に間違いは無い。

 何はともあれ有能な助言者を得られたというのであれば、それは即座に活用されるべきだ。

「それで、具体的には?」

 新城は促すように金剛へと問い掛けた。

 自分自身、悪い方への予測というのは苦手ではないが、それだけに思考の硬直が無いとも言い切れない。

「空母が速力を落としているのであれば、リ級が加速した場合、回り込まれるか突入される可能性があるのでは、と」

 新城の様子を窺うようにして金剛は発言した。

「対処法は?」

「私には、思い付きマセン」

 問い掛けに即答が返ってくる。

「くる可能性がある、と考えて出来るだけ早くヲ級の撃破を狙うか……」

「危険を冒してヲ級に近付く、か?」

「デスね。ですがその場合は、離脱が困難かと」

 金剛の言葉に、新城は再び頷いてみせた。

 ヲ級に近付く事さえできれば、味方を誤射するのを恐れてリ級は砲撃に慎重になるはずだ。

 とはいえ撃破や轟沈が確実と判断すれば、諦めて攻撃してくることだろう。

「あと、1分……程で、攻撃、開始します」

 正面を向いたままの姿勢で弥生が告げる。

 返事をしようとした時、艦の前方で水柱があがった。

 砲音も響く。

 当然、味方の砲撃ではない。

「無線封鎖を解除、一斉射撃を行う」

「了解……無線封鎖、解除」

「無線封鎖解除、了解!」

「了解ぴょん!」

 弥生の言葉に続くように、長月と卯月の言葉が通信機から響いた。

「目標はこちら側、敵複縦陣右側のヲ級」

「……速度……落とします、か?」

「落とせば回り込めない可能性がある。可能なら加速。ただ、砲の精度を上げる為に出来るだけ距離は縮めたい。できるか?」

「了、解」

 機関が更に音を荒げる。

「更に距離を詰める。一斉射撃後は各艦の判断で砲撃戦を継続。十分に近付いたと判断すれば雷撃戦に移行して構わない。前の艦を見失わない事だけは注意しろ」

「長月より、了解」

「卯月より、任せるぴょん!」

 卯月の言葉の後に、申し訳ありません隊長という准尉の謝罪の言葉が入った。

 それが、新城の顔に苦笑いのような何かを浮かび上がらせる。

 

 ふと、場違いな疑問が沸いた。

 そういえば弥生は、いつも戦闘時に艦橋にいる。

 艦娘達の中には戦闘時、艦橋の外へと移動して戦闘を行う者達も多い。

 艦橋にいれば周囲の状況を確認し易いが、艤装に備わった武器を使用するのが難しくなる為だ。

 密閉型ならば絶対に使用不可能だし、密閉型で無かったとしても屋根があるだけで角度を付けた砲撃が不可能になる訳だから、実質不可能といっても過言ではないだろう。

 大掛かりな改装等も可能とはいえ艦橋内と外を比べれば、動き易さは格段に違う筈だ。

 船体と感覚を共有していれば船体内にいる者の言葉を確認する事は可能だし、無線を使えば相手に自分の言葉を伝える事の方も可能である。

 無論、意思の伝達というのは言葉以外を介して行われる事もある以上、言葉さえ伝え合えれば問題ないという事にはならない。

 表情や言い方だけでなく、僅かな間や声色が何かを表現する事もあるのだ。

 とはいえ戦闘時の伝達にそんなものを混ぜ込めば、無能どころではない評価を叩きつけられる事だろう。

 だからこそ軍隊の命令は多くの場合、単純明快を良しとされるのである。

 そうではない場合というのは、責任の所在を曖昧にしようとする時くらいだろう。

 それでも……自分の言葉以外からも何かを察そうとして、弥生は艦橋にいるのだろうか?

 他の者に関してであれば一笑に付すかもしれないその考えを、新城は暫し頭の中で持て余した。

 

 弥生の口許が動き、小さな言葉が漏れるように発される。

 彼が物思いに耽った時間は、実際には数秒と無かったのだろう。

 逡巡なく新城は号令を発した。

 つまりはそれが、結論の一つではあるのだ。

「撃てっ!」

 同時と思えるほどの早さで、激しい砲音が響き渡る。

 ヲ級の周囲に水柱が上がった。

 火災などが発生した訳ではないので正確なところは分からないが、命中弾もあったようだ。

 確実に前を押さえられそうという事なのか、弥生は左に舵を切り始めていた。

 先ほどとは違う砲声が響き、近くで爆発するような水音が響く。

 衝撃そのものが伝わってくるような感覚もある。

 実際にそうなのか、それとも自分の恐怖心が存在しない何かを感じさせているのか?

 今の新城にそれを判断する術は無い。

 そもそも、そんな事を考える事に意味はないのだ。

 少なくとも、この場においては。

「……一番砲塔、再装填完了……他の砲塔も再装填完了次第、砲撃続けます」

 弥生の報告直後、再び轟音が響いた。

 一斉ではなく今度はバラバラである。

 同時の方が精度が上がると言われているが、夜戦では着弾位置の確認も難しい以上、各自の判断に任せようと新城は割り切っていた。

 大事なのは優先すべきは何か、という事である。

 敵艦を沈めるとなれば駆逐艦にとって最も頼りになる武装は魚雷だった。

 ならば優先するのは如何にして敵空母に近付くかという事である。

 とにかく距離を詰める事と、敵の砲撃に対しての回避運動を優先するように新城は指示を出していた。

 砲撃に関しては、気を配れれば……程度で考えている。

 この場合の砲撃というのは極論、牽制にさえなれば良いのだ。

 勿論当たればそれにこした事ことは無いが、相手が撃たれたと判断して移動に気を配り砲撃に専念できなければ、それで十分なのである。

 弥生は艦娘として受けた調練や実戦経験の結果として高い練度を持ち、戦闘中であってもある程度は冷静に状況を観察できるのだろうが……だからといって全ての事に気を配るのは不可能だ。

 一度に多数の事に気を配った結果、全てが中途半端になってしまう可能性もある。

 それが嫌なら何かを切り捨てねばならない。

 優先すべきものを選べない者の多くは敗北する運命にあるのだ。

 ヲ級との距離は少し前と比べると、余程に近付いていた。

 無論今現在も近付きつつある。

「リ級の位置は分かるか?」

 弥生の邪魔をしないようにと注意しながら、新城は金剛に尋ねた。

「速度を上げ、外側を大回りしてきていマスね。此方の頭と後方から挟み討ちを狙うような感じデス」

 外を指差しながら金剛が説明する。

 説明を受けながら、新城は頭の中で相対的な位置を想像してみた。

 弥生は幅を開け並んで航行していた2隻のヲ級の間に飛び込もうとしている。

 砲撃を浴びせているのは一方のみで、そちらに距離を詰め雷撃を狙うようだ。

 どのタイミングで魚雷を発射するかは、完全に弥生任せにしてあった。

 恐らく自分には、そのタイミングは分からない。

 というかほぼ確実に、接近する恐怖に負けて充分接近する前に魚雷を発射して外してしまうだろう。

 そのような特殊な勇気を持ち合わせていないという点において、彼は自身の臆病さを確信していた。

 今この瞬間も、気を抜けばみっともない姿を晒してしまう事になるだろう。

 もちろん指揮官として、そのような無様を晒す訳には行かない。

 船体が瞬間、激しく揺れた。

 よろめいた新城は金属製の壁に叩き付けられた。

 咄嗟に頭は庇ったので負傷はしていない。

 ただ、背中を強く打ったために一時的に息が止まり、咳き込む羽目になった。

「艦、ちょ……」

「無事だ、それより被害状況!」

「至近、弾。船体に大きな被害……なし」

「ならば急げ。今は気にしている暇はない」

 動こうとした弥生を言葉で制する。

 無理にしゃべった為、そこでまた咳き込む。

「弥生、隊長は私が見てマス。心配しないで?」

 

「……お願い、します」

 金剛の言葉にそれだけ言って、弥生は再び前を向いた。

 敵の重巡が近付いてきているが、まだ距離はある。

「……ここ、なら」

 砲撃を行いながら距離を詰めると、弥生は魚雷を発射した。

 両大腿部に備え付けられた艤装の魚雷発射装置が稼働し、発射態勢を取る。

 それにリンクするように、船体に備え付けられた二基の魚雷発射管が側面を向いた。

 実際に雷撃を行うのは船体だけである。

 魚雷発射管から放り出されるように放たれた3本の魚雷が、海中に飛び込みヲ級へと向かっていく。

 後方を素早く確認すると、長月からも魚雷が発射されるのが見えた。

 目を凝らす。

 発射して海中に飛び込んだ位置を知っているからこそ、何とか判別できるのだろう。

 かろうじて見える白い軌跡が、敵艦へと向かっていく。

 もっともそれは、ある程度まで進んだところで確認できなくなった。

 酸素魚雷でなくとも、夜に海面を進む魚雷の航跡はよほど近付かなければ普通は発見できない。

 船というものが即座に向きを変え動けない以上、進路を読まれてしまうと避けるのは難しい。

 だからこそ、狙わせない事が第一なのである。

 砲撃を受け始めてからは、ヲ級も速度を変化させたり細かく転舵を繰り返したりといった形で、こちらが狙いを定め難いように動いているように見えた。

 それでも、距離を詰めれば完全に回避するというのは極めて難しくなる。

 普通は近付けば敵からの反撃も覚悟しなければならないが、航空母艦というものは通常、夜戦に対応した武装は搭載していないのだ。

 雷撃を終え、砲撃を続けながら弥生は更に取り舵を切った。

 暫くして……ヲ級のこちら側の船舷、船縁の喫水下、水面より下で爆発が起こり、大きな……甲板を遥かに超えるような水柱が上がる。

 水という存在によって拡散する事を妨害された破壊の力が、抵抗の少ない方向に向かって一気に排出されるのだ。

 昇った水柱の数は、3つ。

 急にヲ級の動きが遅くなった。

 減速したのではなく、機関が止まっている。

 そのまま暫く惰性で前へと進んだ後……航空母艦は動きを止めた。

 完全には止まっておらず、惰性でゆっくりとは前進している。

 その時には既にもう、前のめりに傾き始めていた。

「……轟沈、か」

 主が呟きはしたものの、それを確認する余裕は無かった。

 そのまま速度を上げる。

 生み出された水柱が、周囲の海面を揺らした。

 1隻は沈めた。だが……これで武器は無くなってしまったようなものだ。

 12cmの主砲では、誘爆でも狙わない限り重巡洋艦も航空母艦も、沈める事は出来ない。

 

「弥生? 魚雷の再装填は不可能か?」

「現在の航行、状態……を、維持しながら、では……」

 戦闘が終われば、妖精たちの手を借りて別の魚雷を発射管に装填する事は可能だが、現時点でそれは難しかった。

 となると撤退しかないが、隊長権限で許される時間には未だ少しばかり余裕がある。

 状況的にはどうみても余裕など無いのに、だ。

 弥生が速度を変化させこまめに転舵を繰り返しているからこそ命中弾は受けていないが、それもそろそろ怪しいかもしれない。

 さっきよりも近ければ、至近弾でも船体の一部が歪む可能性もあるだろう。

「長月と卯月の方は如何なっている?」

 念の為にと新城は質問した。

「長月、使用可能武装は12cm単装砲のみ」

「卯月、12cm単装砲と三連装魚雷、どちらも使用可能だぴょん!」

「……使用してなかったのか?」

「申し訳ありません、隊長」

 艦長の声が、卯月の報告に続くようにして無線から響いてきた。

「回避運動を行いながら航行した際、長月との距離が開きました。魚雷発射地点に到着する前にヲ級への魚雷命中と目標の減速・停止を確認した為、発射は行いませんでした」

「いや、発射のタイミングは各艦に任せてある。問題は無い」

 とはいえ、こうなると撤退という訳には行かなかった。

「如何なさいマスか?」

「……無事な駆逐艦が3隻、しかも1隻には魚雷が残っている」

「しかも時間の方は、マダ30分経過しておりマセン、となる……と」

 金剛の言葉に、新城は頷いてみせた。

 駆逐艦の仕事をしなければなるまい。

「弥生、もう1隻のヲ級を狙う。卯月に狙わせる」

「……了解」

 それで弥生は察したようだった。

 弥生が先頭、2番手が長月。それで、卯月をヲ級の許まで届けるのである。

 今から面舵を切るのでは時間が掛かり速度も落ちると判断したのか、弥生は更に取り舵を切る形で円を描くように向きを変えた。

 長月と卯月も、それに続く。

 確認されたリ級は2隻で、どちらもヲ級を守ろうとするよりは此方を沈めようと近付いてきている。

 ヲ級の方は取り舵を切って反転しようとしていた。

 後方には他にも護衛の艦が存在するのかも知れない。

 そちらと合流されてしまえば、撃破する事はほぼ不可能だろう。

 大きく舵を切って向きを変えた弥生が、加速しながらヲ級に向かう。

 同じように向きを変えたリ級の1隻が後方から迫り、もう1隻は速度を落として小回りしてから、駆逐隊の進路を遮ろうと右側面から近付いてくる。

 後方から迫る1隻は此方が減速しなければ何とかなるだろうが、問題は側面からの1隻だった。

 前に出られる事は無いかもしれないが、真っ直ぐ突っ込んで来ればかなりの距離まで近付かれる形となる。

「長月は、卯月と共にヲ級に向かえ。弥生は右側面リ級の妨害を試みる」

「了、解」

 弥生の言葉に続くようにして2隻からも返事が即座に届いた。

 また身体を打ち付けぬようにと、柱のような金属製の配管の1つをしっかりと掴む。

 弥生が大きく傾くような勢いで面舵を切った。

 波を立てながら、そして速度を落としながら、船体が大きく向きを変える。

 向かおうとするリ級の近くで水柱が上がった。

 減速した際の援護を行おうと、長月と卯月が砲塔の一部を敵艦へと向けたのだろう。

 向きを変えた弥生が、再びこまめに転舵しながら船体を加速させ始める。

 弥生に対応するように、深海棲艦も舵を切った。

 周囲に水柱が立つ光景の中で……リ級の姿が、遠目とはいえ確認できるくらいに大きくなってくる。

 あくまで牽制で進路をずらすように転舵する弥生に対し、リ級の方は攻撃の精度を高めようとして此方を正面に捉えようとする。

 至近弾でも船体が傷付くことがあるのだ。

 直撃すれば駆逐艦などひとたまりもないだろう。

 こちらを狙ってきた事で、目的のひとつは果たす事が出来た。

 このリ級がここから長月と卯月を狙う事は難しいだろう。

 だから後は、何とか攻撃を躱せばよい。

 現在は反航戦、互いに距離を詰めている状態だ。

 この状態では、お互いに使える砲の数に制限がかかる。

 艦というのは目標を側面に捉えてこそ、最大の火力を発揮できるのだ。

 今は互いに艦首方面の砲塔しか使用できない。

 そしてすれ違えば、今度は艦尾方面の砲塔しか使えなくなる。

 一番危険なのは、すれ違うその瞬間だ。

 無論、艦は動きが遅いとはいえ時速に換算すれば数十キロ程度の速度は出ている。

 一方は駆逐、もう一方は重巡となれば、相対速度は百キロを超える。

 とはいえ、ある程度進路も未来位置も推測できるのだ。

 危険である事は間違いない。

 リ級はその瞬間を利用して此方を沈めようとする。

 一方で此方はというと、敵を沈める手段はほぼ無い。

 とはいえだからこそ、弥生は敵の攻撃を妨害する事、躱す事に全力を注ぎ込めるとも言える。

 対して相手は、此方の攻撃に用心しないという訳には行かない。

 魚雷を発射したのは確認しているだろうが、それで必ずしも此方が魚雷を使い切ったとまでは判断できないはずだ。

 もしかしたら、弥生の動きはその辺りも計算されているのかも知れない。

 変に距離を取って逃げ腰になれば、敵は此方が攻撃を考えていないのではとも推測するからだ。

 もっとも、それで逆に相手を油断させて近付いたら……という戦法もあるので決めつけは危険である。

 そういう意味では、此方に迷いはない。

 魚雷を使えない駆逐艦と、ほぼ万全の重巡洋艦。

 ただし、自分の失敗が直接味方の生死を左右する訳ではない。

 弥生はリ級を右側前方に見る形で距離を詰める。

 リ級も砲撃を続けながら前進してくる。

 実際はまだ距離もあるのだろうが、艦の大きさのせいか新城には両者がぶつかりそうなほど接近しているように感じられた。

 顔に浮かびそうになる何かを歯を喰いしばってこらえ、鉄管を握る手に力を込める。

 だが、決定的な瞬間が訪れる前に変化が起きた。

 後方で爆発音らしきものが響く。

 リ級の意識は、どうやらそちらに一時的に向いたらしかった。

 弥生は無理はしなかった。

 取り舵を切りながら射角を得られた砲塔も利用して砲撃を浴びせ、速度を落とさぬようにしながら舵を戻してゆく。

 それで、2隻の距離は開いた。

 リ級も砲撃を浴びせてくるが、距離が開いたこともあって命中はもちろん至近弾も無い。

 2隻はすれ違い、弥生は今度は逆に舵を切ってリ級の後方に回り込むように動こうとする。

 リ級はしばらく直進したものの、もう1隻のヲ級も炎上しているのを確認すると、長月と卯月を追っていた僚艦と合流するように向きを変えた。

 そちらのリ級も、長月たちに砲撃は浴びせながら向きを変える。

 恐らくは後衛に付いていた味方の艦と合流するつもりなのだろう。

 新城はそう判断した。

 勿論それで撤退するのではなく、纏まった戦力で此方を押し込もうというのだろう。

 長月と卯月の2隻も動きを止めたヲ級を砲撃して炎上させたのち、無理はせず舵を切って離脱していく。

 弥生も2隻と合流するように舵を切った。

 離れた場所から轟音が響き、爆発や火柱のような明かりが時折り離れた場所で生まれる。

 とはいえこの場での戦いは、一旦かも知れないが決着したのだ。

 敵艦との距離が離れてゆく。

 それでも、新城の内に湧き上がる恐怖心は……弱まりはしても消えはしなかった。

 そんな自分を納得させるかのように、新城は時計を確認する。

 時間は過ぎた。そして駆逐隊は空母ヲ級2隻を撃破、撃沈させている。

 戦果としては十分だろう。

 流石に肩の力が抜ける。

 新城は息を吐くと、部隊に帰還を命じようとして口を開いた。

「……水上打撃部隊、より……通信、です」

 弥生が視線を動かさずに短く告げ、通信を受けたらしい金剛が微かに表情を動かす。

 息を吸い込み、新城は続く言葉を待った。

 良い内容であるはずがない。

「目標撃破を確認した隊は直ちに撤退せよ、との事です」

 命令内容にも何か違和感を感じ、質問する。

「……発信した艦は?」

「古鷹、デス」

 新城の問いに金剛が答えた。

 旗艦であった戦艦の扶桑でも、もう1隻の山城でもない……となれば、2隻が如何なったのか?

 少なくとも通信が行えない状態なのは間違いない。

 敵の主力部隊と戦い、通信が行えず、同じ戦いに参加したであろう重巡からの撤退指示。

「主力艦隊は壊滅、か……」

 ほんの一瞬だけ、新城は海戦から続いた数日を振り返った。

 どのような者であろうと、人であろうと、艦娘であろうと……平等に公平に、それは訪れる。

(「……何とも現実的なものだ」)

 そう思いはしたが、口から出たのは別の言葉だった。

「そいつは素敵だ。面白くなってきた」

 何処か疲れ歪んでいた顔に、邪悪なとでも表現すべき笑みが浮かび上がる。

 それを正面から受け止めた金剛の顔から一瞬表情が消え、すぐに復活した。

 窃盗の常習犯が国事犯を仰ぐような顔付き、とでも表現すべきか。

「Hey、全く面白くなってしまいマシタね」

 表情に敬意のような、そして呆れにも似た何かを滲ませつつ、彼女は相槌を打ってみせた。

「……他に面白い話は?」

「現在、古鷹との交信も途絶、加古とも取れマセン。第三、第四も撤退を試みている様デスが、敵部隊を振り切れない模様ですネ」

「現在の指揮は誰が執っている?」

「全部隊が混乱状態デス。つまりは誰も取れてイマセン。一旦帰還するまで再編成は難しいと思われマス」

 だから撤退の指示が出た、と言いたいのだろう。

「このままでは、他の隊と交戦中の敵も此方に寄ってきます。如何なさいマスか?」

「……弥生、魚雷の再装填。長月と卯月にも指示しろ」

 新城は明確な指令を与えた。

「味方の撤退を援護する」

「かなり難しいデスが?」

「だから何だというのだ」

 金剛の言葉に、新城は即答した。

「莫迦と勇者では命の値段が違う。孤立し今も戦い続けている者の価値は? 味方を見捨てて逃げようとする者の値段は? その辺りの勘定は誰にでも出来るはずだ。違うか?」

 言い終わる前から、気恥ずかしさのような何かがこみ上げてくる。

「第三と第四の位置を探りたい、金剛」

 吐き捨てるように尋ねた。

 先ほどとは違う何かを浮かべ頷いた金剛が、頭部の艤装を稼働させる。

 

 見つからなければ撤退できる……そんな考えが新城の内に一瞬浮かび、彼は慌ててその考えを打ち砕いた。

 勿論本音を言えばさっさと逃げ出したい。

 自分は勇者などではないのだ。

 しかし馬鹿でも無いと思っている。

 ただの臆病者だ。

 いやしかし臆病なのにわざわざ地獄に引き返すというのは、つまりは馬鹿なのか?

「卯月、魚雷の再装填完了! ぴょん!」

「長月も完了だ。地獄へ御同伴(おとも)の準備は整った」

「……弥生も……装填済、です……」

 駆逐艦たちからの報告が届く。

 これで発見できなければ格好悪いな等と考えている最中に、そういえば艤装のみの金剛と船体まで展開した弥生たちの索敵能力は大差なかったのではという疑問が頭に浮かんだ。

(「まあ、この際それはどちらでも良いか」)

 実際の能力は兎も角その使い方、勘所となれば、金剛に一日の長があるだろう。

 それに、見つからなければ他の駆逐艦たちにも索敵を行わせるだけだ。

 そんな事を考えていると……目を閉じていた金剛が、再度頭部の艤装を稼働させた。

「確証は得られマセン。が、戦闘を行っている艦艇らしきものを発見」

「それを追う。金剛、位置を」

「了解デス。弥生に伝えますネー」

「長月と卯月に連絡。この通信後に再び無線を制限する。解除は此方の判断で。但し、各艦の判断での戦闘行為は任せる。僚艦を見失った場合は状況に関わらず直ちに撤退。泊地へ帰投せよ。以上」

「長月、了解した」

「卯月、了解で~す!」

 すぐに弥生が船体を動かし、金剛が進路を説明し始めた。

 遠くから聞こえていた砲音が、徐々に近くなっていく。

 あるいは恐怖がそう感じさせるのか?

 闇の中で幾つかの小さな明かりが、現れては瞬く間に消える。

「……敵味方の艦種は分かるか?」

「味方は軽巡デス」

 とすると第三か第四旗艦の天龍型のどちらかだろう。

「敵、は……雷巡、と……駆逐、其々1隻……です」

「……確定できなかった敵の巡洋艦は、それか……」

 ル級の近くを航行していたという敵艦の事を思い出して、新城は顔を歪めた。

 雷装巡洋艦チ級。火力や耐久力に関しては軽巡並だが、こと雷撃能力に関しては重巡や上位クラスの駆逐艦を上回る攻撃力を持つ深海棲艦である。

 打撃部隊は戦艦との砲戦中に、このチ級から雷撃を受けたのかも知れない。

(「雷撃戦になれば不利だが……」)

 今のところ敵は味方の軽巡に意識を向けており、まだ此方には気付いていないように思える。

 ならば出来るだけ距離を詰めて、一気に片付けるべきだ。

 出し惜しみすべきではない。

「魚雷はケチるな。以上だ」

「……了解、です」

 新城はそれ以上の事は口にしなかった。

 攻撃のタイミングに関しては今回も完全に任せる感じである。

 距離を詰める最中に味方が砲撃を開始してしまえばその時点で発見されてしまうが、無線を封鎖している以上連絡の手段が無い。

 長月と卯月を信じるしかない。

 味方の軽巡は敵を振り切るというよりは引き回すような形で戦闘を行っていた。

 直線的な動きはせず、小まめな方向転換を繰り返しながら砲撃を続けている。

 魚雷の方が如何なっているかまでは、残念ながらこの距離では分からない。

 だが、闇の中遠目ではあっても損傷しているのは見て取れた。

 あるいは自分が逃げ切るのは難しいと考え、部下や味方を逃がす為に足止めに専念しているのかも知れない。

 急な衝撃に耐えられるよう先刻と同じような体勢を取り、支えを掴む。

 今の自分は結局のところ傍観者でしかないのだ。

 だからといって自身を卑下するような気持ちは新城には無い。

 人であろうと艦娘であろうと、できる事をやるしかないのだ。

 敵艦への距離が詰まってゆく。

 長月も卯月も、攻撃は行っていない。

 機関の立てる音が、新城の緊張を膨らませる。

 もっと静かにならないものか等という無茶な願望が頭の片隅に浮かぶ。

 視界の中で、突然炎が生み出された。

 敵の駆逐艦の甲板上で爆発が起こったのである。

 その直後、闇の中でも確認できるような水柱が……軽巡洋艦の左側の海面で上がった。

 続くように炎が生まれ、巡洋艦の船足が一気に下がる。

 弥生の船体が僅かに傾いた。

 発射管から放たれた魚雷が、斜め前方に拡がりながら海面を走ってゆく。

 新城は魚雷の軌跡を探そうとはしなかった。

 ただ、闇の中で敵の雷巡に意識を集中させた。

 甲板上に人のような……距離と明るさを考えれば見える筈のない何かが、見えたような気分になる。

 艤装のような何かを身に着け、仮面で顔を覆った何か。

 仮面の一部は砕け、不気味に輝く片目だけが新城を見据える。

 冷たい何かが胸の内を握りつぶすような感覚。

 自分に向けられた憤怒や憎悪とでも呼ぶべき感情の籠った視線の中に、儚いような寂しげな何かも感じられたような……そんな気がした、次の瞬間。

 視線を遮るように水柱が上がった。

 到達する前に何らかの理由で爆発した魚雷があるのだろう。

 その水柱が消え失せて数秒後、雷巡を覆うような水柱が立て続けに三つ上がった。

 我に返った新城が目を凝らして戦果を確認しようとした時には、雷巡らしき姿は既に半分ほど海中に没している。

 炎が無ければ全く確認できなかったかも知れない。

 弥生に続くようにして、長月と卯月も魚雷を発射していたらしかった。

 離れていたとはいえ光源が存在したことで、前の艦の魚雷発射管の動きを確認できたらしい。

 逸れない為とはいえかなり距離を詰めていた事が、結果として味方の動きを察知する事に繋がったようである。

「チ級、轟沈を確認。駆逐艦……恐らくロ級、撃破……確認」

「味方の軽巡は?」

「……少なくとも、大破……確認。詳細、は……不明」

「……徐々に、ですが……沈み始めて、マス……」

 弥生の言葉に続けるようにして、金剛が口にする。

「船体を近付けられるか?」

「……大丈夫、です」

 頷いた弥生が、速度を落としながらそのまま軽巡へと近付いてゆく。

 少なくとも付近では戦闘は起こっていない。

 通信を傍受されるかは分からないが、この状態で全く連絡しないという訳にも行かないだろう。

 後続の長月と卯月に周囲への警戒と魚雷の再装填を連絡すると、新城は急ぎ甲板へと飛び出した。

 続こうとした弥生に待機するように言い聞かせる。

 軽巡洋艦は中央部分が半壊しており、船体は既に傾いている。

 艦橋部分も半分以上が吹き飛ばされ、甲板や船の内部で火の手が上がっていた。

 少なくとも見える範囲に人影は無い。

 だからといってこのまま立ち去る訳には行かなかった。

 彼の中の何かが、そうする事を拒絶しているのだ。

 ある程度近付いたところで、弥生の船体に搭乗する妖精たちが載せてあった縄梯子を軽巡へと投擲する。

 軽巡船絃の金属柵に絡みついたそれを、押さえて絡み付かせる者たちは存在しなかった。

「無茶はシナイで下さい」

 構わず飛び移ろうとした新城を留めた金剛が、軽巡へと飛び移り縄梯子を確認する。

 新城が乗り移ったのを確認すると、彼女は露払いとして安全を確認しながら進み始めた。

 残っている艦橋の一部へと到達する。

 炎で照らされた血溜まりが音を立てて蒸発していた。

 血はひしゃげた金属の下の隙間から流れているが、既に乾き始めている。

 僅かな時間だけ、新城はその下にいるであろう艦長に向かって短く呟いた。

 それから、金剛の声を聞きそちらを向いた。

 彼女は倒れていた一人の艦娘をそっと仰向けに直し、顔を拭いていた。

 苦痛の滲んだ呻き声があがり、閉じられていた艦娘の瞼が震える。

 もう一方の瞳は眼帯のような物で覆われていた。

 新城はそれを眺めながら、以前聞いた話を思い出した。

 彼女がかつて艦だった頃の戦いで、探照灯を破壊された事が影響しているのだそうだ。

 彼にそう教えたのは、誰だったろうか?

 少なくとも当人、天龍型一番艦の天龍本人では無かったと記憶している。

 もっとも、それが誰であろうとは今は関係なかった。

 彼女は今、意識を取り戻し……そして今度は意識もろとも命を失おうとしている。

 医療の専門家ではない新城から見ても、それは明らかだった。

 先ほどとは違う血溜まりが、彼女の周囲に拡がっている。

 その源泉は、一部が抉られたように無くなっている天龍の胴体なのだ。

 人並み外れた戦闘能力を有していても、艦娘の身体そのものは人間に酷似していた。

 金剛が抱き起さなかったのも、何らかのショックで死が早まるのを避けたかったからだろう。

 気遣いは勿論だが、話を少しでも聞きたいというのもあった。

 僅かな情報であれ、この場では千金の価値を持つかもしれない。

 そのような考えを非難する者は無論、この場にはいなかった。

 瞼の震えた目が開かれ、何かを確認するように虚ろに辺りを彷徨った後……金剛と新城の姿を捉える。

「……第五の、か……悪ィな、助かった……」

「いや、すまない。遅れた」

「……ガキ共は逃げ切れたか?」

 その言葉から、新城は事態を推測した。

 恐らく天龍は部下である駆逐艦たちを逃がす為に、敵の足止めを行っていたという事なのだろう。

「確認はしていない、が……この近くでは、もう戦いは起こっていない」

 沈められてしまったという可能性も無いとは言えないが、新城はそれに関しては黙っていた。

 希望的観測を述べるのは性に合わないが、死にゆく者に鞭打つ真似も好みではない。

「そっか……済まねえ、が……後は頼む」

「確約はできないが、できる事はする」

「じゃ……龍田が待ってるんでな」

 二番艦の龍田の方も沈んだのか……

 思いはしても口には出さなかった。

 代わりに出たのは、諧謔味の籠った葬送の言葉だ。

「姉妹水入らずとは羨ましいな」

「今度は絶対に自分が先だって引かなくてな……全く、生意気な妹を持つと……」

 そこまで言った時、爆発が起こった。

 思わず身をすくめる。

 金剛が庇うように動き……怪訝そうに新城と顔を見合わせた。

 新たに船体の何処かで爆発が起きたのかと思ったが、そうでは無い。

 だとするならば……

 それを裏付けるように無線が響く。

「やられた!! 長月、被弾した!! 艦長がっ!!?」

 端的に表現して、最悪だった。

 文字通り血の気の引くような気分を味わいながら、新城は唇をかみしめた。

 夜戦前のように船体を収納して、艦長たちを弥生の方に移動させておけば……考えたところで後の祭りだ。

 しかも長月の声は、明らかに動揺している。

 普段の彼女を知っている者からすると、声と姿を一致させられない程にだ。

 自身への損害より乗員の、艦長の心配をする……艦娘であるが故、なのか。

「ああ……血が、こんな……は、早く何とか」

「長月、落ち着いて……」

「司令官、どうすればいい!?」

 弥生が珍しく早口で呼びかけるが効果は無い。

 自分の事を司令官と呼ぶ辺り、どうしよもなく取り乱している。

 何が起こったのか確認すらできない。

「敵艦からの砲撃です! 詳細不明、駆逐艦らしき船影あり! 少なくとも2隻以上! 1隻は赤い光のようなものを発しています。炎ではありません!」

 卯月の艦長から説明の通信が入る。

(「eliteか?」)

 以前に聞いていた情報が呆気ないほど簡単に浮かんできた。

 新城自身、寧ろその事に当惑したほどである。

 深海棲艦にはイロハの一文字ずつを割り当てたクラス分けがあるが、クラス上は同じ外見でありながら高い戦闘能力を持つ個体が確認されている。

 赤い色の光が船体を包んでいるのがelite(エリート)、橙色の光を発している方はflagship(フラグシップ)と呼称されているのだ。

 特にflagshipの方は、駆逐艦であっても軽巡洋艦並、或いはそれ以上の戦闘力を持っている。

 ちなみにflagshipという呼称であるものの、敵の旗艦のみという訳では無い。

 以前は敵集団の旗艦として現れていた為に呼称がそうなったが、命名後は旗艦以外でも確認されるようになったのだ。

 一部隊に複数のflagshipが存在していたという報告も挙がっており、此方の命名を嘲笑ってでもいるかのようである、等という命名者への皮肉めいた言葉もあったそうである。

 

(「……疲れているのか、やけになっているのか」)

 知識と一緒に浮かんできた処々を、新城は頭の片隅へと追いやった。

 先刻までとは違い、今は一秒が千金の価値を持つのだ。

 拙速であろうと何かしなければ。

「金剛、長月の方に向かってくれ!」

「了解デス。隊長もお急ぎを!」

「天龍、置いていくぞ」

「気に……すんな……」

 微かな返事を耳に、新城は駆けだした。

「失礼しマス」

 船絃まで来たところで身体が宙に浮く。

 金剛が彼を抱え上げ、弥生の船体へと跳躍したのだ。

 彼を弥生の甲板へと運び素早く丁寧に降ろすと、金剛は略礼をした後に船外へと飛び降りた。

 船体は既に動き始めている。

 新城も急ぎ艦橋へと飛び込んだ。

「状況は?」

「敵艦……先頭の1隻、イ級と確認。後続は未確認。卯月、対処開始。長月、は……」

「金剛が乗り込む。金剛、状況確認が出来次第連絡を」

「金剛、了解デス!」

 まだ海上を移動中との通信が艦橋内に響く。

 乗り込むまでにどれだけ掛かるか分からないが、他に手段は無い。

 最悪、長月を見捨てて撤退も考えなければならないだろう。

 とはいえそれはあくまで最後の手段だ。

 このまま撤退しようとして、果たして敵を振り切れるのか?

 考えていた時、砲音が響いた。

 天龍の船体後方に搭載されていた2基の単装砲が稼働している。

 船体が傾いている為に精度は酷かったが、砲弾は少なくとも敵のいる方角へと飛び、水柱を作った。

 あの状態でも、こちらを援護しようとしてくれているのだろう。

 強烈な何かが湧き上がり、新城の顔を強張らせる。

 それが何なのか形を取る前に、再び無線から金剛の声が響いた。

「長月に到着! 艦橋と前方の魚雷発射管の損壊を確認! 船体一部にも破損を確認。小破もしくは中破相当と判断しマス!」

「……艦長は?」

「損壊した艦橋内で確認。頭部から出血、意識無し。呼吸、確認デキズ……」

 それを聞いて新城は目を閉じた。

 ここで時間を費やす意味は無い。

「長月! 何だ、その無様な姿は? 艦長に笑われるぞ!!」

 弥生の無線を使用して彼は長月に怒声を浴びせた。

「し……た、隊長」

「泊地で治療すれば、助かる可能性もあるかも知れない。それとも、そのまま失血死させるのが君の好みか?」

 言葉とは裏腹に、彼は艦長については既に結論を出していた。

 金剛の言葉は、長月に聞かれる事も考えて最大限の配慮をしたものだったのだろう。

 とはいえ今は迅速な撤退が必要である以上、騙してでも長月を動かさねばならない。

 普段の長月であれば、冷静に状況を確認していた事だろう。

 もっとも、そうであればこれほど取り乱しはしない。

(「艦長という制度の使用は艦娘を安心させるのかも知れないが、同時に不安材料にも成り得る、か……」)

「どうした? 何か言うべき事はあるか?」

「すまない、隊長」

「すぐに撤退しろ。先刻の岩礁を経由することで追撃をまく。座礁に注意しろ」

「りょ、了解!」

 普段であれば、誰に物を言っているとか侮るなよ、くらいの返しはあっただろう。

 乗員が傷付くというのは艦娘にとって、それだけ大きな衝撃でありトラウマなのかも知れない。

「金剛はそのまま長月に待機。君の判断で良いようにしてくれ。責任は全て僕が取る」

「了解デス」

 ひとつの問題は片付いた。

 

「弥生、敵艦は?」

「……砲撃、警戒しながら……接近中、です」

 沈没中に見える天龍からの砲撃が敵を慎重にしているのだろう。

 まだ沈まない、念の為に……そう判断してくれれば、此方の逃げられる確率は大きくなる。

「弥生、卯月、魚雷は?」

「……前方、一基三門のみ、装填完了」

「卯月、準備完了ぴょん!」

「命中はしなくて構わない。敵の接近を妨害するようにして発射しろ。発射後、卯月は長月の援護に付きつつ退避。泊地に向かえ」

「了解! ぴょん!」

「了解しました。隊長もお気を付けて」

 卯月と艦長からの了解を受け、息を吐く。

 それから……炎に包まれる天龍に向かって、新城は静かに敬礼した。

 たとえそれが偽善に過ぎないとしても、そうせざるを得ないだけの何かを……旧式の、練達の軽巡洋艦は、有していたのだ。

 少なくとも彼には、そう感じられたのだ。

 魚雷を発射した弥生が艦を稼働させながら、主へと向き直る。

 表情を戻した中年は、不敵な……何かを楽しんででもいるかのような顔で口元を歪め、静かに告げた。

「直ちに撤退する。今宵の地獄は、此処までとしよう」

 

 

 

 


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