皇国の艦娘   作:suhi

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岐路 三

●岐路 三

 撤退部隊の出撃前、作業や警戒、護衛を行っていた者達には、交代で自由時間が与えられた。

 休止ではなく自由時間としたのは、何もせず休んでいた方が緊張するような状態の者達が存在したが故である。

 逆に考えれば、肉体的な疲労が極端に蓄積している者が存在しなかった、という事だ。

 元第一艦隊の者達は対空戦闘を、元第二艦隊の者達は夜間での砲雷撃戦を行ってはいたが、帰還後の休息と休止によって、航行や戦闘を問題無く行える程度までは回復していた。

 もっともそれは十分な休養が取れたというよりも、艦娘故の耐久性、優れた体力や持久力があるからこそと言えるだろう。

 

 新城の方はというと休息は取ってはいても回復したという実感は全くと言って良いほどに感じられなかった。

 もっとも彼が感じている疲労は、肉体的な物より精神的な物の方が大きいというのもある。

 寧ろ何か作業などを片付けている時の方が、圧迫感のようなものから解放されているような気分さえあった。

 とはいえ、自分が休まずに部下だけに休息を命じるという訳にもいかない。

 金剛達にも意見具申のような形で案じられた事もあって、新城は自由時間と称して私室の方で纏めた資料を確認していた。

 

 これは司令部に充てていた建物の一角、司令部としていた大部屋の隣に、弥生らがベッド等を運び込んで応急に仕立てられた部屋である。

 ベッドと机、二つほどの椅子と物を置く棚と、暖房器具としての木材等が放り込まれたブリキ缶が、やや広めの部屋に雑多にならないようにとある程度整えられて配置されていた。

 一応の話し合い用という事で、扉近くの一角には、背が低めのテーブルと、それを囲むように4つの椅子も配置されている。

 移動に時間が掛かる彼の状態を考慮しての事で、新城は素直に感謝の言葉を作業者達に贈った。

 もっとも忙しかった事もあり、その部屋を使用する機会は中々に訪れなかったのである。

 心配している者達がいると金剛に諭された事もあり、新城は荷物を持ち込んで私室の方で資料の確認等を行う事にしたのだった。

 やっている事は基本的には同じなのだが、やはり体裁というものは大事なのである。

 少なくとも外から見れば、部屋に入って休んでいるようには見える筈、なのだ。 

 

 

 その部屋の扉が控えめにノックされたのは、新城が資料から目を離し、米神(こめかみ)の辺りを軽く揉み解していた時だった。

「申し訳ありません、如月です」

 誰何の声に、ノックと同じくらいに控えめな声が返ってくる。

「伺いたい事があるのですが、御時間宜しいでしょうか?」

 恐らく撤退部隊の護衛に配属された事についてだろう。

 そう思いながら、新城は短く肯定の言葉を扉の向こうに返した。

 資料を手放し机を支えに立ち上がり、そのまま机や椅子を支えにテーブルの側へと足を向ける。

 失礼しますという言葉と共に扉が開き、頭を下げた後、如月が静かに入室してきた。

 

 先の戦闘で負った傷の手当てを済ませ服装も改めてはいるが、見える範囲だけでも数箇所、包帯等、手当の後は見て取れる。

 艤装に中破レベルでの損傷を負っている状態の為、彼女の受けた傷も然程は治ってはいない様子だった。

 もっとも今現在の態度や動きだけを見るならば、彼女からそれらの影響は殆どと言って良い程に感じられない。

 

 テーブルを囲む椅子の一つへと腰を降ろすと、新城は如月に自身の向かいの椅子を勧めながら彼女の様子を窺った。

 少女は新城のいた机の上の紙の束に視線を向け、案ずるような視線を向けはしたものの……それらについては何も言わず、短く礼の言葉を発して腰を降ろした。

「御忙しい処、すみません」

 そう言われ一瞬、笑ってしまいそうになったものの、それを堪えて新城は微かに首を振った。

「気にしなくて良い。それで? 前置きは無くて良い。本題に入ろう」

 促すと、如月は返事をしてから深呼吸のような仕草をしてから、口を開いた。

「如月は……私は、司令官の……お役に立てないのでしょうか?」

「命令に納得がいかない、という事か?」

「反抗の意思はありません。ただ、お話を伺いたいんです」

 そう言って、少女は真っ直ぐな目で新城を見つめた。

 切り出し方には躊躇いがあったものの、いざ向けられた視線に揺らぎは無い。

 新城の視線を受けて起こった彼女の瞳の変化は……ただ、涙が滲んだというだけだった。

 その真っ直ぐに向けられた瞳に、新城は僅かばかり心を乱された。

 曇りの無い無垢なものに対しての憧憬のような気持ちと、それを失っていない者への嫉妬に似た感情が、束の間、彼の心に巣喰ったのである。

 文字通りそれは束の間で、直ぐに彼の内には徹底的に感情を排除した冷徹な何かが戻ってきた。

「君は自分に与えられた役割が、無意味なものだと思っているのか?」

 外気とは異なる冷たさを漂わせる声で、彼は如月に問い掛けた。

「勿論、重要な役割を持つ任務を与えられたと思っています」

 そう答える如月の視線は、新城の瞳に向けられたままだった。

 身体は微かに震えていた。

 それは決して、室内が寒いからではないだろう。

 それでも、彼女の言葉は遅れる事はあっても、一つとして翻される様子は無い。

「ならば何故、話を聞こうと思ったのだろうか?」

「御傍に置いて頂いては、役立つ事は……出来ないのでしょうか? そう伺いたかったんです」

 

 その言葉に少しだけ考え込んだ後、新城は逆に問い返した。

「君は弥生や長月、文月、三日月の内、演習で誰か一人と戦って、互角かそれに近い程度に渡り合えると思うか?」

 その質問に、如月は言葉を詰まらせた。

 瞳に、更に何かが滲んだように見えはしたが、新城も視線は逸らさなかった。

 これは男女ではなく、司令官と部下が向かい合っての会話だった。

 ならば上官として相応の態度を取らねばならないのだ。

 正否は人それぞれにあるだろう。

 だが今は、そんな考えを弄んでいる時ではない。

 自身が正しいと考える中で、最善を尽くさねばならないのである。

「……思いません」

 然程間を置かず、如月は断言した。

「距離が詰まれば全力を尽くしても、恐らく二射で戦闘不能と判断される攻撃を受けると思います。損傷を与えたり轟沈判定を絶対に与えられないとまでは言えませんけど、それは余程の幸運に恵まれた場合に限る……そう思います」

 そう続けた彼女に、新城は頷いた。

 己の任務にとって必要な物を、彼女は確りと持ち合わせている。

 訓練や学習によって学べるものは多いが、彼女にはそういった機会は殆ど無かった筈だ。

 或いはかつての艦としての記憶が関係しているのか?

 どうであれ、今はそれで十分だった。

「君は少なくとも現時点において、冷静で堅実な判断力を持っている」

 だからこそ、と彼は続けた。

「負傷した味方の後送という、重要な任務を任せるのだ」

 

 奇跡も才能も、特殊な個性もいらない。

 寧ろ不要と言っても問題なかった。

 それなりの自制心が無ければ、尖った能力は時に問題を発生させる要因となるのだ。

 無くなれば良いとまでは言わないが、あれば良い等とは思わない。

 十分に警戒を行いながら可能な限り急ぎ、出来る限り最短距離を進む必要はあっても嵐や強い低気圧は避け、安全に、欠員を出すことなく、鎮守府に辿り着く。

 それで良いのである。

 少なくとも残存部隊が壊滅しない限り、撤退部隊に対処不能な危機は訪れない筈だ。

 周囲への適度な警戒を怠る事なく、察知できた危険や異常は可能な限り回避し、唯、母港を目指す。

 何かに秀でた尖った個性などは必要ないのだ。

 

 

 生徒を根気よく指導する教諭のような態度で、新城は如月に語り掛けた。

 前にも、こんな事があった。

 ふと、そんな事を考えた。

 いつだっただろうか?

 そう考えて、すぐに思い出す。

 加賀が率いてきた補給部隊に、部隊の人員を編入した時の事だ。

 今回も、後送……撤退させるという点では同じだった。

 あの時は、自分は近付いてきた死への恐怖から目を逸らす為に、こんな態度を取った。

 そんな風に記憶している。

 もしかしたら、今回もそうなのだろうか?

 今回の方が実感は大きい、という事なのかも知れない。

 司令官として采配を揮い、実際に犠牲を出した後……なのだ。

 

 いや、あの時も……艦娘部隊全体としてならば、やはり大きな犠牲を出した後だった。

 司令官が戦死し、第二部隊の司令部も全滅し、第三第四部隊の隊長、艦長達が戦死した結果、第五部隊の仮の隊長でしかなかった自分が、暫定的に司令官に任命される結果となったのである。

 だからこそ、これ以上の人的被害を可能な限り避けるべきだと考えて、最低限司令部要員を残し、それ以外を補給部隊に編入させたのだ。

 乗員がいない方が艦娘達が動き易いのではと考えたのも事実だが、理由は決してそれだけでは無かったのである。

 

 結果として……それは間違いでは無かったのだ。

 新城は改めて、その事を実感した。

 あの時に残った人員も……随分と、減った。

 艦娘も減ったし、人間に至っては生き残りは自分だけだ。

 艦娘達に付いていた妖精達も、恐らくは……多くが戦死したのだろう。

 そして、その犠牲は……推測でしかないが、更に増える事になる筈だ。

 全く犠牲を出さないというなどという事は、恐らく不可能だろう。

 艦娘が沈まなかったとしても、攻撃を受ける度に艤装や艦娘達に付いている妖精達に犠牲は出ているのだと聞いた事がある。

 つまり妖精達というのは、かつての艦の乗組員達と随分と似た存在という事だ。

 そんな風に考えた時、昨日の事を思い出した。

 目の前の如月が、鳳翔に付いていた妖精達の幾人かを託され、龍驤へと送り届けたという話だ。

 そういう辺りも、よく似ている。

 数日前の敵艦隊偵察の際、鳳翔の艦攻に乗った時の事も思い出した。

 あの時、自分と敬礼を交わした妖精も……

 

 その辺りで新城は、自身に考える事を止めさせた。

 続けていけば、司令官などやっていられない。

 死ねと命じる事が自分の仕事でもあるのだ。

 ああ、こいつには……などと、考えてはならない。

 一人一人について、そんな風に考えていけば……

 その先は容易に想像できた。

 

 自分は別に強い人間ではないのだ。

 人間であろうと、そうでなかろうと、同じに思ってしまえば。

 いや、もう既に、思ってしまっているのだ。

 それでも……それらを忘れてしまえば、考えるのを止めてしまえば……

 ……だが、それは……失格なのでないか? という想いも浮かぶ。

 同時に、そんなものは綺麗事だという想いも湧いてくる。

 結局のところ、それらは……結論の出ない感情論でしかないのだ。

 理想と現実の対比のように見えて、結局は結論など出せはしない……時間の浪費、でしかない。

 そう自分に言い聞かせて、意識して。

 新城は自分の思考の中から、感情を徹底的に排除した。

 自分は愚物なのだと、改めて自覚する。

 そして、目の前の現実に、意識と思考を集中させる。

 

 

 もっともそれは……既に不要なものとなったようだった。

 目の前で瞳に何かを滲ませていた如月が、弱々しくはあったが確りと頷いてみせたのだ。

「……了解した、という認識で良いのだろうか?」

「はい。ですが、最初に言ったように命令に逆らおうという気持ちはありませんでした。ただ……司令官から、お話を伺いたかった……それだけです」

 そう言ってから如月は、背筋を伸ばしてから頭を下げた。

「お忙しい処に、すみませんでした。そして、ありがとうございました」

「気にする必要は無い。それも僕の仕事の内だ」

「それでも、お礼は言わせて下さい」

 

 もう一度、礼の言葉を口にしてから如月は顔を上げた。

 上手い言葉が思い浮かばず、新城はただ頷いた。

 それから、気持ちを切り替えようと意識して。

 作成しておいた命令書を、机の上に置いた。

「……これは?」

「僕の命令を文章化した物だ。艦娘部隊司令部、現在の横須賀鎮守府の責任者である大尉に、直接届けるのだ」

 その言葉で如月は表情を引き締めた。

 

 それは、一種の保険だった。

 最悪を想定し過ぎているのかも知れないが、艦娘のみでの撤退を……味方を、人間を見捨てての行動であると非難する者がいるかも知れないと考えて作成したものである。

 そうではない、という事を。

 誰の目にも明らかになるようにする為に用意したのだ。

 疑り深いと言われればそれまでだが、彼女達は人間としては認められていない。

 主導権を得る為に、抗弁の余地さえ与えずに一方的に非難する輩(やから)が現れないとも限らないのだ。

 これもやはり、恐怖からの逃避なのかも知れないが……それでも警戒しないよりは良い。

 それは紛れもない本心だった。

 可能な限りの事は済ませ、後は任務に全力を注ぎたい……そんな想いも、もしかしたらあるのかも知れない。

 死への恐怖というものが無くなった訳ではなかった。

 とはいえ出撃を決めてからの新城は、少なくとも絶望という感情とは疎遠になれていたのだ。

「恐らく無事に辿り着けるだろうとは思うが、万一を考え同じ物を二通用意してある。一通は君が持て。もう一通は龍驤に渡すように」

 そう言って彼は机の上に置いた二枚を如月の方に向けた。

「了解しました。お預かりします、司令官」

 何か宝物でも受け取るかのような仰々しさで、如月が二枚の命令書を受け取る。

「任務達成後は、そのまま大尉の指揮下に入れ。その旨も命令書の方に記してある」

「それは……」

「命令だ」

「……了解しました」」

 何か言おうとする如月を目で制して、新城は言い切った。

 姿勢を正した如月が、先程の新城の言葉を復唱する。

 間違いが無い事を確認するように、新城は頷いてみせた。

「質問は無いな? ならば後の時は少しでも休め。それも任務の為の準備だと思え」

「……はい」

 頷いて、立ち上がろうとして……そこで動きを止めた如月は、もう一つだけ質問をさせて頂いて宜しいですかと新城に尋ねた。

「構わない」

 そう言うと如月は一度、深呼吸でもするかのように息を吸って、吐いてから。

 新城の目を見て、口を開いた。

 

 

「……司令官は……必ず、帰還して下さいますか?」

 先程までと同じように……或いは、それ以上の真摯さで。

 如月は新城に問い掛けてきた。

 向けられた瞳は潤んではいるが、内には確かな熱が籠もっている。

 少なくとも新城には、そう感じられた。

 

 そこに籠められた熱意に、違うものを感じそうになって……新城は己の思考を否定した。

 自分は何を勘違いしているのだろうか?

 彼女はただ、自身にとって司令官である者の身を心の底から案じている、というだけだ。

 今は未熟な自分であろうとも、いずれは皆と同じ場所まで辿り着き……皆と同じように、上官に尽くしたい。

 真っ直ぐに、健気に、そう考えているだけなのだ。

 恐らくは艦としての記憶が、彼女に役に立ちたいという強迫観念めいた何かを与えているのだろう。

 

「……問い掛けに、問い掛けで返す形になるが」

 少し考えた後、新城はそう口を開いた。

「今の君の言葉に対して……僕が何か言う事に、果たして意味があるのだろうか?」

 それが新城が考えた、彼女に対しての誠実な言葉だった。

 

 肯定であろうと否定であろうと、それらは結局、口約束でしかないのだ。

 それでも、何も無いよりは……そういう事なのか?

 

 目の前にいる如月は、人間としての見た目であれば自分より遙かに年下の少女でしかない。

 だが、彼女の浮かべている表情は、自分に向けている瞳は……同じ年の頃の人間には、出来ないであろうと思える深みを湛えていた。

 無知であるが故の恐怖、そこから続く願望や妄想ではない。

 知っているが故の絶望であり、そこからそれ以外の何かを見いだしたい、諦めたくない、という……恐らくはそんな、足掻きなのだ。

 

 自分より子供のような存在が浮かべる、遙かに歳上の大人のような……疲れ果てた老人のような、そんな表情に、自身の内にある何かが揺るがされる。

 同時に、たとえそうであっても自身に反する、自分の好みではない選択肢を選びたくは無いという想いもあった。

 

 

 何故自分は、こんなにも迷っているのだろうか?

 ふと、そんな疑問が浮んだ。

 そしてその問い掛けへの解答は、呆気ないほどに簡単に見つかった。

 艦娘という存在が……余りに、真っ直ぐに過ぎるからだ。

 無論、そんな事は以前から分かっていた。

 その更なる深みを覗く事になったのか?

 或いは改めて思い知らされた……という事なのか?

 

 請われれば、望まれれば、自身など一切顧みず……己の全てを使い潰してしまいそうな……そんな一途さと、危うさ。

 そんなものを彼女の内に感じてしまうからだ。

 少なくとも新城自身は、そんな風に感じてしまっていた。

 何かを求められ、望まれたら……自身が如何なろうと構わず、果たそうとする。

 本来新城が許せない、人間の自分本位の考え方が、今は……ある意味、救いのようにも感じられてしまう程に。

 そもそも自分は、そんな姿に……以前から眩しさを感じてしまっていたのではなかったか?

 

「……そうですね。申し訳、ありません」

 残念そうな、それでも何処か安堵したような如月の声で、新城は我に返った。

 目の前の如月が、軽く頭を下げる。

「……自制心が、足りませんでした。感情の儘に質問してしまい、申し訳ありません」

「自覚があるなら、それで良い」

 務めて感情を籠もらせないように、平静を装って新城は答えた。

「……はい。それでは……」

 

 失礼します……と、如月が言いかけた処で、新城は自身の一方の手に、正確には手を包んでいる手袋に、手を掛けた。

 肩の怪我が僅かに存在を主張してきたが、思ったほどの痛みは無い。

 そのまま手袋を外し、机の上に置いた。

 不思議そうな顔をする如月の前に、新城はそっと……手袋を外した手を、差し出してみせる。

「震えているのは……寒いからでも、酒が抜けたからでもない」

 自嘲を含んだ声で、彼は呟いた。

 

 少なくとも先程までの彼女は、真摯だった。

 感情的だったのは、やや感情的に過ぎていたのは……間違いない。

 だが同時に、任務に関しては徹底していた。

 己に与えられた役割を蔑ろにしようなどとは全くしていなかった。

 ただ、問い掛けを発し、答えを求めただけである。

 そこに、任務を疎かにしよう等という気持ちは、欠片も無さそうだった。

 少なくとも自分には、そう見えたのだ。

 

 それに対して、自分は……如何だっただろうか?

 任務故に、上官と部下であろうと徹底したのを間違っていたとは欠片も思わない。

 だが、結局そうする事で上官という立場に逃げていなかっただろうか?

 上官と部下でない部分で、一人の人間として彼女と向き合うべきではなかったか?

 そのような部分は全く無かったのか?

 可能な処で、真摯に向き合うべきではなかったか?

 それが……新城がこの場で出した、最終的な結論だった。

 艦娘という存在の眩しさに、改めて目を眩まされた、という事なのかも知れない。

 それでも構わなかった。

 今の自分は司令官として、彼女らと向かい合わねばならなかったという事に、間違いは無い。

 だが同時に、それ以外の存在としても向かい合わなければ為らないのだ。

 

 それが自分にとって心地よいものでは無かったとしても、目を背ける事など許されない。

 自身の底で澱んでいた……泥のようなものを、掻き回されるような……そんな不快感はあった。

 だがそれは、不思議な安堵も同時に湧き上がらせた。

 それを確と理解できない侭、新城は唇を震わせた。  

 

「困ったものだな……艦娘部隊の司令官が、だ」

 そう口にして、自身の手に向けていた視線を、如月へと向ける。

 

 

 彼の態度や言動は、確かに装ったものかも知れなかった。

 だが実際に、真実の一端である事も間違いなかった。

 彼自身が震えていたのは、紛れもない事実だった。

 その原因が、死への恐怖であるという点も、間違いない。

 

 ただそれが、覚悟した上でのものでは無い……というだけだ。

 純粋な、本能的な……動物的な、死への恐怖。

 誰もが一度は体験しなければならない、全ての終わりという事象への怯え。

 ただ恐怖しているだけの自分を、そうでない風に装ったというのはあった。

 立派な司令官を演出したというのもまた、間違いの無い事実である。

 

 それでも、如月に見せたその震えに関しては、偽りなどという物は、一つとして存在していなかった。

「僕には死を恐れず玉砕するような勇気はない。それだけは間違いない。紛れもない、真実だ」

 そう言い切った新城の顔と、彼自身の震える手の間を……如月の視線が、幾度か往復する。

「……失礼します」

 断りの言葉が発された後、如月の手が恐る恐るという様子で伸ばされ……新城の手に、触れた。

 新城の手を挟み込むようにして……如月が自身の両の手を、重ね合わせる。

 手袋をしていなかったせいか、少女の手は氷のような冷たさを持っていた。

 同時に、不思議なほどの柔らかさも感じさせた。

 

 何かを受け取るように、或いは、注ぎ込むかのように……少しの間だけ場を静謐が支配した後……重ねられていた手が、名残惜しそうに離れていく。

「……ありがとうございました」

 礼を言って、少女は立ち上がった。

「如月は……また、司令官の揮下に加われる日を……お待ちしています」

 そう言って、泣きそうな笑顔で敬礼した後、如月は周り右をして扉へ向かい、手を掛ける。

 

 

 その後ろ姿を、新城は無言で見送った。

 何か言葉を掛けようかとも考えたが、相応しい言葉は、やはりと言うべきか……一欠片として思い浮かびもしなかったのである。

 

 扉が音を立てて閉まった事で、新城は……自身が日常に戻ってでも来たかのような錯覚を、味わわされた。

 確認途中だった机の上の資料が、再び存在を主張し始める。

 素直に、それに引き摺られるようにして、机に向かおうとした処で。

 新城は自身の手の震えが治まっている事を自覚した。

 いつだとか、何故だとか……考えるまでもない。

 その光景だけでなく包んでいた手の感触まで思い出す事が出来るほどなのだ。

 端から見ると……幼さの残る少女に、それなりの歳を重ねた男が慰められでもしているかのような……随分と情けない光景だったのではないだろうか?

 

 束の間、そんな事を考えはしたものの……今更だと自身を嘲る。

 儚げで弱々しくは見えても……彼女の方が余程に自身を見詰め、向き合い、乗り越えようと足掻いているのだ。

 揺るぎはしても砕けはしない。

 まるで背骨か、柱のような何かを、それこそ船に例えるならば竜骨の如き何かを……自身の内に、芯に、生やしている。

 新城は彼女について、そんな評価を下した。

 或いは……皆が、そうなのだろうか?

 そんな事を思いながら振り返ってみると……それを肯定してしまいそうな自分がいる。

 

 ああ、成程。と……

 新城は自身の至った、一つの結論に納得した。

 一言で表現するのであれば……敵わない、という処だろうか?

 

 歳を取ると、男は女に弱くなる。

 そんな言葉があるが……そうではないのだな、と。

 妙な奇怪しみを味わいながら、新城は実感した。

 そう。弱くなるのではない。 

 唯、気付くというだけの事なのだ。

 

 男よりも女の方が強いのだ、という現実に。

 

 少なくとも自分にとっては……新城直衛という人間にとっては。

 それが真実、という事なのだ。

 

 

 

 

 

 小休止を終えた撤退部隊は、そのまま出港する事となった。

 華々しい式など無いのは勿論として、形式的な物も全く無い。

 実務的な確認を済ませ、後は短い挨拶を交わしただけである。

 簡素に過ぎるといえばその通りだが、名残を惜しんでしまえば終わりが訪れぬほどに言葉と想いは続いてしまう事だろう。

 つまりは割り切るしかない、という事だった。

 

 補給を済ませ物資を積み込んだ状態で船体を収納していた初雪が、岸壁に寄せた形で船体を展開する。

 

 如月は撤退部隊の皆と共に、岸壁部で待機していた。

 護衛という役割もあり港入口や周辺の警戒をと自分では考えていたのだが、望月の乗艦を手伝ってやってくれと頼まれたのである。

 望月が先日の戦いで負った怪我は、殆ど治ってはいなかった。

 本人の負傷が重かったというのもあるが、艤装が大きな損傷を受けていたというのが最も大きな理由である。

 船体の損傷も大きかった。

 即座に沈没するという訳ではないが、大破と判断されるレベルの損傷を受けている。

 艤装の方も同じだった。

 寧ろ艤装の方が、同じ大破でも重度の……より重い損傷と判断されていた。

 鳳翔への雷撃を阻止しようと増速した際、彼女は自身の船体を盾にするという行為を失敗しない為に、自分の、本体の身も艦首付近に移動させ、船体の知覚と本体の視覚の両方を用いて魚雷を確認しようとしていたのである。

 結果、魚雷が船体に命中し爆発した際に本人もその爆発に巻き込まれる形になったのだ。

 龍驤のように四肢の一部を欠損するような負傷は無かったが、炎や熱、衝撃、破壊された船体の一部が身体を傷付ける等した結果、ほぼ全身に傷を負うような状態となっていた。

 幸いというべきか衝撃で吹き飛ばされた事で、却って爆発による衝撃を完全には受けずに済む形になったのだが……それでも撤退する者達の中で最も傷が重く、時間の殆どを用意されたベッドの上で過ごすという時を送っていたのである。

 今も艤装は収納したままで、ベッドで休んでいた服の上に寒さ対策にと一枚重ね着した上で、更にその上に外套を羽織ったという格好で如月に背負われているのだ。

 一人で動けないという訳ではないが、素早くという事であれば手助けする人員は必要だった。

 

 港周辺警戒の方は、残存部隊の方から人員を割いて行ってくれている。

 申し訳ないという想いはあったが、自分が引き受けているのも大事な仕事と気持ちを切り替えて、彼女は望月と一緒に展開された初雪の船体へと近付いた。

 生き物、人間や艦娘などは船体が収納される際に一緒には収納されずに残ってしまう為、どうしても最後に乗り込ませるという形に為らざるを得ない。

 逆に言えば、それ以外の物は全て積載済みという事でもある。

 そして、これ以降……横須賀へと到着するまで。

 初雪は実質的に、船体を収納できなくなるのだ。

 それが乗っている者達を海上へ放り出すという結末に直結してしまう為である。

 

 

 如月としては想像するだけで不安になり、与えられる責任の重さに押し潰されてしまうような錯覚を感じる程だったが、初雪の態度は……面倒そうな呟きこそ発しはしたものの、外から見る限りは変わらなかった。

 実際に如何かは分からないにしても、少なくとも表さない自制心を持っているという事なのだろう。

 戦闘技術とかそういうので無く、如月は改めて敬意のようなものを抱かざるを得なかった。

 その思考を続けると自己嫌悪に繋がってしまうので、無理矢理に気持ちと頭の中を、任務と現状へと振り向かせる。

 

 如月は負傷している望月を背負った状態で初雪の船体へと移る事になっていた。

 今回は乗組員に人間がいないという事もあり、手間や時間を省く為に小型艇等は使用せず、船体を寄せた状態で飛び移るという、大雑把ではあるが単純で、かつ艦娘にとっては容易な方法を取る事になっている。

 この方法なら、船体に着地の際に気を配る以外に注意すべき箇所は無いのだ。

 望月を背負っている如月の場合、背負っている望月への衝撃を出来るだけ抑えるようにという注意はあるが、その程度である。

 

 龍驤と大井の方は、初雪が手伝って乗艦する手筈になっていた。

 そちらをふと見ると二人ともが、如月と望月の方へと向けている。

 大井は睨むような目付きで少し怒ったような顔をしているが、如月には……不安気で泣きそうな、それを堪えているような……そんな風な表情に感じられた。

 先の戦いでは所属する艦隊が違った為、話をする機会は今まで殆ど無かったが……今回は撤退の件で、確認などの細かな打ち合わせをする機会を得たのである。

 やはりというべきか私的な話をする事は殆ど無かったが、僅かな言葉を交わしただけで……如月は大井に対して、凄く優しい人なのだなという印象を受けた。

 とはいえ、本当にそうなのかは……分からない。

 大井に直接そう話した時は、そういう風に見えるようにしているのだ、等と話していた。

 本当に、わざとそうしているのなら……そんな風に教えないのではないか、と……如月としては思わないでも無い。

 実際のところは?

 本当は、如何なのだろうか?

 そう考えてしまうと……答えを出せず、迷ってしまう。

 

 如月としては、自分の人を見る目というのは……残念ながら、信用していない。

 鳳翔の本当の気持ち、戦いの際に内に隠していたであろう想いに、自分は全く気付けなかったのだという事実と後悔があるだけだ。

 勿論、それではいけないと考えて……思い込まないように、自分の受けた印象を疑うよう、信じ過ぎないように、と……意識するように、とは心掛けている。

 自分の見落とし、考えていない可能性……そういうものを模索するようにと心掛けている。

 あれだけの事があって何も学ばなかった、等というのは……あまりに情けなさ過ぎるように思うのだ。

 成長しなければという想いは、常にある。

 単純な練度、艦娘としての能力というだけでなく、自分自身の気持ち……心というものの面でも、成長しなければならないのだ。

 もっとも、その為に如何すれば良いのかは……分からない。

 

 だから今は、出来るだけ考えず、抑え込むようにしている。

 絶対に、皆で横須賀まで辿り着かねばならない。

 その為の護衛こそが、今の自分に与えられた任務なのだ。

 

 

 大井の隣にいる龍驤が、片手で頼むとでも言うかのような仕草をしながら、微かに首を動かしてみせた。

 もう一方の手は励ましでもするかのように、大井の肩を軽く叩いている。

 足は治っていない為に義足らしきものを付けていたが、立っているだけだからなのか、さほど違和感のようなものは感じられなかった。

 その辺りも流石というべきなのだろうか。

 大井の方はというと、龍驤の方に視線を向け何か短く口を動かしてから、再び如月らの方に視線を戻した。

 二人に向かって如月は、分かっていますと言うつもりで頷いて見せた。

 撤退について話し合っている時に頼まれたのである。

 望月の事を。

「じゃ、乗船するから気を付けてね?」

「……大丈夫だって」

 少し後ろを向いて声を掛けると、気怠げな声が返ってきた。

 それから……少しだけ間を置いて。

「……如月こそ、中破してるでしょ? 大丈夫~?」

 逆に問い掛けの言葉が送られてくる。

 

「……大丈夫よ、心配しないで?」

 笑顔で何気なく、普通に言えただろうか?

 そんな事を、つい考えてしまう。

 別段、隠している事などないのだ。

 自身と艤装が損傷を受けてしまっている為、身体も艤装も自分でハッキリと解る程に能力が低下してしまっている。

 着替えて応急の手当もした為、見た目は然程でもないが……能力は低下した侭だ。

 ただ動くだけならば大きな問題は無いが、早さや細やかさを必要とする動きとなると……正直……少し、ではあるが不安になる。

 そんな不安が……なんでもない事まで気にしてしまうような、そんな状態を生み出してしまっているのだろうか?

 そう考えると……やはり、自分の役割は此方で良かったのだ。

 如月は改めてそれを自覚した。

 残れば更に、今まで以上に……皆に迷惑を掛ける事になっただろう。

 それで誰かに、何かがあったら……

 

「……どしたの?」

「……え? あ……御免ね? ちょっと考え事、しちゃって」

 不意に望月に呼び掛けられ、動転したものの……不思議と素直に返事が出来たせいか、如月は何故か……少し緊張が解(ほぐ)れたような気分を味わった。

 自分はこれで良いのだ。

 なら此処で全力を尽くすべきだろう。

「……ちょっと不安だから……一応、しっかり掴まってて?」

 やはり、少し考えてはしまったものの……如月は素直に小さな不安を口にして、望月にお願いした。

「あい、了解だよ~」

 そう返事があって、肩から前に回されていた腕に力が籠もる。

 それが不思議なほど心強く、安心できた。

「じゃ、行くわね」

 足に力を込め……跳躍する。

 海上ではないせいか……思った以上に力が上手く伝わり、跳躍した距離は予定よりも高かった。

 伸ばしたままの足でバランスを取りながら、背の望月にも気を配る。

 衝撃を減らすには前で抱きかかえた方が良かったのだが、望月におんぶにしてと頼まれたのだ。

 あまり顔を見られたくないのだろう。

 如月はそう考え、了解して彼女を背負ったのである。

 

 注意して……あまり衝撃を与えないように。

 着地する際に、伸ばした足を曲げながら、上手く勢いを殺すようにして。

 如月は初雪の船体の甲板へと降り立った。

 

「大丈夫? 望月ちゃん?」

「大丈夫だって…… あ~楽でいいねぇ~」

 確認の為に問い掛けると、力が抜けた感じの声が返ってくる。

 もっとも、如月からすると……彼女の調子は以前と比べて随分と弱々しく、元気が無いように感じられた。

 元々からして望月は、元気一杯というタイプでは無い。

 とはいえ、だらけた態度が基本ではあったが……面倒臭がりで楽をしたがる、という態度を取っているだけで……暗い訳でも悲観主義な訳でも無かったの筈、なのだ。

 少なくとも如月としては、今迄そのように感じていたのである。

 けれど……今の望月は違う。

 どこか暗くて、寂しげで……何かを、諦めてしまったような……

 そんな風に感じられるのだ。

 それとも自分が……そんな風に受け取ってしまっているだけ、なのだろうか?

 今の自分の気持ち……心内のせいで……何もかもを、そんな風に受け止めてしまっているのだろうか?

 

 そんな気持ちを……落ち込みそうになる気持ちを、今は抑えて。

 幾度目になるか分からないが、任務に専念しなければと自身に言い聞かせて。

 如月は足を進めた。

「このまま船室まで行くから、舌を噛まないように気を付けてね?」

「そんなヘマ、しないってば」

 そんなやり取りをしてから艦内へと入り、決められていた船室へと向かう。

 特に迷う事も無く、如月は望月の為に準備された部屋へと到着した。

 落とさないようにと気を付けつつ……望月をベッドに座らせ、外套を脱がせ、外出用にと着ていた上着の方も、脱ぐのを手伝う。

 背や肩を支えるようにして寝かせ毛布を掛けると、外套をハンガーに掛け上着は畳んだ。

 暖房等は無いが空のブリキ缶と薪は用意してあるので、火を付け、雑材や紙、木片等から薪へと……炎を燃え移らせる。

 作業をしている間、望月は横になって寝返りを打ったり如月の様子を見ていたりという感じで、眠らず無言で過ごしていた。

 火が落ち着く前に艦の揺れが激しくなったような気がしたので、動き出したという事なのだろう。

 

 その辺りは警戒を行ってくれている残存部隊の皆のお陰である。 

 とはいえ当然というべきか……警戒を代わって貰える時間にも限りはあるのだ。

 その短い時間、この場で話をして……何もかもを解決する、等というのは……不可能なのは分かっている。

 それでも……せめて次に話す為の切欠くらいは作っておきたい。

 そう考えるのだが、やはり当然という事なのか……如月には、上手い言葉が見つからなかった。

 

 もっとも、そこで咄嗟であれ考えた末であれ、言葉が出てくるのであれば……戦いが終わった後の初雪の船体上で合流した際に、もっと慰めるような言葉を掛ける事ができていた筈なのだ。

 その時の如月に出来たのは……鳳翔の事を尋ねてきた望月に……事実と、彼女からの言葉を伝える事、だけだった。

 糸が切れてしまったようになった望月を、支えるように強く抱きしめて……彼女の名前を呼んで……

 それは果たして……何かの役に立ったのだろうか?

 

 あれから時間が経った事で、互いに落ち着いたというのは間違い無いだろう。

 だが……かえって言葉を掛けるのが難しくなってしまったのではないか、という思いもある。

 無論、全く言葉を交わさなかった訳ではない。

 普通の、日常的な会話や任務に関しての話し合い等は、特に問題無くできていた。

 ただ……あの戦いの事については、望月とは話していない。

 望月の方も、触れてこない。

 だから、話さない方が良い……と、自分は逃げていたのではないだろうか?

 

 実際、望月の態度はここまでは酷くなかったのだ。

 今、帰還という時において、またあの戦いの直後……という程ではないが、今迄よりも悪い状態に……戻ってしまっている。

 そんな風に感じられるのである。

 

 なら……

(「……悩んでも、仕方ないわよね……」)

 器用に上手く、などと出来る訳が無いのだ。

 なら、不器用でも不様でも、やるしかない。

 

 やらないで後悔するより、ずっといい。

 自分にそう言い聞かせる。

(「そういえば、卯月ちゃんの時も……」)

 弥生の姿を見て、励まされたような気持ちになった。

 自分は本当に……妹たちに、助けられて、励まされているのだ。

 ならば、何もしないなんて……あり得ない。

 

 

「……ねえ、望月ちゃん?」

「……まぁ、分かってる、よ~」

 無理矢理、自分の背中を押すような気持ちで、決意して。

 声を掛けると……少し間を置いて、歯切れの悪い声が返ってきた。

「……もしかして……結構、顔に出てた?」

 尋ねると、少し気まずそうな感じで望月が答える。

「ハッキリとは分かんないけど、まあ……何となく、ね」

「……なんて言うか、私……如月として、お姉さんとして、失格ね……」

 溜息交じりに呟くと、のんびりとした調子ではあるものの望月は即座に否定した。

「それは違うと思うな~」

 そう言いながら毛布を除けて身を起こし、何か言おうとして……

「……やっぱ寒ぅ~」

 再び毛布に潜り込み、まるまる様な格好を取る。

「それはそうよ」

 そう言って如月は、先程まで望月が羽織っていた外套をそのまま望月にかけ直した。

「あ~まだ冷めてなくて良かった~」

 そんな事を言いながら望月は外套をしっかりと羽織ると、ベッドに腰掛ける姿勢になって如月の方へと向き直った。

「あたしは、凄ぅ~く! ……姉してる~って、思うけどね? ……如月って」

「……そうかしら?」

「うん」

「でも、今も結局……何も言えなかったし」

 如月がそう言うと、望月は少し俯いてから視線を外した。

「……いや、なんて言うか……なんも言われない方が、ありがたいって時、あるし?」

「けどそれって、何を言えば良いか分からなかったってだけで、結果論だし……」

 如月のその言葉に望月は、俯いたままの姿勢で微かに首を振ってみせた。

「いいじゃん? 結果的に、上手くいきゃ~さ~?」

 

 そこまで言ってから望月は、息と一緒に……何か……別のものも、吐き出すように呟いた。

「……上手く行かないのに比べりゃ、さ?」

 その姿が、余りに弱々しく感じられて。

「望月ちゃん……」

 如月は、その先の言葉を……続けられなかった。

 ああ、まただと自身を不甲斐なく思う。

 何を言っても意味が無いような、そんな無力感が湧き上がってくるのだ。

 いや、自分の内に塞ぎようのない穴が開いたような……とでも表現すべきか?

 そちらの方が相応しいのかも知れない。

 

「本っ当ぅ、に~ ……疲れた、よ~」

 その言葉は、寂しげではあっても……まだ、望月らしさを残していた。

 だが、それだけに。

 

「……疲れた」

 後に続いた一言は、ただの呟きとは思えない程の重みを伴っていた。

「疲れた……だけ、だった」

 そう言ってから望月は、如月から視線を外して俯いた。

 俯いているせいで、顔は見えない。

 それでも、泣いているだろうというのは声で推測できた。

 

「結局、駄目だった」

「ホント……何の意味も、無かった……」

 

 殆ど間を置かず発されたそれらの言葉には、何かが、籠り過ぎていて……

 却って空虚に、空っぽに、響いた。

 

 如月に話し掛けているのは、間違いない。

 だが同時に、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

「頑張る意味なんて、ないじゃんっ……て、思った」

「そんな事……」

 無い、と……如月には、言い切れなかった。

 つい先程、自分が弱音を吐いた時には妹に慰めて貰っていて……いざ妹が弱音を吐き出した時に……何も言えず、言葉を途切れさせてしまう……

 そんな自分が、余りに情けなかった。

 空虚でも、実感が伴わなくても、断言すれば良いのだ。

 そんな事ないと、言い切れば良いのだ。

 そう思いはするものの……何か言ったところで、綺麗事や慰めでしかないのだという想いも浮かんでしまう。

 何も言わない方が有り難い、という先程の望月の言葉も……口を重くした理由の一つかも知れなかった。

 

 自分達は機動部隊の主力である、航空母艦の護衛だった。

 そして、その護衛対象であった空母を……守れなかったのだ。

 何とか声を掛けたい。

 そうじゃない、と望月に言いたい。

 確かに、自分達は守る事が出来なかった。

 でも、それでも……望月の全力は、懸命さは……

 決して否定されるべきではないのだ。

 

 自分は結局、大した事は出来なかった。

 けど、望月はそうではないのだ。

 それこそ文字通り、言葉通りに……身体を張って、守ろうとしたのだ。

 それなのに……

 

「がんばって、それでも失敗するくらいなら……」

 そんな望月の口から。

「最初から、頑張らないほうがいいじゃん……」

 そんな言葉が……零れる。

 普段のような……力を抜いた、軽い雰囲気の言葉では無い。

 

 弱々しい、本当に絞り出すような声で……

 発された、一言。

 

 

 それに向けられるような言葉を、如月は……見つける事が出来なかった。

 何を言っても軽くなってしまいそうで。

 上辺だけのような、中身の伴わない言葉として響いてしまいそうで。

 かえって傷付けてしまいそうで……

 重い口を懸命に開いても、動かそうとしても……唯、弱い息が零れただけで。

 

 でも、何も出来ない事に耐えられなくて……

 身を乗り出すようにして、如月は望月を……ぎゅうっと抱き締めた。

 それに対して、望月は何も反応しなかった。

 

 振り解こうともせず、じっとした儘だった。

 微かに身体が震えているのだけが……伝わってくる。

 いや、それは……徐々に大きくなっていくように如月には感じられた。

「……意味なんて、ないじゃん……」

 また望月が呟く。

 もう、鼻が詰まったような涙声だった。

 少女の身体の震えが大きくなる。

 いつのまにか彼女は、嗚咽していた。

 

「……守り、たかった……」

 もう堪える気も隠す気もない様子で、態度で、望月は口にした。

「守りたかった、守りたかった……守りたかった……]

 

 それなのに……

 

「また……守れなかった……」

 鼻をすする音がする。

 俯いたままの彼女の目尻に溜まった滴は頬を伝う途中で、抱き締めた如月へと触れ……制服に滲みを作ってゆく。

 

 暫くは、どちらも無言だった。

「……制服、汚れるよ……」

 少し落ち着いて……気恥ずかしさを感じたのか。

 そんな事を言う望月に。

 

「そんな事、気にしなくて良いの」

 如月は短く答えて、自分の想いを口にした。

「こうしていたいの……ねえ、お願い。如月の好きなようにさせて?」

「……まあ、いいけど、さ……」

 それだけ言うと、また望月の震えが大きくなった。

 それでも、先程までとは違い、声は殆ど聞こえてはこない。

 

 我慢しないで欲しい。

 もっと本気で、本音を吐き出して欲しい。

 ぶつけて欲しい。

 

 そう思いはしたけれど、如月もそれ以上は言わなかった。

 言う方が辛くて苦しい、きつい……そういう娘もいるのだ。

 寧ろ、望月は随分と言ってくれたように思う。

 

 艦娘としての能力や練度というだけではない。

 決めた事をやり遂げるという強い意志を、そしてその中で如何すれば良いか冷静に判断する理性と知性を持っているのだ。

 ただ、それらを……絶対と言っていい程に表には出さない、というだけで。

 普段のだらけた、気を抜いた態度が、完全に偽りなどとは思わない。

 あれも艦娘としての望月の、本当の姿なのだろう。

 

 ただ、それで他の殆ど全てを覆い尽くしてしまっているというだけの事なのだ。

 それもまた強さなのだろうと、如月としては思う。

 

 見栄を張るというのが全くないのだ。

 誰かから、周囲から、少しは良く思ってもらいたい。

 そういうのが全くない、感じられないというのは……やはり如月としては、単純に凄いと思えてしまう。

 期待されたくないからだという話は聞いたが、そう思い実行してしまう時点で如月からすれば強いと思うのだ。

 そして……如何しても、自分と比べてしまう。

 こうして望月を慰める格好になってはいるが……果たして自分に、そんな余裕があるだろうか?

 自分こそ、嘆き後悔する姿が相応なのではないだろうか?

 そんな事を考えてしまう。

 あの時の自分を、ほんの僅かでも思い出すだけで……余りの情けなさと未熟さに、今でも冷静さを失ってしまいそうになる。

 まだ十分に、細かいところまで思い出せる記憶。

 望月を抱き締めたまま、そぅっと頭を撫でながら……如月は、あの日の戦いを思い返した。

 

 

 戦いの前、鳳翔と言葉を交わした時の事は覚えている。

 けれど、戦いが始まってから……あの時までの記憶は、覚えてはいても……あの時ほどは、鮮明では無かった。

場面場面は覚えており鮮明な部分もあるが、全体としては把握できていない。

 そんな風ではないかと自分としては分析している。

 敵の攻撃は、前半は龍驤に集中するような形になり、龍驤が被弾し戦線から離脱して……鳳翔が指揮を執る事になって。

 

 敵攻撃隊の襲撃の合間を縫うようにして小休止を取った際に、鳳翔だけが休まなかった事を心配して、声を掛けて。

 それで少し本音を漏らしてもらえた事が嬉しくて。

 けれど、また後でという約束は……守れなかった。

 鳳翔が約束を守ってくれなかった、等とは思わない。

 寧ろ……自分がもっと確り出来ていれば……

 戦いが終わった後で、また言葉を交わせた筈なのだ。

 そう考えるのは……驕り、だろうか?

 

 どれだけ冷静に分析しようとしても、客観的になれる自信が無い。

 責任転嫁しているか、自身の能力に過大な期待をしているか……どちらかのように思えてしまうのだ。

 

 あの時……敵の爆撃機隊らしき小集団が纏まり切れない状態で、それでも鳳翔上空に近付き、急降下爆撃が開始されてから……何機目だったろうか?

 敵機の急降下を視認し、対空射撃を行いながら警戒の言葉を発して……衝撃と共に自身の状態が分からなくなって……

 気付いた時には既に、鳳翔の船体は……轟沈レベルの損傷を負っていた。

 無論、当時は轟沈と即座に判断できた訳ではないが、戦闘の継続は不可能だろうと推測できる損傷だったのは間違いない。

 そこからの自分は周囲の状況に圧倒されてしまっていて、全くと言っていいくらいに冷静になれなかった……ように思う。

 無論、懸命に出来る事をしようとはしたが……何も出来なかった、という感じで……今も酷い無力感を味わい続けている……のは、間違いない。

 鳳翔自身を発見するまでは、最悪を想定してはいても、それはまだ確定では無かった。

 だが、もう助からない、助けられないと感じた時の、あの気持ちは……

 

 

 その時の気持ちを思い出して、如月の内で蠢いた何かが……込み上げてきた。

 あの時も……そうだったのだ。

 あの時の自分は、酷い傷を負った鳳翔の姿に衝撃を受けながら……同時に、冷徹に判断したのだ。

 もう助からないと、呆気ないほど即座に諦めたのだ。

 それは果たして、冷静さなのだろうか?

 それまで混乱し、動揺して無力感を味わい続けていたのに、突然冷静になれる……等という事が、あり得るのだろうか?

 振り返ってみて考えると、そんな疑問と自己嫌悪の感情が湧き上がってくる。

 実際は、冷静に判断するようにして、ただ、諦めただけではないのだろうか?

 本当は、理由を付けて努力を放棄しただけではないだろうか?

 違う、と否定したくても、否定できない。

 寧ろ、そうではないか……と、思えてしまうのだ。

 

 自分は結局、全力を尽くしたのだろうか?

 勿論、その時は全力を尽くしたつもりだった。

 それに関しては、欠片も偽りなど無い。

 

 そして……任務を果たせなかったという現実を拒むような気持ちも、欠片も無い。

 守り切る事ができず……鳳翔から言葉を受け取り、数人の妖精達を預かって脱出し、初雪と望月に合流して……

 そうやって自分が正式に参加した初めての作戦は終わり……先に退避していた司令官達を追うようにして、自分達は帰途に就いたのである。

 

 港に到着してからでは無く、帰還の途中で……幾度も、戦闘中の事を振り返った。

 失敗と思える事は無数にあり、間違えたと思う事、こうすれば良かったのではと思える事も、幾つもあった。

 大きなものでは、やはり状況を落ち着いて判断できていなったという部分が第一だろう。

 何とか冷静にと考えはしつつも、最終的には状況に流されてしまっていたように思う。

 悔いというものは、それこそ数え切れなかった。

 だからこそ……全く出来ていなかったと思ったのである。

 

 

 それと比べれば、望月は全く違う。

 自分に比べれば……いや、比べる必要など無い。

 如月としては、比べるなどという行為は、寧ろ失礼に思えてしまう程である。

 彼女はそれこそ本当に、出来る限りの事をやったのだ。

 対空射撃を続けながら状況を判断し、敵機が鳳翔に攻撃を行うのを妨害し続け……最後には文字通り、身を挺して魚雷を防いだ。

 全力では無く、死力を尽くしてという表現が大袈裟でない程に力の限りを尽くしたのだ。

 

 逆に……だからこそ、なのだろうか?

 そこまでしても駄目だった……だからこそ、という事なのだろうか?

 

 如月は、そう結論を出した。

 自分は……ただ、無力な自身を哀れんでいるだけかも知れない。

 そんな自分に、全力を尽くし、それでも目的を達成できなかった望月の気持ちは分からないのだろう。

 それでも、見当違いでも、何も言わないのは無しだ。

 それは、駄目なのだ。

 

「……もう、大丈夫だよ」

 抱き締められたままの望月が小さな声でそう告げたのは、如月が小さく深呼吸しようとした時だった。

 声はまだ泣いているかのような響きだったが、少なくとも震えの方は治まったようである。

 だから如月は、最後に少し強く抱き締めてから、手を解き身を引くようにして望月から離れた。

 望月と同じ視点になるように、近くの椅子を引いてきて腰を降ろす。

 

「……ありがと、如月」

「別に私は……結局、なにも言えなかったし」

「それが良いんだってば」

「そうかしら?」

「たぶん、何言われても、さ? 逆に……そうじゃない、みたいに思えちゃうんじゃないかな~って思う」

「そうなの?」

「ま、あたしは~ってだけかも知れないけど……結局さ? 分かんないでしょ、人の気持ちなんてね~」

 軽い調子ではあったものの、その一言には望月の気持ちが詰まっているように感じられた。

 少なくとも如月には、そう思えた。

 その点に関しては、違いはあるものの如月も似たような考えを持っている。

 もっとも如月の場合は……自分には人の気持ちが分からないのだ、という自己に向けての評価になるが。

 どうであれ、誰かの気持ちというのは分からないものだという認識では、如月と望月は一致しているのかも知れなかった。

 

 それでも、如月としては何も言わない訳にはいかないのである。

 それは望月の為というよりは、自分の為なのかも知れなかった。

 自分で自分の事を、逃げていると思いたくないからだ。

 自分で自分の事を、嫌いなどと言いたくないからなのだ。

 それでも。

 だからこそ。

 今度こそ、と……小さく深呼吸して。

「……望月ちゃんには、たぶん……無理だと思うの」

 如月は先程の望月の言葉を思い出しながら、自分の考えを口にした。

 

「……何が?」

「最初から諦めて、がんばらない事って……望月ちゃんには難しいんじゃないかって思う」

「……何で?」

 そう尋ねる望月の顔には、不快そうな感じは全くと言って良いほどに無かった。

 どちらかというと好奇心を刺激でもされたかのような……言葉の続きを興味深そうに窺っているような、そんな感じが漂っている。

「だって望月ちゃん、それで上手く行かなかったら後悔するでしょ? 頑張っておけば良かった、成功したかも知れない……って」

「そんな事は……」

「無い?」

「……まあ、無いとは……いえないかな~?」

 そう言いながら望月が、視線を横に逸らしてゆく。

 

「それに、実際のところ……分からないでしょ? 成功するかしないか、なんて」

「ま~ ……そうだけど」

「だったら……頑張るしかない、でしょ?」

「……まあね~」

「……何か変な事、言ったかしら?」

「いや~ 変じゃないけど……如月がそこまで言うとは、思わなかったかな~?」

 視線を如月の方に戻した望月が、少し驚いたような表情でそう言った。

「……そう?」

「ん~ ……あ~でも、今まで遠慮してたって感じなのかな?」

 反射的に声を出さなかっただけでも、自分としては充分と言えるだろう。

 そんな事を、如月は一瞬だけ考えた。

 出来るだけ抑えて、皆に気を遣わせないようにと努めていたつもりなのだが……もし出来ていなかったのだとしたら……赤面どころの話ではない。

 今も自分は声を出さなかったというだけで、恐らくは驚愕の表情を浮かべてしまっている事だろう。

 そんな自分を想像するだけで……顔が熱くなっていくような気持ちになる。

「……何かもう、色々と恥ずかしくて立つ瀬が無くなってきちゃった感じが……」

 正直、このまま顔を押さえて蹲(うずくま)りたかった。

 意識して、可能な限り装って、努めて……

 それが全部、見透かされていたのだとしたら……

 言った通り、本当に……恥ずかし過ぎる……

 そんな姿を見かねたのか、助け船を出そうとしたのか?

「ん~他は気付いてないんじゃない? 金剛さん、龍驤さん辺りは察してるかも、だけどさ~」

 頭を掻きながら、そう言って。

 望月はまた、視線を逸らした。

「それに、そっちの方が、い~でしょ~? 皆も、そう思うんじゃない?」

 態度そのものは、別にどちらでもと言うような感じだったが、彼女の言葉は肯定的だった。

「ま~ 言ってることに頷くかどうかは……あたしとしちゃ、別の問題だけど……さ?」

「……望月ちゃんらしいわ」

 望月の言葉に小さな笑いが、こみ上げる。

 それで如月は、くすりと笑った。

 

 妹に対して、敵わないな……などと思うのは……未熟なのかも知れないけれど、随分と気持ちを楽にして貰えたように思えた。

 だから今は、出来るだけ自分の思いを言葉にすべきなのだろうと思う。

 後悔しない為に、出来る事を、出来るだけやっておかなけばならないのだ。

 

「……で、話を戻すけど」

「あ、やっぱり~?」

「望月ちゃんが言ってくれたんだし……如月も言っておかなくちゃ、って思うの」

「なんだかんだで真面目だよね~ 如月って」

「そうかしら? 自覚はないけど……寧ろ、そうしないと耐えられない……みたいな感じ?」

「それを真面目って言うんじゃね?」

「もしそうなら……望月ちゃんも、かなり真面目な方だと思うわ」

「やめ~ ……なんか、こそばゆいから」

 先程までと比べると、随分と空気が緩んだというか、柔らかくなったような気がしていた。

 ここから真面目な話に戻るというのも空気が読めていない感じがしなくもないが、それでも……言っておこうと思った事くらいは言わなければならない。

 

「で、あくまで如月というか、私個人の話になるけど……頑張って全力を尽くした方が、まだ、気持ち的に楽じゃないかしらって思うの。辛いことには変わりないかも知れないけど……悔いは少なくなるんじゃないかっ、て……」

 

「……如月には、あの戦いで悔いがあったって事?」

「……ええ、そうよ」

 望月の問い掛けに、如月は頷いて見せた。

「……私は、すごく後悔したわ」

 その言葉に、望月は目を細めた。

 その視線を受け止めながら、如月は思い返すようにして、口を開く。

 

「あの場では、出来る限りの事をしたつもりだった……けど、思い返すと……全然だったんだな、って思うの……」

「……それって、普通に反省ってだけじゃないの?」

「もちろん、それが全然無いって訳じゃないわ。けど……本来なら出来ていておかしくない事が、焦って全然出来なかったっていうのが、幾つもあったの」

「……でも、それって……仕方ないんじゃないの?」

 如月の言葉に、望月は端的に答えを出した。

「如月って、確かあれが初めての実戦だったんじゃ? 初めての実戦で……いきなり落ち着いて、習った事をしっかりと、みたいなのは難しいんじゃね~? 前の記憶があったとしても、昔と今じゃ全然違う訳だし」

 

「うん、でも……」

 全てを、というのは不可能だろう。

 それでも、もう少しだけでも良いから……何かが出来ていたら。

 

「……落ち着いて動く事が出来てたら」

 敵機の動きは、見えてはいたのだ。

 対空射撃の基本は、撃墜では無い。

 あと1機でも2機でも良いから……爆撃を妨害、阻止できていたら。

 そこまで出来なくても、爆撃のタイミングを遅く出来ていれば……それだけでも、もしかしたら、鳳翔の船体は直撃ではなく至近弾で済んだかも知れない。

 

「それに……実戦は無理でも、もう少し訓練したり戦闘について学んだりしてたらって思うと……」

「あの頃って、でも……皆、如月に色々聞いたり話したりして、大変だったんじゃ?」

 少し考え込むような仕草をしてから望月が、少し曖昧な表現で尋ねてきた。

「……まあ、そうだけど……」

 言葉を濁した望月に感謝しつつ、如月は当時を振り返った。

 勿論、当時とは言っても、ほんの数日前の事である。

 それなのに……随分と昔の事のように感じられる。

 

 

 自分が所属する以前、艦娘部隊には如月が所属していた事。

 完全に否定された訳では無いが、ほぼ間違いなく……自分はその如月とは違う、という事。

 そして、その事を意識し過ぎて……他の多くの事を疎かにしてしまったのだ、という想い。

 当時は、自分自身というものを確りとさせる上で必要な事だと思っていた。

 けれど今、振り返ると……

 

 本来為すべき事を為さなかった、という風にも思えるのだ。

 比べるまでも無く、考える必要も無く、自分の能力は大きく劣っていた。

 それを少しでも向上させる為に、訓練を行うか、艦娘や艤装について学習する事こそが、あの時の自分に必要な事ではなかっただろうか?

 

 能力を高める、自身を知る……どちらも自己を確立する上で重要な事である。

 決して不要な事ではない。

 自身について考える事を不要とは思わないが、それを行うのは後にするべきではなかっただろうか?

 そんな風に思えるのだ。

 

「……なんて言っても、今更……なのよね……」

 少し我に返ったような気分になって、如月は一旦、言葉を切った。

 冷静に考えると……唯々、後悔しているだけにも思える。

 省みて反省して次に活かすというのなら大事なことだが、あの時ああしていれば……だけでは、意味が無い。

 

「……御免なさい。なにか、愚痴みたいになっちゃって……」

「や、まぁ……あたしは気にしないよ?」

 そう言って望月は投げやりな感じで首を振った。

「むしろ、さ……如月は、凄いね? って、思ったかな~」

「……え? 」

 突然そう言われ、如月は不思議な気持ちになった。

 言葉の意味を理解できれば気恥ずかしさのようなものを感じたのかも知れないが、彼女は望月の言った事を即座には理解できなかったのである。

 ただ、訳も分からぬまま頭の内で反芻させただけだ。

 それで漸く、少しずつ理解できてきたのだが……そうなると今度は、何故凄いと言われたのかが分からなかった。

 如月にとって先刻までの自分は、唯々、後悔していただけなのだ。

 それなのに凄い……等と、言われたら……

 

「変に見えるとか、可哀想な感じとか、そういうんじゃないから」

 先に言っておくけどと前置きした望月が、そういって如月の疑問と言葉を封じた。

 

 

 こういう所は本当に凄いと如月としては思う。

 自分より余程……洞察力、他、色々……感じて察する力に優れている、とでも表現すべきか。

 それなのに……察されたとか、先まで読まれたとか感じさせない態度。

 ただ、何となく……雑っぽく、テキトーな感じで……

 思い付きで喋っているような、そんな風に聞こえる表現の仕方……

 

(「もしかして……」)

 いやもしかしなくても、照れ隠しなのかしら……と。

 如月としては、考えてみたりもする。

 思い付きで思い通りに生きているように見えて、見せて……実際、ある程度は思い通りに生きているのだろうけれど……それでもやはりというべきか、色々と沢山のものに縛られて……不自由な生き方をしている……それが、如月が感じる望月の印象だった。

 勿論それに関しても、如月自身がそう感じているだけで、正否に関して自信というほどのものは持っていない。

 

「……次は、そうならないようにしないと……って感じが伝わってきたからさ~? ……凄いなって思ったの」

「それを言ったら望月ちゃんは、もっと凄いと思うわ」

「……何か、さっきもこの流れあったから、止めない?」

 そう言って望月が視線を逸らせ顔も背けた。

「……うん。じゃあ、そうしましょうか」

 背けた顔が少し赤くなっているようにも見えたので、如月はそう言って会話を切り上げる事にした。

 時間の方も近付いている。

 余裕を持って動いておいた方が良いだろう。

 

 話が中途半端な気はするが、変な気持ちで締め括るよりは……ずっと良いのでは、と思えた。

 それに、この方が……また後で話をしようという気持ちにもなれる……気がする。

「それじゃ、そろそろ戻るわね」

 そう言って腰を上げると……望月は気怠そうに返事をしてから、ベッドに横になろうとした。

 というか、実際にそのまま横になった。

「……ほら、外套掛けてあげるから脱いで?」

「え~めんどい~ このままで良いじゃん?」

「それで丁度良くなると、起きた時に寒いんじゃない?」

「……そういうのもあるか~ ……仕方ない」

 残念そうに言った望月が、本当に面倒そうな態度で身体を起こす。

 苦笑しながら如月は手を貸して、彼女が脱いだ外套をハンガーに掛け直した。

 横になった望月に毛布を掛けてから、燃える廃材の入ったブリキ缶を……あまり近付けるのは怖いので、少しだけベッドに近付ける。

「それじゃ、ちゃんと休むのよ?」

「それに関しては自信あるから、大丈夫だってば」

 横になった望月が、船室の天井を眺めるようにして答えた。

 

「……ありがと」

 少し間を置いて、如月が背を向けるのに合わせるようにして……

 後ろから、小さな声が聞こえてきて。

「ううん、私の方こそ」

 振り返りはせず、でも聞こえるように少し大きめな声で礼を言って、如月は船室を後にした。

 

 

 そのまま警戒に当たるので、途中で最低限、身嗜み(みだしなみ)を整える。

 鏡で確認した自分の顔は、少し目元が赤いような気もしたが……多分気持ちのせいだろう。

 如月は、そう思う事にした。

 本当に冷静に、さっきの自分を見詰めたら……顔か頭を抱えて身悶えする事になりそうだから。

「……頑張らないと」

 自分に言い聞かせるように呟いて、少女はそのまま艦橋に向かう。

 

 変わらず艦橋で待機していた龍驤と大井に挨拶して、初雪とも少し話した後で。

 出撃の為、甲板へと出ると如月は艤装を展開した。

 もう一度、自身の身体の動きも確認する。

 多少の不自由はあるものの、航行するだけならば……多分、それほど問題は無いだろう。

 とはいえ艤装のみの航行となると……波で初雪の船体を見失わない様に、十分に注意しなければならない。

 船内の感じで予想してはいたが……波は既に高かった。

 前方で警戒に当たってくれている弥生と長月の姿も、注意していなければ見失ってしまう程である。

 甲板の高さから見て此れなのだから、海上となると見失う危険は更に高くなるだろう。

 当初の予定通り、もう少し波が高くなった後は船体の上からの警戒という形で良いだろう。

 

 天気は良くないが、進路を変更する必要があるという程ではなかった。

 寧ろ、この天候のお陰で敵に発見させる可能性、襲撃の危険が低くなる筈だ。

 やはり……敵の襲撃よりも逸(はぐ)れる事を警戒すべき、という処だろう。

 そんな事を考えながら如月は合図を送り、海上へと移動すると前方の2人に近付いて行った。

 

 もう挨拶は済ませている。

 だから、言葉は短く済ませるつもりだ。

 何か話し始めたら、きっと自分は……止まらなくなってしまうに違いない。

 

 それでも、もしかしたら……

 これが……最後になってしまうかも知れないのだ。

 

 

 そんな不安を、抑え込んで。

 きっとまた会える筈だと、自分に言い聞かせて。

 如月は見えてきた二人の背に向かって、波の音に負けぬように。

 大きな声で、呼び掛けた。

 

 

 

 


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