●北方海域海戦、その後 三
「はい……お話、してました。如月と……」
主の問いに弥生はそう答えて、砲に結んだ……傷んでいるリボンに手で触れた。
餞別という話で如月から渡されたのだという。
如月自身が既に小破と呼べる損害を受けているので、リボンの方も新品という訳にはいかなかったのだろう。
もっとも、それで良かったという感じもした。
汚れひとつない新品のリボンの方が、形見としては残酷過ぎるように新城には思えたのだ。
餞別という名での生前の形見分け……などとは思っても、勿論口にはしない。
そもそも餞別というのであれば、出向く者へ渡すべき物なのだ。
駆逐艦1隻と5名が去り、その場には15名と艦娘4隻が残っている。
弥生を含め先刻の彼の偵察に付き合った5名を除けば、10人と3隻。
「ヘ~イ、新城中尉」
その内の1隻が礼をした後、質問した。
戦艦の中でも高速戦艦と呼ばれる艦に分類される艦娘の中で、金剛型戦艦一番艦と呼称される戦艦金剛である。
「これから、如何なさいマースか?」
「……君は何も言わなかったな?」
「質問を受けマセンでしたので」
判別の難しい表情のまま、彼女は通りの良い声で返答した。
現在のところ艦娘に正式な階級というものは存在していない。
そもそも人間ではないという立場を与えられている以上、扱いが部隊の長や指揮官任せになっているのが現状だ。
艦娘を戦力として所持する部隊……いや、主力として運用する部隊ですら、この有様なのである。
彼女はこの部隊では先任の下士官のような立場を与えられてはいたが、だからこそというべきなのか尋ねられない限り意見は言わないというスタンスを貫いていた。
彼女が既に戦艦としての船体を失った身であるというのも、立場を一層複雑にしている。
艦娘と呼称される彼女たちは、基本的には人間のような外見を持つ本体とその本体が装着して使用する艤装と呼ばれる装備、そして旧時代の軍艦、艦艇に似た外見を持ち本体の意志で制御可能な船体と呼ばれる兵器の3つを合わせて完全な一個体と考えられている。
因みにこの一個体の艦娘を一人二人と数えるか一隻二隻と数えるかは、未だ軍内部においても固定されていない。
本体とは言葉通り艤装と船体を操る力を持ち、これが完全に破壊された場合、人間で言うところの死亡状態となり、艤装も船体も消滅する。
人間に極めて酷似した外見であるものの、物理的な強度や発揮できる力は人間を大きく凌駕しており、艤装を展開した状態であれば本体と艤装のみでも深海棲艦との戦闘が可能なだけの強さを持つ。
艤装は本体の装備する武装で、船体の各部を縮小し組み合わせたような外見をしている。
本体が装備する事が可能な形状をしており、これを装備する事で本体は海面に立ち、艤装の機関を稼働させることで推力を得て航行し、艤装の武装を用いて砲雷撃や航空機の運用等が可能となるのだ。
因みに海面に立つ事は(現状では)全ての艦娘が可能であるが、どのような戦闘行動が可能か如何かは艦種に大きく左右される。
最後となる船体は、旧時代の軍艦や艦艇に極めて酷似した外見を持っており、艤装を大きく上回る戦闘能力を所持している。
乗組員が操作する事も可能だが、そもそも艦娘の意思で動かす事が可能で、しかも艦娘本体は船内各所に瞬時に移動する事が可能。
また、本体は船体を自身とするかのようにして周囲を知覚する事が可能となっている。
そしてこの船体や艤装を、艦娘たちは収納する事ができる。
収納という言葉を用いているが、実際にどのようになっているのかは分からない。
(そもそも船内の瞬間移動や船体艤装の操作、船体との感覚共有等も理論敵には全く解明されていないが)
分かっているのは、彼女たちが自分の意思で艤装や船体を消したり出したりする事が出来るという事だけだ。
この行為を便宜上、収納・展開と呼称しているのである。
消す事も出す事も数秒ほどで可能。
消した状態で本体が別の場所へと移動してもその場で出す事が可能で、本体が意識を失ってでもいない限り、消せない、出せないという状況は確認されていない。
ただ、消せないはともかく出せないという状態は存在する。
艤装や船体が完全に破壊されてしまった場合だ。
艤装も船体も高い耐久力を持つが、自動的な修復機能等は無くダメージは蓄積していく。
限界を超えてしまえば完全に破壊され、修復する事は不可能となる。
逆に言えば、完全に破壊される前であれば修理する事が可能なのだ。
因みに本体の方は艤装さえ無事ならば死んでいない限り回復していく。
艤装や船体は機械のようだが、本体の方は外見は人間そのもので負傷の仕方も人間と変わらない。
肉や骨、内臓を持ち、血を流し過ぎれば失血死する。
ただ、死んだ後は人間とは異なり……短い時間を置いて消滅してしまう。
因みに本体が生きていても艤装を失ってしまうと、本体の能力そのものも人間と同程度まで低下する。
艤装を出していないだけの状態と異なり、肉体能力や治癒回復力も人間と同じになってしまうのだ。
艤装や船体が損傷したからといって本体がダメージを受けるような事は無い。
但し、艤装が完全に破壊された場合は船体も完全に消滅してしまう。
つまりは艤装を失った艦娘はその時点で船体も失い、外見や能力は完全に人間と同じになってしまうのだ。
人間として生きていく分には社会的立場以外の不便は無いが、艦娘としての能力は完全に失われてしまう。
艤装を解体するという実験が行われ実際に人間のように生活している艦娘がいる以上、これらに関しての情報は真実なのだろう。
死んだ場合も艦娘だった頃とは異なり、死体は残り、腐敗し、恐らくは……やがて土に還ってゆく。
金剛の場合、船体は失いはしたものの艤装の方は修理する事ができた為、艦娘としての能力を喪失するまでには至らなかったのである。
とはいえ戦闘能力が大きく低下したのは事実だった。
もし彼女が以前の戦いで船体を消失していなければ、彼女は戦艦という自らの艦種に相応しい立場と役割を与えられていた事だろう。
以前とはいっても、北方海域での艦隊決戦ではない。
深海棲艦出現後から続いていた、公には発表されていない無数の戦いのひとつである。
恐らくはそういった知られざる戦いが、人々の知らない海で幾度となく繰り返されてきたのだろう。
船体は失ったものの艤装は完全に修復され、無論それまでの戦いで蓄積された情報や技術も失ってはいない。
だからこそ彼女は、かつては後進たちを指導する指導艦娘として、そして現在は隊付きの補佐官として、艦娘や人間を支えているのである。
そういった立場故なのか、彼女を指揮する役割の者は部隊にはいなかった。
あえて言うならば特別艦隊の司令官直属の艦娘として大尉を補佐する立場という事になるのだろう。
普通の人間と比べれば……いや、比べられない程に高い戦闘力を所持している彼女だが、現在は戦力というよりは協力者、隊長の艦娘への扱いについて助言する立場の者として部隊に所属しているのである。
とはいえ建前的に色々言われていても、実際の彼女には何の権利も権限も与えられてはいない。
理解を示す部隊長に恵まれない限り、部隊に対して彼女にできる事は何も無いのだ。
ちなみに金剛が指導艦娘だった時代、彼女は艦娘だけでなくそれを率いる指揮官への教育の一部も担当していた。
その時に教育を受けた人間の一人が新城という訳である。
教育や指導といえば聞こえは良いが、実際のそれは限界への挑戦の繰り返しとでも表現するべきものだった。
どこか旧時代さを感じさせるそれらを、新城もまた若い時分に海上や陸上で叩き込まれたのだ。
艦娘というのは余程に恐ろしいものなのだと考えるようになった理由のひとつは、彼女の教育にあると言えよう。
もっともそのお陰で、艦娘という存在への理解は深まったとも言える。
百聞は一見に如かずは事実なのだ。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶというが、愚者も学ぶことで賢者の足元くらいにはすり寄る事ができるのかも知れない。
勿論そういった機会を得られなかった者もいる。
人間としての権利を与えられない艦娘の金剛がそのように振舞えたのは、あくまで一部のみの例外なのだ。
今回のように立場はあっても意味は無しという方が一般的なのである。
艦娘部隊の外に出れば、兵器や軍の備品のような考え方の者もいる事だろう。
そういう意味では新城のような指導を受けた者を不幸とか幸運とかの一言で片付けるのは難しい。
理解を得られない者に率いられざるを得ないという状態は、率いられる者だけでなく率いる者にとっても悲劇なのだから。
「それで、中尉はどのように為さるおつもりデスか?」
姿勢を正したまま、金剛は新城に質問した。
顔は真面目そうであるものの、瞳には彼の内を窺うような……好奇心にも似た何かが浮かんでいる。
「撤退の準備を進める……但し、開始するのは一時間後だ」
「その前に敵が現れるかも知れマセンが?」
「敵が駆逐艦だとしても、ここから最寄の海岸となると急いでも半日は掛かるはずだ」
「デスガ、空母が含まれている可能性もありマース」
その言葉に、新城は文字通り苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
問題はそれなのだ。
現在の待機地点と新城が偵察を行っていた海岸は直線距離にすれば決して遠くはないが、それでも艦砲射撃で狙える距離ではない。
戦艦ならば射程は何とかなるかも知れないが、それだけである。
寧ろ戦艦が含まれていれば、夜になってから撤退しても追い付かれる事は無いだろう。
倒せと言われるならばともかく、逃げろというのであれば余程に楽だ。
「……そういえば金剛型は水上偵察機を運用可能だったんじゃないか?」
「残念ながら喪失しマシタ。新たに補充を受けない限り運用は不可能デス」
ふと思い出して尋ねると、本当に……悔しそうな表情で彼女は説明した。
偵察部隊の事を思い返しているのだろう。
偵察機さえあれば、如月がわざわざ再度の偵察に赴く必要は無かったはずだ。
艦種は違えども艦娘たちの同族を想う気持ちは強い。
知らなかったとはいえ彼女を傷つけるような発言をした事を新城は心の内で詫びた。
口には出さない。
代わりに話題を変えるように、状況を確認するように、駆逐艦娘たちに質問した。
「3人共、船体はすぐに出現させられるか?」
「……命令あれば、すぐに」
「敬礼! ぴょん!」
「卯月っ! すまない、中尉。長月も命あれば何時でも可能だ」
彼の問い掛けに3隻はそれぞれ、らしい態度で答えを返した。
弥生と共に残った駆逐艦たちの名は、卯月と長月と言う。
長月の方は十分な訓練と実戦を経験した戦士然とした態度だったが、それが幼い子供のような外見と合わさる事で……何処か不自然な、現実的でない雰囲気と印象を周囲に与えていた。
卯月の方は逆に無邪気な子供という様子で、そういう類の不自然さは感じられない。
ここが本土から離れた戦地で無ければ、明るく可愛らしい仕草で周囲の者たちを癒していた事だろう。
残念ながらここが戦地である以上、彼女を眺める者たちは……一種の不自然さと不安を感じずにはいられなかった。
そういった幼子が無慈悲に傷付き命を落とすのが戦場なのだという未来を、予感を、どうしても感じてしまうのである。
人並に偽善の感情が湧き上がりかけるのを、新城は何とか抑制した。
今の彼にはそのような贅沢は許されていないのだ。
彼に出来るのは現時点での最悪を予測し、それを避ける為に自身に与えられた権限の中で最善を尽くすという事だけである。
いつでも動けるように待機していた為、撤退の準備といっても大したものは必要なかった。
むしろ動き始めれば本隊と合流するまで殆んど休息を取る事が出来なくなるかもしれない以上、僅かでも兵たちを休ませた方が良いかもしれない。
残っている兵と3名の艦娘に交代で短時間の休息を取るように命ずると、新城は残っていた最後の士官、少尉の一人と金剛を加えて、少し離れた大木の下で地図を広げた。
少尉の方は士官としての教育は受けているが、艦娘については詳しく学んでいない為、あくまで部隊を指揮する立場の人間である。
この部隊への配属を望んでいたのかは分からないが、職務には真面目にあたる若者のようだった。
三者が話し合ったのは本隊への合流、つまりは撤退についての方法である。
航路の方は確認済みであるが、追撃を受け予定通りに進めないという可能性は常にあるのだ。
新城としてはできるだけ簡単に終わらせ少尉と金剛にも少しは休息をと考えていたものの、残念ながらその時間は無かった。
戦闘音らしきものを遠くに聞いたと感じた瞬間、金剛が出現させていた頭部の艤装が、何かを探るように稼働する。
測量儀と電探が組み合わさった物だと聞いていたなと思い出している最中、彼女が新城へと報告した。
「誰かはまだ分かりまセンが、砲撃でほぼ間違いアリマセン」
「……戦闘が行われている、という事か?」
「yes」
「……中尉殿、如何しましょうか?」
「休息は中止、装備は最低限の物のみ持参し、他は廃棄。この場を放棄する」
そう告げた後で、彼は付け加えた。
「自分はこのまま、可能な限り状況を確認する」
「了解しました」
少尉の青年は彼の言葉の前半を復唱したのち、急ぎ足で兵たちの方へ向かってゆく。
それと殆んど入れ替わるような勢いで、弥生が木の陰から飛び出すようにして2人に駆け寄ってきた。
「……弥生、お前には休息を命令しておいた筈だが?」
「今……少尉から命令、受けました」
「新城中尉殿?」
「……ああ、すまない。状況は?」
「如月の砲撃と特定、艦状態の砲撃ではアリマセン。砲音はシマスが船体を実体化させてはいないデショウ」
「……敵は?」
「機銃音らしきものを確認……恐らく、艦載機デス」
「……最悪だ」
どうしよもないという感情からなのか、気味の悪い笑みが奥底から浮かんでくる。
「中尉殿?」
「撤退は出来なくなった……夜まで待たない限り発見される」
発見されれば艦載機に殺到されてお終いだ。
こちらは駆逐艦3隻で、海岸まで出なければ船体無しの状態である。
ひたすら逃げ続ければ逃げ切れる可能性も無いとは言わない、が……
(「いや……それも万全の状態ならば、だろう」)
弥生の損害が最も軽微だが、それでも無傷という訳ではない。
卯月と長月も態度には出さないが、小破相当の損害を受けている可能性がある。
敵航空機の爆撃で至近弾を受けただけでも、船体の速力が落ちる可能性もあるのだ。
「この場は放棄するが、海岸に近付くのは日が暮れてからの方が良さそうか?」
彼の言葉に、金剛は艤装を稼働させながら頷いてみせた。
「では、引き続き状況を確認してくれ。弥生はこの場で待機。金剛、何かあれば弥生を伝令としてよこしてくれ」
自分の言葉に2人の艦娘が了承を返す。
それを確認すると、新城は少尉の後を追うように足早に兵たちの許に向かった。
これから最悪が訪れるのか、それとも僅かばかりの幸運に見舞われるのか?
どうであれ、何事も無く済ます事はできなさそうだ。