皇国の艦娘   作:suhi

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岐路 二

●岐路 二

 翌日一杯の時が過ぎ去れば、約束した時間稼ぎの期間は完了という事になる。

 それを完全に理解はしていても、新城の心に余裕などというものは欠片も浮かびはしなかった。

 その翌日になる前に、今日という一日が半ば以上も残っているのである。

 もっとも、今日という一日に限っては……恐らくは何事も無く過ぎるであろうと新城は推測していた。

 

 艦娘部隊が大きな損害を受けたのは事実である。

 だが敵の損害も決して小さなものではないのだ。

 少なくとも敵機動部隊に関しては、壊滅という表現が誇張では無い損害を与えているのである。

 加えて味方の第一艦隊と第二艦隊は作戦終了後、出撃時とは異なり泊地までほぼ最短の距離を、各艦可能な限りの速力を用いて撤退してきたのだ。

 それに追い縋る事は……深海棲艦達といえども、容易ではない筈だ。

 新城はそう考えていた。

 

 健在である敵の水上打撃部隊は、此方と比べるまでも無く強力ではある、が……反面機動力という点では大きく劣っている。

 特に戦艦の存在が大きかった。

 火力と装甲、耐久力の面で圧倒的と表現しても誇張にならない深海棲艦のル級であるが、速度という面で考えれば最高速でも巡航速度でも大きく劣っているのである。

 艦隊の移動速度というものは、隊の中で最も遅い艦に合わせる事になるのが基本である以上、他にどれだけ速力を持つ艦がいようとも、艦隊の速度が上がる事は無いのだ。

 無論、戦艦を残し残りの艦で移動すれば移動速度は上がるが、わざわざそこまでして敵が急ぐ可能性というのは極めて低いと言えた。

 それならば最初から戦艦など加えずに重巡洋艦を主力とした艦隊を編成しておいた方が、遙かに早い。

 何より敵は、此方の時間と制約について理解している訳では無いのだ。

 艦娘部隊の目的が足止めであるという事は気付かれている可能性もあるが……その期限については、絶対に知りようが無いのである。

 

 もっとも、だからといって敵艦隊が味方の本隊に追い付く可能性が……絶対に無い、とは言い切れなかった。

 深海棲艦達は時に、こちらから見て奇妙に思える行動をしたり、普通ならば無理だと判断し行動を変更したり中止したりするべき状態でも、最後まで杓子定規だと思えるような行動を取ったり……等という事が、これまでに幾度もあったのだ。

 そういった自分達の常識では考えられない判断基準を用いて、予想外の動きをしてくるという可能性も十分にある。

 だからこそ、その可能性は……潰されなければ為らないのだ。

 

 そう結論を出したからこそ、新城は残存戦力で如何にして残り二日近い時間を稼ぐべきかという事で、頭を悩ます事になったのである。

 最後に帰還した大井からの報告を受けた事で、基本的な状況はほぼ確認できていると言えた。

 

 

 可能な範囲で敵と味方の状態を確認できた以上……その先を考える事こそが、自分の仕事であり責務なのだ。

 現状、艦娘達には交代で休息を取らせつつ、残りの者達で警戒と偵察を行わせている、という状況である。

 

 偵察の主力は、金剛の搭載した水上偵察機だ。

 艤装用の機体である以上、船体持ちで艦上攻撃機を偵察に出していた鳳翔や龍驤の物と比べれば索敵範囲は大幅に狭まる事になる。が、それでも目視や船体の感覚にしか頼れない駆逐艦達と比べれば……その能力は圧倒的だった。

 艤装に搭載されていた機体が3機というのも大きかったと言える。

 より広い範囲を、そして同じ方角であっても時間差を付けて警戒や偵察を行う事が出来る……というのも勿論大きいが、一番の利点は……複数あるが故に、喪失を過剰に心配しなくて良いという点だった。

 少なくとも新城にとっては、それが一番大きかったと言える。

 

 1機しかいなければ、どうしても必要以上に使い処というものを考えてしまうのである。

 使い方も……継続的な使用を考えれば、どうしても安全を、確実な帰還を考えて、というものになってしまうだろう。

 それでもまだ、警戒だけならばそれでも何とかなるかもしれないが……敵を探すとなると、空からと海上のみという差は、比べ物にならなかった。

 それでも、もし1機しかいなければ……今後更に必要な場面があるかも知れない、等と考えしまっていたに違いない。

 その意味でやはり新城にとっては、予備が存在するという事が一番の安心材料だった。

 少なくとも今は、活用する事にそこまで神経質に為らずに済むのである。

 勿論、それだけ金剛に負担を掛ける事になるが……この場合は割り切るしかなかった。

 

 自然な成り行きではあったが、それでも金剛が第一艦隊に所属していたのは幸いだったと言えるだろう。

 第二艦隊の者達と比べて、帰投後により多くの休息を取る事が出来たのだ。

 

 

 第二艦隊の者達は今の処、先に帰投した三日月と文月を休息後に待機に回した状態で、磯波と大井の方が休息中だった。

 磯波は休息後に待機に回し、順次警戒に回すつもりだが……大井に関しては難しいだろう。

 その辺りは、第一艦隊の龍驤と望月も同じだった。

 両者ともに大破レベルの損傷を負っている事に加え、龍驤に至っては船体を喪失している。

 本人も重傷を負っており、日常生活を送るのも不便な状態である以上は戦力として考えるべきでは無かった。

 

 寧ろ可能な限り早期に態勢を整え、護衛を付けて撤退させるべきだろう。

 その方が、残った戦力を活用できる筈だ。

 新城はそう考えていた。

 酷い言い方になるが……残せば其方に意識を割かれ、戦いに集中できないという者も出てくる事だろう。

 推測でしかないが、その点に関しては間違いないと新城は考えていた。

 そういった感情や想いについて、彼としては否定を口にするつもりは無い。

 甘いといえばその通りだろうが、負傷し満足に戦えない状態の味方が戦いに巻き込まれるかも知れない状態で……或いは実際に攻撃や流れ弾等で撃沈されていくという状態で、それらに動揺する事なく勇敢に戦え、等という方が常軌を逸している。

 

 

 勿論それが戦場と呼ばれるものであり、真面であるという贅沢を楽しむ余裕の無い場所なのだというのが新城の考え方だったが、彼としては艦娘達全員がそう考えられるとは思っていなかった。

 寧ろ彼自身、そのように割り切れてしまっている分、日常と呼ばれる場所で真面では居られず務めて普通を装っているのだという自覚を抱いている。

 狂っているといえばそうかも知れないが、それ故に病まずには済んだ……等と表現すれば、皮肉の極みと言われるかも知れない。 

 戦場とは、敵を傷付け殺す事が時に賞賛される常軌を逸した場所ではあるが、その場所に適応する事を求め続ければ……今度は日常という場所に適応できない者が……常識に従って生きていけない者が、生み出される事になるのだ。

 人間の中にはそうやって、実際に病んだ者達がいる。

 人間の場合は敵も人間であったり等、様々な違いもある、が……全く、絶対に違う、等とは言い切れない。

 ならば艦娘の中に同じような者が現れない、とは言い切れない筈だ。

 或いは自分のようになる者も出てくる事だろう。

 ならば、そのような懸念が必要ないようにと務めるのも司令官の仕事の一つなのだ。

 

 遂行が困難というのであれば兎角として……現状、大破した味方を後送する事に関しては、特に大きな問題点は無かった。

 それ故に新城は、自身の内でそれらを確定させた。

 

 撤退させる艦は、元第一艦隊からは龍驤と望月の2隻。

 第二艦隊からは、大井1隻。

 計3隻の予定である。

 吹雪と白雪に関しては、思考の外側に置いてある。

 どのようになるかは分からないが、どうであれ今は考えるべきではないし、意味も無い。

 撤退部隊の護衛に関しては、1隻もしくは2隻。

 護衛の1隻に乗艦する形であれば隊列を組む必要もない以上、最悪1隻でも問題は無かった。

 勿論更に1隻、計2隻が護衛に就くならば余程の不運に遭遇しない限りは横須賀へと辿り着ける事だろう。

 撤退のみで考えれば護衛でしかないが、今後を考えるのであれば戦闘経験のある艦娘をほぼ確実に後送できるという見方もできる。

 それは鎮守府全体の練度向上の際に大いに役立つ筈だ。 

 そう考えれば、やはり護衛として2隻を就けるべきだろうと新城は結論を出した。

 

 損害の軽微な者の中から、先ず1隻。

 そしてそれに加える形で、新城は中破の損害を受けた如月を充てる事を考えていた。

 戦闘に習熟する期間は殆ど無く、艤装船体共に改修も全く行っていない為、戦闘能力で考えれば大きく劣る形となっている如月だが……少なくとも判断力という点では劣ってはいない。

 判断、決断する力や観察力が特別優れているという訳ではないが、ごく普通で落ち着いた判断をこれまで行ってきているのである。

 それは寧ろ、安全材料と言えた。

 他の者達と衝突する可能性も低い。

 そう考えれば、残りの1隻が誰になろうと問題が起こり難くなるという利点もあるのだ。

 それに加えて、練度は高いとは言えないにしても、実戦を潜(くぐ)り抜けているというのは大きかった。

 

 十分な実力を持っている者を戦場に投入する際の懸念の一つは、実際に戦場を経験した際に如何なるか……という部分にある。

 実際に挙げていけば懸念等というものは限りが無い。が、如月の場合はその一つが払拭されているという事になるのだ。

 それは決して悪い事では無かった。

 寧ろ悪い点など無い。こと戦闘という面で見れば良い事なのだと言い切れるだろう。

 そういう意味では、如月を帰還させるというのは残存部隊の懸念を減らし、撤退部隊を安定させるというだけでなく、今後の部隊の運営や艦娘達の育成という意味でも効果的な選択の一つと言えた。

 つまりは護衛の1隻は決定されたという事である。

 

 あと1隻が決まれば撤退部隊の編成が決まる。

 逆に考えれば、足止め部隊の戦力も確定する、という事になる。

 弥生、文月、長月、三日月、初雪、磯波。

 その内の1隻を撤退部隊の護衛に回し、残りの5隻に金剛を加えれば、6隻編成の艦隊が決定される事となるのだ。

 金剛を除けば、全て駆逐艦のみ。

 もっともそれだけに、機動性に関してだけは全く問題は無い。

 問題は、その機動性を活かせる様な戦いが行えるかどうか、だ。

 いや、活かせる様な戦法を取れない限り……任務の遂行は覚束ないだろう。

 とはいえ思考が偏れば、結論は袋小路へと向かってしまう。

 違う筈なのに……同じような思考の過程と結末を……幾度となく、繰り返して。

 

 扉が控えめにノックされたのは、新城が先に伝えられた偵察の結果と部隊の状態を……幾度目かは分からないが……突き合わせ、照らし合わせようとしていた時の事だった。

 声を掛けると即座に扉が開く。

 軽い足音と機敏な足取りで室内に入ってきた長月が、そのまま気を付けの姿勢を取った。

 

 

 少なくともその見た目は、以前と殆ど変わらない。

 もっとも新城自身、そういったものを見る機微のようなものが自分には不足しているという自覚もあった。

 卯月が帰還する際に港入口付近で擦れ違い、その際に別れは済ませた。

 弥生には、そう語ったという話は聞いている。

 

 それ以上を詮索する気は、新城には無かった。

 新城本人の態度も、内は如何であれ外面に変化はない。

 つまる処、以前と比べて何かが滞るような可能性は、全く無いのだ。

 それを薄情なものだ等と考える気は無かった。

 厳密に言ってしまえば、そう考える事こそ逃げや言い訳なのではと思えてしまい、そう考える事を彼は自身に禁じていた。

 卯月の事も鳳翔の事も、吹雪や白雪に関しても、結局は同じなのだ。

 彼女らは明確な命令違反を行っていない以上……全ては、自身の責任なのだ。

 その事だけは絶対でなければ為らないのだ。

 だが……そう考える事もまた、逃避なのではないだろうか?

 自身の気持ちを掘り下げる事から、感情を向き合おう事から……理由を付けて逃げているだけではないだろうか?

 新城は微かに頭(かぶり)を振り、思考の繰り返しから感情を切り離した。

 そのような事を考える贅沢は、今の自分には許されていないのだ。

 

 

 軽く頷き、長月を促す。

「金剛より通信。水上偵察機が敵水上打撃部隊を発見。詳細報告の為、一時帰還の許可を願いたいとの事だ」

 気を付けの姿勢のまま長月が報告した。

 それから一息入れた後、彼女は自身の意見を述べた。

「必要ならば私が金剛と交代し、弥生と合流し警戒に当たろうと思うが……」

「了解したと金剛に伝えてくれ。交代に関しても了解した。宜しく頼む」

 長月の言葉に新城は即座に頷き、肯定を返した。

「了解。では直ちに金剛に返信。その後、共に敷地内の巡回を行っていた如月に交代について連絡した後、出撃し金剛と交代。弥生と共に警戒に当たる」

 首肯し確認するように言葉を繰り返すと、長月は回れ右をして早足で部屋を出て行った。

 動きそのものは急いではいるものの、扉の閉め方等は意外なほどに丁寧だった。

 そんな事を考えつつ、足音が離れてゆくのを何と無しに聞いていた新城は……先程の長月の言葉を実感するように、大きく息を吐いた。

 

 ついに来た……とでも表現するべきなのだろうか?

 来ない、という可能性が……全く無かった、という訳では無いのだ。

 磯波から報告を受けた補給部隊の件を考えれば……水上打撃部隊の此方への接近が遅れるという可能性は……絶対に無い、とも言い切れなかったのである。

 

 深海棲艦の扱う資材等についての資料等という物は存在しない。

 だが、ある程度此方に当て嵌めて考えるのであれば……正規空母クラスのヲ級2隻を擁していたとはいえ、一機動部隊への補給の為だけにワ級4隻の補給部隊を動かすだろうか?

 新城としては、そんな疑問を抱いていたのである。

 要はその補給部隊が、前衛である水上打撃部隊への補給という役割も担っていたのではと彼は推測したのだった。

 無論、其方に向かった吹雪が補給部隊に対して如何程の損害を与えられたのかは分からない。

 だが少なくとも……磯波達が敵機動部隊に攻撃を行っている最中に現れるような事が無かった以上、敵補給部隊の進行を遅らせる事に成功していたのは、間違いないのだ。

 損害が如何であれ、一時的に補給部隊が足止めされたのであれば……それだけ敵の侵攻に遅れが生じる可能性はある。

 それが新城が行った推測の一つだった。

 

 もしそれで敵の侵攻に大幅な遅れが出るのであれば……これ以上、足止めの為の戦闘を行う必要も無く、任務を達成できるのである。

 もっとも、そこまで上手くは行かないだろうという想いも新城にはあった。

 理性的な部分は全く無く、あくまで感覚的な、つまりは俗物的な、斜に構えた見方という類のものである。

 大抵の場合、物事というのはそう上手くは行かないものなのだ。

 それでも……期待してしまうというのは、弱さなのかだろう?

 同じ事を繰り返しているというのは、こういう事を言うのだろうか?

 

 とはいえ誰にも迷惑を掛けないというのであれば……幸運に期待するというのは、悪い事ではない筈だ。

「……どうであれ、直ぐに結果は出る、か……」

 自分以外に誰も居ない司令部を、室内を眺めて小さく呟く。

 記憶をそれほど遡る必要は無い。

 二日ほど前ならば、司令部要員だけで他に3人の人員が詰めていたのだ。

 一個艦隊では規模が大きくなり過ぎるとして、二個艦隊を編成できるだけの艦娘もいた。

 今更ながらにそんな事を考えるのは何故だろうか?

 自分が今、ただ情報を待つだけで何も出来ないからなのだろうか?

 ただ結果を待つという状態に耐えられないから……そういう事なのか?

 確認していた資料から目を離し、少し俯いてこめかみを揉みほぐすと、再び息が零れた。

 

 思考が硬直していないか?

 同じ事を繰り返して、考えてしまっていないか?

 いや、ついさっきもそんな自問自答を繰り返したばかりではなかったか?

 そんな事を考え……兎角、何もせず金剛を待とうという結論を出す。

 

 

 然程時間が過ぎないうちに、先程と比べると軽快なリズムで扉がノックされた。

「金剛、到着致しマシた」

「入ってくれ」

「了解デス、失礼しマス」

 ノックと同じくらいに軽快な調子で言葉が響き、扉が開く。

 それらに不思議な安堵を覚えつつも……表情を、引き締め直して。

 新城は入室した彼女を促した。

 

「早速だが」

「はい、こちらで……」

 広げた地図の上を指し示しながら、金剛は口を開いた。

「水偵から受けた報告では……この辺りデス、ね? 進路から見て、この泊地を目指していると考えて間違いありまセン」

 

「時間は……機関の故障でも無い限り、二日は掛かりそうに無いな」

 何とか動揺を抑え込むようにして、新城は金剛の指で示された一点を眺めながら口にした。

「ええ、残念ながら……遅くとも明日の正午には……早ければ明日の午前中には、この泊地に接近する事でショウ」

 新城の態度を受けてという事なのか、金剛の方も冗談めかした口調で返事をする。

 おどけてはいても二人共、それが何を示すという事なのかを理解してた。

 

 計算が間違っていて欲しいという希望的観測を全く抱かなかった訳ではない。

 それでも、間違いないという思いは……残念な事に、揺らぎもしなかった。

 寧ろこれでも、時間が掛かった方なのだ。

 そう思い定める事にする。

 実際、敵水上打撃部隊の予測した位置を考えると……敵は脇目も振らず南進してきたという風(ふう)には見えなかった。

 

 

 行軍速度が遅い理由は、戦艦であるル級がいたからというのは間違い無いだろう。

 だが、それだけという訳では無さそうだった。

 もしかしたら磯波達が確認したという敵の補給部隊に……一定の損害を与える事が出来たか、或いは遅滞に成功したのかも知れない。

 

 それらに加えて新城は、敵は此方からの攻撃を警戒しながら前進してきているのかも知れない、と推測した。

 艦娘部隊の南下は撤退だが、敵水上打撃部隊の南下は進撃なのである。

 撤退と進撃は全く違う。

 敵の戦力は強大だが、以南に関しては完全に制海権を確立しているという訳では無いのだ。

 此方は迎撃や待ち伏せ等を考えず撤退に専念したとでも言うべき形だが、敵は此方の動きを完全に把握している訳では無い。

 決戦で敗北し大きな損害を出したとはいえ、味方の海軍戦力が完全に壊滅した訳ではないし、艦娘部隊に至っては現状は兎も角として、決戦時の損害は殆ど出ていなかったのである。

 此方の撤退に追い縋る形での追撃ならば兎角として、一定の距離を、時を置いて、態勢を立て直してからの追撃となれば……全速力で追いかけるという訳には行かないだろう。

 

 その辺りは逆に、知性があるが故の欠点という事なのかも知れなかった。

 例えば敵が駆逐艦や一部の軽巡洋艦のような者達ばかりであれば……以前の深海棲艦達のような動きをする存在であったならば……ただ只管(ひたすら)に、全力で追いかけてきていたかも知れない。

 もっともその場合……敵の統率は失われ、各個撃破の対象として順次攻撃を集中させ、撃沈できた……という可能性もある。

 

 撤退時に撤退側が大きな損害を受けるというのは、統率が失われ、追撃側への対処が殆ど出来ないという場合のみだ。

 迂闊な追撃で寧ろ追撃側が損害を被ったという事態も、僅かではあるが存在している。

 もっとも撤退側が統率を失わずに撤退を行えた事例というのが、歴史上数少ない訳ではあるが。

 どうであれ、敵の遅れた理由について考察する意味は……少なくとも現状は、無かった。

 

 

 遅れはしても敵水上打撃部隊は、明日中には近海まで到達する。

 今、必要な事は……その敵艦隊に対して、如何するかという事だ。 

 現状、それに対して出ている結論は……損傷の大きな艦娘を後送する為の撤退部隊を編成するというだけである。

 

 無論、残存戦力による迎撃……時間稼ぎの為に戦闘を行わなければ為らない事も確定している。

 確定はしている。が……その内容は全くと言って良いほどに白紙だった。

 考える時間が全く無いという訳ではない。

 ない、が……どう足掻いても、如何にも仕様が無いのでは……というのが、新城と金剛の今のところの正直な気持ちだった。

 甘く見たとしても正午から日没までと考えても約四半時、敵の到着が早ければ午前から夕刻まで……陽が出ている間中、つまりは一日の半分という時間を稼がなければならないのである。

 金剛が戦闘に加わると言っても艤装のみの状態。

 それ以外は駆逐艦のみという編成で、戦艦と重巡洋艦を擁する敵水上打撃部隊を相手に……砲雷撃戦を以てして、戦わなければならない。

 

 考えた末に二人が出した結論は、逃避だった。

 表現をやや肯定的にするのであれば、一旦棚上げするという意味である。

 とはいえ、先ず確定している事から実行するという判断は、物事を片付けていく手段と考えれば、間違いとまでは言えないだろう。

 

「撤退部隊は、急ぎ出撃させるべきだろう」

「デスね? 余裕が無い訳ではありまセン、が……直ぐ準備に取りかかるべき、デショウ」

 新城の言葉に同意を示した金剛は、そのまま窺うような視線を向ける。

「龍驤、大井、望月の三名を後送。護衛の1隻は如月。もう1隻は決まっていない。候補は幾つかあるが……」

「……準備を考えると、あまり悩む時間は無さそうデスね?」

 新城の言葉に頷いてから、促すように金剛が口にする。

 

 

 控えめなノックの音が響いてきたのは、そんな時だった。

「磯波、初雪、休憩の方、終了致しました」

 新城の誰何(すいか)の声に……少しの間を置いて返ってきたのは、緊張した様子の磯波の声である。

「……それと……申し訳ありません。声が聞こえた為、先程の提督と金剛さんの話の方、聞いてしまいました」

 部屋の外から、扉も開けずに聞こえてきた……本当に申し訳なさそうなその声に、こんな状況にも関わらず、新城は思わず吹き出しかけた。

 いや寧ろ、こんな状況だからこそ……そういう事なのかも知れない。

 金剛の方も苦笑いを噛み殺すような、どこか楽しげな表情を浮かべていた。

 もっともその表情の中には、恐らくは別の誰かを思い浮かべているのであろうと思わせる寂しげな何かも滲んでいる。

 自分は果たして、そういったものを滲ませてしまっているのだろうかと考えつつ、新城は入室を許可する言葉を室外へと送った。

 

 動揺した返事の後、数秒置いて扉が音を立てる。

 

「し、失礼します」

 先ず磯波が、そして続くように初雪が入室する。

 金剛が机の前を開けるように身を引き、入れ替わるように二人は新城の前に並ぶようにして気を付けの姿勢を取った。

 初雪の方も何かあったのか、珍しく背筋が伸びている。

 

「……その、本当に申し訳ありませんでした……」

「まあ、聞こえてしまったものは仕方ない。気にしないように」

「で、ですが……気になって、黙って耳を澄ませてしまったのも……事実で……本当に、申し訳ありません……」

 気を付けの姿勢ではあるものの、俯き気味になりながら動揺した口調で。

 磯波が謝罪の言葉を繰り返す。

 初雪の方はというと、姿勢の方は背筋を伸ばしたままだったが、瞳の方は半分ほど閉じた眠そうな表情で無言を貫いていた。

 

 二人の様子を幾度か見比べた後、僅かに考え込んでから新城は口にした。

「兎角、今回は良いが不味い場合というのもある。その場合は、素直に言わずに嘘を付いてくれ」

「はっ、は……え?」

 返事をしようとした磯波が言葉の意味を理解した後、動きを止める。

「別に不思議な事ではない。正直に言われれば、そして本当に罰が必要であれば、僕としては特別な理由でもない限り例外を作る訳にはいかない……そうなれば当然の帰結だろう?」

 

「……その、何て言いますか……そうでは有ります、けど……」

 口籠もる磯波の姿に微かに首を傾げると、金剛が苦笑しつつ助け船を寄越した。

「テイトク? こう……有体に言って、露骨に過ぎるのデハ、と」

 ああ……と頷いて、新城は納得したような、何かを呑み込んだ様な表情をする。

「済まない。僕は、てっきり嘘を付きたくないと言われるかと考え……かけてしまっていた」

 

「……それは勿論、私も出来れば付きたくは無いです、が……提督が、つけと仰るのでしたら」

 少し力んだ様子でそう言いながら、磯波が拳を握り締めた。

「……うん。僕としては、聞いた上で嘘を付くか、嘘を付かない為に聞かないか……どちらかを選んで欲しいとしか言えない。もしかしたら……より良い手段があるのかも知れないが、残念ながら僕には思い付かない。無論、君がその手法を思い付いたのなら使ってくれて良いが」

「……すみません、私も思い付かないです……」

「まあ、今回のはあくまで例えだよ」

 申し訳なさそうに謝罪する磯波に向かって、少し冗談めかした調子で口にしながら、新城は首を振った。

 

 新城としては、彼女達を責めるような気持ちは全く無い。

 無論、知らないふりをしてくれれば良かったという気持ちはあるが……磯波の性格を考えれば、難しかっただろうという思いもあった。

 同時に、別の可能性にも思い至りはしていた。

 つまりは、聞いていた事にしなければならない、それに関した話題を挙げたい……そういう可能性である。

 

 一秒を争うという状況では無かったが、決して時間に余裕がある訳でも無かった。

 だからこそ新城は、前置きを省略した。

 

「……それで、何か意見具申があるという事で間違い無いか?」

 新城が促すと、磯波はあからさまに動揺したような動きで姿勢を崩した。

 初雪の方は眉が少し動いたものの、姿勢も表情も殆ど変わらない。

「ど、どうして、それを……」

「何か言うべき事があるだろうというのは、見ていれば分かるよ」

 それで、と新城は磯波と初雪の二人を交互に見て、再び促した。

「前置きは良い。意見を言ってくれ」

「は、はい! ……私は、残留組に志願し、初雪さんは……護衛に、志願したく思いまして!」

 再び気を付けの姿勢を取った磯波が、緊張した態度で発言する。

 磯波の言葉を聞いて、新城は片方の眉だけを動かした。

 

 案として考えていたのが、吹雪型である二人のどちらかを護衛に付けての帰還である。

 足止めを続ける部隊は、恐らく明日の戦いで……大きな損害を出す可能性が高かった。

 下手をしなくとも全滅に近い損害を受ける可能性があるのだ。

 何しろ6隻中5隻が駆逐艦の艦隊で、戦艦と重巡を擁する水上打撃部隊の足止めを行うのである。

 任務はあくまで足止めではあるが、全く戦闘を行わなずに足止めするという事は不可能だろう。

 真正面から殴り合いという訳ではないが、どのような形であれ砲火を交える事になるのは間違いない。

 最悪の結果を想定するのであれば、損害を受けた艦の護衛というだけでなく、残存する艦娘部隊を立て直す、つまりは再興の為にも、練度の高い艦娘が残っていた方が良い。

 自身としては想像もしたくないが、残った6隻が全滅する可能性も低くは無いのだ。

 寧ろ高いかも知れない。

 

 そう考えた場合……睦月型に関しては、今回出撃した者達と比べるとやや練度で劣るものの、ある程度の経験を積んだ者達がまだ鎮守府には残っていた。

 それと比べると吹雪型の者達は、殆どの者が十分な力を持っていた為、建造され間もない者を除いて全員が今回の戦いに出撃してきているのである。

 同じ駆逐艦ならば戦い方や航行の仕方は似ているのだろうが、それでも同型艦の方が都合が良い事も多いだろう。

 新城としては、そう考えていたのだ。

 

 

「……吹雪型2隻の内、どちらかを護衛に付けるという編成は考えていた」

 新城は軽く頷いてから、そう答えた。

 意見を即座に受け入れるように見えるやり方は不味いだろうか?

 そんな勘違いが広まれば、言った者勝ち、早い者勝ちというような風潮が広まる事にならないだろうか?

 一瞬そんな考えが浮んだが、即座に切り捨てる。

 そのような浅慮をする者がいれば、その場で理解させてやれば良いのだ。

 自分の部下に、そのような愚か者は必要ないと教育してやれば良いだけだ。

 そして今現在、そのような者は自分の指揮下には……居ない。

 つまりは下らない事で悩んでいる暇は無い、という事だ。

 時間は有限だと、今まで幾度も自他に言い聞かせてきたのではなかったか?

 一秒を争うという事態ではないが、考えた処で結論が出せない議題を弄び時間を浪費する愚者になるのは真っ平だった。

 2隻のどちらかという処までは直ぐに考えても、そこから一方に絞る為の見解とでも呼ぶべきものが無かったのである。

 それを当事者達が出してくれたのだ。

 ならば、このまま決定するべきだろう。

 

「君達2隻の一方を護衛にとは考えていたが、そこから先は決まっていなかった」

 そう告げて、新城は再び二人を交互に見据えた。

「では此処で決定する。駆逐艦初雪を護衛部隊に編入。磯波は現部隊所属、変更無しとする」

「り、了解です。ありがとうございます」

「……ありがと。がんばる……」

 磯波は相変わらず緊張した面持ちで、初雪の方も相変わらず眠そうな、少しぼうっとした表情で……それでも二人共、新城が確認できる明瞭さで言葉を返した。

 

 

 その決意は賞賛されるべきものなのかも知れない。

 とはいえ強張りが少々過ぎている、という印象も受けた。

 そう感じた新城は、二人に向かって頷いた後……わざとらしく表情を崩した。

 実際、一つの懸念が片付いたのは事実である。

 

 だからこそ、磯波らの緊張を少しでも解そう等という配慮が生まれたのだ。

 それは決して時間の無駄遣いでは無い筈だ。

 そう考え、彼はことさら明るく口にした。

 

 

「……それはそうとして、君らも少しくらいは嘘を付く練習もしておくと良い」

「はい……えぇ?」

 律義に頷いた後、磯波が大きく表情を変化させた。

 初雪の方は表情に関しては殆ど変化させなかったものの、怪訝そうに小首を傾げてみせた。

 金剛の方はというと……あからさまに声を出して笑ってしまうのを、懸命に堪えている……という様子だった。

 見方によっては険しい表情に見えなくもない。

 意図してなのか? 無意識なのか?

 そんな事を何気なく考えながら、新城は言葉を続けた。

 

「まあ嘘で無くても構わないのだが……要は一つの物に対して多面的に見るように訓練を積んで欲しい。そういう事だ」

 そう言うと磯波は、成程と頷きなら納得した表情を浮かべてみせた。

 初雪の方は大きな動きは見せないが、視線は新城へと向けられている。

 金剛の方はというと笑いを抑え込む事が出来たのか、興味深そうな表情で新城と二人の間で視線を往復させていた。

 新城自身も、張り詰めていた何かを緩ませられたような……そんな気分を味わっている。

 そのような状況に感謝しつつ、彼はそのまま言葉を続けた。

 

「嘘というと聞こえが悪いので忌避感を抱くというのも解る。だが、絶対に悪……という訳では無い、というのも解るだろう?」

「はい、それは……解ります」

「正直は美徳と思うし、偽りの無い純粋さというものは代え難いものだとは僕も思っている。だが、全ての者がそう有れるとは思わないし、真実が、正直な言葉が誰かを傷付けるというのも事実だとも、考えている」

「……そうですね。逆に本当の事だからこそ傷付ける、という事の方が多いように思います。言う方も……場合によっては、苦しんだり傷付いたりすると思いますし……」

 そう口にする磯波の姿勢は、少し俯き気味だった。

「……考えてみると、私……自覚していなかっただけで、結構……嘘を、付いていたような気がします」

「先程言ったばかりだが、それが絶対に悪い事という訳ではない、と僕は思う。そして、自覚をしたというのは良い事だ。少なくとも自覚が無いよりは余程に良い。あくまで僕の意見だが」

 私見と前置きした上で、新城は断言した。

「例えば戦いにおいては、相手の目的を探りながら此方の目的は知られないように動く。言ってしまえば相手を騙す事を目的として動く事になる。或いは敵に目的を知られない為に、味方にすら自分達の目的や動きを知らせずに行動する事もある。そうやって考えていけば、限りが無い」

 

 だから、気にする事はない。

 

 新城はそう言い切った。

「無論、あくまで僕の意見だ。結局は当の本人が如何思うか次第。ただ僕としては、女性は嘘を付く練習をしておくのは悪くないと思う」

「女性は、ですか?」

「ああ、こんな言い方をすれば差別と取られるかも知れないが、女性というのは嘘を付くものだ。その嘘で時には自分自身すら騙し通す。なんて可哀想な私、という訳だ。そうする事で自身を通し自己を保つ……そういう事は決して悪い事ではないと僕としては思う。それに……」

「……それに?」

 意外なほど真面目な顔で聞き入る磯波に向かって、新城は笑顔で言葉を続けた。

「女性の嘘というは可愛げがある。これが男だと、そうは行かない」

 

 吹き出した音は金剛のものだった。

 楽しそうなのを隠す気も無いという態度で、彼女は口元を押さえている。

 磯波は少し気恥ずかしそうにしてはいたが、概ね真面目そうな顔で真剣に頷いていた。

 初雪はというと、そんな磯波に……感心したような……不思議な表情を向けている。

 

「まあ脱線が過ぎたが……自身を装うというのもまた、生き方の一つだと思う。そんな処だ」

 実際に脱線が過ぎたなと思いながら、新城は表情を引き締めた。

「無論、自分の部下である時は……艦娘である時は、上官に対して偽る様な真似は絶対に許さない。が、それ以外でならば嘘を付くのも悪くない……そういう事だ。普段から本音を隠す、自身を偽る……そういう事が全て悪い等とは、僕は絶対に思っていない。それだけだ」

「……分かりました」

 真面目な顔で新城を見詰めたまま、磯波が頷いてみせた。

 

「……いえ、未だ……キチンとは解ってはいません。けど……」

 そこまで言ってから少し俯き気味になった後……磯波は顔を上げ、再び新城の顔を、瞳を見て、頷いてみせた。

「その……帰ったら、キチンと考えてみます」

 そう言った彼女に、新城はあまり硬くならない程度の顔を意識して頷きを返す。

 磯波の表情は、真面目ではあっても強張りは随分と解れたように見受けられた。

 それは新城にとっては良いことだと言えた。

 甲斐があった、と思えるという事だ。

 それで話は一区切りとなった。

 

 

「では、決定という事で」

 話を戻しマス、と。宣言するように金剛が口にする。

 先ほどまでの表情が、それこそ嘘か冗談だったのかと思える程に……引き締まった表情を浮かべると、彼女は二人に視線を向けた後、新城へと向き直った。

 

「直ぐに撤退準備に取りかからせマスか?」

「ああ。焦る必要は無いが、急いだ方が良いだろう。準備が整い次第、出港の予定で」

 窺うような視線を向けてきた金剛に、新城は即座に言葉を返した。

「至急、という事でしたら艦娘だけである以上、載せる物資は最低限で問題無いと思いマスが如何しマショウ?」

 その言葉に、少しばかり考え込んでから……新城は、いやと微かに首を振った。

「可能な限りの物資を載せた方が良いだろう。戦闘を行う残存部隊に必要以上に積載する余裕は無いし、今後の事も考えるなら……可能な限りの物資を、部隊の物にしておきたい」

「成程、了解デス」

 

 頷いてから金剛は、再び二人に、確認するように視線を向けた。

 二人に任務に関しての意図等を理解させようというのだろう。

 初雪は軽く、磯波は力んだ様子で頷いてみせた。

 それを見て、金剛は微かに頷き再び新城へと向き直る。

「準備中の護衛や周辺警戒は、如何しマス?」

「近海の哨戒は中止し港の入口付近と初雪の護衛に人数を絞るべきだろう……いや念の為、水偵での偵察は行うべきか?」

「では周辺警戒は私の水偵で。如月に連絡し、弥生と長月に退(ひ)き上げて貰い、二人はそのまま休止に、如月には港入口付近での警戒を。文月と三日月に初雪の護衛をお願いして、磯波には撤退準備や撤退組を乗船させる手伝いをしてもらう形に……という事で如何でショウ?」

「それで問題無い。金剛も自身は如月と警戒に当たってくれ。危険は……ほぼ無いと思うが、単独での警戒は可能な限り避けさせたい」

「了解デス。では、その通りに」

 

 金剛の言葉に頷くと、新城は初雪と磯波へと座ったまま向き直った。

「初雪には、そのまま船体を展開して撤退準備に入ってもらう。燃糧弾薬共に一杯まで詰め込め。その上で残った分も、使えそうなドラム缶なり何なりに詰めて、航行に無理のない程度で可能な限り積み込む。それでも残った分は残存部隊で分け合うので、無理をして全てを積み込む必要は無いぞ? それ以外の物資に関しては……道中不足が起こらない程度で良い。まあ、必要だと思う物があれば無理のない範囲で積み込め。作業が終わり次第、療養中の三名、龍驤、大井、望月を乗船させ出撃してもらう。目的地は母港、横須賀鎮守府だ」

 先ず初雪に向けて説明した後、視線を磯波に向けた。

「磯波には、初雪の出港準備の手伝いをしてもらう。補給ならば妖精達だけに任せられるだろうが、他の物資や負傷者の移動等は難しいだろう。人手が不足だと判断すれば、護衛の1人を協力させて構わない。悪いがそれ以上は無理だ。船体を展開する関係上、初雪は艦の周囲から離れられない。船体付近まで運んだ物資を積み込む作業は可能だろうが、それ以外は君を含め最大2名で何とかしてもらう」

「……了解」

「わ、分かりました! 頑張ります」

 

 二人が返事をするのを確認して、新城は続けた。

「君達が積載する物資は、今後の鎮守府の運営の上で役立つ物となる。そう認識した上で任務に当たれ……理解したな? 宜しい。では急げ」

 そう口にすると、磯波は弾かれたように、初雪の方も、ゆっくりではあるが流れるような無駄のない動きで回れ右をして、司令部から飛び出すように掛けていった。

 

「では私も。5名、如月、弥生、長月、文月、三日月に連絡し、その後は水偵で哨戒を行いながら……如月と港入口付近警戒で宜しいデショウか?」

「任せる。問題は無いと思うが、中破している如月に注意してやってくれ」

「デスね。了解致しました。それでは、失礼しマス」

 敬礼した金剛も、足早に司令部から駆け出してゆく。

 扉が閉まり、足音が遠くなっていくのを確認しながら……新城は息を吐いた。

 準備に入ったという段階ではあるが、問題の一つは片付いたと考えて間違いないだろう。

 急げば今日中に初雪達は出港できる筈だ。

 ならば敵部隊から追撃を受ける危険は殆ど無い。

 せいぜいが部隊から逸(はぐ)れたか偵察を行っている単独の駆逐艦と遭遇するかどうか、という程度の筈だ。

 初雪の実力ならば問題なく対処できるだろう。

 戦闘への協力は難しくとも、龍驤や大井の知識と経験も大きな助けとなる筈だ。

 如月の存在も意思の疎通という点で力になる。

 撤退部隊についてはもう、心配りをする必要は無さそうだった。

 

 つまりは自分の役割は、残りのもう一方のみ、という事である。

 明日一杯の、敵水上打撃部隊の足止めだ。

 とはいえ如何考えても……状況は困難に過ぎた。

 大袈裟な表現は使いたくは無い、が……それでも、有り体な言葉が口から零れる。

「如何考えても……地獄、か……」

 以前にもそんな陳腐な言葉を使ったような気もするが……果たして如何だったろうか?

 状況のせいで、そんな錯覚をしているだけなのか?

 どうであれ、自分が打開策を思い付けていないというのは事実だった。

 絶望的という単語が頭の片隅から湧き出し、全体を侵食して来ようとする。

 今までも圧迫感のようなものはあったが、振り返ってみると……今回と比べれば然程でもなかったのだという気持ちにさせられる程だ。

 全く動きが取れないという訳では無い。

 だが、任務を考えれば……文字通り。

 逃げようはなく、動き様も……思い付かない。

「……いよいよ追い詰められた、という訳か……」

 

 それでも、如何しても……あと一日を稼がなければならないのだ。

 唯、只管(ひたすら)に一撃離脱を繰り返すか?

 射程を考えれば難しいだろう。

 駆逐艦の攻撃が届く間合いまで近付く前に、戦艦は勿論として重巡の砲撃も掻い潜らなければならない。

 戦艦の射程に入っては離れるという動きを繰り返すという作戦は……もしかしたら効果はあるかも知れないが、無かった場合……取れる手段が、此方の射程まで飛び込むしか無くなってしまう、という点で……リスクが大き過ぎるように思えた。

 それに、効果があったとしても……それだけで一日という時を稼ぐには、あまりに危険過ぎた。

 至近弾でも損傷を受け、直撃すれば一撃で撃沈しかねない攻撃を……突入と離脱を繰り返すとはいえ、数時間避け続けなければならない等という作戦は……艦娘であろうと堪え切れるとは思えない。

 

 とはいえ陸の戦いのように、拠点に立て籠もるなどという選択肢は無いのだ。

 動かない艦というのは、ましてやそれが駆逐艦では……容易に破壊される標的を提供する事にしかならないだろう。

 敵側に此方の射程を上回る艦が複数いるというのであれば、尚の事だった。

 陸上施設諸共、破壊されて終わりだ。

 艦艇にとって最も有効な防御の手段は動く事なのである。

 船体を展開せず艤装のみであれば、障害物を利用するという戦法は不可能ではなくなるが……その場合、敵に無視されたり一部を足止めに残して追撃を続けられてしまうと、更に対処が出来なくなってしまう。

 

 敵の目的は、あくまで本隊なのだ。

 此方は相手が無視できないように動かなければならないのである。

 無視されてしまえば、時間稼ぎという任務そのものが失敗に終わってしまう。

 そう考えれば、選択肢は出撃しか無いのだ。

 だが、出撃し機動力を活かしたとしても……時間を稼ぐ為の有効な手段が無い。

 リスクの少ない方法で無い限り、長時間の実行は難しいだろう。

 

 言ってしまえば……最も有効な時間稼ぎの手段は、敵艦隊を撃破する事だった。

 十分な損害を与えられさえすれば、敵は後退を余儀なくされるだろう。

 そうでなくとも一定の損害を受ければ、態勢を立て直す為に時間を費やさざるを得なくなる。

 とはいえ……戦艦や重巡洋艦を擁する敵艦隊に、それだけの損害を与えるだけの力を……残存部隊には期待出来なかった。

 

 技量や練度の問題では無い。

 其方であれば、現時点で揃っている艦娘達の技量は優秀と評価しても誇張は無い程なのだ。

 そうではなく、単純に、純粋に……火力そのものが不足しているのである。

 再編成された部隊の艦娘は、金剛を除けば全員が駆逐艦だ。

 対して敵の水上打撃部隊には……無論、駆逐艦も複数編成されてはいるが……あくまで主力は戦艦や重巡洋艦である。

 其方にある程度の損害を与えられない限り、侵攻を思い留まりはしないだろう。

 

 

 理論上では、改造を行った駆逐艦の火力を近代化改修によって限界近くまで向上させた状態であれば……装甲の薄い箇所に直撃させる事さえできれば、防御を貫き敵艦内部に損傷を与える事が可能となる……らしかった。

 もっともこれはflagship等ではなく通常のル級を対象として想定されたものである為、敵艦の性能次第では無意味な理論と言える。

 加えて装甲の薄い箇所に直撃、となっている時点で……最終的にその戦法が、運に頼る形となってしまっていた。

 どれだけの技量があろうと、敵が動いている限り……狙った場所に直撃させるという行為には運不運が付きまとう事になるのだ。

 

 とはいえ直撃させる運と技量を有していたとしても、残念ながら火力を限界近くまで向上させている艦がいない以上、それらは机上の空論にしかならなかった。

 

 再編成された艦隊を構成する事になる艦娘達は、十分な練度を持ち、全艦が全面的な改造が施され、戦闘能力は大幅に強化されている。

 だが近代化改修による性能の向上は……ある程度は行われてはいるものの、流石に限界近くまでは改装されていなかった。

 無論、戦闘能力は単純に向上している為、各艦共に本来以上の火力を持っている。

 例えば金剛ならば……重巡相手ならば、十分に損害を与える事が可能だろう。

 だが相手が戦艦となると……正直、分からないとしか言えなかった。

 

 船体があれば兎角として、艤装のみとなると火力と耐久力の違いが大き過ぎるのだ。

 射程の方も大きく変わる。

 仮に船体があったとしても、単純な火力や装甲、耐久力の面で考えれば……恐らく金剛の方がやや劣っている筈だった。

 彼女の強さは、それらを技術や経験で補えるという処である。

 とはいえ、それもある程度まで、だ。

 艤装のみの金剛と、実際の戦艦としての船体、身体を持つル級の戦いとなると……力の差を技術や経験で補うのは、困難と言わざるを得ないだろう。

 それを何とかしろと言うのは、旧軍の精神論と同じだった。

 

 新城としては、敢闘精神というものを否定する気は無い。

 クラウゼヴィッツの戦争論に全面的に賛同するという訳では無いが、それらは戦闘を行う上で重要な要素の一つだと考えている。

 愚かだと思うのは、その敢闘精神とやらで……他の不足を補おう、等という思考だった。

 兵数の、練度の不足を。装備の、補給の、作戦の不備を……兵士一人一人の精神力で補おう等という厚顔無恥な行いを……愛国心などという仰々しい言葉で、隠蔽する。

 彼が嫌悪するのは、そういった行為だった。

 上官の無能を下が補う……そんな組織構造に、吐き気を催すのである。

 唾棄すべき……などという有体の表現では、感じる不快さの欠片も表し切れない。

 

 自らの無能を誤魔化す為に、部下を怠惰と罵る……無益どころか有害でしか無い存在。

 そんな愚劣かつ醜悪極まる卑怯者の側に、自らも籍を置くなどというのは……新城としては、全く我慢ならない事だった。

 

 だからこそ、なのである。

 だからこそ、与えられた任務を達成する為に……実際に、実現可能な作戦を立案しなければならないのだ。

 とはいえ、今のところ……方針の欠片さえも浮ばなかった。

 一定以上の損害を与える事は困難で、ならば時間稼ぎをするしか方法は無い。

 だが、長時間実行可能な手段というものが……思い付かないのだ。

 駆逐艦の最も強力な攻撃手段は魚雷である以上、それを命中させられれば戦艦であろうとも損害を与える事は可能だろうが、そこまで近付くとなると……砲撃を行うよりも更に距離を詰めねばならない。

(「だが、時間稼ぎが難しいとなると……まだ、その方が……」)

 

 

 そこまで考えて……新城は漸く、思い当たった。

 思い付いてみれば、意外と簡単な事だった。

 何故、今まで思い付かなかったのかと、自分自身を嘲笑いたくなった程である。

 危険ではあった。

 だが、今更という感もある。

 そもそも今まで同じ事を繰り返してきたではないか?

 

 明日一杯の時間を稼がなければならない。

 逆に考えれば、今から明日一杯まで時間があるのだ。

 敵だけが此方に向かってきて、明日の午前中に遭遇の可能性。

 此方からも動けば、その時間はある程度は調整できるのだ。

 時間の調整、駆逐艦達が力を発揮できる戦法……

 本当に……何故今まで気付かなかったのか?

 

 つまりはそれだけ精神的に追い詰められ、視野が狭くなっていたという事なのだろう。

 兎に角……今は、何故思い付かなかったのかを考えている時ではなかった。

 一秒を争うという訳では無いが、できるだけ急いだ方が良いのは間違いない。

 

 無論、作戦に全く問題が無いという訳では無かった。

 港近海で待ち受けるのではなく出撃するという作戦になる為、撤退部隊の出港後に交代で取らせようと考えていた残存艦隊への休息が、ほぼ無くなる事になるのだ。

 それらが懸念要素にはなるが……哨戒を行っている弥生と長月、これまで偵察を行っていた金剛に交代で小休止を取らせるだけで良し、とするしかない。

 それでも……全く休止すら無いという状態に比べれば幾分かはマシにはなるだろう。

 帰還した者から順次交代で休息や休止を取らせていた事も大きいと言える。

 

 そもそも、元から万全など望むべくもないのだ。

 今更と割り切るしかない。

 

 それでも、先程までと比べれば……気持ちは余程に穏やかだった。

 寧ろ、妙に高揚したような気持ちすらあった。

 

 自殺志願者のそれだろうか?

 そんな事を束の間、考え……やはり震え上がる何かを感じる自身を自覚し、何故か安堵する。

 あれこれ考えはしてみたが、結局のところ自分は投げやりになった時を含めても完全に諦めるという事はしなかったという事だ。

 つまりは自分も莫迦(バカ)の一人、という事なのだろう。

 或いは如何しようもない臆病者、という事か?

 それでも……構わなかった。

 脇に立てかけてあった松葉杖を取り、机も支えにして、立ち上がる。

 面倒ではあるが、声を掛けられる範囲に誰も居ない以上、自分が動かなければならない。

 そう考え部屋を出て、建物の入口に向かう。

 

 

 入口の扉を開けたところで寒気が流れ込んできて、新城は思わず身体を強張らせた。

 建物内も決して温かいとは言えない状態だったが、外に比べれば十分に温かかったと言えるだろう。

 風は然程感じなかったが、寒さが染み込んでくるような感覚があった。

 幾度となく繰り返して感じている筈だが、今は不思議と鮮烈に……新鮮な想いで感じられたような、そんな気持ちになる。

 或いは思考にかまけて感覚が鈍くなっていたという事なのかも知れない。

 妙な爽やかさのようなものを感じないでもないが、恐らくは二分と過ぎないうちに建物内が恋しくなる事だろう。

 

 外に出て……不器用に時間を掛け、向きを変える。

 声が聞こえたのは、扉を閉めた後だった。

 杖を使いつつ再び身体の向きを変えた処で、声の主である二人が駆け寄ってくる。

 弥生は敬礼後に無言で新城を見上げ、長月が二人の意見という感じで口を開いた。

「司令官? 何か追加の伝達事項だろうか? 問題無ければ我々が引き受けるが」

「では任せる」

 躊躇いなど、欠片も無かった。

 今の自分は伝令としてならば、最も役に立たない存在なのだ。

「長月、再度変更で悪いが金剛と交代し如月と警戒に当たってくれ。弥生と金剛は休止。それが終わり次第、金剛と交代で長月に小休止に入ってもらう。弥生は引き続き小休止」

「了解だ。問題無い」

「……でも」

「休め。その後に休みは無い。撤退部隊の後、残りの艦隊も出撃する事になる」

 

 

 新城がそう言うと、長月と弥生の表情が切り替えでもするかのように変化した。

「……了解、です」

「では、直ちに。連絡し金剛に休止を伝えてくる。初雪らの方には?」

「文月、三日月が護衛に、磯波が出港準備の手伝いに就いている。其方にも連絡を。隠す事ではない以上、他に話しても問題無い」

「分かった」

 頷き、回れ右をした長月が港へと駆け出してゆく。

 弥生の方はというと、敬礼を解いた後は動かず新城を見上げている。

「休止も任務だ」

 そう言うと頷いて、彼女も新城に背を向けた。

 後ろ姿を暫し眺めてから、新城は出てきたばかりの建物に向き直った。

 

 

 此処に居るのも、あと数時間といったところだろう。

 その後、此処に戻ることは無い。

 上手く行けば、そのまま横須賀を目指す事になるだろう。

 上手く行かなければ……無論、如何なるかなど分からない。

 そんな事を考えながら、ふと振り返ると……同じようにという事なのか、振り返った姿勢の弥生が自分の方を見ているのを確認して。

 

 

 新城は空いている方の腕で……手先だけの仕草で、少女に行けと示して見せた。

 言葉の時よりも寧ろ素直な態度で、少女は頷き、駆け出していった。

 

 言葉ではないものの方が良かった、という事なのだろう。

 新城はそう結論を出した。

 言葉とは結局、言葉以上でも言葉以下でもないのだ。

 言葉は言葉でしかない……そういう事なのだろう。

 

 何となくではあるが、新城にも理解できた。

 人は時に、言葉ではない何かを欲しくなるという事なのだ。

 ならば艦娘にも……そういう時があっても、奇怪しくはない。

 

 つまりは、そういう事なのだ。

 

 

 

 

 


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