皇国の艦娘   作:suhi

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絶望は無く、希望でもなく 結

●絶望は無く、希望でもなく 結

「……敵艦隊は、やはり5隻のみのようですね」

 偵察から戻った文月の言葉で考え込んでいた白雪が、結論を出すように口にした。

「うん、もちろん警戒は怠れないけど……隊を分けて近くにいるって可能性は低いと思う」

 吹雪も迷いを振り切るようにして、結論を出す。

「……損傷で速度が低下して、応急で修理を済ませた艦が後に合流してくる……とか、そういう可能性は無いでしょうか?」

「あ、その可能性は有りますね? 私は他の艦隊と合流しようとしていると考えていましたけど、そちらの方が自然かも」

 磯波の言葉に、三日月が成程と頷いた。

「確かにそうですね。合流と考えるとつい敵の水上打撃部隊を想像してしまいますけど」

 白雪も警戒するように敵艦隊のいる方角を眺めながら相槌を打つ。

 

 吹雪を旗艦とする5隻は敵の機動部隊から一定の距離を置いた海上で、船体は展開せず艤装のみの状態で周囲を警戒しつつ待機していた。

 第二艦隊の攻撃目標である敵機動部隊は、第一艦隊との航空戦である程度の損害を受けた様子だった。

 全部で6隻いた敵艦隊は今は数を1隻減らして5隻となり、その内の3隻も大小の損害を受けている。

 何より嵐を抜けてからこの海域に到着するまで、第二艦隊は一度の空襲も受けなかったのだ。

 味方の機動部隊が、第一艦隊が、それだけ敵を引き付けてくれたという事だろう。

「ヲ級の片方は、航空機の発着艦が難しそうなんでしたっけ?」

「う~ん、たぶん……あれじゃ~時間かけないと、発着艦できないんじゃ~ないかな~?」

 思い出すように頭に手を当てて考え込んだ文月が、吹雪の問いにそう答えた。

 

 船体の損傷は戦闘時の性能発揮という点で大きな影響を与えるが、航空母艦の場合、その影響は特に大きくなる。

 艦載機の離着艦に時間が掛かる為、複数回の攻撃が困難になるのだ。

 時間を掛けて1機ずつ着艦させ補給を行い発艦させ……という行為を繰り返せば攻撃隊を出撃させる事は不可能ではないが、一度その航空隊が戦闘を行えば、次の攻撃にまた同じ程度の時間を必要とするのである。

 距離を詰め砲雷撃も可能な射程で戦うとなると、せいぜい戦闘の開始時に一撃を見舞う程度の事しか出来ないだろう。

 艦載機にとって、母艦と敵部隊との間の移動等というのは、発着艦と補給に比べれば僅かなものでしかないのだ。

 

 もちろん敵との距離が離れていれば到達までに時間を要する事になるし、攻撃隊そのものの規模が小さければ補給時間も短くなるので絶対とは言えないが、基本的にはそのように考えられているのである。

 規模が小さいとしても例えば10機いて1機が発着艦だけで6分掛かれば、それだけで1時間が必要なのだ。

 燃料の補給や装備の換装、例えば航空魚雷や爆弾の再度の搭載を1機ずつではなく数機纏めて行う事ができれば、纏めた分だけ時間を節約できる。

 できる、が……飛行甲板上でとなると、纏めて行うのにも限度がある。

 エレベーターも利用して格納庫も使うとなると一度に行える数は増えるし、作業中に攻撃を受けた場合の安全性という点では逆に多少は良くなるらしいが、時間のみを考えると残念ながら選択肢には入れられないらしい。

 空母の人達の話では妖精たちのお陰で爆弾や魚雷の搭載等は、以前と比べると信じられない程の速さで行われるようになったらしいのだが、其方もやはり限度があるとの事だった。

 

 その辺りは深海棲艦の側も、大きく異なるという事は無いらしい。

 つまりは少なくとも1隻の敵航空母艦の艦載機運用能力が、大きく低下しているという事だ。

 

 

 状況は此方にとって有利と言えるだろう。

 そんな状況が却って心配になり、吹雪は何か見落としが無いかと考え込んだりもしたのだが、大きな問題点らしきものは見出せなかった。

 敵が此方を騙す為に気付いていないふりをしている……等という可能性は、絶対と言っていいくらいに無いだろう。

 全くの無意味でしかないからだ。

 無意味どころか寧ろ有害……言葉を控えたとしても、勿体ないと言いたくなるような作戦と言える。

 艦娘同士の演習等なら奇策としてあるかもしれないが、あくまで意表を突くという意味での策でしかない。

 敵の射程外から一方的に攻撃できるという空母の長所を捨ててまで行うべき作戦というのは、普通ではあり得ない。

 少なくとも吹雪にはそう思えた。

 もしかしたら何か自分の思いも付かないような戦術というのがあるのかも知れないが、この場でそんな事を考えても仕方ないので考えない事にする。

 そう考えると、敵が此方を誘き寄せる為に気付かないふりをしている可能性は無いと考えて問題なかった。

 そんな事をするくらいなら、ある程度まで誘き寄せた上で艦載機による反復攻撃を加えるだけで此方を全滅させられる筈である。

 正規空母クラスの艦載機運用能力を持つという深海棲艦のヲ級は、軽空母クラスであるヌ級のおよそ1.5倍程の艦載機を搭載しているのである。

 駆逐艦のみで直掩機も付いていない5隻編成の第二艦隊を撃退するには十分な戦力であろう。

 その艦載機を用いて此方を攻撃してきていない以上、可能性は大きく分ければ二つしか無かった。

 

 ひとつは単純に、此方を発見できなかったという可能性。

 もうひとつは、発見してはいたものの攻撃隊を編成し派遣する事が不可能だった……つまりは第一艦隊に戦力を集中させざるを得なかった、という可能性だ。

 

 そうなると今度は第一艦隊の方が心配になってきて……

 吹雪は皆に気付かれないようにと気を付けて、小さく溜息を付いた。

 考えても仕方ない事なのに、様々な可能性を頭の中に浮かべてしまうのだ。

 敵にこれだけの損害が出ているのであれば……かなりの規模の攻撃隊を一度ではなく数度送ったであろうというのは容易に想像できる。

 攻撃隊の護衛に十分な戦闘機を付けたのだとすれば、敵の攻撃隊から空母を守る戦力は言葉通り最低限に近かった事だろう。

(「……でも、司令官なら」)

 被害を厭わずに、という作戦を強要することは無いだろうと考えて、吹雪は膨らみそうになる不安を何とか抑え込んだ。

 声に出すと周りを不安にさせるかも知れないので、微かに唇だけ震わせて、自分に言い聞かせるように呟く。

 心配したところで、第一艦隊の為に出来る事は何もないのだ。

 

 いや勿論、本当の意味で出来る事はある。

 すぐその場にいる敵機動部隊の撃破という任務があるのだ。

 その航空戦力を喪失させる為に、少なくとも運用を不可能にする為に……自分達は嵐を超え、此処まで駆けてきたのである。

 その為に……今、ここに居るのだ。

 そして此処からの自分達の働きで、全てが決まるのだ。

 第一艦隊の労苦を、無意味なものになど……絶対に、してはならない。

 重みのような何かを感じて、吹雪は短く深呼吸した。

 

 更に偵察を行い敵側の損傷の詳細を確認するという選択肢もあるが、短い思考の後、吹雪はその案を取り下げた。

 不安がない訳では無いので念の為にと皆に確認してみたが、皆の意見も同じだった。

 現状は此方にとって有利である。

 ならばその状況が変化する前に行動を起こすべきだ。

 表現の違いはあれ、皆の意見は同じだった。

 損傷を受けた艦が応急処置をして追い付くのであれ、別部隊が合流するのであれ、有利になるのは敵の側のみである。

「……その、大井さん達は……近くで待機している可能性もあるんじゃないか……と思います」

「私も磯波さんと同じ意見です。」

 おずおずという態度で口にした磯波の判断を肯定するように、白雪が真面目な顔で頷いた。

 それに関しては吹雪も同意見だった。

「船体を展開していない状態ですと見つけ難いですしね。無理に探そうとすると敵に発見される危険もありますし、此方が攻撃を開始するのを待っているという可能性は十分あると思います」

 三日月も少し考えるような仕草をしてから、肯定の言葉を口にする。

 文月は短く、私も~と言いながら頷いた。

 考える事は皆同じという事なのか。

「それでは……作戦通りに。三日月さん、文月さん……囮役の方、お気を付けて」

「はい……そちらも、ご武運を」

「また、後でね~?」

 真面目な顔で敬礼する三日月と笑顔の文月に……御武運をと短く返す。

 白雪と磯波も短く言葉を送り、二人は吹雪たちに背を向けた。

 

 

 

 三日月と文月の姿は、闇と波に遮られるようにしてすぐに見えなくなる。

「……私、がんばります」

 二人の消えた先を眺めていた磯波が、ぐぐぐぅっと握りこぶしを作ってから、緊張した面持ちで口にした。

「絶対に成功させましょう」

 同意するように白雪も頷いてみせる。

「……うん」

 上手く言葉が出てこなくて……でも何か、湧き上がってくるものがあって。

 吹雪は唯、肯定の言葉を、短く口にした

 或いは気持ちが溢れ過ぎて、という事なのか。

 実際は数分と経たなかったのだろうが、三人にとって長く感じられる時間が過ぎた。

 二人が展開したであろう船体の姿は確認できなかったものの、艤装とは比べ物にならない大きさの、機関の稼働音が響く。

 とはいえ自分達のように艤装のみを展開した状態で注意していなければ、聞き逃してしまう可能性も無いとは言えなかった。

 深海棲艦達もまた、あくまで艦という存在なのである。

 特異な技術が用いられてはいるが、機関を持ち、それを稼働させ、推進装置を用いて航行しているのだ。

 

 砲撃音が響いてきたのは、三人が三日月達が作戦を開始したと推測してから、更に十数分が経過した後だった。

 すぐさまに応戦するように、別の砲撃音が響き始める。

 三日月たちが先手を取ったのか、それとも敵が此方を発見して直ちに迎撃に移ったという事なのか?

 どちらであれ、互いに相手の存在を確認しての戦いが始まったという事である。

 吹雪は二人に合図すると、機関の出力を絞った状態で方角を確認し、三日月達から更に離れるように、北西に進路を取るようにして、航行を開始した。

 事前に近付いておけば移動する距離を減らす事が出来たのかも知れないが、その場合、発見される可能性も高くなる。

 皆の意見も聞いた上で、彼女は発見されない事を優先して待機する位置を決めたのだ。

 恐らく発見されないとは思うが、それでも十分に注意して。

 大回りするような進路で、敵艦隊への背面からの襲撃を目指して、吹雪達は進んで行った。

 先ず北へと向かう処を、北西……というよりは、北北西へと進路を取っている。

 現状正確に距離等を測る事は難しい為、ある程度の時間を移動してから船体を展開すると、隊はそのまま吹雪を先頭にした単縦陣で今度は東へと舵を切った。

 暫く進んだところで再度進路を変更し、南へと向かえば……敵の後方に位置を取れる筈である。

 

 

 進路上に何か……違和感のようなものを感じたのは、そろそろ後方に変針の合図を送ろうかと吹雪が考え始めた時の事だった。

 

 即座に意識を前方へと集中させた彼女は、自身を艦橋の上へと移動させる。

 違和感の正体は、直ぐに確認できた。

 重巡洋艦リ級。

 排水量で吹雪の倍以上、重量に相応しい大きさの深海棲艦が、艦首を南に向け航行している。

 

 ヲ級の護衛を務めていた重巡が、警戒の為に周囲を巡回しているのだろうか?

 一瞬そんな事を考えて、吹雪は即座にその考えを否定した。

 護衛の数が十分であるならばその可能性は高いが、敵側にそこまでの余裕は無かった筈だ。

 深海棲艦部隊の主力は、あくまで艦娘部隊の後方で撤退中の海軍艦艇への追撃の為に待機、或いは通常の巡航速度で南下してきている筈なのである。

 文月が確認した際に数が一隻足りなかったという話は聞いたが、出撃前に聞いた航空機による偵察の結果が正しいのであれば、確認できなかったのは確か駆逐艦だった筈だ。

 何より、既に三日月達が敵機動部隊との戦闘を開始しているのである。

 その状態で悠長に巡回というのはあり得ない。

 自分の考えの殆どが、推測や仮定を基としたものである事は吹雪自身も自覚している。

 だから、巡回していて戦闘に気付き、急ぎ合流の為に南進しているという可能性も絶対に無いとまでは言い切れない。

 だが……

 

「……違う、そうじゃなくてっ!」

 動揺している自分を自覚して、吹雪は少しでも落ち着こうと自身に言い聞かせた。

 今は敵の正体よりも重要な、即座に考えるべき事があるのだ。

 自分達が如何動くか、である。

 もっとも、如何するべきかと考えても……答えは出てこない。

 結論が出せていたら、即座に白雪たちに信号を送りながら動いていた事だろう。

 だからこそ、発見した敵がどのような存在なのかと考えてしまったのだ。

 少しでも何か分かれば、判断材料の一つになるかも知れない……そう考えて。

「……落ち着いて。出来る事なんて、そんなに無いんだから……」

 そう言って、吹雪は再び自分に言い聞かせた。

 実際のところ、自身に言い聞かせた通りなのだ。

 迷うほどの選択肢は無いのである。

 

 自分達には、敵の増援どころか目標である敵機動部隊を全て撃破する戦力ですら、あるかどうか不明なのだから。

 そんな事を考えて、改めて戦力差を実感した瞬間……吹雪は、身体が震えるような感覚を味わった。

 急な寒気が頭から勢いよく滑り落ちていくような、とでも表現すべきか……

 血の気が引くというのは、こういう事を言うのかと思い知らされたような、そんな気持ち。

「……そうだよね」

 吹雪は改めて、自分に言い聞かせた。

 

 そう。新たに確認した敵艦を相手にする余裕など無いのだ。

 今度の自分への呼びかけは、僅かではあるものの効果があった。

 少しだけだが、自分は落ち着けた……冷静になれたのだと自覚できた。

 発見した敵が増援であろうと敵機動部隊の護衛であろうと、あれに先んじて敵空母を攻撃するしかないのである。

 恐らく奇襲は不可能となり強襲になるのだろうが、それでも敵空母の撃破が不可能となった訳ではない。

 絶対に不可能と判断するのであれば、司令官の責任として撤退も許されてはいたが、少なくとも今の吹雪には……状況は絶望的とまでは思えなかった。

 

 

 とにかく発見した敵艦を警戒しつつ……吹雪は船体に取舵を切らせた。

 本来なら面舵、右側へと舵を切る予定だった。

 目標である敵空母がいるのが其方側だったからだが、このまま向かえば目標と発見した敵艦に挟撃される位置に自分から飛び込む形になる。

 目標であるヲ級達との距離は、それほど離れている訳では無いのだ。

 星や月の明かりが殆んど届かない闇夜だからこそ視認できないというだけで、昼間であれば此処まで近付くのは困難と思えるほどの至近距離の筈なのである。

 全速力で向かい一撃を見舞ってそのまま離脱したとしても、間に合うかどうか分からない。

 それよりも側背から奇襲し、注意を引き付けた後に別の方角から突入するべきか?

 いっそ自分が囮としてその役を担い、白雪と磯波に突入してもらうべきか?

 

 そんな事を考えていた時だった。

 吹雪は敵艦の甲板上で、砲塔らしきものが動いているのを視認した。

(「気付かれたっ!?」)

 そう思った直後、機銃音らしきものが突然響く。

 響き始めた、と表現すべきだろう。

 機銃音は終わる事なく、そのまま延々と、幾つかが重なったり単独で響いたりしながら、完全に途切れる事無く続いたのだから。

 それに混ざるようにして、砲音も響き始める。

 明らかに、1隻だけのものでは無かった。

 姿は確認できないが、恐らく同等クラスの艦がもう1隻程度は居るのだろう。

 その事が逆に、更に吹雪を落ち着かせた。

 絶対に敵わないという事実の確認が、かえって冷静さを与えてくれたのかも知れない。

 加えて、発見したリ級が機動部隊の護衛ではなく新たな増援であろうという事がほぼ確定できたというのも大きかった。

 困難な現実を見せ付けられる結果になったとしても、それは未知ほどの恐怖を与えはしない……という事である。

 少なくとも今の吹雪にとっては、だ。

 

 砲と機銃を敵の側へと向け、吹雪も反撃を開始した。

 敵の撃破を目的としたものでは無く、あくまで牽制の為である。

 敵艦の砲撃と銃撃も、どうやら同じ目的らしかった。

 敵は吹雪達に攻撃してきたものの、回避運動のように進路を小刻みに変えた程度で、そのまま南進を継続する。

 反航戦の形となった為、吹雪はリ級の後に続く敵艦隊の陣容を容易に確認する事が出来た。

 

 そして、少々の困惑と共に今迄の情報が纏まり……一つに組み合わさったような、納得するような、不思議な満足感を味わった。

 リ級の後に続くようにして航行して来たのは、大型であるものの武装や装甲よりも積載量を重視した艦種、補給艦や輸送艦として分類されているワ級だったのである。

 リ級2隻を先頭にワ級が其々2隻ずつ、計4隻が後方に続く。

 のちにオリョール海の一部海域等で確認される事になる6隻から成る複縦陣の運送船団が、この時の吹雪達が遭遇する事になった深海棲艦の艦隊だったのだ。

 恐らくは燃糧や弾薬、或いはヲ級への艦載機の補充等を行う為に前進してきたという事なのだろう。

 もしかしたらヲ級の側も、その為に航行を遅らせていたのかも知れない。

 それを放っておく道理は無かった。

 念の為にリ級の側にも砲撃は行いながら、吹雪はワ級の1隻に狙いを定め、砲と銃座を旋回させた。

 攻撃を行いながら照準を合わせるつもりで、急ぎ攻撃を開始する。

 数分も経たぬうちに白雪から通信が送られてきた。

 砲撃時の光等により判り難くなった事を考慮し、内容の秘匿より確実な伝達を優先したのかも知れない。

 或いは内容が傍受されても大きな問題は無いと判断したのだろう。

 通信の内容は、陣形先頭のリ級がこちらに舵を切ってきたというものだった。

 

 ワ級を攻撃させない為の動きと見て間違いないだろう。

「けど……何ていうか……」

 あまりに……行き当たりばったり、に過ぎないだろうか?

 敵の事とは言え、吹雪は何とも言えない気分になった。

 ワ級を攻撃させないように、させ難いように動くというのは、然程難しくない動きの筈である。

 

 最初からリ級2隻が此方を牽制し続けて、その間に全てのワ級たちを此方から離れるように、退避させてしまえば良かったのだ。

 勿論ワ級の航行速度は此方を振り切れる程では無いが、戦いながらとなれば吹雪達も追跡、追撃に専念する訳には行かなくなる。

 闇に紛れられてしまえば尚の事だ。

 一度見失った艦を、戦いながら捜索する等というのは不可能に近い。

 つまり相手は此方と戦っているだけで、護衛としての役割を果たせる事になるのだ。

 逆に、今現在のようにワ級が戦闘に巻き込まれたしまってからの方が護衛は困難になる。

 単純に2隻で4隻を守ると考えるだけで困難さは容易に想像できるというものだ。

 これまで敵機動部隊の、どこか一貫した、全体的な戦略もある程度考慮したように感じられる戦術と相対してきていた吹雪から見て、今、目の前で相対している補給部隊の動きは……余りに一貫性を欠いた、場当たり的なものに思えたのである。

 

 もっとも、だからと言って油断など出来なかった。

 eliteでもflagshipでもない、normalらしいとはいえ、リ級は重巡洋艦なのである。

 主砲が直撃すれば良くても大破、下手をすれば一撃で船体の機能を停止させるだけの威力を持っているのだ。

 至近弾でも駆逐艦の戦闘力を減退させる可能性は十分にある。

 装甲の方も、駆逐艦の砲のみでは貫けない程の厚みを誇る。

 至近距離まで突入し、魚雷を含め全ての武器を総動員して漸く撃破、撃沈を狙えるというレベルなのだ。

 もし此方と同程度の知性を持たれていたら、判断力を有していたら……勝負にならない。

「……うん、良い方に考えないと」

 実際にそれは良い事なのだ。

 そう思い、気持ちを切り替えるのと同時に、吹雪はもう一つの可能性を試すべく後続の白雪達に信号を送った。

 

 このままリ級を誘き寄せる事ができれば、挟撃を避ける形で敵空母に接近できる。

 そう考え攻撃を続行しつつ、吹雪はワ級から距離を取るように舵を切る。

 

 ワ級達は吹雪らの動きに特別には反応せず、懸命に距離を取ろうとするかのように、ひたすら南進を続けていた。

 もっとも、吹雪達からの砲撃を少しでも受けまいとするかのように、小忠実(こまめ)な転舵を繰り返してはいる。

 そのせいで元々遅いワ級達の速度は更に低下しているように見えた。

 全速力なのかも知れないが、それでも吹雪達の船体の巡航速度すら遥かに下回るような速度で、深海棲艦達は吹雪から遠ざかろうとしている。

 その姿を観察しながら吹雪は再び、妙な納得感を味わった。

 確かに護衛が必要そうだ。

 ワ級達の外見は……戦闘というものを、殆ど考慮していないように思える。

 だが逆に考えれば、大量の物資を積載する事を優先した、物資運搬の為に特化した構造をしているという事になるだろう。

 それこそ数隻で、戦艦や空母に燃糧と弾薬を補充し、それらに加えて空母への補充の為の艦載機も搭載できるだけの内部格納庫を持っていると考えて間違いない。

 撃破すれば敵の継戦能力を大きく減退させる事が出来る筈だ。

 逆に敵から考えれば、何としても守り抜かねばならない、戦艦や空母とは違った意味で重要な艦と言えるだろう。

 

 そう思い、結論を出していたからこそ……敵を誘引しようと進路を調整していた吹雪に向けて、白雪が送ってきた信号を確認して……吹雪は困惑せざるを得なかった。

 短い時間だけとはいえ、混乱しかけた……と言っても、過言ではないだろう。

 時間的には数分程度。

 速度も然程上げていないので、距離にすれば数百m……実際には、それよりも移動していないかも知れない……そんな状況にも関わらず……

 リ級達、2隻のリ級の両方が、進路を変えた……というのが、白雪が送ってきた信号の内容だったのである。

 何かの間違いではないかと思って、吹雪は信号の内容を確認したが……間違いなかった。

 単純な内容で確かに信号で充分だったが、確認の為に通信を入れるべきだろうかと本気で悩んだほどである。

 敵重巡再び転進す、というのが白雪からの信号の内容だった。

 まだ舵を切っている最中なので断定はできないが、恐らく南進を再開しようとしているのでは思われるというのが付け加えられた白雪の見解だった。

 

 実際その通りだろうと吹雪も考えた。

 とはいえ、本当に、余りにも場当たり過ぎる動きでは無いだろうか?

 

 そう考えそうになって、吹雪は一旦落ち着くようにと自身に言い聞かせた。

 深海棲艦達の動きは、一見すると狼狽えているようにも見える、が……実際はその場その場での条件を寧ろ厳密に定め、状況の変化に応じて確固たる反応を行っているという事なのだろう。

 現状のみを見て行動を決定し、それまでの状況を全く考慮してないように思えるその反応は、一見すると陥れやすそうにも思えるが……今の吹雪にとっては想像以上に厄介に感じられた。

 

 条件さえ明確に判明すれば誘導する事は容易だろうが、それが分かるまでは……相手の動きを予測するが難しくなるのである。

 ある程度は此方の常識に近しい判断基準を持っているというのが、却って不安だった。

 全く予想も出来ないよりも、途中まで予測通りに動いていた相手が突然理解不能な動きをしてくる……方が、吹雪としては不安に感じるのである。

 とはいえ幸いというべきか、リ級達の動きは吹雪の推測から大きく外れる事は無かった。

 ワ級に一定の距離まで近付いて攻撃すれば妨害しようと近付いてくるが、一定以上の距離さえ取ってしまえば、元の通りに南進しようとするのである。

 

 幾度か繰り返してみたものの、リ級達の動きの変わり方は同じだった。

 時間は経過したが、そのお陰というべきか……行動の変化する大凡の距離を、吹雪は確認する事ができたのである。

 その間……ワ級の方には大きな動きの変化は、無かった。

 4隻は唯、只管(ただ、ひたすら)南に向かって航行し続けている。

 一切の武装が無いという事なのか、砲撃は勿論として機銃等の牽制すら行ってこない。

 勿論、吹雪が一定距離以上に接近したり砲撃を行ったりした場合は転舵を行い、その状態の吹雪が動きを変化させるとそれに対するという感じで小刻みな転舵を繰り返すのは同じである。

 

 優先順位は南進よりも、吹雪から離れる事、損害を軽微に収める事のようだった。

 確かに目標地点に到着する事よりも損害を避ける事が優先されるのは、基本的には間違いでは無いだろう。

 到着を最優先して撃沈させられてしまっては元も子もない。

 とはいえやはり、杓子定規に過ぎるのではないだろうか?

 そんな事を考えつつ、吹雪はワ級達の観察を続けた。

 今の処、僅かに損傷を与えてはいるものの4隻共に航行しており、撃沈は勿論として大きな損傷を与えた艦もいない。

 接近すれば攻撃の精度を上げられるし沈める事も可能なのだろうが、リ級に距離を詰められる可能性があるので無理は出来なかった。

 

 吹雪達の目的は、あくまで第一に空母なのである。

 ワ級を撃沈させてはならないという訳では無いが、その為に損害を出しては本末転倒だった。

 ワ級の速度が遅い為に距離そのものは然程変わってはいないが、それでもこのままの状況が続けば、最終的には機動部隊と合流されてしまう。

 

 そう結論を出したからこそ、最終的に吹雪は決断した。

 自分がリ級達を引き付け、その間に白雪と磯波にヲ級達を狙ってもらう。

 つまりは隊を分割する、という事である。

 

 

 ワ級は4隻ともnormal……eliteやflagshipではない以上、敵戦力となるのは2隻のリ級のみだ。

 それを引き付ける事さえできれば、挟撃されない状況で、白雪と磯波を敵空母に向かわせる事ができる。

 駆逐艦1隻で、重巡洋艦2隻を誘引、或いは足止めする。

 言葉の意味だけで、普通に考えるのであれば……無茶に過ぎる作戦だ。

 だが、自分がワ級を狙うように距離を詰めれば……敵のリ級は2隻とも吹雪の動きに対処するように動く筈である。

「危険だけど……でも、このまま突入するよりは……」

 確実に良い筈だ。

 

 迷いが全く無かったと言えば、嘘になる。

 それでも……実際に吹雪が逡巡した時間は、ほんの数秒に過ぎなかった。

 後続の白雪に、信号を送る。

 

 白雪を旗艦に指名し指揮権を委譲する。

 白雪達には目標である敵空母への攻撃を行ってもらう事。

 以後、自分は単独行動を取る事。

 

 それらを伝えると、吹雪は船体を加速させた。

 そのまま大きく取舵を切る。

 送った信号で吹雪の動きを推測したのだろう。

 白雪から短く、信号が送られてきた。

 了解した事を告げる端的な信号の後、短い言葉が付け加えられる。

 

 ご武運を。

 

 その一言に多くの想いが詰まっているように感じられて。

 吹雪も同じ信号を返した。

 後ろに続いてきていた白雪の姿が離れて行き……すぐに闇に紛れるように見えなくなる。

 怖くない、寂しくないと言ったら、嘘になるだろう。

 それでも……なのだ

「私が、みんなを……守るんだからっ!」

 自分に言い聞かせるように、口にして。

 吹雪は艤装を構えながら、船体の主砲を旋回させた。

 

 

 

 

 文月と共に吹雪達と分かれ、少しだけ進んだところで……三日月は一度、振り返った。

 それでも、もう……吹雪達の姿は闇に紛れ、見えなくなっていた。

 改めて、旗艦で先頭という事になる、と……

 三日月は自身が緊張しているのだという現実を、何か……他人行儀な感じに自覚した。

 そんな風に自身を見詰め確認できるという事は、以前よりは少しは冷静になれているという事なのだろう。

 それでも……という気持ちは、当然の如く存在している。

 慣れてきていたとはいえ、これまでは基本敵に艦隊旗艦である吹雪と一緒に任務に就き、仕事そのものも吹雪の補佐的な働きばかりだったのだ。

 

 その吹雪達と分かれて、姿が見えなくなった事で。

 改めて自覚した、という事なのだろう。

 そんな風に考え始めてしまうと、少し強張ってくるような感覚が……出てくる。

 

 隊の編成は自分を入れても二隻だけ。

 随伴は優しく気心のしれた姉の文月だけであるといっても……緊張する。

 いや、寧ろ優しくはあっても頼もしい姉であるからこそ、自分で良いのだろうかと不安になるのかも知れない。

 ……以前も悩んで、相談して、自分を納得させたのに。

 いざとなると……不安になる。

 自分は一体、何度同じ事を繰り返し考えるのだろうか?

 考えたところで仕方ないし、ある程度は割り切ったにもかかわらず……いや、つまりは割り切れていないという事なのか。

「だいじょうぶ~?」

「……ええと、その……はい、大丈夫、です」

「……すなおに言ってくれて、良いよ~?」

「……御免なさい。正直、やっぱり不安です」

 自分にしては素直に気持ちを吐露できた。

 心持ち、罪悪感や劣等感のようなものも小さいような気がする。

 背を向けたままというのが良かったのだろうか?

 それとも、緊張するのも当たり前の事なのだと思えるようになってきた、という事なのか?

 そんな事を考えた時、背中がぽんぽんと軽く叩かれた。

「……文月?」

「大丈夫。三日月ちゃん、慣れてきてるよ~ まえより、落ち着いた感じ~?」

「……なら、良かったです」

 

 柔らかな口調で肯定され、安堵と同時に息が零れる。

 こうやって自分は支えられているのだと実感する。

 自分の未熟さで悩んでいた時も、最後は弥生が助けてくれた。

 励まして、力になってくれた。

 自分の事を、自分以上に見ていてくれた。

 今も、文月が力になってくれる。

 

 換装を終えて司令官に報告に行った時の事を思い出す。

 文月が連絡に来た後、換装と試射を行う自分と望月を色々手伝ってくれて、その後も司令官に報告に向かう自分に付き合ってくれたのだ。

 のんびりとした雰囲気を漂わせ、実際に優しくて穏やかで……でも、決してそれだけではない。

 いざ戦いとなれば、纏う雰囲気はそれ程変わらないけれど、どこか強気で逞しく、頼もしい。

 そんな姉が同行してくれる事に、支えてくれている事に……改めて、感謝する。

 もちろん、だからといって気を抜いたり任せきりにしたり、などという気持ちは……全く、欠片も無い。

 そういう頼もしい姉と、一緒だからこそ。

 確りと自分の……自分達の役割を、果たさなければならない。

 そう思う。

 敵艦隊についての現時点での詳細な情報は分からないが、少なくとも1隻は撃沈されるか随伴が難しい損傷を受けたと推測され、残り5隻の内の少なくとも2隻も、損傷を受けている。

 内の1隻は空母で、航空機の発着艦が困難と思える程度の損傷を受けているらしい。

 残りの3隻も、軽微ではあるものの損傷を受けている様子だった。

 それだけ第一艦隊が力を尽くしてくれたのだ。

 

 それに報いる為にも、任務を成功させる為にも。

 自分達も、与えられた役割を果たさなければならない。

 吹雪たちが、攻撃を成功させる為に。

 以前なら自分の立場と果たさねばならない任務に、責任の重さに、押し潰されてしまっていたかも知れなかった。

 そうでなかったとしても、冷静さを失ってしまっていた可能性は低くないだろう。

 今は……緊張しているし、少し強張っているような感覚もある、が……周囲が見えているような、少しのんびりと構えていられるような……時間の経過が遅いような、今まであまり味わった事がないような感覚があった。

 やはり、以前と比べて気持ちが落ち着いている、という事なのか?

 それとも、文月のお陰で緊張がほぐれ、同じような感覚を味わえているという事なのか。

 周囲を十分に警戒しながらの航行であるにも関わらず、頭の中にはそんな取り留めの無い考えが浮かんでくる。

 寧ろ緊張しているからこそ、緊張し過ぎないようにと無意識に考えているという事なのだろうか?

 そう思えるのは、緊張してはいても冷静に自分を分析する自分も居るという事なのだろう。

 

 船体を展開していない以上発見される可能性は低いが、だからといって警戒を怠る訳にはいかなかった。

 発見されるのも目的の一つではあるが、できれば吹雪たちからある程度離れた状態で発見されるようにしたいのだ。

 此方を発見すれば意識は此方に集中するのだろうが、他にも敵はいないかと周囲を警戒する可能性は充分に有り得る。

 それで吹雪たちの方も発見される等という可能性は、出来るだけ減らしたかった。

 波が大きければ陰に隠れられるかもしれないが、それを常に利用できるほど海は荒れてはいない。

 その為、闇を利用するように大回りして、三日月は文月と共に慎重に海上を移動していった。

 艤装の機関の出力はそれほど上げていないが、それでも稼働させている以上、静かとは程遠い音が発生している。

 もっとも、波音も決して静かでは無かった。

 空が曇っている為、見通しもあまり良くはない。

 とはいえ今は、それに期待するべきなのだろう。

 

 

 大凡になるが、ある程度の距離が取れたと判断した三日月は、文月に合図を送った。

 逸れないようにと直ぐ後ろに続いていた文月と一定の距離を取ってから、船体を展開する。

 続くように後方に1隻の駆逐艦が姿を現した。

 艦の前甲板にいる文月が、手を挙げて合図を送ってくる。

 

 船体の方の知覚でそれを確認すると、三日月は信号で合図を送ってから船体の機関を稼働させた。

 先程までの艤装が上げる音とは比べ物にならない程の稼働音が響き渡る。

 後続の文月の船体も動き始めたのを確認すると、三日月はそのまま出力を上げ、船体を加速させた。

 もっとも、艤装だけの状態と比べると速度の変化は容易ではない。

 駆逐艦の船体は他の艦種と比べれば小型の事が多いが、それでも機関が稼働し力が推進装置に伝わり、船体が加速するまでには時間が掛かるのだ。

 とはいえ、以前の……かつての自分達、過去の、艦であった状態と比べれば随分と容易になった事は間違いないだろう。

 

 断片的な記憶になってしまうが、以前ならば機関を動かしたり停止させたりというのは簡単な事では無かったように思う。

 火を落とす等と表現されていた機関の停止は、整備や修理等で寄港する時でなければ行わなかった……のでは無いだろうか? 

 今は妖精たちのお陰で信じられないくらいに、様々な事が容易になっているように思う。

 もっとも、だからといって戦いそのものが容易になったという訳では無い。

 為す術もなく一方的に攻撃を受けて敗北するような事は殆んど無くなったし、何より暗礁に乗り上げて脱出できず放棄される等という事は、今の姿になったお陰で全く無くなった。

 それでも、以前と比べれば少ないが……被害、犠牲は、確実に出ているのだ。

 そもそも今回の戦いだけで既に……姉妹艦も含め、複数の艦娘が居なくなってしまっているのである。

「……駄目です、こんなの……戦いの前に」

 暗くなってしまいそうな自分の思考を切り替えるように、三日月は軽く頭を振った。

 

 考えてしまうとこうなるのは、きっと自分の悪い癖なのだ。

 折角さっきまでは変に緊張せず少しは落ち着けていたのに、この直前でそうなってしまっては意味がない。

 今は任務に集中しなければならない。

 戦いの時はもう、すぐそこまで迫っている筈なのだ。

 そう思い定めて、自分に言い聞かせて数分と経たぬ内に、三日月は前方に海面とは違う何かを発見した。

 ほぼ間違いないとは思うが、確認の為に意識を集中させる。

 見えたのは目標とする敵艦隊の1隻である駆逐艦だった。

 火の手が上がっている訳でも無いのに、僅かに赤い輝きのような何かが艦から発されているように見える……つまりは通常の個体ではなく、eliteと呼称されている通常より強力な個体という事なのだろう。

 文月が確認した時点では、ヲ級2隻を中心とするようにして残り3隻が周囲を警戒するように巡回していたとの話である。

 恐らく今も同じように警戒を続けているのだろう。

 

 先程までの不安な、強張るような、何処か悲観的な気持ちが……不思議なほどに、呆気なく消え失せた。

 確認できた駆逐艦に意識を集中させつつ、その前後も警戒する。

 同時に、僅かに面舵を切る。

 焦りも不安も無く、流れるような動きでそれができた。

 直進で近付いた方が発見され難いかも知れないが、それでは文月が砲撃できないし、雷撃も難しい。

 囮ではあるが、攻撃し敵を倒すつもりで行かなければ意味が無いのだ。

 本当に狙えるのであれば、ここで敵空母を攻撃し沈めてしまえば良い。

 最低でも航空機の運用能力を奪ってしまうのだ。

 それで、この任務は完了となり撤退できる。

 その考え方で間違いはない筈だ。

「……負けたくは、ありません……戦いなんですから」

 敵の動きに気を配り、他の敵艦の出現に警戒しつつ、落ち着いて……任務について考える事ができている。

 これが最初からできればと束の間だけ思いはしたものの、その気持ちも瞬時に片隅に追いやった。

 そういう事が自然と容易にできる。

 今はそれで良いのだと割り切り、思考を続けた。

 射撃を行えば、確実に相手に気付かれる。

 気付かれなければ囮役を果たす事は出来ないが、明らかに気付かれるのを望むような動きは控えるべきだろう。

 初弾を命中させるくらいの気持ちで距離を詰めるのだ。

 敵に発見されるのが先か、こちらの攻撃が先か……或いは敵も此方に気付いているが近付いてくるのを待っているという状態なのか?

 可能性としては極めて低いが、絶対に無いとは考えない方が良いだろう。

 

 

 そんな事を考えていた時、砲撃音が響いた。

 当然というべきか、後方は確認しない。

 自分の姉が、文月が、そのような迂闊な事をする筈がないからだ。

 そして自分でもない以上、砲撃を行ったのは敵艦という事である。

 

 水柱が立つ時のような轟音が響いたが、周囲にそれらしいものは確認できなかった。

 つまりは視認できないほど離れた場所に着弾したという事だろう。

 

 敵の駆逐艦が舵を切り此方に向きを変えようとする。

 ここからが自分達の任務の開始だった。

 全力で敵空母を狙うつもりで、その上で自分達の存在を主張するように。

 文月に通信を入れると、三日月は更に舵を切りながら砲撃を開始した。

「これでもくらえ~」

 返信の後、続けるように文月の掛け声が届き、後方から砲撃音が断続的に響き始める。

 それに対するかのように、深海棲艦の側も砲撃を続けてきた。

 一斉射撃ではなく砲毎の射撃なのは、こちらを航空母艦に近付かせない為の牽制を重視しているという事なのかも知れない。

 もしそうであるならば、旗艦らの護衛を重視しているのだとすれば、果たして誘引できるか如何か……

 文月が一斉射撃を行わなかったのは、やはり牽制という形を重視したのか?

 それとも射角を確保するのが難しい砲があったからなのか?

 

 砲撃を続けながら、三日月は更に舵を切った。

 船体前方の砲はそろそろ射角を確保するのが難しくなるだろう。

 敵から距離を取ろうという形になれば、最終的には船体後方の砲でしか敵を狙えなくなる。

 もっとも敵側も、こちらを最短距離で追いかけようとすれば前方の砲でしか射撃を行えなくなる事だろう。

 とはいえ、そこまで全力で離れようとすると、相手が追いかけてくるか如何かが分からなかった。

 追い付けるかどうかという問題だけでなく、何故攻撃しようと近付いてきたのに突然逃げるのかと不審に思ったりするかも知れない。

 

 駆逐艦だけならばそんな事は考えないかも知れないが、人型に近い外見を持つ重巡のリ級や空母のヲ級がいるのである。

(「適度に距離を取りつつ、射撃を行いやすいように動くべき……なんでしょうか?」)

 敵の攻撃の矛先は徐々に変わり、今は文月の方へと多くが向けられているような感じだった。

 正確に何時の方向からなのか、迄は分からない。

 だが、途中から砲撃音に明らかに異なる響きの物も含まれ始めているのは間違いない。

 恐らく重巡洋艦であるリ級のどちらかが、迎撃に加わってきたのだろう。

 実際、駆逐艦1隻のみでは此方を迎撃するのは不可能だった。

 こちらを正確に2隻と確認しているかは分からないが、複数である事は確認しているのだろう。

 ならば増援が加わるのは当然である。

 

「……何とか、引き付けられれば……」

 5隻のうち2隻を引き付ける事ができれば、吹雪たちの奇襲が成功する確率は大きく上がる事だろう。

 今までとは逆に、三日月は船体の舵を取り舵の側に切った。

 囮ではなく、本当に敵の護衛を切り抜けて旗艦に近付こうとするのであれば、どう動くのが良いのか?

 自分にそんな風に言い聞かせ、考える。

 今自分たちは、敵旗艦に奇襲を仕掛けようとして発見され距離を取ろうとしている、或いは一旦視認できない距離まで離れて再度突入しようとしている……という風に見える可能性が高そうだ。

 三日月はそう考えた。

 それ以外の可能性も無い訳ではないが、迷っても仕方ないので今回はこうだと割り切って考える。

 此方が先に発見したにも関わらず攻撃を行わなかったのも、目標が敵旗艦であるヲ級だから……という考えの後押しになるかも知れない。

 とにかく、そういう狙いで近付いた処を発見され、離れようとしたものの追撃されている……という状況であれば。

 引き離そうとして離せないのであれば……

 距離を取るように動きつつ、何とか敵旗艦に接近する進路を取れるように、狙えるようにと隙を窺う。

(「……そんな風に、見えるように」)

 

 速度は落ちるものの進路を予測し辛くはなると自分に言い聞かせ、交互に舵を切りながら。

 三日月は敵艦を観察し、自分達の進路を決定した。

 完全に引き返すのに近いくらいに面舵を切った後……今度は取り舵を切り、その後は小刻みに進路を変えるように舵を切っていく。

 敵艦隊を中心として自分たちは反時計回りに突入口を窺うように移動する……ようにして、実際は徐々に敵艦隊から離れていっている筈だ。

 真後ろに下がるよりは横や斜めに退いた方が誘引できるのではと考えての事である。

 

 敵を誘き寄せる為に出来る限りの事を……そう考えての事だが、実際に効果があったのかは不明だった。

 本当はそんな複雑な動きは必要なかったのかも知れない。

 ただ後退するだけで相手は追撃を行おうと近付いてきたかもしれない。

 そういう考えが浮かばなかったといえば嘘になる。

 それでも三日月は、今の自分のやり方で良いと割り切った。

 作戦後、無事に帰港できたら……振り返って色々と反省するのかも知れないが、少なくとも今はこれで良いのだ。

 

 失敗の可能性を減らす為に、自分は可能な限り努力した。

 同時に、自分が不安を感じる要因を潰す事も出来た。

 そういう事である。

 無論、その結果が任務の失敗という事になってしまっては……それこそ目も当てられない。

 だが、どうであれ今回は失敗せずに済んだのだ。

 

 深海棲艦の2隻は砲撃を行いながら、三日月と文月を追跡するように進路を取ってきていた。

 もう1隻のリ級が恐らくヲ級の護衛として残る形となったのだろう。

 2隻が追撃してこなければ自分達がヲ級を狙って突入する可能性もあったが、幸いと言うべきか今回は囮としての役割に専念する事になりそうである。

 もっとも、それも決して容易な任務という訳ではない。

 途中で敵が反転すれば、今度は逆に吹雪たちが困難に直面する事になるのだ。

 

 突入の機会を窺うように、実際は敵に反転の動きがあれば即座に反応できるように。

 砲撃を続けながら三日月は2隻の敵艦に意識を集中させた。

 

 最低限として周囲は警戒しているものの、意識の殆どは敵の駆逐艦と巡洋艦に向けている。

 闇で視界は悪いが、リ級の方も遠目にその姿を確認できた。

 今のところ敵に後方を警戒するような動きはない。

 

 

 自分達と追撃してくる2隻の砲撃とは異なる砲音が聞こえたように感じられたのは……それから暫く後の事だった。

 吹雪たち3隻が敵航空母艦に向けて攻撃を開始したのだろう。

 聞こえてくる戦闘音が少し遠いようにも感じられたが、方角的には間違っていない以上、もしかしたら此方での戦いに巻き込まれる事を警戒した敵空母達が距離を取ろうとしたのかも知れない。

 そう推測しながら、三日月は自分たちの動きを変化させる事なく戦闘を継続した。

 敵の2隻が救援に向かうかも知れないと考え更に注意深く動きを観察し続けたが、それらしい動きは全くと言っていいほどに見えない。

 気付いていないのか、それとも必要が無いと判断しているのか。

 かえって三日月が不安になり始める程だった。

 そしてそれは、全く根拠のない無意味なものだとも言い切れない状況になりつつあった。

 少なくとも三日月にはそう感じられた。

 

 攻撃が開始されたのではと三日月が推測してから、少しばかりの時が流れた。

 その間、自分達を追跡してくる2隻の砲撃音と機銃の掃射音と自分や文月の反撃の音……以外の音が、三日月には確りと認識できていた。

 最初は恐らく……程度の感覚だったものの、意識して其方に重点を置くと、確信できるくらいに戦いの音を確認できたのである。

 だが、その音は……吹雪たちの攻撃と護衛の重巡洋艦だけのもの……ではない、ように感じられたのだ。

 

 何より……撃破を告げる通信が入って来なかった。

 目標を達成した場合、つまりは敵空母に十分な損害を与えられたと判断した場合、傍受等は気にせずに通信が入る事になっていたのである。

 一応敵に知られた場合の対策として目的等は明言しない形になっていたが、だからこそ目標を達成次第、即座に送信する手筈になっていたのだ。

 

『敵への損害を確認し更なる戦果の拡大を』というのが、目的達成時の合図だった。

 内容的には更に攻勢に出るような通信であるが、傍受された際の敵の動きが少しでも混乱するようにと考えての事である。

 効果は不明だが、自分達に不利が無ければ何でも試してみる価値はあるのだ。

 

 兎角、通信を確認した場合……全ての艦は直ちに戦場より離脱し、泊地へと帰投するようにと決められていた。

 一瞬の遅れが生死を分ける可能性もあるとして、その決定は徹底されていたのである。

 例外は戦闘行動を即座に中止する事が却って危険だと判断される場合のみであり、その場合も可能な限り早期に戦闘を中止し離脱するようにと決められていた。

 それらは司令官の命令として、どのような状況であろうと責任は全て司令官に帰すると明記された上で決定されていたのである。

 

 そうである以上……何より吹雪の性格的に、目的を達成したにも関わらず通信を発していない等という状況はありえなかった。

 仮に吹雪が通信が行えない状況下にあったとしても、僚艦は白雪と磯波である。

 どちらも為すべき事を忘れるような性格ではない。

 そうである以上……こちらに2隻を引き付けているにも関わらず、別動隊は目標を達成できていない、という事になる。

 

 

 ならば、如何するべきか?

 選択肢は2つしかなかった。

 このまま囮に徹するか?

 それとも……自分達も攻撃目標へと向かうべく、強引にでも転進するべきか?

 いや、転進するにしても強引にというのは危険過ぎた。

 敵は駆逐艦と重巡の2隻である。

 駆逐艦と言えどもeliteである以上は決して油断出来ないが、望月や自分の現状態ならば例え一対一であっても互角以上の戦いができる筈だ。

 だが、重巡となると……eliteやflagshipでなかったとしても、直撃を受ければ一撃で此方が戦闘不能となる可能性が出てくる。

 焦って此方の戦力が下がれば、今引き付けている敵が吹雪達の側に向かってしまう可能性もある。

 それは文字通り、最悪の事態だった。

 それだけは何としても避けねばならない。

 

 ならば……これまでフリでしかなかった突入しようという動きを、フリではなく本当に機会を窺うという形にして戦闘を続けていく……というのが、現時点で自分達に出来る最善策だろう。

 悔しく、もどかしくはあるものの……三日月は、そう判断を下した。

 

 焦らないように、出来るだけ冷静に……敵の動きを見逃さないように。

 今までも決して手を抜いていた訳では無いが、敵の誘因や足止め以外での無理はしないと考えていた。

 ここからは、本気で敵空母への接近を狙ってゆく事になるのだ。

 そう自分に言い聞かせながら、三日月は追跡してくる2隻に意識を集中させる。

 

 

 そこからの時間は、三日月にとって長く感じられるものだった。

 実際に経過した時間は勿論というべきか、決して長いものでは無い。

 意識を集中させていたからこそ、だからなのか?

 彼女には敵のelite駆逐艦……恐らくはニ級ではないかと推測される個体の動きが変化したように感じられた。

 幾つかの砲撃音が響き、今までと同程度の間隔を置いて……近くから響いていた音が、そして時折見えた水柱が見えなくなったのだ。

 もっとも、そのすぐ後に水柱が立つ音は響いてくる。

(「でも、これは多分……」)

 駆逐艦の主砲ではなく、重巡であるリ級の砲撃音だろうと三日月は推測した。

 だとするのであれば、敵駆逐艦は自分達ではない目標を確認したか味方から何らかの連絡を受けて、別の方角に砲撃を行ったという事になる。

 

 恐らくは吹雪達を発見したか、大井と卯月が戦闘を確認し突入してきたか……恐らくはその、どちらかだろう。

 やはり推測になってしまうが、此方は間違っていないだろうと確信できるレベルの推測だった。

 もしそうであるならば絶対に、敵の動きの変化を看過する訳にはいかない。

 どちらの場合であったとしても、味方のその行動の失敗は……自分達の任務の失敗に直接的に繋がる事になるのだ。

 

 敵駆逐艦に距離を詰める為に。

 後方の文月に向かって信号を送りながら、三日月は敵艦へと距離を詰めるように取舵を切った。

 砲撃を敵駆逐艦の側へと集中させる。

 後方の文月は進路を三日月とややずらしながら、一斉射ではなく砲毎に攻撃を途切れさせないという砲撃で以て、敵重巡を牽制してくれているようだった。

 もっともリ級の方も文月の方へと射撃を集中させず、一部の砲を三日月の砲へと向けてくる。

 文月がリ級への牽制を続け、リ級は三日月の動きを妨害しようとする。

 三日月はニ級と思しき駆逐艦に攻撃を集中させ、敵ニ級は……推測になるが、航空母艦を狙った吹雪たちか大井たち……恐らくは大井たちの艦隊を阻止しようと、砲撃を続行する。

 

 幾度目かの砲撃を行った直後、水柱とは異なる音と共に、ニ級の甲板上に光と炎が生み出された。

 ほぼ同時に、そこから離れた海上、三日月の視界の隅の方に、同じような……だがニ級が発したものより大きな輝きが現れる。

 離れているにも関わらず続いて響いてきた音は、鼓膜だけではなく全身を揺さぶりでもするように激しかった。

 別の場所で大きな爆発が起こり、それによって生み出された光に照らされた……水柱らしきものも複数、三日月は敵艦越しに何とか確認する事ができた。

 

 もっとも、ニ級eliteの炎上が更に激しくなった為に詳しい処は分からない。

 炎上する深海棲艦はそれでも砲撃を続け、その攻撃を何とか阻止すべく、三日月もニ級への攻撃を継続する。

 後の激しい爆発は、ある程度大型の艦の爆発と考えて間違いないだろう。

 味方は大井だとしても軽巡洋艦クラスである以上、敵艦……恐らくはヲ級、或いはリ級クラスの艦の爆発と考えて間違いない筈だ。

 

 一方で……その前の轟音と炎は、味方の誰かが損害を受けて発生したものと推測できた。

 いや、此方も、味方の損害と確定させて間違いないだろう。

 中破か、大破か……敵の攻撃が続けば、更なる損害が齎される事になる。

 焦る気持ちを抑えるようにして、三日月は地道に堅実に、船体と艤装の攻撃を敵駆逐艦へと集中させ続けた。

 損害が蓄積し艦自体が動きの制御が困難になったのか、それとも舵か推進装置にでも損傷を受けたのか……ニ級の動きが不安定なものになり始める。

 敵駆逐艦の甲板上の炎が更に大きく激しくなり、砲撃が途切れ途切れになり始めて……

(「今なら……っ!!」)

 文月にリ級への牽制を任せ、突入しようと決意した時だった。

 激しい雑音混じりで殆んど聞き取れないような声が、無線機から響いてくる。

 戦闘行動を続けながらも、三日月はそちらに意識の一部を向けた。

 

 送信側は戦闘か何かによって大きな損害を受けているのかも知れない。

 一度では伝わらないという事を自覚しているかのように、同様のものを思われる通信が幾度も入ってくる。

「……確認? ええと…… 拡、大……更、なる?」

 繰り返された通信内容を三日月は、聞き取れる範囲で確認し繋ぎ合わせてみた。

 雑音が酷く、全てを分析するのは難しかった。

 だが、半分ほど聞き取れただけで三日月には通信の示す処が理解できた。 

 

 恐らく大井のものと思われる送信主からの通信は、自分達の目的の達成と、可能な限り早期の戦場からの離脱を示唆したものだった。

 

 

 

 

 大井と卯月が敵艦隊の位置を正確に把握したのは、三日月達が戦闘を開始した時の事である。

「……やっぱり、もう……本格的に始まっちゃってるじゃない」

 艤装のみで海上を航行している状態で、大井は呟いた。

 呆れたような、がっかりしたような響きが言葉に籠っている。

「うう……ごめんなさい、ぴょん……」

 しゅんとした態度で後ろに続く卯月が、謝罪の言葉を口にした。

 二人が付近の海域に到着したのは暫く前の事である。

 発見されない事を優先した故に敵艦隊の位置を正確に特定できていなかった為、戦闘が開始された事を確認するのに少々の時間を要したのだ。

 現地点への到着には更に時間を要している。

 

 この戦闘は三日月達が開始したもので、それを確認し動き始めていた吹雪達も、機を見て突入する予定だった。

 大井も卯月も、勿論その事は知らない。

 ただ、第二艦隊の自分たち以外の全員か一部が攻撃を開始したか、接近に敵が気付いたかのどちらかだろう、とは推測していた。

 とはいえ、自分達の動きが味方より遅れた事は間違いない。

 焦るような気持ちが湧き上がるのも当然の事だった。

「……ほら、確りなさいな」

 卯月の姿を見て、大井は続けようとした言葉を呑み込んだ。

 平時であるならば忘れられないくらい言葉攻めしても良いかもしれないが、今はこれから戦いという場面である。

 だから。

 励ますように、急き立て後押しするように。

 速度をやや落として並走するように位置を取り、少女の肩を軽く叩く。

「発見されない事を優先したのも索敵の際に貴女の意見を採用したのも私なんだから、責任は私にあるの! 落ち込むくらいなら『これからの戦いで挽回する!』くらいに、自分を奮い立たせなさいよっ」

 その言葉に我に返ったような顔をして、卯月は背筋を伸ばす。

「うん、分かったぴょん! ……がんばって『大井っちん!』って呼ぶ許可をもらえるような活躍するぴょん!」

 引き締めつつ周囲に響かないようにと心配りした大井の言葉に、卯月も同じように小声で、それでも活きの良さを感じさせる態度で言葉を返した。

 実際のところ波と戦闘や機関の音等で彼女達の言葉が遠くまで届く可能性は極めて低いのだが、その辺りは気持ちの問題である。 

 

「……その呼び方は、ちょっと……って言うか、立ち直るの早いわね?」

「え?」

「……もしかして、ウソ泣きとかだったのかしら?」

「そ、そんな事ないぴょん!」

 じいっと目を合わせるように顔を近付けた大井に向かって、卯月は懸命に首を振った。

 全速力という訳では無いが、艤装の機関出力をそれなりに上げての航行中の行為である。

 器用なものだと少し感心したものの、そこから会話が逸れる可能性が高いので口にはしない。。

「……まあ、今はそういう事にしておこうかしら」

 取りあえずという態度で口にすると、大井はその話を切り上げた。

 軽口を叩く時間が全くないという訳では無いが、急いだ方が良いのは間違いない。

 萎れたようになっていた卯月も、少なくとも表向きは元気を取り戻したように見える以上、直ぐに動くべきだろう。

 

「それじゃ、船体展開するわよ? 私が先頭の単縦陣ね」

「はい、はいはい! 突入時の先頭は、うーちゃんの方が良いと思うぴょん!」

 大井の言葉に即座に挙手した卯月が、断言した。

「……貴女、ね……」

「大井っちんも、そうした方が……」

「私まだその呼び方、許可した覚えないんだけど……」

「大井さんも、そうした方が良いと思ってるはずだぴょん!」

 活発かつ無邪気に真っすぐな言い方ではあるものの、卯月の言葉には如何しようもない程に現実的な判断が組み込まれていた。

 無論大井も卯月の挙げた作戦を、全く考えなかったという訳では無い。

 言葉をやや詰まらせはしたものの、吹雪達と逸れて以降……幾度か考えはした方針だった。

 

 窮地にあって突然妙案がひらめく等という事を、大井は信じない。

 もしかしたら世の中にはそういった事があるのかも知れないが、少なくとも自分自身にはそういった瞬間は訪れないであろうという事を、彼女自身は確信していた。

 だからこそ、任務があり目的があるとなれば……計算し、推測し、想定し、作戦を練るのである。

 そもそも魚雷というものは勘で当てられるものでは無い。

 少なくとも大井にとってはそういう物だった。

 艦艇よりは高速とは言っても、魚雷の速度というものは砲弾や銃弾とは比べ物にならない。

 航空機の投下する爆弾にしてもそうだ。

 射撃に比べれば初速は遅いにしても、投下された後に回避するというのは難しい。

 それらと比べれば航空魚雷というのは随分と似ているのかも知れないが、結局のところあれは投下する距離、つまりは発射する距離が違う。

 空を飛ぶ攻撃機のように目標へ距離を詰め魚雷を発射する事など、どれだけ速度があり小回りが利くとしても、艦艇には絶対に不可能だった。

 それでも、威力の方は折り紙付きである。

 命中させさえすれば並の艦艇であれば一発で撃沈し、装甲の厚い大型艦であろうと無傷では済まない攻撃力を持つ。

 数発も命中させれば、戦艦であろうと大きな損害を与える事が可能な兵器だ。

 それを主力として装備していたのが、重雷装巡洋艦である自分や北上なのである。

 

 かつての自分達は、その力を奮う機会は……全く、無かった。

 実戦はおろか訓練でさえ……それらを発射した記憶は無いのである。

 もしかしたら幾度か行っている可能性が無いとは言えないが……少なくとも自分が覚えている記憶の中には、無いのだ。

 だからこそ……なのである。

 今こそ、今度こそ、なのだ。

 必ず役立ててみせる。

 重雷装巡洋艦の真価を、発揮してみせる。

 そう思えばこそ、努力を惜しまず、扱い方について資料を繰り返して読み込み、頭を悩ませ熟考し、研鑽を重ねてきたのだ。

 

 破壊力は大きくとも速度は遅いその武器を命中させる為には、如何すれば良いのか?

 戦闘に関しての大井の思考は多くが其処から始まり、全てが其処に帰結していた。

 敵の位置と自分の位置を確認し、敵の動きと自分の動きを確認し、魚雷の速度と発射可能な数と方角を確認し、敵の進路を推測し、計算する。

 敵の未来位置を予測し、魚雷が到達する時間を計算する。

 勿論、それら全てを行ったとしても命中は絶対ではない。

 推測や予測に頼る部分は決して少なくはないし、仮にそれら全てを当て嵌められたとしても、僅かな時で一部や多くが変化してしまう事も少なくないのだ。

 何よりその方程式は、まだ完成してはいないのである。

 計算し切れない部分は結局のところ、仮定や推定で埋めるという曖昧なものでしかないのである。

 もっとも、曖昧で想定しか出来ない部分が多いからこそ、それらを作戦を考える際などにも活用できるのだとも言える。

 

 

 そうやって考え抜いた作戦や方針であっても、いかにも思い付きで口にしたかのように装ったりする自分がいる。

 何故だろうかと時に考えたりはするものの、大井はそれらについて深くは考えなかった。

 自分の中に何か、隠したいと思うものが存在しているからなのだろう。

 そんな風に思いはするものの、それが何なのかと考えてみても、見当がつかない。

 もっとも、別に突き止めよういう気持ちも然程は起こらなかった。

 全く起こらないという訳ではないが、強くはならないのだ。

 だから心の片隅に、放り出すようにして、そのまま置きっぱなしにしているのである。

 別段、気に病むような事ではない。。

 ふと思い出して考え込んだりする事もあるが、気になり過ぎて困るような事もないのだ。

 暇な時などに考えてみたりするだけである。

 今も不意に思い出したというだけだ。

「……ぴょん? ……大井……さん?」

「ええ、分かってるわよ」

 呼びかけられた事で、大井は自分が迷っていたのだと自覚した。

「……私、そんなに考え込んでたかしら?」

「え? よよよっ、や、一分も考えてないけど、迷ってるみたいで珍し~な~って? 」

「……私って、そんなに迷いが無い性格に見えるのかしら?」

「うんっ、いつも即断即決! 悩み無しって感じぴょん!」

「……ほほぅ~あら~そうなんだ~?」

「ちょ、ちょちょちょっ!?」

 足を止め……自身の頬に当てていた手を伸ばし、同じように足を止めた卯月の両頬を押さえ……優しく引っ張りながら、大井は笑顔で首を傾げた。

「今は無理だけど泊地に戻ったら、ちょっとお話ししましょうか? 卯月、さん?」

「ご、ごこごごごご、ごめんなさいぴょん!!」

 涙目で震える卯月の頬をムニムニしながらも、大井は顔に出さないようにして先程の考えを纏めようとした。

 

 2隻しかいない隊で作戦となれば、動きは2つしかない。

 どちらが先頭になるかというだけだ。

 特殊な戦闘や戦闘外の任務となれば別だが、別行動せず2隻で戦闘となれば基本は単縦陣というのが少なくとも艦娘達にとっての基本的な陣形である。

 もっとも、選択肢が2つしかないからこそ考えるべき事が多く選択が難しくなるというのも事実である。

 単純である事と簡単である事は同じではないからだ。

 

 卯月を先頭とした場合、単純に最も分かり易いメリットは大井の安全性と言えた。

 大井の被弾する可能性が、彼女自身が先頭となった場合と比べて大幅に減少するのだ。

 全く狙われない等という事もあり得ないが、基本的には敵の攻撃は先頭の艦に集中する事になる。

 つまりは攻撃力を損なう事なく敵艦隊へと接近して攻撃を行える可能性が高くなるのだ。

 

 デメリットの方は当然というべきか、先頭である卯月の危険が高まる事である。

 囮や牽制として一定の距離を取って撃ち合うのではなく、文字通り必殺の間合いまで踏み込むのだ。

 それは、相手にとっても必殺の距離まで接近するという事でもある。

 敵……目標である空母の護衛がいないという状況はありえないだろう。

 第一艦隊が奮闘し大きな損害を受けていたとしても、恐らくは1隻以上の護衛が残っている筈だ。

 逆に目標である敵空母の撃沈や無力化に成功していた場合、目標の達成を示唆する通信が傍受される可能性など無視して送られてきている筈である。

 そうでない以上、自分達は戦わなければならない。

 そして夜戦においてそれは、敵を確認できる距離……敵からも確認される距離、互いにとっての必殺の間合いまで接近する、という事だ。

 

 卯月の場合、敵が駆逐艦のみであるならば同程度の距離まで、もし敵が巡洋艦クラスであった場合……敵の必殺の距離まで接近し、更に一歩を踏み出す事になるのである。

 その間、恐らく先頭の艦に敵の砲火は集中する。

 舵を切りつつであっても距離が詰まれば、被弾は恐らく避けられない。

 最短距離を選んで直進するとなれば、被害は更に大きくなる可能性がある。

 ほぼ確実に攻撃能力を喪失する事になるだろう。

 高い確率で大破、或いはそれ以上の、轟沈レベルの損傷を受ける可能性も十分にあるのだ。

 

 目標に此方より大型の護衛艦艇が付いており、此方の動きを妨害する為に攻撃してくるとなれば、損害を軽減する事は困難にならざるを得ない。

 既に戦闘が発生している以上、敵戦力の殆どは其方に意識を向けているだろうが、此方に戦力が全く割かれない、等という事は有り得ない。

 近距離まで踏み込めば、寧ろ主力を此方に向けて突入を妨害してくる事だろう。

 今回の先頭の問題というのは、言ってしまえばその損害を誰が受け持つかという事に尽きるのだ。

 

 

 つまりは先頭が大井となった場合、単純にメリットとデメリットが逆転するという事になる。

 大井自身の被弾する確率が上がり、後続となる卯月の被弾する確率は大きく低下する。

 大井の損害が一定以上となり誘爆を阻止する為に魚雷を投棄しなければならなくなってしまえば、重雷装巡洋艦としての攻撃力を全く活かせない可能性が出てくる反面、卯月は雷撃力、夜戦攻撃能力を十分に維持した状態で目標に接近できる可能性が高くなる。

 

 大井としては自分自身が先頭であった方が良いと考えた理由の一つとして、自分ならば大きな損害を受けず一定以上の戦闘能力を維持した状態で敵へと接近できる可能性が高くなると自負するが故だった。

 自分自身十分な修練を積み重ねているのもあるし、軽巡洋艦を母体とした重雷装巡洋艦は重巡や戦艦と比べれば耐久力や装甲で劣るにしても、駆逐艦と比べるのであれば高い耐久力を有している。

 船体が大きくなる分だけ小回りや回避能力ではやや劣る形となるが、攻撃を完全に回避するというのならば兎角として直撃を避け損害を軽減していくという動き方であるならば、大きな問題にはならないと言えるだけの結果も出していると自分としては思っている。

 

 中破程度の損傷で済むならば、攻撃力は損なわれるものの接近しての砲雷撃は可能だ。

 そうなれば、自分と卯月の2隻が戦闘可能な状態で目標に接近できるのである。

 

 攻撃力の高い艦が1隻より、攻撃力が落ちてはいても2隻が戦闘可能という状態の方が様々な状況に対処できる。

 大井としてはそう考えるのである。

 加えて今後を考えると、駆逐艦であろうとも犠牲を増やしそうな作戦は採用すべきではないという想いもある。

 練度の高い艦ならば尚の事だ。

 冗談めかした態度が目に付く卯月ではあるが、そう見えはしてもいざ実戦となれば十分な実力を発揮する駆逐艦なのである。

 

 

 もっとも、そんな風に色々と理由を挙げはしたものの、一番の理由は多分……自分が気に入らないから、という事だろう。

 先頭の艦を犠牲にするような戦い方で、いざという時に自分が心置きなく全力を尽くせるか? という事だ。

 たぶん、自分には出来ない。

 冷静な判断の結果だったとしても、自分では危険な任を押し付けたと感じてしまう事だろう。

 何だかんだと理由を付けようとしても、結局は気にしてしまう。

 自分だったら、もっと上手くできた。損害を軽く出来たとか考えてしまう。

 それが嫌なのだ。

 

 その辺りが、自分は旗艦に向いていないという理由の一つでもあるのだろう。

 そんな風に冷静に考える自分もいるが、いざその立場になり状況になれば、自分以外には冷静になれそうもない。

 結局自分は感情重視の性格という事なのだろう。

 ならば自分で自分が納得できる選択肢を選ぶのが一番だ。

 そう結論を出し、意見具申を却下しようとしたところで。

 

 

「うーちゃんを、なめないで欲しいぴょん!」

 卯月がそう言って、真正面から大井を見上げた。

 ちょっと考え事に集中していたせいか、彼女の頬を摘まんでいた両手は卯月自身の手で解かれたらしい。

「ちゃんと先頭を務めながら、敵の旗艦まで近付いてみせるぴょんっ!!」

 解放された事でキチンと呂律の回る言葉遣いで、でも相変わらずぴょんとかは付けながら卯月が熱弁を揮(ふる)う。

 

「やる気があるのは買うけれど、本当にできるのかしら? 沈められたら駄目、大きな損傷を負っても失敗なのよ?」

「やり遂げてみせまっす! 信じて欲しいぴょんっ!!」

「またそうやって、実績も無いのに……」

 そう言いつつも、断言する卯月に正面から見据えられて、大井の心は揺らいだ。

 こういうのが嫌なのだ。

 だから駆逐艦は苦手なのである。

 

 

 

 口先だけではない。

 結果が出ていなかったとしても、それだけなのだ。

 これまでの任務を参考に測るとするならば、実力という点で考察するのであれば。

 目の前の少女は、駆逐艦卯月は。

 それだけの力を有しているのだ。

 

 結論を出した気持ちが揺らぐ。

 だが、迷っている時間など無いのだ。

 大井はそう自分言い聞かせた。

 迷ったのであれば、託すべきだ。

 託さなければ、成否に関わらず自分は後悔する事だろう。

 では、託せば?

 後悔しない……とは思えなかった。

 成功すれば後悔しないだろうが、失敗すれば……多分、後悔するだろう。

 それでも、どちらか一つしか選べないのであれば、後者を選ぶべきなのだ。

 条件反射のような速度で、そう結論を出す。

 

 

「先頭の役割が何なのか? 分かっていってるのよね?」

「もちろんだぴょん!」

「じゃあ、言ってみなさい」

 即答にそう返すと、卯月の顔にハッキリと動揺が浮かんだ。

「え……あ、ええと……」

「分かってないじゃない」

「ち、違うぴょん!? 上手く……そう、上手く言葉にできないだけぴょん!」

「じゃあ、一~二分待ってあげるから言いなさい」

「う~っ~ せっ、殺生な~」

「突っ込んで弾避けになる……なんて認識なら、絶対に許さないわ」

「大丈夫ですっ、ず~っと先頭で、港まで戻ってこその先頭だって思ってまっす!」

「……遠足か何かと混ざってるんじゃないかって、気がするけど……まあ、その認識なら一応合格って事にしておいてあげるわ」

 

 何か気が抜けたような息を零しはしたものの、大井は卯月の言葉を聞いて頷いて見せた。

 先頭で何をするかという事について一切触れてないが、その辺りについての心配は実はしていない。

 一見だけでは何も分かっていなさそうに見えて、彼女も歴戦の駆逐艦である。

「今の言葉に、嘘偽りは無いわよね?」

「約束するぴょん!」

「それじゃ、先頭を卯月に任せます。念の為に聞いておくけど、目指す場所は分かってるかしら?」

「戦ってるのは護衛っぽいから、それを見て守られてる空母の位置を、ちゃ~んと探せって事?」

 まったく、よく解っている……と、大井は何故か呆れそうになった。

「それで良いわ。それじゃ、急ぎなさいよ? もう戦いは始まってるんだから」

「了解、ぴょんっ!!」

 敬礼に素早く答礼を返す。

 大井が手を下げるのと殆んど同時くらいの勢いで、卯月も礼を解いて軽快に身を翻した。

 艤装姿のまま数十秒ほど進んだと思った瞬間、駆逐艦の船体が展開され機関音を響かせ始める。

 直後、大井も船体を展開した。

 

 

 卯月と比べれば全長は大凡(おおよそ)50mほど長く、重量(排水量)に至っては4倍以上という彼女の船体、砲ではなく魚雷を主力武装として搭載した重雷装巡洋艦が姿を現す。

 片舷5基20門、両舷合わせて10基40門の61cm魚雷こそが、重雷装巡洋艦へと改造された大井の搭載する、最大の武器なのだ。

 その分、火力の方は通常の軽巡洋艦と比べれば劣る形となっている。

 基本武装として14㎝単装砲が備え付けられてはいるものの、駆逐艦ならば兎角として重巡洋艦や航空母艦を攻撃するには心許ないと言わざるを得ない。

 だからこそ、魚雷を必中させられる距離まで接近する事が最も重要なのである。

 卯月の船体に続くようにして、大井は船体を加速させた。

 全速力を出しても、ぶつかるような危険はない。

 船体の展開は素早かったが、卯月と大井の距離は船体を展開した時点である程度の余裕があるくらいに離れていた。

 

 その辺りの事も、考えてなさそうに見えて……卯月は確り考えているのである。

 少なくとも大井からすると、そう見えるのだ。

 いや、大井の場合は自分と卯月の船体の全長を考えたりするが……卯月の場合は、考えていないのかも知れない。

 大井の場合、自分の船体が全長約150m程度で、卯月の方は100m前後で……等と計算してから目測で互いの距離を確認するという形だが、卯月の場合そういった計算をしているようには全く見えないのだ。

 彼女の場合、自身の身長や四肢の長さを感覚で解っているというのと同じような感じで、船体の全長も解っている……というか、何となく解るのだろう。

 卯月自身が言葉にして説明するのを苦手にしている……というか、彼女の説明は感覚的な表現や擬音とかが多くて理解が難しいので、表情や身振り等も含めて推測する……という感じで、大井は卯月の思考や言動を分析していた。

 そういった部分に関しての感覚的な理解というのが、大井は苦手である。

 もっとも、解らないという形で認識する事は一応できている。

 一度拘ってしまうと意外と気にしてしまう性格なので、どうでも良いとまでは割り切れないが……突き詰めようとしてしまう程には……思い詰めずには済んでいる、という処だろうか?

 

 

 そんな事を考えてはいても、自身の思考と船体の感覚を切り離すようにして、大井は周囲への警戒は怠らなかった。

 離れた場所で起こっている戦闘の方にも意識は向けているが、自分達の近くに敵がいる可能性も無いとは言い切れない。

 砲撃の応酬を見る限り砲撃を行っている味方と敵は、どちらも2~3隻程度だと推測された。

 だとするならば、敵も味方も全戦力という訳では無い。

 味方の一部が牽制や誘引を目的として攻撃を開始し、それに敵の一部が応戦しているという推測で間違いはないだろう。

 だとするならば尚の事、砲撃を行わずに周囲を警戒している敵がいる筈である。

 味方の残りも、目標である敵空母に近付こうと動いている筈だ。

 

 そこに自分達2隻が更に加わる、という形になる。

 

 現在戦っている敵味方は2隻ずつ……といった処だろうか?

 暫しの間、砲音を聞き続けた大井はそう判断を下した。

 だとするならば、味方は2隻と3隻、恐らくは睦月型と吹雪型で分かれ、一方が囮となって敵の一部を誘引し、もう一方が機を見て突入し敵空母を狙うという作戦なのだろう。

 自分がいない分をそうやって補う形にしたのは、単純ではあるが堅実な修正の仕方だと大井は作戦について評価した。

 実際には違う可能性というのも絶対に無いとは言い切れないが、旗艦が吹雪で艦隊の構成員も思い浮かべると、奇抜な作戦や突拍子もない変更というのは行わなそうなので、そうだと完全に設定して思考を進める。

 こんなものはもう決めるしかないのだ。

 外れたら……博打に負けた、そう思い定めるだけである。

 そう定めて思考を継続する。

 砲撃戦を繰り広げている味方が囮なら、突入部隊は恐らくその反対側から突入しようとする筈だ。

 とすると自分達は、そこからある程度離れた方角から突入した方が良い。

 その方が攻撃を行う際、味方が邪魔になり難い。

 

 卯月の進路の取り方は、その辺りも加味しているのではと思えるくらいに上手かった。

 砲火を交えている敵味方を尻目にという感じで、2隻は目標である敵空母を求めて速度を落とさぬまま、寧ろ加速する勢いで夜の海を駆けてゆく。

 暫し進む間に大井は、自分の確認している砲撃音の中に幾つか新しいものが加わった事に気が付いた。

 恐らくは残りの味方と敵空母の護衛の間でも砲雷撃戦が開始されたのだろう。

 卯月の取った進路は間違ってはいなかったという事だ。

 その辺りは流石、と言った処だろう。

 褒めると調子に乗るだろうから、絶対に褒めるつもりはないが。

 

 時間にすると数分と過ぎず、距離とするならば数百mも進まぬうちに次の変化が生じた。

 2隻の進路の先の方に、光が生まれたのである。

 爆発と炎に何かが、自分達の船体よりも大きな金属の塊が、生み出された光に照らされ、露わになる。

 薄ぼんやりとした……橙色の光に包まれた艦の姿が遠目に確認できた。

 目標である敵の航空母艦、ヲ級と見て間違いないだろう。

 表情には出さないようにしたものの、大井は内心で安堵した。

 推測し、ほぼ間違いないだろうと考えてはいても……やはり、正しかったと確信できるというのは嬉しいものなのだ。

 もしかしたら卯月は、もっと早くにその姿を確認していたのかも知れない。

 もっとも、それらは今は如何でも良い事だった。

 大事なのは推測が事実であろうと確認できたことである。

 

 味方が隊を分け一方が囮として敵の一部を誘引し、もう一方が機を見て攻撃を開始した。

 

 視線の先の光景は、それが事実であったという事を証明しているのである。

 そう思いはしたものの、続くように響いてきた銃声や砲声、轟音を確認し続けていた大井は……少しずつ顔を顰め、やがて口の端を歪ませた。

 如何考えても、多すぎるのだ。

 敵艦隊が6隻だったとして、2隻が誘き出されたのであれば残りは4隻である。

 その内の2隻が空母の筈なのだ。

 対空火器として機銃や高角砲等を積んでいると考えるのであれば機銃音らしきものは理解できるにしても、明らかに砲声、しかも中口径以上と思われる砲の発射音らしきものが度々聞こえてくるというのは理解できない。

 

「……増援が合流した、とかじゃないでしょうね……」

 それだけは無しにして欲しいという想いで言いはしたものの、一番可能性が高いのが……残念ながらそれだった。

 そして、もしそうだとするのであれば……味方は相当に苦戦している筈だ。

 ならば、せめて牽制でも射撃を行うべきか?

 

 可能な限り敵から攻撃を受けずに接近したいのは事実だが、攻撃を行う際の有利さというか攻撃のし易さを考えるのであれば……多くの場合は挟撃のような形であった方が良い筈だ。

 どんな状態でも絶対とまでは言い切れないが、少なくとも今はそのように思える。

 攻撃がし易いというよりは、相手がこちらに対処し難いと言った方が表現的に適切かも知れない。

 例え間近まで知られずに接近できたとしても、もう一方の味方が撃破されたり耐え切れずに一旦引いたりしていれば、有利は初撃のみである。

 勿論、その初撃で目的を果たせれば良いのだが、目標が2隻以上となると敵に対処される可能性は高くなる。

 

 もっとも、その辺りは先頭を駆ける卯月任せとも言えた。

 卯月が最短で距離を詰めようとしている以上、大井が砲撃する場合、先頭の卯月の上を越えていく形になるのだ。

 無線は危険過ぎるし、信号の方も卯月が後方に居るというなら兎角、此方から前を進む卯月にというのは発見される可能性が高くなる。

 それでも、不安ならば何らかの形で指示を送るべきだったが、大井としてはそこまでの必要性を感じなかった。

 判断を任せて問題ない。

 そう思えたのだ。

 卯月が攻撃を行うなら、舵を小さく切りつつ自分も砲撃する形が良いかも知れないが……

 そんな事を考えていた時、卯月の近くに水柱らしきものが上がった。

 

 

 目指す敵空母やその護衛ではない。

 とするならば、囮役に引き付けられていた他の敵艦が此方に気付いたという事だろう。

 幸いと言うべきか卯月は被弾する事なく、小まめに舵を切りはしても目標への大まかな進路を変える事も無く、航行を続けていた。

 加速に関しては調整するという動きで目標へと距離を詰めてゆく。

 減速はしないが機関を全力で稼働させ続け速度を上げるのではなく、加速の仕方を変化させている形だ。

 一定の速度で加速していくのと比べると機関に掛ける負担は当然大きくなるが、未来位置を微妙に推測し辛くなる。

 つまりは被弾され難いように手は打ちつつ、目標への接近を優先し減速は行わない、という事だ。

 大井の場合はそんな風に考えるが、卯月の場合はそういった事を複雑には考えずに感覚で行っているのだろう。

 速度は落とせないけど動きを読まれ辛くするには如何したら良いかと考えて、多分そこからは経験を利用しての感覚なのだ。

 

 目標を見失わないように注意しつつ周囲に警戒しながら進んでいる最中……不意に、視界の隅に光が生まれた。

 恐らく卯月を狙っていた敵艦だ。

 他の味方から狙われ直撃弾を受けたのだろう。

 

 殆んど同時に、爆発音と共に卯月の甲板上で光が生まれ……火の手、が上がった。

 火の手が上がった個所から推測すると、正面からではなく側面からの攻撃による被弾である。

 加速の調整だけでは敵の砲撃を散らせなかったという事なのか。

 勿論、偶然、運悪くという事もある。

 様々な偶然が重なった結果、というのは往々にして存在するのだ。

 或いは加速の調整も然程大きなものでは無く、目標への接近が優先され過ぎてしまった……という事なのか。

 いつも通りのように見えて、内心は焦っていたのかも知れない?

 そんな考えが、ふと浮かんだ。

 自分のミスで味方と逸れ、その上で戦闘に気付いての到着まで遅れてしまった……そんな風に考えていたのかも知れない。

 それを態度には出していなかった、いや……わざとらしくする事で逆に本音を隠そうとしていた、という事だろうか?

「……そんなの……」

 考え込んでしまいそうな自分の思考を、中断させる為に。

 気持ちを切り替える為に。

「……分かる訳、ないじゃない」

 吐き捨てるように、呟く。

 今、此処で後悔する事に、意味は無いのだ。

 自分の失敗を此処で悩んで、それが何になるのか?

 何の役に立つのか?

 

 前方で更に爆発が起こった。

 卯月の船体の甲板上、艦橋周辺を包む炎が更に激しくなったように見える。

 とはいえ、更に被弾した、直撃を受けた……という様子では無かった。

 恐らくは至近弾程度だろう。

 とはいえそれでも……彼女の船体に損傷を与えるには十分だった、という事だ。

 そういった一撃が致命傷になる可能性も、当然存在する。

 万全の状態であるならば兎角、既に損傷を受けている状態であれば、僅かな損傷が事態を大きく変化させるのだ。

 中破が大破となり、大破が更に重い損傷に……結果に繋がる。

 

 卯月の船体の速度が……低下してゆく。

 卯月への攻撃を続けている敵艦も攻撃を受けているらしく、遠目に確認できるほどの炎が上がり、それが更に大きくなっていた。

 何かが爆ぜるような音も、様々な雑音に混ざるようにして聞こえてくる。

 それでも敵の(駆逐艦と思しき)小型艦は、卯月に向けて砲撃を続けているようだった。

 卯月の方も相変わらず、それを意に介さぬという様子で前進している。

 速力が落ちてはいるものの目標への距離は確実に詰まっていく。

 

 力を使って艦橋の上へと転移した大井は、そこから自分達の進路を確認した。

 空母ヲ級と護衛らしき巡洋艦の姿は確認できたが、それに攻撃を行っているであろう味方の姿は視認できない。

 それでも、戦闘が行われているのは間違いなさそうだから、恐らくは敵を挟んで反対側に位置しているのだろう。

 とはいえその方が誤射の心配も無くて良い。

 大井はそう考える事にした。

 実際のところ大雑把ではあるが妖精達に調整してもらっているので、大型艦……空母や戦艦クラスでない限り、最低でも重巡クラスでもない限り船底の更に下を潜り抜けてしまう深度に魚雷は調整されている……筈ではあるのだが、気持ち的な不安というものが、やはりある。

 そういう意味では寧ろ現状は願ったり叶ったりとでも表現すべきものなのかもしれない。

 念の為にと両舷側も確認した後、再び転移で大井は前甲板へと移動した。

 

 周囲の状況を確認する事を考えれば高所の方が都合が良いが、戦闘となるとこちらの方が自分としては、しっくり来るのだ。

 十分に距離を詰められたという事なのか、卯月が砲撃を開始する。

 その後……数分と置かず、卯月の甲板上で再び爆発が起こった。

 今回の原因は、正面の敵、空母ヲ級を護衛する敵艦からの砲撃と見て間違いない。

 直撃したのかは見えなかったが、少なくとも至近弾以上である事は間違いなさそうである。

 甲板上、艦橋付近で起こっていた火災の勢いが激しくなり、船体そのものも大井の位置から見ても歪みが分かるほどに変形し、爆発が起こった。

 

 卯月の進行方向が、大きく右にずれる。

 損傷によって進路が大きく外れた……様に、大井は僅かな間だけ考えた。

 それから心の内で、ほんの一瞬だけ謝罪した。

 そんな風に見えるようにしたのか、偶然なのかは分からない。

 兎角、実際は……卯月が大きく、面舵を切ったのだ。

 大井の射線を、雷撃を行う為の空間を、視界を確保する為に。

 

 少しばかり距離はあるかも知れない。

 それでも……

(「……十分よ」)

 卯月が大きく進路を逸れてくれた事で、目標は確りと確認できた。

 

「さあ、いっくわよー!」

 大井は右舷を敵の、目標であるヲ級の側に向けるように、大きく舵を切った。

 片舷20門の魚雷発射管が稼働し、次々と放たれた魚雷が海中へと放り込まれて往く。

 放たれた側が軽くなった影響で傾き始めた船体を無理矢理抑え込むようにして、今度は逆に、左舷を敵の側に向けるように、大井は更に大きく、強く、面舵を切った。

「海の藻屑となりなさいなっ!!」

 同じように20門の魚雷を海へと放ちながら、船体と至近周辺への移動能力を使って瞬間海面へと移動し、艤装の魚雷40門も全て、敵艦に向けて発射する。

 

 

 素早く甲板上に戻った時、だった。

 着弾と思(おぼ)しき衝撃に船体が激しく揺れ、彼女は吹き飛ばされるようにして甲板の上を転がった。

 駆逐艦クラスの砲撃ではない。

 巡洋艦クラス、恐らくは重巡の砲撃だ。

 咄嗟であってもそう判断できるだけの威力を持った攻撃だった。

 それはつまり、直撃とはいえ一発か二発で、大井の船体が大破相当の損害を受けたという事でもある。

 付近に幾つもの水柱が昇った以上、流れ弾が運悪く命中したという訳では無いだろう。

「……ったく、もうっ! ボロボロじゃないっ……」

 鋼板に身を打ち付け咳き込んだ大井は、悪態をつきながら身を起こした。

 背に痛みが走り、制服に海水とは違う何かが染み込んでくる。

 肌着ごと破れ露わになった肩口を伝う生温かいものから、嫌になるくらい強い鉄の香りが漂ってきた。

 もっとも、それを気にしている暇は無い。

 このままの状態を続ければ、続く砲撃で自分の船体は沈められる事だろう。

 その推測に想像力などと言うものが欠片も必要ないくらい、先程の攻撃は強烈なものだった。

 

 状況を確認するのが難しくなるが、他の手段は思い付かない。

 立ち上がりながら態勢を立て直すと、大井は船体を収納しながら、そのまま海面へと移動した。

 着水の衝撃だけで痛みが走り、足元がふらつく。

 身体の方も中破か大破相当に傷付いたのかも知れない。

 それでも、攻撃の後だったのは幸いと考えるべきなのか?

 何とかバランスを取り態勢を整え、艤装の機関の出力を上げる。

 此方の損傷も大きかったらしく、出力は上がらなかったが航行は充分に可能だった。

 続く砲撃を警戒して移動しながら、大井は魚雷を放った海面の先へと顔を向けた。

 雷跡は勿論海面ですら殆んど見えないが、訓練で幾度も繰り返してきた事である。

 如何なっているかの想像は出来る。

 

 時間としては、恐らく十秒と掛からなかった。

 闇夜を照らすように、爆発が起こる。

 もっともそれは、大井の予想していたものとは違っていた。

 方角がずれているし、時間の方も少しばかり早い。

 何より炎を上げたのが、目標であるflagshipでは無かったのだ。

 爆発が起こったのは大井の側から見ると、敵旗艦と思われるヲ級flagshipより更に後方にいた敵艦だった。

 その爆発によって大井は初めて、ヲ級flagshipの周囲の敵艦の状況を確認できたのである。

 確認できていなかったもう1隻の目標をハッキリと視認できたのが、敵艦が轟沈する直前だったというのは……ある意味、幸運と呼べるのかも知れない。

 とはいえそんな事を考えたのは、当然帰投後の事である。

 この瞬間の大井は……自分の推測から離れた現状を何とか受け入れようとしながら、顔を歪ませていただけだった。

「……おかしくない?」

 如何考えても、あんな風に敵に……

 違和感を抑え攻撃時の状況を再確認しようとしていた時、彼女の計算の正しさを証明するように、再度の爆発が起こった。

 ヲ級flagshipを揺さぶるように水柱が上がり、続いて起こった爆発と炎を視線から遮るようにして、二度、水柱が上がる。

 それと比べると小さな水柱も、敵艦を揺さぶるように幾つも上がった。

 闇の中でも、敵艦の形が折れるように歪んだのが容易に視認できた程である。

 

 そして、それを見て……大井は先程のヲ級の爆発の原因を理解した。

 先の爆発は、砲撃によるものだ。

 恐らく反対側から攻撃している味方の駆逐艦達の砲撃によって、もう1隻、通常のヲ級が損傷を受けたのだ。

 しかもその損傷は、撃沈するであろうと推測される程度の大きなものだった。

 恐らく今までの攻撃で既に相当の損傷を負っていたのだろう。

 

 2隻とも、これ以上の攻撃の必要は無いだろう。

 それでも念の為、暫し確認する必要があるかも知れない。

 そう判断した後、大井は即座に動いた。

 絶えず状況を観察し続ける必要は無い。

 そうであるならば、短時間目を離しても問題は無い。

 そう結論を出し、大井は卯月の船体へと向けて舵を切った。

 駆逐艦の船体は既に推力を失い、惰性だけで海上を進んでいるように見える。

 大きく傾いた艦の甲板上は炎によって明るく照らされていた。

 その灯を頼りに、大井は反動を付けるように身を屈めてから、跳躍した。

 損傷のせいか身体が重い。

 痛みもあるし、平衡感覚が鈍っているようにも感じられる。

 

 実際甲板上に着艦した際、バランスを崩して彼女は転倒した。

「まったく、もう……」

 甲板は大きく傾いている。

 これが悪いのよと悪態をつきながら、彼女は身を起こして周囲を確認した。

 炎に照らされてはいるものの、そもそも夜である事に加え艦の内側から昇ってくる煙のせいで視界の方は、決して良いとは言えなかった。

 それでも、卯月の姿を発見するのが然程難しくなかったのは、当たりを付けた場所に居たからというだけの事である。

 もっとも、駆逐艦や軽巡洋艦の艦娘が砲雷撃戦を行うとなれば、戦闘時に位置する場所は限られるというのが大井の考え方で、多くの艦娘達が認めるところでもあるのだが。

 

 ともあれ、当たりを付けて卯月を探し、前甲板の方にそれらしい姿を見つけた大井は、脚に力を籠めた。

 変形し場所によっては引き裂かれたように穴が開き折れ曲がっている甲板を駆け、一分と掛からず目的地へと到着する。

「ほら、確りなさいな」

 床に広がっている赤いものと、半壊した艤装、全く動く様子の無い姿に最悪の可能性を考えつつ……大井は努めて普通に卯月へと呼びかけた。

 返事は無い。

 それでも、俯せに倒れている少女の身体が微かに震えているのを確認して大井は膝を落とし、衝撃を与えないように、ゆっくりとした動きで、卯月の身体を仰向けに抱き起した。

 弱々しく胸を上下させていた彼女の口が震え、閉じられていた瞼が少しだけ開かれる。

「……あ……お、お……い……っち、ん……」

「その呼び方、許してないって言ったわよね?」

 ああ、何だろう?

 不愉快になっている自分に、大井は首を傾げた。

 今迄……五月蠅い、ウザい、喧しい、ひっぱたきたい、としか感じてこなかった卯月の喋り方が……今は、如何しようもないくらいに懐かしく、感じられてしまう。

 元気というか、それを通り越して、鬱陶しいとしか思えなかった、いっそ物理的に静かにして差し上げようかしらくらいに思った事がある筈の少女の姿が、態度が……何故、こんなにも。

 あんな姿を望んでしまうのか?

 懐かしく感じてしまうのか?

 そんな事を考えてしまう自分が、心底、苛立たしい。

「……まあ、天邪鬼なだけよね?」

 そんな言葉をこっそり呟くと、気持ちは不思議なほど落ち着いた。

 それが自分の全てかは分からないが、少なくとも一部ではあったという事なのだろう。

「……あ、え、と……う、うーちゃ……」

「煩いから、静かにしてなさい」

 喋ろうとする卯月の唇を、ちょんちょんとつついて黙らせ、抱えて立ち上がろうとした時の事だった。

 赤と橙色が混じり合ったような光が、轟音と共に一瞬、周囲を照らす。

 

 

 立ち上がり、そちらに向き直ると……傾き始めながら沈んで逝く、敵旗艦の……ヲ級flagshipの姿が見えた。

 その向こうには、ハッキリとは見えないものの更に激しく傾斜しているもう1隻のヲ級らしき姿も見える。

 あれだけ傾斜しているという事は、それだけ水没している部分も大きい筈だ。

 撃沈と判断して間違いないだろう。

 

 ならば任務は完了した事になる。

「目標の達成を確認」

 艤装の稼働を確認しつつ、大井は味方に向けて通信を入れた。

「更なる戦果拡大を」

 艤装のみである事を考えて、幾度か同じ言葉を繰り返す。

 船体を展開して通信を送れば確実だろうが、現状でそれは危険に思えた。

 目標を撃破したとはいえ、敵の護衛艦は1隻か、それ以上が残っているのだ。

 もう一撃を見舞われれば、自分の船体は確実に限界を迎える事だろう。

 そもそも船体が大破した状態では、無線の性能も低下している可能性がある。

 考えてみれば艤装の方も稼働が心配になるような損傷を受けているのだ。

 とはいえ、いつまでも送信し続ける訳にもいかない。

 

 通じていると信じて何度目かになる送信作業を終了すると、大井は卯月を抱えたまま傾いた甲板の上を船縁まで移動した。

「飛び下りるわよ」

 短くそれだけ言って動こうとした時、通信らしきものが無線から響いてくる。

 もっとも、雑音が酷くて内容は全くといって良いほど分からなかった。

 抑揚等が丁寧な感じなので、恐らくは三日月ではないだろうかと推測してみる。

 直後というか割り込むような感じで、別の通信らしきものが入ってきた。

 此方は更に通信状況が酷くて分からないが、別の隊の側からという事だろう。

 少なくとも二つの班に自分の送った通信は届いたのだ。

 大井はそう判断した。

 内容が完全に伝わったかは分からないが、伝わったと考える事にする。

 伝わってなくても状況を分析して判断してくれるだろう。

 どうであれ此方に余裕は無いのだ。

 

 卯月を抱えたまま海面へと飛び降りる。

 派手な水飛沫が上がり、浮力が不足しかけているのか膝近くまで水に浸かりそうになったものの……何とか態勢を立て直し、大井は再び機関を稼働させた。

 痛みは然程気にならない。

 それよりも卯月の様子を気にしてしまっている自分が苛立たしくて、内心で悪態を吐(つ)いた。

 卯月の船体から離れても、それらが強制的に収納される事は無かった。

 船体は、残っているらしい僅かな惰性と波によって、少しずつ……どこかに流されるように動きながら……ゆっくりと、沈んで逝く。

 

 抱えた卯月の方は言われた通りにしているのか、それとも騒ぐ力も無いのか、ぐったりと俯いたままだった。

 胸元は微かに動いているが、その様子は余りに弱々しい。

「……しっかりなさいよ? 港まで戻ってこそ、なんでしょっ?」

 荒くなってしまいそうな声を自制して、落ち着くように深く呼吸すると、大井は機関の出力を上げた。

 大破して出力の落ちている機関は、それでも力の限り稼働し、生み出されたエネルギーを推進装置へと伝えてゆく。

 

 

 焦らないように、何より敵に発見されないように。

 不意打ちなど受けないように。

 卯月を抱えたまま周囲を警戒しながら、大井は南へと進路を取った。

 

 

 

 

「っ!? ……そ、そんな……」

 自分が見た光景を、白雪は一瞬だけ疑った。

 あり得ない、信じられない……信じたくない光景が、目の前に拡がっていたのである。

 敵旗艦であるヲ級flagshipと同色、橙色に似た色の光に包まれた敵艦載機が、目前まで迫っている。

 互いの距離が数百メートルも離れれば完全に闇の紛れてしまうような状態で、夜という時間帯に、艦載機を用いての攻撃を行えるという事なのか?

 想定外に過ぎる状況に、反応が一瞬遅れてしまう。

 直後、船体が衝撃で激しく揺れた。

 

「……え?」

 気が付けば、敵艦載機の姿は無かった。

 それでも、船体は損傷を受けている以上……先程の敵機の姿は決して幻では無かったという事なのだろう。

「……違う……」

 にも関わらず白雪の口から零れた言葉は、自身の目に移った存在を否定する言葉だった。

 船体は確かに損傷を受けている。

 それは間違いない。

 だが、その受けている損傷は……爆撃や、航空魚雷による雷撃による損傷では無かった。

 艦橋を半壊させ船体の一部を破壊したその攻撃は、間違いなく砲撃によるものである。

 我に返り攻撃を行ったものの、砲弾は敵旗艦の周囲に複数の水柱を上げるだけに留まった。

 至近弾である以上は全く損害を与えなかったという事は無いだろうが、それで敵の艦載機運用能力を奪う事が出来たか、というと……正直、難しいと言わざるを得ない。

 ほぼ同じタイミングで行われた磯波の砲撃は、大破していた僚艦のヲ級を確りと捉えていた。

 与えた損傷そのものは大きくは無かったが、最後の一押しという意味では十分な、堅実な攻撃だったという事だろう。

 既に火災の生じていたヲ級の艦上で新たな爆発が起こり、深海棲艦の速度が傍目から分かるほど急激に減速していく。

 

 

 一方で、自分を狙うflagshipの動きは止まるどころか鈍る気配も無かった。

 轟音や掃射音と共に飛来した砲弾や銃弾の多くは周囲の海面へと着弾し、水飛沫や水柱を生み出すだけに終わったが、幾つかは船体を捉え、砲や銃座を損傷させる。

 砲は対空用の高角砲を此方に向けて使用している様子で、決して大型では無いが、此方の船体に損傷を与えるのに十分な攻撃力を持っていた。

 機銃の方は大型な上に数も多く、此方も唯の牽制には留まらないだけの威力がある。

 強力な対空兵装を今は接近してきた敵艦の迎撃にも利用しているという事だろう。

 先刻のように橙色の光を放つ艦載機のような幻覚も見えたが、意識していれば其方に惑わされるような事は無かった。

 最初から意識できていればという想いは湧くが、後悔したところで意味は無い。

 今はその気持ちを抑え込んで、自分のできる事に力を尽くさねばならないのだ。

 

 敵の攻撃によって火災が発生した為、誘爆を防ぐ為に魚雷は装填されている物を除いて全て投棄する事を決定していた。

 多くの妖精達が、その作業に従事してくれている。

 勿論、機関や主砲、機銃等を動かす妖精たちは本来の役割を果たしてくれていた。

 自分の戦いは、この艦の為に尽くしてくれている妖精たち全員の戦いでもあるのだ。

 損傷によって戦闘能力が大きく低下したのは事実だが、だからといって諦める訳にはいかない。

 とはいえ、只、我武者羅(がむしゃら)に戦う訳にもいかないのだ。

 覚悟があるからといって、無駄死は絶対にさせたくない。

 自己満足と言われればそうなのかも知れないが、それが白雪の偽らざる気持ちだった。

 

 ならば、如何するべきか?

 自分が何とか囮なり弾避けなりになって、磯波に攻撃してもらう……というのが、白雪が咄嗟に考えた作戦だった。

 敵旗艦であるヲ級flagshipの攻撃は現状、白雪のみに向けられている。

 白雪の反撃は直撃こそしていないものの、敵旗艦に脅威を与え攻撃を自身に集中させる事には成功していた。 

 その間も続けられた磯波の攻撃によって、通常のヲ級の艦内で外から確認できるほどの爆発が起こり、衝撃で震えたヲ級の動きが完全に停止する。

 惰性で僅かに進んではいるものの……ヲ級は傾きを更に大きくしていった。

 下になった部分は既に海中へと没し始めているように見える。

 それを確認する前に、更なる爆発が起こった。

 小さな爆発が幾度か繰り返され、最後に大きな、それまでとは比べ物にならない程に大きな爆発が起こる。

 艦の一部を吹き飛ばすような爆発によって、深海棲艦はその身を大きく歪め、半壊させながら……

 

 そこで新たに、激しい爆発が起こった。

 沈み逝くヲ級ではなく、戦闘を継続していたヲ級flagshipの側面、白雪から見て反対側に、轟音と共に複数の水柱が上がる。

 白雪の攻撃の結果ではないし、磯波も通常のヲ級への攻撃に全力を注いでいたようなので……恐らく其方もあり得ない。

 そもそも水柱が上がった面で考えるならば、白雪達の反対側から行われた攻撃という事になる。

 とするならば三日月達か、大井と卯月の攻撃という事だろう。

 三日月達が囮役に徹しているのではと推測すると、恐らくは大井からの雷撃と見て間違いない。

「……何と言うか……流石です」

 目の前の光景に、白雪はそれだけ言うので精一杯だった。

 

 もっともその一言も、敵からの攻撃が止(や)んでいなければ発する余裕はなかった事だろう。

 攻撃を受けた事で敵旗艦は、その動きを停止していた。

 元々航行速度は決して早くは無かったものの、現在は……ほぼ完全に、慣性だけで動いている様に見える。

 砲声や機銃音が響きはしたものの、それらはヲ級flagshipの発したものでは無かった。

 護衛の敵艦が発したものらしく、離れた場所から爆発音らしきものが聞こえてくる。

 敵艦を挟んで反対側で起こったものらしく、白雪の位置からは攻撃を行った艦も攻撃を受け損傷を受けた艦もハッキリとは確認する事が出来なかった。

 爆発らしきものが起こった際、闇の中に何かを一時的に視認できたという程度である。

 それも、視界を遮る深海棲艦ヲ級flagshipの存在で確認らしい確認もできなかった。

 その視界を遮っていたヲ級flagshipの方も、既に傾いて沈み始めている。

 損害が大きいせいか、距離が近い為か……闇の中でも、敵艦の形が折れるように歪んでいるのが容易に視認できた。

 2隻とも轟沈と表現しても問題ほどの損害を受けていると判断して間違いないだろう。

 深海棲艦の様子を確認し、通信をと白雪が考えていた時の事だった。

 激しい雑音と共に、無線から大井のものらしき声が響く。

 とはいえその内容は、ノイズのせいで著しく聞き取り難かった。

 先刻の雷撃を見て通信も大井からのものだろうと推測していなければ、白雪自身、誰からの通信なのか判別できなかったかも知れない。

 

 船体の艦橋部分が大きく損傷した影響かと考えたが、艤装の方の無線も酷いノイズらしきものが混じっている。

 とするならば、送り手の方に問題が発生していると考えるべきだろう。

(「……大井さん、大丈夫でしょうか……?」)

 敵旗艦越しに見えた爆発と爆発音。

 駆逐艦のものだけではない、恐らく重巡クラス、リ級と思われる艦の砲撃音。

 それだけ揃っていれば、どうしても悪い方に推測せざるを得ない。

 旗艦を護衛する敵艦からの反撃を受け、大きな損傷を受けたのでは……と考えれば、酷い雑音の混じった通信にも納得できる。

 勿論、深海棲艦達からの通信妨害という可能性が全く無いとは言い切れないが……そちらの方は、可能性的には有り得ないというレベルで低い。

 艦娘同士の通信は他の装置や技術と違い、これまで妨害されるような事はなかったのだ。

 これからもそうだという保証は無いが、半日ほど前まで水平線の彼方以上に離れていても問題なかったのに、急にこの距離で殆んど聞こえなくなるというのも不自然である。

 

 そんな事を考える間に、再び通信が入った。

 それ以降も二度ほど、恐らく同じと思われる短い通信が繰り返された。

 つまりは送信側も無線が通じ難くなっている事を認識しているのだろう。

 ならば船体に損傷を受けての事と考えて間違いない。

 白雪はそう結論を出した。

 

 通信の内容は、敵主力の撃破に成功したので更なる戦果の拡大に努めるというものである。

 もっとも、その通信の示す意味は言葉通りでは無かった。

 目標の撃破、撃沈を完了したという意味では言葉通りだが、その後に全艦が行うのは速やかなる戦場からの離脱である。

 通信はあくまで撤退の合図なのだ。

 

 わざわざ別の、正反対の言葉を使うのは、傍受された場合の対策だった。

 戦闘で最も被害が大きくなる可能性が高い状況の一つが、撤退の際に追撃してくる敵に攻撃を受けるという状況である。

 それを誤魔化す為の手段の一つとして、撤退とは正反対と感じられる言葉を用いたのだ。

 効果のほどは不明だが、少なくとも手間は掛からない。

 損が無さそうである以上、使える手は出来る限り使っておくべきだった。

 それに、敵が言葉に反応するような動きをすれば……此方の通信を傍受したり、言葉の意味を理解して対応しているという事の確認にもなる。

 とはいえ今の処、深海棲艦たちが通信に反応しているような様子は確認されてはいないが。

 

 

「状況、確認しました」

 繰り返された通信を確認するように口にして、白雪は撤退する為の進路を考えつつ、無線機を操作した。

 雑音等から考えると、他の班まで届いていない可能性もあるかも知れない。

 了解する形で返信を行えば、今の通信が届かなった班にも届くだろう。

 全員に届いているだろうとは思うが、万一という事もある。

 そう考え、返信を行おうとした時だった。

 先刻とは異なり雑音の少ない、聞き取り易い声が無線から響いてくる。

「三日月、了解しました。行動に移ります」

 同じように考えたという事なのだろう。

 念の為にと考えて、白雪もそのまま通信を入れた。

「白雪、内容を確認しました。次の作戦行動に移行します」

 途中で雑音が混じり言葉が聞こえたのは、恐らく三日月が同じ言葉を復唱したのだろう。

 短く言葉を伝え、白雪は送信を終えた。

 改めて作戦の完了を実感すると同時に、大井からの通信を振り返る。

 

 通信にあれだけの障害が発生している以上、恐らく大井の船体は自分の受けた損害より大きな……大破クラスの損傷を受けている可能性が高い。

 なら、少しでも離脱の援護を行うべきだろう。

 

 卯月と共に動いている筈だが、通信が困難であるにも関わらず大井の方が通信を送ってきた事を考えると……卯月も同等以上の損害を受けているか、何らかの理由により一緒に行動してはいない、と考えるべきだった。

 雑音が酷かったとはいえ先程の通信は、ほぼ間違いなく大井からのものである。

 もしかしたら卯月からのものではと考えながら、思い返してみても……其方の可能性は、絶対にと言って良いくらいに有り得ない。

(……二人共、心配ですが……)

 心配と言えば大井の通信に反応しなかった吹雪も心配だが、そちらは現状、如何にもしようがなかった。

 

「……とにかく、出来るだけの事をさせて頂きます」

 沈み逝く敵旗艦越しに砲撃と銃撃を行った後、白雪は大きく舵を切った。

 泊地を目指すなら南に向かいたいが、残った敵艦の位置を考えると、現状としては北側に舵を切るしかない。

 どこかで機を見て転舵をと考えながら、白雪は取りあえず進路を東北東へと取った。

 同じように舵を切った磯波が後に続く。

 ヲ級flagshipが完全に沈没すると理解した為か、護衛だったリ級が砲撃を続行しつつ二人を追うように進路を変更してきた。

 単純に追撃する為の行動なのだろうが、まるで二人の向かおうとする南側を抑えでもするかのような位置取りの仕方である。

 

 そちらとは別の方角から砲撃音らしきものが響いてきた事を考えると……少なくとも2隻ほどの敵艦が自分達を追跡しようとしている、という事だろう。

「敵空母のどちらか一方でも残っていれば、護衛として留まったかも知れませんが……」

 どちらも撃沈は確実という状態であれば、護衛が残る意味も無いという事なのだろう。

 此方への攻撃に、全力を傾けている。

 そんな印象を白雪は受けた。

 危険な状態と言えたが、逆に考えればそれだけ大井や三日月達の離脱が容易になったという事でもある。

 

 もっとも今の白雪には実のところ、味方の心配をするほどの余裕は無かった。

 先ほど受けた船体の損傷で機関の出力が上がらず、速力は本来の最大戦速を大きく下回ってしまっている。

 今のところは距離を詰められてはいないが、追跡してきているリ級が全力で接近しようと試みてきた場合は、如何なるか分からない。

 視認できてはいないが追跡してきているらしい敵艦には、確実に距離を詰められてしまっているだろう。

「このままだと……」

 悪い結末しか予想できない。

 そう考えていた時だった。

 

 

「……意見具申を、させて下さい」

 後方の磯波からの通信だった。

「時間が無いので、短く失礼します。私に足止めさせて下さい」

 謝罪の言葉を述べると、一息という感じで磯波が言い切る。

「白雪さん、肯定して頂けるのでしたら此方に移って詳細を」

 焦ってはいるものの真っすぐで迷いのない言葉に、白雪は自分の内を見透かされたような気持ちになった。

 白雪も作戦として、考えなかった訳では無い。

 この状態から離脱するには、どちらかが足止めするか、二手に分かれて其々が離脱するかの二つしかない。

 それが、白雪が咄嗟に考えた作戦だった。

 もしかしたら他にも何らかの手段があるのかも知れないが、少なくとも白雪には思い付かなかったのである。

 その二つの内で成功する可能性が高いのが、一方が足止めしての離脱という作戦だった。

 高いと言うよりは他の作戦は考えつきはしたものの、成功は覚束ないと言った方が正しいかも知れない。

 足止めを担当するのは当然と言うべきか損害の少ない方、つまりは現状だと磯波という事になる。

 白雪が足止めを行えば、耐え切れずにそのまま撃破、撃沈されてしまう可能性が高かった。

 そもそもどちらの作戦の場合も、離脱の際に問題となるのが白雪の現在の耐久度と損傷によって発生した速力の低下なのである。

 現状、白雪の損傷を考えれば敵が重巡クラスの場合、機銃の掃射でも大きな損害を受けかねなかった。

 もう一方、速力低下の影響となると、自身だけに留まらず随伴の磯波の動きをも制限する形となってしまっている、というのが現状である。

 

 この状況下では多くの作戦が、成功する可能性の低さから実質的に選べなくなる。

 二手に分かれる場合、白雪に1隻でも付かれた場合に振り切れない可能性が高い。

 そして残る一方、足止め作戦の方も、白雪が足止めを行おうとした場合……十分な時間を稼げずに撃破された上、敵が磯波を追撃できてしまう可能性すらもあった。

 勿論この役割分担の場合、白雪が生き残れる可能性は殆ど無い。

 殆どという表現ですら最大限に優しい表現と言える。

 単純に、簡潔に計算のみで考えれば、全く無いのだ。

 

 そうなると最も成功率が高いのが、磯波が足止めをしている間に白雪が離脱するという作戦になる。

 それでいながら切り出せなかったのは、磯波が足止めをしたとしても失敗する可能性がある……という点だった。

 

 もしそうであるならば……難しくはあるが、何とか自分が足止めして磯波を少ない損害で離脱させるべきではないだろうか?

 白雪はとしては、そんな風にも考えたのである。

 その方が今後の戦いに役立つのでは……そう思えたのだ。

 とはいえ結局のところ、現時点でも白雪には決心が付きかねていた。

 

 最悪の可能性は有るが、それでも2隻とも逃げられる可能性に挑戦するか?

 それとも、確実に1隻を逃がすべきか?

 

 船体を操りながらも心の片隅で、何とか結論を出そうとして……そんな中での、磯波からの通信だったのである。

「……結論が出せる問題では無いと思うんです……私が、志願します。やらせて下さい」

 無線越しでも、不安や迷いが感じられるような……そんな声だった。

 それでも……結論を出せなかった自分とは違う。

 いや、恐らくは……自分がそうなのだろうと考えて、向こうから切り出してくれたのだ。

「……分かりました。今から、移りますね?」

 通信を入れると、白雪は即座に行動に移った。

 艦から飛び降りるように跳躍しながらそのまま船体を収納し、海面へと着水する。

 機関を稼働させつつも速度を落としながら位置を調整し、後方を確認すると……速度を上げた磯波の船体が後方から迫ってきていた。

 白雪に狙いを定めていたリ級の方は、白雪の船体が存在した辺に数度の砲撃を行った後、照準を磯波へと変更する。

 その前に、白雪は海面から跳躍して磯波の船体上、甲板へと飛び移っていた。

「お疲れさまです。すみません、ご足労頂いて」

 前甲板では艤装の主砲を構えた磯波が、軽く頭を下げ挨拶する。

 

「いえ、寧ろ私の方がお礼を言わないといけませんから」

 駆け寄りながら白雪も艤装の主砲を構えて、敵艦へと向けた。

 もっとも、現在の距離は命中を期待できない距離である。

 昼間であれば近過ぎる距離だが、夜間となると更に接近しなければ難しいだろう。

 だが、此方が命中を期待できるという事は相手も同じだけの効果があるという事だ。

 ここで危険を冒して敵に損害を与える意味はない。

 その事を磯波もよく判っているのだろう。

「艦内に移動した方が良いですか?」

「大丈夫です、こちらで」

 白雪が返すと、磯波は頷いてから……少し迷うような仕草をして、尋ねてきた。

「それで……船体の方の損傷は、どうですか?」

「速度は、今が限界に近いです」

「そうですか……艤装の方は?」

「損傷は多少出ていますが、機関には影響は無さそうです。其方で、という事なら本来の速力は出せると思います」

 船体と比べれば力は劣るが、現在の損傷を考えると同等程度、もしかしたら艤装の方が速力で勝るかも知れない。

 白雪がそう説明すると、磯波もそれならと頷いて見せた。

「正直、今は大丈夫ですが、もう一隻来られると……分かりません。10分、20分でも厳しいかも……」

「5分も稼いで頂ければ、十分ですよ」

「それは流石にっ?! それじゃ殆んど離れられ……」

「大丈夫です。殆んど逆の方角に向かう形にすれば」

 

 そう言って白雪は手短に、自分がそう判断した理由を説明した。

 自分の話を聞きながら、磯波は一方で船体を操ってリ級との砲撃戦を行っているのである。

 短くはあっても、分かり易く。

 現在の進路と自分の向かう予定の方角を説明し、大まかになるが速度を出して計算し、どの程度の時間でどれだけの距離を稼げるかを算出してみせる。

 夜間、しかも艤装のみとなれば、姿を晦(くら)ますのにそれほどの距離は必要ない。

「ですから、大丈夫です。心配しないで下さい」

 笑顔でそう言い切ると、磯波も表情は硬いままではあるものの、強く反対はしなかった。

 不安も心配もあるだろう。

 逆に白雪にも、危険を押し付けてしまうのだという申し訳なさ、後ろめたさがある。

 であるにも関わらず、白雪自身の離脱も絶対に安全という訳では無いのだ。

 それでも、考え付く範囲で確実性の高い作戦だとは思っている。

 大雑把ではあるものの、計算そのものに問題は無い筈だ。

 もっとも、何か見落としているかも知れないという不安のようなものは絶えず付きまとっている。

 とはいえ、その懸念の原因らしきものは欠片も思い付かないのだ。

 その悩んでいる間に過ぎる時間も、決して無為に過ごして良いものでは無いのである。

 そうである以上、思い切って決めるしかない。

 

(「他に……何もない、ですよね?」)

 言い忘れや確認事項は、無いか?

 恐らくは無い筈だが、やはり不安はある。

 だが、何をしようと如何であろうと、その不安を完全に無くすというのは不可能だろう。

 少なくとも、今の自分には。

(「やっぱり、flagship攻撃の時の失敗を引き摺ってしまって……」)

 そこで白雪は、思い出した。

「磯波さんは、さっきのflagshipの攻撃を確認しました?」

「……え……? あの、艦載機の……?」

 今迄の話の流れとは全く異なる突然の質問に、戸惑うような態度を取りながらも……戦闘態勢は崩さず、二、三度瞬きするような仕草をしてから、磯波は問い返すように言葉を発した。

「では、やはり磯波さんにも見えたんですね?」

「? え? あ、はい……ヲ級flagshipは、夜間でも艦載機で攻撃ができるって事ですよね?」

「あれは砲撃だったんです」

 白雪の言葉を聞いて、磯波は数秒だけであったが表情を固まらせた。

「え? ぇぇぇえ!?」

 驚きながらも船体の動きに乱れが無いのは流石だった。

 この場で考える事では無いかのかも知れないが、白雪は素直に感心した。

 そういう処が磯波は確りしているのである。

 内気で控えめな、どこか弱気な印象を与えるが……態度とは裏腹に芯は強いし、自身を……為すべき事を見失わない、理性と意志を持っている。

 

 自分は逆だな……とも思う。

 普段は確りしているように見えても、何かあると……予想外の事があると、動転して何も出来なくなってしまう。

 自分には、そういう処があるのだ。

 頭の中が真っ白になったような感じになって、それまでやっていた事さえ止めてしまう。

 動揺して、竦んでしまう。

 多分、きっと……磯波の方が旗艦に向いているのだろう。

 自分は副官、補佐の方が合っているのだ。

 細かい部分まで気にして、旗艦の目が届かないような処まで注意して、管理して、助言に徹して……決めるべき事、判断は任せて、それに従う。

 だからこれまでの、吹雪の支えという立場は合っていたように思う。

 でも、今はそんな事は言っていられない。

 自分が引き受けてこの場にいる以上、自分の立場に責任を持って、力を尽くすしかないのだ。

「先ほど私が受けた攻撃は、艦載機が襲ってきたように私も認識したのですが」

 思い出しながら、気付いた点は全て伝えようと考えながら、白雪は説明した。

「私の船体が受けた損傷は明らかに砲撃に依(よ)るものだったんです」

「……それで、さっきみたいな言い方になったんですね……」

 成程という顔で磯波が頷いてみせる。

 はい、と白雪も頷いた。

「分かっていれば、直撃を受ける事は無かったかも知れません。ですので、知識というか認識を共有しておこうと思いまして」

「確かに……知らないと対空戦闘のつもりで警戒してしまいますよね」

「はい、まだ絶対という訳ではなく推測も含んでいるとは思いますが、取りあえずそう認識しておいて下さい」

「分りました」

 一時的に白雪の方に向き直ると、磯波は真剣な顔で頷いて見せた。

 これで少なくとも、情報の共有者は二人となった。

 どちらかに何かあっても、司令部へと情報は伝わる筈だ。

 両方に何かあった場合は如何にもしようがないが、それは仕方ない。

 他に伝えなければならない事は……

(「……無い、ですよね? うん、大丈夫です」)

 

「……それじゃ、直ぐに動いた方が良いですので」

「……ですよね」」

 迷いを振り切るように白雪は口にし、磯波も促されるように頷いた。

「それでは」

「……あ、その……白雪さん?」

 背を向けようとしたところで、躊躇いがちに呼び止められる。

 動きを止め、磯波の方へと向き直ると……磯波は少し躊躇ってから、口にした。

「……その……また、後で」

 ハッキリとした形には成っていないものの、優しい何かが伝わってきて、言葉の端に滲んだような気がして。

 白雪は頷いて、微笑んで見せた。

「はい……また、後で」

 頷き合って、少し苦笑いして。

 

 

 白雪は急ぎ舷側へと駆け寄った。

 主砲を構えたままの姿勢で、海面へと飛び降りる。

 着水の衝撃を和らげるように膝を折りながら、艤装の機関を稼働させて……

 磯波の船体が生み出す波に逆らわぬように、乗るようなつもりで、機関の出力を上げ身体を加速させながら……北へ、北北西へと進路を取った。

 

 呆気ないくらいに簡単に、磯波の船体が闇へと紛れ、見えなくなる。

 昼間ならば容易に姿が確認できるのだろうが、月も星も無い闇夜では、僅かな距離で視界は利かなくなるのだ。

 砲撃時に生み出される光や炎で大凡(おおよそ)の距離は確認できるが、既に磯波の方からは艤装のみの状態の白雪の姿は完全に分からなくなってしまっている事だろう。

 とはいえ油断はできないし、するつもりも無い。

 白雪はそのまま速度を落とす事なく、寧ろ機関の出力を上げ自身を加速させながら……後方を、深海棲艦達と砲火を交える磯波の姿を、定期的に窺いながら夜の海を進んで行った。

 

 時間にすれば、本当に5分が過ぎ10分が過ぎようという時間が経っただろうか?

 そろそろ進路を西か南西に向け、舵を切ろうかと白雪が考えていた時だった。

 彼女の進路から、やや逸れた方角……北の方で、爆発が起こるのが見えた。

 もっとも、白雪の目に最初に入ったのは自分と爆発地点の間に存在していた複数の艦の姿である。

 それぞれに多少の損害を負った状態であるものの、4隻纏まった状態で航行している深海棲艦……ワ級達の姿。

 

 それを目にした事で、白雪は爆発した存在が何であるかを改めて思い知らされた。

 装備等に違いはあるものの、自分によく似た外見をした、特型駆逐艦の船体。

 違う、そうではない。

 白雪の船体が、彼女と同じなのだ。

 自分は特型、吹雪型駆逐艦なのだ。

「……ふ、吹雪、ちゃん! っ!!」

 小さな複数の爆発だけでなく、甲板上で火の手が上がり始めた為、白雪はその姿をハッキリと確認する事が出来た。

 自分は今、艤装のみの状態で海面に立っている。

 だから、見える筈がないのに……甲板上で傷付いて倒れた吹雪の姿が、見えたような気がした。

 だから、機関の出力を最大まで上昇させた。

 沈んだ訳ではない。

 急げば、助けられるかも知れない。

 

 

 

(「……駄目、落ち着かないと」)

 考えなしに全速力で向かいそうになってしまう気持ちを、白雪は懸命に押し留めた。

 吹雪の船体が大破……或いはそれ以上の損害を受けている以上、それだけのダメージを与えた敵艦が周辺に存在すのは間違いない。

 通常のワ級には攻撃能力は無いが、護衛の方が健在だった場合……eliteやflagshipではないとしても、重巡洋艦であるリ級2隻が居るはずなのだ。

 先に此方を発見され攻撃を受けるような事になれば、吹雪を助けるどころか自分も撃沈させられる羽目になる。

 現時点で既に白雪の船体は、中破に相当する損害を受けているのだ。

 下手な動きをすれば、吹雪の許へ辿り着く前に沈められてしまうという等という事も、冗談では無く本当に有り得るのだ。

 迂闊な行動は絶対に許されない。

 

 少なくとも今のところ、自分は気付かれてはいない筈だ。

 状況を窺い……一応という形にはなるものの、白雪はそう判断を下した。

 ワ級達は逃れるのに懸命で、漸く一息付けたという処だろう。

 リ級達の方も(恐らくは)大破し炎上しているとはいえ、吹雪の方に意識を集中させている状態の筈である。

 速度を落とし、慎重に距離を詰めながら……白雪は深海棲艦達の動きを観察した。

 

 4隻のワ級達は纏まった状態で航行しているが、吹雪からの追撃が無くなったにも関わらず、南下はせず離れる事を第一にという形で直進している。

 そしてリ級達の方はワ級の護衛には戻らず、動かなくなった吹雪の船体を警戒するように、様子を窺うように航行していた。

 吹雪を中心に、円を描くように……とでも表現すべき動き方である。

 吹雪からの攻撃は無いが、だからといって完全に停止するのは危険だと判断しているのかも知れない。

 例えるなら野生の獣が狩りをする際の、獲物の様子を窺うような動き……とでも表現すべきだろうか?

 

(「……もしかして、ヲ級達を撃破した事が原因で?」)

 何らかの手段で指示を受けていたが、ヲ級達が撃破された事で目的を失って動きを変化させた、という事なのだろうか?

 その突然の動きの変化に、もしかしたら吹雪は意表を突かれたのかも知れない。

 元々、駆逐艦1隻で重巡2隻を足止めするという無茶な作戦だったのである。

 前提である敵の動きが変化すれば、そしてそれに気付くのが少しでも遅れれば……その結果が、目の前の光景……という事なのか?

 

 とはいえ、救助する事は決して不可能ではないのだ。

 白雪は焦る自分に、何度も言い聞かせた。

 海上であるが故に身を顰める場所は無かったが、敵の意識は吹雪の方に殆どというか、完全に向けられている。

 加えて2隻で吹雪の周囲を警戒しながら巡っている為、移動速度は遅い上に間隔はかなり開いていた。

 もっとも、どれだけ慎重に接近したとしても……2隻が描く円の中へと入っていけば、艤装のみの状態だったとしても流石に発見されてしまう事だろう。

(「そこまでは慎重に行って、後は……全速力で、行きましょう」) 

 恐怖は勿論あるが、助けない等という選択肢は無かった。

 波も利用するようにして、焦る気持ちを抑えて、白雪は慎重に吹雪の船体へと近付いてゆく。

 時間そのものは十数分程度でしかないものの……緊張を強いられる時が過ぎる。

 

「……よし、この辺りから」

 そっと深呼吸してから、白雪は艤装の機関の出力を上昇させ、生み出された力を脚部の推進装置へと伝えた。

 先程までとは比べ物にならない音を響かせながら稼働した機関が、その力を推進装置へと伝えてゆく。

 白い飛沫をあげながら、白雪の航行速度が上がり始めた。

 

 少し間を置いて……離れた場所で、水飛沫が上がった。

 白雪の存在に気付いたリ級達が砲撃を開始したのである。

 それほどの間隔無しに砲音が響き、先程よりは近い場所に水柱が上がる。

 第二射ではなく、別のリ級の砲撃だろう。

 第二射は一射と比べて恐らく精度が上がるだろうが、すぐには行われない筈である。

 その間に、出来るだけ近付ければ……

 白雪がリ級達に警戒しつつ機関の出力を更に上げ、加速している時だった。

 

 予想よりも早く、砲撃音が響く。

 やはり着弾は離れた場所だったが、予想より遥かに短い砲撃の間隔に白雪は警戒しつつ視線を向けた。

 砲撃を行ったのは、やはり重巡洋艦のリ級である。

 ただ、最初から吹雪が誘引していた2隻では無かった。

 別の1隻が新たに出現したのである。

 更に別の砲声が響き、水柱が上がったような音も聞こえた。

 こちらは相当に離れていたのか、水柱さえ確認できない。

 だが、攻撃が行われた事は間違いなかった。

 だとするならば、4隻の深海棲艦が此の場に集まってきているという事である。

 1隻は不明だが、残りの3隻は重巡洋艦。

 しかもその内の1隻はeliteらしき外見に思えた。

「一体……」

 何処から……と呟く前に、白雪は結論に辿り着いた。

 ほんの少し前まで自分と磯波が相対していた、敵空母を護衛していた敵艦達だ。

 恐らく磯波が離脱した後で目標を失ったリ級ともう1隻が、後退してきた処で此方を確認したのだろう。

 

 磯波は出来る限りの、恐らくは白雪が言った以上の時間を稼いでくれたのだろうが……此方が時間を掛け過ぎてしまった、という事だ。

(「無理にでも、急いで近付くべき……だったんでしょうか?」)

 それを今悔やんでも、意味はない。

 とにかく、吹雪の船体まで近付く事だ。

 今、出来る事は……可能な限り速度を上げる事と、進路の選択だけである。

 この状態で進路を小刻みに変化させる事には、大きな意味は無さそうだった。

 砲撃が当たり難くなるかも知れないが、それで速度が上げ難くなったり、結果として距離が大きく延びてしまっては本末転倒である。

 自分と深海棲艦達の距離は然程離れていないのだ。

 誤差を完全に修正される前に、全力で最短距離を進むべきだろう。

 

 そう決めて白雪は身を固くし、衝撃を堪える為に、体勢を崩さないようにと重心を低くした。

 艤装のみの状態である以上、直撃を受ければ……一撃で大破かそれ以上の損害を受けると考えて間違いはない。。

 そうならなかったのは、ある意味では幸運だったのかも知れない。

 だが深海棲艦達が行った砲撃は、複数の至近弾は、彼女の艤装と身体に深刻なダメージを与えるには十分なだけの威力を持っていた。

 衝撃で逸れそうになる進路を懸命に修正し、崩れかけそうになる姿勢を、体勢を維持し続ける。

 吹き飛ばされるほど近距離の至近弾の前に、複数の至近弾を受けた事は覚えていた。

 連続して近くに水柱が上がり、命中はせずとも衝撃で艤装の一部が壊れ、体勢が崩れ、それでも無理矢理前進しようとして……

 沈み始めている船体が、すぐ目の前にあった。

 その時だった。

 音というよりは衝撃と表現した方が相応しいと感じられる轟音が響き、身体が平衡感覚を失った。

 痛みと共に激しい熱さのような何かが身体を撫で、浮遊感らしきものがあって……

 何かに叩き付けられるような、押し潰されるような衝撃を感じて、咳き込んで……

 何かが起こったという事は分かっても、何が起こったのかは推測できたけれど……自分が如何なったのかは、解らなかった。

 

 

 正確に、どれだけの時が過ぎたのかも分からない。

 間を置いて、声が聞こえた。

 よく知っている筈の声なのに……誰のものだったか、思い出せない声。

 繰り返される言葉。

 誰かが、誰かの名前を呼んでいる。

 呼ばれる名前も、よく知っている筈なのに……

「……ちゃんっ!! 白雪ちゃんっ!!!」

 幾度も呼ばれた名が、自分のものだと漸く気付いた時……白雪は仰向けに倒れている自分を知覚した。

 呼び続けていたのが、倒れた自分を膝枕するように抱えていた吹雪なのだという事も理解した。

(「……ああ、私は……」)

 最初に沸き上がったの安堵の気持ちだった。

 辿り着けたのだ、という想い。

 即座にそれは、後悔という気持ちに呑み込まれた。

 正確な状態は分からない。

 それでも……今、自分達が……窮地を脱しているとは思えなかったのだ。

(「せっかく、磯波ちゃんが……」)

 本当に、文字通りに命懸けで切り開いてくれた、活路を。

 自分は活かす事が出来なかったのだ。

 

 それでも、せめて……

「吹雪、ちゃん……?」

「……良かった。気が付いた……」

「……逃げ、て……私は、放っておいて良い、から……」

 何とか、言葉を絞り出すようにして白雪は呟く。

 吹雪はその言葉に眉を顰め、唇を震わせた。

「……ごめん……無理、なんだ」

 申し訳なさそうに、それでも……どこか、安堵するように。

 少女は、自分の艤装の損傷について説明した。

 機関が損傷を受け出力が大きく低下し、推進装置の方も損壊し浮力を保つだけで精一杯だという現状を端的に告げ、息を吐く。

「自分の足で動く……くらいしか、出来ないの」

 吹雪はそう言って、白雪に向けて微笑んで見せた。

「……逆だったら、私が白雪ちゃんを連れて逃げられたのにね? ……ごめん」

 謝る吹雪に向かって白雪は、何とか首を振る事でその言葉を否定する。

 

 確かに白雪自身は酷い傷を負って身体を起こすのも困難な状態だったが、艤装の方は何とか稼働し持主の身を守っていた。

 実際その防御機構が無ければ、彼女は既に命を落としていたかも知れない。

 そもそも艤装の力が無ければ、負傷など無くとも寒さで命を落としてしまう事だろう。

 艦娘の身体も艤装さえなければ、運動能力に優れた人間程度の力しか発揮できないのである。

 倒れたままの白雪の身体は頭こそ吹雪に支えてもらっているものの、身体そのものは海面に触れている状態なのだ。

 海の上に横たわり、背が海面に浸かっているという状態にも関わらず……海水が衣服に染み込んではこない。

 それは、浸水させないという力が働いている……という事なのか?

 とはいえ雨や飛沫等は完全には防げていなかったような記憶がある。

 或いは他の動き等に力が費やされない分、防水や撥水的な部分に十分、それ以上の力が使われているという事なのか?

 

 多分、船体と同じなのだ。

 特に考え込んだという訳でも無いのに、自然とそんな想いが湧き上がった。

 妖精達が懸命に頑張ってくれているからこそ、こうして命を永らえて来れたのだ。

 今もきっと、力を尽くしてくれている子達がいるのだろう。

 もっとも、艤装がそれだけ機能してくれていても……白雪の身体の方は、限界に近付きつつあった。

 内臓が傷付いたのか、それとも血を一度に失い過ぎたのか……通常の重傷であれば艤装さえ稼働していれば出血が収まり治癒が始まる筈なので、人体で言うところの致命傷レベルの傷を負った、という事なのだろう。

 痛みはあったが……ぼうっとしているせいか、鈍痛のような感じで済んでいるのが救いに思えた。

 

「周り、見えない、けど……如何いう……感じ?」

 どこか不自由な感じの口を動かして問い掛ける。

「……4隻に囲まれてる。私の……完全に壊れて、分かれちゃった船体の残骸の一部が所々で燃えてて、私達は見つかっちゃってる感じ。ゆっくり旋回しながら徐々に距離を詰めてきてる。こっちが撃ってないから、攻撃より見失わない事を重視してるみたい」

 こういう状況にあっても、吹雪は落ち着いて周りを見ているようだった。

 もちろん態度は落ち着いてはいなかったが、周囲の状況を冷静に確認し、分かり易く伝えてくれている。

 推測も恐らくは正しいだろう。

 艤装のみとなった自分達は、水柱どころか少し高い波があるだけで見えなくなる存在だ。

 だから、海面を荒らして此方を見失わないようにしているのだろう。

 旋回もやはり回避を兼ねての行動と考えて間違いはない。

 海上で動かないというのは、余りに危険過ぎる選択肢である。

 たとえ機関を稼働させていたとしても、艦艇というものは停止した状態から即座に動き出す事は難しい存在だ。

 増速や加速もすぐには出来ないが、それでも止まっている状態から動き出すのに比べれば速度を変化させる事は容易だし、動いているという事はそれだけで一つの回避運動になる。

 複数の艦で周囲を回るのは……周囲の波の高いものが内に入らないようにする効果もあるのだろうか?

 波の荒い海面で水上機を使用する際に波を幾らか弱める為に行うという話を聞いた事はあるが、本当なのかどうか白雪には分からなかった。

 

 とにかく敵は、こちらを見失わない事を第一に行動しているという事だ。

 もちろん此方が攻撃すれば、反撃とばかりに全力で攻撃してくるだろう。

 攻撃せずとも、例えば船体を展開すれば……機関を稼働させ動き出す前に、一斉に砲撃が浴びせられる事だろう。

 

 

 それを誘発する意味は……もう、無かった。

 自分はもう致命傷を負っていて、長くはないだろう。

 そして吹雪は、移動する事そのものが不可能な状態になっている。

 艤装で推力が得られなくとも海上を歩いたり走ったりする事は可能だが、その手段で深海棲艦達の包囲網を突破する事は……現状では、絶対に出来ない。

 

 つまりは、積みだった。

 自分達の結末はもう……定められたのだ。

 

(「……御免ね、磯波……ちゃん」)

 白雪は心の内で、再会を約束した戦友に、姉妹艦でもある少女に謝罪した。

 申し訳ないという気持ちは恐らく最後まで消えることは無いだろう。

 もっとも、胸の内には安堵と感謝のような気持ちもあった。 

 敵艦が此方に集まってきているのであれば、他の皆は何らかの不運が無い限りは泊地へと辿り着く事ができるであろうという想いは、今の絶望的な状況にあっても、心を安らかにしてくれたのだ。

 

 もうひとつは……今の自分と吹雪の状態だった。

 最後の時が、与えられた。

 そんな風に感じられたのである。

 

 そう。

 白雪はそれを、どうしようもなく自覚させられた。

 言葉通り、もう本当に、どうしようもないのだ。

 可能性が僅かでもあるならば、最後まで……醜くとも足掻いて、全力で生き延びようとするべきだろう。

 けれど今、この状況は……如何にも仕様が、無かった。

 ここで終わりなのだ。

 自分と吹雪は……自分の姉は、此処で最期を迎えるのだ。

 それでも、自分達が此処で沈む事になっても……艦娘である吹雪と白雪が完全に失われる事にはならない、というのは救いだった。

 申し訳なさ、罪悪感とでも呼ぶべき気持ちが少し軽くなるように思えるのだ。

 いずれ自分達では無い吹雪や白雪が建造され……或いは先日の如月のように、海から現れるかも知れない。

 元通りになる訳では無いが、残った皆に自分達が抜けた分の全てを押し付ける訳ではない、という事は……かつての事を考えるのであれば、救いと言えた。

 もっとも、その事が……少し寂しい、という気持ちを湧き上がらせているのも事実である。

 かつての、駆逐艦であった頃の自分とは同じでも、艦娘である自分とは……同じではあっても、違う存在。

 自分とは違う、艦娘の白雪に……後を託して。

 今の自分は……ここで、終わるのだ。

 

 

 そんな事を考えたせいなのか、急に様々な光景が浮かんできた。

 自分が艦だった頃ではなく、艦娘として目覚めてから今日までの、これまでの記憶。

(「艦長さん、いなくて良かったな……」)

 道連れにしなくて済んだ。

 そんな事を、ふと考えた途端……最後の時の事を思い出しそうになって。

 何かが、こみ上げてきて。

 楽しかった、皆が笑顔だった時の事を思い出そうとして。

 白雪は過去を、今日までの記憶を懸命に掘り起こした。

 

 前にも、こうやって思い出しそうになって……心に蓋をしたのだ。

 あれは、いつだったろう?

「……あ、そうだ……」

「……白雪ちゃん?」

「……うう、ん……みんな、で……カレー、食べた時の事……思い出して……」

「ああ……楽しかったね?」

 白雪の言葉に、吹雪が微笑んでみせる。

 戦場で、敵に包囲され死を待つのみの状況で……それを欠片も感じさせないような穏やかな雰囲気が、ふたりの間に漂った。

 

 吹雪の浮かべた、何かを堪えたような笑顔が……記憶の中の何かに、被る。

(「……ああ、艦長の……」)

 鎮守府から外出できない自分達の為にと、土産を買ってきてくれた事を……白雪は思い出した。

 今、自分の周囲を朧気にしか認識できていないのに……記憶の底から浮かび上がってきたその光景は、不思議な程に鮮明だった。

 それでいて所々が曖昧な侭、なのだ。

 

 初めてお土産として渡され、皆で分けるようにと言われた時は……自分がどんな反応をしたのか覚えてはいなかった。

 たぶん、理解が追い付かずしばらく固まっていたとか、そんな感じだったのだろう。

 少なくとも二度目以降も、何度かは混乱していて記憶があやふやなのだ。

 最初の内は本当に……何でこんな風に良くしてくれるのだろうかと、逆に不安になったりしていたのだ。

 今からすると、随分と疑り深かったなと申し訳なく思ったりもする。

 

 そんな事が何度か繰り返されて……不安や心配するような感情は消えて、素直な感謝の気持ちを抱けるようになっていったのだ。

 あの頃はそれほど感じなかったけれど、今になってみると……驚いたり喜んだりする自分たちを、目を細めて嬉しそうに見ていた姿を……思い出す。

 

 妻と娘を深海棲艦の襲撃で亡くした……という話は、暫くしてから聞いていた。

 帰る時にはお土産を買って、持って行っていた。

 今は、その相手がいないから。

 恐縮する白雪にそういって笑った時は、冗談めかしていても辛そうだった。

 優しい人ではあったけれど、時折すごく寂しそうな顔をしていたし、何かを堪えているようでもあった。

 

 だから最後に、亡くなった時に……小さな声で何かを呟いて、安らかな顔で逝ったから。

 一度だけ泣きはしたけれど。

 それ以上は悲しまないようにしようと白雪は思ったのだ。

 血に塗れてさえいなければ、眠っているだけのように見える艦長の顔は……穏やかな何かで、満たされていた。

 叶うなら自分も、あんな顔で最期を迎えたい……そう思ったのだ。

 

 寂しさは当然のようにあった。

 悲しみは、痛みのような何かを伴う。

 それでも……幸せだったと思えるあの光景は、お土産を皆で分け合ったあの時は……検閲済みだと言って包みを手渡してくれた時の控えめな笑顔は、決して心の内から失われはしないのだ。

 戦場とあまりにかけ離れていて……だからこそ、自分を支えてくれた光景。

 

 落ち込んだ気持ちを……救い上げて支えてくれた笑顔と、艦娘としての今日までの自分の道程。

 もう如何でも良い、と……諦めてしまいそうになる心を、そんな事はないと切り替えさせてくれる記憶と想い。

 

 あの夜襲の日から、どれだけの時が流れただろう?

 数日の筈なのに、随分と昔のように思えた。

 自分が艦娘として誕生した、建造された日とさほど差が無いように思えるほどだ。

 それでも、その間の日々を思い出そうとすると……纏らぬ侭、たくさんの情景が浮かんできた。

 あの日々は……遠ざかりはしても、色褪せてはいなかったのだ。

 いや、色褪せていた日々に色彩が戻ってきたという事なのか?

 

 それは自分が……最後の時を迎えようとしているからこそ、なのか?

 

 不安や恐怖が無くなる訳ではないし、痛みも苦しさも、現実を思い知らせるかのように感じられはする。

 それでも自分は……失敗もあったけれど、最後まで戦い抜いたはずだ。

 最後の最後で、成功できなかったけれど、失敗してしまったけれど……

 また、何も出来なかった、けれど。

 それでも、全力は……尽くせた筈だ。

 

 自分に言い聞かせている、という面もあるのかも知れなかった。

 自己嫌悪を誤魔化しているのかもしれない。

 それでも……全くの嘘、という事は無い筈だ。

 かつての艦歴を、そして艦娘としての今日迄を、そして自分に尽くしてくれた人達の名を……辱めずには済んだ筈だ。

 

 辛く苦しい時を懸命に生きた人が、人々が、いたのだ。

 その人が艦長だったという事は、人々が乗員だった事は、自分にとっての誇りなのだ。

 なら自分は、その人の、そして自分を支えてくれた人達の……

 

 

「……白雪、ちゃん?」

「……え?」

 呼びかけられて我に返ると、自分を覗き込んでいる吹雪の顔が見えた。

「大丈夫? 少し、ぼうっとしてるみたいだったから……」

 吹雪にそう言われて白雪は、ほとんど時が過ぎていなかったのだという事を確認した。

 数分は思考に耽っていた気がしたが、少なくとも吹雪から見ると僅かに黙ったという程度にしか感じられなかったのだろう。

 あれが走馬灯というものなのだろうか?

「……痛み、強くなってきた?」

 心配そうに尋ねる吹雪に、白雪は微かに首を振って見せた。

「そう……考えてみると今、怪我の心配なんて……おかしいよね?」

 これから沈むのにね、と。

 吹雪が悲しそうな笑顔で呟く。

 つい先ほどの記憶の中に出てきた彼女とは、別人のように思える表情だった。

 もしかしたら自分も……そんな顔をしているのだろうか?

(「私が、もっと確りしていたら……」)

 幾度目かになる、そんな想いが湧き上がってきて……

 

「ごめんね、白雪ちゃん」

 それを掻き消すように、吹雪が謝罪の言葉を口にした。

「私のせいで……」

「……ちがう、よ? 吹雪ちゃん……」

 そう言って白雪は再び微かに首を振って、否定を示した。

 私がもっと、しっかりしていれば。

 状況を確認して、冷静に判断できていれば。

 たとえば今の状態で、自分の負傷が軽ければ……離脱した時のまま、自身には大きな問題が無く、船体のみが中破という状態を維持できていれば?

 吹雪を連れて、この場から離脱する事も可能だったかも知れないのだ。

「私の、せいで……」

 助けられなくて……

「……救えなくて、ごめん……」

「それは、違うよ?」

 今度は吹雪が白雪の言葉を、即座に否定した。

「私は助けてもらった。もう……救ってもらったんだよ?」

 泣きそうな顔で、それでも吹雪は白雪に向かって、微笑んで見せた。

 いや、もう……吹雪は泣いていた。

「もし白雪ちゃんが居なかったら……私……挫けちゃった、かも知れない……」

 涙を瞳の端に滲ませたその顔は、泣き笑いとでも表現すべき表情だった。

 

「寂しくて、恐ろしくて……取り乱して……

嫌だよう、って……泣いちゃったかも、知れない」

「……吹雪、ちゃん……」

「そうならないで居られるのは、こうしていられるのは……白雪ちゃんが此処に居てくれるから、だよ?」

 

 殆ど力が入らない、白雪の手の一方を、そっと取って……

 涙を滲ませながら吹雪は柔らかく微笑み、きゅぅっと握りしめる。

 握り締めているのは、吹雪だけなのに……何か、不思議と……

 暖かい、たくさんの存在も、優しく触れてくれるような、不思議な感覚があって……

(「ああ、もしかしたら……」)

 自分達を支えてくれる、たくさんの存在の事を思い出して……

 申し訳なさと、暖かさが、湧き上がって、こみ上げてきた。

 

 見上げる吹雪の肩から、幾人かの妖精達が……自分に向けて敬礼してくれているのは、幻想だろうか?

 自分をずっと支えてくれていた存在達が、よくやったとでも言うかのように頭を撫でてくれるのは……錯覚だろうか?

 それでも良いと思ってしまう自分は、心が弱い……という事なのか?

 

「……ちゃんと言葉にして、言っておくね?」

 そういって吹雪は目元を擦ると、何とか作った笑顔を浮かべ口にした。

「ありがとう、白雪ちゃん」

 

 私を、救ってくれて。

 

 その一言は、只の言葉では無いかのように響いて……

 白雪の内に、確かに……何かを埋めるように収まった。

「……そう思ってるのは、きっと私だけじゃない、よ?」

 涙ぐんではいても、少し気恥ずかしそうで……それを誤魔化しでもするかのように、吹雪が付け足す。

 もっともその言葉も、決して嘘では無いのだろう。

 だからなのか、最後だからか?

 言葉が自然と口から出た。

「……ありがとう、吹雪ちゃん」

 ああ、自分も同じなのだ。

 考える必要もなく、白雪は自然に、そう思った。

 自分も同じだ。

 救われたのだ。

 また、自分は……何も出来なかった。

 そう思っていた。

 かつての最後と同じ。

 戦った相手からは、ビスマルク海海戦と呼ばれている戦い。

 けれど故国からは、海戦とも敗北とも呼ばれない戦い。

 一方的な敗北故に、正式な呼称は与えられず、悲劇と……ダンピールの悲劇と人々の間で呼ばれた、自分の最後と同じで。

 守りたかった、輸送船達の全てと……自分を含めた護衛の駆逐艦の半数が沈んだ……あの時と、同じで。

 

 それとも……あの時も……

 自分は、少しくらいは……何かが出来たのだろうか?

 あの時も、今も、分からない。

 だから……

「ありがとう……吹雪、ちゃん……」

 分からない、気付かない私に……教えてくれて、ありがとう。

 白雪は、素直に礼を言った。

 自然に微笑む事が、できた。

「吹雪ちゃんに言ってもらえなかったら……私……何も出来ない、何もしていない……って、悔んじゃったと思う」

 

 私は……まだ、何も……

 

 そんな風に……

「後悔しちゃったと思う」

 今、そう思わずにいられるのは、自分を抱きかかえてくれている誰かが、教えてくれたからだ。

 姉が、言葉にしてくれたからだ。

 自分は少なくとも今、何かを為す事ができたのだと……実感させてもらったからだ。

 これで、きっと……

 自分をこれまで助け、支えてくれた存在にも……謝罪では無く、感謝の言葉を送ることが、出来る筈だ。

 ごめんなさい、ではなく……

 

「……ありがと、ね?」

「……ありがとう……」

 言葉を交わし……互いに、皆で。

 微かに、確かに……微笑み合って。

 そして、僅かな時の後……

 

 白雪を抱きしめる吹雪の周囲を、その一帯の海面を。

 薙ぎ払うようにして……

 砲弾と銃弾の雨が、降り注いだ。

 

 

 

 

 


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