●絶望は無く、希望でもなく 三
出撃してからどれだけの時間が経っただろうか?
最初に気付いたのは零戦、鳳翔戦闘機隊の1機だった。
先導の為に飛行する艦攻を護衛するように周囲を警戒していた故だろう。
もっとも、その直後と呼んで問題ない時間差で他の戦闘機達、それに搭乗する妖精たちも敵航空隊を発見した。
距離を考えると、通常のヲ級の航空隊が艦隊に十分に近付いたと判断したところで交代する形で出撃してきたという事なのだろう。
航空隊から受けた通信を、龍驤はそのまま艦橋の新城達へと連絡した。
味方の発見した敵艦載機群は、これまでの敵機とは違うもののようだった。
深海棲艦の航空母艦が扱う艦載機たちは機体の上部に緑色の光を発する箇所があるのだが、その部分から放たれる光が橙色をしているのだそうだ。
それ以外は殆ど同じらしいのだが、龍驤は艦載機たちに警戒するよう通信を送った。
ここまでくれば敵の傍受などを気にしていられない。
思惑の齟齬の方が問題となるだろう。
妖精たちは普段から龍驤の考えや行動を分かってくれているように思うのだが、万一というものがあっても困る。
自分自身を安心させるという意味も、もしかしたらあるのかも知れない。
そんな事を考えつつ、龍驤は攻撃隊からの通信に意識を集中させた。
ヌ級との戦いの際は敵攻撃隊の護衛の戦闘機が攻撃を仕掛けてきた為、此方も護衛の戦闘機に迎撃を行わせている。
とはいえあの戦法は、触接に成功した味方機から敵機動部隊の上空に直掩機がいない事を確認していたからこそ出来たのだ。
今回それは望めない。
報告を聞く限り確認した敵攻撃隊の機は、全て橙色の光を放つ機体らしい。
となれば先刻の敵の第一波の戦闘機が、敵機動部隊の護衛に付いている事だろう。
無駄な消耗は避けねばならない。
とはいえ、このまま素通りさせれば……敵の攻撃隊は万全の状態で此方の上空へと到達する事になる。
僅かな間とはいえ、龍驤は迎撃するべきかという思いに駆られた。
そしてその気持ちを、短い時間で抑え込んだ。
空母に犠牲を出さないという点を最優先に考えるのであれば、ここで敵攻撃隊を妨害するのは悪くない。
だがそれを行なえば、護衛を持たない味方の攻撃隊は敵直掩機と対空砲火によって壊滅的な損害を受ける事になるだろう。
航空隊が、艦載機が失われてしまえば……空母という存在は無意味なものとなる。
これが最後の攻撃隊となる可能性もあるのだ。
司令官から判断を委ねられてはいるが、その言葉には可能な限り航空戦力の喪失を抑えての敵空母の無力化が最優先との条件が付いている。
今回は今まで温存していた艤装の戦闘機まで直掩に加えて、攻撃隊護衛の戦闘機を確保したのだ。
それは、可能な限りの戦力で敵空母を攻撃する為なのである。
敵航空隊は攻撃隊を庇うように戦闘機が位置を取ったが、それ以上の動きはしなかった。
此方の航空隊も同様である。
両者は互いに距離を取るようにしながら、警戒を続けたまま、互いを視界に捉える程度の離れた場所をすれ違うようにして通り過ぎた。
少し間を置いて、龍驤は攻撃隊へと通信を送った。
そろそろ敵機動部隊を発見したと通信のあった海域である。
緊張しながら報告を待つ龍驤に、間もなく妖精達からの通信が届いた。
敵機動部隊発見の報である。
敵機動部隊の位置は、やはりというべきか大きく変わってはいなかった。
発見時と比べるとやや南下しているらしいが、それも予測より少ない程である。
此方からの攻撃を警戒してなのかも知れない。
上空で警戒していたらしい敵の直掩機が攻撃隊に向かってきたとの通信が、機体を操る妖精たちから届けられる。
敵機の全ては機体上部の一部が緑色の光を発しているらしいので、恐らく先程の攻撃隊の残存機を再編成し、直掩に充てているという事なのだろう。
「……ヲ級2隻の内1隻はflagshipと確認」
妖精達からの通信を、再び龍驤は艦橋へと伝えた。
敵戦闘機は先刻の襲来時の迎撃で大きく数を減らしていたが、それでも此方よりは多い。
此方の直掩に残した零戦も加えれば互角か、こちらがやや上回るというくらいだろうか?
とはいえ個々の戦闘力で考えれば優勢なのである。
不安要素は色々あったものの、今回は後手を有利へと転換できたという処だろうか?
敵戦闘機の全てを抑えるという訳には行かないだろうが、攻撃隊が逃げ回らずに済む程度の航空優勢は確保できそうである。
突入してきて来た敵機によって僅かに犠牲は出たものの、その間に攻撃隊はそれぞれ攻撃態勢に入ったようだった。
龍驤の艦攻隊は雷撃の為に高度を下げ、鳳翔艦攻隊は爆撃の為に編隊と高度を維持したまま飛行していく。
両艦の艦爆隊もそれぞれの隊毎に、目標であるヲ級を狙えるように進路を変更したようだった。
点のように見えていた敵艦が大きくなるにつれ、対空砲火も精度を増し始めたようである。
通信を確認しながら、龍驤は瞼を閉じて意識を船体へと集中させた。
すれ違った時間を考えるのであれば敵攻撃隊の到着までにはまだ時間はあるだろうが、念の為にと警戒しておく。
もっとも、警戒し続けるのも疲労が蓄積し過ぎるという点では危険かも知れない。
念の為に潜水艦の待ち伏せ等に気を付けつつ、護衛の艦は交代で短時間の休息、小休止を取ってはと司令官へと具申しておく。
もちろん自分や鳳翔にはそんな余裕は無い。
船体の感覚を重視する為にと再び目を閉じれば、航空隊の置かれた状況が浮かんできた。
艤装の使用も兼ねての演習では目の届く範囲で何度も確認したし、航空戦がどのようなものなのか体験する為に鳳翔の航空隊に搭乗させてもらった事もあるのだ。
今、この場から見えてはいなくとも想像できる。
敵艦隊はヲ級2隻と護衛の4隻で計6隻という編成らしかった。
護衛の4隻の内訳は、重巡洋艦リ級2隻と駆逐艦、恐らくニ級と推測される2隻のようだ。
しかもリ級の一方が、ニ級の方は2隻共に、eliteのようである。
前のヌ級2隻の機動部隊とは比べ物にならない程に強力な編成と言えた。
こちらの本隊を襲撃する為の主力部隊の1つを、自分たちを沈める為に派遣したという事なのかもしれない。
あるいは自分たちを撃破した足でそのまま本隊を追撃しようという心積もりなのか?
様々な可能性を考えるうちに、鳳翔の艦攻隊が爆撃態勢に入ったとの報告が入った。
精度を重視するなら命中後の火災等が発生しないうちに急降下爆撃を行った方が良いのかも知れないが、その場合、敵の対空砲火による損害も大きくなりそうだと鳳翔と話し合ったのである。
4機での編隊となると範囲は決して広いとは言えないが、続く急降下爆撃や雷撃の為の牽制にはなると判断しての水平爆撃だった。
それでも鳳翔の艦攻隊は敵駆逐艦1隻に至近弾を浴びせ、小破相当の損害を与える事に成功したようである。
続くように艦爆隊から攻撃開始の報が、急降下に入る旨の通信が届いた。
先陣を切るのは龍驤艦爆隊の隊長機である。
続くように全機が急降下を開始した筈だ。
先頭機の降下開始と共に後続機も一斉に急降下に入り、そのまま各機が照準を定め投弾するという攻撃方法である。
投弾のタイミングが全機ほぼ同時である為に各機の命中精度という点ではやや劣るものの、対空砲火は分散するか一点に集中される形になる為、全体としての被害の方は軽減できるのである。
先頭機に続くようにして後続機が順次攻撃に移るという方法は隊としての目標への命中率が高くなる半面、撃墜される確率も高くなる。
隊の全機が敵艦から見て空中のほぼ一点、それに近い空間を順次通過していく形になる為だ。
そこに対空砲火を集中されれば、どうなるかは想像するのも容易である。
敵が用意したキルゾーンに自分から突っ込んでいく形になるのだ。
敵空母の無力化が最優先ではあっても、犠牲を厭わないという訳には行かない。
龍驤と鳳翔、そして航空隊の任務は此処では終わらないのである。
被害は軽減できるとはいえ、それでも敵の対空砲火は強力らしかった。
通信が途絶し、暫しの時間が過ぎ……通常のヲ級に2発命中弾を与え大破相当の損害を与えたと報告してきたのは、鳳翔艦爆隊の隊長機だった。
龍驤所属の艦爆2機は、対空砲火を浴び、どちらも撃墜されたらしかった。
1機は攻撃後の上昇中に撃墜され、隊長機の方は降下中に被弾したのかバランスを崩しながらも250kg爆弾を命中させ、そのまま海面に突入したらしかった。
報告を聞いた龍驤は、無言で空を仰いだ。
何か意味があってではなく、無意識に身体が動いたのである。
何かを身体が堪えようとしたのだろう。喰いしばった歯に力がこもる。
暫しの間を置いて雷撃隊の方も攻撃を行なった旨、報告が届いた。
こちらはニ級elite1隻を撃沈させたようである。
敵旗艦と思われるヲ級flagshipを狙った攻撃をニ級が庇ったようだ。
犠牲は3機。
雷撃位置に付く前の戦闘機による撃墜1機と対空砲火によるものが2機との事である。
口元から何かが零れそうになったが、それは形にはならなかった。
形にしてはいけないもののように思えたからである。
謝罪の言葉は駄目だ。
それは逃げであり、押し付けだった。
少なくとも龍驤にはそう思えたのだ。
謝られるくらいなら、感謝されて礼を言われたい。
褒められたい。
自分ならそうではないだろうか?
それは偽善なのかも知れなかった。
それでも、逃げや押し付けよりは良かった。
実際のところは分からなかった。
それでも彼女は、今この場ではそうやって一つの結論を出した。
(「……ありがとうな」)
心の内で言葉を呟く。
犠牲は出した。
だが結果として、ヲ級1隻が大破し、ニ級1隻を沈めたのだ。
攻撃隊は帰途に就いた。
「再攻撃の要あり……かぁ」
気持ちの整理などという甘いものは許されない。
許されるとしたら、この戦闘が終わってからだ。
(「勝利であれ敗北であれ、やな……」)
無性に鳳翔と何か話したくなったが、その気持ちも奥へと押し込んだ。
最初の空襲を凌いで、次の一つ……攻撃隊が役割を果たしたのだ。
今度は自分たちが役割を……次の場を、凌がなければならない。
「……金剛、さん……? もう……良い、の?」
「十分デース。弥生、Thanks♪」
艦橋へと来訪した金剛は、艦の主に笑顔で礼を言った。
主というよりは艦そのものと言った方が正解かも知れない。
或いは半身というのが正しい表現か。
いつもではないが、時々湧き上がってくる……羨ましさと懐かしさが混じり合う気持ち。
それを丁寧に奥底へと仕舞い込むと、もうひと踏ん張りデスと金剛は弥生を励ました。
「戦いが終わったら提督と一緒に弥生もteatimeに誘いマスね~?」
「……ちょっと、フラグっぽい……です」
「フフッ、そういう事が言えるなら大丈夫デス」
弥生の表情が少し柔らかくなったような感じがしたので、もう一度笑顔でウインクを送ると、金剛は艦橋を後にした。
不利な状況下での戦いが続くが、気力の方は充実している。
小休止を艦内で過ごす許可を得た彼女は、弥生に乗せてもらい厨房で短いティータイムを楽しませてもらったのだ。
移動や任務復帰前の準備等を含めれば、実際の時間は5分前後、といった処であろう。
戦闘用意の号令が掛かった時点で、厨房の機具は使えないようにロックされていた。
格納されている戦闘糧食には固形燃料も付いてはいるが、艦内の厨房のようにはいかない以上、それを使うとなると当然時間は足りなかった事だろう。
そうなれば温かい飲み物など夢のまた夢である。
そうならずに済んだのは、弥生がロックの直前に湧いていた湯を保温機で取り置きしてくれていた故である。
金属製の容器にパック入りの茶葉を入れて作った紅茶だが、こんな状況下では温かいだけで十分に贅沢だった。
弥生に感謝しつつ、金剛は安らぎのひと時を過ごした。
砂糖は嗜好品や調味料等の入っているプレパック(アクセサリーパック)を開け、贅沢に2つ分入れる。
茶菓子代わりに何かのバーを齧るという手もあったのだが、其方は遠慮する事にした。
栄養はあるのだが……気持ちで楽しみたい場合、そういった武骨さというか質実剛健さが邪魔になる事もあるのだ。
乾燥圧縮だがフリーズドライだが知らないが、チョコとかクッキーとか○○バーという名前だけはそれらしいが実物はカレールーの親戚みたいなのを口に入れると、此処が何処なのかを実感してしまうように思えたのである。
歴戦の戦艦であったとしても、時に現実逃避は必要なのだ。
少なくとも金剛はそう思っている。
戦場で任務遂行中というのなら兎も角、短時間とはいえ自身は警戒を他に任せて休息する許可を得ていたのだ。
軍隊という組織上、それでも自分の責任となる事態もあるだろうが、自分で自分を責めるような事態にならなければそれで良い。
金剛はそう割り切っていた。
そもそも自分は一度沈んだようなものなのだ。
かつての艦としての記憶が本当なら、艦の姿で本当に沈み、この姿になってからも沈みかけたので、合計なら二度という事になるのだろうか?
結果として生き延びて、こうして新たな場を与えられている。
今は困難な状況であっても、それなりに恵まれていると感じられる場所だった。
ならば自分に出来る事を、与えられた任務を果たすだけだ。
それに最善を尽くせるように自分自身を持っていくのである。
海軍の良いところの一つは、間違いなく糧食や嗜好品の充実ぶりだろう。
陸軍であれば温かい何かを口にするのも一苦労という場合が多い。
最近は陸上部隊であっても炊事車等が付いて回るというが、かつては各自が携帯する以外は実質現地調達だったという噂さえまことしやかに語られる程だったのである。
そこへ行くと海軍の方は(勿論可能な限りという枕詞は付くにしても)栄養価を考えた糧食だけではなく嗜好品ですら不足しないよう配慮されている。
もっとも……海の上、船の中、という環境で生活する以上、肉体的だけでなく精神的な健康を保つ意味でも大事だったという話も聞く。
実際、変化の少ない制限された空間内での生活では、食事と嗜好品だけが楽しみ等という話は切実さを伴って流れているのだ。
旧日本海軍ならば軽巡以上はラムネを作る装置を載せており……駆逐艦でも、消火設備として設置された炭酸ガス発生装置を使ってラムネを作っていたとの言葉が残っている。
アメリカ海軍ではアイスクリームまで食卓に上り、陸軍将兵から羨望の眼差しを送られていたのだそうだ。
すべての戦線でそうだったかは分からないが、多くの面で陸軍よりは恵まれていたというのは事実なのだろう。
そういった事を考えていると……自分が艦娘で良かったという気がしてくる。
「おっと、時間をOVERしてしまいマスね?」
誰に言うでもなく呟くと、金剛は艤装を展開したまま船縁から海面に向かって飛び降りた。
登る時はカッターの昇降用装置で引き上げてもらったが、降りる時はわざわざそれを使うまでもない。
上る時も、力を出せば駆逐艦の甲板くらいの高さならば跳躍できない事もなかったが、甲板に影響を与える危険があるかも知れないと考えて遠慮したのである。
艤装だけとはいえ彼女は高速戦艦なのだ。
科学的には解明できない力で構成され稼働しているが、艤装というのは本来、普通の人間は勿論として常人より優れた身体能力を持つ艦娘にとっても持ち上げられない程に重量のある物体なのである。
その辺りに関しては……深海棲艦の攻撃に対する艦娘達の耐性も、科学的には解明できていない。
どれだけ肉体能力が優れていても、本当に人間と同様の構成物質で造られているのであれば、艦娘の肉体が砲撃や爆撃に耐えられる筈がないのだ。
艦娘の身体は船体や艤装とは違い、金属ではないのである。
それでも、金剛の身体は先程の戦闘を耐え抜いた。
直撃は無くとも至近弾の衝撃に耐え、そもそも艤装の主砲を幾度となく発射する衝撃に耐えているのである。
両手で耳を塞ぎ口を開ける……などという姿勢は、当然一度もしていない。
砲撃の際に膝や他の関節で衝撃を逃がしているし、それでも足元の一部は海面に沈んだり針路を微調整する必要が出たりもする。するが、『その程度』なのだ。
船体と比べて攻撃力が下がるとはいえ、火薬を使用して爆発力で砲弾を飛ばしている以上、『その程度』で済むはずがないのである。
つまりは現代の科学では解明できていない何らかの力が働いて、艤装の重量や戦闘の際に発生するエネルギーや衝撃、反動等が軽減されているのだろう。
或いは何らかの力によって、金剛の身体自体が守られているのかも知れない。
金剛としてはそんな風に考えているのだが、もちろん実際のところは分からない。
そういう訳の分からない力が、ふとした弾みで発揮されなかったら、或いは余計な形で発揮されたら、怖い。
例えば跳躍して弥生の甲板に乗った際に、重量と衝撃が軽減されずに弥生の船体に加わったら……金剛としては、穴を開ける自信がある。
飛び降りる場合なら気を付けるのは甲板から跳躍する時だけだし、最悪でも着水した際に何かが起こるだけで済むのだ。
夜襲からの撤退の際は長月の船体に飛び乗ったが、あの時は非常時で迅速さを第一としたが故である。
本来、十分に時間が取れる状況であるのなら……降りる時も昇降装置を使った方が良いのだろう。
「金剛、定位置に戻りマース」
通信を入れると金剛は、航行する龍驤の船体の後方へと向かった。
交代で休憩を入れる際、警戒に不足が無いようにと鳳翔と龍驤の位置は近付いている。
鳳翔の側も交代で小休止を入れる様で、その辺りの調整は長月が行ったのだそうだ。
そんなところまで龍驤や鳳翔に考えさせてはならないと思ったのだろう。
実際、金剛も心配だった。
僅かとはいえ気を緩める時を与えられた自分たちは新たな気概で任務を再開できるが、2人は今この瞬間も艦載機たちと通信を行い、できるだけ新しい情報を基にして現状を把握しようと努めているのである。
気を抜ける時間が全くないといえば嘘になるが、休息らしい休息は一切無いのだ。
戦闘態勢に入るまでは可能な限り警戒等を周りに任せ疲労が蓄積しないように努めていたとはいえ、万全には程遠い状態なのである。
まして以降の2人に与えられた役割となると、余りに多すぎる。
艦載機による偵察も、機体の操縦そのものは殆んど妖精任せにできるとはいえ計画や分担は龍驤と鳳翔で行っていたのだ。
そんな2人を長月も気遣ったのだろう。
以前はその辺りを吹雪が務めていたが、残念ながら彼女は別の任を帯びてこの場から離れた場所にいるのである。
(「其々が与えられた場所で全力を尽くしている、という事でしょうカね?」)
心配したところで、龍驤達の果たしている役割の中に自分が肩代わり出来る事は無いのだ。
時代はもう随分と前に代わってしまったのである。
戦艦の時代から航空機へと、それを扱う航空母艦の時代へと。
「……龍驤も、teapartyに誘いマショウ」
その為にも、何とか無事に帰らせる為にも……
もう懐かしく感じられ始めた鎮守府の風景を一瞬だけ思い浮かべると、金剛は龍驤の後方に位置を取り、周囲と上空を警戒した。
実際この瞬間も、彼女は新城と同じで玉砕などは一切考えていない。
とはいえ先のことまで見通している訳ではなく、唯、目前の任務に集中しているというだけの事だ。
もっとも、彼女には新城ほどに死というものへの恐怖が無いというのも大きいのかも知れない。
念の為に後方にも気を配りはしたものの、第一はやはり上空への警戒だった。
龍驤の両脇は、一定の距離を置いて長月と弥生が並走するように固めている。
左舷側が長月、右舷側を弥生が航行している。
後方に金剛が就いていることを考えてか、やや前進している位置取りだった。
再び離れ始めた鳳翔の方も、両脇を望月と初雪が固めている。
如月の船体が見えないのは、当初の予定通り艤装のみの状態で周囲を警戒しているからなのか、それとも陣形の後方に位置するからなのかは分からない。
単純な戦闘能力で言えば船体を展開した状態の方が優れているが、艤装のみの状態というのは様々な点で小回りが利くのだ。
警戒を続ける金剛に、つまりは護衛艦たちに、龍驤からの通信が届いたのは……金剛が持ち場に復帰してから、暫し後の事だった。
敵攻撃隊を直掩の戦闘機隊が発見したとの通信を受け、金剛も直ちに砲撃態勢を整えた。
各砲塔の砲身それぞれに砲弾を装填し、仰角を最大まで上げる。
それでも上空の敵機を狙うとなると難しいので、砲撃の際は腰や膝で不足分を補うのだ。
これが船体となると不可能なので上空への対処は高角砲や機銃のみで行う事になる。
そういう点では戦艦等の砲撃力を高めた艦は、爆撃機よりは雷撃機への対処の方が行い易いと言えるかも知れない。
「さて、さっきは弥生に負けましたが今回は負けませんヨー?」
冗談めかして口にしつつ、彼女は敵機が襲来する方角に意識を集中した。
船体を持たない艤装のみの状態となると、それに加えて周囲の警戒というのは難しくなってくる。
電探等の装置を追加で装備していれば違うのだろうが、現在の彼女が装備しているのは艤装の基本的な装備以外となると、主砲と補充した水上偵察機のみだ。
補充した零式水上偵察機の方は、偵察の為の艦攻が不足した際にそれを補う為に使用するとの事で、現在は温存する形となっている。
発見は艤装によって強化されている自身の感知力での勝負となる。
金剛は第一に爆撃を警戒し、上空に意識を向けた。
完全に其方に専念という訳では無く、短い間隔で水平線上にも気を配る。
艤装の主砲は船体の物と比べれば様々な局面への応用は可能だが、向き不向きというは当然存在する。
対空砲火が不足しているというのに無駄を生み出すような、遊ばせるような使い方をする訳にはいかないのだ。
敵雷撃機に警戒しつつ上空へと弾幕を張り、タイミングを見計らって砲火を水平へと変更するべきだろう。
金剛はそう考えていた。
追加の砲によって火力を強化している以上、せめて盛大に水柱でも作って、敵機の雷撃を妨害してやるのだ。
続けての情報が龍驤から齎(もたら)された。
龍驤の戦闘機隊に加えて2人が艤装を用いて発進させた戦闘機隊は敵航空隊に対して何とか互角に近い戦闘を繰り広げているらしい。
「って言うても、やっぱ分が悪い。けっこう抜けてきそうや。悪いけど、頼むな?」
「任せて下サーイ!!」
申し訳なさそうな雰囲気を漂わす龍驤の言葉に、金剛は暗さなどカケラも感じさせない調子で答えた。
戦力を考えれば、味方の零戦隊は通常では考えられない程に健闘している。
敵の戦闘機隊は全てヲ級flagshipより発艦されたものだと聞いている。
通常のヲ級の戦闘機隊より高性能な上、数の方も30機を超えているらしいのだ。
普通に考えれば制空権を完全に喪失していてもおかしくない戦力比である。
もっとも、それだけに犠牲の方も大きくなっている事だろう。
それでも……この攻撃を凌ぎ、もう一度攻撃隊を向かわせる事ができれば……
敵機動部隊を、一時的になのかもしれないが活動停止に追い込めるかも知れないのだ。
決して無意味な奮闘ではないのである。
前方の上空に、点のような何かが幾つか見えた。
恐らくは突破してきた敵攻撃隊だろう。
金剛は味方へと通信を送りながら対空射撃を開始した。
爆発によって生み出された力が砲弾を空へと飛ばそうとするのと同時に、金剛を吹き飛ばすかのように、海面に押さえ付けるかのように襲ってくる。
その力に耐え、衝撃を膝と腰で逃がし、海面も利用して拡散させる。
同時に照準を調整しながら、再び砲身に砲弾を送り込む。
もっとも、装填作業の方は完全に妖精たち任せだ。
弥生や長月、龍驤らの船体からも銃弾や砲弾が撃ち出され、遠目からでも分かるほどに無数の点が空へと次々に昇ってゆく。
砲や銃の数で考えれば、船体を持たない金剛よりもずっと多い。
そして上空への対空砲火という点で考えると、特殊な砲弾を使用してでもいない限り威力より数の方が大事なのだ。
(「やはり上空はお任せしても良さそうデスね?」)
そう考えて、念の為に一度後方を確認してから……金剛は意識を両側面へと向けた。
敵の雷撃機への警戒である。
左側後方に遅れて航行する形となっている鳳翔たちが位置している為、そちらからの雷撃は警戒せずに良さそうだった。
上空への砲撃を続けながら右側後方を確認し、長月と弥生が位置する前方の両側も念の為に確認する。
波間に違和感のようなものを感じた気がした時、長月の声が無線から響いた。
「敵雷撃機確認、左舷側前方より低空を接近しつつあり!!」
雷撃機とは呼称しても、深海棲艦達の艦攻と艦爆は機体の外見に大きな違いがある訳ではない。
とはいえ幸いというべきか、その外見の類似を今のところ擬装に使ってきた事は無かった。
低空を接近してくるとなれば魚雷を搭載した攻撃機と推測して間違いは無い。
「了解デス! 金剛、敵雷撃機への攻撃開始しマース!!」
弥生の警戒する右側も一応意識しつつ、金剛は艤装の主砲を左側前方へと向けた。
間断なく射撃を行えるようにと、一斉ではなく砲毎に順番に砲撃を行ってゆく。
元々低い命中確率が更に低くなるのだろうが、今は敵機の接近を妨害する事が第一だと判断しての事だ。
敵機が龍驤を狙い易いと推測される進路を妨害するように、とにかく砲撃を途切れさせぬよう続け、水柱も発生させる。
左舷側である為か、鳳翔の護衛を務める2隻からも援護するように砲撃が開始された。
海面に無数の水柱が生み出される。
水柱に隠れるようにして爆発らしきものも発生したように見えた。
最後まで見れなかったが、数機が高度を上げながら向きを変えたのも確認する。
それでも、全ての機体の進路を阻むという訳にはいかなかった。
水柱の林を潜り抜けるように突破してきた1機が、僅かに降下するような動きをした後、高度を上げる。
金剛の位置からは確認できなかったが、すぐに長月の発した言葉が無線から響いた。
「魚雷発射確認した。現状速度の儘なら龍驤船体の前方を通過する模様、警戒されたし!」
一先ずは問題ないと判断したところで、今度は弥生からの通信が入る。
「敵急降下爆撃隊、降下態勢! に、入る……模様」
見ても意味がないと分かってはいても、反射的に視線が其方を向くのは防げなかった。
長月と弥生は機銃だけでなく、艤装の主砲も用いて対空砲火を浴びせ続けている。
実際、隊列を崩していた艦攻隊の爆撃は、離れた水面に幾つかの水柱を生み出しただけで終わったのだ。
空に浮かぶ、幾つかの点の集まりが……龍驤に向かって落ちるように動いているのを確認しつつ、視線を水平線上へと戻す。
視界の端で龍驤の船体が大きく舵を切ったように白波が立つのが……見えた、ように思えた。
射撃を行いながらも、意識が其方に引き付けられる。
降下する点の1つか2つが、花火か何かのように呆気なく破裂して空に消えた。
少し間をおいて爆発音らしきものが耳へと届く。
それでも、他の点はそのまま龍驤に近づいて行った。
その後を追いかけるように、別の点の塊たちが降下を開始する。
砲や機銃の音や波の音、通信から時々響くノイズ、そういったものに混じるようにして、全く違うように感じられる音が……近付いてくる。
そんな風に感じられた。
龍驤の船体近くの海面に、水柱が幾つか上がった。
僅かな間をおいて爆発音が響き……龍驤の船体の上、金剛の位置から確認できない船上から……煙が昇り始める。
船体があれば、艦橋から眺めるだけで龍驤の飛行甲板全体を見下ろす事ができただろう。
海上からでは、人の身の丈では……状況の把握は殆んどできなかった。
それでも、龍驤の船速は衰えてはいないし、回避運動を続けるように船体は小刻みに進路を変更し続けている。
その近くに、再び水柱が生み出された。
「龍驤、被弾した! 飛行甲板一部破損。けど艦載機の運用は、まだ……」
その通信が、雑音に遮られるようにして途切れた。
先ほどとは比べ物にならない大きさの爆発音が響く。
自分の場所からも確認できるほど飛行甲板が大きく歪んだのを……金剛は確認した。
爆発音が続けて響き、そのたびに視界内の龍驤の船体が……何かに揺すぶられるかのように、振動する。
それを視界に収めながら金剛は、左舷側への砲撃を続けていた。
今の自分に出来る事は、これしかないのだ。
これ以上の攻撃を阻むために、対空砲火を続けるしかないのだ。
後は……何とか龍驤が耐え抜いてくれる事を、祈るしかないのである。
長月と弥生も当然のように対空射撃を続けている。
それでも、状況は徐々に変化していった。
速度を上げた訳でもないのに、龍驤の船体が近付いてくる。
彼女の船体は、進路の変更も行わず……ただ、右舷側に舵を切った状態で……傾いたまま、ゆっくりと前進していた。
「長月より龍驤へ!!」
長月が通信を送っているが、返信は無い。
鳳翔からの通信にも応答は無いようだった。
数秒の、恐らくは十秒にも満たぬ筈の時間が、信じられないほど長く感じられる。
混乱が起こらぬようにと自身は通信を送る事はしなかったものの、そんな自制心も……呆気なく限界を迎えそうだった。
随分と戦ってきたように思っていても、自分は……こんなにも未熟だったのだろうか?
弱くて無力だったのだろうか?
いや、何かを知ったから、得たからこそ、弱くなったという事なのか?
船体を失い、それでも戦い続け……幾許(いくばく)かの力を、強さを得たのと同時に、別の弱さも得ていたという事なのか?
無知で未熟である事が強さの一つ、という事なのか?
二度目か三度目か……長月の言葉を遮るように先程と同じような、或いはそれ以上の、大きな爆発が起こった。
龍驤の船体が中央付近から呆気なくひしゃげ、艦の側面からも黒煙が激しく噴き出し始める。
炎が燃える音と共に小さな爆発音らしきものも聞えてくる。
もう艦は動いていなかった。
いや……海の内へ、水底へ向かって……動き始めていた。
つまりは沈み始めているのだ。
金剛の位置からも確認できるような火柱が、艦の上に見えた。
瞬間、彼女が思い浮かべたのは……伝え聞いたことしかない筈の、ミッドウェーの光景だった。
もしかしたら……榛名も、霧島も……こんな気持ちだったのだろうか?