●絶望は無く、希望でもなく 二
「龍驤及び鳳翔所属の全(船体)航空機、発艦完了。全機問題なしやね」
龍驤からの報告に、新城は軽く頷きながら短く言葉を返した。
敵艦隊の位置と大凡(おおよそ)の編成は確認できたものの詳細は不明の儘である。
偵察機は敵艦隊の編成についての報告の最中に消息を絶ったのだ。
恐らくは敵の直掩機に撃墜されたのだろう。
敵艦隊の構成については判明していた。
航空母艦ヲ級2隻、護衛として重巡洋艦リ級2隻、詳しい艦種は不明だが駆逐艦2隻の計6隻である。
ヲ級の一方はeliteかflagshipであると推測された。
その報告の途中で偵察の艦攻からの通信は途絶したのである。
敵の水上打撃部隊への牽制攻撃を行なっていた鳳翔攻撃隊を襲った敵艦載機は、通常のヲ級の操る機体であることは間違いない。
そうなると2隻いるヲ級の一方は通常のヲ級で、もう一方のみがeliteかflagshipという事なのだろう。
「敵もいよいよ本腰をいれてきたという事でしょうか?」
「安易な推測は慎むべきだな」
緊張した面持ちの部下に向かって、新城は注意を促すように口にした。
実際のところ恐ろしくて堪らないが、勿論それは表には出さない。
「……攻撃隊の方は、ホントにエエんかな?」
「敵の第一次攻撃を凌いだ上で、出撃させる」
不安げな龍驤へと向き直ると、新城は殊更に落ち着いた態度で説明した。
そうしなければ自身が緊張や恐怖で呂律が回らなくなってしまうかも知れない……等と心配したのである。
艦隊は敵機動部隊へと近付くように進路を取っていた。
彼我の距離が近付いた分だけ帰還時の墜落等の被害を減らす事ができると考えての事である。
攻撃隊を編成する妖精たちの疲労も少しは減らせるのではという狙いもある。
とはいえ十分に近付いた上で味方の攻撃隊を出撃させるとなれば、敵に先手を打たれる可能性は高かった。
つまりは敵攻撃隊の第一波を凌いだ上で、此方の攻撃隊を出撃させるという形になるのだ。
後手に回る事にはなるが、決して不利なだけではなく利点もそれなりにある。
新城はそう考えていた。
上手くいけば敵の航空戦力をある程度消耗させた状態で攻撃を仕掛ける事ができるし、敵の攻撃隊の帰還時であれば、多少の混乱や敵の二次攻撃を遅らせる効果も見込めるかもしれない。
それに、第二艦隊が続いて攻撃する事を考えれば……此方の攻撃は可能な限り直前まで続いていた方が効果的と言えた。
敵の位置情報が直前まで把握できていれば、水上から敵を探す事になる第二艦隊も敵の発見が容易となる筈である。
作戦を説明する際に新城は自信ありげな態度を取りつつそう口にしたが、正直に言えば心中は不安で一杯だった。
発見の報が入った直後、即座に全力で攻撃するという方法を考えなかった訳では無い。
通信でわざわざ鳳翔の意見を聞くまではしなかったものの、龍驤の意見は勿論として司令部要員たちの意見も確認した。
だが……どう考えても、それで2隻の敵空母を活動不能まで追い込めるとは思えなかった。
詳細を伝える間もなく偵察機が撃墜されたことを考えれば、既に敵は直掩機を艦隊の上空に展開していると推測される。
途絶直前の通信の様子から推測するのであれば奇襲を受けた可能性が高い以上、多数が展開していたとは思えないが、偵察機に気付いた以上は直ぐに直掩を増員する事だろう。
敵戦闘機隊の損害は、此方が牽制で出した攻撃隊護衛の零戦隊との交戦一回のみなのだ。
報告通りであれば、損傷を与えた機はあったが墜落を確認した機体は無かった筈である。
対して此方の護衛戦闘機はこれまでの戦闘で減少しており補充も儘ならない状態だ。
加えて艦隊の護衛にも直掩として一部を割くのである。
その状態で攻撃隊を突入させるというのは寧ろ、速(すみ)やかな自殺とでも表現できそうに思えた。
それと比べれば、まず迎撃に徹する事で敵の航空戦力を少しでも漸減した上で可能な限りの全力で以て敵を叩く方が、まだ望みがある。
新城としては、そう思えたのである。
とはいえ迎撃に失敗すれば、敵機動部隊本隊に何ら損害を与えることなく一方的な敗北を喫する事になる。
もし敵が完全に攻撃に専念していれば、敵の直掩機が少なければ……好機をみすみす逃す形になるのだ。
加えて、時間を置けば敵機動部隊を見失う恐れもあった。
顔や態度には出さないように努力はしたものの、内心ではみっともない程に迷いながら……最終的に新城は、まずは迎撃という結論を出しのだ。
とはいえ方針を定めたからといって迷いから解放された訳では無い。
寧ろ状況が進行するほど、自分は間違えたのではないかという不安が膨らんで来るのである。
恐怖と表現しても良いかもしれない感情だった。
それが自身の表に滲みださないようにと、彼は懸命に湧き上がってくるものを奥底へと押し込めようとしていた。
敵が攻撃に専念し直掩機が少ない可能性などというのは実際にあったとはいえ一度の実際の再現を願う希望的な推測でしかないし、全速力だとしても40ノット程度と推測される敵艦艇が、短時間で位置が分からなくなるほど移動するとは思えない。
そもそも迎撃に専念してそれでも攻撃を凌げないというのであれば、元からして勝ち目など無いという事にならないだろうか?
被害を最小限に留める為の対策も、可能な限りは考えてあるのだ。
龍驤と鳳翔をそれぞれ独立するように編成しそれぞれに護衛艦を付けたのは、一方が損害を受けたとしても、もう一方への影響が出難いようにと考えての事である。
戦闘機以外も発艦させたのは、空母が損害を受けた際に航空機まで喪失しないようにと考えての事だ。
以前のヌ級との戦いで用いた龍驤攻撃隊の上空への一時退避を基にした作戦である。
単純に重量が軽減されるというだけでなく、航空母艦の艦娘たちの精神的な負担も軽減されるという意見を取り入れている。
敵戦闘機に発見されてしまった場合は撃墜される危険もあるが、その辺りはどちらのリスクを取るかという問題でしかないだろう。
それでも……もしも、だが、という迷いが浮かんでくる。
逆に言えばそれだけ、迷いを弄べる程度には余裕があるという事なのだろう。
どこか侮蔑を混入させた視線で、新城は自身をそう分析した。
少なくとも今の自分は、面倒臭いという理由で思考する事を放棄してはいないのだ。
とはいえ意味の無い思考で時間を浪費している可能性も高いとは言える。
「……艤装の艦載機の方はどうだ?」
ふと思い出した疑問を新城は龍驤に質問した。
「もうちょいしたら出す予定や。そん時はウチも甲板の方に上がるから」
「了解した。此方の事は気にせず、戦闘に専念してくれ」
「ま、動き回るけど、どっか掴まってじっとしててくれれば平気と思うから」
龍驤はそう言って新城と3人の司令部要員たちを順に見回した。
3人もそれぞれの形で了解を返す。
困難な戦いであることは間違いない。
だが、此処を凌げば勝機は見えてくる筈だ。
「それじゃ、鳳翔さん。私はそろそろ」
「まだ大丈夫ですよ? そう急がなくても」
飛行甲板に向かおうとした如月を鳳翔がそう言って呼び止めたのは、艦載機を発艦させる暫し前の事だった。
「でも……」
「もう少しくらいお話をしていても大丈夫です。望月さんと初雪さんが頑張ってくれているみたいですから」
「……もしかして……何か、言われました?」
「はい」
何となく察して如月が問いかけると、鳳翔はそう言って笑顔を見せた。
「実は望月さんにお願いされまして」
素直に堂々と白状する鳳翔の態度に、思わずクスリと笑みが湧き上がる。
「妹たちに心配させて……私、姉失格ですね」
そう言ってから如月は、少し申し訳ないという気持ちになった。
「気にし過ぎですよ、如月さん?」
いたわるような微笑みを浮かべながら鳳翔が口にする。
「それに、望月さんがよく見ているというだけでの事ですよ。きちんとお姉さん出来ていると私は思います。そういう姿を見て私も暖かい気持ちになれますから、寧ろお礼を言いたいくらいです」
「いえ、そんな……でも、望月ちゃんがよく見ているっていうのは私も思います」
照れながらも、妹の一人の事に関して如月は肯定した。
怠惰で隙あらば寝ようとするという態度の望月だが、実際のところ周りの事を意外なほどに見ていて、さり気なく気を遣ったりするのである。
「……わざとああいう態度を取ってるのかしら……って時々……考えすぎでしょうか?」
「本人的に合っているというのも恐らくは有るのでしょうが……確かに言われてみると、期待されたくない、侮られてた方が楽っていう風にも見えますね」
「……そうなのかも知れません。以前の戦いでは、随分色々と任務を受けて働き尽くめだったみたいですし」
鳳翔の言葉に少し考え込んでから、如月は答えた。
かつての太平洋での戦争で、駆逐艦如月は開戦して間もなく沈んでいる。
そのせいなのかは分からないが……艦としての記憶というものが、如月にはあまりない。
何故かは分からないが、最初はその戦争が始まる前の記憶ですら曖昧だったのだ。
その為、艦歴を含めた知識に関しては寧ろ弥生を含めた妹たちに教えられたものが殆んどという有様だった。
それらの聞いた話の中では、駆逐艦望月は様々な損傷を受けながらも大規模な修理を必要とするような損傷は受けず、沈没するまで攻撃に護衛、輸送にと様々な任務に就いて働き続けたらしい。
話を聞きながら労った時、もうあんなに働きたくないという感じの事を面倒そうに呟いていたのを思い出す。
もしかしたらそういう光景を、ふと思い出したりするのかも知れない。
如月も、不意に見た事のない光景を思い出したり、休んでいる時に夢を見たりという形で、駆逐艦如月としての記憶を思い出し始めている。
僅か数日の間にそういう事が幾度もあったのだ。
艦娘として目覚めてからそれなりの月日を過ごしている望月ならば確実に、それ以上に多くの記憶や光景を思い出している事だろう。
もっとも、その思い出した光景というものが、かえって如月の気持ちを不安にする。
その中には……艦としての記憶ではないような光景もあるような気がするのだ。
それほど深く考えなくても、様々な疑問や不安は浮かぶ。
自分は何故この海域で、しかも深海棲艦の艦隊を撃破した直後という偶然とは思えないタイミングで、姿を現したのか?
艦娘として、目覚めたのか?
艦としての記憶すら曖昧であるにも関わらず、艦娘として誕生した瞬間から人間のような存在として一通り振る舞えるような知識を持っているのか?
自分が所属する事になった艦隊にも、かつて……というよりもほんの数日前まで、艦娘の如月が所属していたという。
もしかしたら、その如月と自分の誕生は何か関係があるのでは、と思いたいが……その如月の持っていたであろう記憶は、自分には欠片も無いのである。
そもそもその如月は……あくまで聞いた限りでしかないが、駆逐艦としてのかつての記憶を随分と持っているという印象を受けるのだ。
似ているのに違うという事が、却って辛い。
それが、如月の正直な気持ちだった。
弥生を含め、特に睦月型の艦娘……自分の妹に当たる存在の子たちは、熱心にかつての如月との思い出を語ってはくれたが……それらの話は如月にとっては、自分によく似た別人の思い出話でしかなかったのだ。
寂しいし、悲しいし……自分は何故その如月ではないのだろう、と悔しくなる。
彼女がいてくれたら、自分はこんな気持ちを抱かずに済んだのだろうか?
それとも……如月ではあっても自分ではない彼女を羨んだり、嫉妬のような感情を抱いたりしたのだろうか?
「……私に何ができる、という訳ではありませんが……」
迷いを滲ませた表情で、歯切れの悪い言葉で、鳳翔が切り出した。
「もし宜しければ……話してみませんか? 少し、楽になるかも知れません」
「……ありがとうございます」
言葉に同意する気持ちがあったのもあるが、溜め込む事に耐え切れなくなりそうだったというのが正しいのかも知れない。
ほんの少し躊躇ってから、如月は問い掛けるように口にした。
「……私、みんなの……司令官の、お役には立てないんでしょうか?」
口から出た言葉は、そんな形をしていた。
自分自身でも纏まっていない……ただ気持ちがこみ上げて、耐えられなくなって、吐き出そうとして……訳も分からず口にした言葉は……そんな形を、持っていた。
誰かの代わりのような、それでいて何もできない自分。
存在する意味を、意義を、感じられない自分。
そんな自分に嫌気が差しているのだろうか?
何かが出来れば、何かを成せれば……艦隊の、司令官の、妹たちの……役に立てると、立てたと思えば……この気持ちは変わるのか?
「……私は……邪魔者なんでしょうか?」
狡いな、と感じた。
口に出して形にした瞬間、実感する。
いや、分かっていて知らないふりをしていただけなのだ。
否定されたくて、して欲しくて……そんな言葉を口にする。
悔しくて、情けなくて……でも吐き出した言葉がそうである以上……自分が抱いていた気持ちは、少なくともそんな形をしているのだ。
自分の抱いている不安は、そこに根差しているのだ。
「そんな事はありませんよ」
如月の言葉を否定するように鳳翔は微笑んだ。
「……勿論そう言っても、如月さんの気持ちを晴らすことはできないと思います。実際のところ、如月さん本人の気持ちの問題なんだと思います」
「私の……気持ちの、問題」
繰り返すように呟くと、鳳翔は頷いた。
「あなたが貴女自身を認める事が必要なんだと思います。その為の解決法は……私には今のところ、ひとつしか思い浮かびません……それも絶対とは言えませんが」
「……教えてもらっても良いですか?」
「単純すぎると言われるかもしれませんが、今回の任務を無事に達成する事です」
鳳翔は答えた。
「何でも良いんです。何かを成す事だと私は思います。一つで足りなければ、自信を持てなければ、次のもう一つ……そうやって、積み重ねていく事だと思います」
「……ひとつずつ、積み重ねて……行く」
「はい。厳しい言い方になりますが……ただ悩んでいるだけでは、答えは変わらないと思います」
「……そうですよね……立ち止まっていたら、見える景色は変わらないんだから」
言われてみると、そうなのかも知れないという気持ちになった。
同時に、当然の事という気持ちも湧き上がってきた。
無力感のせいで盲目的になって、思考が同じ処を堂々巡りしていたという事なのだろう。
決して難しい事ではなく、少しだけ考え方や見方を変えるだけで気付けた事なのだ。
自然と口にした言葉の通り、言われた事で見える景色が変わったという訳では無かった。
ただ、その景色の中に存在していながら気付けなかったものに、言われて気付けた……そういう事なのかも知れない。
かつての自分は、睦月型駆逐艦の如月は……太平洋での戦いの最初期に沈んでいる。
それは、如何しようもない事実だった。
姉妹たちが戦い続けていたのに、自分は真っ先に艦歴を終えてしまったのだ。
たとえ意識していない時であっても、記憶が虚ろで教えられた知識であったとしても……自分の奥底には常にそんな想いがあるのかも知れない。
役に立てなかったという劣等感が……役に立ちたい、と渇望する想いの源泉なのかもしれない。
「これが、以前の私達が感じなかったものなんですね」
「ええ……だからこそ私たちは、まだ気持ちというものに振り回されてしまうのかも知れません」
鳳翔の言葉に、改めて頷く。
以前の自分たちには無かったのに、今は当たり前のように持っていて……持て余して、振り回されてしまうもの。
人間のような、身体と心。
自分の在り方を定めるという事が、自身を認めるという事が……難しい事なのだと、改めて実感する。
以前の自分たちは、それらを全て人間に委ねていたのだ。
ただ存在するだけで意味と価値があり、何が為せるかは乗組員たちに任せていたのだ。
目的をもって建造され、居場所を用意してもらい、役割を与えられたのだ。
今は……そうでは無い。
同じ処、似ているところも決して少なくはないけれど……全てが同じという訳ではないのだ。
(「けど、今はそれについて……じっくり考えている時じゃ無いわよね?」)
そう考えた時、なぜか気持ちが楽になったような感じがした。
前の自分は目的や役割を与えられていた。
これからはその内の幾つかを、自分で探す事になるだろう。
考える事は、それこそ限(きり)がない。
不安は当然のようにあり、恐怖のような何かすら感じそうな気持がある。
けれど同時に……何故かそれが楽しそうに思えて、嬉しくもある。
何が分からないかも分からない自分。
先ずはそれについて、考えて行こう。
(「でもそれは……今、じゃないわよね?」)
そう自分に言い聞かせた。
(「今やるべきは、それじゃないから」)
時はもう、すぐ傍まで迫っているはずだ。
「……気持ちが切り替えられたみたいで、何よりです」
「分かります?」
「顔つきが違いますよ」
不思議そうに尋ねると、そう言って鳳翔が微笑んだ。
その笑みが、先ほどまでと違うように感じられて、如月も表情を崩す。
「鳳翔さんのお陰です。ありがとうございました」
「私は少しばかり手助けをした、それだけです。何かを見出したのか……気付いたのか……どちらにしろそれは、如月さんが成した事ですよ」
そう言ってから、彼女は表情を引き締めた。
「……貴女には、駆逐艦の艦娘である如月さんには、できる事があります。本当に、沢山」
「はい……今は、分かります。初雪ちゃんや望月ちゃんと同じようにと考えると……何もできません。でも私に出来る事なら、確かにあります」
鳳翔の言葉に頷くと、鳳翔も同じように頷いて見せた。
「戦闘中は私も飛行甲板の上で艦を操り、艦載機に指示を出します。如月さんにも同じように飛行甲板上で対空戦闘をお願いします。私の方でも勿論警戒しますが、特別に指示を出さない限りは如月さんの判断で対空戦を行って下さい。最優先は、撃墜よりも攻撃の妨害という事で。雷撃に関しては望月さんと初雪さんに任せて、爆撃、特に急降下爆撃に注意して下さい」
「はい、承(うけたまわ)りました」
そう返して敬礼すると、鳳翔が答礼して……礼を解く。
如月も続くようにして礼を解くと、鳳翔は表情を崩した。
「また泊地に戻ったら、お話ししましょう?」
「はい、もちろん喜んで。寧ろ私からお願いしたいですわ」
これから戦いが始まるのだと思えないほどに心安らかに如月が微笑むと、鳳翔も笑顔でそれに答えた。
「ふふ、楽しみにしていますね?」
約束ですと言って微笑む鳳翔に。
少し照れながら、同じように……約束です、と口にして。
如月は妹たちにするように、利き手の小指を伸ばしてみせた。
「さあ、いくで! 戦闘機隊、発進準備!!」
飛行甲板上へと移動した龍驤は、艤装の艦載機を稼働させる為に持っていた巻物を勢いよく伸ばした。
艦娘達の使用する艤装の多くが嘗(かつ)ての艦艇の武装や機関に似た外見を持つのに対し、航空母艦の艦娘たちが用いる艤装は、艤装の一部に船体や飛行甲板を模した箇所があるという以外は何処か幻想的な部分を持っている。
鳳翔の艤装の主要部は弓矢と一方の肩に装着する飛行甲板状の肩当であるのに対して、 龍驤の艤装は飛行甲板が描かれた巻物と艦載機を模した紙状の符だ。
符は艦載機の種類によって見た目が違い、簡単に見分けられるようになっている。
鳳翔の用いる矢の方も、矢羽に艦載機の翼に描かれた模様で機種を見分けられるようになっているのだそうだ。
龍驤の場合は符に力を籠め、伸ばした巻物上の飛行甲板の上を奔らせる事で符を航空機へと変化させ、鳳翔も力を籠めた矢を弓へと番え放つ事で、航空機へと変化させる。
力を籠めるという部分に関しては、そんな風にしか説明できない。
普段は特別意識しないが、艦載機を扱う時に感じられる何かを操って掌に集め、それを符の中へと注ぎ込むのである。
船体を操っている時の感覚に近いかもしれない。
艦を操ると表現すると難しそうだが、艦娘にとって船体を操るというのは手足を動かすというのと大きな差は無いのである。
意識してどうこうするという大袈裟なものではないのだ。
慎重になる場面というのも多々あるが、それも結局は脆い物や細かい物を扱う時に慎重に指先を動かすというのと同じなのである。
両舷全速とか微速とか意識する訳では無いのだ。
ただ、指揮する者との意思の疎通を行う場合は必要だし、それらの表現を好ましく想う艦娘がいるというのも理解できる。
龍驤もどちらかといえば好きな方だ。
曖昧な何かを具体化する為に、かつての記憶に残る言葉を使うという事に懐古的な何かを感じるという事なのかも知れない。
そんな風に感覚的な艤装の艦載機の具現化、発艦作業と比べると……出撃させた艦載機の動かし方というのは現実的になる。
基本が船体の艦載機と同じだからだ。
操縦と呼ぶか操作と呼ぶかは別として艦載機を操る方法というものは、船体に格納されている物であれ艤装の符から変化させるものであれ、体や船体に宿り住む妖精たちの力を借りて操る事になるのである。
拡げた巻物の甲板上を滑りながら符から変化した戦闘機、二一型零戦が次々と空へと舞い上がってゆく。
その機体上には、いつのまにか妖精たちが乗っていた。
「……頼むで」
龍驤の小さな呟きをハッキリと聞き取って、妖精たちは挨拶したり仕草で返事をしたりしながら、機体を加速させ上空へと登ってゆく。
既に発進し直掩に当たっている船体に格納していた機体と同じ零式艦上戦闘機二一型ではあっても、大きさの方は十対一以上の格差がある。
それでも、数機が纏まれば深海棲艦の艦載機に十分対抗できるだけの制空能力を持ってはいるのだ。
船体の艦載機と比べると近距離でしか運用できないという問題点もあったが、これまで使用しなかったのはいざという時に纏めて運用する為である。
攻撃隊の護衛に備えて、船体の戦闘機への損害を可能な限り抑制する為に。
新城は言葉を濁すことなく誤解が無いように明確に、状況と作戦を説明した。
作戦によって生じる物事全てへの責任は、司令官である自分にあるということを明言するためだろう。
それでも、出撃する者たちの犠牲という重さまで総て司令官に押し付けよう等という気持ちは龍驤には無かった。
もっとも、今この瞬間に心に浮かぶものに複雑なものは無い。
ただ、飛び立ってゆく艦載機たちを信じる気持ちと、悲しみと……懐かしさにも似た何かがあるだけである。
こうやって見送ったのだ。
そんな気持ちは、これまであまり感じなかったものだ。
これまでの戦いでは、犠牲を出さないことを考えて戦えていたからだろうか?
「……鳳翔はんも、同じ気持ちなんかなぁ……」
気持ちが自然と口から零れる。
絶対に誰にも聞かれないという安心からなのかもしれない。
司令官を含め司令部要員達は全員が艦橋に待機しており、甲板上にいるのは自分一人だ。
艦載機たちも戦闘機たちは直掩として、艦攻や艦爆も上空へと退避させる為に発艦させたので、甲板上には勿論、格納庫内にも航空機は一機もいない。
敵の攻撃を凌ぎ切った後で攻撃隊に装備させる為の爆弾や魚雷は、エレベーターで即座に上げられるように準備はしてあるが、まだ艦内である。
多くの空母では飛行甲板の更に上へと設置されている艦橋も、龍驤の場合は艦の前方に設置されている為、文字通り遮るものの無い光景が彼女の視線の先に拡がっていた。
どこかガランとした、物寂しげな風景。
だが龍驤としては、逆にその風景に安心感のようなものを感じられた。
とにかく誘爆しそうなものは一切ないのだ。
空母にとって最も危険なものといえば、艦載機とそれに搭載される爆弾や魚雷なのである。
敵艦を容易に沈めるそれらが誘爆すればどのような結果が何をもたらすか……考える余地もない。
たとえそれが飛行甲板上であったとしても、爆弾や魚雷の誘爆は航空母艦そのものに致命的な損害をもたらすのである。
船としての機能に支障が無かったとしても飛行甲板が使えなくなれば、空母としての能力は失われてしまうのだ。
無論、艦内の格納庫には攻撃隊が搭載する為の爆弾や魚雷が多数積み込まれているし、それらが誘爆しなかったとしても敵航空機が搭載しているであろう魚雷や爆弾はそれ単体で龍驤の船体を沈められるだけの破壊力を持っている。
それでも、僅かとはいえ危険は減少しているのだ。
そしてその僅かが勝敗を左右する事がある。
勝利と敗北は全く異なる部分を多く持ってはいるが、それを分ける事になる要因は時に些細なものだったりするのだ。
そういう意味では、攻撃隊も上空退避させているというのも大きかった。
仮に自分が航空機の運用が不可能なほど傷付いたとしても、鳳翔さえ無事なら何とかなるのだ。
自分の船体が完全に破壊されれば墜落するしかないが、中破や大破程度に凌ぐ事さえできれば、何とか鳳翔に着艦させられるかも知れない。
新城に問われ素直に自分の意見を口にはしたが、いざその場に立つと……思った以上に自身が吹っ切れている事に龍驤は気付いた。
とにかく、自分ができるだけの事をやるしかないのだ。
それでダメだったとしても、巻き添えにするものは少なくて済む。
既に発進し味方の対空砲火が届かない位置で警戒を行っていた船体の零戦隊から、敵航空隊を発見したとの報が届けられた。
高高度を飛行する機体だけでなく、海面近くの低空を飛ぶ敵機も発見したようである。
敵部隊の規模はヌ級に比べれば大きいが、敵の全航空隊という訳ではなさそうだった。
通信を聞く限り、敵航空隊は通常のヲ級が操る部隊と考えて間違いない。
恐らく敵は部隊を2つに分けたのだろう。
龍驤はそう判断した。
通常のヲ級の操る航空隊を攻撃隊として出撃させ、もう一方のeliteかflagshipの航空隊は温存するか、此方のように艦隊の直掩として使用しているのだ。
推測でしかないが、大きな間違いは無い筈である。
「まあ、いきなり本命と当たらん言うんは、ちょっち気ぃ楽やけど……」
内心安堵はしたものの、龍驤の内には同時に残念という気持ちも湧き上がっていた。
今回の攻撃、敵の第一波(第二波があると仮定しての呼び方だが)は凌ぎ易いのだろうが、もう一隻の、敵艦隊の旗艦と推測されるヲ級の力は不明のままなのである。
戦闘機隊からの通信が入った。
戦闘機同士のぶつかり合いは零戦隊が優勢だが制空権を完全に確保するには至らず、敵攻撃隊は被害を出し隊形を乱しはしたものの、撤退はせず艦隊に向かってくるようである。
零式艦上戦闘機は優秀な機体ではあるが、敵戦闘機は数で此方を大きく上回っている。
仮に制空権を確保できる程の状況だとしても、敵戦闘機隊に加え攻撃隊まで完全に抑え込むというのは不可能だろう。
通信を味方へと伝え上空を警戒しつつ、龍驤はちらりと鳳翔の方を見た。
最初はある程度の距離を置いて並走するようにして航行していた鳳翔の船体は徐々に後方へとずれ、その両側を護衛の駆逐艦が守るように移動している為、現在は斜陣のような位置取りとなっている。
船体の航行速度が異なる為だ。
とはいえ回避性能等においては両者に大きな隔たりは無い。
耐久力や装甲に関しては龍驤の方が優れているが、それは彼女らの誕生する切欠になったと推測されるかつて日本海軍に存在した航空母艦、鳳翔と龍驤の性能に起因しているという事なのだろう。
もしそうであるならば、終戦まで健在だったという鳳翔の存在が、艦娘である鳳翔に何らかの力を与えているとも推測される。
「各艦、艦載機を発見次第対空戦闘開始! 敵か味方かは心配せんでエエで!」
「了解デース!」
「了解した」
「……了解」
僚艦からの返事を確認しつつ龍驤も艤装と船体の対空機銃を稼働させた。
船体は勿論だが、艤装の方にも高角砲や機銃が装備されている。
空母という事もあって巻物と式符の方が注目されるが、彼女の脚部や腰部、肩から首回りにかけて装着された艤装には、対空射撃を行う為の基本的な火器が装着されているのだ。
とはいえそれらも総動員したとしても、龍驤上空を完全に網羅するのは難しい。
だからこそ狙いを付け難くするための動きも重要なのだ。
船体の動きを一定ではないように、敵機に動きを読まれないように変化させる。
不規則に舵を切り進路を変更しつつ、増速と減速も動きの中に織り交ぜてゆく。
通常と比べて燃料を多く消費する上に、機関にも過剰な負担をかける、戦闘時にしか行わない動きだ。
その最中にも無線から鳳翔の声が響き、望月と初雪が鳳翔の船体両脇を固めるように速度を調整していく。
望月と初雪の船体に追加装備されている対空機銃が、ゆっくりと空へと向けられた。
25mmの連装機銃は遠目からでも存在感があって、随分と頼もしげに感じられる。
(「鳳翔はんの事、頼むな」)
誰にも聞かれないと分かってはいても口には出さず心の内で呟いたところで、機関の音を打ち消すように銃声が響き渡った。
「……敵機、確認。対空戦闘、開始」
弥生の言葉に続くように、銃声が次々と響き、上空へと無数の銃弾が撃ち上げられてゆく。
龍驤も対空射撃を開始しながら、周囲にも意識を向けた。
編隊を組んでの爆撃や急降下爆撃も怖いが、低空を飛行して侵入してくる雷撃機から放たれる魚雷は、攻撃力で考えれば最も危険なのである。
破壊力は勿論だが損傷を受けるのが喫水下というのが問題なのだ。
浸水を止められなければそれだけで艦は沈没する危険があるし、爆発の衝撃が空気中と比べて周囲へと拡散し難い為、水上よりも強烈な衝撃を受ける形になるのである。
バブルパルス等の研究が今ほど進んではいなくとも、文字通り必殺の兵器だったのだ。
落下してくる爆弾に比べれば速度は格段に遅いが、巨大な船体は急に向きを変えたり停止したりする事ができない為、進路を予測されてしまうと回避する事は極めて難しくなる。
とはいえ逆に航空機ではあっても敵が攻撃を仕掛けてくる方角は推測し易い。
龍驤は勿論、彼女を護衛する3隻、弥生、長月、金剛らも、その事は十分に弁えていた。
上空へと対空砲火を浴びせながら、4隻は陣形の側面を警戒し、敵雷撃隊の出現を待ち受ける。
現在の陣形の見た目は鳳翔たちまで含めると梯形陣のようではあるが、龍驤達のみで考えると単横陣に近いかも知れない。
さほど時を置かず、水平線上に動く物体を発見した長月が警戒の報を皆へと発した。
前のヌ級を主力とした機動部隊との戦いの際は弥生や長月には少々のぎこちなさがあったが、今の2人の動きは見る限り迷いのようなものは感じられない。
これまでの経験を充分に活かしているという事なのだろう。
金剛に関しては言うまでもない。
(「ホンマ、頼もしいわ」)
戦いの最中であっても、何か安堵するような気持ちが湧き上がりそうになる。
それを抑え、気持ちを引き締めるようにして龍驤は上空と水平線を船体と自身の意識を使い分けるようにして警戒した。
前回とは違い敵攻撃隊に護衛の戦闘機が付いていた為、先日の戦いと比べると艦隊上空へと到達する機体は多い。
対空砲火だけでは不足すると考えて、龍驤は艤装の戦闘機を迎撃に向かわせた。
小型とはいえ味方の対空砲火で撃墜される危険もあるが、それで使用を控えて被弾するような事になれば、後悔してもし切れない。
龍驤からの指示を受けた小型の零戦たちは、龍驤上空へと侵入してくる敵艦載機たちに、3機ずつの編隊を組んで襲い掛かった。
撃墜できればそれに超した事は無いが、第一の目的はあくまで敵機を攻撃地点へと到達させない事である。
それでも1機が狙いを定めたらしく降下を開始した。
対空砲火を続けつつ、龍驤は船体の舵を切る。
敵の艦載機から離れた何かが勢いを増しながら迫ってきて……そのまま近くの水面へと飛び込んだ。
轟音と共に大きな水柱が上がる。
衝撃のようなものが伝わってくるが船体への損傷は無かった。
爆撃を行った敵艦載機は上昇を開始したところで不意に動きを遅くした後、向きを変えながら爆発した。
対空砲火か艤装の艦載機か確認し切れなかったが、攻撃を受けて撃墜されたのだろう。
更に別の2機が上空へと侵入してきたので龍驤は意識を其方に向けた。
周囲の海面の方は護衛の3隻に任せる事にする。
ちらと見た限り、金剛が主砲を活かして上手く水柱を作る事で雷撃機の動きと視界を封じている様子だった。
そちらは信じて問題ないだろう。
敵艦載機が危険なコースに入れば通信を入れてくれるはずだ。
零戦の迎撃を潜り抜けた敵攻撃機が、再び上空へと侵入してくる。
編隊を何とか維持するようにして飛行する3機が、ほぼ同時に爆弾を投下する。が、こちらも幸いと言うべきか近くの水面に水柱を作っただけだ。
一発がかなり近かった為に僅かに船体が傷付いたが、損傷は微々たるもので戦闘には全く影響はない。
そのまま龍驤は上空を警戒しながら航行を続けたが……その後、上空へと侵入してくる敵機は無かった。
ほぼ抑え切ったという感じもあるが、実際のところはギリギリだったと言えるだろう。
数mずれただけで船体に命中していたと思える至近弾もあったのだ。
龍驤も鳳翔も、例えば加賀のように攻撃を受けてそれを耐えるという事は難しい。
絶対に無理とは言わないが、船体の強度も大きさも違うのだ。
その辺りも、かつての軍艦として存在した同名の艦艇の能力に関係している。
最初から航空母艦として設計、建造された自分たちと、戦艦として計画され空母へと変更された加賀では、同じ航空母艦とはいえ様々な点で違いがあるのだ。
そもそも軍艦としては同じ航空母艦だったものの、艦娘としての艦種では『正規空母』とされる加賀に対し、鳳翔や龍驤は『軽空母』という艦種に分類されているのである。
整備や補給、修理に使用する資源等は比較的に少ないが、艦載機の搭載能力を含め純粋な戦闘能力等において劣る形になるのだ。
経験と技術を活かして避け切ったが、もし一発でも被弾していれば……それだけで艦載機の運用能力を喪失していたかも知れない。
それでも、艦が直接関わる事であればある程度は何とかなるが……艦載機同士の戦いとなると如何にもしようがない。
攻撃機も戦闘機も、これまでの戦いで徐々に数を減らしているのである。
制空権の争いも、優勢ではあったが完全には押し切れなかった。
もしもう1隻分の艦載機が戦闘に加わっていたら、戦闘機隊は圧倒的に不利な戦いを強いられた事だろう。
場合によっては制空権を完全に喪失して敵攻撃隊の総攻撃を受けていた可能性もあるし、上空へと退避していた艦攻や艦爆が発見され多大な損害を受けていたという可能性もあったのだ。
2隻で無かったとしても、攻撃隊を出したのが通常のヲ級でなかったら自分か鳳翔のどちらかくらいは目に見える形での損害を出していた可能性がある。
今回は迎撃に成功したが次はどうなるか……いや、次回は恐らく此方が不利になる可能性が高いといえる。
敵艦載機の姿は見えなくなったが、全滅した訳では無い。
攻撃を終えるか攻撃態勢に入れずに撤退した機体も多数いた筈だ。
それが帰還し、交代でもう1隻から攻撃隊が出撃する事だろう。
あるいは残存の航空戦力を纏め、それに新たな戦力を追加する形を取るかも知れない。
今回の戦闘で敵はこちらの戦力を充分に確認した筈だ。
戦闘機は直掩として一部を残すだろうが、全力で叩くと判断するのであれば……今回の攻撃で残った攻撃機達は全て、二次攻撃に参加してくる事だろう。
戦力の温存という目的以外で艦攻や艦爆を出撃させない事に、大きな意味は無い。
その総攻撃に、耐えられるだろうか?
どれだけ楽観的な表現であっても……極めて難しい、と表現せざるを得ない。
「その前に……やるしかないわな」
司令官へと報告する為に正確な残存機数を確認しようとした時、通信が入った。
「鳳翔の稼働可能機数、報告致します。九九艦爆7機、零戦二一型12機、九七艦攻4機。計23機です」
「お疲れさん。ウチは零戦二一型6機、九七艦攻11機、九九艦爆2機の計19機やね」
「とすると、艦隊護衛は龍驤さんの6機にお願いですか」
「残り全部で攻撃隊か」
最初は龍驤43機、鳳翔42機、計85機が機動部隊の総戦力だった。
今は2隻合わせて42機。
母艦に損害は無いといっても、実質的な戦力は半減してしまっている。
被害は艦爆と艦攻の方が当然多い。
85機の内訳は、零戦25機、九七艦攻36機、九九艦爆24機だったのだ。
現在の内訳は、零戦18機、九七艦攻15機、九九艦爆9機。
艦上攻撃機は半減以上、艦爆に至っては三分の一に近い程度にまで減少してしまっているのである。
そこから艦隊上空の護衛として龍驤の零戦6機を引いた36機が、攻撃隊の総力となる。
無理に分割すると指揮系統などで混乱する可能性もあるので、両艦から数機ずつ等とはせずに一部隊をそのまま当てた方が動かし易いのだ。
「後は艤装の零戦に頼る感じかな? ウチは今ので1機撃墜されたけど、鳳翔はんは?」
「こちらは大丈夫です。16機健在……とは行きませんが、損傷は軽微で全機戦闘可能です」
艤装とはいえ24機の二一型も防空を担当できるとなれば、かなりの戦力と言えるだろう。
念の為に甲板上に位置したまま、龍驤は無線で艦橋にいる司令官へと此方の残存戦力と攻撃隊の編成を報告した。
あっさり過ぎる程にあっさりした新城の了解に何となく苦笑いしつつ、上空の艦載機たちの状態を確認する。
敵攻撃隊と接触しなかった為、艦攻隊と艦爆隊の方には損害は無く、墜落しそうな機体というのも当然というべきか存在しなかった。
戦闘機隊の方には撃墜された機体はあるものの、現時点で損傷によって墜落しそうな機体というのは存在しない。
墜落したものの無事だった妖精の方も駆逐艦達が救助を行ってくれたようだ。
船体を出している状態では移動が難しいので、機を見て金剛経由で此方に送り届けてもらう形になるだろう。
結果として着艦に緊急を要する機体が無かった為、各機には艦攻隊艦爆隊の順で着艦態勢に入らせていた。
機体数が少ないというのは攻撃の事を考えれば苦しくはあるが、全機を換装する為の時間が少なくて済むというのは利点と言えるかも知れない。
爆弾や魚雷は既にエレベーターで飛行甲板上へと運び始めており、妖精たちが忙しそうに作業を開始している。
これから着艦と換装、発艦という順番で飛行甲板での作業が始まるのだ。
換装を終えた状態で格納庫に待機させていれば順次飛行甲板に運んで発艦させるだけで済む訳だから、上空退避というのは作業だけ考えれば面倒なのかも知れない。
敵戦闘機隊に発見され襲撃を受ければ損害も発生していた事だろう。
それでも、龍驤には今回の判断を非難しようという気持ちは欠片も無かった。
この対空戦闘が始まる前の気持ちを覚えているからだった。
勿論、新たな司令官を仰いでからこれまでの蓄積というものもある。
龍驤から見た新城は油断のできない上官ではあったが、従うのに吝(やぶさ)かではないと思わせるものを持っている司令官でもあるのだ。
少なくとも絶対に、悪い司令官ではなかった。
鳳翔も恐らくは同じ気持ちだろうと推測する。
(「や、鳳翔はんの方が、今は信頼してる~って感じ強い気ィするわ」)
「最初は何か、ヘンな距離感あったけどな~?」
お節介しといて良かったな~などと考えている間も、龍驤は周囲への警戒を怠りはしなかった。
空母にとって艦載機の着艦時と発艦時というのは特に危険な、攻撃を受けやすい状態なのである。
発着艦を容易にする為に、母艦は速度を一定にした上で可能な限り直進し続けるのだ。
進む方角も風向きを考えて決めるので、兎角狙いを定め易いのである。
対策は一秒でも早く襲撃者を発見するという当たり前のものしか存在しない。
もう一つは、可能な限りその時間を短くするように努めるという事だ。
機数が少なくなったのを幸いと表現するのは少々ではなく寂しくあったが、作業の方は然程の時間を要する事なく完了した。
もっとも、作業時間が短縮されたのは悲観的なもの以外にも理由がある。
鳳翔や自分もそうだが、妖精たちの方も作業などに慣れてきているなというのが龍驤が受けた印象だった。
艦娘の技量というものは、協力してくれる妖精たちの力でも大きく左右されるのだ。
こと龍驤という艦に限るのであれば、龍驤としては妖精たちに対しても、共に苦難を乗り越えてきた戦友という意識がある。
その戦友たちを、これから送り出さねばならないのだ。
それでも……機体の不調で飛び立てないよりは良いのだろうかとも考える。
かつて、艦娘ではなかった頃……アリューシャン方面へと向かった時は、冷気でエンジンの調子が悪い艦載機が出たりもした。
艦娘となった今は、そういう事はない。
損傷を受けた機体以外は、全機の出撃が可能なのだ。
妖精たちの力というのが大きいのだろう。
妖精たちがしっかりと整備してくれているというのもあるが、以前の整備員たちも懸命に機体の調子を整えてくれていたのだ。
沢山の想いを込めて整備を行い、空へと羽ばたく荒鷲たちを共に見送ったのだ。
素直に帰ってきてくれと願う者もいれば、壊されたらまた苦労させられるなどと皮肉を言う者もいたが、根っこでは……皆の想いは同じだったように思う。
いや、自分がそう想いたいというだけだろうか?
発艦を完了した両艦の攻撃隊から、上空で編隊を組み終えたとの通信が届く。
「さあ、仕切るで?」
何かを振り払うように、そして……1機でも多く、戻ってきてくれと願いを籠めながら。
龍驤は妖精たちに通信を送った。
「攻撃隊、発進!」