皇国の艦娘   作:suhi

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鈍色の下で 一

●鈍色(にびいろ)の下で 一

 軽空母ヌ級を主力とした敵機動部隊を撃破した艦娘部隊は、第一艦隊と第二艦隊を合流させ直ちに南下を開始していた。

 目的地は前拠点である泊地より更に南西に位置する港湾施設である。

 船体を展開しているのは龍驤と鳳翔のみで、その周囲を艤装のみ展開した4隻の駆逐艦たちが交代で警戒しているという状態だった。

 陣形は2隻を中央に置いた輪形陣である。

 既に陽は暮れ航空機の襲来は無いが、潜水艦の待ち伏せには警戒しなければならない。

 加えて敵の水上打撃部隊や水雷戦隊が危険を冒して追撃してきているという可能性も、極めて低いとはいえ否定できなかった。

 艦隊内で最も低速である鳳翔の速度を基準として考えた場合、敵の水雷戦隊であれば距離を詰める事は決して不可能ではないのである。

 可能な限り損害を抑えた形で敵部隊の撃滅に成功した以上、不用心な形で被害を出す訳には行かないのだ。

 

 船体を操る龍驤や鳳翔は勿論として、周囲を固める駆逐艦達にも油断は無かった。

 もっとも、その顔には流石に疲労の色が浮かんでいる。

 駆逐艦達には何とか交代で短時間の休息を取らせているが、それ以外の者たちは戦闘後これまで休息らしい休息をしていないのである。

 とはいえ警戒を緩められるような状況でない以上は仕方が無いと言うしかなかった。

 僅かでも警戒を緩めようとするのであれば、少なくとも目的地である港へと辿り着かなければならないのだ。

 無論そこが絶対に安全とは言えないが、少なくとも現海域よりはマシな筈である。

「……ま、そこまで行ったら有給休暇でも貰いたいトコやね」

 疲れが滲む顔にそれでも冗談めかしたものを浮かべて、龍驤が呟いた。

「この作戦が終わったら、僕も是非とも頂きたいものだ」

 艦橋内の机上に地図を広げて考え込んでいた新城も、わざとらしく肩を竦めながら口にする。

 彼自身も考え事が増えるばかりで休む暇は無いため、険の浮かんだ顔は気の弱い者ならば逃げ出したくなるような有様だった。

 無論龍驤にそれを気にする様子は欠片も無い。

 他の司令部要員達も大体は似たようなものである。

 副官を含めた3名は、本土へと送る為に先刻の戦闘の状況を疲れ切った顔で纏めていた。

 どこか殺伐としていながら和んでもいるような……張りつめていた糸がそれ故に弛んでしまったような……独特の雰囲気が、艦橋内には漂っている。

 

「提督、そろそろ護衛の子たちは交代の時間ではないでしょうか?」

 そんな空気の中で、無線から鳳翔の声が響いた。

 彼女自身もかなり疲れている筈だが、少なくとも声の方にはそれを感じさせるものは無い。

 新城は了解を返した後、艦橋内で待機していた吹雪へと視線を向けた。

「現在は第一艦隊の4隻が護衛中、交代は第二艦隊の自分含め吹雪型3隻と金剛さんになりますが……本当に宜しいのでしょうか?」

「本人が問題ないと言っており僕が許可した以上、責任は全て僕にある。君が心配する事は、何も無い」

「了解しました。それでは自分が指揮を取らせて頂きます。先頭は私、吹雪が担当します。白雪、磯波両名が陣形の左右両面を警戒。金剛さんには後方を警戒して頂く形で考えています。金剛さんの方が戦艦故に対潜警戒が難しい事、敵の追撃部隊が現れた際に即座に対応して頂く場合、最後尾が良いのでは考えての配置です。追撃が艦であろうと航空機であろうと、金剛さんでしたら即応できるのではと……」

「問題ない」

 緊張した面持ちで発言する吹雪に向かって、短く言いながら頷いてみせる。

 ありがとうございますと口にしてから、吹雪は言葉を続けた。

「第二艦隊分隊旗艦・三日月含め休止中の4隻、卯月、文月、如月は待機状態に入ります。自分たちと交代で、第一艦隊の4隻、弥生、長月、望月、初雪が休止に入ります」

 もう一度新城は頷いてみせた。

 礼を解いた吹雪が第一艦隊へと通信を送る。

 

 警戒に当たっていた第一艦隊の者達が龍驤の船体へと登り艤装を収納したのを確認すると、吹雪を含めた4隻が艤装を展開し夜の海へと出撃していく。

 短時間とはいえ護衛が居なくなるのは危険ではあるが、艦娘に対する深海棲艦の探知能力を警戒しての行動だった。

 警戒中に4隻が艤装を展開すれば、短時間とはいえ計10隻の艦娘が纏まって動く形になってしまう。

 警戒態勢を崩さぬようにというのであれば収納と展開を一隻ずつ行うべきなのだろうが、新城は作業を簡略化する事を優先した。

 潜水艦による待ち伏せへの対処としては、交代の合間だけ鳳翔と龍驤に直進を避けてもらう事で十分だろうと考えたのである。

 空母たちの方は如何にもしようがないが、駆逐艦達の方はせめて少しでも疲労を軽減させたい。

 警戒を緩めるべきではないが、それでも可能な限り作業は省略したい。

 そう考えた結果だった。

 何より、また夜が明ければ万一の空襲に備え神経を尖らせる必要があるのだ。

 敵機動部隊を撃滅したからと言って、それが敵にとっての唯一とは限らないのである。

 寧ろ主力を追撃する為の戦力であれば、より強力なものを待機させている筈だ。

「御苦労、休め」

 帰投した4隻に短く言うと、望月と初雪が最低限という様子で敬礼をし艦橋から退出していった。

「自分はまだ大丈夫だ」

 疲労を滲ませながら長月が口にし、弥生は無言で新城を見上げている。

「明日の昼になっても同じことが言えるか?」

 僅かな諧謔味をこめた口振りで新城は尋ねた。

 不服そうだった長月が、不敵な笑みを浮かべると敬礼する。

「了解した、休ませてもらう」

 そう言って彼女も回れ右をした。

 弥生の方は相変わらず無言で新城を見上げたままである。

 同じく無言のまま視線を向けた新城は、少し間を置いて頷いてみせた。

「……失礼、します……」

 敬礼した弥生が、背を向ける。

 入口で待っていた長月が、その肩を軽く叩くと促すように背に手を当てた。

 そちらに目を向けた新城の視界の隅に、龍驤の姿が映った。

 何か可愛らしいものでも見たとでも言いたげに新城へと視線を向け、感に堪えぬという表情を浮かべている。

 不満げに眉を歪める仕草でそれに応えると、彼女は肩を竦めるような仕草をして、司令部要員の2人へと視線を転じた。

 2人はそれぞれ、楽しげな苦笑と優しげな笑みでそれに応える。

 副官の青年の方は気付かなかった様子で、瞬きを何度もしたりこめかみを揉み解したりしながら紙の束を眺めている。

 歪めた眉の強張りを冗談めかした表情でほどくと、新城は再び机上の地図に視線を移した。

 

 実際に考えている事は、進路やこれからの戦いだけではない。

 日が暮れる前に偵察の艦攻がもたらした情報や、敵艦隊を壊滅させたのちに確認された駆逐艦如月の事等、考える事は多岐に亘(わた)っている。

 他にも考える事はあるが、先ず順序立てて急ぐべきものからという形で新城は結論を出していった。

 稼ぐべき時間は更に1日減って、残り4日間である。

 とはいえこれからは更に、1日1日が長く感じられる事だろう。

 5日目まで何事も無かったのに……この1日だけでどれだけの事があっただろうか?

 

 

 思い返した新城は、周りに聞こえないようにもう一度溜息を付いた。

 発見した敵機動部隊は殲滅させた。

 だが敵の戦力はそれだけでは無いのである。

 偵察に向かった艦攻からの報告によれば、泊地は爆撃だけではなく砲撃による被害も受けた様子だった。

 それを裏付けるかのように、戦艦ル級を含む水上打撃部隊が泊地付近で確認されている。

 ル級1隻、リ級2隻、他は少なくともそれより小型艦ではあるが、総数は6隻との報告だ。

 この敵艦隊は泊地に此方が居なかった事を直接の襲撃によって確認している筈である。

 加えて敵機動部隊は全滅させたものの、敵が此方の事を味方に連絡している時間は充分にあった。

 ならば、此方の大まかな動きは察知されてしまっていると考えた方が良い。

 泊地を攻撃した部隊は航空戦力は持っていないようだが、戦艦と重巡がいる以上、複数の偵察機を持っていると考えるべきだろう。

 多少の時間は掛かるかも知れないが、此方の動きを確認するなり推測するなりして、南下を開始するはずだ。

 仮に此方の動きを確認できなかったとしても、此方の主力、撤退中の友軍に攻撃を行うべく戦線を押し上げようとする……つまりはやはり南下してくる事だろう。

 それが何時(いつ)になるかは分からないが、遅くとも時間稼ぎの期日中には襲来するのは、ほぼ間違いなかった。

 戦艦であるル級が編成されているとはいえ、それで期日を超えてくれるとまでは新城には思えなかった。

 如何するべきか?

 考えはしても結局の処、取れる戦法は一つしか無い。

 艦載機を使用した只管(ひたすら)の撹乱。

 それしかないのだ。

 空母を除けば此方の戦力は殆んど駆逐艦のみなのである。

 夜戦となれば戦艦や重巡を沈める事も可能だろうが、無論こちらが沈められる可能性もある。

 そして距離を容易に詰められない昼間となれば……仮に龍驤と鳳翔以外の全艦をぶつけたとしても、恐らくは勝負にならない。

 

(「それでも……少しは戦力的には救われるのかな」)

 輸送部隊からの通信を思い出しながら、新城は考え込んだ。

 通信の内容は艦娘部隊に所属していた……いや、現在でも所属している艦娘の消息についての報告だった。

 北方海戦からの撤退時に逸(はぐ)れる形となっていた重雷装巡洋艦の大井が輸送部隊の駐留していた港へと到着したという内容だった。

 艦長の方は撤退時に負傷し衰弱していたが命に別状は無く、大井の方は本体艤装、船体共に健在との事である。

 その報告は新城にとって朗報だった。

 重雷装巡洋艦の大井は、元々新城の所属していた艦娘部隊の第五部隊所属の艦娘である。

 一時期は旗艦にも就いていたが、海戦の前にはその役割を駆逐艦の如月に譲っていたのだ。

 水上偵察機を搭載できないとはいえ、その点に関しては天龍型の2隻も条件は同じである。

 味方を率いる旗艦より雷撃を専門に行う攻撃艦として突撃する方が、能力的にも本人の性格的にも合っているから……という話を新城は以前に聞いた事があったが、実際のところはそれだけでは無い様子だった。

 彼女の性格や態度が隊の指揮官である大尉と合わなかったのではという話を新城は聞いた事がある。

 本当のところは如何か分からないが、噂というのはそれらしさがあるからこそ広まるという処があるのだ。

 無論事実と正反対であり、だからこそ人々が想像力を掻き立てられ望み願うという形で広まる噂が存在するのも現実だが……こと大井に関しての噂の方は、前者の方が正しいのではと新城としては考えていた。

 

 実際、重雷装巡洋艦の大井は俗な表現をするのであれば『癖の強い』性格をした艦娘と言えた。

 新城としてはそういう処に寧ろ好感を抱くというか安心できるのだが、そう考えない者もいるだろうという事を彼自身も了解している。

 自分の好感の抱き方というものも捻くれているだろうという自覚もあった。

 新城としては艦娘達に対して、嫌悪や差別意識的な認識も感情も持ってはいない。

 一般人だけでなく軍人の一部にもそういったものを持つ者は存在するが、彼自身は寧ろ逆と呼んでも問題ないような感情を艦娘達に対して抱いているといえた。

 そしてそれこそが、彼の心を蝕む要因の一つとなったのである。

 艦娘達の多くは純粋で献身的な性質の持ち主だった。

 そういった者たちと接すれば接するほど、そうでない者は自身の不純さを認識せざるを得ない。

 新城を蝕むのはそういった感情だった。

 それから目を逸らすという事は彼にはできなかった。

 恥というものを知っているが故だった。

 それ故に彼の長所は彼の短所を責め続けるのだ。

 そういった感情を緩ませてくれるものの一つが、彼にとっての大井という存在だったのである。

 艦娘と言うのも人間と、例えば自分と大して変わらぬところがあるのだ。

 そう感じさせてくれる存在が、彼から見た大井という重雷装巡洋艦だった。

 つまりは共犯者意識めいた感情を抱いていたという事なのかも知れない。

 自らの責務を疑わず、命すらも懸ける。

 そういった点を彼女も持ってはいるようだったが、装いながらも本音を漏らしたり蔭口のように不満を口にしたりする姿は、新城から見れば新鮮で安心のできるものだった。

 新城のそういった心内を理解せず、彼女がいてくれた方がやり易いという結果部分だけが一部に伝わった結果、新たな鎮守府を設立する際、秘書官とは別に大井を配属させてはという動きが起こる訳だが、その点に関しては彼に責任は無いだろう。

 実際、単純に戦力的に考えても、重雷装巡洋艦の存在は大きいと言える。

 現在の新城達の置かれた立場においてもそれは同様だった。

 航空攻撃による遅滞戦術を続ける限り戦力とするのは難しいが、敵艦隊に接近されれば強力な雷撃は勝敗を分ける鍵となる筈である。

 とはいえ逆に考えれば、此方に戦力として加わる以上それだけの力を持つ艦を消耗戦力として使い潰す事になる可能性は高い。

 しかも彼女は此方に合流したのではなく、偶然とはいえ輸送部隊と合流したのである。

 そのまま輸送部隊と共に本土に向かわせるべきか、それとも此方と合流させるべきか?

 彼女の能力を基に新城は様々な考察と推論を重ね、部下達や金剛を始め龍驤や鳳翔、吹雪らにも意見を聞きはしたものの……結論を出せなかった。

 当然と言えば当然と言える。

 此方の戦力が確定していても敵の戦力が把握できていない以上、方程式など成り立つはずがないのだ。

 

 そんな当たり前の事にすら気付かず悩み続けた自分に気付いて、どうしよもない自虐的な笑みを浮かべた後……新城は暫し考えた上で、一先ずの結論を出した。

 先ず、輸送部隊の護衛が十分かを確認した。

 自分たちの存在がある以上、輸送部隊が敵の主力部隊に攻撃される可能性は低いが……遊撃隊や逸れた深海棲艦の襲撃ならば、絶対に無いとは言い切れない。

 加賀と駆逐艦4隻の計5隻編成である以上、仮に大井が合流したとしても計6隻となるので深海棲艦達から察知される可能性も然程大きくはならない筈だ。

 重雷装巡洋艦という艦種は守りには向かないだろうが、それでもいないよりは余程に役立つ筈である。

 もし護衛が不安というのであれば輸送部隊に編入し、現状の戦力で十分というのであれば施設で待機し、此方に合流してもらう。

 新城はそう結論を出した。

 確認の為の時間は短いもので、輸送部隊からは直ぐに護衛は現状の戦力で十分との返答があった。

 それを受けて新城は、大井の特別艦隊への編入、正確に言うのであれば復帰を決定した。

 艦長の方はそのまま加賀の方に移乗させ、撤退させる形をとる。

 逸れていた艦が原隊に復帰するというだけなので、手続き等は必要なかった。

 港湾施設に到着するまでの状況の確認等で書類を作成する形になるのかも知れないが、それらは実際に合流してからか今回の作戦を終えた後の事である。

 

 大井の合流という一件は、それで解決した筈だった。

 新城の内に何かが沸き上がったのは、その直ぐ後である。

 護衛が必要なくて何よりだった……そう考えた時、彼の内に疑問が湧いたのだ。

 護衛が不足するはずがない、護衛が更に必要だとは言えない……そう考えた上で、自分は体裁を整える為にそういった質問をしたのではないか?

 此方に組み込むことを前提とした上で、体裁を整えるようにそう発言したのではないか?

 そんな想いが、ふと浮かんだのだ。

 実際にはそれは、如何でも良い事だった。

 いや、反感や反論を避ける為というのであれば、寧ろ必要な事だった。

 合流できた戦力を、念の為に後退する味方の護衛として必要があるか確認したのち、足止めの艦隊へと復帰させる。

 如何考えても、責められる要因は無い選択である。

 何一つ、問題など無かった。

 にも拘らず、彼の内には……小さな、漣のような何かが立っていた。

 自分の内にそんなものが残っていようとは。

 

 そこまで考えて、新城は苦笑した。

 自分の内に存在する何かに対して笑いがこみ上げてきた訳では無かった。

 現状のような状態で、実際的ではない……観念めいた、哲学めいた何かを考えている自身が、妙に可笑しくなったのだ。

 今までの自己を分析するのであれば……目の前に迫った恐怖や死の危険から目を逸らそうとして自分はそういった事を考えるのではないか、との結論が出されている。

 つまりは今、状況は落ち着いている……寧ろ悪くない状況で進んでいるように思えているが、自分にはそうでもないと感じられている、という事なのだろうか?

(「……どうかな?」)

 新城としては逆に、状況が好転したからこそなのではないかと考えていた。

 悲観的に考えていたが故に、偶然のような形で自分に有利な事態が起こる事に対して警戒している……という可能性が、ひとつ。

 もうひとつは、これまでの状況が実際には絶望的で、思考の外では割り切っていたのに……生き残れる可能性が出てきた途端、死について実感し始めたという可能性である。

 それ故に、自分とは直接関係のない事を考え始める。

 ……もちろん、本当の処……などというのは解りはしない。

 結局は推測でしかないのだ。

 自分自身の事であっても、なのか?

 それとも、自身の事だからこそ……なのか?

 どうであれ自分が自身の死というものを恐れ、それを直視したがらないというのは……おそらくは真実なのだろう。

 変わらないという事が悪い事だとは思わないが、正直……うんざりという気持ちは、どうしもないくらいに自身の奥底に沈殿している。

 結局は同じような事を繰り返しているのだ。

 自分は全く進歩していないという事か?

 いや、それでも……退化まではしていないであろうという事を、慰めとするべきなのだろうか?

 それとも、人生などと呼ばれ御大層な表現をする代物は……

 結局のところ、同じ事の繰り返しでしかない……という事なのか?

 

 

 

 南西方面へと後退するのみであった為か、翌日となっても何事も起こらなかった。

 敵も南下しているのだろうが、此方からの襲撃を警戒しながらであるのならば……当然追い付かれる可能性は低くなる。

 重巡や軽巡、駆逐艦等の高速の艦艇を先行させるのであればそれでも距離を詰められる可能性はあるが……敵は戦闘となった場合の事を考えて、戦艦の速度に合わせて南下しているのかも知れない。

 もしそうであるとするのならば、寧ろ互いの距離は離れている筈である。

 とはいえ此処からはそうもいかないだろう。

 何より、空襲への警戒は怠れない。

 港が近付くと、龍驤と鳳翔は新城へと許可を求めたのち、艦載機たちを港近くの飛行場へと退避させた。

 万一の艦載機の損害を恐れての事である。

 度々あるような事ではないのだが、艦娘が搭載する艦載機が船体の収納時に収納されず、そのまま水没するという事件が起こった事があったのだ。

 当然というべきか、砲や魚雷、電探等の直接船体に取り付ける装備では起きた事は無い。

 因みに水上偵察機でも発生した事はあったが、此方はフロートが装備されている事等もあって大きな損害は出なかったのだ。

 もちろん、空母と比べて搭載されていた機体数が元々少なかった事も理由の一つだろう。

 フロートがあるからと言って、全ての機が水没せずに上手く着水できた訳ではないのだから。

 因みに艦載機の方も、幾度もそんな事故が発生している……という訳ではない。

 艦娘が馴染んでいない、扱いに習熟していない艦載機の場合にそういった事故が発生する可能性があるという程度である。

 今回に関していえば、九九艦爆や九七艦攻に関しては心配ないが零戦の方に不安があった為、2人は新城の承認を得て艦戦隊のみを飛行場へと移動させたのだ。

 その辺りの作業に淀みは無かった。

 零戦隊が全機着陸したのちに弥生が船体を展開し、新城を含めて司令部要員が乗り移るのを確認した龍驤が、鳳翔と共に船体を収納する。

 第一艦隊の3隻と金剛が、それを守るように前後左右に護衛に付いた。

 万一の潜水艦への警戒、訓練も兼ねる形で、如月が金剛に同行する。

 指揮艦(指揮を執る艦娘を仮に呼称している)の長月が先頭に立ち、艦隊は警戒しながら港へと近付いていった。

 幸いというべきか必然なのか、兎も角、敵艦の待ち伏せも航空機の襲来も無かった。

 艦隊は無事に目的地へと入港した。

 輸送部隊は既に本土を目指して出港した後らしく、港内には閑散とした雰囲気が漂っている。

 少し前まで人がいたという事実が、かえって感じさせる寂しさのようなものを増幅させているような雰囲気もあった。

 物資の方は陸揚げされ、港に面した倉庫内に格納されているようである。

 そして一人の艦娘が、一行を待っていた。

「お久しぶりです! 重雷装巡洋艦大井、艦隊に復帰します!」

 上陸した新城の姿を確認した彼女は、上官へと早足で近付くと愛想良く笑顔で敬礼した。

 この態度は全く見事なもので、実際の心情はどうなのか等と推測させるようなものは、彼女の何処にも、欠片すらも見えない。

 新城は内心で笑い出したくなるのを堪えながら、真面目な顔をして答礼した。

 艦娘というものをある程度知っている者にとっては、彼女のこの態度は本心からのものだと考える事だろう。

 それは実際、完全な間違いというではない。

 ただ、それが本心の全てではないというだけだ。

 あるいは逆に世間一般の、ある程度の社交性を持つ女性を知っていて艦娘という存在について詳しく知らない者の方が、彼女に対しての理解を持つ事が容易なのかも知れない。

 考えてみれば艦娘たちの多くが、自身を装う、偽る、隠す、等という事を殆んどしないのである。

 もっともそれは、彼女たちの在り方そのものが多くの者たちの想像や願望に沿っているという事なのかも知れなかった。

 日本的な考えで言えば、付喪神とでも表現すべきなのか?

 空想的といえばそれまでだが、そもそも艦娘と言う存在自体が現在の科学では証明できていないのである。

 そういう中にあって大井という存在は、新城から見るとまことに現実の女性じみた、卑猥な表現になってしまうかも知れないが、生々しさを感じさせる存在といえた。

「全く……作戦が悪いのよ……」

 不愉快そうにそう呟きながら修理用のドックに向かっていた彼女の姿は、そして発した言葉は……それが随分と前の事であるのも関わらず不思議なほどに鮮明に、新城の脳裏に焼き付いているのである。

 人によっては気分を害する可能性も多分にあるそういった部分が、艦娘達の集団内に立ち位置を置く事となった新城にとっての精神的な癒しとなっていたのだ。

「宜しく頼む。悪いがすぐ会議に加わってくれ」

 上機嫌そうな彼の様子に、後ろの金剛が怪訝そうな表情を浮かべた。

 その金剛と、龍驤鳳翔の2人にも声をかけ、吹雪にも説明後に司令部に集まるように命じて、新城は司令部に充てられた建物へと足を向ける。

 周辺の警戒と防潜網の設置、設備点検等について説明し、自分のいない間は長月、三日月、白雪の指揮で動いてもらうようにと指示を出すと、吹雪も後を追うように司令部へと早足で向かった。

 

 

 

 彼女を見送った後、長月と三日月、白雪の3人は班分けの調整について話し始めた。

 その3人の様子を暫し眺めてから……弥生は視線を、同じ艦隊の1隻へと向ける。

 視線を向けられた如月は、それに応えるように微笑んでみせた。

 第二艦隊分隊の三日月班に所属していた如月は、現在は第一艦隊の所属となっている。

 三日月、卯月、文月の3艦と練度が大きく異なる為、艦隊の行動に支障が出ると懸念された為である。

 第一艦隊の全艦とも練度の違いはあるが、1隻が補佐に回ればと考えられ現在の編成へと変更されたのだ。

 現在は、他の者と比べて疲労が蓄積していない事、そして艦娘としての様々な活動を経験する為にという事で、所属部隊以外でも任務に就く形となっている。

 その補佐として可能な限り誰か、基本的には睦月型の誰かが行動を共にするようにと動いていた。

 弥生も実際に一緒に過ごし、色々な話をした。

 こうして顔を見合わせるのも初めてではない。

 今回だけでなく、これまでにも幾度となく繰り返された行為だ。

 彼女が編入されて以降……そして弥生自身の記憶を遡るのであれば、北方海戦に参加する為に艦娘による特別艦隊が編成されて以降、いや、もっと前から……何度も視線を交わし、言葉ではない何かを交わしてきたように思う。

 勿論それは弥生にとっての記憶であって、彼女の目の前にいる如月にとっての記憶ではない。

 艦娘という存在は同じ艦であっても複数……どころか、多数、それこそ無数に存在するものだ。

 如月という存在が複数存在する事に何の問題もないし、駆逐艦弥生も彼女以外に存在する筈なのだ。

 つまりは艦娘と呼ばれる存在は、艦の力を宿した娘ではなく……かつての軍艦たちという存在から無数に産み出された、艦の娘のような存在なのかも知れない。

 ……そんな噂話が流れるくらいには、同じ艦娘が複数存在するというのは珍しくない現象なのである。

 もちろん重複の多少というものは艦によって異なっている。

 重複どころか1隻も存在が確認されていない艦娘もいれば、多数が確認された艦娘も存在する。

 建造等に必要な資材の関係等もあるのだろうが、一般的には戦艦や空母等の大型艦の艦種は重複が少なく、逆に駆逐艦は重複する者が多い。

 とはいえそれもあくまで一般的にはという訳で、例えば重複する事が多い睦月型の艦も、弥生や卯月は今のところ重複が確認されていないのだそうだ。

 それらについての事は実際に知識として持っているし、頭では分かっているつもりなのだけれど……弥生本人としては、上手く受け入れられていないという感じがあった。

 話には聞いていても実際に経験するのが殆んど初めてと言って良い状態だからというのもあるのだろう。

 以前の艦娘部隊では、重複した艦の殆んどは艤装を近代化改修の材料として使用したり解体して資材として再利用したりした為、同じ艦が複数存在するという状態がほんの一時的にしか存在しなかったのである。

 艤装を失った艦娘は人間と殆んど変わらなくなる為、施設内で会う機会は全くと言っていいほどに無くなってしまうのだ。

 正確に言えば新城の義理姉に当たる存在と現在の第一艦隊に所属している鳳翔が同一艦であって別人なのだが、弥生が新城の義理姉に会ったのは彼女が艤装を失って時を経てからなので、彼女は加齢によって外見が既に変化していたのである。

 艤装を無くした艦娘は、人と同じように時を経て変わってゆくのだ。

 対して弥生の目の前にいる如月は、以前に同じ隊に所属していた如月と全く変わらない見た目をしていて……それでいて、別人なのである。

 

 弥生としては、新たに部隊に加わった如月を否定するような気持ちは全くない。

 ただ、傷付けてしまっているという気持ちがあって、申し訳ないと思うのだ。

 以前の如月と話した事を間違えて彼女に話してしまったり……等という事が度々あるのだ。

「気にしないで? それより、もし弥生ちゃんが良ければ……色々と聞かせて欲しいの。前にこの艦隊に所属していた、如月の事を」

 そう言って彼女が浮かべた微笑みは、以前の如月が見せた事の無い表情のように弥生には感じられた。

 無意識に、何故か、艤装の砲身に結んだ……少し傷んだリボンに、手が伸びる。

 最後にもらった、形見のような品。

 以前の彼女が浮かべる必要が無かった表情。

 申し訳ない、と思う。

 そして思いはしても……今の弥生には、如何しようも無いのである。

 戦闘での艦種の違いなどとは違う、頑張れば何とか出来たかもしれないのに……出来ない、という無力感。

 それが、たまらなく悔しい。

 そして……悔しくはあっても、ならば如何いう風に頑張れば良いのか……考えても、分からないという……何というか、情けないという自己嫌悪。

 そういうものがごちゃ混ぜになって……

「大丈夫よ、弥生ちゃん」

 そう言って如月が、引き寄せるように弥生をぎゅうっと抱きしめた。

 多くの人や艦娘にはバレないけれど、彼女には何故かバレてしまう。

 たとえ別人であっても如月である事には変わりないとでも言うかのように、弥生の考えている事を察して……彼女は自分に優しくしてくれる。

 姉らしい姉として、妹を包み込んでくれる。

「……何、で?」

「だって弥生ちゃん、顔に出るから」

 そう言って微笑む顔は、前の如月と全く変わらない。

 少なくとも弥生にはそう感じられる。

 だから、分からなくなってしまうのだ。

 どう接せば、彼女を悲しませずに済むのだろか?

 どうすれば、あんな悲しそうな、寂しそうな顔をさせずにいられるのだろうか?

 それとも……そんな方法は……無いのだろうか?

 

 

「待たせた。班分けの調整が少し長引いてな」

 長月の声で弥生はその思考を中断させた。

 互いに寄り掛かって眠りかけている望月と初雪を揺すり起こすと、彼女は弥生を含めた4人に任務に就いて説明し始める。

「望月を三日月の班に、初雪を白雪の班に一時的に向ける。残りの我々三人で設備点検を行う事になった」

「随分と思い切った変更ね?」

 如月の言葉に長月が、ああ、と頷きながら吹雪の言葉と白雪、三日月との相談の結果について説明する。

「ある程度の調整は許可されているそうなので、思い切ってという事らしい。今後の事も考えて、なのだそうだ」

「……今後の、事……?」

「司令官の方で、我々が自分たちで作戦や方針を考え実行するという行為を実践させたいという事なのだろう」

「それを……」

「全員は難しいかもしれない。それでも、出来るだけ多くが帰還し、後進たちに広めていけという事だ」

 そこまで考えているのだろうかと考えて……

考えているのかも知れないと、弥生は……司令官となった主の事を思い浮かべた。

 ただ、必要だからというよりは……目の前の何かから目を逸らそうとして、別の事や先の事を考えた結果なのでは……と思う。

 弥生の感じる新城直衛という人物は……物事に動じず、勇敢で恐れ知らず……などという人物ではない。

 寧ろ臆病な性格だと感じられるし、細かいことまで色々と気にしているような処も見えるように思える。

 ただ、そうである事を良しとしないというだけだ。

 部下からそう見られないようにと努めているだけだ。

 それも、自己顕示欲とかではなく仕事だから……という風に感じられる。

 本人の口から聞いた訳でない以上あくまで推測に過ぎないが、弥生としてはそんな印象を受けるのだ。

 正解かどうかは分からないが、大きく外れてはいないのではと考えている。

 だからという事なのか……以前呟くように、恐怖というものについて口にしていた事もある。

 その事かどうか分からないが、義理の兄に本音を漏らしたりする事もあるようだ。

 弥生としては恐怖という感情を悪いものとは思わない。

 敵を恐れるという事は、戦う上で必要な事の筈だ。

 景気の良い話は国民の士気高揚の為だけで充分の筈である。

 勝つ為には勇猛さは必要だろうが、負けない為には臆病さが重要の筈だ。

 成功する事と失敗しない事は言葉の上では近しいのだろうが、実際には全然違う事ではないだろうかと考えるのである。

「後は、一応の警戒という意味も入っている」

 その言葉で、弥生は意識を長月の話に戻した。

 最近、こういうのが増えているように思う。

 良い事なのか悪い事なのかは分からないが、少なくとも今は気を付けるべきだろう。

「……警戒?」

 ぼーっとした様子ながらも首を傾げて、初雪が尋ねた。

「我々は心配していないが、深海棲艦の艦隊撃破後に艦娘が姿を現すという事態に警戒する者達もいる」

 長月が少し表情を硬めにして説明する。

 彼女のいう事は弥生にも理解できた。

 深海棲艦と戦える能力を持っていても、或いは持っているからこそ、という事なのか……艦娘という存在に対して疑いのまなざしを向ける者は存在する。

「そういう者達に司令官を非難する為の口実を与えるべきではないだろう」

 言い難そうな表情ではあっても言葉を途切れさせることなく、長月は説明を続けた。

 時期は調整するだろうが、完全に隠し通せる事でない以上……深海棲艦部隊の撃破後に艦娘が出現したという情報は、いずれは発表される事だろう。

 その際に、出現した艦娘に対して十分な警戒を行っていたという態度は……少なくとも不用心という評価には繋がらない筈だ。

 実際に警戒せずとも口裏を合わせればという意見もあるだろうが、その場合は何らかの原因で漏洩する可能性もある。

「如月にとっては不愉快かも知れないが」

「ううん、そんな事ないわ。司令官の迷惑になる方が嫌。だからキチンと私のこと、見張ってて頂戴?」

 申し訳なさそうに言う長月に、如月が笑顔でそう返す。

「……そう言ってもらえると有り難い」

 長月はそう言うと、その場の全員を見回してから口にした。

「とにかく、我々は自分たちや司令官の今後について考える必要がある」

「……けど……」

 暗い表情で口にする初雪を励ますようにして、長月は断言した。

「我々が与えられた任務は、足止めだ。だが、我らが司令官は……玉砕を引き受けるほど可愛げはあるまい?」

 そんな長月の言葉に頷いてから、弥生は彼女の可愛げという表現に成程と感心した。

「二人とも司令官の事、信頼してるのね」

 話を聞いていた如月が微笑みながら2人の顔を見比べる。

「如月にも直ぐに分かるさ」

「でも、良かったらもっと二人の口から色々教えてもらえないかしら?」

「勿論だ」

「……うん」

「では、行こうか」

 長月がそう言ってから、初雪と望月を引っ張るようにして白雪と三日月の方へと歩いてゆく。

 弥生は再び如月と顔を見合わせ頷き合うと、歩き出した長月の後に続いた。

 

 

 

 


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